第百話 「瞳」
四百七十



 使徒の屍肉を貪り尽くして、初号機はようやく、その活動を停止した。
 
 
 
 アンビリカルケーブルは、戦闘が始まってかなり早い時刻に切断されていた。その後の経過時間を考えても、初号機への電源の供給は戦いのさなかに失われていたと思われる。
 
 にも関わらず……初号機は、またもや再起動して見せた。
 
 
 
 電源の供給が失われても、初号機は、動く。
 
 それは……微動だにせず、ただケイジに黙って鎮座している、現在も同じだ。
 
 各種計測機器が、初号機の胸の奥に、内燃機関が存在することと……それが、いまなお静かに息づいていることを教えていた。
 
 
 
 内燃機関
 
 自律稼働機関
 
 ……S2機関。
 
 
 
 もちろん、奥深くに埋まっているそれを、肉眼で確認することは出来ない。
 
 だが、モニタにコンピュータグラフィクスで表示されるその形状を見れば、誰もが、思い出す。
 
 丸い……使徒の、コアを。
 
 
 
 ……だからこそ、技術部としては、初号機の扱いを厳重にせざるを得なかった。
 
 ケイジに収容された初号機は、いつものボルトに加え、さらに急造した拘束具で幾重にも固定されていた。
 
 理論上、パイロットがいない状態では停止信号プラグが頚椎に挿入されており、エヴァが勝手に動き出すことなど有り得ない。
 
 だが、そうは言っても……この初号機は、パイロットを無視して幾度か暴走、勝手に行動している。
 
 ケイジで突然暴れださない、とは誰にも言い切れないだろう。
 
 
 
 前回と違い、シンジは戦いのすぐ後に意識を取り戻していた。
 
 例によって、暴走した初号機が一体何をしたのか、肝心のところは全く覚えていない。
 
 だが、目を覚まして最初に網膜に飛び込んできた、眼下に広がる夥しい肉片と血の海に、その凄惨な振る舞いを想像して溜め息をつくしかなかった。
 
 
 
 とにかく、今回のシンジはスープのように溶けてしまうことはなかった。
 
 NERVの回収班によってエヴァのエントリープラグから助け出されたシンジは、職員とともにそのまま自分で本部の中に足を踏み入れていた。



四百七十一
 
 
 
 医局に直行して簡単な検査を受けたシンジは、健康状態には問題がないとの太鼓判を押されて解放された。
 
 ロッカールームに行ってプラグスーツを脱ぎ、体中に油膜のように貼り付いたLCLをシャワーで洗い流していく。
 
 
 
 湯気に煙る個室で後頭部に暖かい雨を浴びながら、シンジは、じっと目の前のタイルをつたう水滴の群れを見つめていた。
 
 ……今回の闘いも、紙一重だった。
 
 それは、誰の目から見ても明らかだった。
 
 闘いには勝ったが、シンジにしてみれば計画は失敗に終わったと言っても良い。勝ったのは、あくまで初号機の力……シンジにも制御不可能な状況での、初号機の暴走による結果に過ぎない。もう一回やって、もう一回初号機が暴走するとはとても言い切れない。
 
 「くそっ……」
 
 シンジは呟くようにそう言うと、頬を伝う滴を散らすように、小さく首を左右に振った。
 
 
 
 自虐的に、自分を責めることなど、誰にだって出来る。
 
 この失敗を、次回に活かせるのならば、それが最善だろう。
 
 だが……では、どうすればいいのか?
 
 二度と再び、同じ使徒はやって来ない。
 
 また、次の使徒には、微かな記憶を頼りに拙い作戦を立て、それにすがって挑むより他に道はないのだ。
 
 
 
 (……僕の他にも、時間を遡ってきた人がいればいいんだけどな……)
 
 シンジは、そう思いながら、シャワーの蛇口を締めた。
 
 自分一人の記憶では曖昧なことも、二人いれば補完しあえる。それによって見落としも減るだろうから、より間違いのない作戦が立てられるというものだ。
 
 (まぁ、考えても……仕方がない、事なんだけど)
 
 体についた水滴を拭き取り、ゆとりのある膝下丈のズボンを履く。Tシャツの首から頭を出すと、椅子の上に投げ出してあったプラグスーツを取り、ロッカーの中に放り込んだ。



 管制塔に着くと、既に、レイとアスカは着替えを済ませて待機していた。

 部屋に入ってきたシンジに気付いたレイが駆け寄ってくる。



 「……お疲れさま、碇君……大丈夫?」

 心配そうな面持ちで声を掛けてくる。

 初号機が暴走したことで心配しているのだろうが、シンジにしてみれば意識を失っている間のことだ。体に変調も見られないし、問題ない、と思える。……むしろ、大変だったのはレイの方だろう。神経が接続された状態で、片腕を肩から失うというのは、決してラクな状況ではあるまい。

