第30話


初号機を見た気がした・・・。

いや、私の中に初号機がいる・・・・。

いや、私の中ではない・・・。

彼女の中・・・・。

リリスの中・・・。

ここは、すべてが溶け合った、彼女の中の世界・・・。

ここから、ヒトは再生していく・・・。









ここは、どこ・・・?

今は、いつ・・・?

夢・・・・ここは、夢の中・・・・?

いえ、・・・ここは、死後・・・・その世界・・・?

ヒトは、死とともに・・・再生を願いはじめる・・・。



血の匂いがする・・・。





赤い、赤い空間が、どこまでも広がっている。

私の周りには無限に赤い空間が広がっている。

ぼんやりとした意識を周囲に広げてみると、赤い空間は私の上にも下にも、右にも左にも、
すべての方向に広がっていた。
私は、この赤い空間には方向というものがない、という事に気付いた。
何もない。
いつから、ここにいるの・・・?
それは、わずか1分だったようにも、もう1年以上漂っていたようにも感じる。
私は、ゆっくりと覚醒して行く。
私の意識が、確かにここに存在している。
でも、なにかとてもあいまい。
私の意識と、この赤い空間のあいだには境界線がなくなっている。
どこまでも、私で、どこまでも、他人・・・。
そう、でもなぜかとても心地いい・・・。

ふと、気付くと目の前に赤木博士がいる。
金髪の下で理知的な白い顔が、微笑みをうかべている。
「レイ・・・」
なぜ、ここに赤木博士がいるのか、そんな疑問はまったく感じなかった。
ここには、誰もが存在している。むしろ、赤木博士がいることは、当然の事としてとらえられた。
「レイ・・・、私はあなたを憎んでいたわ」
「・・・・」
「でも・・・、それだけではない。・・・・同時にあなたを愛してもいた。愛情と憎しみは、同じ物事の違う側面にすぎないのよ。あなたは、私の娘のような存在だった・・・。そうじゃなければ、あなたのケアをし続ける事はできなかったわ・・・」
そこまで言ってから、赤木博士は私から視線をそらし、ため息をつく。
「でも・・・、あなたが司令に愛されれば愛されるほど、あなたを憎んでいった。自分が育ててきた娘のような存在に、すべてを奪われるのが、くやしかったのね・・・」
「・・・・」
「あなたを傷つけてしまったわね・・・。ごめんなさい」
私は、何かを伝えたかった。
けれど、何をつたえればいいのか、分からなかった。

「レイ・・・」
振り返ると、そこには葛城三佐が立っていた。
「レイ・・・、私はあなたを・・・、シンジくんやアスカとおなじように見る事ができなかった。・・・ヒトではないあなたを、どうやって扱っていいのか、分からなかった」
「・・・・」
「でも、・・・・本当はあなたもヒトと同じ・・・。私やシンジくんやアスカと同じように、傷つき、苦しみながら生きてきていた。・・・・あなたは、心を閉ざしているレイは、昔の私に似ていたの」
そこまで喋ってから、葛城三佐は、じっと私の目を見据える。
「だから・・・、あなたを見たくなかった。過去の自分と重ねあわせてしまうから、見たくなかった。・・・・ごめんね・・」
なぜだろう、とても悲しい・・・。
次々に現れるヒトたちの言葉が、ひどく悲しい響きをもって染みてくる。

「レイ・・・」
今度は、私の横で低い声がした。
「・・・司令・・・」
「私は、お前を通してユイを見ていた。・・・・お前はユイの遺伝子をもとにして、私が作り上げたヒトだから」
「・・・・」
「そう・・・・、私は・・・・・シンジが恐かった」
「・・・・」
「シンジが私を愛することが恐かった・・・。ヒトに愛されることに慣れていなかった・・・・。私はユイだけが、拠り所だった。その拠り所を失い、私は途方に暮れた。シンジに愛される自信がなかった・・・
。そして、レイ、お前を作り出した。ココロをもたないお前だったら愛する事が出来た。ココロをもたないお前だったら、私を裏切らない・・・・・・・・・・」
「・・・・」
「結局・・・怖がっていただけだった・・・・拒絶されるのを、怖がっているだけだった」
司令は、何も表情を変えず、ただ喋り続けていた。
けれど、いつも司令が抱えていた威圧感のようなものは消え、どこか穏やかな空気が漂っていた。
「あなたは・・・・、なにを願ったの・・・?」
「ヒトの再生・・・・・。寂しさを、他人というパーツを必要としない世界・・・・・」
そして、司令は首を振る。
「いや、・・・・願ったのは・・・・ユイだけだ」
「・・・・」
「すまなかった・・・・レイ」
司令が赤い空間の中に、消えて行く。
色のついた液体が、水の中で薄まって行くように・・司令は、消えた。



静か・・・。

どこまでも・・・変わらない・・・。

終わりのない、始まりのない世界。

これが、ヒトの新生した姿なの・・・?








