第九十三話 「叫び
四百三十七



 初号機の拳は、音を立てて参号機の顔面にめり込んだ。
 
 
 
 顎部の部品が弾け飛ぶ。
 
 「がッ……」
 
 トウジは、顔面を襲う痛みの余韻に眉をしかめてから、驚きの表情で初号機を見つめた。
 
 もう一度……今度は左拳を握りしめる初号機。
 
 「え……お、おい、ちょ……まッ……」
 
 
 
 ドガッ!!
 
 
 
 「……何をしたんだッ……父さんッ!!」
 
 シンジは、血を吐くような思いで、声を張り上げた。
 
 初号機の拳は、三たび、参号機の顔面を捕らえる。
 
 参号機は衝撃で激しく顎をのけ反らせた、後……その体勢のまま、ぶんっ、と右腕がしなりながら初号機の顔面を襲う。
 
 だが、初号機は……まるで先程までの参号機のように、獣の如き動きで上半身をグンとのけ反らせ、その攻撃をよける。
 
 そのまま腰を基点に、ぐぅんっ、と非人間的な動きで身体を戻すと、ドガンッ、とまた参号機の顔に拳を振り降ろした。
 
 
 
 「なッ……」
 
 アスカは、思わず呟きながら腰を浮かせた。
 
 「……なにやってるのよ、シンジ!?」
 
 状況を把握したくても、連絡をとる術が無い。
 
 アスカは慌ててプラグに戻った。
 
 
 
 LCLの大半が抜けたプラグの中で、ザバザバと水面を掻き分けながら進むと、インテリアの横に付いたマイクを上げる。
 
 「もしもし! ちょっと、ミサト!」
 
 しかし、反応はない……内部電源が完全に切れているためだ。
 
 「……緊急時に連絡がつかなくてどうすんのよッ!」
 
 アスカは苦々しくそう言うと、ガンッとマイクを叩きつけた。
 
 
 
 レイも、茫然と立ち上がって、目の前の状況を眺めていた。
 
 
 
 ……あれは……ダミー!?
 
 アスカと違い、情報量のあるレイは、おのずとその事実に気が付いた。あんな、動物のような動きをシンジが見せるのも変だし、何より、慈悲がない。
 
 エヴァがシンジの支配下にあって、あんな行動をとるはずがなかった。
 
 
 
 『……止めろッ……止めろッ、父さん!』
 
 シンジの声が、スピーカーを通して管制塔に響き渡っていた。
 
 ゲンドウは応えない。
 
 冬月も、一瞬視線をゲンドウの方に向けたが、そのまま黙って視線を元に戻した。
 
 
 
 ミサトは、じっと眉間にしわを寄せて、立ち尽くしていた。
 
 ……シンジの、声が聞こえる。
 
 ミサトは、目を瞑った。
 
 ……正しくない。
 
 ……これは……正しく、ない。
 
 ……分かっているのに……。
 
 
 
 「う……がッ」
 
 トウジは身をのけ反らせて、呻き声をあげた。
 
 ドガンッ。
 
 ドガンッ。
 
 容赦なく、初号機の拳が、参号機の顔面を通してトウジの顔にめり込んでいく。
 
 「や……め……ッ」
 
 ドガンッ。
 
 「ぐぁ……ッ……」
 
 ドガンッ。
 
 ドガンッ。
 
 ……それは……まるで
 
 ……弄んでいるかの、ようだ。
 
 
 
 『……ダミーなんてッ……必要ないだろッ!? 勝ってたじゃないか……ッ!』
 
 ガシャンガシャンと、激しく叩きつけるように、シンジはハンドルを前後に動かした。
 
 『動けッ……動け、動け、動けッ!』
 
 血を、吐くような、叫び。
 
 
 
 ……まさか、戦いを優位に進めていたにも関わらず……ダミーシステムに切り替えられるなんて!
 
 シンジは悔しさのあまり、はらわたがねじ切れてどうにかなってしまいそうだった。
 
 このままでは……前回と、変わらない。
 
 ダミーシステムは……完全に、相手を叩きのめしてしまうまで、攻撃をやめないのだ。
 
 ……トウジが……また……あんな目に!
 
