第百十六話 「調査」
五百七十一



 モニタに、アスカ、シンジ、カヲルの三人の顔が映っている。
 
 全員瞼を閉じて、瞑想しているような表情。
 
 そうして三人が映るコンソールモニタの向こう側には、大きなガラスの奥に広がる冷却水のたたえられた空間と、そこに斜めに沈む三本のプラグ。
 
 
 
 「フィフス、あと20下げて」
 
 リツコの言葉に合わせて、マヤの指がキーボードを叩く。
 
 モニタの中で、カヲルの位置がぐぐっと下がる。
 
 その表情は穏やかなまま、特に変化は無い。
 
 
 
 「シンクロ率、100.0%のまま、変わりません」
 
 緊張を孕んだ声音で、マヤが小さく呟くように言う。
 
 「……計器の故障を疑った方がいいのかも知れません」
 
 「そう思いたいところだけど、可能性は低いわね。MAGIは特に異常を検知していないみたいだし」
 
 マヤの後ろに立ったリツコが、静かに言う。
 
 
 
 「セカンド、ストレス値が30上昇。第3Rに入ります」
 
 マコトが手許のモニタを見ながら報告する。
 
 「あと10、下げられる?」
 
 「5……が限界です。テストリミットを越えます」
 
 「了解、セカンドは現状を維持。サードはあと20下げて」
 
 「サード20下げます。シンクロ率102%、変化無し」
 
 「サード、フィフス、両方ともあと10下げて」
 
 「10下げます。共に変化無し」
 
 
 
 「……こんなこと、有り得ません」
 
 マヤが、呟くように、言う。
 
 険しい表情。
 
 「コアの書き換え無しに、弐号機とシンクロするなんて……」
 
 「……そうね」
 
 リツコも、静かに呟く。
 
 モニタ上では、穏やかな表情のままの、カヲル。
 
 
 
 他人のパーソナルデータを元にしたコアとの相互シンクロ自体は、決して不可能ではない。
 
 だが、現在のプラグ深度は、例え自分のパーソナルパターンに基づいていたとしても、ストレスを覚えるほどのものだ(事実、アスカは既についていくことが出来ていない)。
 
 その状態で、穏やかなストレス値と、100.0%ピッタリという冗談のようなシンクロ率。
 
 有り得ない、と、マヤが言うのも分かる。
 
 
 
 「……でも、事実よ」
 
 後ろに立っていたミサトが、腕組みをしたまま、押し殺したような声でそう呟く。
 
 「事実は、受け入れた上で……何故、こんなことが可能なのか。その原因を調べるしか、ないわ」
 
 
 
 マヤは、眉間に皺を寄せて、モニタ上を蠢く数値を見つめ続ける。
 
 
 
 原因、
 
 と、言われても……。



五百七十二



 「彼女と、シンクロしたそうだぞ」
 
 
 
 冬月の声が、執務室に響く。
 
 
 
 ゲンドウは、空中に浮かび上がるホログラムを見ている。
 
 ホログラムに映っているのは、先程までのシンクロテストの様子だ。
 
 
 
 「シンクロ、自体は難しいことではないが……その数値が異常だな」
 
 冬月はそう言ってA4サイズの紙を一枚、ゲンドウのデスクに置く。
 
 サングラスの向こう側で、ゲンドウはその用紙を見たようだ。だが、手に取りはしない。
 
 「どう思う?」
 
 「……さあな」
 
 「さあな、では済まんぞ」
 
 「老人達の送り込んだ子供だ。どのみち普通では無い」
 
 「まぁ、確かにな……経歴抹消済み、マルドゥック機関を通さずに送り込んで、理論上有り得ないシンクロ率を叩き出し、それを隠蔽する気配も無い。あからさまに怪しいが、そう我々が思うのも織り込み済みだろう」
 
 
 
 怪しめ、と言わんばかりの状況。
 
 恐らく赤木リツコや葛城ミサトも、同じように怪しんでいることだろう。
 
 この少年が送り込まれてきた、その目的は分からない。だが、例えばNERVがこの少年に何らかの嫌疑をかけて、拘束してしまえばその目的は果たせなくなるのではないか。
 
 それくらい、委員会だって予想できるだろう。拘束されても目的遂行に影響が無い、ということか、それともNERVに少年の拘束など出来ないと踏んでいるのか。
 
 あるいは、少年を軽々しく拘束するような真似をすると、それをきっかけにNERVが不利な状況に追い込まれるような計算が既に働いているのかもしれない。
 
 
 