私の意識が、漂って行く。

そして、私は、見つける。

・・・・碇くん・・・・。






碇くんは、泣いていた。
おびえながら、ひざを抱えるようにして漂っていた。
世界を拒絶し、自分を拒絶し、ただ誰かに救いを求めている。
他人が嫌いで、自分が嫌いで、でも誰かに助けて欲しい。
私の中に、碇くんの心が流れ込んでいる。
私は、碇くんの心を共有している。

やがて、私の身体と碇くんの身体は重なり合って行く。
私は、碇くんの上にまたがるように、重なっている。
私の腕が、碇くんの胸に溶けていて、私の腰と碇くんの腰は区別がなくなっている。
碇くんは、泣き続けている。
「・・・・何を、恐れているの?」
碇くんは涙ではらした瞳を、私に向けている。
「・・・・人と触れ合うのが、恐いの?」
この赤い世界、その真ん中で、私たちだけがその輪郭を際立たせている。
碇くんは、悲しい顔をしている。その表情が、流れ込んでくる碇くんの心が、私の心を締め上げていく。
「恐いんだ・・・みんなが、僕を嫌ってしまうのが・・」
つぶやくように、ぽつり、ぽつり、と碇くんは話しはじめる。
「でも、しょうがないんだ・・・・僕は、いらない人間だから」
「・・・・」
私は何も言わず、碇くんの言葉のひとつひとつに耳をすましている。
「僕は、人を傷つける事しかできない・・・・。トウジを、アスカを、綾波を・・・カヲルくんを・・・・みんなを傷つけてしまったんだ・・・・・。僕は、最低の人間なんだ」
つぶやきながら、碇くんの頬には次々と涙が伝っていく。
涙だけがLCLに溶けず、赤い空間をシャボン玉のように、流れて行く。
「僕も、僕が嫌いなんだ。・・・・・弱くて、ずるくて、いつも逃げることばかり考えている。誰かのために、僕ができることなんて、何もない。・・・・僕なんかいない方がいいんだ」
碇くんの心を、まるで自分の事のように感じる事が出来る。
その悲しみに満ちた心。自分を嫌いになるしか、行き場を見付けられなかった心。

ふいに、碇くんが私の頬に手を伸ばす。
私の瞳のわずか下の方。そっと碇くんの指が、なぞるようにふれてくる。
「綾波も、悲しいんだね・・・」
私はおどろいた。私も碇くんと同じように、泣いていた。
私の悲しい心が、碇くんの中にも流れ込んでいた。
私たちは、溶け合って、ひとつになっていた。
「綾波も、寂しかったんだね・・・・」
碇くんの言葉が、限りない優しい響きをもって、体内に響き渡る。心の隅々まで、碇くんの優しさがひろがっていく。
感じたことのない、不思議な心地よさ。
碇くんと一つになっている、不思議な心地よさ。
私はいっそう碇くんと一つになろうとする。
抱きしめあうように、身体と身体を重ねていく。二つの身体の重なった部分が、やがてその境目をうしなっていく。

「碇くんは、何を望むの・・・?」
私の唇のすぐ横に、碇くんの耳がある、わずかにかかった髪が、赤い液体の中で揺れている。
その耳のすぐ横には、碇くんの瞳があり、どこか遠くの方を見つめている。
私は碇くんを見ながら、なにかの芸術品を見ているような気持ちになっている。
「わからない・・・」
碇くんが、横を向く。私の瞳と、碇くんの瞳の距離は、触れられそうなほど近い。
お互いの瞳の奥底に眠るものを、覗き込むことさえできそう。

「綾波は、何を願うの・・・・?」
碇くんの声が、心地よい音楽のように聞こえる。
私のことを見ている瞳が、戸惑うように揺れていて、その瞳が喋っているようにも感じる。
「わからないわ・・・・」
私は、碇くんの瞳に語りかける。
幻想的な世界の中、非現実的な光景の中で、碇くんの存在だけが拠り所のように感じた。
何もないこの世界の中で、自分と溶け合っている碇くんだけが、確かなものだった。

けれど、碇くんと私の境がなくなっているように、いつか私と碇くんも赤い世界との境を失っていく。
この世界にいれば、今は確かな碇くんの存在さえもあいまいになってしまう。
たったひとつの、信じられるものさえ、あいまいになってしまう。

そう、とても心地いい。
とても、優しくて、誰も、傷つかない。
このまま、溶け合っているのもいいのかもしれない。
でも、違う。
でも、これは違う。
何もかも、あいまいな嘘の世界。
私も、碇くんも、なにもかもが、あいまいで区別のない嘘の世界。