 『くそッ……! 動け! 動け動け動け……ッ!』
 
 しかし、シンジの声は、空しく虚空に飲み込まれるばかり。
 
 
 
 ぶんっ、と参号機の腕が、初号機の首に向かって伸びる。
 
 しかし、初号機は……そのまま、顔の前でその腕を受け止めた。
 
 黒い手首を掴む……紫の、指。
 
 その指が、ギシギシと軋む。
 
 「うあ……ッ」
 
 ミシ……
 
 ミシ……ミシ、ミシッ
 
 
 
 バギンッ
 
 
 
 「……ッガぁあぁぁッ!!」
 
 トウジは目のくらむような痛みにのけ反った。
 
 
 
 条件反射的に、痛んだ場所を抱え込みたい衝動に駆られるのだが、手足はがっちりと固定され、全く動かない。
 
 本当に砕かれたわけではないのだが……手首が砕けたような痛みが、間違いなく……容赦ない現実として、トウジを襲っていた。
 
 「う……ぁ……はッ、はッ、は……ぅ」
 
 目を見開いて、荒い息で口をぱくぱくと開いたり閉じたりさせる、トウジ。
 
 汗だくの視線で自分の左腕を見る……もちろん、視界に入るその左手首は、砕けてなどいない。
 
 だが、それが何だ?
 
 この痛みは……紛う方なき、現実である!
 
 
 
 レイは、慌てて零号機の胸部を滑り降りると、そのまま地面に飛び降りた。
 
 転がるように走り出す。……近くに、NERVの車が来ているはずだ。そこまで行けば管制塔に連絡がつく。
 
 ……間違いなく、ダミーシステムが起動している、と、レイは思った。
 
 この事態がシンジの意に沿わないことはあまりにも明白であるし、トウジの命も危険だ。
 
 悠長なことは言っていられない……すぐにでも、管制塔に言ってダミーシステムへの接続を解除させなければ……。
 
 
 
 ……一度ダミーシステムが起動してしまったら最後、攻撃対象を完全に破壊するまでその主導権が失われない……という事実を、レイは知らない。
 
 レイは嫌々ながらに実験に参加していただけで、ダミーシステムの起動に関わる具体的な知識をさほど持っていないのだ。
 
 
 
 (……どこかに……NERVの、車が……)
 
 レイは、走りながら林の中を見回した。
 
 ……当然のことだが、零号機も初号機も弐号機も……第三新東京市からここまで、アンビリカルケーブルをズルズルと引きずって延々歩いてきたわけではない。
 
 だからレイは、戦闘中に切断された零号機のケーブルを探していた。
 
 それを辿っていけば、配電車がいるに違いない。
 
 
 
 ガサガサッ、と山あいの林を走り抜けて、レイは、走り幅跳びのように、目の前の低い茂みを飛び越えた。
 
 
 
 「わッ!」
 
 
 
 突然、物凄い至近距離で聞こえてきた声に、レイは驚いて立ち止まった。
 
 振り返ると、そこには……目を見開いて、赤いプラグスーツに身を包んだ少女が立っていた。
 
 
 
 「……急に飛び出して来んじゃないわよ……死ぬかと思った」
 
 
 
 ……一拍置いて、アスカは、はぁ〜……と大きな溜め息をついた。
 
 「アスカ」
 
 「レイ……何やってんのよ、こんなトコで」
 
 腕を組んで、アスカがレイの顔を見ながら言う。
 
 そのアスカの言葉に、思い出したようにレイは再び、前方に向き直った。
 
 「いけない……時間がないわ」
 
 そう言い残して、レイはまた、タッと駆け出した。
 
 
 
 「あッ……ちょ、待ちなさいよ、レイ!」
 
 木々をかき分けて走るレイを、アスカは慌てて追いかけていく。



四百三十八



 ドガッ!
 
 振り降ろされる紫色の拳。
 
 その手首を、黒い手が顔に当たる寸前で捕らえていた。
 
 
 
 グ……ググッ……と、押しあう両機の腕が、篭められた力で小刻みに震える。
 
 初号機は、もう一方の拳を振りかぶり、一気に振り降ろす。
 
 参号機はその手首も、寸前で、空いた手で捕らえる。
 
 初号機の両手首を参号機が抑えた体勢のまま、両者の状態は均衡している。
 
 
 
 ぐ……ぐぐぐぐっ
 
 体重を掛けるように、初号機の腕が、徐々に下がっていく。
 
 しかし、参号機も胸を僅かに反らせると、ぐぐぐ……っと盛り返す。
 
 力競べのように、お互いが相手の体に迫ろうと、渾身の力を篭めていく。
 
 
 
 ……そうして完全に押し合いが均衡して、その状態のまま、すべてが固着してしまったと思えた、その時。
 
 
 
 ……ドカン!
 
