第9話


2017年9月

私は、サードインパクトの後、ネルフに部屋をあてがわれた。
普通のマンション、集合住宅の中の一部屋。
そこが、私の部屋。
ほとんど使われないキッチン、その向かいにユニットバス。
南向きの部屋には、大きな窓がついている。
薄いブルーのカーテン、同じ色のベッドカバー、フローリングの床の上には木製の小さなテーブルと、同じように木製の小さなたんす。
衣類などは、備え付けのクローゼットの中にしまわれている。
荷物が極端に少ないけど、ごく普通の部屋。
私は、そこで毎日寝起きして、生活を送っている。
普通の生活、普通のヒトとしての生活。

PPPPPPPP。
電話が鳴っている。
夜の静寂に包まれた部屋の中に、場違いな感じで機械音が響く。
・・・彼女だろうか?
PPPPPPPP。
私に電話をくれる人は少ない。
いや、いないと言った方が正しいくらい。
でも、彼女だけは1.2ヶ月に一度必ず電話をくれる。
PPPPPPPP。
ぼんやりと、音を出す電話機をしばらく見つめ、私はゆっくり動き出す。

「・・はい、綾波です」
「おそーーーい!もっと早く電話とんなさいよ!」
弐号機パイロット。
アスカ。
惣流・アスカ・ラングレー。
エヴァでともに戦っていた少女。
サードインパクトのあと、彼女はドイツへ帰国した。
意識が溶け合った時間、それが彼女を変えたのだろうか?
エヴァがなくなったことが、本来の彼女を引き出したのだろうか?
エヴァの中で見つけたものが、彼女をみちびいてくれたのだろうか?
惣流さんは、変った。
以前の壊れそうなほど高く積み上げられたプライドや、厚い殻のように彼女の周りにはられていた壁はなくなり、とても柔らな感じを身につけた。
「どう、バカシンジの調子は?」
「・・普通に、喋れるようになったわ」
「え、この前、あんたの名前を呼んだって言ってたけど、もう喋れんの!?」
「・・・ええ、・・」
「そっか、・・よかったじゃない」
「・・・」
「あんた、毎日お見舞いしてたんだから、退院したら思いっきりバカシンジにごちそうつくってもらいな。あいつ、料理だけはうまいからね」
「・・・碇くんに、ごちそう?」
「バカ、あんたがつくってもらうのよ」
惣流さんは口が悪いけど、その裏にとても優しさがこもっている。
なぜ、私たちはエヴァに乗っている時、いがみあっていたのだろう?

「それはそうと、あんたちゃんと服買った?」
「・・・ちゃんと・・買ったわ」

一度だけ、私の部屋に私以外の人が入ったことがある。
洞木ヒカリさん。
中学のクラスメート。
彼女が碇くんの御見舞いに来た帰り、急な夕立が降り私の部屋で雨宿りしていったのだ。
彼女は私のことを心配していたようだ。
高校で友達のいない私を気にかけてくれていた。
そのとき、私は濡れた制服を着替えようとクローゼットを開けた。
「ちょ、ちょっと綾波さん!!!」
「・・・何?」
「ク、クローゼットってこれしかないわよね・・」
「ええ、そうよ」
「し、私服ってどこにいれてるの・・?」
「私服は、もってないわ」
あっさりと私が言うと、彼女は一瞬目を見開いて
「だめよ!綾波さん、女の子なんだから、洋服とか持ってないと!!」
「なぜ?」
「なぜって、そんな・・・。普通の女の子はみんな、学校以外では制服を着てないでしょ!」
「・・そうね」
私は、普通がよくわかっていない。
何でも自分だけが基準だったから。
私は、洞木さんのまだ驚きのさめない顔を見て、なぜか恥ずかしくなった。
「今度、買ってくるわ・・」

「あんた、ちゃんと買えたんでしょうね」
惣流さんの声が、私を疑っている。
「お店の人に決めてもらったわ・・」
「ま、あんたならそれが一番無難ね」
本当はお店に行って、探しもしないうちに、「16歳の女の子が着る、着心地のよいシンプルな服を7組ください」と言って店員にひどく驚かれてしまった。
それは、言わないことにした。
「そうだ」
惣流さんの声が、急に高くなる。
「私ね、今度また大学に進学することにしたのよ」
惣流さんは、同い年だけど、すでに大学を一度卒業している。
「ちょっと、やりたいことが見つかったから、もう一度勉強し直そうと思ってるんだ」
「・・やりたいこと?」
「そ、ま、夢ってやつね」
「・・夢・・」
「ま、そのうち盛大に発表するから、期待しててよ」
「・・そう」
惣流さんは、少し弾んだような口調。
とても機嫌のいい時の声。
「あんたは、何も夢はないの?」
「・・私・・・・、わからないわ」
「どんな幸せを、つかみたいとかあんでしょ?」
「・・・・」
受話器の向こうで、小さなため息が聞こえる。
「ま、しょうがないよね。あんたは普通の生活を送ってなかったから・・」
また少し彼女の口調が変る。
「でも、いつか何か見つけないとね」
「・・・」
「それが、ヒトってものよ」
その言葉を言った惣流さんの声は、腰に手を当てている彼女の姿を思わせる張りのある声だった。


・・・満月。
国際電話の受話器を置いたあと、窓の外の空を見上げる。
・・ヒトは夢を見る。
・・ヒトは幸せを願う。
・・ヒトは望みがあるから生きていける。
・・私は、何を願うんだろう?
真っ黒な何もない空間、そこに少しぼやけながら輝く月。
その薄い明かりの下で、イルミネーションのように街が灯を点している。
・・私は、何を望むんだろう?

・・そう、・・
・・・私は、碇くんとひとつになりたい・・・・





NACのコメント:

第9話です。
とりあえず、アスカとレイが、それなりに自然に、仲の良い関係になることが出来て、良かったです。
特に、孤独感を際立たせている今回のレイにとっては、こんな関係は、きっと心地よいことでしょうね。
[ NOVEL INDEX ]