第百八話 「軋轢
五百二十六



 『総員、第一種戦闘配置。対空迎撃戦用意』
 
 館内に鳴り響くアナウンスの声と同時に、子供たちの携帯電話の液晶画面に、メッセージが踊る。
 
 『4thを除くチルドレンは総員、準備の上、ケイジにて待機すること』
 
 
 
 ベッドに寝転がって携帯電話を見ていたアスカは、「よし」と呟くと、ばっと起き上がる。
 
 扉を開いて廊下に出ると、ケイジに向かって一気に走り出した。
 
 ……が、しかしその僅か数秒後、手に握られた携帯電話が、再び電子音を鳴り響かせた。
 
 見ると、今度は別のメッセージが液晶に浮かぶ。
 
 『全員、管制塔に集合して下さい。シンジ』
 
 
 
 「……はぁ?」
 
 アスカは、画面を見つめながら、思わずそんな言葉を呟いていた。
 
 
 
 シンジが管制塔に着くと、まだ、他の三人は現れていなかった。
 
 シンジは松葉杖だが、偶然、居た場所が他の三人より管制塔に近かったようだ。
 
 部屋に入ってきたシンジの姿を見て、振り返ったミサトは怪訝な表情を浮かべる。
 
 「……なにやってんの、シンちゃん? ケイジに行けって伝えてあるでしょ?」
 
 ミサトの疑問に、シンジは頭を掻く。
 
 「いえ、その……」
 
 「……使徒を映像で確認! 最大望遠です!」
 
 ミサトの言葉にシンジが答えるよりも早く、シゲルの声が響き渡った。
 
 
 
 その言葉と同時に、メインモニタに大写しで、使徒の映像が浮かび上がった。
 
 
 
 宇宙空間を背景に、光り輝く、骨のような翼。
 
 使徒の輪郭は掴めるものの、その詳細はよく分からない。
 
 対象物が無く、大きさも咄嗟には把握できそうも無かった。
 
 
 
 両翼を広げた輝く姿を……リツコは、両手をポケットに突っ込んだまま、見つめる。
 
 「さしずめ……天使、ってところかしら」
 
 「悪魔の間違いじゃない?」
 
 ミサトも視線を画面から動かさずに、そう応える。
 
 「衛星軌道から、動きません」
 
 マコトの言葉に、モニタを見上げていたミサトは、考え込むように親指の爪を噛んだ。
 
 「……厄介なところに現れたわね」
 
 「ここから、一定距離を保っています」
 
 「てことは、これから降りてくるってことなのか……それとも、あそこから攻撃が可能ってことかしらね」
 
 「こりゃ、迂闊には動けませんね」
 
 ミサトの言葉に頷くように、シゲルが応える。
 
 
 
 「……とりあえず、ポジトロンスナイパーライフルで超長距離射撃ってところかしら」
 
 ミサトはそう呟くと、くるり、と、再びシンジのほうに向き直った。
 
 「だから、シンちゃん。何でここに居るの? 出撃準備よ、ケイジに」
 
 行きなさい、と、ミサトが続ける言葉尻に被るように、管制室の扉がバン、と開いた。
 
 
 
 管制塔に入ってきたのは、レイ、アスカ、トウジの三人だった。
 
 ミサトは、突然入ってきた三人に、驚いたように目を丸くしている。
 
 
 
 「ア、アンタたち、なに……」
 
 「うっわ、次の使徒ってアレでっか。えらいカタチやな……」
 
 「……なにアレ、宇宙? 宇宙にいんの?」
 
 「………」
 
 ミサトの言葉が耳に届くよりも早く、めいめい喋りながら、メインモニタに駆け寄る。
 
 レイは、シンジの横にそっと駆け寄って、寄り添うように立った。
 
 
 
 「おわぁ〜……なんじゃぁこりゃぁ……」
 
 モニタに映る使徒の姿を改めて見上げ、トウジは、感嘆とも驚愕とも取れぬ声を上げる。
 
 アスカも、その横で、使徒の威容を睨み付けた。
 
 「でかいわね」
 
 「うひゃぁ……ひょぉおぉお……」
 
 「……あんたね、いちいち驚いてたら、やってられないわよ。今までだってもっと気持ち悪いヤツ、いっぱいいたんだから」
 
 「そない言うたかて、ワシ、ちゃんと使徒を見たん初めてなんやから」
 
 「見るだけじゃなくて、そのうち戦うんだからね」
 
 「わ、分かっとるがな、そんなこと」
 
 
 
