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旅の事件簿

ラインライン
スチュワーデス・現地ガイド・
ツアーコンダクター(添乗員)に聞く。

旅先で見た!聞いた!不思議な行動をする人種(日本人)の素行をキャッチ

過去にはたくさんの事件が毎日のように起こりました。笑える話、恐怖体験、失敗談。出来るだけ最近の話をUPしたいのですが、海外常識人が増え事件にならないのが淋しいです。実はこのページが一番おもしろいと思って作ったのですが・・・。そのうち、過去のとっておき?の事件も発表しますので、お楽しみに。皆様からの旅の事件も募集しますので、下記よりメールお願いします。
夜中に可愛い金髪の女子学生が男子学生の部屋へ乱入「ダニエルゥ〜」2006年11月11日ニューヨーク
夜中の4時半頃に一番真面目で硬い二人で、街を二人でも歩けない噂の男子学生さんたちのお部屋から電話があった。「大変です・・・外人が乱入して来ました」寝ぼけていた私は「はっ?」「知らない外人が部屋に居座っているのです」意味不明な私「え〜っ、どうして?」「わかりませんよ」そりゃ〜そうだわ・・・ホントかうそか・・・そう思いながらもピストルで脅されていたら大変と、ロビーのセキュリティの男性を呼んで二人で大急ぎで行ってみた。青ざめた二人がそこに・・・「で・・・どこに?」「ベッドに」・・・「うわっ、売春婦が無理やり入り込んできたのだわ」と思ってみたら、セーターにジーンズの普通の女の子。見てすぐにわかったが泥酔状態・・・部屋を間違っているみたい。セキュリティが女の子に「何しているんだ、警察を呼ぶよ」にびっくりした彼女「私の部屋を知っているぅ〜?」と逆に質問して来た・・・無理やり嫌がるその子を連れ出した彼から「もう大丈夫だよ」と言われて終わった。朝になって二人に聞いてみた。チェーンはしていなかったとか・・・覗き穴から見えないけど、ドンドン叩くから開けてみたら行き成り入って来て「ダニエルゥ〜」と学生の腕を掴み、ベッドへなだれ込んだと。  私はもう可笑しくて可笑しくて・・・100万人にこの二人くらいではないだろうか・・・金髪の可愛い普通の女の子が夜中に部屋へ乱入して来ちゃうって。一生語り継がれそうな変わった事件。しかし、本人達は相当怖かったのかも・・・終わっても、まだ信じられないと言うような引きつった顔がとっても可笑しかった!部屋に戻った私は大笑い!普通のおじちゃんたちなら「ラッキ〜」と勘違いしたに違いない。そんな話は東欧とかで昔あったもの!トント〜ン「淋しくないですか〜」って来ちゃう女性達がね(^m^)もちろん、それは一人でシングル・ルームにいる男性目当てだけど。映画とかで金髪の可愛い女優さんを見ながら、男性なら一度はこんな彼女がいたらなんて、夢見るのでは?しかし、心の準備もない時に突然来てもらってもねぇ〜、男優さんのようにカッコイイ台詞は出て来ないですよね。
ちゃんとチェーンはして休み,夜中の見知らぬ訪問者は拒否しましょう!



ツアー2日目の朝突然亡くなった32歳の新郎さん 2005年11月 (T/Cさんより)

ツアー2日目の朝、6時頃に電話で起されたT/Cさん。「うちの人が死んじゃったんですけど・・・」「えっ!すぐ行きますから〜」すっ飛んで行ってみたら、本当にご主人が亡くなっていた。高血圧とご存知だった気丈な6歳年上の新婦さん。「ご家族を呼びますか?」「いいえ、大丈夫です」と涙も流さずにおっしゃったとか。数日後のフィレンツェで挙式の予定だったようで、ご家族の方々も日本から合流のはずだった。それからが保険屋さんを巻き込んで、ご遺体の運送などのことで大変だったようだ。旅行会社ローマ支店の方々にHelpしてもらい、ツアーはそのまま何事もなかったかのように進行、帰国となった。まだあまり顔がわからないうちで、早朝のことなので、他のお客様はどなたもそんな大事件のことはご存じなく、「楽しかったぁ〜」とお帰りになった。血圧は上が160下も160に近かったようで、脳梗塞だった。その後の未亡人はローマでいろいろとお世話になった支店の方々をミールクーポンでお招きし、お食事をされたとのこと。本当にしっかりされた方だったらしい。ご冥福をお祈り致します。


2階建てバスの屋根が吹っ飛んだ! 2005年12月04日(日) (T/Cさっちゃんより)
和やかに楽しく進んできたスペインツアー最終日、お客様30名・ガイド1名・TC2名は大型バスで一路マドリードの空港を目指していました。“さぁて、あとはチェックインと免税手続き…アムスからJALに乗ったらまずビール…”などと思いつつ私はマイクで帰国案内をしていたのです。環状道路へ向かうため、バスはトンネルを抜け…とその時『ドカーン!バリバリバリー!!』『きゃあ〜!!』バス急停止…振り帰ると土煙で後方は真っ白でした。「ガラスがわれてないか、怪我をされた方がいないか、確認して!」と社員TC君に指示する一方マイクで「大丈夫ですか?お怪我をされた方は?」とアナウンス。そして急いで後方へ行くと、見るも無残にバスの屋根が飛んで青空が見えていました。そうトンネルの入り口にバスの屋根がひっかかり、スピードを出していたことも相まって屋根が壊れて飛んでいってしまったのでした。慌てて代替バスを依頼するガイド…バスはひっかかったまま前進も後退もできず…スーツケースは33個…飛行機の出発まであと2時間少々…警察はちっとも来ない…久しぶりに脳味噌フル回転しましたよ。とりあえずお客様には前方の席に座っていただき、バスはタイヤの空気を抜いて後方へ移動。ガイドとは「テレビ局が来る前に、ここから抜け出したいね〜」などと冗談を言って、気を紛らわせた後意を決してマイクを持ちました。「代替バスが小型しかありません。ここでスーツケースを移し替えるのも危険ですし、タクシーですと11台に分乗となります。あまり飛行機の出発まで時間もないことですし、警察の検分の後このままオープントップバスで空港まで向かうのが一番安全と判断させていただきます。ご了承いただけますか?」「パチパチパチ(拍手&笑顔)」その後お客様を社員TC君に任せ、私1人だけ空港にタクシーで向かいチェックイン。ほどなく一行は人々の視線を集めながら、オープントップバスで空港に無事到着し、全員で帰国することができました。
長い添乗生活、いろいろな事があるけれど…こんな事は滅多にありませんよね。怪我をされた方はなく、本当に良いお客様方で助かったのでした。JALのビールは何時にもまして美味しかったです〜!)
 

トルコ航空8時間半の遅延
 2005年07月31日(日) 成田空港にて(掲示板への書き込みより
今日は朝から5時間半立ちっぱなしでした。自腹前泊したホテルから成田空港に到着したのが、09時35分。会社のカウンターへ行ったら「今、航空会社から連絡があって、飛ぶのは夜になるようですよ」(@_@;)それからず〜っと航空会社がオープンするまで待って、事情を聞き、受付のアシスタントさんに連絡。お客様の再集合時間を少し遅めにしようと打ち合わせ。そのまま私はカウンターに張り付きました。イスタンブールまでのグループには個人客より早めに搭乗券は発券されたのですが、我々のようなイスタンブールからの国内線乗り継ぎ便のグループは「まだまだ現地での乗り継ぎ便の席の確保と調整、発券に時間がかかります」と言われてしまって・・・それが11時15分頃。もともとお客様の成田空港の集合時間は11時25分でした。航空会社からは11時10分に搭乗券は出ると言われたので時間前にいらした方にはすでに再集合は11時45分としてありました。「再度12時半に集合して下さい」」と事情も説明していただいて解散してもらいました。なのになのに・・・今度はコンピューターがダウンして動かないって・・・「復帰がいつになるかわからない」と(・.・;)  さすがにもう私がお客様に顔出さないといけないと思いアシスタントさんを航空会社へ貼り付け、12時半にはご挨拶と説明に行きました。最初のご挨拶ですでにシラ〜と言ういや〜な雰囲気に流石に私も一瞬固まりました。それから事情説明、航空便の時間変更とイスタンブールでの乗り継ぎ案内、今後の流れ、航空会社からのミールクーポンの提供、わかりやすくお話したつもりです。私が今朝の9時半過ぎから航空会社のカウンターに張り付いていたために最初の集合時間に来れなかった事など話してやっと少しほっとした顔になりました。それから少ししたら、アシスタントさんがミールクーポンを持って帰って来て「まだまだダメなようで、ミールクーポンはもらって来ました。たぶん14時頃には大丈夫と言っていますけど・・・」もう次の再集合が最後にしたいと思った私は再集合は14時半として、全員近くのイスで待機していただいていたので、すぐに事情説明とミールクーポンをお渡しして解散としました。
そして、また航空会社のカウンターで張り付いていたら、13時40分頃、やっと搭乗券が出たのです。それからいただいた席がFAXしたリクエスト通りどうか確認。完璧に乗り継ぎ便もリクエスト通りになっていたので安心。これが最悪バラバラだったら雰囲気がもっと悪くなりますものね。14時半に戻って来ていただいたお客様にまた説明。荷物を預けた後は21時15分まで解散、何かあった時の連絡先電話番号、出国説明、Shop、レストラン、休憩室、Yahoo Cafeなど無料でネットし放題の場所などいつもより丁寧にしっかり説明してから、全員で航空会社へ荷物のチェックインに行きました。そこで最後は航空機遅延の保険のために「遅延証明書発行」の説明をして解散としました。それが15時でした。やっと航空会社とお客様より開放された私は今度は現地とのやり取りがあります。トルコはその時間でちょうど9時・・・現地へ電話して、事情説明、ホテルはキャンセルしないでほしい(もしかして朝食やシャワーは使うかも)など一番気になっているランド・オンリーの2名様が先乗りされますが、心配しないようにガイドさんから直接会って説明してほしい旨お願いしました。また東京のランドさんにも日曜日ですが、緊急電話。初日から予定のSHOP皮屋さんには入りたくないと申し伝えました・・・だって、そんなんで1時間も時間取ったら誰だって怒りますよね〜。それらを伝えてもらって、私のランチは16時半過ぎになり、折り返し連絡が取れたのが17時半。これですべてのことから開放されたので、出国して今ここに座っています、ふ〜(~_~;)では・・・名古屋から出国して電話だけでお話している方と会いますので、これで・・・。そうそう、イスタンブールには夜中の3時45分到着。そして、乗り継ぎは7時発でイズミールに8時には到着のフライトが取れていますから、観光は何とかなります。それだけが救い!愚痴はちゃ〜んと受け止めます!不満をぶつける相手は私だけですからね。では、また!あら〜・・・もう空港が暗くなっているわ〜(~_~;)


現金を忘れて来た方、出て来た中身は違っていた?! 2004年09月30日(木) イタリアにて
木曜日の朝8時にヴェニスのホテルを船で出発しローマ広場まで行き、バスに乗り換えラヴェンナへ行った。徒歩観光後、昼食をし、フィレンツェへ走り、17時頃ホテルにチェックイン!全員へ到着後のフリータイム、おすすめの夕食場所、明日の観光のご案内などして解散した。イタリアは安全・本人確認の意味もあってお客様にはホテルカードだけを配布。個々にそれを持ってレセプションへ行き、鍵を受け取ることが多い。少しして、「あの〜・・・ヴェニスのホテルのセーフティ・ボックスの鍵を持って来たことに、今フロントへ行って気が付きました」「えっ、パスポートが入っていましたか?」「いいえ、現金5〜60000円です」・・・内心、ホッとしている私。英語はペラペラの方なので・・・「あら、じゃ〜ホテルも心配しているでしょうから、すぐにホテルへ電話します。ご自分で鍵を返し中身を受け取りに行かれますか?ちょっとお高く付きますが、人を出すことも可能です。交通費や食事代なども入れて50000円くらいかかりますけど・・・」ホテルへ電話すると連絡を待っていたと言われた。そして、中身が何であろうとすぐに鍵が必要だから持ってくるか郵送にしてほしいと言われた。ちょっと考えてみる。週末なので、郵送して届いても帰国の月曜日。100%届くかどうかも疑問。ならば、ご本人か誰でもいいから行くしかない。「僕が行きますから、列車の時間を調べて下さい」フロントでその夜、朝、午後など3パターンをPCでチェックしていただき、お部屋へお持ち帰りいただいた。ローマのオフィスへ電話してみる。やはり私の判断が一番と結論。そんなことをしているとお客様が降りていらして「時間もかかるし、フリータイムの1日無くなるのはもったいないので、もう中身は諦めます・・・いりません!」「わかりました。では、一つ提案ですが、中の5〜60000円がもう必要ないとおっしゃるなら、そのお金で人を雇って鍵を返しに行ってもらいましょう。ホテル側は鍵が戻ることを期待しています」「あ〜、そうですね。いいですよ」そこで明日から2日間あるので、そのように手配を流し一安心したのはもう夜だった。翌日午後に「ヴェニスへ行ける人が捕まった」と連絡が入った。週末のためフリーな人がいなかったようだ。そして、土曜日の朝から動いてくれると言うので、翌日の朝ロビーで待ち合わせをした。そこでただ鍵を持って行って中身をいただきます・・・と簡単にはいかない。お客様の委任状、パスポートのコピー、行く人のパスポートなどが必要。私は外で観光中だったので、そうすることを前もって文書(FAX)でホテルへ流してもらった。午後のピサ観光時の30分のフリータイム中にピサのローカル・ガイドさんにイタリア語でご本人のサイン一つで終わりと言うフォーム(委任状)を作成してもらってご説明。なのに、この方不安なようで「人の書いたイタリア語では何を書いてあるのかわからないので、自分で書きます」と、ビジネス文章が書けるほどの方だったのかと改めて感心!私は書けないので心配して書いたもらいチップまで渡したが、そんなことは知らないご本人。翌朝、待ち合わせた日本人の女性の方が現れた。ご本人も自作の委任状を持っていらした。パスポートのコピーも渡し一言「そのコピーは出来れば持ち帰って下さい。何に利用されるかわかりませんから・・・」なるほど、そうだわ・・・この方それなりのお方に違いないと思い、鍵もお渡ししてお願いした。もうこれで90%OKだわ〜っと、フリータイムを楽しんで早めにホテルへ帰って来たら、電話が入った。「ミンメイさん、お聞きした中身とは違うものが入っていますけど、どうしましょう。開けて確認していいですか?」ご本人からは「中身はホッチキスで止めた封筒の中に現金5〜60000円ですから、開けずにそのままお持ち下さい」と言われていた。なのに、開けたら薄っぺらいはずの封筒はかなり膨らんでいて、ホッチキスで止まってもいない。ホテルへ何を持ち帰ったか書き出しサインをしなくてはいけないと言う。そしてすぐ目の前にホテル・マネージャーがいると。ならば、そこで開けてもらうしかないので、電話しながら開けてもらった。そこには現金入りの封筒の他にお財布ともう一つの封筒と3点が入っていた。「どうしましょう・・・全部で112000円ですよ。話が違いますよね」私「でも、そこに入っていたのならほぼ間違いなくあの方のだから、私の責任で全部持ち帰って下さい」 そのお客様にはすぐにお手紙を書いてKEYBOXへ入れた。不思議なことが起こったわけだが、何故か「絶対開けないで」と言われたことに対してとても不安だった。お怒りになるかもしれない。でも持ち帰るためにはそれしかないと腹を括った。お客様から夕方私の部屋へ電話が入った「ありがとうございます!全部私の物です」「お財布が入っているとか他に現金があると伺っていませんでしたが・・・合計110000円ほどの現金をもういらないとおっしゃったのですか?」「はぁ〜すみません」次回このようなことがあったら入っていたと思われる物を全部書き出してもらわなくては!彼女が帰って来たのがもう夜。確認していただき無事に全部ご本人へ渡った。彼女へのチップはしっかりいただき、お渡しした。自分のパスポート、お客様の現金など持って治安の悪いイタリアを丸1日移動していた彼女。お疲れ様でした!因みにこの方が飛行機の中でオーディオ・ガイド2個を置いて来た方だった。「機内の映画など見るために使う物かと思っていました」しっかり「現地で観光中に毎回お持ち下さい。これがあるとガイドさんの近くにいなくても写真撮りながら説明も聞けます」と言ってお渡しした私は飛行機の乗務員さんではありませんけど(^_^;) しかし、いつもニコニコ笑顔で接して下さっていた方々、お疲れもあったのでしょうね〜。いいお勉強をさせていただきました。


夜中の盗難騒ぎ  2004年06月04日 クロアチア、ドブロヴニクのホテルにて
今朝の5時過ぎに「さっき寝ていたら誰かが入って来て、冷蔵庫を開けてボトルのぶつかる音で目が覚めた。そいつは何か冷蔵庫から盗って行ったよ」と電話があった。「パスポートやお金は?お怪我は?」「他には何も盗られていない」夢でもなさそうなお話。この方は毎回現地でヴィデオを撮って下さり、帰国後も楽しみとなっている。慌てて着替えて、フロントの方にお話して2人で走った。すると・・・ドアに鍵を差したままだったのでビックリ。「どうぞお入り下さい」と言っているようなものだ。「鍵がドアについたままですよ。それで通りかかった人が入って来ちゃったのでしょうね」「え〜!」もう一度貴重品などチェックしていただいたが、盗まれた様子はない。デスクの上のヴィデオ・カメラやカメラもそのままだ。「音で気が付き、起き上がったら『Sorry』と言って冷蔵庫の中の物を確かに持って出て行った」とおっしゃる。7時半に出勤する係りの方に冷蔵庫のチェックをしていただくと2本ボトルがなかった。不思議な事件だった。女性なら怖くて泣いていたに違いないし、一人部屋の女性ならもうこの先一人は怖いだろう。
気を付けよう、ドアの鍵の抜き忘れ!


