第11話


2017年10月

「あー、お腹すいちゃったな。何にしよう・・」
硝子ケースの中には、スパゲティやハンバーグなど洋食中心のメニューが、にぎやかに彩られ、飾られている。
その硝子ケースに、額をすりよせるようにして碇くんが覗き込んでいる。
すごく疲れたのか、右手をお腹に当てている。
左手は回復のおくれている左足をかばい、松葉杖をついている。
子供のような表情、とても楽しそう。
ふと、私の視線に気付いたのか、少し顔を赤らめながら碇くんが振り向く。
「あ、綾波は何にするか、決めた?」
「私は・・、紅茶と野菜サンド」
「僕は、何かお腹にたまるものがいいな・・」
そういいながら、視線を再び硝子ケースの中に戻していく碇くん。


碇くんは、少しずつ自分を取戻している。
壊れていた心は、そのひび割れを少しずつ埋め合わせている。
窓の外をじっと見つめるだけではない。喋ったり、笑ったり、普通の感情を、普通に表現出来る。
先生も、その回復に驚いていた。
けれど、碇くんは1年以上の時をほとんどベッドの上で過ごしていた。
その影響で、足腰はひどく弱っていた。
先生は、10日前から碇くんの肉体的なリハビリをスタートさせた。
立って、歩く。
それが、今の碇くんにはとても大変。
先週の土曜と日曜も、私は碇くんのリハビリをずっと見ていた。
碇くんは、とてもつらそう。
でも、それが終わった後の碇くんは、いつもより明るい。
充実感を感じているのかもしれない。なんだか、すこしはしゃいだ感じ。
今日は日曜日。私は、ずっと碇くんのリハビリを見て、時を過ごしていた。


「先生が、あと2、3週間で退院出来るかもしれないって言ってたんだ」
病院の中にある食堂。
少し遅い昼食、人影のまばらな店内で、私たちは窓際の席に座っている。
テーブルの上には二つのトレー、それぞれの昼食が乗っている。
食事を取っている間も、碇くんはちょっとはしゃいだような感じ。
「・・・そう」
「でも、退院したらどうしたらいいのかな。・・ミサトさん、ネルフ本部からドイツに転勤したんでしょ」
「・・・・」
私は、碇くんの顔をじっと見つめる。
「やっぱり、綾波みたいに一人暮らしになるのかな」
「・・・・」
「でも、一人暮らしとかもちょっと楽しみなんだ。・・なんか、自分の足で地に立って、歩いてみたいかなって・・」
碇くんが、笑っている。
私は、その笑顔を見るのが、とても好き。
自分が世界に溶けていく感じ。
「・・・ネルフが部屋を借り上げてくれるわ・・」
「ミサトさん、ちゃんとご飯つくってるかな。すごい味オンチなんだよ」
碇くんはとても楽しそう。
だけど、私は碇くんとの会話に、違和感を感じる。
葛城三佐は、もういない。
サードインパクトの前に、その生命の幕をおろしてしまった。
何か、言っていることがちぐはぐ。
でも、碇くんはとても楽しそう。ずっと、碇くんに笑っていて欲しいと思う。
だから、そのことを指摘出来ない。
「あ、ご、ごめん・・な、なんか変だったかね・・」
はしゃいでいる自分に気付いたからか、碇くんは恥ずかしそうに少し頬を染める。
「何か、綾波には・・最近何でも話せるんだ」
赤い顔のまま、碇くんがつぶやく。
私は、碇くんに向けていた視線を思わず外してしまう。
なぜだろう、少し鼓動が早くなった気がする。
碇くんの顔をじっと見ていることができない。
「な、何を・・言うの・・」
私は、うつむいてしまった。でも、なぜか、とても心が温かい。


「碇くん、・・・検温・・」
「あ!そうだ。もうそんな時間なんだ」
食事の後、1時間くらいふたりで食堂にいた。
いつもはふたりでいても、碇くんは音楽を聴いていて、私は本を読んでいることが多いんだけど、今日はたくさん話をした。
学校のこと、私の生活のこと、エヴァで戦ってたときのこと、病院での生活が退屈なこと。
碇くんは、元気になっている。
でも、ところどころ会話がおかしい。
特に、サードインパクトの前くらいから、話が噛み合わない。
私は、かすかな不安を感じる。

碇くんがトレーをもって立ち上がろうとした。
「あっ!!!」
碇くんは片手で松葉杖を持って、あいた方の手でトレーを持っていたため、バランスを崩してしまった。
そのまま、すぐ横にいた私の上に倒れ込んでくる。
「あ・・!」
食堂全体に大きな音がひびきわたり、瞳を開くと、私の上に碇くんが、覆い被さるように倒れていた。
・・・いつか、こんなことがあった。
私は、記憶の中の碇くんを思い出す。
私の部屋、裸の私に覆い被さっていた碇くん。
「あ、・・・ご、ごめん!・・・・・・あっ!」
碇くんは、慌てておきあがろうとして、小さな声を上げる。
それとほぼ同じに、左の手首を押さえ表情をしかめる。
手首をひねったらしい。
眉間にしわをよせて、目を閉じている。
とても、痛そうだ。
「・・・大丈夫?」
「・・う、うん・・っつ!」
もう一度立ち上がろうとしたけど、うまく松葉杖が持てない。
また、しゃがんでしまう。
「手首・・、以外は大丈夫なの?」
「う、うん・・」
私は、碇くんの左側にまわると、碇くんの左腕をそのまま私の肩にまわす。
「え・・」
「・・これで、立てる?」
「う、うん・・」
私は碇くんの松葉杖を左手に持ち、右肩に碇くんの体重を感じながら立ち上がる。
「あ、・・ご、ごめん・・」
「なぜ、謝るの?」
「え、う・・うん」
碇くんの呼吸をすぐ近くに感じる。
体温がカットソーを通して、伝わってくる。
わずかな筋肉の動きや発汗、碇くんと触れ合っているのを感じる。
誰かと触れ合うこと。
恐いこと。
でも、違う。
私は、碇くんと触れ合い、喜びを感じている。


「綾波・・・・、ありがとう」
碇くんが、小さな声でささやく。その声がとても近くで聞こえたことが、うれしかった。
私は、病室に戻るまでの距離が、とても短く感じた。
この廊下が、もっともっとどこまでも長く続いていればいいと思った。
ずっと、この身体に触れる碇くんを感じていたかった。





NACのコメント:

第11話です。
シンジが劇的な回復をみせていますね。
しかし、言動が少し、おかしい。普段がごくごく普通なだけに、妙な恐ろしさを覚えてしまいます。
大丈夫でしょうか・・・?
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