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世界遺産

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フランス世界の時間

2003年10月19日(日)曇り、17℃
アヴィニョン歴史地区

他の画像は「旅の空から」にUP済み」
1995年世界遺産指定
TBS「世界遺産」2001年11月25日第277回放送


アヴィニョンの聖ベネゼ橋:絵葉書より

約2000年前にカヴァール族が定住するようになり、ローマ人がローヌ川の港を拡張して行った。1309年にこの街に皇帝庁が置かれることになり、大事件となり、静かで平和な街が一変する。このアヴィニョンに皇帝庁が置かれてから、フランス人教皇は7名にのぼった。教皇を迎える壮大な宮殿が造られ街も城壁で囲まれ、華やかな時代を送る。ローマに教皇が戻ることを求める声もあり、次第に大きな運動となっていく。1377年、グレゴリウス11世はついにローマに教皇座を戻した。しかし、それに対してアヴィニョンではもう一人の別の教皇が選出され、キリスト教世界は二分された。1721年のペストが流行った時には、人口の四分の三が亡くなり、20000人しか残らなかった。1791年にはフランス王国へ併合された。世界中で歌われている「アヴィニヨン橋」は実在の人物聖ベネゼにまつわる伝説がある。少年時代にベネゼは「アヴィニョンへ行って流れの激しいローヌ川に橋を架けなさい」という天の声を聞く。一人で故郷を離れて、訪れた街で大の男が30人でも持ち上げられない大岩を持ち上げるという奇跡を見せつけ、群集に募金を呼びかけて橋を造ったと言われている。実際、1177年に着工され、1185年に完成している。全長900mでアーチは19個あったが、1226年の街の崩壊とともに大部分が倒壊した。その後再建されたが、1680年にはほとんど使用しなくなった。右上:教皇宮殿、左:聖ベネゼ橋(両方絵葉書)



2003年10月19日(日)曇り、17℃
アルル
ローマ遺跡とロマネスク様式建造物

他の画像は「旅の空から」にUP済み」
1981年世界遺産指定
TBS「世界遺産」1996年08月04日第16回放送

ビゼーの「アルルの女」やゴッホの「跳ね橋」でも有名な街アルル。ギリシャ人が支配し、ローマ人にも支配された。その時代の遺跡がそのまま残る街である。今でも夏から秋にかけて闘牛が行われる円形競技場は紀元前2世紀頃に造られた。長径136m、短径107m、観客席25000の規模はガリア最大級である。一期、建物は要塞になり、一部は住宅や商店となったこともある。古代劇場はアルルで一番古く美しい建造物で丘の上に立つ。観客用の階段席は西へ向かって開いた半円形で長径が103mとなっている。アウグストゥス帝の時代に建設が始まり、アントニウス帝の時代に完成したが、破損が激しい。3段アーチ構造の外壁に囲まれていたようである。市庁舎前のリパブリック広場は街の中心地である。市庁舎は建築家マンサールによって設計され1673年〜76年に建てられた。広場の中心にあるオベリスクは古代競技場から発掘されたエジプトのもので、10.28mある。聖トロフィムス大聖堂はカロリング朝時代に建てられた聖エチエンヌバジリカ聖堂にあった場所に建立された。11、12、13世紀に修復された。正面は「最後の審判」の場面が彫刻されている。
街の中央にある
ガイドブックより
円形闘技場 レパプリック広場と市庁舎
聖トロフィムス大聖堂 最後の審判の彫刻が見事
ガイドブックより
古代劇場跡
ガイドブックより


2003年10月19日(日)曇り、17℃
ポン・デュ・ガール(ローマ水道橋)

他の画像は「旅の空から」にUP済み」
1985年世界遺産指定
TBS「世界遺産」未放送


絵葉書より
プロヴァンスは古代ローマ帝国に支配されていた。紀元前19世紀にアウグストゥス帝の養子のアグリッパは、20数km離れたニームの町に飲料水をを運ぶ水道を造る提案をした。その時にガール川に架けられた巨大な橋がポン・デュ・ガールである。500年もの間、水を送り続けた橋である。19世紀のまでは歩行者用の橋として使われていた。高さ49mで6トン余りの巨大な石魂を積んでいったもの。水面からの橋の上部までは40m。アーチは橋の下段は全長142mでアーチは6つ、中段は全長242mでアーチは11、上段は全長275mでアーチは35ある。



2003年07月16日(水)晴れ、28℃
ランス
ノートル・ダム大聖堂、サン・レミ・バジリカ、トー宮殿

他の画像は「旅の空から」にUP済み」
1991年世界遺産指定
TBS「世界遺産」2002年05月19日第301回放送

フランス3大聖堂の一つに挙げられる。ここで1825年まで行われた歴代の国王の戴冠式。ジャンヌダルクもシャルル7世の戴冠式には列席したと言われる。周りにはブドウ畑が広がるシャンパーニュ地方の中心地。
この街にはノートル・ダム大聖堂を見て、感激し、キリスト教徒になった画家の藤田嗣二のチャペルもある。
パリの東駅から列車で約1時間半。1日あれば、充分回って帰って来られるので、パリ滞在中にお薦め。ただし、ほとんどの美術館やトー宮殿もお昼時間には一旦閉めるので、時間を確認して行くといい。インフォメーション・センターはノートルダム大聖堂の正面から見て左側低めの遺跡の中。無料の地図がもらえた。
左の写真はジャンヌダルクの像の斜め後ろから、ノートルダム大聖堂を撮影している。
ノートル・ダム大聖堂
13世紀ゴシック建築
ノートル・ダムは
我々のマダムと言うことで
マリア様の教会である
シャガールのステンドグラス
サン・レミ・バジリカ
11世紀創建
サンレミ司教の遺体を安置
後方から見た
サン・レミ・聖堂
トー宮殿:国王の戴冠式に
使われた宝物を展示してある。



