第百二十一話 「命令」
六百一



 渚カヲルは、禁固措置となった。
 
 
 
 「禁固刑」、ではない。
 
 職務違反による刑罰ではなく、彼自身が「使徒」であることによる、緊急避難的な措置である。
 
 
 
 もっとも、これは実情から見れば、相当に軽い措置だといえる。
 
 本来であれば、鎮静剤でも投与された上で、無数のコードに接続されてその生命活動の全てを数値化されるモルモットとされてもおかしくは無い。
 
 リツコなどからすれば、むしろ、そのようにしたかったかも知れなかった。だが、さすがにそれを強制的に行うには、問題が多い。
 
 
 
 渚カヲルは、他の使徒とは違う。
 
 意思の疎通の成り立たない、いわば異形の者共とは違い、外見上は人間との違いはなく、理知的かつ理性的な思考の持ち主だ。
 
 既に現時点で、彼とコミュニケーションをとった経験のある者はNERV内にも少なくはないし、何より、チルドレンとの関わりが深すぎた。
 
 秘密裏に拉致して拷問にでもかけるのならばまだしも、表だって非人間的な扱いをするには、あまりにも体裁が悪すぎる。
 
 
 
 「だからと言って、甘すぎると思うけどね」
 
 カヲルは冷たい天井を見上げて、微笑んだ。
 
 
 
 2畳ほどの広さの、コンクリートに囲まれたこの部屋には、換気のための嵌め殺しの小さなダクトと、幾重にもロックされた扉、トイレと硬いベッドしかない。
 
 
 
 一応、一級違反者用の独居房であり、セキュリティも硬い。だが、それはあくまで、「人間相手ならば」という冠詞がつく。
 
 カヲルならばA.T.フィールド一つで、いとも簡単に、ポケットに手を突っ込んだままこの部屋から出ることも可能だろう。
 
 
 
 ……だが、カヲルは、ここを脱走しよう、などとは特に考えていなかった。
 
 別に急いでここを出る理由も無い……ということもあるが、アスカに言われた言葉が大きい。
 
 
 
 『人間は、空なんか飛ばないのよ!
 
 いいから、降りなさい!
 
 エレベーターで帰るわよ!!』
 
 
 
 ……そうだ、人間は、空なんか飛ばない。
 
 別に自分のことを「人間だ」と定義し直したわけではないが、彼女が自分をとりあえず「人間」と仮定義した以上、使徒の力をもってここから脱走するのはルールに違反しているように感じられる。
 
 もちろん、必要に迫られれば、ここを出ることを厭う気は無いが……とりあえず今は、「彼女のルール」に従おう、と、硬いベッドに背中を預けた。
 
 
 
六百二



 「……で、彼をどうするつもり?」
 
 ミサトはコーヒーを啜りながら、リツコに尋ねた。
 
 
 
 この小さなリツコ専用の研究室には、彼女たち二人の姿しかない。
 
 
 
 リツコは背凭れに体重を預ける。
 
 椅子が、乾いた悲鳴を上げる。
 
 「とりあえず今は、静観するしかないわね」
 
 その言葉にはどのような感情が篭っているのか。諦観か、あるいは謀略か。ミサトには読み取れない。
 
 
 
 リツコとて、使徒であるカヲルを、人間のように拘束してよしとすることの愚かさは、百も承知だ。
 
 
 
 しかし、現状ではこうするより他に、手立てが無い。
 
 
 
 ……それに、カヲルは下手な騒ぎを起こしたりはしないだろう、という不思議な予感もあった。
 
 少なくとも今は、そんな騒ぎを起こすタイミングではない。つい昨日、あれだけの事件を起こした彼が……そして子供たちの説得に、使徒である彼の存在意義とも言うべき筈の意思を一旦収めた彼が、即座にまた騒ぎを起こすような、愚かな行動を取る気がしなかったのだ。
 
 
 