石に躓き大腿骨骨折入院 2004年05月30日 チェコ、チェスキークルムルフ
まだこの事件(旅)は続いていますので、後日ご本人にお会いする機会がありそうですから、またその後UPします!
21時前、先生の部屋で3人で食後の珈琲を飲んでいると「転んで歩けない人がいます!」とドアの外で叫ぶ人がいた。急いでホテルの前の広場へ行ってみるとベンチに腰掛けて「足がまったく動かないの」とおっしゃっている。すぐにホテルへ連絡して街の病院へ行った。レントゲン検査の結果は想像していた通り「骨折」だった。入院となるが、「手術は早い方がいい」とドクター。そして、「スペシャリストのいる大きな街の病院へ移送する」と言う。付き添いににお姉様がいらして下さっていた。電話で各所へ連絡をしたいが、「電話はない」と!東欧時代から10年以上は過ぎたが、小さな街だからまだまだ西のようにはいかない。私は電話をしたいのとご主人(義兄)や先生方への連絡もあり、ホテルへ戻ることにした。それからが大変だった。お客様は「カードに保険が付いているけど、どこの保険かわからない」とおっしゃる。それはクレジット・カードの裏にもどこにも書いてない。私もカード会社の保険会社を見つけるのは初めての経験。適当に大手の保険会社へ連絡を取り、聞いてみることにした。たまたま私の部屋は外線も繋がらない部屋だったので、フロントでの作業となった。フロントの女の子も指差したところへ電話をしてくれるが、このホテルではヨーロッパのフリーダイヤルはかけられないようだった。もちろん、日本へのフリーダイヤルもダメなので、直接カードの裏にある日本の盗難・紛失用の緊急電話番号へ電話して、なんとか保険に関しての部署へ繋いでいただき、やっと話をすることが出来た。それが出来たのももう随分たってからだった。とにかく、現状と移送された病院などの電話番号などをお知らせして、ご主人とまた出かけた。タクシーを呼んでいただくつもりだったが、またホテルのスタッフが「送って行く」と言ってくれ、30分ほどの大きな街のこれまた大きな大学病院のような所へ連れてってくれた。救急の玄関近くにポツンとお姉様が腰掛けていらした。「再検査してもらったけど、大腿骨の骨折みたい。でも、手術は1週間以内にすればいいって・・・」と。ドクターを呼んでいただき、お話を伺うが、同じような内容だった。ご夫妻はよくご自分たちでも旅行される方々で英語も話、心強い。ご本人はベッドへ横たわり、私の手を握りしめて「ごめんね〜、ミンメイさん!」とおっしゃっていたが、誰でも起こり得ることだし、かわいそうでならなかった。それでも、お姉様ご夫妻もご一緒だったから、他の方よりは付き添う人もいてよかったかもしれない。ホテルの車で3人帰ったのがもう1時半だった。それから、パリに本部のある保険会社、現地手配会社へ電話し、日本の9時(こちらの2時)になるのを待って会社へ電話して、報告をした。部屋へ入ったのが、2時20分。翌日はご本人とお姉様ご夫妻のスーツケース3個を残し、航空券をお渡しして9時に出発して来た。他の方なら、日本語のわかる人をプラハかウィーンから雇い、一人残して出るしかなかっただろう。結局、飛行機で移送するにしても寝台となるので、エコノミークラスを4〜6席つぶすことになり、その分全額負担で、ドクターか看護婦さんの付き添いが必要となる。手術してエコノミークラスで一人帰れるまでは相当日数がかかるし・・・手術してもしなくても、すぐに帰るなら、寝台が必要。保険屋さんは「このゴールド・カードに付いている150万円の保険よりもっともっとかかるし、ご子息さまとのお話合いで結論を出す」と聞いた。
 
気を付けよう、クレジット・カード会社の保険内容と石畳歩行。


ツアーデスクでの盗難事件  2004年04月16日、ウィーン
ご招待旅行最後の朝、ツアーデスクに置いたディ・バッグが盗難にあった。ツアーデスクはホテル2階にお客様の便宜を図るために設置したもの.。オガナイザーの社員さんが出発間際のバタバタしている時に、フト置いたディバッグ(リュックサック)がなくなったと慌てている。結局は探しても無駄なので、空港まで一緒に行き、空港警察へ届けた。そして、証明書を発行してもらい、オーストリーの出国をした。関西空港での日本入国も出来たと、今さきほど後輩Shimooからこのツアーの担当営業マンに電話が入った。ツアーデスクは結婚式の受付(お祝い金を全部持っていかれる)やコンサートの楽屋(ステージ衣装に着替えて、貴重品など楽屋へ置いてステージに立っているとなくなっている)などと同じようにとても物騒。我々も絶対貴重品はツアーデスクに置かないし、バッグなども自己管理するのは常識。ひどい時にはツアーデスクにホテルから設置してもらった電話まで盗まれるので、夜撤退する時には必ず部屋へ持って帰り、また翌日設置している。しかし、このスタッフの方は朝の出発前で皆がいたので、安心して置いたようだ。中にはパスポートやお財布がが入っていた。他のスタッフの方が「そう言えば・・・ツアーデスクで3人の家族のような人がいて・・・」堂々と入って来たようだ。「次にツアーデスクを使う人かと思ったけど、きっとあの人だったんだ」と。知らないってそんなことを見ても、何も感じないのかと不思議に思った。どさくさに紛れて、そこにあったのを掴んで行ったようだ。それもディバッグなので、ヒョイと肩にかければ誰もがその人のだと思う。帰国できたので、事件はあっという間に終わったことになる。いかなる時でも絶対貴重品は手から離さないこと!


パスポート紛失事件  2003年11月ロンドン (
04年4月17日T/C仲間Shimooのメールより
昨年11月に【○○○世界選手権大会 in Manchester】で、スポーツ選手団とロンドン経由マンチェスターへ行った時のことでした。全日空でターミナル3に到着後、ターミナル1,2へ移動中に選手の一人がトイレに入り、パスポートと現金入りの透明ポーチを置き忘れてしまいました。すぐに戻ったけど見付からず…、空港中を捜索してもらっても出てきませんでした。この時点で、英国には入国していない状態です。入国審査は乗り継ぎラウンジの先…とっても特殊ですが、パスポート無しで入国できる可能性は果てしなくゼロに近いと思いつつ、ダメもとでブリティッシュミドランド航空のカウンターへ行き、事情を話したところ、『入国管理局がOKならばうちはOKだよ』ということで、航空会社のスタッフに付き添ってもらい、入国審査へ行きました。入国の係官は、自分では判断できないと言って上司を呼びに行ってくれました。白髪のおじいちゃんが出てきて、『パスポート以外で持っている全てのIDを見せて下さい』と言うので、パスポートのコピー、クレジットカード、運転免許証etc…を見せました。係官のおじいちゃんは全てを見た後、『このパスポートコピーは鮮明で顔がはっきり分かる』と言い、ハガキサイズの紙に彼の名前、身長、髪の色、目の色、そして、入国許可をする根拠という欄に ”パスポートのコピー”と書いて『これがあなたのパスポート代わりになる証明書です。滞在中は良い子にしていなさい。』と、証明書に入国スタンプを押してくれたのでした。ばんざ〜い!
 彼は年齢や性別を証明するパスポートが無い為、残念ながら大会への参加は出来ませんでしたが、補欠としてチームを応援できました。日本のコピー技術は偉大です!パスポートコピーは大切です! 後日、パスポート再発行の為、日本大使館に問い合わせたところ、入国できるのはケースバイケースのようです。


パスポートを食べられたツアー・コンダクターさん  2004年01月、T/Cさんの自宅
仕事で時々顔を合わす添乗員さんはたくさんの事件を経験している。最近の事件は彼女に悪いが笑ってしまった。自宅で飼っている8ヶ月のレトリバーの子犬が、彼女のパスポートを食べたというもの。お出かけしていたある日、自宅へ帰ると何やら床に散乱している。見ると確かに棚の上に置いて行った一式だった。その中には彼女の大切な商売道具のパスポートもあった。急いで探すと何と、噛み千切られ、ヨダレでべちゃべちゃになっている。すぐにパスポートセンターへ電話した。「たぶん日本では大丈夫ですが、万が一、行先の入国審査場で拒否されたりしたら、仕事上困るのはあなたですよね。新たに作った方がいいでしょう」とのj回答。すぐに次の仕事の担当者へ電話。理由が理由だけに、苦笑され、「仕方ないですね」 パスポート発券にそれから10日間かかってお仕事再開したようだ。そして、そちらの会社からはもう出入り禁止かと思っていたら、またお仕事が入ったと喜んでいた。良かった良かった。気をつけよう、パスポート保管場所とワンちゃんのいたずら!


セーフティ・ボックスからの現金抜き取り
事件  2004年02月04日、ローマ
今回のお客様の中にこの旅行会社の社員さんが定年退職の記念旅行として参加されている。夜11時半にノックの音がしたので、、ドアを開けると、奥様がいらした。「やられたの〜、セーフティ・ボックスの中・・・」と。「え〜、全部ですか?ううん・・・抜かれいたの」「わかりました。着替えてすぐ行きます」と一旦ドアを閉めた。着替えながら、いろんなことが頭の中をグルグル回っていた。どうやって?誰が?いつ?いくら?・・・。そして、部屋を出ようとしたら、フロントから電話があった。「君のお客さまがお金が無くなったと言っている」「わかっている。後でそちらへも行くから」 お客様の部屋へ行くと、BEDの中、ガッカリしたご主人の顔があった。被害は4万円。こんなことがよく報告されるイタリア。今回もローマの空港からホテルへ入るまでの間にバスの中で「セーフティボックスは皆様自信で考えて、ご利用下さい。私の口からは100%安全とは申し上げられません。フロントにもお部屋にもありますが、どちらをお使いなるか、お考えになり、ご使用下さい。お財布ごとそのまま入れず、お札を数えてホテルの封筒に入れ、封をしっかりして、封印もして下さい。お札が抜かれたりする事件が起きています」とご案内済みだった。このホテルのセーフティ・ボックスはクレジットカードでの開閉式となっていた。食後に帰って来たら、セーフティ・ボックスが開かずに、ホテルの人がマスターキーで開けてくれた。中の二つの封筒が開けられているのがわかった。そして、1万円と3万円を抜かれていた。フロントでの話は、お客さまには絶対そのままお伝え出来ないような内容だ。「誰もセーフティボックスは開けることは出来ない。お金を数え間違ったのではないの?」「でもわざわざお財布から現金を出し、封筒に入れていて、無くなったのよ。部屋への入出記録を出してよ」「ダメだ。そんなことは出来ない。明日マネージャーが来たら話せ。」「何時に来るの?」「9時」「明日は7時半に出るのよ。じゃ〜、ポリスを呼んで」「イタリアはそんなことでポリスは来ない。自分で行くんだ」もうまったく話にならない。心配して調べる様子もないのが、腹立たしい。結局は今日5日支店の方から出入りの時間チェックをしてもらっている。
そして、今日になって、「あれから思い出したことがあった・・・。最初から閉まっていて、何の不思議もなく、自分のクレジット・カードで開けて、お金とパスポートを入れたんだよ。その時におかしいと気が付けば良かった・・・。」」「え〜、それって最初から誰のカードでも開けられるセーフティ・ボックスだったかもしれませんね〜」「そういうことだよね」そして、ローマ支店からの指示でフィレンツェ到着後、警察へ届けに行った。現金は戻っては来ないが、今後のために時間があれば警察に届けてほしいとのことだった。ホテル到着が16時半前だったので、充分時間があった。ポリスの受付では手馴れた様子で、「何があったの?」「お金を盗まれた」「じゃ〜こちらへどうぞ」と入った部屋にはすでに何人かの人たちが順番待ちしていた。ローマでは日本語のレポートが用意してあって、驚いたなどと話をしていたら、約30分後に呼ばれた。すぐにレポートが出て来た。なんと13年位前にローマの警察署で見たような日本語のレポートだ。「わ〜、やっぱりローマと同じ。日本人の被害者が多いってことですね〜」内容は日本語でパスポート、免許書、現金などと一緒にかぎ、手帳などもあった。バッグ盗難時に届けそうな内容だ。
「いつ、何時になんて質問すると思ってメモして来たよ」「そんなことは聞かないと思いますよ。探す気もないし、レポート書けばいいと思っているでしょうから」と言っていたら、案の定、そのレポートにスタンプをサイン後、コピーして手渡された。
今回もスタートから順調で、モスクワ経由だったが、荷物の破損も未着もこじ開けられてもいなかったが、こんなことが事件となるとは思ってもみなかった。一体どういうことだったのだろうか・・・。イタリアは朝起きたら部屋からお金が消えていた、と言うような事もある。充分気をつけたい。しかし、いつもは私たちに「セーフティボックスの案内は充分を気をつけて」と言っている人が被害にあうとは、皮肉だ。


