第19話


2017年12月

夕暮れの歩道に、私と碇くんの影が揺れながら、伸びている。
私は、その頼りない影を見つめながら、歩み続ける。
なぜか、とても優しい気持ち。
夕暮れの紅も、寂しいというよりは、むしろ暖かさをおびている。
碇くんが、リハビリをかねて歩いて帰ろうと言い出した。歩くと、私たちのマンションから学校まで、40分ほどの距離がある。
「なんか、久しぶりの学校だから、疲れちゃったかな」
碇くんが、笑いながら話し掛けてくる。
「・・・無理・・しないほうがいいわ」
「あ、うん。でも無理なんかしてないんだ」
そう言って、碇くんは私たちの影が伸びている前方の歩道に視線を戻す。
「でも、・・・授業はぜんぜん分からなかったよ・・はは」
苦笑いを浮かべている碇くん。
当然といえば当然のこと。碇くんは14歳から2年間学校に通っていない。教育制度が変っていなければ、中2からやり直しになっている。
「・・わからないところは、教える・・」
私は言ってしまってから、なんとなく気恥ずかしい気持ちになる。
「そっか、綾波、中学のときから勉強できたもんね」
ネルフでは、ずっと赤木博士に教育を受けていた。絵本や童話のかわりに学術書を読んでいた。正直言って高校の勉強は、簡単すぎるし、なんだか役に立たないクイズみたいで、あまり意味がないように感じていた。

でも、碇くんと勉強出来るなら、そのクイズもとても楽しいような気がする。
「来週には、期末テストがあるわ」
私は、ポケットにいつも入れている、小さな水色のスケジュール帳を見ながら、つぶやく。
ふと視線をずらすと、碇くんはそのスケジュール帳を、じっと見詰めている。
・・・・?
「どうしたの?」
私がたずねると、慌てたように視線を戻し、
「あ、じゃあ、さっそく今日から教えてもらっていいかな?」
なんだか、すこし上ずった声。でも、碇くんの顔はすこし笑っていた。



マンションの階段で一度別れてから、着替えて碇くんの部屋に向かう。
少し、緊張する。
碇くんの部屋に入るのははじめて。

「あ、綾波、汚いんだけど・・・いいかな?」
部屋のインターホンを鳴らすと、すぐに碇くんは現れた。
ジーンズにTシャツのラフな格好。私はシンプルなベージュのパンツに黒のカットソーを着ている。
言葉とは裏腹に碇くんの部屋は、きれいに整理されている。
私の家と作りは一緒だけど、雰囲気はだいぶ違う。
キッチンには色々な調理器具がおかれているし、部屋の中にも、洋服やCD、DVD、ゲームなどいろいろなものがきちんと整理されておかれている。
私の部屋のように、なにもない部屋とは違う。
・・・・これが、碇くんの部屋・・・。
・・・・碇くんの生活する部屋・・・。
そこかしこにおかれたもの、そのひとつひとつから、碇くんの生活が滲み出している。
生きている碇くんの生活を感じることができ、私はそれをうれしく感じる。
同時に、そこに溶け込んでいる自分の姿を想像してみる。
なんとなく違和感を感じるけど、でも、それは楽しい想像だった。
「あ、・・・なんか、あんまり見られると、照れるな・・」
部屋の中をきょろきょろと見まわす私に、碇くんは顔を赤くしている。

期末テストに出るところを中心に2、3時間勉強した。
碇くんは、割ともの覚えがいいようだった。
私は人にものを教えたりしたことがないので、あまり役に立たなかったかもしれないけど、碇くんは「ありがとう」を何度も繰り返してくれた。
その言葉を聞く度に、なんだか頬が熱くなって行くような気がした。
・・・・ありがとう、・・・
・・・・人に言われると、碇くんに言われると、うれしい・・。
勉強を終えたところで、碇くんが夕食を作るから、一緒に食べよう、と誘ってくれた。
いつか電話で、弐号機パイロットが言っていた言葉を思い出す。
・・・・碇くんの作ってくれるもの・・。
・・・・私のために作ってくれるもの・・。


台所から、碇くんの包丁の音がする。

「ありあわせでいいかな?」
冷蔵庫を覗き込みながら、聞かれた言葉に、私はうなずく。
「綾波、肉が嫌いなんだっけ・・」

規則正しいリズムとともに、お味噌汁の優しいにおいが部屋の中に漂ってくる。
私は飽きることなく、碇くんの部屋のあちこちをじっと見ている。
私の部屋と同じつくり。フローリングに白い壁。
私と同じように、窓際にはベッドが置かれている。カーテンは私の部屋よりもずっと濃いブルーだ。
さっきまでふたりで勉強してた木製のテーブルの周りには、テレビの乗ったチェストと、座椅子が二つおかれている。
・・・・ふたつ・・。
良く見れば、碇くんが用意してテーブルの上に置いてある食器も、きれいに二つずつ揃っている。
・・・・碇くんは1人で暮らしている・・・。
・・・・食器がふたつ・・。

「綾波、好きな色ってある?」

そういえば、いっしょに買い物に行った時に、碇くんに聞かれた。
私は、水色と答えた。
本当は、好きなのかどうかよくわからないけど、私の髪と同じ色だし、私は何かを買う時、わりと水色のものを買う傾向があるから。
テーブルの上におかれた茶碗も、水色だ。
・・・・私の好きな色の茶碗・・。
碇くんは、わたしとご飯を食べるために買ってくれたのだろうか?
淡い期待がゆるやかな水流のように、胸の中に注ぎ込まれ、私の鼓動を早めていく。

「綾波、おまたせ」
あたたかい湯気の出る、鍋を持って碇くんが台所から戻ってくる。
なぜか、私は碇くんの目を見ることができない。
うれしいとも、楽しいとも少しだけ違う感情。
わずかな痛みをともないながら、けれど、決して嫌ではない不思議な気持ち。
とても強い衝動をもちながら、限りない平穏を求めるような矛盾した感覚。

私は、碇くんのことが、好きなのかもしれない・・。

「さ、食べようか」
何も気付かない、碇くんの言葉に、私は視線を合わせずに返事をする。
「うん・・・」





NACのコメント:

第19話です。
シンジのことが好き、という自分の想いを、ゆっくりと自覚し始めていく、レイ。
優しい空気が、穏やかに染み込んでくるような気がします。
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