2001年11月06日(火)曇り、15℃
ヴェルサイユ宮殿と庭園
本殿以外のグラン&プチ・トリアノン・パレスUP
1979年世界遺産指定
TBS「世界遺産」1998年01月02日特番放送

マリー・アントワネットの
田舎家
マリー・アンネット プティ・トリアノン
グラン・トリアノンの中庭より 広間 舞踏会場
宮殿の庭園の中央から大運河を見て、左方の小運河の先にあるグラン・トリアノンとプチ・トリアノン。グランは1670年の建設当初、外壁は陶板だったが、ルイ14世がマンサールに命じて、バラ色の大理石に張り替えさせた。王はここでマントノン夫人と余生を過ごしている。現在は公式レセプションの会場として利用されている。プチはルイ14世のひ孫のルイ15世の愛人ポンパドール婦人の案で建てた小さな宮殿。マリー・アントワネットが好んで使用していた。OFF:月曜日、5/1、12/25.英語の公式ベルサイユ宮殿へジャンプ



2001年09月24日(月)晴れ、13〜20℃
フランス:シャンボールの城と領地
1981年世界遺産指定
TBS「世界遺産」1998年02月08日第90回放送

シャンボール城:1515年
31kmの壁に囲まれた5440ヘクタールの敷地はヨーロッパ最大の森林公園となっている。野生動物もたくさん生息している。城の外観はいくつもの奇妙な塔が目に付く。中はほとんど何もない。見所は二重の螺旋階段。誰ともすれ違うことの無い階段造りがおもしろい。兵士の部屋には暖房はなかったのでたくさん寒さで亡くなった。時間のない時はここで時間を取るよりシュノンソー城やアンボワーズ城がいい。



2001年09月23日(日)晴れ、8〜18℃
フランス:モン・サン・ミッシェル
1979年世界遺産指定
TBS「世界遺産」1996年10月13日第26回放送

モン・サン・ミッシェル:8世紀〜
708年、不思議な出現が多くあったことから聖ミカエル(ミッシェル)に捧げられ、966年にはノルマンディ公によりベネディクト会修道僧にゆだねられた。それ以降、この修道僧達が創立者オーベール大司教の伝説を広めることにより、キリスト教世界の巡礼地でも世界で最も古い物の一つになった所。
モンサンミッシェルは村を取り巻く城壁、大修道院城壁跡がその昔の力のあったことを思い出させる。落ちることの無かった頑固な砦でがもあり、百年戦争の間は英国軍に勇敢に耐え、フランス愛国心を象徴する場所ともなっている。フランス革命から1863年までの間、大修道院は監獄に姿を変え、1874年歴史建造物に指定されて以来、大規模な修復工事繰り返された。それによって、現在ここへ訪れる人々はその昔中世の人達が地上に出た「空のエルサレム」と拝んでいたそのものを見ることができる。
パリから日帰りも可能。1日バスツアーもある。モンパルナス駅からTGVでレンヌへ行き、そこから乗り換えて行くことも可能。しかし、今回のように是非少なくても1泊はして欲しい所。日の出は9/24で7時30分と遅い。ここに来たらオムレツとクレープはおすすめ。クッキー(ガレット)も有名。
堤道から見たモン・サン・ミッシェル クロイスター(回廊):1228年 朝もやの中のモン・サン・ミッシェル
付属教会の古典様式の正面 フランボワイヤン様式の柱 修道士の仕事部屋
暖房はここだけだった
今日のような大潮の日は1分62m満ちて来る 島への堤道。潮が満ちるとこの道だけが残る



2001年04月23日(月)曇り
フランス:フォンテーヌブロー宮殿
1981年世界遺産指定
TBS「世界遺産」1996年11月10日第29回放送

パリの南東65kmに位置するフォンテーヌブローの森はかつては王族の狩猟の場だった。フランス史を育み、印象派を生んだ森。ミレー、ルソーやコローの愛した近くのバルビゾン村を訪れた後、宮殿へ向かうといい。「フランス史を勉強するなら本を読むより、フォンテーヌブローへ行け」と言われる。カペー王朝末期からナポレオン3世までの歴代の君主達の痕跡を残してたたずむ。今はルーブル美術館で見ることのできるミケランジェロの「モナリザ」などの絵画もこのお城に飾られていた。
フランス式庭園より
白馬の中庭。エルバ島流刑時、最後にナポレオンの旅立ちの儀式が行われた馬蹄形の階段 フランソワ1世の回廊
ルネッサンス時代1528年,回廊の装飾はイタリア人ロッソを呼んで作らせた。
舞踏会の広場
長さ90m,幅10m
フランソワ1世の間
16世紀に2番目の妻となったカール5世の妹エレオノールのために作られた寝室だった部屋
ディアナの回廊
長さ80m,幅7m,1858年ナポレオン3世によって図書室に改装された
皇帝の寝室
ルイ16世のためにつくられたこの部屋は1808年ナポレオンの寝室となった
タペストリーの間 ルイ13世の間
1601年9月27日ここでルイ13世は生まれた。
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