バス火災?!  2003年11月24日 フィレンツェ〜〜シエナ
今日は16時出発までフリータイムだったので、ご希望の4名様を世界遺産シエナへご案内した。お客様と9時10分発のバスに乗り、トスカーナの黄葉の終わった山、畑、キャンティ(最高級トスカーナワインDOCG)の故郷を走り抜けて行った。途中で、後方にいた男性がドライバーのところへ来て、何か言っている。「トイレでも行きたくなったのか、行先を間違ったかしら?」などと、言っていたら、バスがストップした。ちょっと前から「灯油?!の匂いがするね〜」などと言ってはいたが、かなりきつくなっていた。その点検にドライバーさんが降りたようで、あの男性はそれを言いに行ったみたい。後方のドアが開くと、その近くの人達がどんどん降りて行く。フト見るとバスの後ろから白い煙が・・・。ヒェ〜!その匂いだったのか〜と降りたら、すでに後ろに乗っていた新婚さんが写真撮影をしている。「うっ、これは事件簿に載せなくては・・・」とカメラ持って飛び降りる。撮影していてわかったのはバスの下に何かがたくさんもれていた。これでずっと走っていたのかと思うとぞっとした。すぐには動きそうにないので、4名様には持ち物全部持ってもらい、私はすぐ前のガソリンスタンドへ走った。「タクシーを呼んで下さい。5人です。これ使って・・・」と携帯電話を差し出すとすぐに電話してくれた。感謝!そして、5人乗りタクシーがやって来た。その時にはもう街の路線らしきバスが来ていて、他の残された20名くらいの人は乗り込むところだった。そのバスのドライバーさんもこちらに手を振ってくれたが、お断りしてタクシーに乗って出発。この方がシエナの中央のカンポ広場まで行けるので、楽なのだ。到着するシエナのバス・ターミナルからは中心まで坂道を歩くことになるし、時間もかかる。10分くらいでシエナの中心のカンポ広場へ到着。バスなら街の外側にしか止まらないから、結果オーライだった。皆さん、広場を見て「わ〜」っと、嬉しい歓声が起こった。バスが丸焼けになるような事故にならずに良かった。


ホテル火災  2003年11月16日 ロンドン
今日の午後はフリータイムだった。オプショナルの精算をし、残った方のケアー後、オックスフォード・ストリートからバスでホテルへ帰って来た。バスの2階から、ホテルの前に青いライトが点滅している消防車がいるのが見えた。外にはたくさんの人々がいる。これはマズイ事態となった、と思いながらバスから下車。いない間に火事になったようだ。部屋が燃えていたらどうしよう・・・、外にいたホテルの人に声をかける。「レストランからの出火でもうじき終わるから、外で待ってて」と言われた。それからでも寒い中20分は待った。そして、合図とともに、ホテルの従業員、宿泊者、バンケットでのミーティングしていたらしい人々が、館内に入って行った。すぐにレストランへ行き、確認。消火後、レストランが水浸しになっていたら、今夜の夕食や朝食が出来ない。運良く?そのレストランではなく、隣の和食屋さんからの出火だった・・・。今夜の夕食も明日の朝食も出来る。外で待っていた人の服装などを見たら、部屋着らしき短パンとトレーナーだけの人、裸足でスリッパの人などもいた。きっとサイレンか何かがなり、アナウンスで至急部屋から外へ出るように案内があったのだろう。その時にいなくて良かった・・・それが夜でなくて良かったと思った。写真はホテルの前にいた消防車。


ロンドン・パリ連続事件  2003年11月03日〜10日 まとめて、旅の事件簿の別室に公開中


またまた飛行機が飛ばず・・・  2003年08月、お馴染みのT/C仲間のMTのメールより
私はきのうまで妹の家族4人を連れてシンガポールへ遊びにいってました(^^)むこうでは最高に楽しい時を過せたんですが、行きの飛行機でまたしてもはまりにはまってしまったの(;;)UAだったんですが17:25発でいつものようにON TIMEで飛行機に乗ったのもののなかなか飛び立たず・・・ときどきはいる機内アナウンスで‘故障がみあたり点検中’と言われ待って待って待って・・・そのうちドリンクサービスが始まり映画の上映まで・・・うたた寝をし、気がついたらまだ外の景色はかわらず・・・時計を見たら時間はすでに22:00。映画も1本終わってしまい・・・そのうち‘まだ修理に時間がかかりそうなので機内食のサービスをさせていただきます’なんて言われ(@@)。暖め始めた匂いがしはじめたと思ったら‘無事点検が終ったのでこれから飛び発ちますのでシートベルト着用を’と。そして機内食おあずけ状態でようやく滑走路にすすんだんです。ところがまた‘支障がみられもう一度ゲートに引き返します!’とのアナウンス(><)5時間以上もたってお腹はすくし子供達は疲れてくるし(あたりまえ!)もう香港あたりに着いてるよ!って感じ(@@)時間はもう22:30私達これからどうなるの!?状態!!
そしてゲートに引き戻され‘皆様には今後の検討をさせていただく間とりあえず機内食のサービスを’とのこと。仕事柄、成田空港の離発着時間を考えるとこれから点検にはいって飛ぶとはまず思えないとわかっちゃう・・・皆はまだ飛ぶと信じてるケド!で、やがて‘この飛行機はCXLになります。食事が終りましたら順番に飛行機をお降りいただき・・・・・’だって(T0T)結局6時間半も監禁(飛んでたらSIN着いてる)されたあげく出国のスタンプにVOIDを押され、BGGをとり、NRTのホテルに1:00amすぎに到着(;;)
そして翌日のSQとJLに振り分けられ1日遅れでSINにたどり着いたのデス!プライベートとなると私もお客さん気分ב1日返せ〜!!’ってかんじ!気持ちがよぉ〜くわかりました。
まったく、なんでこう飛行機トラブルにあたるのでしょう(??)それにしても飛行機に乗って飛ばないまま映画も機内食も!なんて
こんなのもめずらしいと思いません!?貴重な経験。飛ばないときのあれこれは私におまかせください!って感じです(^^)


ストライキをあおった?!T/C 03年10月20日、パリの高層ホテルにて
8時頃朝食を取って、23階部屋へ戻る時、エレヴェーターの中でサイレンの音が聞こえた。ギクッ「ウッソ〜、火事?・・・」手を伸ばして、ボタンを滅茶苦茶押す。途中でエレヴェーターが止まって、中に閉じ込められたら大変だ。お客様にもお知らせ出来ない。だからどこでもいいから直ぐにエレヴェーターから降りたかった。映画の高層ビルの火災のシーンが脳裏をよぎる・・・。降りたフロアーではさっきよりはっきりと大きなサイレンの音が鳴り響いていてぞっとした。笛の音もするようだ。マジでヤバイ!!!と思っていたら、人の姿が見えた・・・それもゾロゾロゆっくり。ちぎった紙をパラパラと撒き散らしている。はは〜んと気が付いた。もう、ビックリするじゃない!頑張れ!「ファイト!Oh!・・・」とこぶしを何度も上げる私。それを見たメイドさん達が「Oh!」と嬉しそうに両手を上げて、私へ向け笛を吹き、サイレンをウ〜ウ〜と鳴らし、太鼓をたたく。ふとお客様に説明しないといけないと思い、23階へ急ぐ。降りた23階の廊下も紙ふぶきがまい、ピーヒャラドンドンやっていた。お客様もその様子を見て、すでに理解されていた。実は昨日からホテルの従業員のストライキだった。1泊だからほとんど被害はないが、ポーターも動かずチェックイン時にはオフィスの人間がやってくれた。それをバスで説明してから入っていたので、ご存知だったのだが、「流石にサイレンの音には驚いた」との声。部屋を出て見るとメイドさん達の行進。まじまじと「日本とは違うのね〜」とごらんになっていた。9時前にロビーへ降りるとここでも30人くらいでプラカードを持ち、大騒ぎしていた。お給料のUPと待遇の改善を要求しているのはどこも同じ理由だが、いつまでやっているのだろうか・・・。彼らが撒いた白い紙くずのロビーの様子と客室前の廊下画像でUP。


古いパスポート持参のお客様 03年10月16日成田空港
昨年のソウルツアーには行けなかったが、今回で7回目の呉服屋さんのお仕事でコート・ダ・ジュールとパリへ行く4泊6日の優待旅行。成田空港でステッカーを掲げてお待ちしていると、静岡支店の方々6名様が、挨拶もそこそこに「ねぇ〜、古いパスポートで行ける〜?」と支店長さんが心配顔で第一声。「え〜?!」「私ね〜、期限切れの古いのを持って来ちゃったのよ〜」「あら〜、それは・・・」と声にならない私の顔を見て、床にしゃがみ込む身長148cmくらいのちぃちゃくてかわいい68歳のお客様。そして、両手で抱く私。横でこのツアーの担当者がすぐに携帯で電話している。他の方々の受付をしながらも気になり、「もし明日の飛行機が取れたら、お一人でニースまでパリで乗り継いで来れますか?」「う〜ん、行くわ!」と元気にお答えになった。他の支店からのお客様を VIP ROOMへご案内していたら、担当者が「今夜の便で、シャルル・ド・ゴール空港へ飛び、オルリー空港へ移動してニース行きに乗ると明日の朝9時半には着くよ」と言って来た。シャルルドゴール乗り継ぎよりは一回入国してスーツケース持って外へ出た方が送迎サービスを付け、確実にニース行きへ乗せてもらえるので、安心だ。そして、翌日の17日朝にはニース空港で再会を果たし、モナコの王宮で他の14名様と合流となった。支店長さんも嬉しそうだった。この方は結局3泊6日の旅行となったのだが、ずっとお元気で旅を楽しんで下さっていた。帰国時には「夢のニースへいけて良かっただよ」と嬉しそうにお迎えのバスで静岡へお帰りになった。彼女は成田空港から静岡の一人住まいのマンションへ誰にも見られずこっそり帰れたとのこと。洋服を着物に着替えて、新しいパスポートをお持ちになり、再度成田空港へいらして出発された。きっと他の方なら、「一人では怖くて行けないわ」で終わっていただろう。


パスポートを忘れた添乗員  03年8月11にロシアのサンクトペテルブルグにてガイドさんに聞いた話
日本からのグループのコンダクターさんがパスポートを忘れて来て、お客様と一緒に出発できなかったようだ。ロシアはVISAが必要だから、すぐに代わりの人が飛んで行くと言う訳にはいかない。私の会社は何かの緊急のために、もう一人一緒にVISAを取得しているが、ほとんどの会社はそこまではしないだろう。そのT/Cさんは翌日自腹で飛行機を手配し、後を追いかけて合流したと聞いた。帰国後のその方の処分が気になる。
私の派遣会社でも似たような事件が3年位前にあった。出発の朝、会社へ電話で「どうもパスポートがないので、家に置いて来たかも知れない」 その人は一人住まいのために確認ができないし、あっても持って来てくれる人はいない。会社は「もう一度冷静になって調べなさい」と指示しながらも、アサイン帳を見て、スケジュール確認。あるT/Cへ電話して、すぐに旅の支度をして成田へ行くよう指示。時間もないので、会社は事情を派遣受けの旅行会社へ電話連絡。航空券を新しいT/C名に代えてもらい、どうにかお客様と一緒に飛んで行ってもらったらしい。それは営業マンが努力していただいたその旅行会社からの初仕事だった。それ以降その旅行会社からはまったくお仕事が来ない。そこのツアーは一般の旅行会社とは違うコースが多いので、我々はとても期待していた。気の毒で残念な結果となったが、明日はわが身・・・ちゃんと確認をして出て来たい。
その代わってもらったT/Cさんはバッグからパスポートが成田空港で出て来たそうだ。


怪我とパン、どちらが大切? 03年6月17日パリで会ったガイドさんの話
冬のお話。あるホテルの近くでおばぁちゃんが歩いていると、持っていたビニールの袋を取られそうになった。彼女はパリは治安が悪いので、バッグを持たずにビニール袋を持っていた。その時、倒されてもその袋から手を離さず、そのままズズズ〜ッと引っ張られて行った。中々手を離さずにいたので、相手は呆れて、諦めてしまい、逃げた。そんな事件があったと報告を受けた添乗員さん。「お怪我は?」「大丈夫、コートがもう着られなくなりましたが・・・」「それで、その中にはパスポートとかお財布が入っていたのですね」「いいえ、中にはガイドブックとパンが入っていました」「は〜?!」

ここはどこ事件
 再登場!T/C仲間MT.のメール 03年6月
今回は久しぶりのヒットにあってしまいましたよ。帰り、アリタリア航空でローマ〜アムステルダム、JLにて成田へ乗り継ぎだったんですがアリタリアののキャンセルで急遽ローマ〜ミラノからJLに乗り継いで帰ることになったのです。変更したローマからのフライトが遅れ、ミラノでぎりぎりJLに乗れてお客さんと‘よかった・よかった!!荷物は間に合わないかもしれませんがこれで安心!’と言って機内食を食べ、映画を見て・・・疲れ果ててたんでいつのまにか暴睡状態におちいっていたら耳の片隅に‘この飛行機はこれから3時間後にアムステルダムに着きます’って聞こえてきて・・・お客さんと目をシバシバさせながら‘今なんて・・・??’‘確かアムステルダムとかなんとか・・・?’しばらくしたらまた‘乗務員が急病になりアムステルダムへおり返します’って言ってるじゃありませんか。スクリーンではすでにモスクワ上空まできていて4時間半くらい飛んでいて今更ウソでしょ??ってかんじ!お客さんはいい人達でなんだか朝からのバタバタにせっかく乗れた飛行機がこんなことに・・・ただただひたすら一緒に笑っちゃいました(^^) 以前の仕事でパリからなかなか帰れなかったあの時を思い出しましたヨ(^^;結局7時間半乗ってアムステルダムへ戻り、HTLにチェックインして観光などをして時間をスゴし1日遅れで帰ってきたのデス(^0^)もちろんスーツケスはでてこなかったし!(><)私は人よりAIRトラブル多く経験してる??もしかして?

アイスクリーム事件 03年2月仲間のS.K.の話 イタリア
お客様と私のロスト・バゲージ(荷物の未着)発生3日目、フィレンツェ観光の後、ドゥオモの近くでバゲージサービスに電話をしていると、やられました!ウワサには聞いていたアイスクリームスリ!!もちろん何もすられませんでしたが、コートからズボン、バッグまでアイスクリームだらけ!(知らなかったけど、このアイスってマックシェイクみたいに柔らかいのよ。液体なの!)バゲージがなくって、着たきりスズメなのにィ、どうしてくれるのォォォ!その後、ピサOPの送りがあって、そのボロボロの姿でお客様を案内。(ドゥオモ広場からアドゥア広場まで…)おまけにホテルは郊外のシェラトン…それに戻っても着るものないし…。結局、その姿でMAX & CO.へ入り、コートを購入。日本人の店員に『どうしたんですか?』と聞かれ、説明するとイタリア人店員も激怒。『イタリアでいやな目に遭わせてごめんなさい』と謝ってはくれたけどね。まあ、でもお客様じゃなくて良かったワ。そうそう、バゲージはその翌日、4日目の夜ナポリに届きました。で、ここで終わりと思うでしょ。ところが、オマケ付き。その後、問題なくツアーは進み、日本に到着した私。迷子になった可哀想な私のスーツケースは、3ヶ所も割れていました…。あ〜あ、戦争も始まりそうだし、しばらく仕事は出ないほうが良さそうです。

オーバーフローはホテルの責任?! 03年1月10日(金)フランス、パリ
お部屋のお風呂を溢れさせた方があった。それなら、よくある話。この方は少し違う。
ホテルのロビーで夕食などのご案内をしていたら、レセプションの人が私を呼んだ。行ってみると、お客様がお風呂のお湯を溢れさせている、とのこと。驚いてお部屋へ行って見るとその方が「毛布がまだ来ない」と一言。「それより、お風呂が溢れたのですか?」「えっ、そう・・・」でも、ご本人は別に慌てているわけでもないし、謝りもしないし・・・、ホテルのマネージャーは困ったカオをしている。私は寒いから毛布を頼まれていたので、ホテルへ頼んであった。彼が留守の間に毛布を持って行って、オーバーフローが発覚したらしい。「何故言わなかったのですか? 下のお部屋までは達してないから、そう高くは取られないでしょう」と言うと「えっ、だってこんなの日本だったら、ちゃんと一定の所まで溜まったら、流れるんだから、ホテルが悪いのでしょ?」 我耳を疑った「・・・ここは日本ではないんですが・・・」 結局、保険にお入りだったので、それで処理をした。もしこの方が保険にお入りではなかったら、お支払いされたかどうか。それも最後にまたショックな一言が・・・「前もドイツで溢れさせたけど、お金を取られなかったよ。黙って出て行ったけど、後からも何も言って来なかったし・・・」「えっ、黙ってホテルから出て行ったのですか?」「うん、だってホテルが悪いでしょ」正直なのか、不誠実なのか・・・、とにかく非常識でモラルのない方だった。オーバーフロー常習犯の彼は他にもいろいろとあった。日本の感覚で物事を判断し、言われる。「ちょっとのどが痛いから、医者を呼んで」「あの〜、日本人のドクターを知っていますが、保険は帰国後の処理になりますので、現金払いとなりますよ。たぶん、4〜5万円」「4万円しか持って来なかったから、じゃいいよ」ロンドンでは「マッサージを呼んで下さい」「かなり呼ぶとお高いですから、行かれたらいかがですか?指圧なら50分で6000円くらいだったと思いますが・・・」「わぁ〜、高いね、じゃいいよ」 今は日本のホテルでも40分で4700円くらいはかかるのだから、そのくらいはするでしょう。海外にいるという意識がおありなのかしら?