 「ハイ、ハイ! 話を聞く〜ッ!!」
 
 パンパン、と両手を叩いて、ミサトが叫んだ。
 
 四人が、ミサトの顔を見る。
 
 ミサトは呆れたような顔をして、腕を組みながら子供たちの顔を眺めた。
 
 
 
 「アンタたち、なんでここに来たの? トウジ君以外は、ケイジで出撃準備をするように連絡がいった筈よ。どうしたのよ?」
 
 
 
 ミサトの言葉に、アスカはため息をつくように目を閉じると、半目になって、シンジをちょいちょい、と指差す。
 
 「それは、あそこの誰かさんに聞いてくれる?」
 
 「シンちゃん?」
 
 「シンジから、ここに集まるように連絡が入ったのよ」
 
 
 
 シンジは、アスカの言葉に否定も肯定もせず、少しだけ肩をすくめるに留めた。
 
 ミサトは驚いたように、シンジを見る。
 
 「えっ……シンちゃん? なんで……?」
 
 「作戦は、決まったんですか?」
 
 シンジはミサトの言葉には直接答えず、別の疑問で返した。
 
 面食らったように、ミサトはどもりながら応える。
 
 「え、え……と、それは、……これからよ」
 
 「……そうですか」
 
 「ちょっとシンちゃん、だから、なんでここに集まったのよ?」
 
 ミサトは、慌てて畳み掛ける。
 
 
 
 「……考えたんです。
 
 使徒はだんだん強くなってるし、最初の頃みたいに、ただ格闘していればいい相手ばかりじゃなくて、いろいろ考えて戦わなくちゃいけないことが多くなってきた。
 
 僕らも、ただ、言われたとおりに戦うだけじゃなくて、もっと、作戦に参加するべきじゃないかって」
 
 シンジが語る言葉を、ミサトは、驚いたような表情で聞いている。
 
 「えっ……いや、でも、待ちなさいよ。作戦は、こっちでもちゃんと考えてるわよ」
 
 「分かってます。でも、色んな意見があってもいいでしょう?」
 
 
 
 ミサトは、言葉に詰まるように、口を噤んだ。
 
 一瞬……その場を沈黙が支配する。
 
 
 
 そのとき、ミサトの横に立っていたリツコが、目を閉じたまま、口を開いた。
 


 「私たちの考える作戦では不満、ということ?」
 
 「あ、いえ……その」
 
 リツコの言葉に、シンジは、言葉を濁して頭を掻く。
 
 
 
 実際、今のシンジのセリフは、たてまえに過ぎない。
 
 ここにチルドレンを集めた本当の目的は、闇雲に出撃するのを抑えたいということと、ロンギヌスの槍を回収するために自分の意見を通したいということ。
 
 別に、言葉通りに子供たちを毎回作戦に絡ませてくれなくても、今だけ効果を発揮すれば、まずは良いのだ。その為の、説得力のある方便が必要だっただけだ。
 
 
 
 だが、もちろん、今後もシンジの意見を組み入れて貰えると言うのならば、それはそれでありがたい。それを見越しての発言である。
 
 シンジは、言い澱みながらも、言葉を繋ぐ。
 
 「ええと……その、そりゃ、確かに……その、リツコさんや、みなさんの意見に比べると、子供の戯言かも知れないけど……でも逆に、エヴァを直接操作してきたのも僕らだし、使徒とぶつかり合ったのも僕たちです。僕たちにしか、思いつかないようなアイデアが、あれば、と思って……」
 
 「物は、言いようね。……でも、迅速に出撃する必要がある場合もある。いちいちここに集まっていては、大事な一秒を逃すかもしれないわ」
 
 リツコはそう言いながら、顎で、シンジの足許を示した。
 
 皆が釣られて、シンジの足許を見る。……松葉杖を突いた、シンジの足を。
 
 
 
 「……その足で、ケイジまで何分かかるの? 作戦が決まっても、ゆっくり歩いてたら間に合うものも間に合わないわよ」
 
 
 
 「それは……」
 
 シンジは、心の中で舌打ちをした。
 
 リツコ相手では、やはり口喧嘩にならない。
 
 リツコに指摘されたことは、シンジも忘れていた。
 
 リツコの言う通り……今から走っても、ケイジまで10分はかかるだろう。それから着替えて準備して、出撃は15分後。余裕で間に合う場合もあるだろうが、局面によっては取り返しのつかない膨大な時間だ。
 