 「綾波こそ、大丈夫?」

 だから、シンジは逆に尋ねた。問われたレイは、首を軽く傾ける。

 「?」

 「腕……痛かったろ?」

 「平気……別に。碇君は……?」

 「僕は大丈夫だよ」

 シンジはそう言って微笑んでみせた。



 「ホラ……そこのバカップル! サッサとこっちに来なさいよ! ブリーフィングが始めらンないでしょッ!」

 二人の後頭部に、耳慣れた少女の声が飛んでくる。



 顔を挙げると、向こうを向いたまま腕を組んでいる、アスカの背中が見えた。

 シンジが咄嗟に反応できずにいると、アスカは首を僅かにこちらに向けて、シンジの顔を睨みつけた。

 「は・や・くッ!」

 怒気を含んだようなその声に、シンジとレイは慌ててアスカの許に駆け寄った。



 いつものように、ミサトの前に整列する。

 並び順は、シンジを中心に、両側にアスカとレイ。

 以前と変わりない。

 シンジは、少し考えてから……横目で、アスカの方を見た。



 ……アスカも、じっとシンジの横顔を見ていたらしかった。急に目が合って、びっくりしたような表情で視線を逸らす。

 それから、すぐにまた視線を戻し、睨むようにシンジを見た。

 「……なによ……なんか、用?」



 言葉はざっくりとして、つっけんどんだ。

 だが、戦いの直前にあった切り裂くような刺々しさは鳴りを潜め、照れ隠しのように僅かに尖らせた唇は、以前と変わりなかった。



 シンジは、思わず安堵して、微笑んだ。
 
 

 結局……なにが、途絶えたと思えたアスカとの絆を再び蘇らせたのか、シンジには良く分からない。

 だが……戦いのさなかの、アスカの言葉を思い出す。

 『……しょうがないじゃん! だってさぁ! シンジが何を隠してようと……どんな男だろうと……もう、信じちゃってんだから! とっくに信用しちゃってんだから! いまさら、変わんないのよッ! だって……だって……信用しちゃってんだからさぁッ!!』

 自惚れさせて貰えるならば……今に至る、アスカとの間に築き上げてきたもの……

 ……正しいかどうかは、まだ分からない。だが……それは、決して誤りではなかったのだ。



 そんな思いが、我知らず、シンジの口許に微笑みを浮かべさせていた。

 「いや、……別に」
 
 そう言って、笑う。

 そんなシンジの笑顔に、アスカは思わず赤くなった。そして、そんな自分を自覚して、怒ったような表情で、慌ててシンジを睨みつける。

 「……ナニ、ニヤニヤしながら見てんのよッ!」

 言うや否や、力いっぱい、シンジの足に自分の足を踏みおろす。

 ドガッ!
 
 「あだぁッ!!」



 「はいはい、ブリーフィングを始めるわよ」

 パンパン、と、ミサトが書類を手で叩いた。

 慌ててアスカとシンジは気を付けの姿勢をとる。
 
 ……レイは、そんな二人を不思議そうな視線で見つめていた。



四百七十二



 「……まず、三人とも、本当にお疲れさまでした」

 ミサトはまず、ゆっくりとそう言った。
 
 

 そこで、言葉を切る。
 
 
 
 並ぶ三人の顔を見渡す。



 暫しの沈黙……
 
 
 
 ……シンジたちが怪訝な表情を浮かべた頃……再び、ミサトの唇が開く。



 「……そして……ごめんなさい」

 ミサトはそう言うと、深く……頭を下げた。



 三人は、驚いたようにミサトを見る。

 「ミサトさん……」

 言いかけたシンジを遮り、顔を上げたミサトはゆっくりと言葉を続けた。

 「作戦部長として……あんな戦いになる前に、やるべきことはいくらでもあった。

 分かっていた……つもりだったんだけどね。結局、作戦らしい作戦も指示できないまま、戦いに突入させてしまって……。勝てたのは、運が良かったとしか言えないわ。零号機、片腕損傷……結果両腕欠損。弐号機、片腕及び頭部損傷、欠損。被害は決して、小さくない。

 この結果を招いたのは、私のせいだわ……本当に、ごめんなさい」



 そう言って、ミサトはもう一度、頭を下げた。

 シンジは、慌てたように一歩、右足を踏み出す。

 「ミサトさん……そんな……頭を上げてください。ミサトさんばかりが悪いなんて思ってませんよ」



 それは、確かに、シンジの偽らざる気持ちだ。
 
 事実、つい先程まで、シャワー室で自分を責めていたのは他ならぬシンジである。

 シンジにとって、自分自身を責めるミサトの気持ちは分からぬでもない、だからこそ、殊更に責めようという気は起きなかった。



 しかし、それは子供たち三人の、共通した想いではなかった。

 ミサトの述懐と、それを止めるシンジの姿を見ながら、腕組みをして……アスカは、ゆっくりと口を開く。



 「……いいじゃない、シンジ。それが、ミサトの仕事なんだから」
 
 

 シンジが、少しだけ驚いた表情で、振り返ってアスカを見る。

 「アスカ……」

 アスカはシンジの目を見る。
 
 瞬間、視線が絡み合うが……すぐ、視線を切り、言葉を続ける。



 「責めよう、とまで言わない。でも……謝るくらい、して貰っても罰は当たらないわよ。……こっちは、命、懸けてんだから」



 「本当に……その、通りよ。ごめんなさい……アスカ。それに、レイ……シンちゃんも」

 アスカの言葉に反論することもなく、ミサトはそう言うと、もう一度、深く頭を下げた。
 
 再び、重苦しい沈黙がその場を支配する。



 ……シンジは、アスカとミサトの真ん中に立って、困惑していた。

 心情的には、アスカの言うことも、ミサトの気持ちも、理解できる。
 
 だからもちろん、ミサトの側に立ってアスカに反論するのも、アスカの側に立ってミサトを責めるのも、違う気がする。

 図らずも板挟みになったような気持ちで二の句を告げずにいたところ……三者のいずれでもないところから、突然、言葉が投げかけられた。



 「……鈴原君は、どうしたんですか?」



 三人は、呆気にとられたような表情でレイを見る。

 前後の会話に、全く関係のないセリフ。

 言葉を発したレイは、きょとんとした表情で、自分を見る3つの表情を見つめ返した。
 


 シンジもアスカもミサトも……レイの様子に、思わず力が抜けたように張りつめた肩を僅かに落とした。
 
 まるで、直前までの若干緊張した空気の方が、むしろ場違いだと言わんばかりの状態だ。
 
 シンジは、我知らず苦笑する。……レイに、今の重い空気が分からなかったとは思えないが……だとしたら、わざとだろうか?
 
