第百七話 「思考」
五百二十



 結局、加持の居室を正式にNERV本部内に用意することは出来なかった。
 
 
 
 別に加持が特別に疎まれているというわけではなく、もともと士官クラスの職員でNERVに居室を持っている者などいないのだ。
 
 では何故士官用の居住フロアがあるのか、という話になってしまうが、ともかく慣例だとしか言い様がない。
 
 加持も別に食い下がるつもりは全く無かった。本部の中には、加持が勝手に自分用に使っている隠れ家もどきの部屋が幾つもある。
 
 ただ、どうせならパイプ椅子ではなくベッドで眠りたい、と微かに思ったに過ぎない。
 
 
 
 いま、加持がいるのは、そうした隠れ家部屋のひとつ。
 
 ロッカールームのような、二畳ほどの狭いスペースに、机と椅子がひとつずつ。
 
 爆発前の自宅から持ってきた、僅かばかりの荷物を床に置いて、加持はノートパソコンの蓋を開く。
 
 火のついていないタバコを口にくわえて、頬杖をついた。
 
 
 
 シンジは、自動販売機の前の長椅子に腰を下ろして、そのまま天井のシミを見つめていた。
 
 
 
 もともと、シンジが考えていた作戦は、こうだ。
 
 まず、とにかく、初号機をあらかじめ起動。そして、使徒が現れる前に、セントラルドグマからロンギヌスの槍を回収する。
 
 その上で地上に戻り、使徒が現れたらすぐ、むこうの攻撃を受ける前に、使徒に向かって槍を投擲。
 
 反撃の余地を与えず、一気に殲滅する。
 
 
 
 これがうまくいけば、もちろん、これ以上にない最高の結果といえよう。
 
 だが、そんなに簡単にいけば誰も苦労しないわけで、この方法にはいくつもの障害が残る。
 
 それを、すべてクリアしなければ、成功はない。
 
 
 
 まず第一に、初号機の起動。
 
 当たり前の話だが、普通……使徒が現れてもいないうちに、エヴァを起動するなどということは、できない。
 
 リツコかオペレータの協力が不可欠だが、彼らが疑問を抱かずにそれを行ってくれるなどということは、有り得ないだろう。
 
 
 
 一番のネックになるのは、もちろんリツコだ。
 
 リツコが管制塔にいる限り、彼女の同意も得ず初号機を起動することは出来ない。
 
 ともかく何らかの方法で、初号機を起動する間、彼女の目を逸らさなければいけないわけだが……何しろ相手はあのリツコだ。なまじ作戦などを立てても、一蹴されてしまいかねない。
 
 
 
 だが、それを超えても、結局初号機の起動はできない。
 
 
 
 「ミサトさんも……マヤさんも、うんと言う筈がないもんな……」
 
 リツコが最大の障害なのは間違いないが、例えそれをうまくクリアできたとしても……残るミサトやマヤたちが、ほいほいと初号機を起動してくれるわけではない。
 
 彼女たちを納得させられる理由は、結局思いつかなかった。
 
 彼女たちの目を、リツコと同じように、逸らさせておくわけにもいかない。
 
 最低でも、指揮権のある人間が一人、そして実際に起動を行える技術者が一人、必要なのだ。
 
 彼女たちを排しては、起動そのものが成り立たなくなってしまう。
 
 
 
 第二に、ロンギヌスの槍の回収。
 
 事前にロンギヌスの槍を回収するということはつまり、悟られずに初号機でメインシャフトを降りる、ということだ。
 
 ドグマへと繋がるメインシャフトは、当然、幾重にも隔壁が閉じており、普段はそこを降りていくことはできない。
 
 前回の人生で、零号機がメインシャフトを降りることができたのは、緊急事態だったからだ。でなければ隔壁は開かれるはずがないし、今回はそんな状態は望めない。
 
 ドグマに直接繋がるレールシャフトもあるだろうが、それこそ、オペレータの指示なくして動かすことはできない。
 
 
 
 「……八方塞がり……ってことか……」
 
 シンジは、手に持っていた紙コップを折り畳むように潰すと、傍らの松葉杖を取り、立ち上がってダストシュートに放り込んだ。
 
 胸を張るように、肩で伸びをする。
 
 ボキボキと背骨が鳴るような、感覚。
 
 シンジはそのまま上半身を左右に振ると、やがて脱力したように全身の力を抜く。
 
 
 
 明らかな袋小路だ。
 
 このままいくと、誰かが必ず、使徒の精神攻撃に晒される。
 
 それが分かっているのに、明確な回避策がないのは、非常にもどかしい。
 
 
 
 「……この方法じゃ、駄目ってことなのかな……」
 
 ロンギヌスの槍を使う以外に方法がない、それ自体は、揺ぎ無い事実だ。
 
 だが、そこに至る方法論に無理があるのかも知れない。
 
 あくまで、シンジが行動することを許されるのは、使徒が現れてから。
 
 通常の攻撃では役に立たないと、誰の目から見ても明らかな状態になって初めて、シンジのターンが始まるということか。
 
 
 