 もっとも……未来を知っているシンジからすれば、いま軌道上で両翼を広げている使徒が、少なくとも一分一秒を争うタイプの敵ではないことが分かっている。だか、それを説明することは出来ないし、当然、その確証を持てない他の皆としては、作戦立案後は最速で出撃準備を済まそうとするのが当然である。
 
 ともかく、予想していなかったリツコの突っ込みに、反論は用意されていない。
 
 
 
 シンジは、言葉を返すことが出来ずに、黙ってしまった。
 
 横に立つレイも、リツコの言葉に反論できないのは分かっている。ただ、シンジの腕をぎゅっと握るしかない。
 
 
 
 「……いいんじゃないの、別に」
 
 アスカの軽い言葉に、全員が彼女の顔を見た。
 
 
 
 アスカは各々の顔を見返してから、横に立っていたトウジの脛を、つま先で蹴る。
 
 「あだっ。な、何すんじゃい」
 
 トウジは、慌てて脚を抱えるようにして、一歩、遠のく。
 
 アスカは、そんなトウジを、じろりと横目で見た。
 
 「アンタ、今日はなにすんの?」
 
 「は?」
 
 「これから、使徒戦で、何かすんの?」
 
 「……はぁ? いや、ワシ、だって……起動もせぇへんのやで。エヴァもないし」
 
 「見てるだけ?」
 
 「……何や、文句あるんかいな。……そら、不甲斐無いって言われれば、そうかも知れんけど……」
 
 「そんなこと言わないわよ」
 
 そこまで言うと、アスカは、ぐるりとトウジの方に顔を向けて、鼻先に人差し指を突き出した。
 
 
 
 「アンタ、作戦会議が終わったら、シンジおぶってケイジまで走りなさいよ。いいでしょ?」
 
 
 
 「……えっ?」
 
 
 
 「いいでしょ?」
 
 「……あっ……あ、ああ……おお、ええ、構わんで。……おおぉ、それぐらい、任せろ」
 
 アスカの言葉に一拍間を置いて、合点したトウジは慌てて頷いた。
 
 シンジの方に向き直って、その肩を掴む。
 
 「今、ワシ、お荷物やしな。それくらい、幾らでもするで。なぁ!」
 
 シンジは驚いたように、トウジとアスカの顔を見比べた。
 
 「え、あ……で、でも」
 
 「松葉杖のシンジが走るより、絶対ワシのほうが速い。比べるだけ阿呆らしいやろ? ……ええですよね、ミサトさん?」
 
 
 
 トウジに言葉をかけられたミサトは、面食らうように言葉に詰まる。
 
 「えっ……あ、あぁ……そ、そうね」
 
 言いながら、ミサトはリツコに振り返った。
 
 
 
 ……数秒の静寂。
 
 リツコは、じっと、シンジやトウジ、アスカの顔を見比べる。
 
 そして……ふぅ……と、静かに、息を吐く。
 
 
 
 カツッ、とヒールを鳴らして、リツコはモニタのほうに体を向けた。
 
 口を開く。
 
 「議論で5分ロスしたわ。さっさと作戦を決めてしまいましょう」



五百二十七



 とりあえず、ミサトがまず出した作戦は、ポジトロンスナイパーライフルによる超長距離射撃であった。ヤシマ作戦に使用した、日本中の電力を集めて射出する兵器である。
 
 「それぐらいの出力が無いと、使徒の軌道まで届かないからね」
 
 ミサトは言う。しかし現実的には、ポジトロンスナイパーライフルを使用しても、なお距離としては射程ギリギリである。
 
 使徒にA.T.フィールドを使用されると、その壁を突き抜けることはできない、ということも、同時に計算から導き出されている、と伝えられた。
 
 (……やっぱり、分かってたんだ)
 
 説明を聞きながら、シンジは考える。
 
 ……今、それが分かっているということは、当然……前回の戦いでも、それは事前に分かっていたということだ。
 
 ポジトロンスナイパーライフルで、使徒を殲滅できる可能性は、五分……いや、もっとずっと低い。
 
 にも関わらず、説明もなしで出撃せざるを得なかった。
 
 その結果、アスカが、使徒の精神攻撃を正面から受けてしまったのだ。
 
 
 