「でも、この世界は・・・・違う気がするわ・・・」

その言葉を伝えるのは、とてももったいないことのように思えた。
なにひとつはっきりしたもののないこの世界は、とても心地よかったから。
それを失うことは、とても寂しいことのようにも感じた。
でも、なにかをはっきりさせてしまうこと、明確な輪郭を作り上げることには、常にあいまいな何かを切り捨てることをともなうもの。
碇くんという形作られたものを望むことは、私と溶け合った碇くんを捨てるということ。


「綾波の・・・・気持ちがわかるよ・・」


碇くんが優しい目をして、私に微笑んだ。赤い空間に少し透き通るようなその笑顔。
「すべてを、あいまいなままにしておきたいんだ・・・・。答えを探してるのに、・・・見つかってしまうのが恐いんだ・・・・」

どこまでも広がる世界の中の、二人だけが溶け合ってるこの時。
名残を惜しむように、二人の身体がより一層溶け合って、やがて薄まって行く。

そして、碇くんの声が静かに、二人をそれぞれへと切り離して行く。

「僕も・・・この世界は、・・・違うと思う」





ふと、気がつくと、碇くんは私のひざの上に寝転んでいる。
私たちはなにも纏っていなかったけど、それがとても自然な事のように感じられた。
私のひざの上で、碇くんはとても穏やかな顔をしている。
つらかったすべての出来事から開放され、この赤い世界の中で少しずつ真実を見つけ出している。
「・・・碇くんは、どうしたいの?」
赤い空間の中に揺れている碇くんの髪の毛を、そっとなでてみる。
やわらかな感触と、やさしくなっていく碇くんの心を感じる。
「・・・わからない・・・・・・・・。でも、みんなに会いたい・・・・」
小さな声で、でもはっきりと碇くんがつぶやく。
「ミサトさんやアスカ、トウジ、ケンスケ、リツコさん、綾波、そして父さんにも・・・・・・。
みんなといると、傷つくことも、裏切られることもあるんだ。いや、むしろ悲しいことや、つらいことの方が多いのかもしれない」
碇くんは、そこで一度言葉を区切る。そして小さく息をつく。
「でも、・・・・なにもない嘘の世界で生きるよりもいいと思う・・・・」
「みんなが、碇くんを傷つけても構わないの?」
「いいんだ・・・・・。だって、それが現実を認めることだから。傷ついている自分を認めて、傷ついている自分を知らなかったら、自分も人を傷つけてしまう・・・」
「・・・・・」
「それは、・・・・もっとつらいんだ・・・・」
ひざの上にいる、碇くんはまるで14歳よりもずっとずっと幼い子供のよう。
知らなかった母親のぬくもりを、長い間、探し続けていたのかもしれない。
碇くんが、首をひねるようにして私を見上げる。
私は、すこしだけ微笑む。
「・・・綾波は、どうしたいの?」
「私は・・・・」
私は喋りだそうとして、唇を止める。

私は、・・・・・
・・・・・・・・何を願うんだろう?

現実の世界で生きていくには、私は異質すぎるのかもしれない・・・。
つくられた容れ物、つくられた魂、つくられたヒト。
私は、きっと世界に受け入れてもらえない。
だから、私は無へと帰っていく。
私は、世界から消えていく。
私は、なくなっていく。
「絶望・・・・無に帰ること・・・それが、私の願い・・・」
碇くんは、一瞬目を見開き、それから泣きそうな顔に変った。
さっき乾いたばかりの瞳が、ふたたび潤んでいた。唇が少しだけ開き、今にも声をだして泣き出しそう。
「そんなの、そんなのおかしいよ!」
「・・・・」
碇くんはまた顔を伏せ、私のひざにしがみつくように顔を押し付けている。
私のひざと碇くんは、もうつながっていない。
碇くんの体温が、ひざの上に伝わっている気がする。
「僕は、綾波に会いたい。綾波と並んで歩いたり、綾波と一緒に笑ったり、綾波に同じ世界の中にいて欲しい。絶望だとか・・・無に帰るだとか、そんなのが願いだなんて・・・・おかしいよ!寂しいよ!」
碇くんは、肩を震わせている。
泣いているのかもしれない。私のために泣いてくれているのかもしれない。
・・・・碇くん・・・・。
「綾波は・・・・寂しがっているじゃないか・・・・・。僕と同じで、寂しがってるじゃないか。なんで、なんで、誰にももう会えなくていいの?僕にだって!父さんにだって!」
碇くんが、私の心の扉をたたいている。
私は・・・・・私は・・・・・。

「綾波は、何を願うの・・・?」
「綾波の幸せって、なに・・・・?」

私は・・・・・私は・・・・・。



私は・・・・・何を願うんだろう?





私の幸せは・・・・・・・どこにあるんだろう・・・・・?






赤い世界の、とても遠くの方で、うっすらと光が射していた。





NACのコメント:

第30話です。
全てが溶け合った世界の中で、レイと、シンジと。二人だけの、想いの交換。
レイの望む世界は、静かで、悲しい。
それが、本当に・・・
望み?
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