君を守りたい<空白の時間〜第四話>

君を守りたい。<空白の時間>


Chapter 0-5




そこは、外界から完璧に疎外された場所。

分厚い壁と扉に遮られ、外の喧騒は決してその聖域を犯す事は出来ない。
照明は一切付けられていない。ただ、周囲の窓から差し込む光の帯が、辺りをうっすらと照らし出していた。
規則正しく、縦に二列に並べられた木の長椅子の行列は、入り口から数メートル離れた所から始まり、祭壇の直前まで続いている。薄暗い中、5メートル程上から降り注いでくる光が、漆で加工された焦げ茶色の長椅子に照り返し、鈍く輝いていた。

神父も信者もいない教会は、静まり返っていた。

だが、少年が、一人いた。
右側の最前列の長椅子の一番左端ー祭壇に最も近い位置ーに、うつむいて腰掛けている。上半身は大きく前に傾いており、両肘を両膝の上に乗せる事によってかろうじて座った姿勢を保っているかのようだ。
黒いワイシャツに黒いスラックスを身につけた姿は、誰かの冥福を祈りに来たか、あるいは魂の救済を求めに来たように見られても不思議ではない。しかし、その表情を覆い隠すかのように垂れた金色の髪からかすかにのぞく瞳は、神の救いを求めてはいなかった。むしろ、輝きの見えないその瞳は、救いの手を拒んでいたのかもしれない。いずれにせよ、彼は信仰に関心を示す人間ではなかった。彼にとって、そこはただの場所でしかなかった。


白が、辺りを包んだ。

純白の鳩の群れが、一斉に男の足元から飛び立った。
それは、己の危機を感じ取った結果のごく自然な行動だった。白の大群が飛び去るのに続き、残された羽が辺りを舞い始める。雪のような白を湛えた羽と、対照的に漆黒な男のトレンチコートが交わる瞬間、異様な美がそこに生まれた。
その、二十代半ばといった容姿を持った男は、舞い上がって彼の髪に付着した羽を、軽く頭を振って払った。が、体に付いた分は気にせず、コンクリートの地面の上を歩き出した。彼もまた、少年と同様に、全身を黒で固めていた。黒いコートの下は、黒のタートルネックと黒のジーンズ、さらに手には黒い皮の手袋、そして黒のブーツ、サングラスに、右手に持った黒いスーツケース。だが、ヨーロピアンの血が濃いせいか、唯一露出している顔は、それらとまったく正反対に白かった。
目的の場所に到着した。そこは、街の郊外にある教会。住宅地の並びにある、割と大きめのキリスト教の教会だった。
3段の階段を登ると両手をノブにかけ、グッと扉を押し開ける。
途端、空気が凄まじい勢いで入れ替わり、男の長い黒髪と、足元まであるコートの裾をはためかせ、彼の服に付いた羽を飛ばした。それはあたかも、教会そのものが彼を拒むかのようだった。だが、男はそれを真っ向から受け入れるように両手を広げ、そのまま中へと歩き出した。
教会の中に、男の足音のみが響いていた。石造りの床は、ブーツと接触する度、コツン、コツン、と心地よい音を作り出した。
男は、両手を広げた姿勢を崩さない。前方には、自分と同じポーズで十字架に張り付けられたキリストの像、そしてそれよりわずかに手前の右側の椅子に、あの少年は腰掛けていた。
長椅子の列同士の間に2メートル程の間隔があり、祭壇までのびる中央の道には赤いカーペットが敷かれていた。その上を、男はゆっくりと歩きだした。

「ああ、主よ。」

歩きながら、口元に薄笑いを浮かべて男がつぶやいた。それは少年の耳にも届くくらい大きな声であったが。

「我々はまた新たなる、あなたの言うところの、『罪』を犯そうとしています。じゃあ、これで命を落とす者にとってこれは運命なのでしょうか?不遇の死を遂げた者に対して『神の御心は謎』とよく言いますが、これはあなたの御心でしょうか?もしそうだとしたら、罪は我々にあるのでしょうか?我々は、あなたの『御心』通りに動いているだけなのですよ?」

皮肉をたっぷり込めながら、誰にとでもなく喋り続ける。その間にも、少年と男の間は狭まっていく。

「そう!例えるなら、我々はあなたの使者だ。あなたの紡ぎ出す運命を具象化していく使者ではないのでしょうか?だとしたら、罪は一体誰の物となるのでしょうね?私達の物か?それとも、あなたの物か?」