 ……もっとも、だからと言って執行部を責めるのは難しい。
 
 「攻撃しないで放っておく」という選択肢は無い。
 
 おそらく、彼らの一存でロンギヌスの槍を使う、という選択肢もまた、無かったのだろう。
 
 例え限りなく可能性が低くても、唯一使徒を殲滅できるかもしれない兵器を携えて出撃したのは、致し方が無いところか。
 
 
 
 前回は、作戦立案に関わるそうした水面下の綱引きを、シンジたちは知らなかった。
 
 しかし、今回は、その説明を聞いている。
 
 ともかく、今の説明を聞いて異論を唱えないはずが無い。
 
 そう思い、シンジが口を開こうとしたとき、それよりも先にアスカの不満げな声が被った。
 
 
 
 「使徒が、A.T.フィールドを展開しないわけが無いじゃん」
 
 
 
 ぶすっ、としたアスカの言葉に、残りの面々は彼女の顔を振り返る。
 
 「……そうね」
 
 リツコの返事に、アスカは、眉間に皺を寄せた。
 
 「じゃ、意味ないってこと? だって、ポジトロンスナイパーライフルじゃ、A.T.フィールドは破れないんでしょ?」
 
 「黙って見ているわけにはいかないでしょ」
 
 「当たって砕けろ、って理論? 使徒に届かないんじゃ、撃っても撃たなくても結果は同じじゃない。電力使うだけ損よ」
 
 アスカの詰問に、ミサトが静かに口を開く。
 
 「でも、他に……方法が無いのよ」
 
 その言葉に、アスカは、ミサトを睨み付けた。
 
 「確かにね。でも、効かない兵器で攻撃するって言うのは、方法のうちに入らないでしょ、意味無いんだから。こういうのはね、他に方法が無い、って言うんじゃなくて、何も方法が無い、って言うのよ」
 
 「………」
 
 「こんなの、作戦に入らない。アタシは、やらない」
 
 
 
 前回、制止を振り切って飛び出して行ったアスカが、やらないと言う。
 
 今回のアスカは、精神的に追い詰められていない。その違いが大きいのだろう。
 
 それに、冷静だからこそ、理論の矛盾にも気が付く。
 
 
 
 もっとも、前回だって、ミサトたちが嫌がるアスカを無理矢理に出撃させた、というわけではない。
 
 元はと言えば焦ったアスカが、制止を振り切って勝手に出撃しただけだ。
 
 ……だからと言って、遅かれ早かれ出撃することになったことには、変わりは無いのだろうが。
 
 
 
 「確かに、アスカの言うとおりかも知れないわね」
 
 リツコは、腕組みをしながら、アスカを見つめて……呟くように言う。
 
 「……何も方法が無い。そう……確かに、今は、何も方法は無い。……でも、このままってわけにもいかないわ」
 
 「そりゃそうだけど」
 
 「このまま放っておけば、使徒もあそこから動かない、って言うんなら、とりあえず放っておきますけどね。あそこから攻撃を仕掛けてきたらどうするの? 座して死を待つ、ってわけにはいかないのよ」
 
 「だからって、効かない攻撃じゃ意味無いわ」
 
 「0%っていうわけじゃないわ。確率が低いだけ」
 
 「……それは、使徒が、A.T.フィールドを展開しない確率ってことでしょ?」
 
 「………」
 
 「そんなの、0%と一緒よ! こっちから攻撃を仕掛けて、A.T.フィールドを展開しない理由なんて、無いじゃない!」
 
 
 
 正論である。
 
 それは、シンジのみならず、ここにいる誰もが思ったことであろう。
 
 そんなことは、もう、皆が分かっていることなのだ。
 
 
 
 だが、ではこの作戦を取りやめにするとして、代替案が無いのもまた、事実だ。
 
 
 
 「……アスカ。あなたの言いたいことは分かるわ」
 
 リツコが、ゆっくりと、呟く。
 
 「……でも、とにかく……情報が足りないのよ。少なくとも今の段階では、他の手段は無い。このまま使徒を放置することもできない」
 
 「………」
 
 アスカは、じっとリツコの顔を見ている。
 
 「まぁ……言ってしまえば、ともかく……一度は試さなければいけないの。攻撃を受けて、使徒がどういう反応を示すか、それを見たい。その結果、何か、次の手段が導き出されるかも知れないわ」
 