パスポートだけは投げ返してくれた強盗 02年12月08日(日)スペイン:マドリッド
ヨーロッパ一治安の悪いことで有名?なマドリッドでの事件。それは日本への帰国の日に起こった。朝お会いした時には「怖いから出かけないわ」とお話していた4名のお客様。誰が見てもリッチな様相。11時45頃に部屋に電話が入った。「ホテルのすぐそこで強盗にあった!」急いでロビーへ行くと、真っ青になった4名様が立ちすくんでいらした。「お怪我はありませんか?パスポートは?」一人の方は現金とパスポート、もう一人の方はお財布を持って行かれたとのこと。しかし、幸運?にも、パスポートは投げ返してくれたらしい。お怪我もない、パスポートはある・・・「クレジット・カードは?」「お財布に4枚入っていました」すぐに各クレジットカード会社へ電話した。3社4枚のカードのストップ作業に20分はかかった。そのお客様はしっかりその4枚のカード番号などきれいにメモされていらした。私もマドリッドのカード会社の電話番号を持っていたので、各社へすぐに電話してこれでも早くストップ出来た方だと思う。スペイン周遊中毎回毎回治安の悪さをご説明してはパスポート・貴重品はセーフティ・ボックスへ預けて外出するように、お願いしていた。それでも日本人に巧みに近寄って来ては大金を持ち去られている。今回は「偽警官」に騙されたようだ。ホテルを出て、歩いていたら、車に乗った二人が近づいて来て「警察だ。麻薬調査をしているので、持ち物検査をする」と、出て来た。そして、ボディ・チェックをして、お一人の方のコートの下からお財布を取り出し匂いを嗅いで、また一旦返したと言う。そして、もう一人の方の腰に巻いていた貴重品を出すように言い、それから再度もう一人の方のお財布を取り出し、車に乗って「乗って来い」とジェスチャーしたらしい。嫌だと断るとサッと車は走って行ったとのこと。そして、パニック状態の所へそのホテルのあるブロックを一周して来て「ヘ〜イ!」と言って、パスポートとドル札を投げ返して去って行った。現金はお二人様ともそれぞれ30万円程は入っていたらしい。それでも、パスポートがあったから今日は全員8名様揃って帰国できた。妙にその強盗に感謝したい・・・とおっしゃっていたのには、私も思わずうなずいてしまった。これまでバスから降りて、ホテルへ入る時、ホテルからバスに乗る時も、全員揃って、ホテルのガードマンを付けていた。何度もマドリッドではバッグなど持ち去られている、首を背後からしめる、などお話はしていたが、パリのように偽警官に引っかかるとはとても残念。この日は11時半がチェックアウトなのを、治安が悪いからと思い、5ルーム9人だけだからホテル側へお願いして、12時45分まではお部屋とセーフティー・ボックスを使えるようにしてそのようにご案内もしていたのに、この事件。お客様は「ミンメイさんの言うことを聞いていれば、良かったのに・・・ごめんなさい」とおしゃっていらした。しかし、車に引きずられたりしなくて良かった。手配会社へ電話したり、東京へFAXしたりしているうちに、ホテル出発の13時となった。空港の警察へ被害届けをしていただいた。たまに現金は保険では戻らないからと面倒で届けて下さらない方がある。このような被害を警察にも知らせないと見回りなど強化してくれないので、届けることはとても重要なことだと思う。

中身が入れ替わっていたスーツケース 回想録 カナダ行きの飛行機内で他社のT/Cさんに聞いた実話。02年09月30日(月)
ある団体さんのお話。モスクワ経由でヨーロッパへ入った初日の夜。添乗員さんへ電話があった。「スーツケースに入れた5個のおミカンがないのよ」「それは確かですか?勘違いと言うのもありますよ」「毎回入れてくるの、主人と一緒に入れたから間違いないわ」どう対処していいのか困っていた彼女の部屋にもう1本の電話。「あの〜、私のスーツケースに何だかおミカンみたいなのが入っていて、気持ち悪いのだけど・・・」「あっ、それは他のお客様のです。しかし、また何故に・・・」結局モスクワか到着した空港で、スーツケースを開けられて、金目のものを探したようだ。時間がないので、きっと同時進行していて、中身を戻すのを間違ったらしい。それにしても、鍵も壊されていなくて、ベルトまでしてあったとのこと。巧妙な手口で抜き取りがあるのは知っていたが、ちょっと間抜けな結果に笑ってしまった。最近、ミラノの空港職員が30人くらい解雇された。荷物からの抜き取りは一人で出来る犯行ではない。荷物担当者全員がグルになっていたようだ。決して貴重品、お金は入れないように!

あのガイドをなぐってもいい?
 02年10月19日(土)中国:上海
夜中の01時に桂林から上海空港へ着いた。皆様かなり疲労されている。早くホテルへご案内しようとバスはスピードを上げる。それでもホテルへ到着したのは2時だった。鍵をお渡しして、館内の説明をして、解散した。その時、「あのバスは頭が痛いほどエンジンの音がうるさいから、明日は変えて下さいよ」強い口調で言われた。「はい、わかりました。出来るだけそのように致します」と、答えて、ガイドさんへお願いした。翌朝(日は変わっているので今朝)は10時出発。少し時間的に余裕があったので、何とか手配してもらえるかもと思ってのお願いだった。朝、出発前にロビーでまずガイドさんに「バスは変えてもらえましたか?」「はい」「じゃ、ドライバーさんも変わったのね」「いいえ、同じです」「あら、バスが変わったら、ドライバーさんも変わると思っていたわ」そのうち、お客様がいらっしゃったので、バスへご誘導。乗る時に同じなような気がして「本当に変わったの」「はい」・・・、車内ではマイクでご挨拶「バスが変わりました・・・同じように見えますが・・・」などとご報告。ガイドさんは「キングからトヨタに変えました」とはっきりバスの中で言った。発車して、上海博物館へと進むバス。落ち着いて見るとやはり同じバス。到着後、降りて来たあのバスを変えてほしいと言ったご本人が激怒されている。「あのガイドを殴ってもいい?あいつは嘘をついたよ。私達は馬鹿にされたんだよ。ぶん殴ってやりたい!」「すみません、とりあえず皆様と解散後にお話をさせていただきます」 上海博物館は館内見学がオーディオ・ガイドなので、それぞれ皆さんが上階へ進まれるのを見送った。それからガイドさんを捕まえ隅っこで「嘘を言ったでしょ、バスは変わってないでしょ、どうして嘘をつくですか」「すみません」と話をしていたら、横から「どうして嘘をつくんだ。日本人を馬鹿にするには酷過ぎる。許せない。会社の名を汚し、皆の楽しい旅行を台無しにした。」と、「私はエンジンの音でわかる。嘘をつくな!ミンメイさん、バスもこのガイドも変えて。そうでないともう乗らないから」マズイ・・・「わかりました。申し訳ございません。博物館を出る時には変えます」と約束。約1時間あった。それから大変だった。OFFだったガイドさんを手配してもらい、バスも他のグループの観光途中の大型に変えてもらった。ギリギリ間に合った。しかし、結局怒っているのはその方だけで、皆さん代わる代わるに、「ここは中国なんだから、そんなことで怒るなんて、エンジンの音も別に今までと同じで気にならないよ」と私を慰めて下さる。それでもガイドさんが嘘の発言をしたのは事実。実は私もかなりショックを受けていた。バス交換が出来なかったのなら、正直に私に相談をしてほしかった。そうしたら、二人で皆様に謝罪した。それでその方は怒ることはなかったと、自信を持って言える。これまでの街でいろいろとケアーをしてきたつもりだ。実際、彼は私にはぜんぜん怒ってはいない。結局、最後の食事にお酒をつけ、高価な上海ガニを全員へサービスしてもらった。皆様、上海カニは出ると思い込んでいらしたので、出ないと聞きガッカリされていたため、良かったと大喜びだった。しかし、そのご立腹された方からは一言もなかった。バスとガイドさんが変わった時点で、ニコニコされてその喜びを表わされていた。きっと約束を果たしたからご満足だったのだろう。お詫びもきっちりしたからご機嫌だったのだろう。そう解釈したいが、後送りのアンケートにはまたこのことを持ち出して、会社にコンプレインされるのだろうと思う。それでもやはり何があってもウソはいけないと思う。ウソをついたガイドさんは「いい勉強をした」と言ってくれたので、少し気が楽になった。彼は日本語がとても上手で、いい意味でスマートな青年だった。これからも頑張ってほしい。

未着のスーツケース、帰国便はビジネスクラスにしないと許さないわよ! 
 02年07月 仲間のY.Sの話 (02年8月10日)
ちょうど、下の仕事で私がニースでバタバタしている時に、イタリアでY.Sも大変なことになっていたらしい。関空から先乗りした3人のPAXが、成田からの到着組をホテルで待ち構えており、Y.Sが挨拶する間もなく 「あんたねぇ、荷物が出てこなかったのよ、どうしてくれるの? それと、関空での係員が言ったことがぜんぜん違って、もう少しで乗り継ぎ便に乗り遅れるところだったのよ、絶対許さないから。帰りの飛行機はビジネスクラス、それともう1泊○○で延泊するから手配してよ、そちらもちで・・・、もしそれが出来なかったら,明日の市内観光に出ないわよ」など出て来る出て来る・・・きっと言うことを考えていたのだろう。そして、翌日「誰も出てこないってどういうこと?○○では支店長から皆頭下げに来たわよ」・・・それって、毎回何かがあるたびに、大騒ぎするクレーマーだったのかもしれない。大手旅行会社から申し込んだ方々・・・きっと、ブラックリストに載ってしまうでしょう。「最悪は離団してもらってもいい」っと会社からも指示が出たらしいが、怒鳴られっぱなしのY.S・・まだ若いけど、良く耐えました

全部未着のスーツケース  02年07月27日
今日は最終目的地のニースで全員の荷物が空港に届かない事件が起きた。成田を飛行機が遅れて離陸した時、嫌な予感がした。乗り継ぎのパリの空港で時間がない・・・もしかしたら、人間は乗り継げても荷物が・・・。その予感は見事に的中。それも全員の荷物が届かないのは初めて。私はそんなことは何度も体験しているので、一応、乗り継ぎの時は1泊分の必要な物は手荷物にしている。しかし、一般の方々はそこまで用心したりはしない。だから、出て来ない時の驚きはすごいものがある。信じられないのだろう。どうしてこうなったのか、聞いていらっしゃる。それよりも早く手続きをして、ホテルへ向かいたい。そうでなくても皆さん長旅でお疲れのご様子。15個分のレポートは約40分はかかった。
モナコのホテルへ入ったのが22時20分で、日本はもう朝の5時20分。航空会社から、大きなTシャツ、歯ブラシなど、必要な物が入っているナイト・キッドをいただいた。流石に下着までは入ってないから、きっと今夜はお洗濯して、ヘヤードライヤーで乾かしていらっしゃる方もあるだろう。私だけ着替えるわけにはいかないので、皆さんと同じように明日も今日の服装となる。夜は正装でモンテカルロでの2時間半のディナー予定・・・どうなるのか。怒り出す方がいらっしゃらないのは嬉しいことだ。ほぼ皆さん諦めムード。自分だけではない・・・と言うのがいいのかもしれない。明日はBGGが出てくることを祈っている。
★ご報告:15個中14個が翌日の夕方届けられ、最後の1個もその次の朝早く届けられました。今後は必ず1泊分くらいはお手荷物に。それと持病の有る方のお薬や貴重品は必ずお手荷物にしましょう。

消えたシンドウさん  02年07月12日
ハンガリーからの乗り継ぎのフランクフルトでの機内にて「シンドウさん、いらっしゃいましたら、お近くの乗務員へお声をおかけ下さいませ」・・・何度もコールしているが、現れないらしい。もちろん、係員さんがゲート近くのSHOPなども覗いて探しているはず。とうとう「チェックインされたお客様が搭乗されませんので、お預かりのお荷物を今降ろしております。もうしばらくお待ち下さい」 結局、彼は現れなかった。迷惑な話(こうして1時間バスを待つことになった)だが、安全のためには、荷物は降ろしてもらわないと、そこに爆弾が仕掛けてあるかもしれない。だから自分だけが乗らないかもしれない・・・。でも、日本人。チェッイン時には必ずパスポートチェックがある。どこかで倒れているかもしれない、さらわれたのかもしれない・・・などと、推理小説の世界に入って行くのは「おばちゃまはスパイ・シリーズの読み過ぎ?!しかし、シンドウさんはどこへ消えたのでしょう。

98年9月:コーヒーが出ない、全額旅行費用返せ! 回想録02年7月3日
ある地方都市の方々のロシアはモスクワの視察旅行。内容は真面目で観光もある。モスクワ市のお偉いさん方とのミーティングがある日、午前中の観光も終わり、昼食時での出来事だった。アポイントの時間が迫ってきていた。レストランは日本人観光客でいっぱい。ウェイターさん達も忙しそう。なかな最後のコーヒーが来ない。ウェイターさんに何度も催促をしていた。それでも来ないので、キッチンの配膳台まで行き、「コーヒーはどうしたの?」と聞いたが、他のグループへ食事を運ぶのに一生懸命。そこで、私はコーヒーをサーバーから取り、カップに注いでいた。真っ赤な顔をしてやって来たボス。レストラン中に響き渡るような大声で「何やっているんだ。もう時間がないから、皆出て行っちゃうじゃないか!」必死で謝る私。ガイドさんも飛んで来た。それを見ていた、他の旅行者の女性が「あんたみたいな人がいるから、困るのよ。T/Cさんは何も悪くないわよ!」って。そのグループから今にも拍手が起こりそうな気配さえ感じた。マズイ・・・余計怒ってしまう。案の定、その後「旅行費用全額返せ!」と怒鳴られた。 でも、この方々とは何があっても、だいたい毎年、視察旅行している。
その後にもモスクワ市商工会議所のミーティングで問題があったが、また次回。