男が、少年の真横に来て歩みを止めた、同時に、広げていた両腕を降ろす。

「誰の物かもうやむやな罪によって地獄へと突き落とされない事を祈って。…アーメン。」

顔の前で右手で十字を描くと、少年の座っている長椅子とは反対側の長椅子に腰掛けた。足を組み、左腕を背持たれの上に乗せる。

「調子はどうだ、ジャン?」

顔は前に向けたまま、男は少年を呼んだ。

「別に。」

ジャンと呼ばれた少年は、そっけなく返した。しかし男はそれに動じる事はなかった。それがいつも通りだからだ。

「新しい仕事だ。頭金含めて一万ドル。どうする?」

「あいかわらず安受け合いだな。」

ジャンの言葉に、男が顔をしかめる。

「しょうがねえだろ?代理にしちゃあこれでもふっかけたつもりだぜ。それとも、お前が直接交渉するか?」

「……分かったよ。で、誰?」

男が、足元に置いたスーツケースをジャンの方に押しやる。そこで少年は初めて体を起こし、ケースを受け取って膝の上に置き、開いた。中に入っている写真と書類を取る。

「政府のおエライさんだとさ。こないだの資金不正操作疑惑の重要参考人の一人らしい。」

「依頼人は?」

「いつもの奴。」

「………………。」

ジャンは書類に目を通している。全部で6枚あり、目標の個人データ、現在の職業や資産からあらゆる場所への経路まで、事細かに書かれている。例え意味が無かろうが、それらを全て覚えるのが、彼の仕事の第一段階なのだ。

「覚えたか?」

「ああ。」

男はジャンから書類を受け取ると、ライターで紙の角に火を近づけた。
赤い炎が隅をゆっくりと嘗め始め、次第に黒くなっていった。男は煙草をポケットから取り出すと口にくわえ、先端を揺らめく炎に触れさせた。

「妹さんの調子は?」

暫く煙草をふかした後、男が聞いた。

「やっぱりあの病院じゃ、これ以上は良くならないらしい………。今でも十分大病院にいるんだけどな。」

「そうだな……………。」

会話が途切れた。いつもこの話になる度、ここで止まってしまう。

「でもな……。」

「ん?」

「なんでもオーストラリアに、あの病気に関する権威がいるらしい。」

「本当か?!」

驚きと喜びが半分ずつ混じった声で、男が聞いた。

「ああ。だから、十分な金が出来たら、俺等3人であっちに行こう。」

「そうか!じゃあ、また仕事探してこなきゃな。」

「いつも…すまないな。」

やや照れたようにうつむき加減にジャンが言った。今までに、人に礼を言った事など数える程しかなかった。しかし、この8歳年上のパートナーには、感謝してもしきれない位の恩があるのは、彼は十分に知っていた。

「なに、いいってことさ。何年来の付き合いだと思ってんだ?」

「………………………。」

「…………………ま、ともかく、だ。」

先程書類と一緒に焼き忘れた、目標の写真を男が手に取る。

「今はこいつに専念しねえと、な。」

「ああ。」

二人は同時に席を立ち、中央の道を揃って歩き、教会を出た。

教会の門のすぐ横にあるゴミ箱に、男は写真を放った。

カサ、という音をたてて、写真はゴミの中にうずまった。その写真には、醜く太り、髭を顎にたっぷりと蓄えた男の姿が写されていた。



「………………………。」

ジェシカはバスローブを身につけ、ソファの上に足を組んで深く座りながら、普段の明るい姿からは想像出来ない位、テレビの画面をきつく睨みつけていた。
早朝のニュースは、例え寝起きの悪い彼女でもかかさず見ていた。とりあえず思考のボヤけた頭をなおすため、4日目にしてすでに(何かとカレー責めに遭うので)家事全般を請負い始めていたシンジに挨拶すると、そのまま風呂に向かい、シャワーを浴びる。そして、シンジの調理した料理の作り出す素晴しい匂いが辺りに広がる頃に、バスローブ一枚だけ羽織って出てくる。因に、シンジは朝はまともにジェシカの方を向けない。男の性か、どうしても目が胸元にいってしまうのだ。
二人共朝食が終わると、シンジは片付けにキッチンに向かう。その間、彼女はというと、テレビの前に向かう。いつもなら、大統領のセクハラ疑惑だとか、どこぞのお祭りだとか、とにかく彼女にとってはどうでもいいものが流れるのが普通だった。
しかし、その日テレビのスイッチを付けた瞬間に彼女の目に飛び込んできた物は、彼女にかなりの動揺を与えた。ニュースキャスターが淡々と喋る後ろには、大きな "ASSASSINATION(暗殺)" の文字と、殺害されたと思われる人物の顔写真。
その顔は、男がゴミ箱に捨てた写真の人物に相違なかった。

(またか………。)