 ……リツコにしては理論的な考察とは言いがたかったし、それは彼女自身も自覚していた。
 
 やはり彼が使徒である以上、厳重な上にも厳重な対応を取るべきではないか、という意見があることもまた、理解できる。
 
 ……だが、だからと言って、強硬策に出る術はなかった。彼の行動力の全てを奪おうと考えるならば、相当な覚悟が必要であろうし……逆に彼だって、そこまでのことをされたら黙ってはいまい。
 
 必要以上に厳しい措置を取ることは、藪をつついて蛇を出すことにもなりかねない。
 
 
 
 「そもそも、彼を送り込んだのは、ゼーレなわけでしょ」
 
 ミサトが言う。
 
 「だったら、彼らの責任は問えないの? 曲がりなりにも、やつらがNERVの中心に、そのものズバリで使徒を送り込んできたことになるわけじゃない。それで、何でもありませんでしたじゃ済まないわよ」
 
 
 
 「抗議はしたわ」
 
 リツコは机の上に置いてあったマグカップを手に取ると、椅子から立ち上がった。
 
 狭い研究室の隅にある小さな窓には、僅か数歩で辿り着いてしまう。
 
 壁に肩を寄せると、窓から外に視線を向ける。
 
 
 
 闇と、点在するカーレールの灯り。
 
 この小さな窓からでは、他には、何も見えない。
 
 ガラスには、自分の顔が映っている。
 
 ……窓から外の世界を覗いているようでいて、実は自分の顔を覗き込んでいるような錯覚に囚われる。
 
 
 
 「抗議して……で、ゼーレは何て?」
 
 ミサトの言葉に、数秒の隙間を置いて、リツコは視線を、ガラスに映る自分の顔から引き剥がした。
 
 静かにミサトの方に振り返る。
 
 「そんなことは知らない、って言われたわ」
 
 「……回答になってないわね」
 
 「でも、予想通りでしょ」
 
 「まぁね」
 
 ミサトは溜息をついた。
 
 
 
 彼らとまともな会話が成り立つとは思えない。
 
 まるで別の世界の人間と話しているようだ、とは、日頃から感じていたことだ。
 
 ないがしろにされている、というよりは、路傍の石の如く無視されていると言った方が正確だ。怒りも覚えない。
 
 
 
 「……とは言え、少なくとも渚カヲルの身柄は、現在は彼らではなく我々が握っている」
 
 その言葉に、ミサトはリツコの顔を見た。
 
 リツコは再び、視線を窓の外に向けていた。
 
 静かな声で、言葉を続ける。
 
 「ゼーレにしてみれば、いまだ信管の外していない爆弾をNERVの内部に置いている気分なのかも知れないけれど……こちらにしてみれば、敵の設置した爆弾を、コントローラーごと手に入れたようなものよ。あとは、そのコントローラーを動かすためのパスワードを探すだけ。
 
 焦る必要はないわ。
 
 パスワードが分かるまでは我々にも爆発させることは出来ないけれど、コントローラーがこちらにある以上、彼らの好きにだって出来ない。
 
 じっくり、慎重に、彼を手中に収める努力をするまでよ」
 
 
 
 「……そういう例えで言うとそれっぽいけどさ」
 
 ミサトは傍らにマグカップを置くと、腕組みをしてみせた。
 
 眉根を寄せる。
 
 「コントローラーって、なによ? 本当に、それがこちら側にあるの? 渚カヲルをコントロールできる、って思うのは自信過剰じゃないの?」
 
 ミサトの言葉にリツコは窓の外から視線を戻すと、口を開く。
 
 「渚カヲルが説得された記録、見たでしょ?」
 
 「うん、まぁ」
 
 「あれが、コントローラーよ」
 
 リツコが言う。
 
 
 
 「子供たち……あるいは、アスカ、と言ったほうが適当かもしれないけれど。
 
 少なくとも、彼女のメチャクチャな理論が、彼に大きな強制力を与えたのは間違いが無い。
 
 彼女を通して、彼をコントロールできるかも知れないわ」
 
 
 
 そんなに簡単にいくだろうか?
 