02年03月エレベーターに閉じ込められた4人  回想録02年6月16日
イタリアのフィレンツェのホテルでエレベーターに4名様閉じ込められてしまった。ベニスへ移動する朝だった。私はバスが来ているか確認、ドライバーとの打ち合わせを終え、ポーターさんにトランクをバスまで運ぶように手配。皆さんのチェック・アウトをお手伝いしていた。8時頃だった。そろそろ、皆さんお集まりかと思い、人数チェック。まだ全員ではない。いらっしゃらない方々のお部屋へ電話をする。電話に出る人はいないので、もうお部屋を出ていらっしゃるかと思い、ロビーのエレベーターを見ながら、5分ほど待つ・・・。ん?もしかして、出発前にお散歩に出て、そのままバスへ乗り込む方もたまにあるから・・・と、もう一度確認に行く。それでもいらっしゃらない。レセプションで再度電話を借りる。でも返事がない。ふと、非常ベルが鳴ったのを思い出す。よく誤作動するので、気にしてなかった。「もしかして、エレベーターに誰か閉じ込められてない?」と聞くと、「4人、今ポーターがやっているから、もう少し待って」と言う。何故にこうして、チェックアウトの時間ににT/Cが出たり入ったり、電話も目の前でしているのに、そう言ってくれないのだろう。ロビーでバタバタしているのは私だけなのに。他には誰一人外国のお客様もいない。「もしかして・・・?」と、一言聞いてくれればいいのに、とムカムカしてくる。「それでどのくらい閉じ込められているの?」「10分かな?」でも誰も騒いでない・・・日本ならホテルの人やセキュリティの人が、大騒ぎしているだろう。そこでエレベーターに走り、「ミンメイです。聞こえますか?大丈夫ですか?今、やってもらってますからね。今どの辺ですか?」・・・何をやっているかはわからないので、そう言った。「ミンメイさん、地下です。早く出して下さい」かわいそうに叫んでいる。降りる途中でポーターさんに会った。汗ビッショリで何かをしているかのようだった。「どう?」「もう少し」。それから、お友達の方と一緒に地下へ。もう1階、下があった。そこまで行くと何もなかったかのように、静かで誰もいない。我々と入れ違いでもう出たかもしれないと思い、地下駐車場から外のバスの方へ走って行く。しかし、別のお友達が両手でバツのサインをしている。「えぇ〜、じゃどこにいるの?」また地下へ。もうこれ以上は待てないと・・・と思い、レセプションへ。こうなったら救助隊でも何でも呼んでもらおうとロビーへ上がって行った。しかし、そこには、すでに助けられた4名の方々が、コップの水を飲んでいるところだった。ふ〜、よかったぁ〜、と力が抜けそうだった。結局、2人のOLさんと5人組の学生さんのうち2人、大きな荷物が2個一緒に乗ったようだ。ポーターさんが一生懸命に4人を気遣っている。結局、動いていたのはこのポーターさんだけだったのだ。呆れた。OLさんのお1人が泣きそうに「すごい怖かった。少しづつだったけど、映画のようにどんどん落ちて行くから・・・」 ふと、レセプションを見ると、中では忙しそうに仕事している。誰も心配してなかったのか・・・。マネージャーにどうしてこうなったのか、と強気で出ると、ビックリしたような顔をして、「重量オーバーなんだよ」と一言。何を言ってもこの人はこの1点張りに違いない。きっとこのホテルではよくあることで、驚かないんだわ、と思った。これ以上言っても「君達が悪い」なんて言い出しかねない。ムッとしたが、お待ちの方々もいらしゃるので、少し落ち着いたところでバスへお乗りいただいて、出発した。大学生は20分。OLさんは30分と言う。お話を聞いても学生さんは落ち着いていたようで、ただ「怖かったね」とだけ。OLさん達は帰るまで何回も、「本当に死ぬんじゃないかと思った」と、この恐怖の体験談をされていた。その日、途中のトイレ・ストップで手配会社へ電話して報告した。昼過ぎの回答は思っていた通り「4人乗りに4人以上の重量が乗っていた」と。納得がいかないがその後の旅を楽しくして、帰る頃には少し気持が収まっていたらいいかも・・・と、それなりに気遣った。ちょうど絶対取れないと言われる、ミラノの「最後の晩餐」のチケットの手配依頼を受けた。手配会社にお願いして、ギリギリの時間で取ってもらって、大変喜んでいただいた。しかし、あの時の恐怖は、いつまでも忘れられない思い出の一つとなってしまっただろう。私と同じようにホテルに対しての不信感は、最後まで拭えないようだった。それにしても、あの学生さんたちは最後まで何でも挑戦して、お教えしたレストランでも美味しい物を召し上がって、充分楽しんでお帰りになった。まったく同じ体験をしたのに、両極端な反応がとてもいい勉強となった。性格の違いも大きい。
ヨーロピアン・ホテルはブザーが鳴らないこともある、どこもエレベーターの重量には気をつけたい。


ミラノ小型飛行機の事故を見た! T/C仲間の話02年04月22日(月)
4月18日(木)に小型飛行機がミラノ駅近くの州政府のビルへ突っ込んだ。その事故は夕方の5:30頃だった。仲間のT/Cは街の中心から帰り、お客様とホテルのカフェでお茶をしていた。空から何かがやってくるのが見えた。あれ〜・・・と言っている間に、そこに見えるビルの上部へ突進して行った。避けるような気配はまったくなかったとのこと。まっすぐそこを目掛けて突っ込んだように見えた。TVでは事故か自殺かと騒がれているのは、きっとそのためだろう。その後はビルのガラスや壁材などの破片が飛んで来たので、ロビーへ逃げ込んだと言う。信じられない光景に皆さん動揺されていた。ニューヨークのテロ事件を思い出したようだ。その時に留守の方々の行方を探し、夜中お帰りの2名様を確認後、会社へ全員無事の知らせをした。日本のご家族の方々もさぞご心配だったでしょう。

ノートPCが・・・ 02年04月22日(月)
4月16日パリのホテル荷作中にモジュラージャックの差込口の爪を折ってしまった。小さな物だが、これがないとメールもインターネットも出来ない。帰国後、ソク入院となった。そして、今日会社へ電話が入った。「あの〜故障分は19000円ですが、人件費が4500円で、ウィルスも入っていましたのでその駆除に4900円かかります。それにデーターが全部消えるかもしれませんし・・・ご了承いただきたくて・・・」 はぁ〜?ちょっと待って待って、あんな爪は4〜500円で、人件費と合わせても5〜6000円じゃないのかしら? 気が遠くなりそうなくらい驚いた。爪自体はたいしたことはないけども、そこからどうも中の線までも変えなくてはいけないらしい・・・。そして、知らない間にウィルスが侵入していたようだ。ワクチンもしっかり入れていたのに、ショックで今日はもう立ち直れない。実は同じ日にホテルのロビーでデジカメも落とした。レンズ部分が出なくて撮影不可能で、ただいま入院中。17日鹿児島の甥っ子が骨折、祖母も同日に同室に入院の悲劇でした。

98年1月ビールのないベルギーのレストラン(回想録)02年02月17日(日)
1800人の大団体でロンドンへ行った時のお話。オプショナル・ツアーがユーロスターで行くブルージュだった。ブリュッセルからはガイドさんはつかないことになっていた。ご存知ベルギーと言えば、ビールの有名な国。しかし、日本人にはまだまだ情報不足で、チョコレートとレース、ゴブラン織りしかないと思っている方が多い。担当となったバスの方々へ、チョコなどそれ以外の話として、思いっきり自慢毛に修道院ビールや種類など話をしながら行った。その気になっていたお客様方・・・。ブルージュに着き、愛の湖などを抜けてレストランへ向かった。あまりの数に街のレストランでは全員対応できずに、我々バス2台分90名様には特別にホテルの部屋を借りてあった。席に着いていただき、ウェイターと飲み物の打ち合わせ・・・「ビールは何があるの?」「ビールはないよ」「えっ、ビールよ?!」「ない!ワインはあるけど」「ウッソー! ホテルには置いてないの?」「あるけどそんな数はないよ」「どこかへ注文して持って来てもらうなり、近くから買って来て〜、レストランでもSHOPでもいいから・・・」 最悪の事態。すでに前菜が運ばれて来ていた。お客様は「ビールね〜!」などと叫んでいる。もうごまかして買ってくる時間もない・・・「すみませ〜ん、ここは特別に昼食会場にしたのでビールが置いてないそうです。本当に申し訳ありません。お時間が少しかかりますが、近くのレストランなり、お店で買って来ますので、ご希望の方おっしゃって下さい。」と深々と頭を下げるT/C二人。予想通りの「え〜!」と言う声にまじり、先程からもめていたのを見ていた人が「仕方ないよ〜、後で自由行動の時間を取ってよ。ビール飲みに行くからさぁ〜」涙が出そうな嬉しいお言葉。「いえ、おっしゃっていただければ、買いに行きますから」「だってミンメイさん達が食事できないじゃない・・・いいよ、いいよ、ね〜」と、他の方々の同意を求めてくれた。皆さんも「あ〜飲みたかったな〜」と笑いながら他の飲み物をオーダーしてくれた。これは大変な問題とばかりにすぐにロンドンの本部へ連絡。現地手配会社は真っ青状態だったようだが、結局いいお客様に恵まれ、クレームにはならずに済んだ。ドイツでビール飲めないのと同じ状態・・・と言えばわかってもらえますよね?しかし、ベルギーでビールがないとは誰も思わないから、私でなくても堂々とビールの話もして来たでしょうね。因みに皆様はフリータイム中に、マルクト広場のレストランで、待望のビールを飲んでいらした。「美味しかったよ」と言って下さったのは嫌味?・・・そうではないと信じたい。いいお客様で助かった(~o~)

5星のホテルでの夕食にパジャマで来た人(回想録)02年1月31日(木)
いつのどこのホテルだったのか忘れたが、5星の高級ホテルだった。夕食は個室を用意。エレベーターの前でお待ちしていると、1人参加の方がヨレヨレの服でいらした。この方は毎日着物だったので、今日は気張っていい着物で夕食はいらっしゃるだろうと誰もが期待をしていた。皆さんも昼間よりは少しお洒落していらした。「あら、○○さん、お着物かと思っていましたよ・・・」と声をかけると、「そうなんだけど、疲れちゃって、これでいいかなと思って・・・」「大丈夫ですよ、個室ですし・・・」「あ〜、良かった。実はこれね、パジャマなのよ」「え〜!!!」ちらり部屋を覗いて、皆さんの様子を見て、結局着替えていらした。もちろん、着物に。
この方はスイスのユングフラウで、着物で何重にも紐で体をしばっているので、気分を悪くされて、大変だった。皆で帯を解き、中のヒモも緩めて、下山して来た。前日にも「着物は良くない」とお話をしたのだが、パジャマ以外は着物しか持って来なかったと。それに着物でユングフラウに立つのが夢だったと・・・。夢を壊してはいけないと「緩めにヒモなど締めておいて下さいね」とは言ったが心配は当ってしまった。いつも日常生活も着物だから、大丈夫・・・と言う方が結構いらっしゃるけど、場所を弁えましょう。

01年08月31日ウズベキスタン(回想録)01年11月06日(木)仲間のIYの9/10のメール
バス7台、皆で青空トイレ?!
笑えないけど笑ってしまった旅の事件簿ウズベキスタンの報告をします。
それは現地での最終日、予定では午前サマルカンドを出発してタシケントにまでバスで走りタシケントでランチと観光となっていた。しかしその日は8/31独立記念日10周年の前日とかで、町のあちこちで道路閉鎖され、また公道は検問が強化されるので、外国人のバスは午後に警察車両誘導のもとの移動となると知らされたのは三日前のこと。行程がこなせなくなるとゴネても国家権力には勝てないお国がら、仕方なく従うしかなかったのです。さて当日パトカー誘導のもと午後一時にサマルカンドを出発したバスは合計7台。バスの柄も違えば国籍も違う。スルーパスで検問や街中を通過してゆく様は心地よい。しかし一番懸念していた時がやってきた。それはトイレ休憩!日本のように休憩場所なんかないから、この頃にはお客様は青空トイレにすっかり慣れてはいるものの、一応いつも添乗員である私が「男は右、女は左」といつもは決めていたのだ。しかし合計七台の多国籍バスとなるとそーはいかず、バスが停まるとともに、200人もの人数がドッと林の中にさまよいながら消えてゆくさまは笑えました。そー言えばここんとこ私サバイバルだったので、添乗に出てるときホテル、レストラン以外ではトイレとゆう場所では用を済ましたことがないぞ、かれこれここ二ヶ月ほど青空トイレばかりでした。

01年11月旅行社のパスポート紛失事件(回想録)01年11月30日(金)Oさんのお話し
私達の旅行はどうなるの?

楽しみにしていた海外旅行。ビザが必要とのことで、パスポートをお友達の分と2冊旅行会社へ預けた。仕事をしていると旅行会社の女の子から電話が入った。「パスポートを紛失しました。申し訳ありません・・・」「はぁ〜?」「お休みをお取りでしょうから、国内旅行でもいかがでしょうか?」「えぇ〜?」突然のことで頭は真っ白。それからそれがとても大変なことに気が付いた。電話でのこの対応にも腹が立った。翌日2名の男性が謝罪に来た。それも手ぶらで・・・。彼女の怒りは収まらない。JATA(日本旅行業協会)へも相談してみた。JATAは冷たく「出発してからのことは相談に乗るが、まだ旅行は始まってないから・・・」と。この旅行会社は信用できないから2度とそこへは申し込まないし、旅行を無料で提供されても絶対行きたくないと言う。
その旅行会社はクレジット・カード系で、ビザセクションへ宅配便で発送しようと住所を書いて準備まではして金庫へいれていたが、見当たらなくなったとのこと。今、日本人のパスポートは1冊30〜200万円で売買されている。もしそのプロに盗まれていて、それで何か犯罪でも起こされたら、たまらない・・・。心身ともに疲れた、やっと取れたお休み、お友達の信頼も失った。またそのお友達とその事件を忘れるくらい楽しい旅をするためには・・・さて、HOW MUCH ? 私なりに金額をアドバイしたが早くしないと熱も冷めて来る。賠償してもらうしかないと思っている彼女に応援したい。