 「もう少し、様子を見るしか無いだろうな」
 
 溜息と共に、冬月は言う。
 
 現実問題として、まだテストを一回行ったに過ぎない。
 
 少年を初めから敵と想定して行動するにしても、彼自身に関する情報が少なすぎるのも事実だ。
 
 彼の目的、あるいは委員会の目的。それを理解するためにも、今すぐ少年に対してどうこうするのは余り意味が無い。
 
 
 
 いずれにしても、少年を監視し、同時にその目的について調査しなければいけない。
 
 放っておくわけにはいかないだろう。



五百七十三



 テストを終えて、私服に着替えたアスカとシンジは、ブリーフィングのために管制室に集まっていた。
 
 モニタを見ると、これからトウジとレイのテストが始まるようで、二人の顔が見える。
 
 ……その横に、カヲルの顔も映っている。
 
 
 
 アスカが、訝しそうな表情で、遠くに見えるカヲルの顔を見つめている。
 
 「……なんで、アイツ、まだテストやってんの?」
 
 「え?」
 
 アスカの呟きに、シンジが彼女の顔を見る。
 
 アスカは目を細めるようにして、モニタに映るカヲルの顔を見続ける。
 
 「あたしらと一緒にテストしてたんじゃないの?」
 
 「あ……そう、だね……なんでだろう」
 
 
 
 「まだ来たばかりでデータが少ないからね」
 
 掛けられた言葉に顔を上げると、目の前にミサトが立っていた。
 
 「あなたたちより、回数を多くテストをしなければいけない時期よ。分かるでしょ?」
 
 「ふ〜ん……ま……いいけどさ」
 
 ミサトの言葉に、とりあえずアスカは頷く。
 
 確かに、データの蓄積は必要だろう。
 
 
 
 「それより、結果は?」
 
 アスカが右手を差し上げて、ミサトに問う。
 
 「ああ……はい」
 
 ミサトは頷くと、その手に一枚の紙を渡す。
 
 同じものをシンジの方にも差し出し、シンジも受け取った。
 
 
 
 その紙には、シンクロテストの結果が印刷されている。
 
 時間、及びプラグ深度に対して、シンクロ率の変化が折れ線グラフで表されたもので、シンクロテストの後にはいつも配られるものだ。
 
 シンジの値は、微上下はあるものの、基本的には100%を少し上回ったあたりに推移している。
 
 その、大体すぐ下辺り……95%を越えたあたりで、アスカの折れ線が、やはりほぼ安定して印刷されている。
 
 
 
 カヲルの折れ線は、無い。
 
 
 
 シンジが眉をひそめるよりも早く、アスカの不満そうな声が耳に届いた。
 
 「……何で、アイツの結果が載ってないのよ?」
 
 アイツ、といえば、当然カヲルのことだろう。
 
 一緒にテストを行ったのだから、載っているはず。疑問に思うのは当然だ。
 
 「他の人の結果なんて、別にどうでもいいでしょう?」
 
 こともなげに言うミサトの言葉に、アスカは眉根を寄せた。
 
 「なによ、いっつも全員の結果を載せてんじゃない。だって、ほら……シンジの結果は載ってんのに」
 
 「ちょっと、データの整理が間に合わなかっただけよ。最初のテストだしね」
 
 「なにそれ……鈴原の時は平気だったクセに」
 
 「まぁ、その時々でね、いろいろ。……それより、ホラ、テストが終わったんなら、二人で食事でもしてきたら?」
 
 「……はぁ?」
 
 
 
