第31話


2018年4月

暗闇の中で、私は目を覚ました。
はっきりとしない意識。まだ、頭の中に霧が立ち込めているよう。
長い、長い夢を見ていた・・・。
いつかも見たことのある夢・・・。
開いた視界は、漆黒に彩られていたが、ぼんやりと見なれた天井を確認出来た。
ネルフの病院。
幾度も訪れた病院のベッドの上に、私は横たわっている。

「私、・・・・・まだ、生きている・・・・・」

死を覚悟して、薬を飲んだにもかかわらず、私はまだここに存在している。
病院のベッドの上で、生き長らえている。
・・・・・・なぜ・・・?
私は、死のうと思っていた。
それは、いいかげんな気持ちではなかった。
逃げ、といわれても仕方がなかったけど、自分なりにだした答えだった。それしか、私には答えを見つける事ができなかった。
碇くんのいない世界で、1人生きて行くこと。碇くんに怯えられながら、生きて行くこと。
私の心は、碇くんとの出会いによって、以前のような、人形そのものの、何も感じない心ではなくなってしまっていた。
だから、もう耐えることができなかった。
そんな悲しみに耐えるくらいなら、優しい思い出を胸に抱いたまま、世界から消えてしまいたかった。

「なぜ・・・・・生きてるの・・・?」

誰に言うでもなく、唇から言葉が漏れる。

まだはっきりしない視線を、目の前の空間に投げ出しながら、ゆっくりと心を落ち着かせてみる。
湿気をともなった生暖かい空気が、皮膚の上にまとわりつくように、漂っている。
思考がゆるやかに動き出し、寂しさとも悲しみとも安堵ともつかぬ、微妙な感情が胸のうちにたちこめてくる。結局、何一つ変っていない。私は、・・・どうすればいいのだろう?


・・・・・?
部屋の中の空気がわずかに揺れたのを感じた。
私以外の人の気配を、感じる。
やけに重い頭を、ゆっくりと横に向ける。
私の横にもうひとつベッドが置かれている。
そのベッドは毛布がはだけられ、人の形を残したまま空になっていた。
さらに視線を部屋の中へとずらし、窓の方に頭を向ける。
逆光の月明かりを浴びながら、彼は立っていた。

「綾・・・・・波・・・?」

かすれた声が、夜の空気を振動させながら、私の鼓膜へとたどり着く。
片手に松葉杖をつきながら、そのきゃしゃな身体が、歩き出す。
逆光に照らされ、表情は見えない。
だけど、私は決して間違えたりしない。そのシルエット。
ずっと見続けてきた、その輪郭。
歩きづらそうにしながら、その影は私の枕元に近づいてくる。
それは、わずかな時間しかかからなかったはずだけど、私には、ひどく長い時間のように感じられた。
私のベッドの脇までたどり着いて、そこにおいてあるパイプ椅子に、ゆっくりと腰掛ける。
そこまで来て、やっと私は彼の顔を確認出来た。
ずっと胸の中に、焼き付けていた、その顔。
瞼の裏側に、いつも描いていた、その顔。

「・・・・碇くん・・・・」

碇くんは何も言わず、ただその頬に涙を伝わせていた。
悲しみと、安堵が入り交じった瞳。私が探していた、瞳だった。
私はその頬に、そっと手を伸ばす。
時間をかけてたどりついた私の指先が、碇くんの頬に流れる水滴をすくう。

「夢を・・・・・夢をみてたんだ。昔も見たことがある夢だったんだ・・・」
ぽつりぽつりと、ひとつひとつ言葉を思い出すように、碇くんは話しはじめる。
私は碇くんを見つめる。
・・・・そう、私たちは夢を見ていた・・・・。

碇くんの瞳からは、とめどなく涙が溢れ出している。
頬の上でとまっている私の指先に、その涙を感じる事が出来る。
「綾波に、会いたかったんだ。・・・・・・・綾波と一緒に笑ったり、ふたりでご飯を食べたり、学校がえりに何気なく普通の会話を交わしたり・・・・・・・。綾波と一緒にいれば、人が僕を傷つけても大丈夫だって思えたんだ・・・・」
「・・・・碇くん・・・」
「寂しさのない、人を傷付けて悲しむことのない世界にいたんだ・・・・・。とても、安らいでたんだ。でも、そこは違うんだ。僕も、綾波もいないんだ。・・・・・誰もいないんだ」
「・・・・・」
「僕は、綾波に会いたかったんだ。綾波レイっていう確かな存在を感じたかったんだ・・・・・綾波の声を聞きたかったんだ。綾波の笑った顔を見たかったんだ。綾波と手をとりあって歩いていきたかったんだ・・・・・・。綾波が、いない世界なんて嫌だったんだ・・・」
「・・・・・」
「綾波がいてくれれば、僕は生きていける。・・・・ミサトさんや、父さんがいなくても、綾波がいてくれれば、僕は、もっと強くなれるって思えるんだ・・・」
碇くんが、頬の上でとまっていた私の手を、そっと握りしめる。
両の手のひらで、私の手を包み込んでいる。
とても、優しい。とても、暖かい。
雪解けのように悲しみが消えていき、全身をやわらかに包み込む愛しさが、わたしの心から溢れ出してくる。
「また、綾波に会えて・・・、良かった」
碇くんは、涙をぬぐうこともなく、ただただうなずき続けている。


そう、私は、私のうちにある心を理解する。
夢を見る前にも、確認したこと。

私は、碇くんを好き。

涙を流したり、笑ったり、悲しみを隠したり、今みたいに心の底から、愛しさが込み上げたり、
碇くんが、私に心を与えてくれた。
私が、この世界という現実に戻ってきたのは、碇くんがいるから。
私が、あの世界の中で虚構を望まなかったのは、碇くんがいないから。


月の明かりが、とても静かに、けれど無限の優しさをともないながら、部屋の中を満たしていく。
私は、手のひらに感じる碇くんを、いつでも思い出せるように胸の中へとしまいこんでいく。
碇くんの流してくれた涙の一滴一滴が、癒して行く私の心。
もう、私は誤った道へ進むことはない。
胸の中に生き続けるだろうこの時間がある限り、私は何が起きても大丈夫だと思える。

碇くんの瞳を見つめる。
その瞳は、とても澄んでいて、遥か彼方まで続いているみたい。
私は、こらえきれなくなっていた微笑みを、口元にそっと浮かべる。

「碇くんが、好き」

涙で赤くはらした瞳で、碇くんはやさしく微笑んで答えてくれた。

「僕も、・・・・綾波が好きだ」


幸せの形、それはとても不確かなもの。
私の願い、それもきっと不確かなもの。
時はわずかな起伏をともないながら、すこしずつ移ろって行く。そして、その中で、何もかもが少しずつ変って行く。
私と碇くんも同じ。
色々な人との触れ合い。色々な出来事を繰り返し行く中で、私たちのココロも変って行くのだと思う。
けれど。
積み重ねてきた、幸せの場面。自分で紡いできたそのひとつひとつ。
それは、変わらない。
その出来事が、そのひとつひとつの場面が重なり合い、私たちを作り、私たちの幸せの輪郭を際立たせて行く。
私は、碇くんに出会えて良かった。



今、私の幸せの輪郭はここにある。





NACのコメント:

第31話です。
戻って来たレイと、戻って来た、シンジ。
二人の、幸せが、初めて姿を見せています。
レイの、シンジの・・・これが、望む、世界。
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