 今に始まった話では、ない。
 
 いつものこと。
 
 どんなに頭を使って臨んでも、後手に回らざるを得ないというのは、いつものことだ。
 
 (くそっ……)
 
 ……だが、仕方がない。
 
 シンジは、決して神ではない。
 
 シンジにできることなど、ほんの僅かしかないと……敢えて受け入れた上で、戦うしかないのだ。



五百二十一



 使徒が現れてから、初めて行動を開始する……そうするしかないのだとしても、それはそれで、綿密な作戦が必要だった。
 
 まず、誰よりも早くエヴァに乗り込み、ともかく起動する。
 
 そして、初号機が槍の回収に向かっている間、零号機も弐号機も、地上に出ないことが必要だ。
 
 
 
 要は、誰かが無防備に地上に出ることで、使徒の精神攻撃に遭うのを避けなければいけない、ということだ。
 
 前回のアスカのような目に、ともかく、今のアスカとレイを遭わせるわけにはいかない。
 
 
 
 零号機の出撃を抑えるのは簡単だ。予めレイに事情を話しておけばいいのだ。
 
 地上に出れば確実に危険で、しかもシンジが槍を回収してくれば殲滅できる敵であることを説明しておけば、レイも地上に出ようとはするまい。
 
 例えばシンジが危機に瀕しているなどという状況ならばともかく、上記のような状態は、出撃するだけ無駄骨だからだ。
 
 レイは聡明だ。確実に、シンジの考えを理解してくれる、と確信できる。
 
 
 
 それに比べれば、弐号機の方が、数段厄介だ。
 
 アスカは、当然出撃しようとするだろう。
 
 いや、例えアスカが出撃に消極的でも、ミサトやリツコが出撃させようとするに違いない。それはいい悪いの話ではなく、使徒が迫っているのだから、作戦部としては当然の判断だ。
 
 だが、アスカを迂闊に出撃させるわけにはいかない。
 
 
 
 (……物理的に、弐号機を出動不能にしてしまえば、いいのかな)
 
 そう、極端な話、弐号機が壊れていたりすれば、当然、出撃はできない。機体が無いから当たり前だ。
 
 どうやって? ……と言われると、皆目見当がつかないのだが、そこは……
 
 (……その、加持さんに……)
 
 ……何とか、してもらうか。
 
 
 
 頼っているな、と、シンジは小さく溜息をつく。
 
 自分にはどうにもならない問題に直面したときに、加持に問題の解決を丸投げするのは、悪い癖だ。
 
 加持にだって、立場というものがあるだろう。難題を背負い込めば当然、それに比例してリスクも増える。
 
 加持は決して、スーパーマンではないのだ。それは、百も承知である。
 
 
 
 (……だけど、他に方法が無い)
 
 
 
 ……事前の出撃そのものは、シンジでも抑えることができる。
 
 今思えば前回だって、相手の攻撃方法も分からないのにいきなりエヴァが出撃したのは軽率だったとも言える。
 
 ポジトロンスナイパーライフルの出力は、わざわざ実際に撃ってみなくても、計算で割り出せるはずだ。事前の計算さえきちんと行っておけば、ポジトロンスナイパーライフルでは使徒のA.T.フィールドを破ることが出来ないことは、導き出せるはずだ。
 
 使徒の反撃に関しては、まずは人的被害を最小限にとどめるためにも、無人装置で攻撃を仕掛けて、反撃を管制塔から観察する。
 
 それを踏まえて作戦を立てて、出撃はそれからでもいいはず。
 
 ……これくらいのことは、今回も説明できる。
 
 最初にまずそう進言することで、最初に誰かが出撃するような事態は、食い止めることができるはずだ。
 
 
 
 問題は、シンジが槍を回収に行っている間である。
 
 その間に、使徒が何らかの攻撃を仕掛けてきて、とりあえずエヴァが出撃して時間を稼がないといけない、ということになった際に……シンジには、それを止める手立てがない。
 
 最悪の事態ではあるが、可能性はゼロではないのだ。それを避けるためにも、弐号機は、行動不能に陥っている必要がある。
 
 
 
 加持に頼むより他に、仕方がない。
 
 選択肢が無いのだから、悩んでも時間の無駄である。
 
 加持に迷惑はかけるが、それは、別の形で償うしかないだろう。
 
 
 
 ……ともかくその問題は、加持に会って話すとして……次の問題は、ロンギヌスの槍が必要だと、ゲンドウ達に納得させることだ。
 
 
 
 ロンギヌスの槍が補完計画の発動に必要であることは、シンジも知っている。
 
 当然死海文書に絡み、ゼーレが人類補完計画のために用意しているものであることは推察できるが、結局、前回は槍がなくても補完計画は発動した。
 
 もっともその過程で、槍は月面から戻ってきたので、計画の発動に槍を使わなかった、という表現は正しくないかもしれない。だが、だからと言って、ゼーレが「槍がどこにあっても、いつでも使える」と思っていたかどうかは怪しい。だったら、もっと早々に使用していた筈だ。
 
 補完計画が発動したときに槍が戻ってきたのは、もしかしたらゼーレにとっても驚きの事態で、もともとはその予定ではなかった可能性もある。
 
 
 
 (……頭がこんがらがってきた)
 
 いや、だから、槍が戻ってきたのが予定外だとしたら、補完計画に槍は無くてもいいということでは?
 