 突然のミサトの言葉に、呆気に取られるアスカとシンジ。
 
 「……なに言ってんの? ミサト」
 
 「なにって、別に? ただ、食事でもしてきたら、って言っただけだけど」
 
 「え、ブリーフィング……もう、終わりですか?」
 
 シンジも口を挟む。
 
 ミサトはシンジに向かって、軽く肩を竦めてみせた。
 
 「終わりよ。別に、二人ともシンクロテストの結果は別に問題なし。これからもこの調子でよろしくね、ってところかしら」
 
 「はぁ……」
 
 「アタシたちは、まだこのあともレイたちのテストがあるし、別に問題が無いブリーフィングを長々やってもしょうがないでしょ。さ、二人とも、あとは自由時間だから、食事でもして来たらって言ったのよ。ほらほら」
 
 半ば追い立てるようにして、ミサトが二人の背中を押す。
 
 「え、ちょ……」
 
 「ほらほら」
 
 そのままミサトに押されて、二人は廊下に放り出された。
 
 プシュッ、と音を立てて、自動ドアが閉まる。
 
 
 
 ミサトは暫く、その閉じたドアを見つめる。
 
 二人が戻ってこないのを確認すると、静かに溜息をついて、頭をガリガリと掻いた。
 
 きびすを返して、コンソールに戻ってくる。
 
 マヤの肩越しにモニタを覗き込むと、ちょうど、三人のシンクロテストが始まったところだった。
 
 
 
 目を閉じる、レイ、トウジ、カヲルの顔。
 
 その上にそれぞれのシンクロ率が表示されている。
 
 ファーストチルドレン、92%。
 
 フォースチルドレン、12%。
 
 フィフスチルドレン、100%。
 
 
 
 「確かに、このシンクロ率……アスカに見せるわけには、いかないわね」
 
 横に立ってガラスの向こう側に沈む三本のプラグを見つめながら、リツコが静かに呟く。
 
 「……まぐれじゃ、ないのね」
 
 ミサトも、ゆっくりとその声に応える。
 
 
 
 一度接続を切って、仕切り直しての再テスト。
 
 それでもまた、簡単に100%という結果を出す。
 
 機器の故障で無いのならば、それは彼の平均的な実力であると認めないわけにはいかない。
 
 
 
 「アスカと同じ機体で、アスカ以上のシンクロ率を、いつでも叩き出せる……彼女の存在意義に関わるわね」
 
 リツコの言葉に、ミサトは頷きつつも眉根を寄せた。
 
 「でも……適性は、シンクロ率だけで決まるわけじゃ、無いわ」
 
 「それ、アスカ本人にも言える?」
 
 リツコが、僅かに口元を歪めて、ミサトに問い掛ける。
 
 ミサトは黙ったまま応えない。
 
 数秒の沈黙を隔てて、リツコは再び、視線を前方に向けた。
 
 口を開く。
 
 「……適性を調べるのは簡単よ。渚君に、弐号機に実際に乗って、出撃して貰えばいい。……それで、実際に操縦も上手かったら、それこそ言い訳できないわよ」
 
 「………」
 
 「私たちの立場は、いかに効率的にエヴァンゲリオンを使い、使徒を殲滅するか。その為の経緯も手段も、選んでいる余裕は無いのよ」
 
 「わかってる……」
 
 ミサトが、苦々しい表情を目の端に浮かべて、呟くように言う。
 
 「わかってるけど……」
 
 「感情に負けて、人類を滅亡させてしまう気?」
 
 リツコが、静かに……
 
 ……しかし、重く。
 
 呟く。
 
 
 
 下がる、室温。
 
 一気に、空気が重く、粘度を持って各々の四肢に絡みつく。
 
 
 
 リツコは、腕組みをして前を見つめたまま、顎を引き締める。
 
 「私たちの役目は……子供たちを守ることじゃない。
 
 人類を、滅亡への道から救うことよ」
 
 
 
 分かっている。
 
 分かっている。
 
 
 
 ミサトは、口を噤んで、ただ、モニタに映る三人の顔を見つめていた。



五百七十四



 食堂で、アスカとシンジは向かい合わせに腰を下ろしていた。
 
 シンジはアイスティー、アスカはオレンジジュースを飲んでいる。
 
 見回す限り、他の人影は無い。食事時では無いので、これは普通のことだろう。
 
 
 
