第百二十七話 「十字架」
六百二十七



 砲撃の音が、遠く空気を伝播する。
 
 着弾の激しい衝撃に、シャッターがびりびりと細かく震える。
 
 だがその硝煙臭い喧騒は、くぐもった音となって、いまだ遠くに聞こえるのみだ。
 
 
 
 この場所は、そうした遠い砲撃の音を除けば、むしろ静寂に包まれていると言ってよかった。
 
 冷たい、コンクリートの空間。その壁面の一つに、幅2メートル・高さ5メートルほどの、天井まで届く縦に細長いシャッターが、20枚前後並んでいる。
 
 震えるシャッターの耳障りなノイズだけが、微かに耳朶を触る。
 
 その静寂の中を、黒ずくめの戦闘服に身を包んだ一人の男が音も立てずに走り込み、並ぶシャッターの端に素早く身を寄せた。
 
 男の駆け寄った場所には、壁に埋め込まれた端末があり、そこには20個ほどのキーと、小さな液晶がついている。男は周囲を警戒しつつ、素早くその端末のキーを叩いた。
 
 最後に赤いボタンを押すと、1・2・3……と白くペイントされたシャッターが、低い音を立てて、順番にせり上がっていく。
 
 
 
 徐々に開いていくシャッターの外側には、男と同じような戦闘装備に身を包んだ多数の男たちが、銃を構えてひしめいていた。
 
 腰を落とし、周囲に油断なく目を光らせる。
 
 
 
 シャッターを開けた斥候の男に、指揮官らしい男が素早く歩み寄った。
 
 「警備は」
 
 「最初からいませんでした。ここはもぬけの空です」
 
 報告を受けて、指揮官は周囲を見渡す。
 
 
 
 ここは、ジオフロントの出入口の一つ。
 
 警備の人間が数人いるはずだ、と、事前に調査報告を受けている。
 
 ……ここがもぬけの空だった、というのは、明らかにおかしい。
 
 男たちの視線の、先。
 
 本来ならば、ジオフロント本部へと続く通路が口を開けているべき場所には、分厚い隔壁が下りている。
 
 
 
 ……この隔壁は、普段は開放されているはずだ。ここが閉まっているのは非常時の際だけだと聞いていた。
 
 自分たちは侵攻の第一班で、まだNERVに非常時と認識されるには、早すぎる。
 
 
 
 小さく舌打ちを、一つ。
 
 「情報が漏れているのか……?」
 
 本隊に通信して確認を取るわけにはいかない。ジオフロント内で通信などを行えば、確実にMAGIに傍受されてしまう。
 
 たとえ、既にこの侵攻がNERVにばれている可能性が濃厚だとしても、それが確定するまでは、勝手な行動は取れない。
 
 
 
 「どうしますか」
 
 後ろに控えていた戦闘員の一人が呟く。
 
 本来であれば、シャッターを開けると同時に、一気に雪崩れ込む手筈だった。時間との戦い。だが、それはいきなり第一歩目で足場を掬われた感じだ。
 
 「……ともかく、隔壁を開ける。爆破準備」
 
 男の指示に、何人かの戦闘服が頷くと、背中に機材を背負って隔壁に駆け寄った。
 
 
 
 爆薬を隔壁にセットしている様子を、ミサトはモニタ越しに見つめていた。
 
 「非戦闘員の避難は92%。あと約20分で完了します」
 
 ヘッドホンを耳に当てながら、マヤが振り返って報告する。
 
 
 
 「西五番搬入路、A-557通路、同じく敵部隊をモニターで確認」
 
 「防御は」
 
 「避難が完了したエリアから順次、隔壁を閉鎖しています。現段階では、敵部隊はどれも足止めを食っているような状態ですね」
 
 スピーカーからは続々と敵部隊発見の状況が報告されているが、第一層〜第五層までの隔壁は既に全て閉鎖されており、それ以上は進めていないようだ。
 
 
 
 「引き続き、侵攻作業中の敵部隊を重点監視。隔壁が破られて、侵入が成功しそうなエリアがあれば、事前に戦闘部隊を配備すること」
 
 「了解」
 
 指示を出して腰を伸ばすと、ミサトは、ふぅ、と息をつく。
 
 ふと、少し離れた場所に立っているリツコに視線を向けると、ちょうどミサトを見ていた彼女と、目が合う。
 
 少しの間視線を交わしてから、ミサトはリツコの方に足を向けた。
 
 
 
 二人が、並んで立つ。
 
 「……事前の準備が功を奏したわね」
 
 呟くミサトの言葉に、リツコも静かにメインモニタを見上げた。
 
 着々と進む避難の進捗状況。
 
 隔壁で完全に食い止めている敵部隊の侵攻の様子。
 
 
 
 「そうね……もとより、最低限の職員を残して、他は全て避難済みだったから、対応も迅速に済んだ」
 
 「シンジくん、さまさまね」
 
 ミサトの言葉に、リツコは表情を変えずに応える。
 
 「……軍の攻撃が、遅かれ早かれあるだろうってことは、一応私たちにも、予測はできていたことよ」
 
 「でも、決め手は彼の言葉でしょ」
 
 「……まぁ……そう、ね」
 
 言って、リツコは眼を瞑る。
 
 
 