 とにかく、ぎざぎざと骨張った空気が緩和されて、ほっと息をついた。
 
 

 そんな三人の思惑のことを知ってか知らずか、レイは、ミサトを見つめたまま、僅かに首を傾げて再び口を開く。
 
 「ミサトさん……」
 
 「あ……ああ、あの……トウジ君は、えぇと……リツコと一緒に、訓練してるわよ」

 ミサトが、慌てて吃りつつ、説明する。



 シンジはその言葉にまたちょっと驚いて、レイからミサトの方に振り返った。

 「訓練? え、あの……今、ですか?」
 
 ……つい先程まで、使徒との壮絶な闘いを繰り広げていて、今やっと終わったのに、もう訓練を行っていることに驚いての発言だった。普通、使徒戦が終わったその日は、それで解散となる。ミサトやリツコは事後処理で忙しくなるし、チルドレンは闘いで疲弊しているのだから当然だ。こんな、闘いが終わって一時間足らずで通常訓練を再開するのは不自然に思えた。



 ミサトは、頭を掻きながら、シンジの言葉に応えた。

 「う〜ん……まぁ……トウジ君は、戦闘に参加してたわけじゃないしね」
 
 「いや、まぁ……そうかも知れないですけど……じゃぁ、リツコさんは?」
 
 「使徒の屍体の分析も、今はまだ情報を収集してる段階で、リツコの出番じゃないのよ」

 「はぁ……」

 だがしかし、ブリーフィングにすら同席しないのはおかしくないだろうか?
 
 いつもならここでミサトの横に立っているのが常であるリツコが、必ずしも急務ではない筈の訓練をブリーフィングより優先させるのは不自然な気がする。
 
 シンジが、なおも幾分、解せぬといった表情を見せていると、ミサトは僅かに肩を竦めて見せた。



 「納得いってない、って顔ね」
 
 「え……あ……まぁ」
 
 「ま……気持ちはわかるけどね」
 
 「ここに居てもおかしくないのになぁ、と、思って……」
 
 「う〜ん、まぁ、この場はただの慰労と連絡だけだから」
 
 「う〜ん……まぁ、いいんですけど……トウジの通常訓練が、優先されるって言うのが不思議な気が……」

 「ま……ね、実は……お仕置きを兼ねてるってとこもあるみたいよ」

 「は? お仕置き?」
 
 「そ。……お仕置き」
 
 「は? ……なにが? ……誰の?」

 「トウジ君、結局、最後までココに来なかったのよ」

 「最後まで……?」

 「使徒が、倒されるまで」

 「え、管制塔に来なかったんですか?」

 「そ……ココに来るの初めてだし、辿り着けなかったみたい」
 
 「それで……お仕置き、ですか?」
 
 「まぁ実際には、トウジ君の居場所は常に把握してたし、どうせ出撃もできないから実害はないんだけど、リツコは『たるんでる』って言ってね」



 それはたるんでいると言うよりは、道に迷ってしまったからで、意図して管制塔に来なかったわけではあるまい。
 
 トウジに問題が無いとは言わないが、まぁ軽く注意を受けるくらいで充分ではないか。

 第一、ここは意図的に複雑な構造で、分かっていても時折迷うのだ。事実、シンジと初めて出会った日に、ミサトは思い切り迷っていたではないか。



 しかし……確かに考えてみれば、リツコは絶対に道に迷ったりしないだろう。そのリツコから見れば、迷って管制塔に来れなかったのはたるんでいるということなのか? 
 
 ……しかし、少々厳しすぎる気もするが……。

 シンジは、心配そうにミサトを見た。

 「あの……リツコさん、怒ってるんですか?」

 しかしその問いに、ミサトはほんの少しだけ……やれやれ、という雰囲気で、肩を竦めてみせた。

 「いや……あれは、まぁ……」
 
 「?」
 
 「どっちかと言うと……楽しんでる、のかも、知れないわね」
 
 「は……?」
 
 呆気にとられるシンジに、ミサトは苦笑して見せた。



四百七十三



 「……ぁぁぁぁあぁあぁああああああぁあぁぁぁあぁぁぁ……」


 遠くから、トウジの叫びが急速に近付き……

 ……ぶぅん、と鈍い音を立てて、シンジの目の前を、トウジの叫びがドップラー効果と共に通り過ぎる。

 (……ツラいんだよなぁ……これ)

