第九十八話 「引鉄」
四百六十一



 シンジの頭脳は回転を続けたまま、翌朝を迎えた。
 
 
 
 つまり、シンジの作戦はこうだ。
 
 まずエヴァ三体の役割分担を、「おとり」、「『おとり』役の防御」、「攻撃」、とする。
 
 攻撃役の一体は、使徒にその存在を気取られないように、あらかじめ姿を隠しておく。
 
 
 
 使徒が出現したところで、おとり役の一体が遠距離から攻撃を仕掛ける。
 
 防御役の一体は、おとり役の前面にATフィールドを展開し、使徒の攻撃からおとり役を護る。完全に防御のみに徹するのであれば、かなり強固な防壁を張ることが出来るだろう。
 
 
 
 使徒がおとり役と防御役の二体に気を取られている隙に、攻撃役の一体が、物陰から攻撃を仕掛ける。
 
 前回の、管制塔内での初号機の攻撃を思い起こせば分かるように……すぐそばから突然、猛速度で攻撃されると、使徒はATフィールドを張る暇もなく、その攻撃を受けざるを得ないはずだ。
 
 使徒への攻撃は無駄を一切省き、使徒のコアに一直線……コンマ秒単位で、最短距離で攻撃するのが望ましい。そのためには、一気にプログナイフを突き立てるのが有効だろう。
 
 
 
 懸念があるとすれば、前回……N2爆弾の爆発にも無傷で耐えた、コアの硬さだ。
 
 だが、この点については、いま考えても仕方がない。
 
 前回、初号機は確かに使徒を倒した。で、ある以上、エヴァにはその硬さを上回る力がある、と信じるしかあるまい。
 
 第一、N2爆弾の爆発になら、エヴァだって耐えられる。前回、零号機の攻撃が失敗に終わったのは、むしろN2爆弾に頼ってしまったからではないか? 始めからプログナイフをATフィールドで包んだ状態で突き立てていれば、案外勝利していたかもしれないのだ。
 

 
 (……まぁ……もっと、じっくりと考えれば、こういう作戦の穴もきちんと埋められて、完璧に勝利できるのかもしれないけど……)
 
 シンジは、ベッドの端に腰を下ろして、小さく首を振った。
 
 (……時間が、無い。タイムリミットは、今日の午後だ……もう、作戦の準備に取り掛からないと間に合わない)
 
 
 
 準備において問題になるのは、役割分担の布陣だ。誰を、どの役にするか?
 
 
 
 (……まぁ、順当に考えて、僕が攻撃役をやるのが……やっぱり、いいだろうな)
 
 シンジは考える。
 
 何故か?
 
 それは、初号機の速度が、やはり他の二体よりも群を抜いて速いからだ。
 
 「速度」……それは、今回の作戦では、最重要点であると言ってよい。

 わずかな速度の遅れが使徒の反撃を許し、結果的に人類が滅亡したのでは話にならない。
 
 作戦の成功確率が最も高い配置を取るのは、当然だ。
 
 
 
 それに、と、シンジは思う。
 
 ……本当に、最初の一撃で、使徒を倒すことができるのか?
 
 それは、誰にも保証することは出来ない。
 
 使徒のコアの硬さが、もしも、攻撃役の第一撃を防いでしまった場合。
 
 その場合、使徒から反撃が来るのは間違いない。

 しかし……それをそのまま、ただ喰らってしまっては、作戦もそこで終わってしまう。
 
 ……と、仮定したとき……使徒の反撃を咄嗟に躱せるだけの速度が、やはり必要なのだ。

 あの素早いバルディエルすら速度で凌駕した初号機ならば、その後の使徒の反撃を躱して、すぐに次の攻撃に移れるかもしれない。
 
 この観点から見ても、初号機が攻撃役を担当するのが、最も理に適っているのだ。
 
 

 と、なると、残りの役割分担は、おのずと決まってくる。
 
 おとり役がアスカで、防御役がレイだ。
 
 
 
 何故なら、事前に作戦の概要を、アスカに説明しておくことが出来ないからである。

 

 ……まだ、現れてすらいない使徒。
 
 その使徒に対する作戦を事前に考えているのは、どう考えてもおかしい。

 どうしても、アスカには、ぶっつけ本番で作戦に参加してもらわざるを得ないのだ。
 
 
 