 「なんだったのかしらね、ミサトのやつ」
 
 ずずっ、と音を立ててストローからジュースを啜ると、アスカはそのままストローを口の端に加えてコップから抜き、くるくると回してみせた。
 
 ストローを回しながら器用に喋るなぁ、とシンジは思いながら、自分もアイスティーを飲む。
 
 「追い出されたみたいよね、なんか。何だったんだろ?」
 
 「さぁ……」
 
 曖昧に笑うシンジ。
 
 アスカは咥えていたストローをコップに戻すと、頬杖を付いて口を離した。
 
 「それに、なんでアイツのシンクロ率、教えてくんなかったのかしら」
 
 「……さっき、ミサトさんが説明してたじゃないか。最初だからデータの整理が間に合わなかったって」
 
 「それ、信用してるの? データの整理も何も、シンクロ率は逐一リアルタイムで計測されてるんだから、それを印刷するだけでしょ。整理もクソも無いじゃない」
 
 「……そんなの、分からないよ。実際にどういう風にデータを扱ってるのか知らないんだから。アスカだってそうだろ?」
 
 「そりゃ、そうだけどさ……なぁんか、納得いかないのよね〜」
 
 
 
 シンジには、およそ予想が付いている。
 
 カヲルのシンクロ率を、アスカに見せなかったのは、彼のシンクロ率が彼女のそれを上回ってしまったからだろう。
 
 いつまでも隠しておくわけにもいかないだろうが、おそらくは、ミサトたち自身が、この結果に戸惑いを覚えているのだ。
 
 アスカに結果を教えるにしても、ではパイロットを交代するのか? それとも、あくまでも弐号機のパイロットはアスカということにするか? それとも、まずは一回出撃させて、操縦などを含むもっと総合的な適性を見てからとするべきか。
 
 即断することが出来ずに、言ってしまえば「時間稼ぎ」をした、ということに違いなかった。
 
 
 
 自分がミサトたちの立場だったらどうするか、それはシンジにも分からなかった。
 
 人情を思えば、アスカのままやらせるべきだろう、少なくとも、彼女自身に問題があるわけでは無い。
 
 だが、事実として、彼女よりも優れたパイロットが現れたのだ。
 
 人類滅亡の危機から救うために、その確率が1%だって高い選択肢があるならば、そちらを選ぶべきだというのも、また彼女たちの立場であるはずだ。
 
 (最終的には、父さんたちが決めるのかもしれないけど)
 
 しかし、ではゲンドウだったらどうするか、と問われても、それこそ予想が付かない。
 
 あの男が何を考えているのか、それはシンジにも全く理解できない。
 
 
 
 「……アイツ、気持ち悪いのよね」
 
 アスカの言葉に、シンジは我に返った。
 
 顔を上げると、アスカは腕組みをして、半分に減ったジュースの上に浮かぶ氷を睨みつけている。
 
 「え?」
 
 シンジの間抜けな声に、アスカも視線を上げた。
 
 シンジの視線とぶつかる。
 
 数瞬を経て、アスカが半目で右手をひらひらと振って見せた。
 
 「あぁ……ちがーわよ。そ〜ゆ〜意味じゃなくて……なんて言うの? その……」
 
 言いながら、言葉を探すように目を瞑る。
 
 
 
 シンジは、そんなアスカを、ただ見る。
 
 
 
 数秒ののち、アスカは瞼を開く。
 
 「……人間じゃない……みたい……って言えばいいのかな」
 
 
 
 「………」
 
 シンジは、応えない。
 
 口を噤んだまま、ただアスカの顔を見つめる。
 
 アスカは、続けて言葉を紡ぐ。
 
 「なに考えてンのか、よく分かんないのよね。あーいうタイプ、苦手だわ」
 
 「……アスカ、まだ、殆どカヲル君と会話してないじゃないか。その……喧嘩みたいなのだけでさ」
 
 ゆっくりと、シンジが言う。
 
 アスカは肩を竦めて、首を横に振った。
 
 「会話しなくたって、そ〜ゆ〜のは分かンのよ」
 
 「………」
 
 「シンジは、平気なの?」
 
 「えっ?」
 
 「………」
 
 「……平気って?」
 
 「アイツと……仲良くなれるカンジ?」
 
 
 