00年アメリカにて(回想録) 01年11月02日(金)T/CRさん投稿
根深い復讐劇・・・花で終結

昨年の「アメリカ国立公園巡り8日間」ツアーでの事。40PAXでひとり参加は2人のみ。2人ともおばちゃん。1日目はシスコに到着し夕飯を食べただけで観光なし。その夕飯は中華料理で円卓でした。ひとり参加のおばちゃん2人は同じテーブルに座ったそうです。良いおばちゃんをYさん、問題のおばちゃんをWさんとしましょう。みんなが「美味しいわねー」と食べる中、Wさんは「えー、でもこれマズイ。これもマズイ」と料理のマイナス面ばかり言うので、同じテーブルについた人達はイヤな思いをしたそうです。
翌朝ツアー2日目、とうとう観光に出発しようとしたその時、バスに最後に乗り込んだ、あるご夫婦の席がありませんでした。すると右側2列目と3列目にYさんとWさんが1人ずつ座ってました。「そうだ、この2人に一緒に座って貰おう」と思った私は、声をかけました。「Yさん、Wさん、よろしかったら、ご一緒に座っていただけますか?」と。Wさん「なーに?あなた。わたくしにどけって言うの?」私「いえ、どけなんて言うつもりは・・・。ただ、お2人ともおひとり参加同士で、昨日はお話しする時間もございませんでしたでしょう?ご一緒に座っていただいたら、仲良しになれて楽しいかなって思って・・・」Wさん「な・か・よ・くですって?まるでわたくしが皆さんと仲良くしてないみたいじゃないの?」バスの中、シーン、と沈黙。先ほどのご夫婦も、「Reikoちゃん、いいのよ、いいのよ。私達がここに縦に座ればいいんだから」と。私も恐くなったのでそれ以上言葉を発せず出発しました。
何日目の事だったか・・・、グランドキャニオンの宿で、私が部屋に入るなり電話が鳴ってました。受話器を取ると、何やら「キャーキャキャキャキャ」と叫ぶ声が。何を言ってるのか全く分からず、また何語で喋っているのかも聞き取れないほど早口で、相手は興奮しているようでした。一方的に「キャーキャキャキャキャキャキャ」が続き、やっとそれが日本語であると言う事、何て言ってるのかは聞き取れないけど、相手が怒っているのだと言う事が分かりました。勇気を出して、「キャーキャキャ」を遮り、「スミマセン!どちら様ですか?」と聞いてみました。Wさんでした・・・。「ゆっくり喋って下さい」とお願いし、やっと彼女の言ってる事が分かりました。Wさん「わたくし、親にも怒られた事ございませんのに、あなたみたいな小娘にあーんな失礼な事言われて傷ついて、夜も眠れませんのよ」って。バスでのセリフなど忘れていた私は、「私が何か失礼な事でも?」と聞いてみました。すると、やはりバスの中の私のあの2言が彼女を傷つけたようでした。しかも「どけと言われ、みんなと仲良くしてないって言われた」と・・・。とりあえず「申し訳ございません。私の言葉でお客様をそれだけ傷つけていたなんて知りませんでした」と謝りました。更に「明日からまた頑張りますのでよろしくお願いします」とまで私は付け加えておきました。すると、「分かったわ」と言うのですが、「でもね」とまた始まり、「あなたはこう言ったわね」と始まり、同じ事の繰り返し、堂々巡りでした。その度、私も同じセリフを繰り返しました。「申し訳ございません。・・・・・・・・(中略)よろしくお願いします」と。
同じ事の繰り返しが1時間を過ぎた頃、私はキレました。「お客様、私は先ほどから何度も謝罪の気持ちを述べましたし、明日からまた頑張りますと伝えました。それなのにまた同じ言葉を繰り返されるのでは、もう私の事をお許しいただけないという事だと思わざるを得ません。まだ今晩の仕事が残っておりますので、この辺で失礼させていただきます」と言いました。その瞬間「ガチャン」と電話を切られました。その晩、何度か電話が鳴り、出ると「ガチャン」。恐ろしいので、他のPAXには申し訳ないと思いつつ、初めて受話器を電話から外して寝ました。しかし「頑張ります」の言葉通り、私はWさんに気を遣いまくり頑張りました。他のPAXはもう怖がっちゃって、誰もWさんの近くには寄りつきませんでした。ですから、ツアーの間中、Wさんは独りぼっちでした。帰りの飛行機でWさんから渡されたアンケートは白紙でした。
帰国すると翌日からアメリカ課の担当者にWさんから、毎日1時間ほど電話がかかるようになりました。しかもやはりたったあの2言を根に持ち、同じ話を何度も何度も繰り返したそうです。さすがに担当者も他の仕事が手に付かず、困り果て、私に怒ってきました。1時間の電話攻勢が2週間ほど続いた時、担当者が「どうして欲しいんですか?」とWさんに聞きました。その頃には担当者も「気ちがいババァ」と呼んでいました。私からの謝罪文が欲しいと言ってきたらしいです。私は「そんな事で終わりにする客じゃありません」と言いましたが、「とにかく書いてくれ」と言うので、書きました。しかし、やはり謝罪文が届いたかどうかも言わないまま、Wさんは担当者への電話攻勢を止めませんでした。1ヶ月が経ち、担当者もキレました。「いったい何が欲しいんですか?お金ですか?」と。Wさん「わたくし、お花が欲しいですわ。きれいなお花を見ればあの添乗員から傷つけられた私の心も癒えるでしょう」って。担当者「これで終わりにしてくれると約束してくれるならお花を送りましょう」と。私をずっと心配してくれていたアサイナーがお花屋さんに行き、高くて、しかも花言葉がヘンじゃない花を探して送りつけました。それでこの事件は終わりました。
長くなりましたが、これが私が「グランドキャニオンから突き落としたい」衝動に駆られたお客さんの話でした。

01年03月08日(木)パリにて(回想録)01年10月21日(日)
ジプシーを捕まえたのに警察に連行された女子学生
視察研修旅行、最後のパリでのお話。その日の午後はフリータイムだった。部屋で夕食へ出かける準備をしていたら、電話が鳴った。「警察署からです」と女性の声。あれ?確かに今警察って言ったような気がするけど・・・と、緊張感が体を走り抜ける。学生二人がホテルへ帰ろうと地下鉄に乗った時に、車内でジプシーの女の子にバッグから財布を抜かれた。ジプシーはすぐに電車から降り逃げようとした。コインがチャランと床に音を立てて落ちた。気が付いた学生二人もすぐに電車を降り、ジプシーを追いかけた。素早い行動だったので、すぐに捕まえ、お財布を奪い返した。普通はそこで終わるのだろうが、ちょうど私服の警官がホームにいてそれを見ていた。学生二人とジプシー二人は近くの警察へ連行され、事情徴収された。怖いと泣いている一人の学生の横にジプシーが一緒にイスに座らされていたという・・・。無神経極まりないが、フランスでは当り前?! その時点で私に電話が入った。身元確認だ。学生に電話で事情を聞いたりしているうちに、夕食の出発の時間が近づいて来た。知人Yさんへ連絡して、私の代わりに他の学生さん達や随行の先生を、ディナー・ショー会場までご案内してくれるよう頼んだ。先生には事情を話した。それから1時間経っても帰って来ない。すぐに終ると言っていたのに。不安で仕方がない。また電話が鳴った。同じ女性の警官だった。やっと終ったから今から送って行くと言う。それからさらに30分後、二人はホテルへ帰って来た。警官も私服のため本当にゴク普通のフランス人に見えた。お礼を言い、学生を引き取った。それからタクシーでレストランへ。結局2時間近く遅れて入ったが、知人が事情を説明していてくれ、食事を3人分それから出してくれた。会場では大拍手で迎えられたが、周りの人達には何がなんだかわからなかっただろう。勇気ある行動を警察は称えていた。しかし、こちらとしては、それで何かあって怪我でもしていたら、と思うとゾッとする話である。

01年10月7日元旅行会社社員に聞いた話
クレームで自殺した男性T/C(添乗員)
関西の一般ではなく公の団体さんの視察研修旅行の仕事でヨーロッパへ行った。初日にスーツケースが1個、到着の空港で出て来なかった。よくある話。しかし、お客様方は大パニック。T/Cをさんざんなじり、一切話を聞かない。スーツケースは2〜3日後届いた。それでも納得のいかない彼らは、すべてをT/Cの責任と罵倒。T/Cはノイローゼになり、仕事が遂行出来ず、パリで入院した。現地支店の社員にT/C代行してもらい、それから1ヶ月間、彼の入院生活は続いた。帰国してみると、まだその団体と責任の所在でもめていた。とうとう彼は耐えられず、自宅で自殺をしてしまった。この件をその団体へ報告しても「気の毒に」という言葉さえもなく、話し合いは続行・・数ヶ月後に終結した。この話はT/Cと同じ会社にいて、その団体へ直接交渉に行った人から聞いた話。ショックで一瞬言葉が無かった。
彼はプロT/Cではなく旅行会社の若い社員だったため、このような時の鎮圧方法も知らず、自分の責任と思い込んだようだ。打たれ強いプロT/Cなら、ここまで大きな事件にはならなかっただろう。ロスト・バゲ-ジはT/Cの責任や旅行会社の責任でもないことをはっきり発言できたはず。彼はいい意味では強力に繊細だったという事だろうか。もっと彼とよく話し合い、誰かが助けてあげることは出来なかったのだろうか・・・とても残念で仕方がない。話をしてくれた方も、まさか自殺までするとは誰も思わずにいた、悔しかったとのことだった。会社側ももっと主張すべきだったと思う。
以前、海外現地視察旅行中、出発時に「車が来てない!」と、あるお偉い?議員さんに言われ、現地でお付きの人(秘書?)が自殺した話は有名で記憶があるが・・・。本当に辛い話です。

2001年09月末日ロンドンにて 10月01日聞いた仲間の話
何で引き返すの、ユーロスター?!・・・
朝早く起きて、ロンドンよりユーロスターに乗った。ドーバー海峡近くの駅で、突然の検問があった。全員列車から降ろされた。何のアナウンスもなく意味がわからない。たぶんテロ事件の影響で何かがこの列車に仕掛けられたなどの通報が入ったのだろう・・・。こんな時だから、誰も文句も言わない。皆安全点検と思っているらしい。結局、4時間も外で待たされ、再度乗り込んだ列車はパリ方向ではなく逆行した。ロンドンへ戻ったグループは別の列車に乗り、パリへ向かった。結局、8時間遅れで到着。予定されていた午後のルーヴル博物館の観光が出来なかったようだ。

2001年9月27日(木)モントリオールにて10月02日カナダからの仲間M.Sの電話での会話
飛行機遅延で真夜中02:40のホテル・チック・イン!
成田空港を4時間も遅れて飛んだ米国N機は、案の定デトロイトで予定のモントリオール行きに乗り継げなかった。次の便を手配し乗ったが、その飛行機も何かのトラブルで引き返した。結局、モントリオールのホテルに着いたのが真夜中。T/Cが部屋へ入ったのが03:30だった。サーモンのホテル・ディナー19:00〜はボックス(弁当)に代わり部屋へ届けられたが、召し上がった人はいらしたかどうか・・・。

2001年08月29日(水)ロンドンにて
バッキンガム宮殿でトイレ?!・・・事件ではなくミンメイの愚痴です。
バカンス・シーズンのため、どこも観光客があふれていた。バッキンガム宮殿へ写真ストップした。しっかりデジカメを持って・・・。しかし、お客様が突然「トイレ〜!」と叫んでいらした。まさかエリザベス女王様にトイレ借りに行けないし・・・たまたま今日はスコットランドへお出かけでしたし、遠くのカフェへ走った。私が紅茶をオーダーし、エヴィアンも買った。こうやってT/Cは目に見えないお金がどんどん出て行く。良くあるのが、どこかへお送りしてもその時はタクシー代は払って下さるが、「じゃ〜」と手を振り行かれると、「あの〜私の帰りのタクシー代は〜?」と叫びたくなるのをぐっと我慢。遠くまで歩いて(だからタクシーで来たわけで・・・)電車で帰ったり、冬の暗い時期は怖いので地下鉄ではなく、やはりタクシーを利用してしまう。結局自腹。たぶん、お客様は会社から出るだろうと思われるのかもしれない。はっきり言っていただくといいのだが、私ってこう見えても?なかなかはっきりお金が絡むことは言えないのである。安売り合戦している旅行会社はほとんど予備費はない。成田空港へ行くのも一番安い方法。トランクも自腹で往復送る。電話もホテルは高いから公衆電話を使え、両替も一番安いところでしろ・・・となる。厳しい!デビュー当時はどこへ行くにもアシスタントさんかガイドさんが付いていたので、知らないレストランでも平気だった。今はほとんどT/Cのみ。時間があれば下見に必ず行く。今回はT/C2名だったので出来たが、時間がないと下見もしないまま知らないところへご案内するわけでかなり不安。私は方向音痴ではないからいいが、方向音痴のT/Cもたくさんいる。よくお客様を引き連れ、違う方法を歩いているとのこと・・・。特にイタリアなど、バスが中央に入らないから、大変。これもすべて旅行が安くなり現地のアシスタントさんの費用を削っているから。その分、すべてのしわ寄せはT/Cへ。ガイド費用も削り、T/Cにガイドをさせるツアーも多い。その分の資料(ガイドブックなど)などの購入代も自腹。
第2の故郷ロンドンで愚痴っちゃいました。すみません。


2001年08月13日(月)自宅にて
カウンターが00000に戻った!
12585番まで行っていたのに・・・これまでの事件の中で一番悲しい?出来事。元気良く飛んでいた飛行機もいつしか飛ばなくなってしまった。あれはHP開設時だから昨年の12月。マニュアル本を読んでも、今ではどうやって飛ばしたかわからないのは情けない。
★8/14カウンターのみ復帰済みです。


2001年08月10日(金)リスボン(ポルトガル)に仲間YNのメール8月13日(月)
ベッドから落ちて骨折!
私ミンメイはベルギー視察で一番の07日帰国組でしたが、同じパリ大会参加の21台のうちの最後11日のポルトガル視察帰国組みの1台で事件は起きたらしい。下記は彼女からのメールです。
「パリからこちらリスボンへの移動の7日は朝早い出発(5:15)だったので、パルメラと言う小さいステキな町におまけで行ってきました。食事もおいしくて(チキンじゃないだけで嬉しかったんですが…)お客さんも私も大喜びでした!次の日のリスボン市内観光、最後にポルトガル支部訪問とシントラ&ロカ岬、ここまで無事に終えたって言うのに…
 それは、日本に出発の10日の朝の出来事でした。リスボンからパリ経由成田なので、この日も朝早い出発。(モーニング・コール4:30 荷物出し5:00 出発5:40)。私は4:00に起きてシャワーを浴び、パッキングをしたりであわただしい朝を迎えていました。4:15頃電話が鳴りました。ここのHTLはモーニング・コールをレセプションのお兄さんが1部屋づつかけるので、いつも前後10分くらいの時差があります。当然それと思い‘‘ボンディア’’と元気に電話に出ました。そしたら‘‘ X X さんがベットから落っこちて動けません’’と…後出発まで1時間半くらい…とにかく部屋に様子を見に行きました。そこには75歳のおばーちゃまが、ベッドから落っこちたままの姿で床に横たわっていた!!あれを見た瞬間‘‘こりゃダメだ!’’って感じでしたよ。バスキャプテンと相談して、3人付き添いを残してきました。結局彼女は救急車で病院に運ばれ、レントゲンをとった結果、大腿部の骨折だそうです。手術をするのにも問題があるし、医者もヴァカンスシーズンでいないようだし…この先彼女がどうなるのかは私にはわかりません…。しかし…何も出発の日の朝に怪我しないでぇーー!! せめて前の日とか、パリ滞在中とか、日程を見て怪我してほしいものですね。皆様はご無事なようで何よりです。それではお疲れ様でした。」
帰国するまで何があるかわかりませんねぇ・・・最後まで気を抜かないよう・・・でも眠っていたのなら誰のせいでもないし・・・ね。



1995年05月10日手術のためにニースへ?(回想禄) 01年07月22日(日)
生きてて良かった・・・Part2
それは宝石屋さんのツアーでのこと。成田から飛び、乗り継ぎをして、深夜ニースのホテルへチェックイン。Bedに入って眠っていたら電話が鳴った。「同室の人がさっきからお腹が痛いと、のた打ち回っているんですけど・・・」 幹事さんと行ってみたら本当にヒドイ様子。触ってみたらお腹にゴロゴロする野球ボールくらいのモノが・・・。すぐにホテル側へ連絡して病院へ運んでもらった。病院へ行ったのは04:00頃。診察してもらったら、すぐに手術となった。手術前にまたお腹を触ったら、野球ボールは倍くらいの大きさになっていた。このままだとんどん大きくなっていきそうな勢い。手術終了後、ドクターに聞いてみた。あれは何だったのか。何モノでもない、外から入った空気だった。原因は随分前に受けた盲腸の手術だった。縫い目がほんのチョッピリ開いていたようで、飛行機内の気圧の関係で空気が入ったらしい。信じられないが本当の話。その方はそのまま宝石も見ず、ニースの海も眺めず、楽しみのパリへも行かず、10日後ニースからお帰りになった。こんなことがあるんですね。


