片 倉 屋 写 真 館
 こちらでは、昔の南部の様子をご紹介する古い写真を集めてみました。万葉の昔から、南部の町は砂浜と松原が続く穏やかな海辺の町でした。今も人を包み込むような穏やかな海と町には変わりありませんが、残念なことに人々がつどい、さんざめいた広い松原はその姿を消してしまいました。こちらでは、そんな松原の続く往時の南部の様子をお楽しみください。
鹿島神社の秋のお祭りでは、町内各地区がそれぞれ個性ある山車をだします。
「奴(やっこ)行列」は紀州の殿様の行列を模したものです。長い槍を天に突き出しながら独特の歩き方をする奴の姿が特徴的です。
「布団太鼓」は、布団を重ねたような山車に子供が乗り太鼓をたたきます。
 神社の入り口脇を折れてまっすぐ町に続く「馬場」では、秋のお祭りになると様々な山車が練り歩き、町の人たちを楽しませてくれました。
「眼鏡岩(めがねいわ)」は、かつて南部湾北西の岬の先にあり、鹿島と並んで美しい海岸線を構成する南部の名物でしたが、残念なことに昭和51年の台風で崩れてしまいました。
「鹿島」は南部湾に浮かぶ小さな無人島です。 昔、昔、南部を津波が襲ったとき、この鹿島に波があたって左右に割れたため、南部の町は救われたとか、万葉の昔から「鹿島」は町のシンボルであり、また守り神として南部の町を見守る神聖な島です。
「鹿島神社」は「鹿島さん」と呼ばれ、南部のシンボルでもある「鹿島」を祭った氏神様です。その入り口は海に向かって伸びており、海から「鹿島さん」が迷わずまっすぐ帰ってこれるようになっています。