 近いうちに、軍隊の攻撃がある……という可能性を、リツコは数日前に、シンジから警告されていた。
 
 彼女としても、そういった事態が発生することは、ある程度は予想できていたことだ。しかし、それはあくまで推論の域を出なかったし……備えておくと言っても、いつ来るか分からない敵に対して、大半の職員を連日のように避難させておくことなどできない。
 
 だから結局は、シンジの言葉がきっかけなのだ。
 
 シンジがそれを予言したからこそ、リツコは自らの予測を確信に変えて、傍目には少々過剰反応ではないかと思えるような対策も行った。
 
 それが功を奏したのだから、やはりそれはシンジの進言が功績の一部を担っているといって良いだろう。
 
 
 
 「西B-88、第一隔壁突破されました」
 
 マコトの言葉にミサトは頷いて、リツコのそばを離れて再び所定の位置に戻った。
 
 モニタには第一隔壁が赤くマーキングされ、そこが突破されたことを警告していたが、次の第二隔壁で、すぐに敵部隊の侵攻は止まっている。
 
 「西館は陽動ね。目的がエヴァの占拠なら、パイロットを狙うわ」
 
 言って、マコトに視線を向ける。
 
 「チルドレンの居場所は?」
 
 ミサトの質問に、マコトはキーボードを叩いて、……少しだけ、苦い表情を浮かべた。
 
 
 
 「……ファーストチルドレンはC-76エリア移動中。フォースチルドレンは自室です」
 
 「二人に連絡して、確保。……のこりは?」
 
 「現在……ロスト中です」
 
 「ロスト?」
 
 ミサトも眉根を寄せる。
 
 「え? 分かってる範囲は?」
 
 「数時間前までは通常通り。……セカンドチルドレンは、約2時間前に移動を開始して、東館に移動したところまでは記録に残っていますがそこでロスト」
 
 「なんで?」
 
 「……移動が……え〜、速過ぎたみたいですね」
 
 「……速いって、……全力疾走でもしてたの?」
 
 「……そう、みたいですが……」
 
 「………」
 
 「えぇと……サードチルドレンは、陸自侵攻騒ぎのどさくさでロストしてしまったようです。ロスト時点で、表層階にいたわけではないので安全だとは思いますが」
 
 「どさくさでロスト、って……困るわね。再捕捉できないの?」
 
 「もともと、ロスト直前にも、何だか非常に細かくあちこち移動していて……」
 
 「あちこち?」
 
 「何というか……その、探し物でもしているような感じで」
 
 「……何やってんのよ、あのコ」
 
 マコトの困惑した言葉に、ミサトも首を傾げる。
 
 
 
 マコトの報告は続く。
 
 「フィフスチルドレンは、今日は朝からロストしています。……と言うか、彼は、割といつもロストしてますので……その」
 
 「……渚カヲルが捉まらないのは、いつものことだからしょうがないわ。とにかく、ロストしてる三人、携帯鳴らして。すぐ」
 
 「やってます。サード、フィフスは出ません。セカンドは……電源が入ってないようです」
 
 「なぁんでよ、もう……」
 
 ミサトは溜息をついてかぶりを振った。
 
 
 
 ……渚カヲルのことは、あまり心配していない。
 
 彼は、使徒だ。人間の兵士が彼を仕留めようとして発砲したとしても、A.T.フィールドで防御すれば終わりだ。
 
 シンジも、今回の侵攻を予測してリツコに進言したくらいだから、現状の危険性は認識しているはず。
 
 ……彼は、白兵戦はお世辞にも強いとは言えない。べつに格闘が強いわけでも、射撃に優れているわけでもない。彼の凄さは、頭脳と判断力、そしてエヴァの超人的な操縦能力にあり、直接、敵と相対して勝ち目はあまり無い。
 
 だが、だからこそ……敵兵士と肉弾戦を行わなければいけないような場所に、危険も顧みずに自ら赴くとは思えない。
 
 
 
 問題は、アスカだ。
 
 
 
 アスカは、どこへ行ったのか?
 
 今回の事態を彼女が想定していたとは思えないし、携帯の電源を切っているようでは情報も限定的にしか届いていないはずだ。
 
 「……シンちゃんが、アスカと一緒に行動していれば、いいけど……」
 
 ジオフロント内で二人ともロスト、という状況が、二人が連れ立って行動していることを意味していればいいのだが。
 
 だが、少なくともロスト直前には、別行動だったようだし……。
 
 ……ともかく、そんな根拠のない可能性に賭けていても仕方がない。
 
 「レイや鈴原君が、三人の居場所を知ってるかもしれないわ。できるだけ早く、ここに来るように指示して。あとは、三人の捜索を最優先でヨロシク」
 
 「はい」
 
 マコトは頷いて、キーボードを叩く。
 
 
 
 アスカは、暗い廊下を歩いていた。
 
 引きずるような、重い足取り。
 
 
 
 立ち止まって……しまいたい。
 
 微かに足の裏に伝わる振動は、このジオフロントに何かが起こっていることを意味していて……
 
 ……その、混乱に乗じて、全てを投げ打ってしまいたかった。
 
 だが。
 
 
 
 ……その、「ジオフロントに起こっていること」が、渚カヲルに関係した事だったら?
 