 頬に一陣の風を感じながら、シンジは、トウジに同情を禁じ得なかった。



 丸くカーブした壁面にぐるりと囲まれた、円形の部屋。

 部屋の直径は、大体30メートルぐらいであろうか。

 一番外側の、外縁付近には、柵のついた細い通路がぐるりと一周している。
 
 シンジたち一行はその柵によりかかりながら、部屋の中央の方を眺めていた。

 部屋の中央……円形の部屋のちょうど中心の床から、直径2メートルほどの白い円柱が生え、そのまま天井まで伸びている。

 その、円柱の高さ3メートルほどのところから、更に一本の長い鉄骨が真横に伸びており、……その一番先の座席に、トウジがくくりつけられていた。



 ヘルメットと防護服でガチガチに固められたトウジを鉄骨の先端にくくりつけたまま、円柱は高速で回転していた。

 当然、中心から最も遠い場所にいるトウジは、さらに物凄い速度でぶっとんでいる計算だ。

 「(びゅんっ)……ぁぁあすうぅうけえぇぇ……(びゅんっ)」

 恐らく助けてくれと言っているのだろうが、回転する機械の音と風切り音で聞き取ることはできない。



 「……僕もこの訓練やったときは、しばらく立ち上がれなかったもんな……」

 一瞬で目の前を通過していくトウジを眺めながら、シンジが独り言のように呟く。

 二度と再びやりたくない、と心の底から思わせる訓練である。

 もっとも、この訓練は本当に、最初の一回だけで、二度は行われない。荷重に対する適性を知るために、一度は必ず実施されるものの……実際の戦闘ではエヴァとシンクロしていて逆に荷重をあまり感じないため、通常訓練として取り入れる意味がないのだ。

 さしあたり、それは有り難い措置である。
 
 (もっとも……僕は二回、やったけど)

 シンジは、忌まわしい記憶を思い浮かべて顔をしかめた。

 時代を逆行してきたこと……そのこと自体は、どんな超越者の措置か知らぬが、その者に感謝の念を覚えてやまない。だが、逆行してすぐの頃に、あの棒の先にもう一回座らされた時には、思わずその超越者を呪ったものであった。
 
 
 
 やがて円柱の回転は徐々に落ち、減速しながら更に3周ほど回って、トウジのシートはシンジたちとは少し離れた場所で停止した。
 
 
 
 扉が開いて、白衣姿の職員が数人、わらわらと現れてトウジの許に駆け寄った。
 
 トウジをくくりつけた鉄骨はお辞儀をするようにゆっくりと降りていき、それに併せて職員達がトウジの体を固定していたバンド類をてきぱきと取り除いていく。
 
 やがて、うつろな表情で涙と鼻水とよだれをたらしたトウジの体を車輪のついたベッドに横たえると、そのままガラガラと扉の外に消えていった。
 
 
 
 シンジたち一行も、同じ扉をくぐって実験室に移動した。
 
 
 
 実験室の中は、コンピュータとモニタがズラリと並んでいて、機器類に並ぶ小さなランプがせわしく明滅していた。
 
 キーボードを叩く白衣の職員が5名ほどおり、部屋の中央ではリツコがプリントアウトされた書類を眺めながら他の職員に何事か指示している。
 
 部屋の一隅に置かれたベッドの前に足を運ぶと、額に濡らした布を置いたトウジが、青い顔をして横たわっていた。
 
 
 
 「相当キツかったみたいだね……」
 
 シンジは、苦笑して呟いた。
 
 ベッドの上のトウジは、げっそりした様子で瞳だけシンジの方に向ける。
 
 すぐには返答できず、荒い息をしていたが……やがて、ようやくという感じで声を絞りだした。
 
 「……し……」
 
 「え?」
 
 「……死ぬ……かと……思たわ……」
 
 それは決して誇張ではないだろう。よりにもよって二回も経験しているシンジは、思わずトウジの目をじっと見つめて深く頷くしかなかった。
 
 
 
 「まぁ……それでも、終わりまでちゃんと耐えたんだからいいほうだと思うわよ、トウジくん」
 
 シンジたちの後ろから、ミサトが微笑んで声を掛けた。
 
 トウジは、天井の方に顔を向けたまま、また瞳だけを動かしてミサトを見る。……恐らく、頭を動かすと気持ち悪くなるのだろう。その感覚も、シンジには痛いほどよく分かる。
 
 「……やり、終えた……ちゅうても……お、終わるまで、やめられん……のですから……どうせ」
 
 「いやぁ、もちろんそうなんだけど、こういうのって結構パニックになっちゃって、回転中に無理矢理バンドを外して降りようとする輩がいるのよねぇ〜」
 
 その言葉に、シンジが驚いてミサトの顔を見る。
 
 「それ……死ぬんじゃないですか?」
 
 シンジの疑問は当然だ。あの高速回転中に鉄骨から降りたら、そのまま遠心力で壁に激突してぺちゃんこである。
 
 ミサトは笑って首を振った。
 
 「もちろん、自分じゃ外せないわよ。慌てて外そうともがくだけ。でも、外せないにしてもとにかくそういう行動を取ったら、安全のために自動的にブレーキがかかって数回転で停止するようになってるの」
 
 「はぁ……」
 
 「でも、トウジくんは、プログラムが終了して回転が止まるところまで、ちゃんとやったでしょ。……途中で止まらなかったってことは、少なくともそういう無謀な行動には出てないって事よ」
 
 
 
 「……そういうことをする輩は、論外。最後までやって、当たり前よ」
 
 急に背後から声がして、一同は振り返った。
 
 
 