 「………」
 
 「成功しなくてもいいの。とりあえず、使徒にA.T.フィールドで弾かれてもいいから……まずは、アクションを起こしたいのよ」
 
 
 
 「……だったら、無人の射撃装置を使うべきじゃないですか」
 
 そのシンジの言葉に、めいめいが振り返った。
 
 
 
 シンジは、リツコの顔を見つめながら、言葉を続けた。
 
 「こっちが攻撃を仕掛けた結果、使徒が反撃してくる可能性は否めない。どんな攻撃を仕掛けてくるのか分からないのに、エヴァで出撃するのは危険です」
 
 「……でも、無人のポジトロンスナイパーライフル射撃装置なんて、用意されて無いわよ」
 
 「えっ……う〜ん、でも、自走砲に固定すれば可能じゃないですか? 砲身と並列して固定すれば、仰角は自走砲本体で調整できるし、照準のズレは砲口の位置のズレから逆算できますよね」
 
 「……まぁ……そんなに、難しいことではないと思うけれど」
 
 「ともかく最初のアクションとしては、そちらの方がいいと思います」
 
 
 
 攻撃すれば、使徒の精神攻撃を食らうのは間違いない。
 
 加持に頼んで弐号機は(おそらく)起動不能に陥っているとしても、他の誰が出撃するのも避けなければいけない。
 
 ともかく、無人機で攻撃し、ポジトロンスナイパーライフルでは使徒にはまるで役に立たないことを、証明しなければならない。
 
 
 
 リツコは、数秒、考え込むように瞼を閉じてから、体を反転させてマコトの方に振り返った。
 
 「整備班に連絡。準備にかかる時間を2分以内に返答させなさい」
 
 「了解」
 
 マコトは短くそう答えると、即座にキーボードを叩き、インカムに向かって喋り始めていた。
 
 
 
 リツコはその後姿を数秒見つめてから、ゆっくりと首を回して、シンジの顔を見た。
 
 「……これが、シンジ君が、居残ってまで助言したかったこと?」
 
 「………」
 
 これだけじゃない。
 
 まだ、言わなければならないことはあるが、それは今ではなく、唯一の兵器が役に立たないことが証明されてから、の話だ。
 
 マコトが振り返る。
 
 「最大最速で、30分です」
 
 「了解……準備、急がせて」
 
 リツコはシンジの瞳を見据えたまま答えると、そっと、瞼を閉じた。
 
 「……使徒が、30分、攻撃してこないことを祈るしか、無いわね」
 
 シンジは、答えなかった。



五百二十八



 プシュッ、と音を立てて扉が開く。
 
 廊下に出て再び、その背後で扉が閉まると、途端に喧騒は静寂に変わる。
 
 
 
 「……こう言っちゃ何だが、熊谷は……なかなか、能力が高かったな」
 
 加持は、静かにその場を離れながら、口の中で、そう呟いた。
 
 熊谷以外は、ザルだ。
 
 少なくとも、この現場では。
 
 
 
 加持は、前回と全く同じ行動を取った。
 
 別のIDカードで格納庫に入り、堂々と弐号機のプラグのところまで行き、腐食カプセルを投入する。
 
 前回は熊谷に見咎められたが、今回は完全にノーチェックだった。
 
 前に一度、この方法で成功しているのだから、何らかの対応策が練られているかとも思ったのだが……何のことはない、同じようにプラグは剥き身で床に転がっていた。
 
 失敗が生かされていない。
 
 
 
 これが、NERVという組織の限界だ。
 
 同じような問題が、色んな所に散見される。
 
 組織としての体をなす前に、肥大化しすぎたのだ。
 
 個々人のスタッフの能力は高い。だが、それが組織という集合体の中で、しっかりとした歯車になっていない。
 
 
 
 もっとも、それはNERVに限ったことではない。
 
 結局、ある程度の人数が集まると、軋みは発生してしまうものなのだ。
 
 だから、一人のほうがいい。
 
 加持はまた、火のついていないタバコをくわえる。
 
 
 
 エントリープラグの周辺を撮影されている可能性はある。
 
 だが、加持の動きは、限りなく自然だったはずだ。
 
 少なくとも、何かを投げ込んだ素振りは、映像からは確認できないはずである。
 
 何で加持がそんなところにいるのか、疑惑の目で見れば幾らでも見れるだろうが、それは何とでも言い訳ができる。
 
 もしも誰かが、心の中で疑惑を抱き続けたとしても、それは加持にはどうでもいいことだ。
 
 疑うなら疑えばいい。さんざん汚れたこの身を、いまさら幾ら探られたところで大した違いは無い。
 
 
 