 だから逆に考えると、やはり、槍は戻ってくるべくして戻ってきたのだ。あのとき、月面から槍が戻ってきたのは、ゼーレにとっても分かっていたこと。つまり、いざ補完計画発動の際には槍は必ず戻ってくるから、どこかにやってしまっても構わない、と……。
 
 ……つまり、今までロンギヌスの槍が使われてこなかったのは単なる偶然で、実際には、自分が槍を使おうとしても、別に誰にも止められないのか……?
 
 (……え……ホントかなぁ)
 
 自分で考えていて、自分の推論に全く自信が持てない。
 
 ロンギヌスの槍とは、そんなに軽い扱いでいいのだろうか?
 
 だったら何故、いま、リリスの胸にわざわざ槍を突き刺してあるのか?
 
 あれは必要だったからそうしているのであって、抜いてしまっては何か問題が起こるのでは……?
 
 (……いやいや、でも、前回は結局抜いたんだよな、このタイミングで。だけど、だからどうだってことはなかったし……)
 
 じゃぁ、いいのか? 抜いても?
 
 ロンギヌスの槍を使う、ということになっても、誰も止めないのか?
 
 敵は軌道上だし、他に方法は無いもんね、ということになるのだろうか?
 
 
 
 「……えええ」
 
 シンジは、思わず疑問の唸りを漏らした。
 
 本当か?
 
 なんだか、随分と都合が良くないだろうか?
 
 
 
 ともかく携帯電話を取り出すと、短縮番号をプッシュした。
 


五百二十二



 加持と連絡を取ったシンジは、言われるままに、本部の外に出ていた。
 
 やがて現れた加持は、シンジの松葉杖を見て、頭を掻く。
 
 
 
 「ああ、そうか……すまなかったな、そんなに遠くへは行けないか」
 
 「いえ、別に……」
 
 「まぁ、じゃあ俺の畑に行こうか。ここからそんなに遠くない」
 
 「畑……?」
 
 「日曜園芸ってやつさ」
 
 加持はそう言うと、くるりときびすを返して、遊歩道を歩き始める。
 
 「は……はぁ」
 
 加持の立場で日曜も何も無いだろう、とは思うが、言われるまま、加持の後について歩き出した。
 
 
 
 ほどなくして、加持のスイカ畑に到着した。
 
 加持とミサトが語り合った、あの、畑だ。
 
 
 
 シンジはその畑を見渡して、目を丸くする。
 
 「スイカ……」
 
 スイカ。
 
 一面の、スイカだ。
 
 そういえば見覚えがある。今回ではなく、前回の人生で、シンジは加持と、ここで話をしたのだ。
 
 「そう。シンジ君、スイカは好きかい?」
 
 「え……あ、はい」
 
 「俺もだ」
 
 言いながら、畑の脇においてある、プラスチック製のベンチを指差した。
 
 シンジは頷いて、そこに腰を下ろす。
 
 
 
 加持はタバコの先に火をつけると、ふぅっ、と煙を吐いた。
 
 
 
 「……使徒の血をかぶったときには、このスイカ畑もダメになるかと思ったんだが、案外、平気だったな」
 
 加持の言葉に、シンジは、顔を上げて加持を見た。
 
 「使徒の血……?」
 
 「この前の使徒さ。初号機が、メチャメチャにしたやつがあったろ?」
 
 「あ……ああ」
 
 「あれで、まぁ……このあたりの土壌一帯、紫色だよ。だけどまぁ、すくすく育ってる。もっとも、割ってみたら中身が紫色をしてるかも知れないがな」
 
 「……美味しそうじゃないですね」
 
 「ま、育てるのが楽しいんであって、食えなくてもいいんだ。ヘンなのが出来たら、それもまた一興だな」
 
 
 
 加持は立ち上がると、横に立っていた壊れかけの棚からじょうろを取り出した。
 
 地面から突き出た蛇口をまわして、じょうろに水を溜めていく。
 
 水がいっぱいになって蛇口を締めると、その水をゆるやかに、辺りの葉にかける。
 
 水滴を受けて、肉厚な葉が健康的に輝くが、あいにく照りつける太陽はこの場所では望むべくも無い。
 
 
 
 程なくして、じょうろの中の水を全部撒き終えると、僅かな水滴を振り落として、加持は戻ってくる。
 
 棚にじょうろを戻すと、加持は、再び口を開いた。
 
 「……で、話って、何かな?」
 
 加持の言葉に、シンジは、顔を上げた。
 
 「え?」
 
 「何か、話があったんだろう?」
 
 加持はシンジの顔を見て、そう呟く。
 
 「……えぇ……その、まぁ」
 
 「シンジ君は、俺にとってみれば恩人だからな。償いも済んじゃいないし、できるだけ協力する」
 
 「あ、いや、そんな」
 
 「いいんだ」
 
 「でも……」
 
 「ほら、本題は?」
 
 「あ……え、えぇと……」
 
 
 