 そこに立っていたリツコは、手許の書類に赤ペンで何かを書き込んでいた。
 
 更に数枚をめくってもう一言書き添えてから、側にいた職員にぱっと手渡す。
 
 それから、腕組みをして一同の方に向き直った。
 
 
 
 「……すんません……」
 
 そんなリツコの様子を見つめて……トウジが、消え入りそうな声で呟いた。
 
 リツコが、静かにトウジを見て、口を開く。
 
 「なにが?」
 
 「なにが……て……情けない結果で……」
 
 「情けない? そう?」
 
 「いや……あの、いま、やって当たり前……て」
 
 「別に、それしか評価すべき点がない、って言っているわけじゃないわ」

 そう言うリツコに、トウジは、おずおずと言葉を繋いだ。
 
 「でも……良くはない……ですよね」
 
 「そう悲観することもないわよ。悲鳴のあげっぷりはなかなか見事だったけど……数値的に見れば、訓練経験がない未成年としてはまずまずってところね」
 
 
 
 リツコはお世辞を言ったりしない。
 
 芳しくない成績であったら、相手が弱っていることなどにお構いなしに、容赦なく結果を告げるだろう。
 
 トウジの出した結果は、本当に、決して悪くなかったらしい。
 
 
 
 リツコと出会ってまだ日の浅いトウジには、その辺りの感覚はまだ良く分からない。
 
 リツコの言葉を額面通りに受け取るしかなく……しかし、かなり悪い結果だと思っていたトウジにとっては存外に良い評価だったらしく、青い顔を僅かにほころばせた。
 
 
 
 「あの……ちなみに……シンジは、こんなヘタれとは、ちゃいましたよね?」
 
 トウジが、おずおずと聞く。
 
 リツコは、そんなトウジを見て……思い出すように視線を宙に漂わせてから、口を開いた。
 
 「別に。……シンジくんも、平均ぐらいね。こういうのは持って生まれた体質みたいなところもあるから……。
 
 ……まぁ……そうね、強いて言えば……計測中に大騒ぎしなかったのは、初めての経験にしては落ち着いていた、と言えるかも知れないけど」
 
 (初めてじゃぁないんですよ……リツコさん)
 
 シンジは、心の中で恐縮して身を縮めた。
 
 大騒ぎしなかったのは、二度目だったから。
 
 恐怖におののきつつも、辛うじて心の準備ができていたからに過ぎない。
 
 事実、前回の人生で初めてこのマシンに載せられたときは、先程のトウジに負けない大声で助けを呼んだ記憶が、朧ながら残っている。
 
 
 
 「そう言えば……アスカは、この訓練をしたときにはドイツだったから、詳しい様子を知らないのよね、私」
 
 ミサトが、ふと思い付いたように呟き、リツコの方を向く。
 
 「知ってる?」
 
 「さぁ? 私は数値としての結果にしか興味はないから。ちなみに、数値的には、これも平均的というところね」
 
 「ふぅん……」
 
 リツコの応えに頷いた後、ミサトは、横に立っていたアスカの方に向き直った。
 
 「じゃ、実際の感想はどうだった? やっぱ、大騒ぎしたの?」
 
 ……アスカは、フン、と鼻を鳴らして髪の毛を大きく掻き上げ、ポーズを作った。
 
 「バッカじゃないの? このアタシが、そぉんな取り乱すわけないじゃない。もう、バッチリ、スッキリ、クールに決めて見せたわよ」
 
 「へぇ……」
 
 シンジが、少しだけ驚いた表情で呟く。
 
 ミサトが、さも感心したような表情で頷いて見せた。
 
 「ほぉ〜……さっすが、アスカね」
 
 「あったり前じゃない」
 
 「……今の、向こうの職員に問い合わせて確認していい?」
 
 「殺すわよ」
 
 無表情のまま、ズバッとアスカが斬る。
 
 
 
 「……綾波はどうだった?」
 
 ミサトとアスカのやり取りに苦笑しながら、シンジが横に立つレイに尋ねた。
 
 レイは、シンジに問われてから、考え込むように顎の先に人差指を当て……暫し経ってから、首を傾げてシンジを見た。
 
 「……覚えてない」
 
 「あ……そうなんだ」
 
 シンジがそう応えると、リツコが背後から、言葉の後を継ぐように静かに声を掛けた。
 
 「レイは、全く騒がなかったわよ」
 
 
 
 「そうか……すごいなぁ」
 
 シンジが、溜め息とともに呟く。
 
 一同、シンジの言葉に、同意するように頷いて見せた。
 
 そう、確かに、大騒ぎするレイの姿は想像しにくい。レイこそ、訓練が終わった後も普通にマシンから降りてきて、そのままスタスタと去っていってしまうような姿がそれらしい。
 
 そう、特に疑問も抱かずに、一同が納得しかかったところで……次にリツコが放った一言で、思わず、一斉に脱力してしまったのであった。
 
 
 
 「……気絶してたからね」



四百七十四



 体調が戻るのを待って、そのままトウジはシンクロテストを行うことになった。
 
 
 