 
 
 あの男の言う通り、本当に一刻の猶予もなく……すでに、人類滅亡へのカウントダウンが、何らかの形で始まっていたら。
 
 そして。
 
 
 
 ……それを止めることが、もはや、自分にしかできないとしたら……。
 
 
 
 掻き毟った髪はほつれ、丁寧に整えたはずのヘアスタイルはぐちゃぐちゃに崩れている。
 
 埃まみれの廊下に寝転がった背中は薄汚れ、洋服もそこかしこが乱れて、彼女の持つ生来の美しさを減じていた。
 
 頭の中は、豆腐をミキサにかけたかのように激しく混ざり合っており、冷静な思考を行うのも困難だった。
 
 
 
 足を止めることは、出来ない。
 
 
 
 「立ち止まれば、人類が滅亡する」……などと言われて立ち止まることができる者など、いない。
 
 だが、行きたくない。
 
 本当は、逃げたい。
 
 その矛盾した思いが、鉛をぶら下げたような重い足取りに、表れている。
 
 
 
 ……その頃シンジは方針を変更して、普段はあまり足を運ばないエリアを中心に探索を続けていた。
 
 他の職員とすれ違うことは、もう、なくなっている。
 
 踵を鳴らすと埃が舞う。この辺りのエリアが、誰も通らないような寂れた場所であることを意味していた。
 
 
 
 微かに響く地鳴りが、軍による侵攻が始まっていることをシンジに知らせていた。
 
 例によって、正確に「いつ」侵攻を受けるのか記憶していなかったため、曖昧にしか伝えられなかったものの……それでも、リツコには侵攻の可能性をあらかじめ警告することができた。
 
 果して彼女がシンジの世迷い事を信じ、対策を取っていてくれたかどうかは、シンジには分からない。
 
 だが、自分にできることは、現時点ではせいぜいこの程度だろう。
 
 
 
 ……正直、今、大事なのはアスカのことだった。
 
 リツコなら、対策をしてくれているはずだ。
 
 と、信じるしか、ない。
 
 
 
 携帯が、鳴った。
 
 
 
 ポケットから取り出して液晶を見ると、既に幾度も繰り返し、着信があったことを示していた。
 
 「あれっ……しまった」
 
 焦って闇雲に走りまわっていたせいで、アラームにもバイブレーションにも、気付かなかった。
 
 慌てて受話器のボタンを押し、スピーカーを耳に当てる。
 
 
 
 「はい、もしも……」
 
 『あっ、シンちゃん? いまドコ?』
 
 シンジの声に被るように聞こえてきた声は、ミサトのものだ。
 
 レイからの連絡だと思っていたので、少し驚いてしまう。
 
 「あっ、と……いま……」
 
 シンジは、慌てて辺りを見回した。
 
 
 
 現在地を示すような表示は、見当たらない。
 
 すっかり薄暗くなった廊下を、シンジはここに来るまでに何回曲がったことか。
 
 管制塔に近付いているのか遠ざかっているのかも、正直、定かではない。
 
 「えーと……あの、……分かりません、すいません」
 
 『えぇ……? ちょっと、何やってるのよ』
 
 「すいません、ちょっと……あの、非常招集ですか」
 
 『非常招集ってほどじゃないけど、戻って欲しいわね。シンちゃんのご推測通り、軍の侵攻が始まってる』
 
 「あっ……そう、ですか。……その」
 
 『大丈夫。事前の防御は完璧、避難も完了。今のところ、敵の大半は表層階層で足止めを食ってるわ』
 
 
 
 それは胸を撫で下ろす報告だったが、しかし安易に油断することはできない。
 
 記憶が確かならば、最終的には敵の爆撃か何かを受けて、ジオフロントの天井に大穴が開いてしまい、実際、筒抜けの状態になってしまうはず。
 
 そこから、あの真っ白な、悪魔の如き量産機の群れがやってくる。
 
 自分がここにいる以上、補完計画は発動しないのだろうが……だからと言って、アイツらが回れ右して、まっすぐ家に帰ってくれるというわけでもないだろう。
 
 
 
 防御が完璧なのは、正直、人間を相手にしている今のうちだけだ。
 
 ……砂場に作ったピラミッドの上を、アリがどれだけ這いまわってもどうということはない。だが、それを踏み潰す子供の足が現れれば、あっけなく形勢は逆転する。
 
 
 
 シンジは、一瞬、逡巡した。
 
 できれば、このままアスカを探し続けたかった。
 
 だが、こうして闇雲に歩き続けても、いつか彼女を捕まえられる保証は、どこにもない。
 
 ……それよりは、確実に来ることが分かっている、量産機に対抗することの方が、大事かも知れない。
 
 稼動できるエヴァが弐号機と初号機しかなく……しかも、アスカが搭乗してくれる可能性が低い以上、シンジは初号機を準備する必要があるだろう。
 
 数秒の間、頭をフル回転させて、シンジは溜息とともに口を開く。
 
 
 