 ……アスカにやってもらう「おとり役」は……一見すると、おとりではなく先陣を切って攻撃する役に見える。
 
 弐号機がこの役割を担うのは、誰の目から見ても不自然ではない。
 
 それにもともと、前回でも弐号機は同じような攻撃を行っていた。

 自然な分担だという証拠である。
 
 
 
 しかし、防御役は違う。

 何故、こんな役回りが必要か? 使徒の攻撃方法を既に知っているシンジならともかく、他の人間では訝しがるのも当然だ。
 
 こういう役割配置を、聞いてすんなり受け入れてくれるのは、シンジを除けば唯一事情を知っている、レイ以外にない。
 
 
 
 (それに……こないだの闘いで、零号機は片腕が無いしな)
 
 修理はまだ済んでいない。今、戦闘に入るとすれば、零号機は当然、片腕のままの出陣となる。
 
 おとり役にしろ攻撃役にしろ、片腕では不安だ。だが、防御役の「ATフィールドを張る」という技術には、五体満足である必要がない。
 
 
 
 シンジは、ベッドの横の置き時計に目を向ける。
 
 朝、7時。レイやアスカも起きる時刻だ。
 
 「そろそろ、ミーティングの時間だな……」
 
 そう呟きながら、シンジは立ち上がった。
 
 

四百六十二



 昨日と同じ、ブリーフィングルーム。
 
 マヤが、ノートブックの蓋を閉じながら、座って話を聞く四人の顔を見渡した。
 
 「伝達事項は以上です。何か、質問はありますか?」
 
 
 
 ……リツコは、砕けたバルディエルの欠片から採集したデータが揃ったので、その解析で徹夜中だという。
 
 ミサトは、管制室で、松代の事故の処理について現地作業班と連絡を取り合っているところのようだ。

 

 今日のミーティングで伝えられたことは、午後の訓練の予定のみ。ごくごく一般的な内容で、特に差し挟むような質問事項も無かった。
 
 
 
 「じゃぁ、また午後の訓練で。失礼します」
 
 小脇にノートブックを抱えたマヤは、そう言って皆に微笑むと、ブリーフィングルームを出ていった。
 
 
 
 とりあえず、今は自由時間のようだ。

 (綾波に声を掛けておこうかな)

 そう思い、シンジが立ち上がりかけたとき……隣に座っていたトウジが、シンジの脇腹をつついた。
 
 
 
 シンジがトウジの方を向くと、トウジは、ぼ〜っとマヤが去ったあとの扉を見つめている。
 
 「トウジ?」

 シンジが、椅子に座り直して、トウジの顔を覗きこむ。

 トウジはシンジの顔も見ない。

 
 
 「おい、センセ……いまのヒト、誰や?」
 
 
 
 「え? ……マヤさんのこと?」
 
 「マヤさん、いうんかぁ……」
 
 気の抜けたような表情で呟く。
 
 
 
 「……やっぱNERVって、美人が多いよなぁ……」
 
 
 
 「……そ、そう?」
 
 「そうやろ。綾波や惣流もそうやし、ミサトさんやリツコさん、マヤさん。それに、廊下とかですれ違う女のヒトとかも、美人が多いで」
 
 「そ、そうかな……あんまり、気にしたことなかったけど」
 
 「そらセンセは、すぐ隣に綾波がおるから、他に目がいかんだけやないか」
 
 「そ……」
 
 「言うたらシンジ、おまえもまぁ、美少年やろ、どっちか言うと。やっぱNERVって、外見も採用基準に絡んどるんちゃうか?」
 
 「い、いや、だって、トウジだって今やチルドレンなんだからさ」
 
 「……そこなんや……」
 
 シンジの言葉を受けて、トウジは溜め息をつきながら、肩を落とす。
 


 シンジは、訝しそうな表情で、トウジの顔を覗き込んだ。
 
 「トウジ?」
 
 
 
 トウジは、覗き込むシンジの顔をチラ、と見てから、視線を机の上に落として、再び溜め息をついた。
 
 「……だから、ワシ、なんか肩身が狭くてなぁ……。
 
 NERV歩いてても、イマイチ……ココの人間と思えん、ちゅうか……」
 
 「い、いや……そんなこと、ないだろ」
 
 「そう言われても……ワシかて、他のみんなが、言うほど美形とちゃうんやったら、こない悩まんのやけど……」
 
 トウジが弱々しく呟く。
 
 
 