 「続けてやるんですか?」
 
 シンジが、意外そうな表情でリツコに問い掛ける。

 使徒戦が終わったばかりで時刻も決して早くはないのに、耐荷重訓練を行うだけでも、異例だ。
 
 まして、続けてシンクロテストをも行うのは、シンジの目からは不自然に映る。
 
 実験棟に移動する廊下を並んで歩きながら、リツコは横目でシンジを見る。
 
 「どうして? あなたたちも、続けて何本も試験をするのは珍しいことじゃないでしょう」
 
 「いや……いつもは、まぁ、そうなんですけど……今日は、使徒と闘った後だから」
 
 「トウジ君が闘ってたわけじゃないわ。彼は充分休養を取っているはずよ」
 
 「リツコさんは、使徒戦の事後処理とかないんですか?」
 
 「マヤがやってるわ。私が行って調査するのは、今夜から」
 
 「はぁ……」
 
 「シンジくん……正直、トウジくんに残された時間は潤沢とは言えない。あなたたち三人に比べて、トウジくんは良く見積もっても数ヶ月は後れを取っていると見ていいわ。でも、数ヶ月後にもまだ人類が生き残っているか、それは誰にも分からない。少しでも早くトウジくんにエヴァが操れるようになってもらうために、無理をするのはこの際、仕方がないことよ」
 
 
 
 リツコの言葉は的を射ている。
 
 それは、シンジも、心の奥底で微かながら懸念していたことで、そこを突かれては返す言葉はなかった。
 
 「……だから、闘ってきたあなたたち三人は、今日はもう休んでもいいのよ」
 
 実験棟の入り口の前で立ち止まったリツコは、振り返って、シンジと……その後ろについてきたレイ、アスカの顔を見渡した。
 
 「それとも、見ていく?」
 
 
 
 リツコの言葉に、シンジは頭を掻いて振り返った。
 
 「どうする? 二人とも」
 
 問われて、アスカは僅かに肩を竦めて見せた。
 
 レイは、短く言葉を発する。
 
 「見る」
 
 レイの言葉に、シンジは頷く。そんな三人を見て、リツコは何も言わずに実験棟の扉を開け、シンジたちもその後に続いた。



 「……手順はさっき説明した通り。プラグの中がL.C.L.で満たされるけど、前に経験済みだから大丈夫よね? あまり頑張らないで、一気に吸い込んでしまった方が楽だから」

 リツコは両手を白衣のポケットに突っ込んだまま、メインモニタに映るトウジに向かって話しかける。

 オペレータたちが座る眼前には大きな強化ガラスが嵌っており、その向こうには液体に半分ほど沈んだ円柱が四本、並んでいるのが見える。

 リツコの隣にはミサトが立ち、同じようにガラスの向こうの円柱とモニタの向こうのトウジを交互に眺めている。

 その後ろに、シンジたち三人は並んでいた。



 『あのぅ……シンクロテスト、て、具体的には、何するんです?』

 メインモニタの向こう側に、固い表情で操縦把を握るトウジの姿が見える。
 
 シンクロテスト、と言えば確か松代での起動実験も内容は近かったはずだが、何しろあの時は、ろくに説明を受けていなかったのだから、トウジにとっては未知の訓練に等しい。

 リツコは、マヤのサブモニタを流れる緑色の文字列を目で追いながら応える。

 「別に……エヴァと、パイロットの適性を見るようなものよ。あまり深く考えなくても平気」

 『いや、そやかて……えぇと、痛かったりせんのですか』

 「それは平気。気を散らせたりしないで、集中するように努力しておいて貰えればいいから」

 『はぁ……』

 いまいち、信じてよいのかどうか分からない、といった風情で、トウジは曖昧に返事を返した。



 「L.C.L.注入開始します」

 マヤの言葉と同時に、テストプラグの中が液体に満たされ始める。

 トウジは、徐々に迫りくる水面を凝視したまま身じろぎしない。



 「……まぁ、初めはなかなか慣れないよね……L.C.L.」

 残りの二人と後方で並んで立っているシンジは、呟くようにそう言う。

 肺の中を液体で満たす、という行為は、通常であれば「溺死」という結果以外をもたらさない。

 L.C.L.なら死ぬことはない、ということは頭で分かっていても、体が生理的にそれを拒むのだ。

 そういった肉体の自然な反応を、いわばムリヤリ理性で押さえつけるのである。拒絶反応が出て当然だ。シンジたちも、幾度も同じ行為を繰り返すことで、ようやく体に覚え込ませたところだ。
 
 今でもまだ不快感が拭えず、まして最初の頃は苦行でしかなかった。他に方法が無いから仕方なく我慢しているに過ぎず、好きこのんでやりたいものでは決して無い。



 トウジはといえば、既に水面は鎖骨のあたりまで到達し、頭だけが飛び出ているような状態になっていた。
 
 ごくり、と、トウジの喉仏が動くのが分かる。
 
 硬い表情で迫り来る水面を凝視するトウジ。
 
 
 
 「脈拍が乱れてるわよ、緊張しないでトウジくん。普通に吸い込めばいいから、リラックスして」
 
 リツコがマイクに向かって語りかけるが、果たして聞こえているのか、特に反応せずにじっと水面を睨み付けている。 
 
 そうして、数秒……
 
 
 
 ……突然、意を決したように、ガバッとL.C.L.の中に頭を突っ込んでいた。
 
 
 