 「分かりました。あの……ここからなら司令塔よりケイジの方が近いので、念のため初号機の方で待機します」
 
 『ちょっと、まず司令塔に来なさいよ。出撃するかどうかも分からないのよ』
 
 「いや、その……」
 
 シンジからすれば、ほぼ確定に近い出撃の予想も、ミサトからすれば根拠が無い。
 
 まして、現状の敵はあくまでも陸上自衛隊だ。陸自による侵攻であれば、よほどの劣勢にでも陥らない限り、戦うのは人間であってエヴァの出番ではあるまい。
 
 上手い言い訳が出てこずに言葉に詰まるが、スピーカーの向こう側のミサトは、勝手に自己完結したようだ。
 
 『……まぁ、ここにいるよりエントリープラグの中の方が、百倍安全だけどね……』
 
 「そ、そう……そうですよ」
 
 慌てて、頷く。
 
 
 
 『って言うか、シンちゃん、今どこにいるか分かんないんじゃなかったの? ケイジの方が近いなんてよく分かったわね』
 
 「あ、う、え〜、……その、まぁ、なんとなく、……は、走ってきた感じで、そっちの方向かな〜……と、言うか……」
 
 『……いいけどね……じゃぁ、ケイジに向かうのね? 携帯繋がったから、こっちでシンちゃんの位置、捕捉したわ。マップデータ送っておくから』
 
 「お願いします、すいません」
 
 『ところで、アスカは一緒?』
 
 「……あ……いえ。一人です」
 
 『そう……困ったわね……彼女、軍の侵攻も知らないのよね。表層階に行ってなければいいけど』
 
 「ロストしてるんですか?」
 
 『ごめんね。なんか、アスカ、一人でスプリント競技してるみたいなのよね』
 
 「………」
 
 『アスカ見かけたら、一緒に連れてって。よろしくね』
 
 「はい。……あの、綾波とトウジは」
 
 『二人は司令塔にいるから大丈夫』
 
 「分かりました」
 
 
 
 通話が切れて、ミサトは受話器を置いた。
 
 キーボードを叩いていたマコトが、顔を向ける。
 
 「シンジくん、捕捉しました。かなり深いですね……確かに、ここよりはケイジの方が近いですけど……どっちにしても、相当遠いですよ」
 
 マコトの言葉に、ミサトは腕を組んで首を傾げる。
 
 「そんなとこで何やってたのかしら……聞くの忘れてた。……とにかく、シンちゃんにマップデータ送って。至急」
 
 「了解」
 
 マコトがキーを叩く。
 
 
 
 そのやりとりを、レイとトウジは後方の椅子に座って聞いていた。
 
 
 
 トウジは横目でレイの顔を見る。
 
 「……シンジ、何やってたんか、綾波は知っとるんか?」
 
 トウジの質問に、レイは視線を前方に向けたまま、頷く。
 
 「……アスカを、探してた」
 
 「へぇ?」
 
 レイの答えを聞いて、トウジは首を伸ばして辺りを見回した。
 
 「そういや……惣流、おらんよな。どないしたんや? シンジ、なんで惣流、探しとるんや? 召集かかったから探してる、っちゅうわけでもなさそうやったけど」
 
 「………」
 
 レイは口を噤む。
 
 秘密にする、というよりは、どうやってトウジに話せばいいのか分からない、という意味合いが強い。
 
 
 
 数秒、レイの返答を待ち……トウジは肩を竦めて視線を前方に戻した。
 
 レイの言葉が少ないのは、いつものことだ。
 
 二人の間に、沈黙が流れる。
 
 
 
 ズズン……と、管制塔に来てから幾度目かの微かな震動がトウジの体を伝い、不安そうな色を瞳に浮かべて天井を見上げた。
 
 パラパラと、細かい砂が二人の上に降り注ぐ。
 
 
 
 「……軍の侵攻、て……大丈夫なんか、ここ」
 
 トウジの言葉に、レイは首を横に振る。
 
 「わからない……今は大丈夫だけど」
 
 「まぁ、ワシ、銃を撃ったこともあれへんし、出撃になっても機体もないし。ここに隠れて縮こまってるしかないけどな」
 
 苦笑する。
 
 自分がNERVに来て、何か役に立ったろうか? そう考えると忸怩たる思いがあるが、機体がないのはトウジの責任ではない。
 
 
 
 レイは、膝の上で、ぎゅっと自分の手を握り締めていた。
 
 シンジの話によれば、遠からず、ゼーレが量産型のエヴァを送り込んでくるはずだ。
 
 たとえ補完計画が発動する可能性がないと言っても、そうなれば放っておくわけにはいかない。初号機は出動することになるだろう。
 
 アスカは、どうだろう? 今の状態では、出撃はできないかもしれない。それはアスカを責めるべきではなく、悪いのは迂闊だった自分とシンジの責任なのだが、それでも初号機単機で量産機の相手をするのはかなり厳しいに違いない。
 
 量産機には、自己修復機能もある、と聞いている。コアを殲滅しなければ、倒すことはできない……となれば、まるで使徒だ。
 
 九体もの使徒を同時に相手する、ということに等しい。戦いの行方は、到底、楽観視できない。
 
 自分が助けられればいいのだが……零号機も今はない。
 
 トウジの言う通り、こうして、ここで縮こまっているしかない。
 
 
 
 ……いや。
 
 
 
 ……自らの脚しか使えない自分に、できることは、何か。
 
 泥臭く、駆けずり回ることだけだ。
 
 それを放棄したら、
 
 それこそ、只の置物と、変わりないではないか。
 
 
 