 シンジが、声を掛けあぐねて困ったような表情を浮かべた、その瞬間……。

 扉が開いて、誰かがブリーフィングルームの中に入ってきた。
 
 
 
 「あれっ? 四人とも、まだいたのか。もうミーティングは終わったんだろ?」
 
 
 
 ……部屋に入ってきたマコトは、シンジたちを見て、少しだけ驚いたように眉を上げる。
 
 
 
 「あ、ええ、ハイ」
 
 慌てて応えるシンジの顔を不思議そうに見てから、マコトは棚の戸を開き、脇に抱えていたMDを格納していく。
 
 
 
 トウジは、そのマコトの顔をじっと見つめている。
 
 
 
 MDを全て収納し終えたマコトは、もう一度その場の面々の顔を見て……首を傾げてから部屋を出ていった。
 
 
 
 「……普通や」
 
 トウジは、そう呟きながら、思わず拳をぐっ、と握り締める。
 
 いささかマコトに対して失礼なその感想に、シンジは苦笑いするしかなかった。
 
 

四百六十三



 シンジは、ブリーフィングルームを出るときにレイに声を掛け、あとで部屋に行く、と伝えた。

 明け方まで考えた作戦を、レイに伝えるためだ。

 今はトウジやアスカの目もあるし、この場で話すのは得策ではない。

 レイは頷き、シンジより先にブリーフィングルームを出ていった。
 
 
 
 レイから数分程遅れてブリーフィングルームを後にしたシンジは、レイの部屋に向かって、一人廊下を歩く。
 
 その途中で……シンジは漠然と、ある違和感について考えていた。
 
 
 
 先程の、マコトの言葉を思い出す。
 
 『あれっ? 四人とも、まだいたのか。もうミーティングは終わったんだろ?』
 
 
 
 ……そう、もう、ミーティングは終わっていた。
 
 
 
 ……なのに……なぜ、アスカはあの場に残っていたのだろう?
 
 
 
 アスカの顔を思い出す。
 
 アスカは、こちらを見ているわけでもなく、ただ、横を向いて頬杖を突きながら、白い壁を見つめていた。
 
 ……はっきりと拒絶の意志を示したアスカなら、ミーティングが終わったところで早々に部屋に戻ってしまってもよかったはずだ。
 
 だが、そうはしなかった。


 
 レイが居たのは理解できる。シンジがブリーフィングルームに残っていたので、自分も残ろう、と考えたのだろう。
 
 

 だが、アスカは? なぜ?
 
 

 (……ただの、気まぐれかも、知れないけどね……)

 シンジは、心の中で、軽くかぶりを振った。

 今、考えなければいけないのは……目前に迫った、使徒のことだ。

 アスカのことは、また……闘いが終わった後に、考えればいい。
 
 

 レイの部屋についたシンジは、扉の横の壁についたインタホンを鳴らす。

 天井からぶらさがったカメラアイの下の小さなランプが、一瞬赤く点滅し、すぐに自動ドアが開いた。

 「碇君」

 そう言って微笑むレイに出迎えられながら、シンジは部屋に入った。



 ベッドに並んで腰を降ろしたシンジは、レイに、昨晩考えた作戦の概要を説明した。
 
 

 「……危険だわ」
 
 厳しい表情でそう呟き、責めるようにシンジを見るレイ。

 案の定というか、予想通りの反応をレイが返したので、思わずシンジは苦笑してしまう。

 レイはそんなシンジに構わず、眉根を寄せた表情のまま、言葉を続ける。

 「……攻撃役は、使徒によけられたら、そのまま使徒の反撃を受けることになる……危ない」

 「言いたいことは分かるけど……誰かがこの役をやらないと、せっかく分かったのかも知れない唯一の使徒の弱点を突けないよ」
 
 「………」
 
 「………」
 
 「……私が」
 
 「零号機は、片腕がないよ」
 
 「………でも」
 
 「コンマ数秒の遅れが、使徒に反撃する暇を与えてしまうかもしれないんだ。それで、人類滅亡なんて、嫌だしね。五体満足な機体が攻撃役をやるのは当然だよ」
 
 「………」
 
 「アスカには、作戦を説明できないし……消去法で考えても、僕がやるしかない」
 
 「………」
 
 「……それに、そうじゃなくても……一番速いのは、初号機だから……僕が攻撃役をやるのが、一番、成功する確率が高いと思うんだ」
 
 「………」
 
 「………」
 
 「………」
 
 「……綾波」
 
 
 