1993年07月スイス氷河特急脱線事故(回想録) 01年06月16日(土)
生きてて良かった・・・。
昨日カキコしていて思い出した10年位前の脱線事故。初めてのツエルマットはお天気も良く、マッターホルンもモンテローザも見え、ハイキングも楽しく終了。翌日はボーデン湖畔まで移動の日だった。標高1620mのツエルマットから乗った氷河特急が動き出してから7〜8分後、深いサンニコラの谷でガクッと変な動きに変り、下でガタガタ音がして揺れている。窓からはずっと下に民家がマッチ箱位の大きさに見える。「もうダメ・・・このまま落ちる・・・」と思った瞬間、電車は急ブレーキをかけ止まった。それから救助隊が来るまでに2時間。皆、落ち付きが戻ったら、笑い話しに変り、幸運を称えあっている。電車を下りた外国人が外で叫んでいる。「私たちの車両が脱線したんだ!」 最後部の車両だった。我々も降りてピースサインで記念撮影。前の方を見るとほとんどの車両はトンネルの中だった。トンネルの中はもっと怖かったかも、良かった良かった。
その後は自分でスーツケース持っての大変な移動となった。車のないツエルマットから、数百人が2台くらいのマイクロバスに殺到する・・・もうこうなったら我々も並んでられない・・・迷子は困るので、最悪バラけたら次の駅で落ち合うことにした。こういうときに日本人でよかったと思った。駅周辺のお店の人たちが大勢出て来て、手伝ってくれている。日本人はよくお買物するので、我々を見たらすぐに誘導してくれ、重いスーツケースもマイクロバスの屋根へ乗せてくれた。数時間はかかると思っていたのが、意外と早く次の駅テーシェまで行けた。そこから普通電車でブリークへ下り、うまく次の氷河特急に乗れた。席はバラバラだったが、皆さんは「生きてて良かった」という気持ちでいっぱい。
夕食は5星の湖畔のホテルのメイン・ダイニング。山から下りたホコリまみれのまま直行。「1度スイスで死んだと思って、第2の人生に乾杯!」とおおいに飲んだのでした。
帰国後、お客様から写真が届き、思いっきり笑った・・・。


ミンメイ自爆! 01年06月11日(月)
転んで中指にヒビ・・・仕事キャンセル
ハワイから帰宅した9日の夜、暗い中で転倒・・・マズイ!と思ったが、痛みより疲れで眠気が強く、そのままベッドへなだれ込み眠ってしまった。翌朝(昨日)指はパンパンに腫れあがっていたが、たいしたことはないと思って何もせずにいた。夕方、フト見ると腫れがひどくなって指輪が食い込んでいて何だか痛い。119番へ電話し、休日救急病院を聞いた。救急でもたくさんの人が順番を待っていた。90分くらいしてから呼ばれ、リング・カッターで指輪をカットしていただいた。レントゲン検査後、ヒビが見つかり、ギブスとなった。全治1ヶ月。左中指で良かった。病院から帰宅後、すぐに会社の担当者自宅へ電話報告。こんな時期にとしかられた。この時期は人手不足なのはわかっている。私は仕事する気はあっても発注した会社が納得するかどうか。どう考えても、腕まで包帯グルグル巻きではお客様は引いてしまうし、何かあった時に両手が使えないのはちょっといただけない。先程代わりに行く仲間から電話があった。気分良く飲んでいたら仕事が14日へ前倒しとなった、と。彼女も突然で驚いていたが、ベテランだから問題はない。少しホッとした。これで来月のお給料はハワイの6日間分だけ・・・自宅でジッとしていよう。


集合時間は各自確認を。ハワイにて 01年06月08日(金)
だって、あの人が8時15分って言ったもん・・・。
今回のハワイは370人ほどの大きい団体さん。全国からご参加の方々。私も九州担当で福岡まで飛んで同行した。帰国前日に集合などのご案内をツアーデスクに掲示した。各地への7パターン。しかし、集合時間を間違えた若いご夫婦がいらした。荷物は確かに指定時間の6時30分にお出しいただいている。しかし、7時15分の集合時間にいらっしゃらない。25分もお待ちしたがいらっしゃらないので、タクシーで追いかけていただくことにして、バスは空港へ向かうようにした。空港でチェックイン終了、再集合のお時間までの解散後にいらした。朝食時に他の地方の方に集合時間を聞いてしまったとのこと。1時間も違っていた。充分時間の余裕を持って設定しているので問題はなかったが、心配したのは言うまでもない。
この仕事は超ハードで平均睡眠時間は1.5時間くらい。食事も平均1日2回。それもほとんどコンビニ弁当。我々12名は毎晩夜中までご案内の掲示をしたり、打ち合わせをした。朝はオプショナルの送り出しや同行で、遅くて5:00集合は当り前。しかし、一般募集(パンフレット販売など)の仕事とは違って1人ではなく、仲間との一体感があってそれなりに楽しい。毎回これでは大変だけど・・・。


ロスト・バゲージ(飛行機に乗せた荷物が届かない)01年6月 仲間I.Yの話
4日間迷子のスーツケース
バルト三国から帰ってきました。ここ二本とも旅の事件簿はいっぱいありますが、一つ提供しましょう。
バルトのツアーはヘルシンキに入って翌日高速船でエストニアの首都タリンに入ります。そして翌日にはラトビアの首都リガ、又その翌日にはリトアニアと毎日一国越えをしていくのです。
今回ヘルシンキに到着時にロスバゲが一つ。そして翌日には見つかりタリンのホテルに届くはずでした。そう普通ならね。
ところがタリンのホテルに着くとフロントからメモを渡され、到着したら電話をくれとのタリン空港からのメッセージ。すぐに電話したのが18時前。しかし出ません。誰も...。そう空港は最後の飛行機が着いた時点で閉まってしまっているではないか!ヘルシンキに電話してどーゆーことや!!とがなりたてると、四時間前にタリンに着いてるのだからそんなはずはないだろ、ホテルに届いてるはず。だって!!ちがーうと言うとろーが!嘘や思うたら調べてみぃ!と電話を切ってしばらくしたら、ヘルシンキから「アイムそーリ、君の言うトウリだった。僕らも信じられない。ともかく明日朝九時からタリン空港があくから電話してくれ」とな。明日は7:30には出発してラトビィアにいかなかんねーん!しっかしなんと無責任!ホテルがわかってるのに送るでもなく、六時前に仕事終えてカエンナよ!!あきらめて次の日リガのホテルへ送るように頼んだ。がしかし・・・届いてなーい!!スーツケースはまだタリンにあった。疲れた...こんな初歩的なことで本当に参った。
それからの私の指示はより細かくなり、何時の便があるんだ?確かにそれに積んだのだろうな?何便はちゃーんと出たのか?ここからじゃわからない?なら走って見てこーい!!と。
私が毎日なんやかんや電話してロスバゲ捕まえたのは、四日目の朝だった。バルト三国はすごい国です。西ヨーロッパとは事情が違いすぎる。私らの常識はここでは通用しないのだ。ヘルシンキでもタリンでも「マイネームイズoooo(pax名)」と言うだけで「アイノウ」というほど私のお客さんの名前は有名になっていたことは、お客様自身は知らない。彼女の名前はうるさい日本人がいたとしてしばらく残るだろう。
(ミンメイ)彼女はババリの関西人・・・おもしろいのでメールそのまま貼り付けました。1〜2日間のロスバゲはよくあること、流石に4日間は辛い。私も過去に7日間手元に届かなかったことが2回もあります。1泊分の必要最低限は手荷物にして飛行機に乗りましょう。洗面道具、お化粧品、下着など。


成田空港でキレル人達(回想録)01年06月02日
女性添乗員を殴った人
仲間のM.Mのもう15年くらい前の話。成田空港の集合カウンターがわからないと駆けつけて、いきなり彼女を殴って怒り爆発させた人がいた。それって添乗員のせい?
殴られはしなかったが、私も似たような経験が同時期にある。第2ターミナルが出来る前だった。「カウンターがわからいと皆が言っているよ!」と少々遅れ気味でムッとして受付へいらした男性。「皆が・・・」ってどのくらいの人なのかいつも疑問。「皆さん受付終了して、お客様が最後ですけど・・・」と、やさしく、そしてちょっぴり嬉しそうな気分を悟られらいように答えた私だった。
不安な人は余裕を持って空港へ到着するようにして下さい。

血みどろの逆襲?!
昨年11月アメリカへ出発の私のお客様。空港の銀行で両替用紙に金額など書き入れていたら、隣の人の肘に当ったらしい。その人が切れて、1発。しかし、彼は負けてない・・・お返しに6発。相手は鼻血が出て顔ははれ・・・警察が来るまでの事件となったが「まぁまぁ・・・」で終った。そうでなかったらこの逆襲学生さん一緒にアメリカへ出発は出来なかっただろう。

早くしろよ!
空港のキャッシュ・ディスペンサー前。私の前の人が携帯電話をかけながら操作してはやり直したりと随分時間をかけている。私も我慢の限界で言おうと思った一言が、後ろの男性から出た。「早くしろよ!」と。それでも聞こえないフリをして続けている。また、私が言おうとすると「皆並んでんだよ!」とその人。そして終った彼が私に「すみません・・・」その素直な謝り方に驚いたが、次の瞬間「お前に言われることはないんだ!」と空港中響くかと思えるような大声を出し、後方の男性の胸倉を捕まえていた。それから何度かどすの利いた声が空港中響き渡り、大勢の人たちが寄って来た。お金を下ろし、すぐにガードマンへ報告すると2人飛んで行ったがその後どうなったことか・・・。

何でこの席なの!!!
ある会社の方々の旅行。ごく普通に団体旅行割引の航空券。たまたま席が最後方だったことに腹をたてた社長さん。もう空港でも機内でも大騒ぎしたとか。現地でもその怒りをどこまでも引きずって大変だったようだ。
一言「席をリクエストするならビジネスクラス以上でご旅行を!」


1990年頃フランスはベルサイユ宮殿  パリのガイドさんに聞いた話
地方議員にケリを入れられた女性添乗員
ある地方の議員さん一行がベルサイユ宮殿の中(かなり狭い見学通路)でガイドさんの話も聞かず大声でおしゃべりしていた。その前にいたグループの女性添乗員さんが、自分達のガイドさんの声がお客様に届かないので「もう少し静かにしてもらえないでしょうか?」とお願いした。すると「何言ってんだ、お前は!」とケリを入れられ、倒れ、大騒ぎだったと言う。話はこれだけでも信じられないが、続きがある。帰国したらこの添乗員さんクビになったらしい。彼らは会社名と名前を調べたらしい。卑怯極まりない。
(ミンメイ)今の時代なら世間に訴える方法はいくらでもあるが・・・それでも旅行会社は弱い立場。お客様を送らないなど圧力をかけられたら、一人の添乗員をクビにするくらいはどこでもやるだろう。保証も何もないほとんどの添乗員が派遣の世界だから。
先日ニュースで電車内で「席を少し詰めて下さい」と言って、後で殺人事件に発展したのと似ているので思い出していたところ。



2001年05月ラスベガスとニューヨークにて仲間のM.Bの話
10000ドル(1250000円)のデポジット(保証金)支払え!
ある会社のお偉いさんがラスベガスでもニューヨークでもホテルが気に入らないとご立腹。その場で他のホテルを手配した仲間のM.Bの話。ラスベガスのホテルのスィート・ルームは期待とは違ってベッドルームが一つしかなくかなり狭かったようだ。変更した新たなホテル分はクレジットカードと予備費で何とか払えた。ニューヨークも一番いいと思って予約したホテルがダメと言われるので、他の近代的なホテルへ変更した。しかし、保証金を10000ドル支払わないと宿泊できないとホテル側。現地の手配会社もリスクが大きいと断ってきた。結局、支店に泣きついて立替てもらったと言う。12日間の旅行中、他にもいろいろとあったようだ。ボロボロに疲れ果てて帰国したM.B。
(ミンメイ)我々は何があってもいいようにクレジットカードが必要。それも出来るだけ高額利用限度あるもの。
私も先日西海岸で突然空港で復路を変更したい方がいらして、オガナイザーは「買って来て・・・」と、かなり簡単に言われた。1200ドルくらいだったから良かったけど、それ以上はちょっと無理だったかも。精算も日本円で金額が出ないので2ヶ月待って大変だった。社内レートが悪いので支店側の損してはいけないとの配慮もあったのだが・・・。


2001年05月10日(木)フランクフルトにて
ルフトハンザ航空ストライキ!
今日は成田空港から飛び立ち、フランクフルトにてルフトハンザ航空機へ乗り継ぎ、イタリアはヴェニスへ入る予定だった。私は朝、成田の前泊ホテルでストライキ予告をTVで見ていた。成田空港では通常は乗り継ぎ便(ヴェニス)まで出してもらえる搭乗券を、今日は出さないことにしてあった。これでストライキは決行する可能性が高いと思った。会社と連絡を取り、最悪の場合の手配などをお願いして、その結果報告をもらって飛んだ。案の定、12時間後到着したフランクフルトでは、ストライキ決行を知らせる機内アナウンスがあった。しかし、全てが整っていたので、私も落ち着いて行動できた。お客様もパニックにはならずにすんだ。バスもホテルも確保してもらい、翌朝の飛行機の予約まで終っていた。現地の係員もすぐ航空券の書き換えをしてくれた。ストライキだからルフトハンザ航空は何もしてくれない。
今回のお客様はラッキーだと思う。何も支払わず全てが完璧に整っていて、19:30にはお部屋に入れてゆっくり休むことができた。ストライキがなく、あのまま空港で3時間待ってルフトハンザ航空の乗り継ぎ便でヴェニスへ夜中入って、ボートでリド島のホテルへチェックインしていたら、お部屋へ入れたのは25:00頃だと思う。
ドイツにも入れ、翌日のスイスはチューリッヒを経由してヴェニスへ入ったことを、うれしそうに「得した気分」と言っていたプラス思考の方々・・・。海外旅行はこのくらいの気持でいらした方々なら充分何があっても楽しめる、と思った。


2001年04月24日(火)パリにて
ベルサイユ宮殿ストライキ!

まだ終っていなかったパリのストライキ。初めていらした方には残念だったが、宮殿内の見学はあきらめて、ベルサイユ宮殿敷地内のマリーアントワネットが愛した「プティ・トリアノン・パレス」へ行った。写真は近日中に「世界遺産」のページで公開します。田舎の農家のような可愛らしい家で、喜んでいただけてホッとした。


2001年04月7日(土)パリにて 01年4月11日
フランスのストライキ!
前回のパリ(3/26)もストライキでルーブルは入れなかった。ストライキ(飛行機、管制塔、空港カウンター、ポーター、列車、地下鉄、バス、博物館、美術館、病院、消防暑、観光バスの運転手、ガイド、ホテルのメイドなど)はよくあることで私達は驚かないが、初めての方は驚き許せない気持ちでいっぱいとなる。しかし、そのうち誰1人騒いでないので何となくそんなものか・・・という気になってきてしまうから不思議。
今回はまず前日の6日スイスはジュネーブから乗る予定のTGV(フランス新幹線)がストライキしていた。ホテルで時間調整してローザンヌまで普通電車で移動し、そこから動いていたTGVへ乗りパリへ向かった。そのため午後のルーブル博物館は入場不可能となった。後で聞いた話だが、この日はルーブルもストライキだったらしい。どちらにしても見学は出来なかったことになる。ちょうど翌朝は中途半端なフリータイムだったので、ここにルーブル見学を入れ、ダメ元で行ってみた。ナント今日はオープンしていた。午後のオルセー美術館の方がストライキをしていた。その代わりにナポレオンのお墓へご案内。翌朝のベルサイユ宮殿に到着した時点ではストライキをしていたが、もうすぐオープンと聞き待った。予約時間(ガイド付きのフループは時間の予約が出来る。個人はまずチケット購入で並ぶことになる・・・バカンス時期は長蛇数百mの列となる)には入場出来た。
待っていても開かなかったり、午後から開いたり、朝開いていて突然午後から閉まったり・・・自由自在?!のストライキに時間の余裕のない我々には本当にツライ。たまに博物館などのチケット売場やチケット切りの人達のストライキがあるのはうれしいことだが。スイスはストライキはないのでこんな時期はスイスがいいのかも。

何年か前に行われたフランスの航空会社エアー・フランスのストライキは、過激で長期に渡り大混乱となった。関係のない航空会社でも代替に・・・と殺到するので、乗り継ぎ便の航空会社へ皆で全速力で走り、チケットをそれぞれ渡し(通常はまとめてチェックイン)「どのカウンターでもいいから並んでっ!」と叫んでいた自分がいた。新婚さんばかりの若い方々で本当に良かった。全員で取れた席はビジネスクラスも含まれバラバラ・・・。それでも飛べなかったグループは空港近くで1泊したので、大成功と言える。翌朝、我々はキラキラしたエーゲ海をアクロポリスの丘から見下ろしていた。別のグループは終日かかってローマへ入ったなどとと後で聞いた。何故か皆、「かわいそうに・・・」と言いながらも、目がうれしそうだったのを見逃さなかった。

イタリアのストライキ!