 レイの思考が、激しく回り出す。
 
 
 
 そうだ。
 
 考えるのを、
 
 放棄してはいけない。
 
 
 
 シンジは、初号機で待機するしかない。
 
 アスカの捜索は、断念するしかないはずだ。
 
 では、アスカはどうする? 今どこにいるのかも分からない彼女が、このまま放っておいたら自然に弐号機に乗ってくれる、などという展開は有り得ない。
 
 アスカがどこかで膝を抱えているならば、駆け寄って彼女を抱き締めなければいけない。
 
 そして、彼女に謝って。
 
 それから、彼女を送りださなければいけないのではないか。
 
 それが、アスカを、そしてシンジを救うことになるのではないか。
 
 
 
 ぱっ、と握った拳を開く。
 
 掌を見ると、自らの爪が喰い込んだ跡が、見て取れる。
 
 何をしている? ここにこうして、全てが終わるのを待っていることなど、シンジやアスカに対する、冒涜だ。
 
 いま、できることが、はっきりとある。
 
 ならば、なぜ、それをしない。
 
 
 
 レイは立ち上がった。
 
 
 
 その勢いに、トウジは驚いてレイを見上げた。
 
 「どっ……どないしたんや、綾波。びっくりしたで」
 
 トウジの言葉に、レイはトウジを見下ろす。
 
 ……じっと、微動だにしない視線で見つめられて、トウジは戸惑った表情を浮かべる。
 
 「なっ……な、なんや……?」
 
 じっと……なおも数秒、トウジを見つめて……
 
 レイはスカートのポケットに手を突っ込む。
 
 
 
 取り出されたものは、小さな銃。
 
 チルドレンの護身用に配られている銃だが、無いよりはマシという程度の、おもちゃのような銃だ。射撃訓練を受けていないトウジには、渡されていない。
 
 「えっ……?」
 
 その銃を見つめて、気の抜けたような声を漏らす、トウジ。
 
 レイは、その銃をくるりと回して、銃把をトウジの方に向けた。
 
 
 
 「手伝って」
 
 
 
 レイの短い言葉に、トウジは視線を上げた。
 
 「え?」
 
 「………」
 
 「え……いや……何を?」
 
 「アスカを探すの」
 
 言いながら、銃をトウジの方に差し出す。
 
 受け取れ、というレイの意図に気付き、トウジは慌てたようにその銃把を握る。
 
 ……手に取ってから、その重さに困惑して、眉根を寄せた。
 
 
 
 「……ワシ、銃なんて撃ったこと、ないで」
 
 「護身用だから。撃たないで済むなら、撃たないで。可能なら逃げて」
 
 レイの言葉に、トウジはごクリ、と唾を飲み込んだ。
 
 「あ、綾波はどうするんや……これ、ワシに渡したら、丸腰と違うんか」
 
 「私は、別のを持ってる」
 
 言いながら、反対側のポケットを探る。出てきたのは、もう少し大ぶりの、実用的な銃だ。
 
 それを一瞥してから、レイは再びポケットに戻す。
 
 トウジに視線を向ける。
 
 もう一度。
 
 同じ言葉を、繰り返す。
 
 「アスカを探す。……手伝って」
 
 
 
 数瞬。
 
 トウジは、口を半開きにして、レイの顔を見つめてから……
 
 ……ややあって、ようやく状況を理解したかのように、ぱちぱちっと瞬きをした。
 
 視線を落とし……
 
 床を、見つめて。
 
 それから顔を上げて……トウジは、一瞬……オペレータたちの方に視線を向ける。
 
 
 
 二人を見ている者は、いない。
 
 視線を戻し、レイを見る……
 
 ……揺るぎない、彼女の眼を。
 
 数秒の間を置いて、トウジは瞬いた。
 
 
 
 「……やらな、あかんのやな?」
 
 レイは、こくりと頷いた。
 
 
 
 「MAGIのサーチは、一度ロストすると、簡単には再捕捉できない。アスカが携帯でも発信してくれれば別だけど、向こうからこのままアクションがなければ、見つかる可能性は低い」
 
 「惣流をすぐに探さなあかんのは、軍が侵攻してきてるからか?」
 
 「違う」
 
 レイは首を振る。
 
 言葉を、紡ぐ。
 
 「……アスカは、傷ついてる」
 
 
 
 トウジは、レイをじっと見る。
 
 傷ついてる。
 
 と、いう、その理由を尋ねたい気もしたが、口は挟まなかった。
 
 レイが、そのまま言葉を続ける。
 
 「軍の侵攻だけでは、終わらない。まして、いま、NERVはほぼ完璧に侵攻を防御しているし……このままいけば、次の攻撃が始まる」
 
 「次……って?」
 
 「………」
 
 「………」
 
 「……ごめんなさい、どう説明していいか……分からないけど。とにかく、エヴァの出撃がある可能性が高いわ」
 
 「えっ」
 
 トウジが、驚いたように、首を伸ばした。
 
 「……使徒が、くるんか?」
 
 レイは、首を振ってそれを否定し、言葉を続けた。
 
 「だから今、碇君はここじゃなくて、ケイジに向かったの。出撃に備えるために……。でも、碇君だけだと、厳しい戦闘になるかも知れない。アスカも出撃できるなら、それに越したことはないの」
 