 レイは……上目遣いに、じっとシンジのことを見つめていたが……

 ……やがて、視線を床に落として、目を伏せてから、小さく頷いた。
 
 シンジは、そんなレイを見て、思わずほっと安堵の表情を浮かべる。
 
 
 
 誰が、見ても、それが最も正しい選択肢だ。
 
 レイの主張は、独りよがりのわがままでしかない。

 

 そう、考えて……心の中の、嫌な予感を、ぎゅっ……と、抑え込んだ。
 
 

四百六十四



 ズゥン、という鈍い衝撃が、壁を伝ってシンジの足の裏に伝わってきた。
 
 腕時計を見ると、午後2時過ぎを示していた。
 
 
 
 シンジがいるのは、ロッカールームである。
 


 前回、使徒が出現したときにNERVを離れていたシンジには、使徒が最初にどの地点に現れたのかが分からない。
 
 あの時、シンジが最初に使徒襲来の報を聞いたのは、駅のホームだった。しかも、民間人向けの避難警報である。
 
 NERVが、その数時間前から使徒の出現をとらえていたのか、それとも本当にあのタイミングで使徒が現れたのか、シンジには判断がつかない。
 
 そのため、どういう動きでもとれるように、せめてすぐにプラグスーツに着替えられる場所で待機していたのだ。
 
 
 
 「今の振動……は、……使徒だよな、やっぱり」
 
 シンジは、天井から微かにパラパラとこぼれ落ちる埃を眺めながら、呟く。
 
 ……つまり、使徒は、本当に突然……第三新東京市の真上に現れたのだ。
 
 でなければ、もっと早く、非常招集の連絡が来なければ、おかしい。
 
 
 
 天井のスピーカーが、耳障りなサイレンを鳴らし始める。
 
 それと同時に、傍らに置いてあった携帯電話が、電子音とともにブルブルと細かく振動し始めた。
 
 手に取って、呼び出し音を止める。
 
 液晶を見ると、「非常招集:搭乗して待機」とだけ、表示されている。
 
 ……集まって作戦を立てている余裕はない、ということだ。
 
 シンジは立ち上がると、ワイシャツを脱ぎ始めた。
 
 

 管制塔のモニタには、第三新東京市の直上に浮く使徒と、その眼前で激しく煙をあげる大きな穴が映し出されていた。
 
 「……18もある装甲を、一瞬で……」

 マコトが、茫然とした表情で、その有り様を眺めている。
 


 使徒の出現は、まさに寝耳に水だった。
 
 今までの使徒は、第三新東京市の外側に出現し、そのうえで市内に侵攻してきたものが多い。
 
 だがこの使徒は、いきなり第三新東京市上空……それも、ジオフロントの真上に出現し……その両目から放たれた加粒子砲は、一気に装甲を貫いて、ジオフロントへの道を開いたのである。
 
 
 
 「……ここに来るわね」
 
 リツコが、冷ややかな瞳でモニタを見つめながら、そう呟く。
 
 ミサトは唇を噛んで、即座にマヤに向かって命令を発した。
 
 「パイロット搭乗確認後、すぐに初号機と弐号機をジオフロント表層に射出して! 両機ともに、地表到着後、即座に散開して、パレットライフルで一斉射撃!」
 
 マヤは、頷いてキーボードを叩く。
 
 ミサトは厳しい表情のまま、言葉を続ける。
 
 「各パイロットの、現在の動向は?」
 
 「ハイ、ええと……初号機パイロット、既に初号機搭乗済みです」
 
 「あらっ……早いじゃない」
 
 ミサトが、少しだけ眉を上げた。
 
 マヤが報告を続ける。
 
 「零号機、弐号機パイロットはロッカールームに到着、現在スーツの装着中です。参号機パイロットは……ええと……ロスト中」
 
 「ロストぉ?……トウジくんは、この管制塔に来る予定のはずだけど」
 
 「す、すいません、探索中です……あ、発見しました。25階付近にいます」
 
 「……なんでそんなトコにいんのよ」
 
 「さ……さぁ……」
 
 
 