 シンジは一度口を閉じると、もぐもぐ、と口の中で何か言葉を反芻するような動きを見せて……それから、改めて、ゆっくりと口を開いた。
 
 
 
 「……実は、加持さんに……お願いしたいことが、あって……」
 
 「うん。なんだい?」
 
 「……僕には、どうやっていいのか、見当もつかないんですが」
 
 「うん」
 
 「その……」
 
 「………」
 
 「………」
 
 「………」
 
 「……弐号機を……一時的に、使えないようにすることは、可能ですか?」
 
 
 
 シンジの言葉を聞いて、加持は、少しだけ目を見開く。
 
 
 
 そのまま、シンジの目をじっと見つめて……視線を逸らす。
 
 水滴に潤うスイカの群れを眺めて……
 
 一個、二個……まるで数えるように、視線が動く。
 
 沈黙。
 
 シンジは、我知らず固くなりながら、そんな加持の様子を、上目遣いに見つめた。
 
 
 一個、二個……
 
 視線が、動き。
 
 ……それから、再び、シンジを見る。
 
 
 
 「……一時的って、どれくらいだい?」
 
 
 
 ゆっくりと尋ねる加持の言葉に、シンジは、ばつが悪そうに……目を伏せた。
 
 「……正確には、ちょっと……」
 
 「………」
 
 「数日くらい、使えなければいいんですが」
 
 「数日か……」
 
 「………」
 
 「………」
 
 「……難しい、ですよね」
 
 「……う〜ん……まぁ……そうだな、決して簡単じゃない」
 
 言いながら、加持は、目を瞑って頭を掻く。
 
 「……すいません」
 
 「……前にも、同じようなことを頼まれたことがあったなぁ。実験用のプラグを壊すっていう……」
 
 「そうでしたね……」
 
 「あの時は、まだ、実験プラグだから良かった。警備も手薄だったしな……だが、弐号機そのものとなると、そんなに簡単にはいかない」
 
 「………」
 
 「……しかも、数日か……使徒と戦って、結構大きな被害を被った場合でも、それぐらいで修理してしまうからな。相当な被害を与えないと、そんなに起動不能にはできない」
 
 「……そう……ですよね」
 
 「う〜ん……」
 
 「………」
 
 「……だからと言って、そんな被害をエヴァに与えるのは、俺には無理だ。N2爆弾だって、耐える装甲だからな」
 
 「……そう……ですよね……」
 
 「………」
 
 「………」
 
 「………」
 
 「……すいません、変なこと、頼んじゃって……」
 
 
 
 シンジは言いながら、横に立てかけてあった松葉杖を手に取った。
 
 体重をかけるようにして、立ち上がる。
 
 加持は伏せていた顔を上げて、シンジを見た。
 
 
 
 「忘れて下さい……僕も、ムリかなって思ってました」
 
 松葉杖を脇に挟み込みながら、シンジは、申し訳なさそうに頭を下げた。
 
 実際、自分には、てんでどうやっていいのか、方法は何も思い付かない。
 
 自分にはまるで駄目で、加持なら何とかなるだろうというのは、まぁ……虫のいい話である。
 
 加持は、シンジの顔を見つめたまま、眉をひそめる。
 
 「だけど……困るんだろう?」
 
 「………」
 
 「……なんで、弐号機を、使用不能にしたいのか……聞いても、教えてはくれないよな」
 
 「………」
 
 「………」
 
 「………」
 
 「……要は、起動出来なければいいのか?」
 
 「え?」
 
 
 
 加持の言葉に、シンジは驚いたように見返した。
 
 加持は考え込むように、ぶつぶつと呟いている。
 
 「弐号機は無傷でも、起動が出来なければいいんじゃないのか」
 
 「……あ……ええ、まぁ……」
 
 「………」
 
 「………」
 
 「………」
 
 「え……そんなこと、出来るんですか? 弐号機が無傷なのに、起動できないなんて」
 
 「……プラグが駄目になればいいわけだ」
 
 「……いや……それはそうですけど」
 
 「プラグそのものは、初号機も零号機も、自由にやりくりできてしまうんだよな……シンジ君、使えないようにするのは、弐号機だけかい?」
 
 「あ……できれば……」
 
 「……てことは、プラグを一基だけ駄目にしても、他の二基があったら、入れ替えて使えてしまうわけだ」
 
 「あの……それぞれのプラグに、別々のパーソナルパターンがインストールされてるんじゃないですか?」
 
 「一時間程度の足止めならそれも可能だけど、数日じゃムリだ。パーソナルパターンの書き換えなんて、1〜2時間で終わってしまうからな。残った二基のどちらかを、アスカのパーソナルにあわせて再インストールすれば済んでしまう話さ」
 
 「………」
 
 「使えなくしたい、正確な時刻は分からないのか? それが特定できるなら、その直前に弐号機のプラグに細工すれば、以後1〜2時間だけ、使えないようにすることは出来ると思うんだが……」
 
 
 