 アスカの言葉に、シンジは一瞬、反応できなかった。
 
 カヲルと友達だった、という自分の心は信じていたし、今回もまた彼と仲良くなりたいと願っている。
 
 だが、そういう思いとは別に、カヲルとうまく会話を交わせないでいるのは事実だ。
 
 
 
 「……まだ、分からないよ」
 
 ……だからシンジは、断定を避けて曖昧な表現で応えた。
 
 いずれにしても、「仲良くなれる」と即答するには、客観的に見てまだ接触が足りなさ過ぎることは、シンジも分かっていた。
 
 「もっと、話をしてみないと……何とも言えない」
 
 シンジの言葉に、アスカは少しだけ不満そうに、唇を尖らせた。
 
 「そりゃ、そうでしょうよ。そういうことじゃなくって……例えば、ほら、第一印象はどうよ?」
 
 「……第一印象?」
 
 「そ」
 
 「……別に……良くも悪くもないよ、今は、まだ」
 
 「本気? どうみても、ムカつくやつだと思うけどな」
 
 「……そう、感じるほどじゃなかったよ、僕は」
 
 「ま、いいけどさ……レイや鈴原はどうかしらね」
 
 「う〜ん……」
 
 
 
 レイも、トウジも、カヲルのことは好きになれない、とはっきり口にしていた。
 
 実際、それが正常な感想だろう。
 
 ……と、いうことは、同じ程度の印象しか持ちうる筈の無いシンジも、同じく「好きになれない」という感想を抱かなくては不自然だろうか?
 
 
 
 シンジには、カヲルを嫌うことは出来ない。
 
 せめて、他の皆も、好きになれと言わないまでも、今のような苦手な印象を払拭してくれればいいのだが……。
 
 
 
 「……そうだ」
 
 シンジが、ふと気付いたように顔を上げた。
 
 アスカが怪訝そうな表情でシンジを見る。
 
 「なに?」
 
 「じゃあ、5人で買い物にでも行かない?」
 
 「……はぁ?」
 
 「いや、だって、ホラ……やっぱり仲良くした方がいいと思うしね。一緒に遊びに行けば、少しは打ち解けるんじゃない?」
 
 シンジの言葉に、アスカは露骨に嫌そうな表情を浮かべる。
 
 「……嫌よ、そんなの」
 
 「いいじゃないか、別に。二人きりで出かけろって言ってるわけじゃないんだしさ」
 
 「……気乗りしない」
 
 「そんなこと言わないでさ……それこそ、好きになれって言ってるわけじゃないんだよ。嫌いなら嫌いでもいいけど、それでも一緒に遊べば、案外、簡単に印象も変わるかもしれないし」
 
 「………」
 
 「案外、ちょっとしたきっかけで見る目が変わるかもしれないよ。ほとんど会話してないのは事実なんだし、それで嫌いと決め付けるのは早いって気もするしね」
 
 
 
 畳み掛けるシンジの言葉に、嫌そうな表情を隠そうともしないまま、アスカは大きく溜息をついて見せた。
 
 がしがし、と髪の毛を掻き上げる。
 
 不機嫌な顔のまま、シンジを見て口を開く。
 
 「ったく……」
 
 「………」
 
 「……分かったわよ、一緒に出かけるくらいなら、別に……」
 
 「あ、ありがとう、アスカ」
 
 「その代わり」
 
 びし、と、指先をシンジの鼻の前に突きつけた。
 
 思わず首を後ろに下げるシンジ。
 
 「な……なに?」
 
 「アンタが、アイツを誘いなさいよ」
 
 
 
 「あ……あ、あぁ、分かってるよ」
 
 それはそれで緊張する。「そんな必要は無いよ」と、それこそ昔のレイのように、カヲルにあっさり断られてしまう可能性もある。
 
 だが、まぁ、ともかく、カヲルを誘ってみることにしよう、と、シンジは心の中で拳を握り締めた。



五百七十五



 シャワーから迸るぬるいお湯が、レイの白い肌を伝って流れていく。
 
 レイの体に付着したL.C.L.を拭い去り、それはやがて排水溝の向こう側に消える。
 
 ただその暖かい雨を頭に受けながら、レイはじっと壁のタイルを見つめていた。
 
 
 