 ミサトは心の中で呟く。
 
 ミサトの見た限りでは、あのジオフロントでの一幕は、どちらに転んでもおかしくない、危うい天秤の上に成り立っていた。
 
 アスカの言葉に、そこまでの確信を覚えることは出来ない。



六百三



 「……で、結局、渚はとっつかまって独房に押し込まれてる、っちゅうことか」
 
 トウジが頭の後ろに手を組んで呟いた。
 
 
 
 ここは、職員食堂。
 
 シンジ、レイ、アスカ、トウジの四人がテーブルを囲んでいる。
 
 といっても食事時ではなく、四人は各々ジュースを飲んでいた。食堂内に、他の人影はない。
 
 
 
 「ワシだけ、アイツを説得した現場に行かへんかったからな。どういう状況だったか、詳しく聞きたいところやけど」
 
 トウジの言葉に、シンジは頭を掻いた。
 
 
 
 ……あの状況、あのアスカの言葉を、うまく再現できる自信は、全くない。というか、いま自分の頭の中であの情景を再生するだけでも、全く絵空事のようにしか思えない。
 
 アスカに視線を向けると、アスカはフン、と顔を逸らせた。
 
 「別に、どーでもいいじゃない。アイツが馬鹿で、アタシの説得にやりこめられてごめんなさいって兜を脱いだってだけよ」
 
 「そこが、なんか、こう、納得がいかんっちゅうか……」
 
 トウジの言葉に、アスカがムッとしたような表情を浮かべてトウジを睨む。
 
 「なんでよ。アタシを馬鹿にしてる?」
 
 「いや、そう言うわけやないんやけど……」
 
 「じゃ、ナニよ。アタシにアイツを言い負かすことなんか出来ないだろうっての?」
 
 「いやぁ……惣流が頭がいいのは分かっとるし、ワシが惣流と口喧嘩したって勝てるとも思えんのやけど……」
 
 「じゃ、いいじゃない」
 
 「いや……その、せやけどそれは、渚もそうなんや。アイツが誰かに議論で負けるトコも、あんま想像できへん」
 
 「なに言ってんのよ、アイツが誰かと議論してるところを見たことがあるような口振りじゃない」
 
 「いや……そう言われたらそうなんやけど……」
 
 「そういうの、思い込み、って言うのよ」
 
 アスカはストローをコップから取り出すと、指差しの如く、ぴっとトウジの鼻先に突きつけた。
 
 オレンジジュースの雫が飛び、トウジが顔をしかめる。
 
 「やめやっ。飛んだで」
 
 「いい? アタシとアイツじゃ、格が違うのよ。アンタの中のランキング、整理しときなさいよ」
 
 トウジの言葉を無視して、アスカが言う。
 
 
 
 シンジとレイは、目を見合わせた。
 
 苦笑するしかない。
 
 ……確かに、あんな理論、カヲルには導き出せないだろう。それはシンジやレイにとっても同じで……そう言う意味では、やっぱりアスカはチルドレンの中でも別格かもしれないな、とシンジは思う。
 
 彼女の柔軟な思考は、その姿を視覚で見ることが出来るとしたら、彼女の美しく揺らめく紅い髪のように、滑らかな軌跡を描いて優雅にたゆたっているに違いなかった。
 
 
 
 「せやけど……まぁ、それは分かったけど……」
 
 トウジが独り言のように呟いた。
 
 「……そしたら、アイツ、この先はどうなるンやろなぁ」
 
 
 
 シンジがトウジの顔を見る。
 
 「この先……って?」
 
 
 
 「だってそうやろ」
 
 トウジの視線がシンジを見る。
 
 「アイツはやっぱ、フィフスチルドレン……ちゅうよりは、使徒やろ、扱いとしては。
 
 訓練やら戦闘やらに参加することも、もう無いんやないか? 立場としては敵なんやし、このままず〜っと拘束されっぱなしって考えるのが自然やろ。ヘタしたら、ワシら、もうアイツと会うことも無いかも知れんで」
 
 
 