 加持はエレベーターに乗り込んだ。扉は閉じ、ゆっくりと下降する重圧を感じる。
 
 カチン、カチン、と無機的な音。
 
 加持は頭の後ろで手を組むと、背中をエレベーターの壁に預けた。
 
 
 
 頼まれた仕事はやった。
 
 例え今すぐに発覚したとしても、もうあのプラグは数時間は使用できない。
 
 他のプラグにアスカのパーソナルパターンをインストールするとしても、最低2時間はかかるだろう。シンジと約束したくらいの時間は、弐号機を使用不能にすることはできたはずだ。
 
 
 
 (……どうして、弐号機を使用不能にしなければいけないのか……)
 
 それは、今の加持には見当も付かない。
 
 だが恐らく、これから起こる戦闘を見ていれば、きっと分かるのだろう。
 
 エレベーターが停止し、加持は廊下に出る。
 
 暫く歩いていつもの居室に着くと、鍵を掛けて椅子に座り、ノートパソコンの電源を入れる。
 
 画面に映ったのは、管制塔の映像だ。
 
 
 
 シンジたちの姿が見える。
 
 
 
 (……シンジ君は、使徒が来るのを知っていた)
 
 今まで漠然と考えていたことだが、今回のことで、それは確定的になった。
 
 シンジは、使徒が来るのを知っている。
 
 正確な時刻は分からなくても、恐らく、数日以内という範囲では絞ることができるのだろう。
 
 だがシンジは、それを自分だけの胸に秘めて、誰にも言わない。
 
 今回、加持にこのことを話したのも、恐らく苦渋の決断だったのではないだろうか。
 
 
 
 何故言えないのか、それは分からない。
 
 何か法則でもあるのなら、それをすぐに広めたほうが、幾らでも準備ができて好都合だろう。
 
 だが、言わない。
 
 言えない理由が、あるのだ。
 
 
 
 それが何かは分からないが、加持はそれ以上追求するつもりは無かった。
 
 シンジが、自分で決めることだ。
 
 碇シンジという少年は、わずか14歳にして、加持にとって信頼の置ける人物となっている。
 
 彼が何らかの理由で秘密にしていることを、言うか、言わないかは、彼が考える領域だ。
 
 そこに踏み込むような真似をする気は、なかった。



五百二十九



 レールの上を走る自走砲は、沿岸のちょうど中央付近で停止した。
 
 あらかじめその場所まで引いてあった各種電源ケーブルを、クレーン車が総出で接続していく。
 
 
 
 「……電圧上昇、圧力限界」
 
 「陽電子注入」
 
 「加速器、運転開始」
 
 オペレーターたちの言葉が、管制塔に響き渡る。
 
 メインモニタでは、次々に電力が接続されていく様子が、映し出されていく。
 
 
 
 自走砲はその砲身にポジトロンスナイパーライフルを固定したまま、空に向けて角度を上向ける。
 
 その照準の先にあるのは、ただ分厚く立ち込める雨雲の層。
 
 ……いや、その更に遥か先に、目指すべき敵の姿がある。
 
 「準備完了。安全装置解除」
 
 マコトの言葉に合わせて、ミサトは鋭く言葉を発した。
 
 
 
 「ポジトロンスナイパーライフル、発射!」
 
 
 
 一瞬、ライフルの先がまばゆく煌いたかと思うと、その拡散した光の束が一気に集約して、一筋の光となって雲海に吸い込まれた。
 
 
 
 激しい逆過重に、自走砲の車輪は煙を上げてレールから脱輪する。
 
 メインモニタに映る使徒のシルエットに向けて、光の糸が伸びていく。
 
 
 
 結末はしかし、予想通りだった。
 
 翼を広げる使徒の僅か手前で、まるで見えない壁に行く手を阻まれるように光は跳ね返り、闇の中に消えた。
 
 その場にいる誰の目にも明らかだった。
 
 A.T.フィールドである。
 
 残念ではあるが、予想外ではない。
 
 部屋の中には微かな失望の空気が広がる……だが、それ以上ではない。
 
 
 
 皆の意識はむしろ、その次にあった。
 
 攻撃を受けた使徒が、どのような行動をとるか。
 
 使徒から何かしらのアクションがあれば、その情報を元に、次の作戦を組み立てられるかも知れない。
 
 
 
 ……使徒の体が、七色に光った。
 
 
 
 一瞬……地表に、まばゆい光が降り注いだ。
 
 モニタが真っ白に光り……しかし、すぐに、元の状態に戻る。
 
 時間にして、僅か数秒。
 
 
 
 モニタを見上げていた面々は、驚いたような表情で、固まっていた。
 
 今のはなんだ?
 