 渚カヲル。
 
 彼を、シンジは、友達だと言った。
 
 大事な、友達だ……と。
 
 
 
 だが、あのアスカへの物言いは、納得がいかない。
 
 シンジの友達であるならば、自分も友達になりたいと思う気持ちは、ゼロではない。
 
 だが、アスカに対する態度を見ていると、とても好きにはなれそうもなかった。
 
 
 
 何より。
 
 
 
 彼の、オーラが、
 
 自分に近い、と、
 
 感じる。
 
 
 
 それが、好きになれない。
 
 
 
 ……少なくとも、彼は、人形のようではない。
 
 ある側面を見れば、むしろふてぶてしいほどに人間くさい。
 
 にも関わらず……人形だった頃の自分に、重なるのだ。
 
 
 
 ……これは、彼が使徒で、自分もまた使徒の一部を持っているからだろうか?
 
 シンジの隣で、いかに人間であろうとしていても、やはり自分は使徒に過ぎない……と、いうことだろうか……。
 
 
 
 蛇口をひねって、シャワーを止める。
 
 軽く髪の毛を拭って、滴るお湯を払い落とす。
 
 小さく溜息をついて、レイはシャワールームの扉を開けた。
 
 
 
 更衣室を出たレイは、管制室でブリーフィングを受けた。
 
 トウジ、カヲルとの3人でのブリーフィングは、当然と言えば当然だが、全く私語が無い。
 
 手渡されたシンクロ率のグラフには、カヲルの分がなかった。カヲル自身がその件について質問したが、初回のテストなので集計に時間がかかっていると言う。
 
 若干首を傾げる点もあったが、口を挟む気はなかった。正直、カヲルのシンクロ率など、今のレイには余り興味は無い。
 
 
 
 管制室を出て、3人は、なんとなく一緒に廊下を歩く。
 
 
 
 管制室の出口は一緒。
 
 行き先も、同じ居室階。
 
 であれば道行が同じなのは当たり前なのだが、相変わらず全く会話が無い。
 
 レイは、前を向いたまま、沈黙を特に意に介していないようだ。
 
 カヲルは、僅かに微笑んだまま、ポケットに手を突っ込んで、同じように前を向いて歩く。
 
 トウジは、明らかに硬い表情だ。こういう居心地の悪い空気は、特に彼の苦手とするところだった。
 
 
 
 暫く歩くと、廊下に併設された休憩所が目に入った。
 
 その入り口(観葉植物の鉢植えで仕切られているだけだが)に、シンジが立っているのが見える。
 
 
 
 「碇君」
 
 レイは呟くと、シンジに向かって小走りに歩みを速めた。
 
 シンジは軽く右手を挙げる。
 
 駆け寄ったレイがその肩越しに休憩所を覗くと、壁際のベンチに座ったアスカが、組んだ足をぶらぶらとさせている姿が見えた。
 
 
 
 「やぁ、シンジ君」
 
 やがて休憩所に辿り着いたカヲルが、屈託の無い笑顔でシンジに声を掛ける。
 
 「ああ……カヲル君。あの……まぁ、入って」
 
 シンジはそう言うと、軽く体を引いて入り口を空ける。
 
 カヲルは首を振った。
 
 「いや、自分の部屋に戻るよ。2回連続でテストをして、少し疲れた」
 
 疲れなど、無いだろう。どちらかと言うと、わざわざ意味なく、皆と休憩所でお喋りをすることに興味が無いのかもしれない。
 
 シンジもそれに気付いたが、敢えて言葉を被せた。
 
 「いや……その、カヲル君。ちょっと話があるんだ」
 
 「話?」
 
 「うん……その、ま、入って」
 
 「……まぁ、それなら」
 
 僅かに首を傾げてから、カヲルは休憩所に足を踏み入れた。
 
 
 
 続けてトウジも休憩所に入り、チルドレンが5人、全員居合わせる形となった。
 
 なんとなく壁際に立っているトウジを除き、めいめいがそれぞれ、適当なベンチに腰を下ろしている。
 
 
 