 シンジの表情が曇る。
 
 ……それは、シンジも充分、考えていたことだ。
 
 上層部……ゲンドウやリツコが、彼の処遇をどうするか。結局はそこにかかってくるわけだが、彼らが打算的な意図も無く、カヲルを無罪放免とするとは考えがたい。
 
 少なくとも数日は、罰の名目で現在の禁固は続くのだろうが、その後はどうするのか……いつまでも出てこないようなら抗議しようとも考えていたが、それにも理由が必要だ。
 
 感情的な理屈では、「渚カヲルは使徒であり人類の敵なのだから、拘束を解くことは出来ない」という理論を喝破できない。
 
 
 
 「そんなの、許さないわよ」
 
 アスカの声に、シンジは顔を上げた。
 
 アスカは口の端に咥えたストローの先を回しながら、眉間に皺を寄せて空中の一点を睨んでいる。
 
 
 
 「なんのために、アタシがわざわざ地下まで降りて、アイツを連れ戻したと思ってんのよ」
 
 言外に怒りのようなものを滲ませながら、独り言のように、呟く。
 
 「なんのためって……なんのためや?」
 
 トウジが首を傾げた。
 
 トウジからすれば、なんのため……と言えばそれは、サードインパクトを防ぐため、であろう。
 
 それは、カヲルを言い負かして地上へ連れ戻した時点で、既に達成されていることだ。
 
 
 
 アスカは、ジロリとトウジを睨んだ。
 
 「そんなの、決まってるでしょ」
 
 「……?」
 
 「もーいちど、アイツとちゃんと勝負して、かっちりきっかり勝利を収めるためよ」
 
 
 
 「はぁ……」
 
 生返事、とはかくの如し、と言わんばかりの曖昧な声を出すトウジ。
 
 アスカはトウジを睨んだまま、唇を器用に動かしてストローを咥え直すと、ぷっとそのストローを噴き出した。
 
 飛んだストローは、そのまま彼女の前のオレンジジュースのコップに刺さり、溶けかかった氷を揺らす。
 
 「文句あんの?」
 
 アスカの言葉に、トウジは困った表情で首を振った。
 
 「いや……せやけど、渚のこと、言い負かしたンやろ? それで勝負はついたんちゃうんか」
 
 「ま〜だ、まだ」
 
 ヒラヒラと、右掌を大仰に頭の上で左右に振ってみせる。
 
 「アイツには、貸しがあと1ダースはあるからね。むしろ、独房にいる今こそが、アイツの貴重な休憩時間。出てきたらアタシの、怒涛のビクトリーロードが始まるってワケよ」
 
 
 
 「……独房から出てこない方が、幸せちゃうか」
 
 トウジの呟きに、シンジは思わず同調せずにはいられなかった。



六百四



 暗闇。
 
 宙に浮いた13基のモノリスだけが、その場に存在する全てだ。
 
 
 
 「……まさかタブリスが生き残ることになろうとはな」
 
 
 
 低い、地を這う声。
 
 その言葉に、他の声が同調の意を示す。
 
 
 
 「死海文書とは異なる展開だ」
 
 「これをよしとするのは難しいぞ」
 
 「では、また別の策を労して、ともかくタブリスを亡き者とするか」
 
 「そんなことが可能か?」
 
 
 
 「……現時点では、難しいと言わざるを得ない」
 
 言葉は途切れ、数瞬の沈黙が、場を支配する。
 
 
 
 「……だが、このまま、ただ座しているわけにはいくまい」
 
 
 
 「左様」
 
 「全使徒の殲滅は、補完計画の発動に、必須の条件だ」
 
 「だが、簡単ではないぞ。曲がりなりにも、彼奴も使徒だ」
 
 「もとより、エヴァによる殲滅が、唯一に近い方法だった。しかし現状を見るに、今後エヴァによってタブリスが殲滅される可能性は低いだろう」
 
 「別の方法は? ともかく何者かにそれをさせることは可能か」
 
 「彼奴自身がそれを望むのでなければ、A.T.フィールドによって阻まれてしまう」
 
 「それに、ただ滅ぼせばよいという問題ではない」
 
 
 