「あの………どう、したんですか?」

いつになく真剣なまなざしで画面を睨むジェシカに、手をエプロンで拭きながらシンジがキッチンから出て来て尋ねた。相変わらずいくらか言葉がつっかかってしまうが、誰もそんな事は気にしない。

「暗殺…もう今年に入ってから3回目だわ。」

「実業家が殺されたって、リナさんから、聞きました…。」

「それもあるわ。後、こいつとは別の、汚職に関わってた可能性のあった政治家が一人やられたの。」

「…………。」

シンジに、一抹の不安がよぎった。

(最終試験…………)

「しかもね…………。」

はあ、とため息をついて、ジェシカが眉間に皺をよせ、額に右手を当てる。

「今回はアタシの教え子が殺られたらしいのよ………。」

「え…………?」

「ジェームズとヴィンセントっていう、アタシが受け持った子二人があの男の警備についてたんだけど……。」

「そんな…………。」

シンジが言いかけたのを制止して、ジェシカがテレビの音量を上げた。

『ベイカー氏は24日以降、明日の査問会までの9日間は、安全を保証する為、同氏の別荘内での待機を命ぜられ、24 時間体制で周辺の警備が行われていました。しかし、昨夜午前1時頃、何者かが押し入り、別荘内にいたガードマン、FBIエージェント計10人を全員殺害、そして、寝室内にいたベイカー氏を射殺した模様です。ガードマンは全員政府から直接派遣された精鋭で、少数での侵入は恐らく不可能な為、ほぼ同人数か、あるいはそれ以上の団体による犯行と思われますが、真相はいまだ明らかにされていません。』

「とま、こんなワケよ。」

シンジは、画面を見つめたまま固まっていた。その瞳は、不安に覆い尽くされている。

「僕……、最後の試験で、こんなのから人を守ら、なきゃいけないん、でしょうか…?」

その一言に、ジェシカの顔がハッとなる。

「(ヤ、ヤバ!)ホ、ホラ、警察もFBIも逮捕に全力尽くすって言ってるし、それにそいつらが来るとは限らないじゃない!」

「…………………。」

しかし、シンジの顔はいまひとつ晴れない。
ふと、電話が二人の後ろで鳴り響いた。

「あ、いいわ、アタシ出る。」

そそくさとソファから立ち上がると、シンジの横を通りすぎて受話器を取った。
ジェシカが電話で話している間、シンジは一人葛藤していた。

(自宅内……もし間取り図を持っていたとしてもそう簡単にどこに何があるかなんて分かる物じゃない…。まして、プロが10人も控えているとした尚更だ……。……そんなのと戦って、人を守る自信なんかないよ……。……!!!)

しかし、振っ切るように拳を握り締め、自分の額に強く打ちつけた。ジェシカに聞こえたかどうか分からないが、ゴツ、と鈍い音がシンジの中で響いた。

(クソッ!駄目だ、駄目だ、駄目だ!こんな事今から考えてちゃ!今からその為に強くなるんじゃないか!綾波とアスカを守るって、誓ったのに!)

気がつくと、歯はギリギリと音をたてて軋み、目は強くつぶられ、何かの苦痛に耐えているような表情になっていた。

「シンジ。」

「!」

慌てて振り向くと、眉をひそめたジェシカが目の前にいた。

「大丈夫?」

「は、はい……。」

先ほどの苦悩の表情を見られたかも知れないシンジは相当焦っていた。

「本当?……ならいいけど。あのね、今日は一時間目自習になるから。」

「どうしてですか?」

「連絡あってね。あなた送ったら現場検証に付き合わなきゃいけないみたい。なにせ、アタシの元生徒が殺られてるからねえ…。ちょっちイヤミ言われて来るかも。」

髪をかきあげてくすっと苦笑したジェシカの顔は、一瞬だが、悲痛を湛えていた。
そしてそれを直接感じたシンジの胸は、重りがのしかかったように沈んでいた。






「これはまた随分と派手にやったわねえ………。」

凄惨な現場を見て、ジェシカは諦めと疲れが混じったような声をあげた。

「FBIプラスシークレットサービス混成軍がこの有様じゃどうしようもないじゃない……。」

シンジを学校に送り届けると、そのまま現場である別荘へと向かった。そこは山の中腹にあり、庭からは壮大な山々がのぞく素晴しい地形だった。他の家々は数十キロ程先にあり、家を囲むのは自然のみとなっている。だが、これが災いし、銃声が他の家に届くことはなかった。
全体的に真っ白な建物の内部は、もはや真紅で埋めつくされていた。植物の花瓶、皿、ガラスは無残に割れて小さな破片となり、消えない雨粒のように床に広がっていた。壁も所々を削り取られ、粉と化した白い破片が、無数の空薬莢と共に散らばっていた。死体はすでに収容されていたが、広がった鮮血や肉片と思われるような赤い固まりがそこここにあり、地獄という言葉が良く似合う場所と化していた。
ジェシカは近くにいたFBIのエージェントの一人をつかまえた。