 「直前になら……分かるんですけど」
 
 シンジは、肩を竦めた。
 
 いつ、使徒が来るのか……一時間後か、それとも3日後か。あいにく、そこまで絞り込むことは出来ない。
 
 せいぜい、一週間も先の話ではない、ということくらいだ。
 
 「直前……直前って、どれくらい前?」
 
 「……すいません、本当に直前です。分かったときには、すぐに使えなくなるのが望ましいんです」
 
 「そのタイミングは、シンジ君に教えてもらえるのかな……そのとき、シンジ君が、俺と一緒にいるのは可能かな?」
 
 「……多分、無理です」
 
 管制塔で、ミサトたちに作戦の進言をしなくてはならない。自分の意見を通さないと、今回は難しい。加持と一緒にいることは出来まい。
 
 「別の場所にいるのかい?」
 
 「そう、ですね」
 
 「他の人も、いる場所?」
 
 「……はい」
 
 「そうか……電話っていうのも厳しそうだな。そのタイミング、俺にも判る方法は無いのかな?」
 
 
 
 シンジは、口を噤んだ。
 
 加持は、ほんの僅かに、眉を動かしてシンジを見る。
 
 シンジの瞳が、細かく……左右に激しく細動する。
 
 
 
 垂れたスイカの葉先から、大粒の水滴が、ひとつ……転がるように落ち、地面に吸い込まれた。
 
 
 
 シンジの首筋を、汗が伝う。
 
 加持は、じっと、シンジを見つめている。
 
 やや、あって……シンジは、かすかに、口を開く。
 
 
 
 「……その……タイミングは……」
 
 「………」
 
 「……その……」
 
 「………」
 
 「……使徒が、現れた……時です」
 
 
 
 かすれかけたシンジの声は、風に乗って、かろうじて加持の耳の届いた。
 
 加持は、動かない。
 
 シンジの顔を、じっと見つめている。
 
 シンジも、動かない。
 
 
 
 ……数秒の間を置いて、加持は、静かに、口を開いた。
 
 
 
 「……分かった。それなら確かに、間違いなく……俺にも、分かるタイミングだな」
 
 
 
 「加持さん……」
 
 シンジは、瞳を動かして、上目遣いに加持を見た。
 
 加持は、目を閉じる。
 
 「……そうだな……何とか、努力してみよう。使徒が現れたときに、俺がどこにいるのか分からないから、出現と同時に……というわけにはいかないが、最低でも15分以内に処理して、そこから更に最低120分間は弐号機が起動できない状態にする」
 
 「………」
 
 「そのときは、シンジ君は、管制塔だな?」
 
 「……そうです」
 
 「可能であれば、シンジ君のほうも、何か引き伸ばしを図ってもらえれば助かる。使徒の出現と同時に弐号機が起動準備に入ってしまっては、さすがに手を出す暇が無い」
 
 「はい……それは、もともと、すぐには出撃しない予定です」
 
 「そうか……」
 
 「………」
 
 「………」
 
 「………」
 
 「……早ければ……いつか、は、聞いてもいいかな」
 
 「……分かりません……が……今日の可能性も、無いわけではないです」
 
 「使徒の気まぐれってことかな……まぁ、いつものことか」
 
 「………」
 
 「了解。じゃあ、できるだけ早く、準備はしておかなくちゃいけないな。早速で悪いが、俺はもう行くよ。すぐにでも手を打たなくちゃいけないからな」
 
 「………」
 
 「じゃあ」
 
 「あの……」
 
 「ん?」
 
 「……ありがとうございます」
 
 
 
 シンジの言葉に、加持は、少しだけ微笑を浮かべた。
 
 「言ったろ……シンジ君は、俺の命の恩人だからな。出来る限り、力になるよ」



五百二十三



 シンジがレイの部屋を訪れたとき、レイは、ベッドに座って本を読んでいた。
 
 インタホンの音に扉を開けると、松葉杖姿のシンジが立っている。
 
 レイは駆け寄ると、肩を貸すようにして、並んで部屋の中に入った。
 
 背後で、扉がプシュッと音を立てて閉じる。
 
 
 
 「……紅茶でいい?」
 
 レイはそう言いながら、台所に向かって歩いていった。
 
 「ああ……いや、気にしないで、綾波」
 
 シンジはそう言うと、視線をベッドの上に移した。
 
 ソフトカバーの薄い本が、無造作に置いてある。
 
 クリーム色の表紙に、印刷してあるのはタイトルだけ、というシンプルな体裁だが、あいにく肝心のタイトルが日本語ではないので読めない。
 
 手にとってぱらぱらとめくると、どうやら詩集のようだった。どちらにしても、読めないことに変わりはない。
 
 レイは台所から戻ってくると、シンジの横に並んで腰掛けた。
 
 
 
 シンジの手にある詩集を見て、口を開く。
 
 「アスカに、借りたの」
 
 「……へぇ」
 
 なるほど、つまり、ドイツ語だ。
 
 「驚いたな……読めるの、綾波?」
 
 シンジは感心したように声を上げたが、レイは小さく首を振った。
 
 「いいえ」
 
 「あれ……」
 
 「単語が、少し。少しだけ……ほとんど分からない」
 
 「あ……そうなの。……じゃ、内容は分からないの? 全然?」
 
 「……少しだけ……なんとなく、分かるものも、あるわ」
 
 
 
 何故、レイが、殆ど意味の分からないドイツ語の詩集を読んでいるのか、シンジにはよく分からなかったが、それ以上突っ込むのは、止めた。
 
 もしかしたら、アスカのお気に入りの詩集なのかもしれない。
 
 それを勧められて、レイも、分からないなりに、勉強しながら読んでいるのだろうか?
 