 「そうだ……依代の精神崩壊の緒端とすることも、目的の一つだった筈。しかし、フォースチルドレンの殲滅、依代の友人による裏切行為などを働きかけて、いずれも失敗した」
 
 「そうだ。今回が、最後のチャンスだった」
 
 「だが、失敗した」
 
 「タブリスを殲滅するだけで補完計画の条件を満たしたと言えるのか」
 
 「……難しいところだな」
 
 「もとより、ロンギヌスの槍が有するデストルドー。その代わりとなる衝動を、依代が持たねば生命の後継者足り得ない」
 
 「シナリオの大幅な修正が必要だな」
 
 「タブリスが我らの手許から離れたことも問題だ。彼奴の考えていることが分からぬ」
 
 「鳴るべき鈴も、もはや錆びて音を発さぬ」
 
 
 
 「鈴は、ある」
 
 低い声。
 
 「前の鈴ほど、よい音では鳴らんがな」
 
 
 
 「鈴だけの問題ではないぞ」
 
 「我らの目的は、何か?」
 
 「補完計画の発動」
 
 「そして人類の永久の勝利だ」
 
 「そうだ。そのために用意された道は、もはや幾筋も無い」
 
 「……条件の幾つかは、再考の余地があるな」
 
 「そうだ。我らの目的を履き違えるな。工程は結果のためにあり、それが目的ではない」
 
 「書き換えもまたやむなし、か」
 
 「そうだ」
 
 
 
 「全ては、我らの……そして、人類の目指すべき崇高な未来のために」
 
 
 
六百五



 5日後。
 
 
 
 カヲルは独居房を出て、作戦室でミサト、リツコと向かい合っていた。
 
 他の者の姿は無い。
 
 
 
 「通達を読み上げます」
 
 ミサトは硬い声音でそう言うと、手許にあるA4程の大きさの紙を広げ、その上に視線を這わせた。
 
 数秒の間を置いて、口を開く。
 
 
 
 「フィフスチルドレン、渚カヲル。
 
 右の者、本日一二○○をもって禁固措置を解除し、チルドレンとして通常勤務に復帰のこと。
 
 また、同時刻をもってフィフスチルドレンはエヴァンゲリオン弐号機の正式パイロットとする。
 
 以上」
 
 
 
 カヲルは、僅かに右の眉を上げた。
 
 ミサトは口を真一文字に結んだまま、その用紙をくるりと回して、カヲルの前に差し出す。
 
 「何か、質問は?」
 
 言いながら、ただじっと、カヲルの顔を見つめる。
 
 
 
 カヲルはその用紙を片手で受け取ると、さっとその上の文章を読み直した。
 
 確かに、ミサトの言葉と一言一句、変わらない。
 
 「……ふぅん」
 
 鼻から息を抜くように呟くと、用紙を二つに折った。
 
 「質問は、色々あるけどね」
 
 更に用紙を縦に三つに折り、ズボンのポケットにしまいこむ。
 
 
 
 「僕が弐号機のパイロットってことは……惣流さんはどうなるのかな?」
 
 
 
 「彼女は予備パイロットとなります。レイや鈴原君と同じ。あなたやシンジ君が何らかの問題で搭乗できなかった時に、パイロットとしてエヴァに乗り込むことになるわ」
 
 硬い表情のまま、ミサトが答える。
 
 カヲルは僅かに口元を歪めて微笑んだ。
 
 「いや……そんなことは、僕も分かってるけどね」
 
 「不満?」
 
 「いや、僕は構わないよ、別に」
 
 カヲルは言いながら、軽く肩を竦めて見せた。
 
 「だけど……惣流さんは、不満じゃないかなぁ」
 
 「これは命令よ。決定事項なの。……不満は聞くけど、個人的な感情で覆ったりはしないわ」
 
 「……まぁ、僕は決定に従うまでさ。彼女のことは宜しく」
 
 
 