 「……今の光を分析して!」
 
 リツコの声が飛ぶ。
 
 もちろん、言われるよりも前に、既にマヤの指はキーボード上をめまぐるしく走り回っていた。
 
 しかし、すぐに彼女の眉間にはしわが刻まれる。
 
 エンターキーを叩いてから、マヤは困ったような顔で振り返った。
 
 「照射時間が短すぎて……詳しいことが分かりません。データ上は、単なる可視光線のようですが……」
 
 「そんなはずはないわ」
 
 ミサトが、呟くように鋭く言い放つ。
 
 当然だ。ただの光など、照射する意味がない。何らかの、反撃であるはずなのだ。
 
 「自走砲はどうなの?」
 
 「何ともありません。尤も、自走砲を狙ったという確証はありませんが……」
 
 リツコの問いに、シゲルがモニタを見ながら答える。
 
 
 
 「どういうことなのかしら……」
 
 ミサトが、爪を噛むような仕草で、モニタ上の使徒を睨みつける。
 
 既に使徒の姿は、何事もなかったかのように、元の状態に戻っている。
 
 
 
 「……使徒の攻撃も、大したこと無いってこと?」
 
 部屋の後ろでやりとりの様子を眺めていたアスカが、小さな声で呟いた。
 
 「……そうとも言い切れないわ」
 
 レイも、呟きで返す。
 
 アスカがレイの顔を見返した。
 
 「なんでよ?」
 
 「……大したことが無いように見えるのは……攻撃したのが無人の自走砲だったからかも知れない。エヴァで攻撃していたら、損傷があったかも知れないわ」
 
 「……損傷って?」
 
 「……精神汚染……とか……」
 
 「……まぁ……なるほど、可能性は……あるわね」
 
 アスカは、少しだけ感心したような声音で、小さく頷いた。
 
 
 
 もちろん、レイは既に事実を知っていたから、そう言ったのだ。
 
 レイがシンジの顔を見ると、シンジはじっと、使徒の姿を見つめていた。
 
 駆け寄って、シンジの指を掴む。
 
 シンジは、レイの顔を見た。
 
 
 
 「……このあと、どうするの」
 
 レイが、囁くように、問い掛ける。
 
 シンジはレイの瞳を暫く見つめてから、再び前を向いた。
 
 鼻の頭を、人差し指で、撫でるように掻く。
 
 「……細かいことは、その場で考えるしかないけど……まぁ、ロンギヌスの槍を使うように、進言するしかないだろうね」
 
 「………」
 
 「でも……まぁ……なんでロンギヌスの槍を使うのか、それを聞かれると、辛いね。僕は確かに加持さんやミサトさんと一緒に槍を見てるから、存在は知っててもおかしくない。でも……あの槍がすごい武器だってことは、僕は知らないはずだからね」
 
 「……どうするの?」
 
 「う〜ん、まぁ……勘……だ、とか、言うしかないよね。……まぁ、何とか頑張ってみるよ」
 
 シンジは苦笑しながら、そう呟いた。
 
 
 
 「……あの光は、斥候の役割を果たしているのかも知れないわね」
 
 リツコが、分析結果のプリントアウトを見ながら言う。
 
 「斥候?」
 
 「そう……あの光で目標を確認して……それが、攻撃に値する敵かどうかを判別しているのよ。それで、必要と判断したら、初めてそのまま攻撃が続くのかも知れない」
 
 「攻撃に値する敵かどうかって? どうやって判断するの?」
 
 ミサトは眉間にしわを寄せて問うが、リツコは目を瞑ってかぶりを振った。
 
 「推測よ。そこまで分からない。エヴァンゲリオンかどうかを判別しているのかもしれない」
 
 「……そんなこと、できんの?」
 
 「できない、とは言い切れないわ」

 「……まぁ……そう、かも、知れないけど……ね」
 
 ミサトはそれ以上反論はせず、黙ってモニタを見上げる。
 
 使徒は、相変わらず軌道上で静止したまま、まるで何事も無かったかのように微動だにしない。
 
 ……少なくとも、連続して攻撃を仕掛けてくるようなことは無いらしい。考える時間はありそうだ。
 
 「だからっつっても……じゃあ、エヴァで攻撃する?」
 
 「反撃の威力も分からないのに? 危険ね」
 
 「……でも……じゃ、どうするの?」
 
 「………」
 
 
 