 「……カヲル君の歓迎会を兼ねて、みんなで買い物にでも行かないかって、アスカと話してたんだよ」
 
 シンジは、今来た3人に向けて言う。
 
 アスカは、目を瞑ったまま、特に反応しない。
 
 カヲルが、少しだけ眉を上げてシンジを見る。
 
 「今から?」
 
 「えっ? あ……あぁ、い、いや、今からは幾らなんでも遅いよね。明日とか、どうかな……と思ってるんだけど。ちょうど土曜日で学校も無いし」
 
 言いながら、レイに視線を向ける。
 
 レイはその瞳を見て、一瞬の逡巡のあと……小さく口を開く。
 
 「……私は……碇君が決めたのなら、いい」
 
 「もちろん、ワシも大歓迎やで。そうや、せっかく仲間になったんやし、そゆことした方が早く打ち解けるやろ。どうせなら仲良う、やりたいしな」
 
 トウジが笑って言う。
 
 まさにシンジの言いたいことを、単純に語ってくれたような感じだ。シンジは頷く。
 
 
 
 カヲルは面々の顔を見回して、口を開く。
 
 「それって、必要なこと?」
 
 
 
 「え?」
 
 シンジは、カヲルを見る。
 
 トウジも、びっくりした表情でカヲルの顔を見ている。
 
 レイは、無表情。
 
 アスカは、腕組みをして目を瞑ったままだ。
 
 
 
 カヲルは不思議そうな表情で、首を傾げた。
 
 「打ち解けるって言っても……別に、今の状態で、僕は充分だけどね」
 
 「いや……で、でも、もっと仲良くなれれば、その方がいいでしょ」
 
 シンジが、若干慌てたような感じで、カヲルの言葉に応える。
 
 カヲルは、なおも首を傾げた。
 
 「そう?」
 
 「そ……そう……そう、だよ、どっちかと言われれば、そうでしょ?」
 
 「そうかな……あまり、必要性は感じないけど」
 
 カヲルはそう言うと、シンジに微笑んでみせた。
 
 「まぁ……でも、別に断る理由も無いし、僕は構わないよ」
 
 「あ……あ、あぁ……うん……ありがとう」
 
 あっさりと前言を翻したカヲルに、シンジは、慌てたように頷いた。
 
 
 
 視線を横にやると、カヲルの肩越しに、壁に寄りかかって目を瞑ったままのアスカが見える。
 
 腕組みをして、最初から変わらず無表情に見えるアスカは、しかし、こめかみに血管が浮き出ているようにも見えて、シンジは内心、首を竦めた。
 
 レイは無表情。
 
 トウジはあからさまに、眉間に皺を寄せていた。彼の性格からすれば、カヲルの言葉は納得がいかないだろう。
 
 カヲルは立ち上がると、腰に手を当てて、軽く背筋を伸ばす。
 
 「話は、終わった?」
 
 「え? あ、う、うん」
 
 シンジが頷くと、カヲルは両手をポケットに突っ込んで、微笑む。
 
 「じゃあ、明日の時間とか場所とかは、メールをして貰えるかな?」
 
 「あ……うん……わかった」
 
 「それじゃあ、また明日、みんな」
 
 そう言ってカヲルは微笑むと、そのままつかつかと休憩所から出て行ってしまった。
 
 
 
 呆然。
 
 残された4人は、その後姿を見つめながら、誰も、何も言うことが出来なかった。



五百七十六



 道端に停車した、白いセダン。
 
 助手席に座ったミサトは、半分開けた窓から、その向こうにそびえるピラミッド型の建造物を、ただじっと見つめている。
 
 運転席でごそごそと荷物を漁っていたマコトが、やがて数枚のプリントとメモリカードを取り出して、ミサトに手渡す。
 
 
 
 「マルドゥック機関のデータベースにまで入り込みましたよ」
 
 マコトの言葉に、一枚目のプリントを見ていたミサトは顔をしかめた。
 
 「危ないことするわね……大丈夫?」
 
 「そんなに深くまでは入っていません。それこそ、赤木博士くらいじゃないと、深いロックは抜けられませんし……まぁ、このくらいまでなら、MAGIを経由している時点でこちらの素性はばれずに済むはずです」
 