 ミサトの表情は、変わらない。
 
 その無表情さはつまり、彼女の中に様々な感情が渦巻いているからこそだ。
 
 渦巻く感情の、そのどれが表に滲み出ても、溢れる何かが一気に噴き出してしまいそうで、能面のようにその全てを抑え込んでいるのだ。
 
 
 
 その彼女の裡を見据えるように、数秒の間、カヲルはミサトの瞳を見つめる。
 
 それから、すいっと視線を横にずらして、今度はリツコの顔に視線を向けた。
 
 
 
 リツコは白衣のポケットに手を入れたまま、二人のやり取りを見ていた。
 
 カヲルの視線に、少しだけ眉が動く。だが、それだけだ。
 
 まるで、自分は当事者ではないかのような……ミサトとは別の……どうでもいい、といった風情の無表情さだ。
 
 
 
 「……いいのかな、しかし?」
 
 カヲルの軽い口調に、リツコは、こちらも軽く応える。
 
 「何が?」
 
 
 
 「……いや……聞きたいんだけど、あなたは僕を、何者だと認識してるのかな」
 
 「公式には、フィフスチルドレンね」
 
 「公式には、ね」
 
 カヲルが喉の奥で笑う。
 
 「ありがたい言葉だけど、つまり、非公式には違うってことだね」
 
 「そうね」
 
 「言葉にしにくいなら、僕から言おうか?」
 
 「いいえ、それには及ばないわ。あなたは使徒、それは事実よ」
 
 「安心したよ。それ、無かったことにされてたらどうしようかと思った」
 
 まるで世間話のように、飄々とした様子でカヲルが言う。
 
 「だけど……だったら、僕を無罪放免にして、弐号機パイロットになんかしちゃっていいのかな? 弐号機に乗り込んで、またサードインパクトを起こそうとするかも知れないよ」
 
 
 
 「……その質問に、答える必要はないわね」
 
 表情を変えぬまま、リツコが応える。
 
 「もっとも……あなたが、いま、この場でサードインパクトを再び起こすと宣言するって言うのなら、拘束も止む無しというところだけど」
 
 「僕の言葉を信じるの?」
 
 「まさか」
 
 言下に否定するリツコの言葉に、カヲルは肩を竦めた。
 
 
 
 「まぁ……僕には、どっちだっていいことだけどね。
 
 さっきも言ったけど、僕は決定に従うだけさ。ま、どう考えても、この決定でいろいろと問題が起こりそうな気はするけど、僕は関知しないから、フォローは宜しく」
 
 
 
 ……時計の針を、数時間前に戻す。
 
 
 
 冬月から、カヲルの禁固解除と弐号機正式パイロット着任の命令書を受け取った時に、ミサトは当然のことながら抗議の声を上げた。
 
 
 
 「そんな馬鹿な……だって、彼は、その……使徒ですよ!?」
 
 冬月が上司でなければ、胸倉に掴みかかっていただろう。それほどの剣幕であり、また、彼女の言い分はしごくもっともだ。
 
 だがともかく、相手が副司令であることと……この場がゲンドウの執務室であり、背後に部屋の主の姿があったことで、ミサトは何とか自分の体を抑え込んでいた。
 
 
 
 冬月はしかし、ミサトの剣幕など柳に風といった風情で、ただ短く言葉を発した。
 
 「これは、命令だ。従って貰わねばならん」
 
 冬月の言葉に、ミサトは胸を張る。
 
 「納得できません」
 
 「納得できるかどうか、という問題ではない」
 
 
 
 「そういう問題です……少なくとも今回の件に関しては。
 
 そうせざるを得ない事情が仮にあるとしても、あまりにも不自然です。
 
 彼は使徒です。人類の敵であり、いつまたサードインパクトを起こすとも知れない存在です。
 
 このまま何の措置もせず、エヴァのパイロットに着任となれば、誰もが不安を覚えるでしょう。命令だから従え、理由は無い、では済まされません。
 
 人類の滅亡に直結するかもしれない決定です……例えまやかしでも、ともかく納得できる理由が無ければ、私も、それに他の皆も、請けいれることは出来ませんよ」
 
 
 