 「……だから、惣流を探すんか」
 
 トウジが、尋ねる。
 
 しかし、レイはトウジの言葉に、頷かず……
 
 ……眉根を微かに寄せて、目を閉じた。
 
 
 
 「そう……
 
 そう。確かに、そう……。
 
 ……でも。
 
 それだけじゃ、ない。
 
 
 
 ……さっきも言ったけど、アスカは傷ついてる。
 
 ……傷つけたのは、私と、碇君だから、アスカに責任はない。でも、いま、彼女はどこかで、小さくなっているかもしれないわ。
 
 ……だから、見つけ出して、抱きしめてあげなければいけない。
 
 ……そして、……許されるならば、
 
 彼女に謝らなくちゃ、いけないの」
 
 
 
 レイの言葉は、はっきりとした意思に彩られていた。
 
 「もう、道を間違えたく、無いの」
 
 トウジの瞳を、見つめて。
 
 「謝らなくちゃ、いけない」
 
 凛、と。
 
 「お願い。手伝って欲しい」
 
 
 
 トウジは立ち上がった。
 
 レイより背の高いトウジに並ばれて、見下ろしていたレイの視線は、少し上がる。
 
 トウジは、掌の銃を眺めながら呟く。
 
 「これ、引鉄を引けば撃てるんか?」
 
 「……ううん、安全装置外して」
 
 「安全装置? どれや?」
 
 「この……」
 
 「あぁ、これか」
 
 「普段は外さないで、危ないから。本当に必要な時だけ外して」
 
 「ん、分かった。全然自信あらへんし、まぁ外さんとくわ」
 
 「あの……」
 
 「ん?」
 
 「……手伝って、くれる?」
 
 
 
 トウジは、軽く肩を竦めて見せた。
 
 苦笑、という感じで、微笑む。
 
 「これくらいせんと、ワシ、ここにおる意味、あれへんしな。
 
 ……っちゅうか……
 
 ……ま、そういうコトやなくて……
 
 仲間、として、ちゅうか……その、綾波や惣流の、力になれるコトなら、力になりたいんや」
 
 
 
 「……ありがとう」
 
 レイの小さな声に、トウジは照れたように頭を掻いた。
 
 「礼なんかいらん。っちゅうか、惣流が見つからんかったら、こんな、こっ恥ずかしい決意なんかアホみたいなもんやないか。はよ、探さんと」
 
 トウジの言葉に、レイは小さく頷く。
 
 「でも、……ありがとう」
 
 呟くようにそう告げると、レイは音もなく駆け出した。
 
 トウジも、オペレータたちに気付かれないように、その後を追う。
 
 自動ドアの小さな空気音は、この場の誰の耳に届くことも、無かった。



六百二十八



 心臓の音が、耳障りだ。
 
 ぎゅっ、と、自分の胸のあたりを掴む。
 
 その角を曲がれば、そこに、初号機と弐号機が、冷却水に浸かって屹立しているはず。
 
 着いて、しまった。
 
 ここに。
 
 着いて、しまった。
 
 
 
 最後の望みは、
 
 ここに、誰も、いないこと。
 
 
 
 目の前の角を曲がったその向こう側には、
 
 いつもと同じように、
 
 誰もいない、冷たい空間が
 
 横たわっていて、くれれば。
 
 
 
 壁に、手をかける。
 
 
 
 鎮まれ、
 
 心臓。
 
 
 
 うるさい。
 
 
 
 お願い、
 
 だから……!
 
 
 
 恐る恐る、といった感じで、ゆっくりと顔を出す。
 
 視界に広がる、ケイジの様子。
 
 薄暗い、光量の抑えられたライトに照らされた、広大な空間。
 
 波紋一つ立てない、鏡のような冷却水の湖に、紫と赤の機体が沈んでいる。
 
 いつもの、
 
 ……見慣れた、光景。
 
 
 
 その、冷却水の前に。
 
 
 
 柵に手をついて、エヴァを見上げて立つ、銀髪の少年。
 
 
 
 心臓の奥が、何かを捻じ込まれたようにギリギリと痛んだ。
 
 堪らない。
 
 膝が砕けそうになりながら、
 
 必死に、
 
 一歩を、踏み出す。
 
 
 
 静寂に包まれた空間に、アスカの足音が響いた。
 
 カヲルは、視線をアスカに向ける。
 
 
 
 彼女の姿を認め、微笑みを浮かべた。
 
 
 
 「やぁ……惣流さん、君か。……どうした? こんなところに、呼び出したりして」
 
 涼やかな声が、転がるように、彼の唇からまろび出る。
 
 
 
 「な……」
 
 なぎさ。
 
 名前を呼ぼうとして、声が掠れた。
 
 唾を飲み込もうとしても、口の中はからからに乾いている。
 
 こんなに、背中に汗が伝っているのに。
 
 こんなに、額に水滴が浮かんでいるのに。
 
 「な……ぎ、さ、……カヲル……」
 
 掠れた声のまま、少年の名前を、絞り出す。
 
 カヲルは、首を傾げて笑う。
 
 「なに?」
 
 目を細めて、アスカを見つめる。
 
 
 