 一見すると、「どうせ苦しむくらいなら」と、自らL.C.L.を吸い込みにいったようだが……ちょっと違う。
 
 スピーカーごしに、トウジがL.C.L.を飲み込む「ごっくごっく」という野太い喉音が実験棟にこだましていた。
 
 リツコが、眉間に皺を寄せながら、マイクを手に取る。
 
 「トウジくん? ……胃を満たしても、お腹がガブガブになるだけよ。……肺に吸い込みなさい、肺に」
 
 『ぶぁっ……いや、ごっくごっくごっくごっくごっく、ぶはっ、だから、ごっくごっくごっく、吸い込んでますって、ごっくごっくごっくごっくごっく』
 
 「……だから、飲むんじゃなくて、吸うのよ」
 
 『??? ごっくごっくごっく、ぶ、ぶぁっ、だ、だから、こうして、ごっくごっくごっく、げぇえぇっぷぅ、す、すんませ……ごっくごっくごっくごっくごっく』
 
 「………」
 
 『ごっくごっくごっくごっくごっく、ぶはっ、ごっくごっくごっくごっくごっく、ぶぁはぁっ、ごっくごっくごっく、ぶ、うげほげほげほ、うぐ、うごっ……ご、ごっく……ご、うごらばごらばがばごぼごぼごぼごぼっごぼごぼごぼ……』
 
 
 
 ごぼごぼと激しい気泡をあげて悶えるトウジ。
 
 その姿に溜め息をつくと、リツコはそのままマヤの方に振り返った。
 
 「……まぁ、とにかく……無事、肺に入ったみたいだから、シンクロテスト始めるわよ。準備はいい?」
 
 「は、はい、……あっ」
 
 「どうしたの?」
 
 短く驚きの声を挙げたマヤに、リツコは怪訝な視線を向ける。
 
 マヤは、緊張した表情で言葉を続けた。
 
 「フォース、胃の内容物逆流!」
 
 「……L.C.L.強制排水!」
 
 マヤの報告に、間髪を入れずに反応するリツコの声に合わせて、オペレータのひとりがキーボードのボタンを押す。
 
 その瞬間、ガラスの向こう側に並ぶ四本のプラグの、一番右の一本が激しく水を噴き出し……数秒空けて、ガシャン、と上面のハッチが開く。
 
 「あ……あそこ、開くんだ」
 
 シンジが、その様子を眺めながら、呆けたように呟く。テストプラグを使うときはいつも、本来のプラグにはない筒の先端部から出入りしているので、本物と同じ位置にちゃんとハッチがあるとは知らなかった。
 
 さらに数秒が経ち……その、開いたハッチから、顔面蒼白のトウジが水面を突き破って顔を出すのが見える。
 
 
 
 そのまま、ザブザブとハッチのフチまで辿り着くと……。
 
 「……フォース、臨界を突破します……」
 
 『……げえろえろえろえろえろ』
 
 
 
 「……サイテ〜……」
 
 げんなりした顔で、アスカは、ハッチから冷却湖面に注がれ続けるきらめく液体を眺めて溜め息をついた。
 
 シンジは、思わず苦笑するしかない。
 
 レイは、きょとんとした顔で、トウジとその顛末を眺めている。
 
 
 
 「飲み過ぎね」
 
 リツコは腕を組んだまま、無表情でそう呟いた。



四百七十五



 暗闇の中……。
 
 
 
 数人の人影が囲む細長い机。
 
 その中央に、映像が宙に浮かんでいるのが見える。
 
 暗闇を四角く切り取ったような画面の中で、雄叫びをあげる、紫色の巨人。
 
 ……使徒を食み、獣じみた所作で辺りを見回すのは、つい、数時間前の初号機の姿である。
 
 
 
 老人のひとりが、画面を睨み付けるように凝視しながら、口を開く。
 
 「……エヴァシリーズに生まれるはずの無い、S2機関」
 
 「まさか、このような手段で取り込むとはな」
 
 別の老人が、呼応するように呟く。
 
 「ゼーレのシナリオにはない出来事だ」
 
 「この修正……容易ではないぞ」
 
 
 
 鷲鼻の老人が、中を見上げるようにして、言う。
 
 「碇ゲンドウ……あの男に、NERVを与えたのが……そもそもの間違いではないかね」
 
 その言葉に、老人たちは、一斉に上座に座る男に視線を向けた。
 
 
 
 上座に座る、バイザーをつけた男は、身じろぎもせず……ただ、唇だけを動かした。
 
 「……だが、あの男でなければ、ここまで計画は遂行できなかった」
 
 
 
 「……碇ゲンドウだけではない」
 
 別の……髭をたくわえた老人が、鼻を撫でる。
 
 「サードチルドレン……あの少年の存在も気掛かりだ」
 
 「左様……今回の、初号機の暴走……それも、あの少年が意図をもって引き起こした、と見るべきかも知れん」
 
 「そうだ、本来、この暴走は起こる予定の無い出来事だった。では、何故暴走し、初号機はS2機関を取り込むに至ったのか?」
 
 「あの少年が、なにかしたと言うのか」
 
 「可能性は否定できまい」
 
 「碇ゲンドウに、NERVを与えた過ち……それ以上に、碇シンジに初号機を与えたのは過ちだったのかも知れん」
 
 「いまさら、どうにもなるまい……」
 
 「そうだ……もはや、修正不可能なところまで、綻びは進んでいる」
 
 「量産機に対抗するつもりか……碇シンジ」
 
 「どこまで知っているのか」
 
 「全てか?」
 
 「可能性は否定できまい」
 
 「……あの男に拉致の命令を出したとき、葬り去ってしまうべきだった」
 
 「いや、それは無理だ。碇シンジを抜きにしては、計画そのものが破綻するだろう」
 
 「……あの男に、碇シンジを葬れる力があったかどうかも疑わしいしな」
 
 
 