 
 「……君達の納得など、別に必要ではないのだが」
 
 冬月は言いながら、小さく息をついた。
 
 「委員会からの、直接の命令だ。……これで、納得できるかね?」
 
 「委員会の……?」
 
 ミサトが、目を見開く。
 
 
 
 一瞬……言葉に詰まった。
 
 
 
 だが……冷静に考えれば、理由になっていない。
 
 ミサトは、拳を小さく握り締める。
 
 「……委員会からの命令だとしても……明らかに不自然なのは、変わりません」
 
 言いながら、ミサトは、じっと冬月の目を見つめる。
 
 「……当然、抗議されたか、もしくは説明を求められたのでしょう? 委員会からはなんと回答を得ましたか?」
 
 
 
 「別に、抗議も質問もしておらん」
 
 冬月の言葉は、ミサトももしかしたら、と思っていた答えだった。
 
 目の前の冬月ですら分からないような小さな溜息をつき、しかし、ミサトは言葉を続ける。
 
 「……何故です? 副司令も、疑問にお思いになったのではありませんか?」
 
 「高度に政治的な話だよ、これはな。……葛城君、君も軍人ならば分かるだろう」
 
 「………」
 
 「命令は絶対だ。納得できないからというのは、理由にならん。仮に他の者が納得しないというのならば、それを説得するのも君の役目だ……例え、君自身が納得していなかったとしてもな」
 
 「………」
 
 「……こんな話は、釈迦に説法というレベルだと思うがね」
 
 「………」
 
 「………」
 
 「……了解しました」
 
 
 
 ミサトは黙って敬礼すると、冬月から命令書を受け取る。
 
 唇をきつく結んだまま、きびすを返して執務室を出て行った。
 
 
 
 扉の閉まる音を聞いて、冬月は静かに溜息をつく。
 
 
 
 「……彼女の言うことは、もっともだ」
 
 呟いて、背後を振り返った。
 
 ゲンドウは、ただじっと手許を見つめている。
 
 
 
 「彼女はそれでも、まだ軍人としての自覚が高い方だからいい。だが、職員の一人一人になると、命令だからと自分を抑え込むことの出来ない者もいるだろうな……難しいところだ」
 
 渋い表情の冬月に、ゲンドウは特に表情を変えることなく、応える。
 
 「末端の職員にまで配慮は出来ん……軍人の自覚と、発言の影響力は比例する。要職の者が納得すればいい」
 
 「まぁ、そうだな……ある程度の妥協はやむを得ない」
 
 「ああ」
 
 「……しかし、老人たちも、やってくれたな」
 
 深く溜息をつく。
 
 
 
 「どういう意図があるのか……単に、火種を放り込もうということが目的ではあるまい。
 
 かと言って……今の時期に、そう幾度も委員会からの勅令をないがしろにするわけにもいかんしな……」
 
 「死海文書には、渚カヲル以降の使徒の存在はない」
 
 ゲンドウの言葉に、冬月は頷き、言葉を続ける。
 
 「……だから、なんとかまだ、この提案も受け入れられるのだ。
 
 少なくとも、使徒戦で弐号機が出撃することは、もう無い。
 
 弐号機の正式パイロットといっても、形式的なもの。訓練上の便宜的な席の挿げ替えに過ぎん」
 
 
 
 ……それは、委員会だって、承知しているはずだ。
 
 だからこそ、不気味だ。
 
 この挿げ替えに、どんな意図が隠されているのか。
 
 
 
 「最終的に、奴等がことを起こそうというときには、命令などに従う義理は無い。
 
 実際の、最終的な局面にあっては、渚カヲルに出撃させるような愚を犯す気は無い……今まで通り、アスカ君に弐号機に乗ってもらえば済む話だ。
 
 いわば、お互いに、表面上の話……だが、その水面下で何が行われているかな」
 
 
 
 考えても仕方が無いことではある。
 
 だが、このまま放置しておいて良いのか?
 
 
 
 「判断が難しいな」
 
 冬月の言葉に、ゲンドウは応えない。