 ……その頃のトウジ。
 
 25階……職員居住区を、携帯電話を片手に、泣きそうな表情のまま徘徊していた。
 
 「……管制塔に集合、言うても……場所、知らんがな……」
 
 
 
 初号機のエントリープラグ。
 
 既にLCLに満たされた中で、シンジは、操縦把を握って、じっと精神を集中している。
 
 『とりあえず……シンジくん。準備はいい?』
 
 スピーカー越しに聞こえるミサトの声に反応して、カメラに向かってシンジは頷いて見せる。
 
 

 『まず、敵の能力が全く不明だから、地表に着いたら距離を取って、それからライフル射撃の準備をして。
 
 使徒は、もうすぐ、ジオフロント内部に降りてくるから……そうしたら、一斉射撃。いいわね』
 
 「はい」

 シンジは答える。
 
 もちろん、そんな作戦をとるつもりはない。
 
 『エヴァンゲリオン初号機、射出!』
 
 ミサトの号令と同時に、ゴッ、と激しい縦Gがシンジの両肩にのし掛かった。
 

 
 
 数秒後……ガシャン! と初号機を載せたカーゴは地表に到達した。
 
 両肩のフックがリフトから外れる。
 
 まだ、使徒は姿を見せていない。
 
 『使徒の着地予想地点はポイント7-B。ライフルを構えて迎撃準備』
 
 「了解」
 
 シンジは短く答える。
 
 そのまま、地を蹴る。
 
 
 
 初号機が空中を飛ぶ。
 
 
 
 ミサトは、唖然とした表情で、モニタに映るその体躯を見つめる。
 
 
 
 長い、長い距離を……一気に、飛翔する、初号機。
 
 
 
 「シ……シンジくん?」
 
 
 
 ザン! と、木々をなぎ倒して着地した、その場所はポイント7-C。
 
 使徒着地予想ポイントの、すぐ隣だ。

 そして、そのまま……

 ……ガバッ、と、その場に伏せた。



 ……鬱蒼とした森の中に……まるで這いつくばるように横たわる初号機。
 
 

 一瞬……管制塔は、惚けたような、静寂に包まれる。
 
 
 
 ミサトは、咄嗟に言葉を継ぐことができず、ただモニタ上の初号機の姿を見つめている。
 
 誰が、どう見ても……これからやって来る使徒に、先制攻撃を仕掛けよう、という体勢ではない。
 
 
 
 初号機は、その場で周りに生えている木々を引っこ抜き、自らの機体の上にかぶせ始めた。
 
 
 
 「………」
 
 ……スイカ畑に水をやっていた加持は、その位置からは既に見えなくなってしまった初号機の方を、ただ見つめていた。
 
 初号機が木々を抜く音だけが聞こえてくる。
 
 
 
 「……どういう作戦だ? 葛城……」
 
 既に水の無くなったじょうろを傾けたまま、加持は、ただ……言外にやや呆れた口調を混ぜて、呟いた。
 
 
 
 「……シンジくん、何やってるの!? 使徒が来るわよ!」
 
 数瞬のタイムラグのあと、ミサトはマイクにかじり付いて、声を荒げた。

 明らかな命令違反……ミサトの怒りは、当然である。

 しかしシンジは、ミサトの口調にも動揺した素振りは見せず、冷静な口調で応える。
 
 『すいません、説明できません。』

 「説明できないって、アンタ……」

 『それより、綾波とアスカはまだですか?』
 
 「答えなさい、シンジくん!」
 
 

 「零号機、弐号機、射出準備完了しました!」
 
 ミサトの言葉に被るように、マヤの報告が飛ぶ。


 
 一瞬、言葉に詰まるミサト。
 
 