 ……正直、レイとアスカが二人きりでどんなお喋りをしているのか、シンジには分からない。同い年の、女の子同士。少なくとも、シンジとレイの間で交わされるお喋りとは、また違った趣きに違いない。
 
 アスカとレイの間で、詩集の貸し借りがあるというのは、シンジにとって、驚くと同時に、なんとなく、嬉しかった。
 
 はっきりとした理由はないのだが。
 
 
 
 ポットの口から蒸気が漏れる、高い音が台所から聞こえる。
 
 レイは再び立ち上がり、暫くして小さなマグカップに紅茶を注いで戻ってきた。
 
 ベッドの前に小さなサイドボードを置き、そこに、二つのマグカップを並べる。
 
 柔らかな湯気が立ち上る。
 
 
 
 レイはもう一度、シンジの横に腰を下ろす。
 
 シンジは紅茶のカップを手にとって、そこから昇る湯気のなめらかな動きを目で追った。
 
 「……碇君……どうかしたの?」
 
 レイは、横に座るシンジの顔を覗き込むようにして、そう呟く。
 
 シンジは、レイの顔を見返す。
 
 「……なんで?」
 
 「……なんだか……考え込んでるみたいだから……」
 
 「……うん……」
 
 「………」
 
 
 
 シンジは、ゆっくりと瞼を閉じて……それから、また、開く。
 
 カップを口に運び、僅かに喉を潤わせる。
 
 レイは、じっと、シンジの顔を見ている。
 
 シンジは、紅茶のカップをサイドボードに戻すと、
 
 穏やかに、言葉を発する……。
 
 
 
 「……もうすぐ、使徒が、来るんだ」
 
 
 
 「!」
 
 レイは、目を見開いて、シンジを見た。
 
 シンジは視線だけ動かしてそんなレイを見て、静かに微笑む。
 
 
 
 そう……
 
 
 
 今回の作戦は、いろいろと危険な要素を孕んでいる。
 
 特に、シンジがロンギヌスの槍を回収に行っている間の、空白の時間。
 
 この時に予想外の出来事が起こっても、シンジにはどうすることも出来ない。
 
 すべてを理解してくれる、協力者の存在が、不可欠なのだ。
 
 
 
 シゲルの言葉が、耳の奥にこだまする。
 
 ……背負い込むなよ……
 
 ……そう、例え、他の誰かに相談することは難しくても、レイになら、できる。
 
 全てを知っているレイには、相談できるのだ。
 
 それでも自分の胸の中だけに留めておこうとするのは、エゴ、と言われても仕方がないのかも知れない。
 
 
 
 レイは、不安そうな表情で、シンジの瞳を見つめている。
 
 「いつ……いつ、使徒が来るの?」
 
 レイの質問にしかし、シンジは、首を小さく振って答えた。
 
 「……正確なところは、分からない。記憶も、曖昧だし……でも、そんなに遠い話じゃない。早ければ、今日か明日にでも、来ると思う」
 
 「………」
 
 「……もっと、早く相談すればよかったね」
 
 「……それは、別に……」
 
 「………」
 
 「………」
 
 「………」
 
 「……難しいの?」
 
 「ん?」
 
 「……使徒を、倒すのが……」
 
 「………」
 
 「……困った顔、してるから……」
 
 「……そうだね」
 
 
 
 シンジは息をつくと、再びカップを手にとって、少しだけすすった。
 
 アールグレイの紅茶には、砂糖は入っていなかった。少しだけ、苦い。
 
 
 
 シンジは改めてレイの顔を見ると、言葉を紡いだ。
 
 「……そう……綾波の言うとおり、今回の使徒は、難しい相手だ」
 
 「………」
 
 「まず……今回の使徒は、軌道上に現れるんだ」
 
 シンジの言葉に、レイは、少しだけ目を大きく見開く。
 
 「……じゃあ……上空から、落下してくるの?」
 
 「ああ……いや、今回は、違う。今回は、使徒は降りてこない。……まぁ、ずっと放っておいたら、もしかしたらいずれ降りてくるのかもしれないけど……それを待っている余裕はないんだ」
 