「監視カメラは回っていなかったの?」

訝しげに彼女を睨むエージェントだったが、やがて諦めたように口を割った。別に、極秘の情報でもないと思ったのだろう。

「…セキュリティールームの警備員も殺害されていました。そこ経由で送られてくる映像は、犯行の開始された午前一時より前に録画された1時間分を再生したものです。映像の入ったMDが発見されましたが、指紋はありませんでした。」

今度はジェシカがエージェントを睨んだ。

「どうやって侵入したってのよ?まずセキュリティルームに入り込んだ奴の映像がなきゃおかしいじゃない?」

「MDはただの見せかけかも知れん。大体、送られるデータを妨害してニセのデータを送り込むの位誰だって出来ますからな。残念ながら、あなたの名推理を聞きにここに呼んだんじゃあないんです、ジェシカ・サザーランド教官。いや、少佐とお呼びすべきかな?」

初老の痩せこけたエージェントが、ジェシカの真後ろに現われた。皺の多いその顔にうっすらと笑顔をー目は笑ってはいないがー浮かべている。

「アンタは?」

ジェシカが苛立ったように聞くと、男は胸ポケットから手帳を取りだし、ジェシカの目の前に突き出した。

「モーガン・ワイズ。FBI特別捜査官です。そこの若いのは私の部下のクリス・ライトです。」

顎で示された先には、先程ジェシカが食って掛かったエージェントがいた。彼は軽く彼女に会釈した。

「さて、本題に移りますがね……。」

「私の元生徒のことかしら?」

モーガンの話の語尾に重なるようなタイミングでジェシカが返した。

「いいえ。」

が、さほど意にも介さずモーガンは続けた。

「現在の所分かっているのは、監視カメラの映像が1時きっかりにすり替えられ、約一時間の間に犯行が行われた事。現場には、殺害されたFBI及びシークレットサービスのグロック17が10挺と、全弾撃ち尽くした登録ナンバー無しのベレッタM92Fが4挺にH&K MP5K A4(サブマシンガン)が1挺あった事。催涙ガスや爆弾が使われた形跡は無し。とまあこの程度です。私達は、室内戦略のエキスパートであるあなたから、犯行グループの人数を特定していただきたいのです。」

「ベレッタのあった場所は?」

「3挺は一階のここ、廊下、キッチン前、そして残りの1挺は二階の寝室、ベイカー氏の目の前です。」

「つまりサイドアームの銃をそこで使い切ったワケよね……………。」

ジェシカは顎に手を当てると、辺りを見回した。特に血痕が酷いのが彼女らのいる一階リビングルームで、そこ以外は割りと少ない。壁にめり込んだ何十という弾丸と、上の半分をえぐり取られたようになっているソファが、壮絶な銃撃戦を思わせる。

「……相手の人数に対して、使い切られた銃が少なすぎる気がするわ。後、使い切られたメイン(恐らく)がサブマシンガン1挺のみなのも変。相手が固まっていればこれでも十分でしょうけど、本当なら他に広域制圧できるショットガンとかが落ちててもおかしくはないもの。野外なら別だけど、こんな狭い空間だしね。」

「ただ単に持って帰っただけでは?」

クリスが割って入った。

「若造。だまってろ。」

モーガンが軽く一喝すると、クリスは黙りこくってしまった。

「それなら、ここにあるサブマシンガンの方も持って帰るはずよ。これはつまり、これも少し疑問だけど、かなりの多人数のおかげで一人当たりが弾をあまり使わずにすんだか、あるいはこの場にあったのが犯人の持てる限りだったか………。」

「と言うことは……」

モーガンが落ち着き払った声で、答えを促す。勿論、彼にはこの時点で分かっていたが。
さっきまであさっての方向を向いていたジェシカが、モーガンに振り向き頷く。

「そう、つまり十人以上か、あるいは一人よ。それも、恐ろしいまでの戦闘能力と知識を兼ね備えた…ね。」


後書き
漸く、重要なキャラの顔見せが全員終了しました〜。特に今回は大多数のオリキャラで埋め尽くされているので、ややエヴァな感じがしなくなってます(汗)。ごめんなさい。次回からはそんな事は無いと思います。………多分。
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NACのコメント:
第四話です(^^)
ヨーロッパ退廃映画のような立ち上がり。黒と白のモノトーン・ハイコントラストの映像を思わせる出だしがカッコいいです。
しかし、シンジ、家庭の主夫たる姿はもう、どこに行っても確定事項なのね(^^;
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