片 倉 屋 写 真 館
 梅の里みなべ(南部町)は小さな町です。そんな小さな町も時代を通じて変わってきました。こちらのページでは小さな町の移り変わりを古い写真を通じてご紹介できればと思います。
 千鹿浦(ちかうら)地区の海岸と「光願寺」。波穏やかな海岸は、人の気持ちを和ませてくれたものです。
 みなべの玄関口「南部橋」と松原。今、南部橋の界隈には「梅屋さん」と呼ばれる梅干しの問屋さんや販売業者さんのお店が軒を連ねています。
 「松原」はみなべの町の人にとって生活に身近なパブリック・スペースでした。ときにそれは大人の集会場であり、また、ときにそれは子供達のよき遊び場だったのです。
 南部小学校の校庭は、松原を通じてそのまま浜辺につながっていました。子供たちは授業が終わると浜辺へと駆け出したものでした。
 「新町」地区のにぎわいの様子です。日傘をさしたご婦人やソフト帽に着物の男性、自動車が行き交う様子がみてとれます。いろいろなお店が並び町の古くからのメインストリートでした。
 南部駅とその周辺。駅開通時の写真です。まだ駅舎が完成しておらず、蒸気機関車が停車しています。
 町の遠景と紀南農業学校(現南部高校)。農業学校は並木の続く緑豊かなキャンパスをもつのどかな学校でした。
 堺地区の松原と漁村の様子。堺地区は漁師さんの多い地区です。街道沿いには、今も漁れたてのおいしい魚を食べさせてくれるお店が点在します。
 埴田(はねた)地区の海水浴場。子供たちにとって夏の海は最高の遊び場でした。授業が終わるとみんな海へと駆け出したものです。