 「……でも、彼、マルドゥック機関から選ばれたわけじゃないって聞いたわよ?」
 
 「データ上は、関与の事実が全く無いわけではありません。それこそ、完全にマルドゥック機関と別系統では、それはそれで体裁も悪いでしょう、周知の事実とは言え……もっとも、全ての経歴は抹消済み。余り意味はありませんでしたけどね」
 
 「そのようね」
 
 プリントをめくりながら、ミサトは呟く。
 
 
 
 「……生年月日は、セカンドインパクトと同じ日か……」
 
 「怪しんでくれ、と言っているようなものです。他の経歴が抹消されているのに、生年月日だけ残す意味がありませんし、詐称するならもっと当たり障りの無い日付でいいはずです」
 
 「誰かが覗きに来るのは、もう織り込み済みってこと、か」
 
 「シンクロテストの結果を見るだけでも、彼が普通のチルドレン候補生じゃなかったことは間違いがありません。あんなの、有り得ないですよ」
 
 「MAGIは、テストの結果について、なんて?」
 
 「判断を保留しています。あの結果の数値だけを見て、どうこう言うには情報が少なすぎますね。……まぁ、現在の情報だけでの推論は、一番確率が高いものはやはり、計器の故障のセンですね。もっとも、それですら僅か5%程度の確率ですが」
 
 「……どっちにしても、何も無いわけがないわ。むしろ、計器の故障なんていう結果だったら、逆に信じられない気分よ」
 
 「……そうですね」
 
 ミサトの言葉に、マコトも頷く。
 
 
 
 そうしてミサトがプリントを眺めていると、マコトはもう一枚、別のプリントを取り出した。
 
 それをミサトに差し出す。
 
 その様子を見て、ミサトが怪訝な表情を見せる。
 
 「なに?」
 
 「……彼のことを調査していて、ちょっと気になる情報を見つけました。彼のこととは、関係の無い情報です」
 
 マコトの言葉に、ミサトは不思議そうな表情を浮かべながら、そのプリントを受け取る。
 
 先程の、カヲルに関する調査票に重ねて持つと、その紙面に視線を落とす。
 
 
 
 視線が、文章を追って左右に動く。
 
 その様子を、マコトはじっと見つめている。
 
 
 
 ……一分ほどの時間を空けて、ミサトの口が開く。
 
 「……これって」
 
 マコトが頷いた。
 
 ミサトは、視線をプリントに落としたまま、もう一度最初から読み返す。
 
 
 
 「……この間……急にいなくなったのって……これ?」
 
 「そうでしょうね、タイミングを見る限り……」
 
 「……なんで」
 
 「少なくとも、正規なルートで赤木博士を招聘したわけでは無いですね」
 
 「拉致ってこと?」
 
 「それは分かりません。まぁ、戻ってきている赤木博士が何も言わないのですから……考えても、仕方がないのかも知れませんが」
 
 「……そうね……でも……そう、委員会が……」
 
 「……対立構造が、よりはっきりしてきたってことですかね」
 
 マコトの言葉に、ミサトは顔を上げて、その顔を見る。
 
 「その延長線上に、フィフスがいるってこと?」
 
 「スパイ、という可能性は、もちろん捨て切れないと思います。個人的な意見ですが」
 
 「そうね……まぁ、委員会が送り込んできたのは周知の事実なんだし、それでスパイじゃぁストレートすぎる気がするけど」
 
 「………」
 
 
 
 ミサトは、受け取った2種類のプリントとメモリカードを足許の薄い鞄にしまうと、背筋を伸ばして、背凭れに体重を預けた。
 
 「……戻りましょうか」
 
 「はい」
 
 マコトは頷いて、ギアをドライブに入れる。
 
 するすると車は走り出し、そのまま加速して森の中へ入っていく。
 
 
 
 窓の外側で、道の両側に茂る木々が、ざわめきながら後方に流れていく。
 
 その、緑色の向こう側に、ちらちらと見える、ピラミッド。
 
 そこに、変わらず今もいるはずの子供たちを思い浮かべる。
 
 
 
 「分かってると思うけど……この件に関しては、他言無用。いいわね」
 
 「はい」
 
 
 
 マコトはゆっくりとアクセルを踏み込み、加速していく白いセダンは、やがて木々の向こう側に染み込んで消えた。