 ……当然、今のマヤの報告は、シンジの耳にも届いている筈だ。
 
 シンジを詰問するよりも、先に、やるべきことがある。

 ……小さく舌打ちをして、ミサトはマヤに向かって鋭く命令を発した。
 
 「弐号機、射出! 零号機はその場で別命あるまで待機!」
 
 『綾波も出して下さい』
 
 「……シンジくん?」
 


 ミサトの号令に、これまた被さるように発せられたシンジの言葉に、ミサトはゆっくりと振り返る。
 
 「あのね、零号機は……」
 
 『構いません。出して下さい』
 
 「レイ!?」
 
 スピーカーから聞こえてきたレイの声に、ミサトは驚いた表情で顔を上げる。
 
 レイが、淡々とした声音で続ける。
 
 『咄嗟の対応が、ここではできません。何をするにしても、地表で待機しているほうが有利です』
 
 「って……零号機は片腕が無いのよ」
 
 『無茶はしません』
 
 「そりゃそうかも知れないけど……」
 
 『……いいから、とっととしなさいよ、ミサト。使徒が来るわよ!』
 
 「アスカ……!?」
 
 
 
 マヤは、弐号機と零号機のシャフト射出キーに指を置いて、固唾を飲んでミサトを見つめている。
 
 ミサトは、一瞬戸惑い、激しく視線を動かす。
 
 
 
 リツコと、目が合う。
 
 
 
 リツコは、ミサトの瞳を見つめた後……目を瞑って……溜め息を、一つ、つく。
 
 
 
 ……ミサトは、もう一度、小さく舌打ちをした。
 
 
 
 「……零号機、弐号機、射出!」
 

 
 ミサトの号令とともに、弾けるようにシャフトを上昇していく二機。

 ミサトは僅かにいまいましげな表情を浮かべてから、しかし……すぐにそれを消し去り、マイクに向かって口を開く。
 
 「……地表に着いたら、弐号機は迎撃体勢を取って。零号機は一旦距離を置いて、待機」
 
 『了解』
 
 『了解』
 
 ミサトの言葉に、アスカとレイが短く応える。



 ミサトは、モニタ上で電子音と共に上っていく二つの光点を見つめて、腕組みをしながらゆっくりと腰を伸ばした。
 
 その横に、リツコが靴音を立てて歩み寄る。

 黙ったまま……ミサトの隣に並び、同じようにモニタを見上げた。
 


 ミサトはリツコには視線を向けず、目を瞑って溜め息をつく。


 
 「……まったく……いつものコトとはいえ、作戦無視も過ぎるんじゃないの……」
 

 
 そんなミサトの方に視線を向けると、ミサトは眉間に皺を寄せて、モニタを睨み突けている。

 リツコは、ほんの少し……他の誰にも分からぬ程度に、首を振った。

 呟くように……口を開く。
 
 「……まぁ……彼女達の、気持ちもわかるわ」



 ミサトが、視線をリツコの方に向ける。
 
 「……何が?」
 
 「彼女たちが……シンジくんの行動を、訝しがらない、気持ちが……よ」
 
 
 
 リツコの言葉に、ミサトは恨めしそうに眉根を寄せる。
 
 「あによ……それ。アタシの作戦じゃ、信用できないっこと?」
 
 「そんなことを言う気はないわ……ただ」
 
 リツコは……低く……冷淡な声音で、呟く。
 
 「……要は……シンジくんが、特別だってことよ」
 
 
 
 ガン、と弐号機と零号機が、同時に地表に到達する。
 
 レイは、素早く視線を走らせた。
 
 射出シャフトの位置やジオフロント内部の地形などは、頭に入っている。目を凝らすと、森の中に這いつくばっている初号機の紫色の機体が、僅かに木々の間に見て取れる。
 
 (ポイント……7-C)
 
 初号機が寝そべっている場所は、MAGIの計算した使徒の着地地点に近い。これから来る、使徒の方……真上から見れば、寝そべった初号機の姿が見付かってしまわないだろうか?
 
 しかし見渡すと、他にも木が抜けたり地面がえぐれたりしているところは少なくない。
 
 もともと、使徒が現れるたびに戦闘の最前線になる場所なのだから、それで当たり前だ。
 
 初号機のいる場所だけ見ると、カモフラージュに被せてある木々の様子など不自然な点はあるが、そうと知らずに風景全体を見ればさほど違和感はない。
 
 
 
 アスカは、その場でパレットライフルを構える。
 
 ゴォォォ……と鈍い音がして、弐号機のすぐそばに、新品のライフルを数本並べたストックシャフトが上ってくる。
 
 ガシャン! と地表に到着したそこから、弐号機は即座に、後ろ手に一本だけ取って、改めて両脇に抱えるように、二本のパレットライフルを構え直す。
 
 
 