 「上空から、そのまま攻撃してくるの?」
 
 「そうだね」
 
 「どうやって?」
 
 「……うん……まぁ、正確にどういう攻撃なのかは、よく分からないんだけど……精神攻撃、というのかな、あれは」
 
 「……精神攻撃? 直接、精神を汚染するの?」
 
 「そうだね。状況を見る限りでは、そんな風に見えた」
 
 「防ぐ方法は……?」
 
 「ない」
 
 「………」
 
 「あるのかも知れないけど、思いつかない。いっそ爆弾とかで攻撃してくれば防ぎようもあるんだけど、ただの光なんだ。それに、遮蔽物で護れる確証もない」
 
 「………」
 
 「攻撃されれば……やられる可能性は、どうしても拭えない。だから、理想は、向こうの攻撃に先んじて、こっちから攻撃することしかないと思う」
 
 「……どうやって? 軌道上にいる敵を攻撃する方法は、今のNERVには、ないわ」
 
 「そうだね」
 
 「ポジトロンスナイパーライフル……」
 
 「いや、出力が足りない。かろうじて届くけど、パワーが減衰しちゃって、使徒のA.T.フィールドを破る力は全くないから、意味ないよ」
 
 「………」
 
 「………」
 
 「……前回は、どうなったの?」
 
 「まず、綾波の言うとおり、ポジトロンスナイパーライフルを使った。で……まぁ、さっき言ったとおり、届かなかった。……それで、使徒の精神攻撃の返り討ちにあったんだ」
 
 「……誰が?」
 
 「アスカだよ」
 
 「………」
 
 「その精神攻撃で、何があったのか……彼女も語ってくれなかったし、分からない。だけど、激しい精神汚染を受けたことは管制塔からでも分かったし、実際、そのあと、アスカは調子が悪くなったね」
 
 「……障害が?」
 
 「……ん……とりあえず、エヴァとシンクロ出来なくなった。シンクロ率が著しく下がってね……何かあったんだと思うけど、具体的には分からない」
 
 
 
 あれ以来、シンジとアスカは、数えるほどしか言葉を交わしていない。
 
 しかも、その多くは、アスカによる罵倒で締めくくられたと記憶している。
 
 アスカに何があったのか……取り付く島のない彼女の様子から、シンジにそれを推し量れというのは、酷な話だ。
 
 
 
 ともかく、今回、それを再現するわけにはいかない。
 
 その思いはレイにも共通であろう。
 
 暫く考え込むように顔を伏せていたレイは、やがて顔を上げて口を開いた。
 
 
 
 「……それで、じゃあ……結局、どうやって倒したの?」
 
 「綾波なら、どうやって倒す?」
 
 逆にシンジに問われて、レイは虚を突かれたように体を起こした。
 
 シンジは、穏やかにレイの顔を見つめている。
 
 ……レイは、数瞬、視線を左右に動かした後、上目遣いにシンジの瞳を見返した。
 
 
 
 おずおず、と、口を開く。
 
 
 
 「……ロンギヌス……の……槍?」
 
 
 
 シンジは、優しく微笑んだ。
 
 
 
 「……そう、ロンギヌスの槍を使った」
 
 シンジの言葉に、レイは、小さく息をついて、目を瞑った。
 
 「……やっぱり、知ってるのね」
 
 「うん……実際、使ったところも見たしね」
 
 「……碇君が?」
 
 「いや、僕はそれまで、存在も知らなかった。使ったのは、綾波だよ」
 
 「……そう……」
 
 「………」
 
 「……そう……でしょうね」
 
 「……今回も、同じことをしたい」
 
 「………」
 
 「他の兵器では、傷もつけられない。散々考えたけど、結局、ロンギヌスの槍を使う以外に、殲滅の方法はないよ」
 
 「……私も、そう思う」
 
 「うん……」
 
 「……でも、どうやって? ロンギヌスの槍は……その……知って、いるんだと思うけど、ドグマにある。勝手には降りられない」
 
 「そうだね」
 
 「……じゃあ、どうするの……?」
 
 
 
 「当然だけど……勝手に、僕の力だけで、ドグマに降りて槍を回収してくるのは、無理だ」
 
 「うん……」
 
 「だから、ちゃんと、許可を貰った上で、取って来るしかないと思う」
 
 
 
 シンジの言葉に、レイは、怪訝そうな表情を浮かべた。
 
 「……そんなこと、できる……?」
 
 「まぁ……難しいだろうね」
 
 シンジはあっさりとそう答えて、微笑んだ。
 
 「いろいろ考えたんだ。でも、結局、正攻法で行くしかない。父さんやリツコさんは、もちろん、ロンギヌスの槍をそんなにほいほいとは使いたがらないと思う。でも、他に殲滅の方法がなかったら、仕方がないんじゃないかな? ……それを、理論的に証明して見せるしかない」
 
 レイは頷いたが、その表情は半信半疑、という風情だ。
 
 「……理論的に、って……」
 
 「まぁ……ポジトロンスナイパーライフルが使徒のA.T.フィールドを破れないのは、計算すれば分かると思うんだよね。とにかく前回でも、この使徒を相手にいきなり出動したんだけど、ちょっと……NERVの作戦の詰めが甘かったと思うよ。……まぁ、アスカが勝手に出動したっていう要素もあるにはあるけど」
 
 「勝手に出動したの?」
 
 「勝手にって言うか、まぁ……でも、それを許可したのはミサトさんだし、やっぱり作戦に問題があったよ」
 
 「うん……」
 
 「ポジトロンスナイパーライフルが役に立たない……っていうことになれば、当然、それ以上の攻撃力のある通常兵器なんてないんだから、使徒が軌道上から降りてこないと、こっちからは手を出しても無駄だってことが分かるでしょ?」
 