 おのおの、交わす言葉には、いささか沈んだ調子が混じるのもいたしかたないのかも知れない。
 
 そもそも当初、シンジの存在は、シナリオの中で重要な存在ではなかった……いや、もちろん欠けることの許されない要素なのは間違いが無いのだが、それは初号機パイロットとしての存在であって、自らゼーレのシナリオに介入してくるような影響力のある存在としてではない。
 
 ゼーレにとって、もはや……碇シンジが邪魔者なのは間違いが無い。だが、その碇シンジの存在感が、もはやシンジ抜きのシナリオの進行を不可能にしている。
 
 取るべき妙手を失った形だった。
 
 
 
 「碇ゲンドウ……碇シンジ。シナリオに仇なす不穏分子が二つか」
 
 老人のひとりが、小さく溜め息をつく。
 
 「二人とも、何を考えているのか」
 
 「あの二人が、手を組んでいないという事実が、こうなってみると救いだな」
 
 
 
 「いずれにせよ……ただ座して待つわけにはいかん」
 
 バイザーの男が、低く、呟いた。



四百七十六



 執務室の窓から見える、鬱蒼とした森。
 
 その木々の間に、初号機が食い散らかした使徒の残骸が広範囲に渡って四散している。
 
 NERVの黄色い作業車が幾台も通過して、標本の収集に当たっていた。
 
 
 
 それを暫く見つめてから、加持はくるりと振り返った。
 
 「大したものですな」
 
 飄々とした雰囲気でそう言いながら、笑ってみせた。
 
 「一時はどうなることか、と思いましたが……結果は大勝利、と言っていいんではないですかね」
 
 
 
 「大勝利か……どうかな。エヴァは三機とも中破、もしくは大破だ。手放しで喜べる状態とは言えんな」
 
 冬月が静かな口調で応える。
 
 加持は、窓際を離れると、ゲンドウ達の待つ部屋の中央に向かってゆっくりと歩きだした。
 
 「そうですか?」歩きながら微笑む。「S2機関を取り込んだ時点で、勝利ではないんですか」
 
 「悪くはない」
 
 隠す様子もなく、冬月は短く答えた。
 
 
 
 「……予想、していたとでも?」
 
 やがて二人の前に立った加持は、その表情から微笑みを失わぬまま、ゆっくりと呟いた。
 
 冬月もゲンドウも、特に応えることなく沈黙する。
 
 加持は肩を竦めると、頭の後ろを掻いた。
 
 
 
 「……しかし、この展開は少なくとも、委員会……いや、ゼーレにとって予想外だったはず。……どう説明するおつもりですか?」
 
 なぞなぞを出題しているかのような、羽根のように軽い、加持の言葉。
 
 冬月は、眉ひとつ動かさずに口を開いた。
 
 「初号機は我々の制御下に無かった。あれは、不慮の事故だよ」
 
 「それで、納得すると思いますか?」
 
 「……よって、初号機は只今より凍結する。委員会の別命あるまでは、だ」
 
 ゲンドウの抑揚のない言葉に、加持は、僅かに視線を動かして、その姿を目の端に捉える。
 
 そのまま、かすかに口許を歪めた。
 
 
 
 「……それでも、闘いの場になれば、凍結は解除するおつもりでしょう? ……例え、委員会の別命など、無くともね」



四百七十七



 夜。
 
 子供たちは既に、それぞれの居室に戻って、今頃は夢の中へと旅立っているころ。
 
 出動した三人は、睡魔の誘いに抗えないほど疲労しているはずだし、出動しなかった約一名も、結局著しい疲労をみているはずである。
 
 もっとも、その少年は、疲れていようがいまいが、瞬く間に眠ってしまう体質なのだが。
 
 
 
 ケイジ脇の管制室ではしかし、夜を徹しての作業が進んでいた。
 
 初号機が使徒を撃破したことによる、新たな夥しい量の使徒標本の解析がひとつ。
 
 また、激しく損傷した三体のエヴァの修理も急ピッチで進めなければならない。
 
 使徒戦が終わった、といって一息つくわけにはいかない。この十分後に、次の使徒が襲ってこないとは誰にも言い切れない。
 
 いつでも、エヴァを最高の状態に維持することが、彼らの責務だった。
 
 
 
 片手を白衣のポケットに突っ込んだまま、リツコは、マグカップからコーヒーを一口、すする。
 
 すでに、かなり前に冷めてしまっている。
 
 
 
 「……初号機の自己修復速度が、理論値を大幅に超えています」
 
 マヤが、画面上を明滅する情報を見つめながら、低い声で呟いた。
 
 「ヘイフリックの限界点を、とっくに超えているはずなのに……」
 
 
 
 「……無限に再生する肉体、ってわけね……」
 
 リツコは、静かに呟くと、中身が半分ほどになったマグカップを、脇の机に置く。
 
 そのまま、ゆっくりと靴音を響かせ、ケイジにつながる扉から外へ出ていった。
 
 マヤは、その後ろ姿を、じっと見つめている。
 
 
 
 ケイジの中で、リツコはひとり、初号機を見上げていた。
 
 ……まさに、巨人と、小人だ。
 
 もしもこの巨人に憎悪の意志があるならば、逃げる間も無く……一瞬にして、小人は潰されてしまうだろう。
 
 
 
 リツコは、ただ無言で、自分を見つめる巨大な瞳と、対峙していた。