 『レイ、下がりなさい! 下がって待機!』
 
 ミサトの声が、レイの耳に届く。

 零号機の位置は、パレットライフルを構える弐号機の僅かに前。
 
 それに気付いて零号機は腰を落とすと、その位置から少し、後退する。
 
 しかしそれでも、せいぜいアスカの斜め後ろだ。
 
 『レイ! もっとよ』
 
 ミサトの言葉が、続けざまに浴びせられる。
 
 

 ……しかし、レイは、それ以上下がらない。

 『レイ!?』

 ミサトの声を聞きながら、レイも弐号機と同じように、ストックシャフトからライフルを取る。

 もちろん、撃つつもりはない。

 言うなれば、ミサトたちへのポーズである。

 『レイ! 聞こえないの!?』

 片腕でライフルを構え、零号機は腰を落とす。

 『レイ!』



 「聞こえています」

 ……レイは、静かに……冷静に、ミサトに応える。



 『レイ!? ……下がりなさい! 零号機は完全ではないのよ!』

 「後ろに下がっていても、意味がありません」

 『初号機や弐号機みたいに、機体が正常なわけじゃないのよ。下がって、他の二体のサポートにまわりなさい!』

 「そうしているつもりです」

 『レイ!』

 「これ以上、後ろに下がっても、サポートなんてできません。後ろに下がった私がサポートできるようになった時には、他の二体はやられてしまっていると思います」

 『だから、下がるんでしょ! 一度に三体まとめてやられてしまうつもり!?』

 「初号機と弐号機を二体とも倒した使徒を、片腕の零号機だけで勝てるとは思えません。時間差で負けるだけです……最初から一緒に闘うべきです」
 
 
 
 もちろん、分かっている。
 
 自分の意見に筋の通った理屈があるように見えるのと同じくらい、ミサトの意見にも筋がある。
 
 ……自分は、シンジにもたらされた経緯や作戦をあらかじめ知っているから、作戦に逆らって行動しているだけ。
 
 ミサトの持っている情報だけなら、レイの行動は正しいとは言えない。あの時点なら、まずは様子見だ。ミサトの作戦は、積極的ではないが間違っていない。
 
 ……だが、従えない。
 
 
 
 早く、使徒が来ればいいのに……。
 
 
 
 分かっている。他の誰も、悪くない。
 
 だが、従えない。
 
 理由を話すこともできない。
 
 
 
 ……シンジが、ずっと……ひとりで感じてきた、重さだ。
 
 
 
 レイは、ライフルの照準を覗き込んで、しっかりと腰を据えて屈み込む。
 
 肘を外側に立てて、衝撃に備えるポーズ。
 
 指を引鉄に添える。
 
 
 
 そんな零号機の姿に、ミサトは絶句した。
 
 「………」
 
 梃子でも動かない、というレイの意志をその姿から叩きつけられたような気がする。
 
 何故? どうして急に、こんな……まるで、意固地になっている子供のようだ。
 
 レイ、らしくないではないか。
 
 ……レイが、意固地になるときと言ったら、せいぜい……シンジが、絡んでいる、ときくらいしか……
 
 
 
 『……シンジが、そうしろって、言ったわけ?』
 
 
 
 突然。
 
 スピーカーから聞こえてきた声に、レイもミサトも……シンジも、思わず顔を上げた。
 
 
 
 アスカだ。
 
 
 
 「……アスカ」
 
 シンジが、呟く。
 
 名を、呼んだが……そのあと、どう言葉を続けていいか、咄嗟に分からない。
 
 アスカの言葉は、薄氷に包まれた海のように、微かに痛く、冷たい。
 
 このあいだまで、彼女の言葉に自然に含まれていた暖かさは、感じられない。
 
 
 
 『……来るわよ』
 
 続けて出てきたアスカの言葉は、一瞬前のセリフとは何の繋がりもない言葉だった。
 
 ハッとして、シンジも、レイもミサト天井を見上げる。
 
 
 
 数秒の静寂の後……
 
 スゥッ……と、その姿とは不釣り合いな静けさで、使徒が穴から降りてきた。
 
 
 
 スコープの中心に切られた、十字の印。
 
 その中央に使徒を据えて……アスカは、引き鉄を引いた。