 管制塔に、静寂が舞い降りる。
 
 こちらからの攻撃は、使徒には効かない。
 
 そして、使徒からの反撃は、その全容が分からない。
 
 
 
 ……シンジは、口を噤んでしまった皆の顔を、ゆっくりと順番に、眺めていく。
 
 打つ手なし……
 
 ……だが、こういうときに、NERVという組織がどんな手段をとるのか……それは、よく分かっている。
 
 ……それは……
 
 
 
 「……結局……エヴァを……出動させるしか、ないでしょうね」
 
 静かに……噛み締める、ように。
 
 発せられたリツコの言葉に、アスカは目を剥いた。
 
 
 
 靴音を立ててリツコのそばまで行くと、アスカは腰に両手を当てて怒りを露にしてみせた。
 
 ぐいっ、と、眉間にしわを寄せた顔を突き出す。
 
 「……どぉ〜いう意味よ! 結局、ナニ……玉砕してこいって理論なワケ!?」
 
 こめかみに青筋を立てるアスカの顔を、リツコはじっと見つめている。
 
 「………」
 
 「どんな反撃が来るか分からないって、今、自分でそう言ったじゃない!」
 
 「……結局……相手がどんな攻撃を仕掛けてくるか……それは、エヴァが出撃しないと分からない、って言ったのよ」
 
 「……だから!? 同じことじゃないの!?」
 
 「だから……エヴァで出撃するの」
 
 「はぁ?」
 
 「エヴァで出撃することでしか、使徒の次のアクションを誘発できない。ならば、例え危険でも、それしか方法は無いわ」
 
 「……なに、勝手なこと言ってんのよ! だったら、アンタがエヴァに乗って出撃しなさいよ!」
 
 「私では、エヴァは起動しないわ」
 
 「分かってるわよ、そんなこと! ……アタシが言いたいのは、そんなコトじゃない!」
 
 
 
 分かっている。
 
 アスカの言いたいことも、リツコの言いたいことも。
 
 
 
 立場が違うだけだ。
 
 
 
 お互い、明快なポリシーの許で争っているに過ぎない。
 
 
 
 自分という存在を軽んじられている怒りか。
 
 使徒に勝つために、針の糸ほどでも残る可能性を手繰り寄せる姿勢か。
 
 「命は地球より重い」という偽善的な言葉を持ち出すならば、アスカが正しいようにも見える。
 
 だが、使徒に勝たなければ、それは必ず人類の滅亡という結論に繋がるのだとすれば、リツコの意見の方が、より「使徒の殲滅」という目的には近付いているとも言える。
 
 どちらかが明らかに間違いで、どちらかが明らかに正しい、というわけでは、ないのだ。
 
 
 
 この膠着状態を動かすには、ロンギヌスの槍を使うしかない。
 
 パイロットを危険に晒さずに、尚且つ使徒を殲滅する方法が、他に無いからだ。
 
 (……問題は、なぜ、僕が、「ロンギヌスの槍が唯一の武器だ」という結論に至ったのか……を、説明しなければいけないことだ)
 
 本来、シンジが知るはずも無い事実。
 
 たった一度、槍を見たことがあるからといって、この場でそれを使おうと主張するには、根拠が薄すぎる。
 
 それを、今から、主張しなければいけない。
 
 (……まぁ……結局、力技でいくしか、無いんだよな……)
 
 リツコを相手に、どこまで口を立たせることができるか。
 
 やるしかない、と、シンジは一歩、踏み出した。
 
 
 
 その、シンジの前に、白い手が差し伸べられた。
 
 横に立っていた、レイの手。
 
 まるで、シンジの行く手を遮るように。
 
 
 
 思わず立ち止まったシンジは、レイの顔を見た。
 
 レイは、シンジの前を遮ったまま……その視線は、まっすぐリツコを見つめていた。
 
 
 
 レイの口が、開く。
 
 
 
 「……ロンギヌスの槍を、使えばいいと思います」
 
 レイの声が、静かに響き渡った。