 「そうね……でも、何もしないで見ているわけにもいかないと思うし、とりあえず出撃して様子を見る、ということになると思う」
 
 「僕もそう思う。だから次は、無人兵器でこっちから攻撃を仕掛けてみる。使徒のA.T.フィールドが破れないといっても、一応ポジトロンスナイパーライフルは届くことは届くから、それを無人兵器にやらせる。で、使徒の反撃を観察する」
 
 「うん」
 
 「で、使徒の攻撃を見て分析すれば、迂闊に出るのは危ない! っていう結論に達すると思うんだよね。そうしたら、もう……とりあえず様子を見て、それから向こうに動きがないとなれば、ロンギヌスの槍を使う以外の選択肢はなくなる。そうしたら、改めて、槍の回収を進言する。……どう?」
 
 
 
 シンジの作戦に、レイは、少しだけ首を傾げた。
 
 「隙の無い方法だと思う、けど……碇君が進言するの? 碇君、ロンギヌスの槍の存在を知っててもいいの?」
 
 レイの言葉に、シンジは微笑む。
 
 「実はね、もう、見てるんだ」
 
 「……いつ?」
 
 「結構、前だよ。加持さんに連れられて……ミサトさんも一緒だったから、大丈夫。怪しまれても、そのことについては、ミサトさんがフォローしてくれると思う」
 
 
 
 「……じゃあ、大丈夫……だと、思う」
 
 レイは、考えるように天井を見て、それからシンジに視線を戻し、そう呟いた。
 
 シンジは、レイの顔を見て、頷く。
 
 「……それで、綾波に話したのは……頼みたいことがあるんだよ」
 
 「頼みたいこと……?」
 
 「そう」
 
 シンジはもう一度頷く。
 
 サイドボードの上のカップからは、もう、湯気はあがっていなかった。
 
 
 
 「作戦がうまくいって……僕が、ロンギヌスの槍を、回収に行くとするでしょ」
 
 「うん」
 
 「で、僕が、回収に行って戻ってくるまでの間……何も無いと思うけど、もし、誰かが出撃するような事態になったら、それを止めて欲しいんだ」
 
 「……うん」
 
 「分かるよね」
 
 「うん」
 
 「どう考えても、槍以外では殲滅できないんだから、僕が戻ってくるまでに出撃したって、危険なだけだ。だから、例えば別の攻撃方法を誰かが思いついたりとか、そういうことがあっても、それは諦めて僕を待ってるように説得して欲しい。使徒には精神攻撃があるんだから、地上に出るだけで危ないんだよ。意味無いからね」
 
 「……うん、分かったわ」
 
 「……実はね、僕も、手を一個打ってある」
 
 「え?」
 
 「綾波は、当然、事の全てが分かってるから、出撃しない。それは分かる。でも、他の人の説得がうまくいかなくて、アスカが出撃することになったりしたときのために……」
 
 「………」
 
 「……加持さんに頼んで、一時的に、弐号機を起動できない状態にしてもらうことになってるんだ」
 
 「え?」
 
 シンジの言葉に、レイは驚いて目を見開いた。



五百二十四



 加持は、パイプ椅子の背に体重を預けたまま、じっと考え込んでいた。
 
 視線の先には、ノートパソコンの液晶画面。
 
 だがそれには電源が入っておらず、ただ漆黒に塗り潰されたその画面に、鏡のように己の顔が映っているのみだ。
 
 
 
 「……どうしようかな」
 
 加持は、独り言のように、そう、呟く。
 
 手は、幾つかある。
 
 どのアイデアも一長一短ではあるが、その時の状況に応じて、最善を選べばいいだろう。
 
 事前に、あまり凝り固まった作戦を考えるのは、不確定要素が多い局面では逆効果だ。
 
 できるだけ心をフラットに、その時その時に合う方法を見つけ出せば、それでいい。
 
 
 
 加持の心は取りうる作戦の内容を考える以上に、シンジとの会話の内容にも支配されていた。
 
 シンジとの、会話。
 
 彼に頼まれた内容も重要だったが、それ以上に、大事なことがある。
 
 
 
 シンジは、作戦を決行するタイミングを、使徒が来た時だと言った。
 
 早ければ今日にも現れるかも知れない、と、言った。
 
 
 
 ……初めて、認めた。
 
 元々疑ってはいたことだが、本人の言葉から、確証を得られたのは、驚きだった。
 
 
 
 「シンジ君は……使徒が来ることを、予め、知っている」
 
 加持は、小さな声で、自らに言い聞かすように、そう呟いた。
 
 ……そこから導き出される推論は、一つだけだ、と、加持は思う。
 
 ……彼は、死海文書の内容を、知っている。
 
 ゼーレのシナリオを、理解しているのだ。
 
 
 
 碇シンジ。
 
 彼は、何者なのか?
 
 
 
五百二十五



 サイレンが、NERV本部に響き渡った。
 
 廊下を歩いていたシンジは、僅かに表情を引き締めて、顔を上げる。
 
 
 
 軌道上に、光り輝く翼が現れていた。