 震える両腕が、徐々に、上がっていく。
 
 ガタガタと、定まらない。
 
 それは腕の震えだけではなく、彼女の体の関節の全てが震えているからだ。
 
 カヲルが、眉をあげる。
 
 アスカの震える両手に、握られた、黒光りする物体。
 
 
 
 その銃口が、自分に向けられている。
 
 
 
 カヲルは、微笑んだ。
 
 
 
 「……僕を、撃つのかい?」
 
 動揺も、あるいは詰問も、欠片も孕んでいない、穏やかな声音だった。
 
 アスカの顎から、伝った汗が落ちる。
 
 震える体は、照準を定めることも、ままならない。
 
 アスカは必死の思いでカヲルを睨みつけると、掠れた声のまま、言葉を振り絞った。
 
 
 
 「ア……アンタを……
 
 ……アンタを、殺さなきゃ、……ころ、さ、なきゃ……
 
 ……殺さなきゃ、
 
 いけない……んだ……から……!」
 
 
 
 呪詛、だった。
 
 震える自分の体を、必死に鞭打ち、
 
 縛るための。
 
 
 
 必ず反論し、抗うはずの、目の前の少年をも、縛る、
 
 そんな、
 
 決意。
 
 
 
 その、
 
 
 
 言葉が、終わると、ほぼ同時に。
 
 
 
 カヲルは、ゆっくりと……両腕を広げた。
 
 
 
 それは、まるで、十字架のように。
 
 
 
 至上の微笑みをたたえて、カヲルは、アスカに向き直る。
 
 白い翼を広げるように、優雅に両腕を広げて。
 
 微笑みを浮かべたまま、口を開く。
 
 
 
 「分かってる。
 
 
 
 君が、
 
 僕を撃つ、なんていうことを決めたのなら、
 
 それは、誰にも汚せない、余程の決断だろう?
 
 
 
 僕は、それを尊重する。
 
 他ならぬ、君の下した決断を、
 
 僕は、尊重するよ」
 
 
 
 アスカは、茫然と、目の前の少年を見つめていた。
 
 
 
 なんと、
 
 いう……。
 
 
 
 震えが、止まっていた。
 
 
 
 「さぁ」
 
 カヲルが笑う。
 
 「引鉄を、引くんだ」
 
 
 
 眩しさに、思わず目を瞑ってしまいそうだった。
 
 泣きそうな、気持ちになる。
 
 
 
 自分は、
 
 何を、
 
 しているのか。
 
 
 
 「……撃て……ない」
 
 
 
 掠れるような、声。
 
 
 
 「撃てない……」
 
 
 
 目尻から、微かな、涙。
 
 
 
 泣き笑いなような表情で、アスカは、言葉を絞り出した。
 
 
 
 「……私……には、……撃てないよ……渚……ッ!!」
 
 
 
 そう、だ。
 
 
 
 自分は、何をしようと、しているのか。
 
 
 
 こんな、
 
 馬鹿げたことを。
 
 
 
 この、アタシが、
 
 なんて、愚かなことを……。
 
 
 
 涙をこぼして、
 
 アスカは、唇を歪めるように、
 
 しかし、清潔な微笑みで、
 
 カヲルを、見る。
 
 
 
 カヲルも、
 
 微笑む。
 
 
 
 両手を広げたまま……。
 
 
 
 アスカの腕から、力が抜ける。
 
 
 
 銃口が
 
 
 
 下がる
 
 
 
 その
 
 瞬間。
 
 
 
 彼女の白い指が、
 
 外れている、
 
 はずなのに。
 
 
 
 その
 
 引鉄は
 
 
 
 音もなく、
 
 
 
 滑り込む。
 
 
 
 乾いた音が、
 
 こだまする。



六百二十九



 アスカは、目を見開いていた。
 
 
 
 硝煙の匂いが、微かに彼女の鼻孔をつく。
 
 
 
 先ほどまで、両腕を広げて少年が立っていた場所には、
 
 赤い液体がゆっくりと広がっていく。
 
 
 
 その液体の中に横たわる少年は、
 
 変わらぬ、微笑みを口元に浮かべたままだった。
 
 
 
 アスカの指から、役目を終えた拳銃が滑り落ちる。
 
 床を跳ねる、乾いた金属音。
 
 よろめく足で、
 
 一歩、また、一歩と、
 
 少年の許に歩み寄る。
 
 
 
 数メートルの距離が、
 
 遠い。
 
 
 
 やがて、つま先が血溜まりに付くほどの場所まで来て、
 
 アスカはすとん、と膝を砕いた。
 
 その白い膝が赤く染まるのを構わず、目の前に横たわる少年に視線を落とす。
 
 
 
 「な……ぎさ、カヲル……?」
 
 
 
 名を呼ぶ、声に。
 
 応える言葉は、無い。
 
 
 
 両手を血溜まりの中について、アスカはただ、少年を見下ろしていた。
 
 瞬きを、忘れてしまったかのよう。
 
 あれほど噴き出していた汗は、嘘のように止まって乾いてしまった。
 
 自分の体の、機能の全てがと停止してしまったかの、ように。
 
 
 
 目の
 
 前の
 
 少年が
 
 死んで
 
 しまった
 
 ように。
 
 
 
 ……脳の中を、
 
 ……嵐のように、言葉が吹きすさぶ。
 
 
 