これまでの中で最悪だったのは、随分前にイタリアのローマ空港の管制塔がストライキをした時、バスでスイスのジュネーブまで行ったこと。それも途中でバスがエンストして・・・。思い出したくもない。旅行会社の責任で管制塔がストライキをしたわけではないので、バス代や食事代を負担していただくことになるが・・・納得していただくようにうまく説明しないといけない、言い辛いし、何故?っと言う顔を見るのもツライ。結局は帰国後会社で少し負担したりしたようだが、最後までの経過は現場監督?!の私達は正確には知らないことが多い。



1995年ローマにて(回想録) 01年04月01日
貴重品って何?!バスドロボー
ローマに来て思い出したことがある。イタリア旅行最後のナポリ・ポンペイ観光からローマへ帰って来た日、そのまま和食レストランへ行った。仲間同士の旅行で久々の和食にお酒も入り皆いい気分でバスへ帰ると、5人の方々が「バッグがない!」と叫んでいる。「ここに置いていたバッグがない!」・・・ドライバーへ確認すると運転席のドアがこじ開けられていた。誰かが日本人のバスと知っていて侵入したに違いない。そのままホテル経由で警察署へ。日本語のレポートが用意されているのには驚いた。仲間代表でヴィデオ撮影をしていた人がいて、そのカメラも含まれていた。皆が期待し楽しみにしている物だった。そして、予想はしていたがポリスはあわてることもなく探そうともしない。逆に「何故そんなところに貴重品を置いたのか・・・」と言われた。私もいつものように降りる時に「必ず貴重品はお持ち下さい。運転手さんもバスから離れることがありますから」と言ったことを良く覚えている。その方が「貴重品って何かわからなかった」と言われた。その事件後は必ず「ご自分が貴重と思われるものが貴重品です。例えば、パスポート、お財布、カメラなどはもちろんですが、お薬など無くては困る物です・・・」などと言うことにしている。幸いパスポートはセーフティ・ボックスの中、お財布類は自己管理していらしたので、全員揃って帰国は出来た。
「明日の午後は街中で自由行動となりますので、必要な物をお持ち下さい」と言うと、「必要な物って何ですか?」の質問。人によって貴重品や必要な物などは違うかもしれない。しかし、一応聞いてヒントにしたいのかも・・・?


仲間のMT(ハイデルベルグも同行)のごく最近の実話 バスドロボー
3月下旬から行った中国の洛陽で私と同じようにバスドロボーにあってしまった。同じく5個バッグを盗まれたらしい。その中にMTのバッグもあり、そこには貴重品はないがお化粧品が入っていたそうな。彼女にとっては貴重品?!だった。お客さまは皆様もうお化粧などとは縁遠い(失礼!)、素顔自慢?!の方々ばかりだった。そんな中で72歳の方が眉墨はお持ちだった。それをいつも貸してもらえたそうだ。しかし、彼女の眉だけ立派に描いた顔を想像すると笑いが止まらない。彼女は今年は厄年かと思わせるくらいどこへ行っても大変な目にあっている。今年いっぱいはもう彼女と一緒に仕事はしたくない。


1994年04月28日ヴェトナムにて(回想録)  01年03月01日
39度以上の熱で仕事。
毎年ご一緒させていただいている方々との旅行は今回ヴェトナムだった。あまりにも暑くて湿気があり、冷たいコーラばかりを飲んでいた。そのうち体調が悪くなって、熱っぽい。部屋で体温を測ったら39.3度くらいあった。今までのこの短い?人生の中で初めての39度以上の高熱。翌日はフラフラしながらも仕事なので、べトコンのトンネルへ入り司令室など見学したり、枯葉剤の影響を受けたホルマリン付けの赤ちゃん(怖いので見てはいないが)など展示の博物館へ行ったりしていた。お客様ではないので自分の為に時間を作ることもできず、お医者様も呼べず・・・昼間は38.7度。帰国前に立ち寄った香港でも熱が下がらず、流石に自信なくして会社へ電話。「このままでは次の仕事に差し支えます。、他の人に行ってもらえませんか?」「GWだから一人も代わる人はいません。足りない位です。頑張って行って下さい」・・・。
結局帰国して中1日後、次のヨーロッパへの仕事の出発日に、「エコノミークラス症候群」でコメントいただいた成田空港クリニックへ行って診察していただいた。「お粥がいいよ、2〜3日は他に何も食べないように」と。そして「スポーツ飲料で水分補給して。粉末も売っているから買って持って行きなさい」とアドヴィスいただいた。

100ドルのチップ
実はもう一つ・・・ヴェトナムでの失敗談。
熱で頭がおかしくなっていたからか、現地人(泣きたい位わけわからない日本語を話す?)学生バイト通訳に4日間分のチップ$10のつもりが$100も渡していたことが、移動した香港で発覚。ガ〜ン!もちろん自腹。この頃のヴェトナムの平均収入は月40〜50ドル程。丸々2ヵ月分(日本人なら3〜40万円位?)のお給料分をチップ(心付け)であげてしまったことになる!ウー、これで益々熱が・・・。


2001年1月27日(土)ドイツはハイデルベルグにて
夜中の訪問者?! 同行のMTに聞いた怖い話 
夜中の3:00頃、突然MTの電話が鳴った。ビックリして飛び起きたMTにお客様が「誰かが何回もさっきからノックをしているんです」「えっ?!」と寝ぼけマナコのMT。「でもドアを開けても誰もいないんです」・・・「今からそちらへ伺います」「いえ、来ない方がいいですよ、何かあるといけないし、怖いですよ。私霊感が強いんです」と本気で言われる。来ない方がいいと言いながらも電話をして来たので、心配で見に行くことにしたMT。しかし、そこまで言われるとすっかり怖くなってしまった彼女はまずレセプションへ行き、一人ホテルマンを呼んで一緒にそのお部屋へ行ってもらった。確かにコンコンとノックをする音がする。隣は日本人で真夜中に起きている気配はまったくない。逆は部屋はない。最上階のため上に部屋はないし、下からの音でもない。何かの振動かと思うが自動販売機やエアコンの音や振動でもない。結局は気持ち悪いのでお部屋を移動していただいたそうである。MTはその後眠れなかったらしい。私を起こして話をしたかったようだが、叱られると我慢したそうだ。私のことをよくわかっている。
翌日ガイドさんに聞いたら、「そこは出ないと思うけど・・・。」「えっ?他のホテルは出るの?」「うん・・・」 ひぇ〜!!! 一人参加者はそんな覚悟も必要?!


2001年01月21日(日)アメリカはポートランドにて  事件です!
飛行機が火を噴いた!!!
ソルトレイクシティからポートランドへ飛び、成田空港への乗り継ぎ便で事件は起こった。滑走路で助走が始まってすぐ、右の窓から巨大なオレンジ色の火が目に飛び込んで来た。「ウァ!エンジンが燃えているー!」と思った瞬間、飛行機は急ブレーキをかけ始めた。「滑走路をオーバーランしたら・・・」と思い、シートベルトをきつく閉めなおした。ふと左横の女性を見るとベルトをしていない。「ベルトは?!」と叫んでいた。「ないんですぅ・・・」死ぬかもしれない時にそんなぁ・・・。そうこうやっているうちに飛行機は左へはずれ止まった。「バック・ドラフト」の映画で見たような大きな消防車が数台来て、滑走路は3時間も閉鎖された。急ブレーキをかけたため、3個の車輪がパンクした。ゲートまで引き返せないので、1時間位待ち、宇宙服のような物を着た消防隊員達の中を降り、バスでターミナルへ移動。原因は大きな鳥の飛び込みのようだ。そのためにどの飛行機もエンジン部分に鳥除けの目玉が描いてあるが、かまわず進入したらしい。小さな鳥だと、こんなことにはならなかっただろう。それにしてももう少しスピードが出ていたら・・・、離陸直後だったら・・・、もうこのホームページも更新できずにいたかもしれない。
結局22日帰国の予定が今日23日となった。事件後そのままポートランドで1泊。朝4:30起きで早朝のロスアンゼルス行きの飛行機に乗り、そこで成田空港行きの飛行機に乗り継ぎ帰国した。機内食は鳥の丸焼きとか焼き鳥などと冗談が出ていたが、全員78名無事で本当に良かった。


2001年01月19日(土)アメリカはソルトレイクシティにて 
クリリンの悲劇
社会人1年生のクリリンは海外旅行も初めてだった。彼は歯ブラシを持って来なかった。お客様に小さな小さな小指位の試供品の歯磨き粉をいただいた。感想を聞かれると思い、翌朝嫌がる同室の大先輩に無理やり歯ブラシを借り試した。案の定感想を聞かれ「少し油っぽかったですねぇ」と正直に答えた。お客様も同じ感想だった。その後、なんとそれは「フェイス・クリーム」の試供品だったことがわかった。「実は吐き気がするほどひどい味がした」と彼。気を付けよう化粧品のサンプル品。
とうとう最後まで睡眠時間2〜3時間で休憩時間もない程忙しく、歯ブラシも買えずに1週間仕事をして帰国した彼。おまけに上記の飛行機の事故で歯ブラシのないまま、ポートランドにもう1泊したのだった。



2000年08月21日(月)エジプトにて(回想録)  01年01月14日
45℃の中、ナイル川ファルーカ(帆かけ船)は進まない・・・。
「世界遺産」のページを更新していてイヤことを思い出した。泣きたい位惨めで居たたまれない体験をした。ナイル川名物のファルーカ。島巡りをしながらホテルのある島まで行くことになっていた。船着場を出発する時にはあった風が進むにつれぜんぜん吹かなくなった。。ファルーカにはエンジンはついてない。45℃の猛暑の中を無風状態で2時間・・・。2人の船頭さんに、漕いでもらったが、もともと漕ぐ為のものではないようで進まない。同乗の現地ガイドさんにも現地旅行会社にも携帯でモーターボートの手配をお願いするが無いとのこと。この季節は世界中から観光客が訪れているから仕方ないのか。ホテルへも電話でお願いしたがすべて出払っていると言う。通常1時間もかからないところを2時間もかかってホテルの島に着いた。なんと、この日はカイロからアブシンベルまで行くということで、朝3:00にはモーニングコールを入れた日だった。ごめんなさい。


1992年7月エーゲ海にて(回想録)         01年01月09日
この旅行で死んでもいいと思って参加した!?
バルセロナオリンピックの観戦に行くため、銀行で積み立てをして楽しみにしていた青森の方々。おじ様はクルーズ船の中で鼻血が止まらなくなってしまった。スゴイ血の量。すぐに個室を用意してもらい休んでいただいた。止まらなかったら・・・、と考えていると、ポツリ一言「実は死んでもおかしくない病気を持っていて、黙って参加した。初めての海外旅行だからもう死んでもいいと思っている・・・」冗談じゃない!ここで死なないで!その後は病院もない小島からモーターボートをチャーターしアテネへ戻し病院へ。もちろんその方はちゃんとバルセロナへも行って、オリンピックを観てお帰りいただいた。持病のある方、そして自殺計画も必ず申告?をして下さい。


1992年3月撮影の仕事にて(回想録)       01年01月08日
日本の温泉旅館ではないのだから・・・。
イタリアはボローニャの5星の高級ホテル。初めての海外・・・お酒好きのおじ様のお話。夕食のために他の方々は全員ロビーに集合。その方だけがまだなので、全員がエレベーターの方を見ていた。遅れて降りて来たその方・・・なんと、浴衣姿でスリッパ、左手にはウィスキーのボトル。焦った私と幹事さんは走り寄り、出ようとしているその方をグッと無理やりエレベーターへ押し戻した。そして、驚いている彼へ幹事さん「どうしたのですか?」の問いに彼も「どうしたの?」 ピンときた私は「今夜はホテル内のレストランでお食事ですと申し上げましたが、日本のように宴会場はありませんので、お着替えをお願い致します。」「えっ、ダメなの?今日はゆっくり飲めると思って差し入れまで持って出たのに・・・でもどうしてホテルなのに着替えなくてはならないの?」海外ではお部屋以外はローカでも公道です。


2000年06月08日(木)成田空港にて(回想録)    01年01月03日
酸素ボンベを持ってイタリアへ?
酸素ボンベをスーツケースに詰めて来たが使うかどうかを搭乗直前に聞いていらしたおば様。ビックリ!エヴェレスト山へ登山するのではない。我々はごく普通のイタリア周遊の旅へ出かけるのだ。何故ボンベを?・・・大急ぎでゲートの係員さんへ報告。すぐにセキュリティ・チェック漏れの責任がある税関の人達や航空会社の方々が走り寄って来た。窓の外ではすでに飛行機に積み込んだはずのコンテナがどんどん降ろされていた。数百個の荷物の中からその方のスーツケースを降さなくてはいけない。ご本人は事の重大さを理解できていないようだった。飛行中に爆発していたかもしれない。すべての方々の搭乗は終了していた。そんな中、目の前にそのスーツケースが置かれた。出てきたのはアウトドア用品屋さんで購入したという素晴らしくりっぱな?ボンベ。友達がボンベが必要だと言った・・・とのこと。お願いだからそんな危ないアドヴァイスはやめて下さい!


2000年12月07日(木) イタリアはピサにて
ピサの斜塔でジプシーがグループの中に入って来て、しつこく付きまとったらしい。
被害はなくても遭遇する人は多い。たまたま若い人達が注意してくれ、未遂に終わったようだ。いつものことだか、今回も狙われたのは少しご年配の方。注意して下さい。
大勢で歩くと安心している人が多いが,かなり目立つことも覚えていてほしい。


*今回は割と常識のある方々で、残念ながら笑える事件にはならなかった。

2000年11月24日(金)ポルトガルはリスボンにて
西ヨーロッパとイギリス・ポルトガルだけは時差が1時間ある。忘れて1時間も前から朝の出発を待っていた人達。ゆうべ空港からホテルへ向かう時も念のために「乗り継ぎのフランクフルトとは時差がー1時間」と言ったのに。成田空港のVIP・ROOMでも、乗り継ぎした機内でもそして到着のリスボンでも言った。これが逆の夏時間への時差調整でなくて良かった


2000年11月26日(日)スペインはセビリアにて
早朝まだ真っ暗の中、突然の電話・・・何事かと思ったら、シェーバーで電源が飛んだらしい。数部屋そのお陰で停電状態。エンジニアはこの時間はまだいないとレセプションの返事。ブレーカー・ボックスはあるが日本と違うので直せない。使用方法を教えなかったと注意された。朝7:30頃やっとエンジニアが来て直してくれた。何故か私がチップを払った・・・

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