高野山
和歌山
和歌浦
紀ノ川流域
根来寺
紀三井寺
道成寺
紀州鉄道
日ノ岬とアメリカ村
切目王子
岩代王子と結びの松
みなべの梅林
千里ヶ浜
みなべ・田辺・白浜
本宮・中辺路
那智・新宮
熊野古道とは
熊野本宮大社
熊野那智大社
熊野速玉大社
瀞峡
高野山と空海
 高野山の開祖空海は、西暦804年、遣唐船に乗り、唐の都長安を目指し、恵果和尚に真言密教を学び、わずか2年でこれを習得して帰国の途に着きました。この帰国の途上、空海は、明州の浜辺で「密教流布の相応の地あらば、早く到ってこれを示すべし」と祈り三鈷杵を海に投じたといわれています。
 帰国後、空海が、密教の根本道場を建てる場所を探すため、山中深く分け入ったところ、白と黒の紀州犬を連れた狩人姿の狩場明神の導きで、天野の地で丹生明神に出会い、高野にたどり着いたといわれています。この時、明州の海に投じた三鈷杵が松にかかっているのを見つけ、この地こそ道場を建てる地と確信し、丹生明神からその地を借り受け、高野山を開いたと伝えられています。
弘法大師(空海)
 弘法大師(空海)は、20歳のとき出家し、31歳の延暦23年(804年)、遣唐船で唐に渡りました。唐の都長安で弘法大師は恵果和尚より正統密教を極め、8人目の阿闍梨遍照金剛の称号を得て、大同元年(806年)に帰国し、真言密教を各地に広めました。その当時、帝であった嵯峨帝より高野山を賜り、弘仁7年(816)に高野山金剛峰寺を開創したといわれています。
 その20年後の承和2年3月21日、弘法大師は62歳で入定し、即身成仏を遂げられたということです。
総本山金剛峰寺(そうほんざんこんごうぶじ)
 総本山金剛峰寺は、高野山の中心寺院であり、国内3600ヶ寺に及ぶ高野山真言宗の総本山とされています。金剛峰寺という名前は、かつて高野山一山の総称でしたが、豊臣秀吉が亡き母の菩提供養のために建立した青巌寺と興山寺を明治2年に合併し、総本山金剛峰寺と改称したものです。

根本大塔(こんぽんだいとう)
 
根本大塔は、壇上伽藍の中心にそびえる、高さ約49mの大日如来塔です。そもそも建立の発意は空海によるものですが、その完成は空海の入定後といわれています。現在の大塔は1937年に再建されたものです。

金 堂
 金堂は、壇上伽藍の入口正面に建ち、高野山の総本堂です。高野山で行われる年中行事のほとんどがこの金堂で執り行われます。現在の金堂は1934年に再建されました。

奥の院
 一の橋から弘法大師御廟までの約2kmの参道の両脇には、樹齢数百年を越す大樹の杉並木が続き、織田信長や上杉謙信、武田信玄といった武将、諸大名など20万基を超える墓碑、供養塔が並びます。


丹生都比売神社
 高野山の地主神丹生都比売大神と高野御子大神(狩場明神)などを祀る神社で、高野山ととても縁の深い神社です。

高野山

紀北の見どころ
紀中の見どころ
紀南の見どころ
 高野山は、約1200年前、弘法大師(空海)により開創された真言密教の聖地です。内八葉外八葉といわれる険しい山々に囲まれたこの宗教都市に一般の人が住むようになったのは明治以降のことで、それまでは女人禁制の信仰と修行の聖域でした。
高野山の見どころ
 大門
 壇上伽藍
   根本大塔
   金堂
   御影堂
   西塔
 総本山金剛峰寺
 金剛三昧院
   多宝塔
 奥の院
   杉並木と墓碑・供養塔
   燈籠堂(拝殿)
   大師御廟
天野の里と慈尊院の見どころ
 天野の里
  天野神社(丹生都比売神社)
  奥之沢明神
  柳沢明神
  西行堂
 慈尊院
 丹生官省符神社