 こうするしか、
 
 なかった。
 
 
 
 こう
 
 する
 
 しか
 
 なかった。
 
 
 
 心が砕け散る、その寸前で、踏み止まっていた。
 
 重心を僅かに傾けるだけで、深い奈落に落ちて行ってしまいそうな精神を、必死に押しとどめているのは、
 
 自分が撃たなければ、人類は滅亡していた、
 
 という、微かな光。
 
 
 
 その光を見失わないように、
 
 全てをかなぐり捨てて、
 
 彼女は必死に踏み止まっていた。
 
 
 
 そう、するしか、自分を保てない。
 
 
 
 引き金から確かに指を離していたはずの銃が、なぜ火を噴いたのか。
 
 あまりにもおかしなことのはずなのに、
 
 なにも、
 
 考えられない。
 
 
 
 ……暗がりの中で、熊谷は手に持っていたリモコンを、そっとコートのポケットにしまった。
 
 ゆっくりと、芝居がかった調子で手の平を叩きながら、明かりの下に現れた。
 
 
 
 軽快な拍手の音がこだまする中で、しかしアスカは、突然現れた男に視線を向けることなく、
 
 ただ、血溜まりの中で微笑むカヲルの顔を見つめ続けている。
 
 
 
 熊谷は、唯一の観客が自分の方を向かないことにも特に構う様子もなく、両手を広げて見せる。
 
 「素晴らしい」
 
 満面の笑みで、声を上げる。
 
 「よくぞ、やって下さいました。惣流・アスカ・ラングレー」
 
 アスカは、熊谷を見ない。
 
 熊谷はアスカのその様子に肩を竦めると、右手をゆっくりと挙げて、ぱちんと指を鳴らした。
 
 熊谷の背後から、音もなく黒服の男が数人、現れる。
 
 熊谷は鼻の頭を掻くと、短く刈り込んだ頭を撫でて、笑った。
 
 
 
 「いやぁ、よくぞ遂行して下さいました。
 
 我々では、彼を撃ってもA.T.フィールドに阻まれてしまいますからねぇ……。
 
 彼は、彼が信頼する人間の前でだけ、A.T.フィールドを解きます。
 
 あなたは、さぞ彼に、信頼されていたんでしょうなぁ」
 
 
 
 アスカは、初めて、熊谷を見た。
 
 
 
 「……え?」
 
 老婆のような声で。
 
 目を、見開いたまま。
 
 
 
 熊谷の背後から現れた男たちは、音も無くアスカに近寄ると、その両脇に手を入れて彼女を立たせる。
 
 抵抗することも無く、なすがままにされるアスカは、ただ視線だけを熊谷に縛り付けている。
 
 熊谷は、まるで演説を行うように、胸に手を当てて言葉を続ける。
 
 「……その、信頼するあなたに殺されて、彼は、さぞ無念だったでしょうねぇ……その心中は、察するに余りあります」
 
 男たちに引きずられながら、アスカは弐号機の搭乗タラップを上って行く。
 
 視線は、熊谷の顔に、縫いつけられたまま。
 
 やがて弐号機の頸椎に到達する。普段は停止芯が刺さっているはずのプラグホールに、エントリープラグが刺さっている。
 
 男の一人が、プラグの側面にあるハンドルを取り出し、回す。
 
 バグン、と音を立ててハッチが開く。
 
 
 
 「何を……」
 
 男たちに押されて、されるがままに、エントリープラグに押し込まれそうになる、アスカ。
 
 思わず手を伸ばし、ハッチの縁を掴み、それにぐっと抵抗する。
 
 熊谷を、射抜くように、見つめる。
 
 「……何を……言って……」
 
 
 
 熊谷は、声を張った。
 
 まるで、舞台のクライマックスに、思いの丈を朗々と叫ぶ役者のように。
 
 「そうそう、大事なことを、言い忘れていました。誠に申し訳ありません」
 
 満面の、笑みで。
 
 
 
 「渚カヲル……彼が生きていても、別に人類は、滅亡なんてしません。
 
 
 
 我々は、彼に死んで欲しかった。
 
 それだけです。
 
 ご協力、誠に感謝いたします」
 
 
 
 熊谷は、仰々しく、深々と頭を下げた。
 
 
 
 次の瞬間、アスカは強引にプラグの中に押し込まれた。
 
 満たされたL.C.L.に飛沫をあげて落ちると同時に、ハッチが再び閉められる。
 
 
 
 暗闇の、中。
 
 
 
 沈んでいく、
 
 その、
 
 中で。
 
 
 
 こだまする、
 
 
 
 熊谷の言葉。
 
 
 
 彼が生きていても、別に人類は、滅亡なんてしません。
 
 
 
 彼が生きていても、
 
 別に人類は、
 
 滅亡なんてしません。
 
 
 
 彼が
 
 生きていても
 
 別に人類は
 
 滅亡なんて
 
 しません。
 
 
 
 カレガ
 
 
 
 イキテイテモ
 
 
 
 ベツニ
 
 
 
 ジンルイハ
 
 
 
 メツボウナンテ
 
 
 
 シマセン。
 
 
 
 唇が、開く。
 
 真っ暗な、空間で、
 
 まっ黒な、心で。
 
 
 
 絶望の、
 
 
 
 叫び。