 
 
 初号機は、いきなり参号機の顔面に、その頭部を叩きつけた。
 
 突然に衝撃に、参号機の手が緩む。
 
 その隙を突いて初号機は両手を引き抜くと、そのまま両拳を再び参号機の顔面に叩き込んだ。
 
 
 
 『……止まれッ……クソッ、止まれ、止まれ、止まれ!』
 
 管制塔の中に、シンジの声が響き渡る。
 
 悔しさと、怒りと、戸惑いと、哀しさとがないまぜになった慟哭……それ以外、この広い空間には、咳払いひとつ、聞こえることが無かった。
 
 コンソールの前に座ったマヤが、俯いて、微かに肩を震わせている。
 
 シゲルも、マコトも、眉根を寄せた表情で、目の前のモニタに映る情景から目を背けていた。
 
 ミサトは、口許を手で押さえて、哀しみを孕んだ視線で、初号機と参号機を見つめる。
 
 ゲンドウ、冬月……この二人の表情は、何の変化も刻んでいなかった。
 
 
 
 ミサトが、俯くように視線を落とす。
 
 
 
 目を、閉じる。
 
 
 
 拳を、ギュッと握り締めて……
 
 ……バッ、と振り返るようにして、ゲンドウたちを仰いだ。
 
 
 
 「……司令! ……やっぱり、私は反対です! フォースチルドレンの救出のために、神経接続をサードチルドレンに戻して下さい!」
 
 
 
 まるで、声音に血の滴が孕まれているような……ミサトの叫び。
 
 かすかなすすり声を上げていたマヤは、目を赤くしながら、驚いたようにミサトに振り返った。
 
 ミサトは、睨み付けるように、頭上のゲンドウを見つめる。
 
 「もう……ダミーシステムは、動きました! 実験はこれで充分ではないんですか!? 作戦を穏便に、かつ……完璧に終了するためには、サードチルドレンに任せるべきです!」
 
 
 
 「……それは、できんな」
 
 冬月が、呟くように、口を開いた。
 
 
 
 ミサトは驚きを孕んだ視線を冬月に向けた。
 
 ゲンドウは、前方のモニタを見つめており……ミサトの方に視線を落とす素振りすら、無い。
 
 「……何故です!?」
 
 ミサトの、投げつけられるような疑問符に、冬月は……ゆっくりと息を吸い込んで、応える。
 
 「ダミーシステムは、一度起動したら、もう止められんのだ」
 
 
 
 「……な……っ」
 
 ミサト……マヤ、シゲル、マコト……それぞれが、呆気にとられたように、絶句して冬月を見つめていた。
 
 
 
 冬月は、淡々と言葉を紡ぐ。
 
 「……ダミーシステムは、人間のようなファジーな精神構造とは違う。もっと単純で、機械的で、柔軟性に欠けるものだ。
 
 詳しい理論は赤木博士に説明を任せねばならんが……一度起動させたら、向かってくるすべての敵対象を殲滅するまで、おさまらん。
 
 途中で強制的に接続を切ることは出来ない。ダミーシステムが不安定であることを考慮して、神経接続が強固に接続されるように設定されている。強制切断は、システムだけでなくエヴァ本体や、同乗しているパイロットにまで影響を及ぼしかねんのだ。
 
 ダミーシステムは、目標の殲滅が終了したと判断された時点で、自発的に接続を切り離す。こうなった以上、それを待つより他に、方法はない」
 
 
 
 「……そんな」
 
 マヤが、目を見開いたまま……愕然と冬月を見つめる。
 
 
 
 「あの……アンビリカルケーブルを切断したら?」
 
 マコトが、おずおず……という表情で提案する。
 
 「……内部電源切れは、神経切断とはプロセスが違います。安全に初号機を止められるんではないですか」
 
 ……しかし、冬月はゆっくりと首を振った。
 
 「……初号機を止めて、それで使徒はどうするつもりかね」
 
 「あっ……あ、いえ、でも、一度パージして初号機を止めて、それからまた電源を供給すれば、接続は……」
 
 「……ダミーは自主的に終了しないかぎり主導権を失わん。再起動すれば、再び自動的にダミーが起動するだけだ」
 
 冬月の乾燥した声が、四人の耳を通過していく。
 
 
 
 地面を這う、彼女の身の丈ほどもあるうねうねとしたアンビリカルケーブルの横を、レイは息を切らして駆け上がっていく。
 
 その、僅か二身ほど後ろを、アスカも黙ってついていった。
 
 
 
 数分もしないうちに、木々の向こう側にくすんだ緑色の車体がその姿を覗かせた。
 
 NERVの山林地用配電車である。
 
 その横まで駆け寄ると、レイとアスカはいきなり扉を開け、中に飛び込んだ。
 
 
 
 暗い車内で、びっしりと瞬くランプの前に座っていた40歳くらいの男は、突然入ってきた少女二人の姿に、呆気にとられたように口を開けていた。
 
 その男性を全く意に介する様子もなく、レイはズカズカと奥まで入り込むと、壁に掛けてあったマイクを手に取る。
 
 ちらりと男性に視線を向け、口を開いた。
 
 「NERV」
 
 「はっ?」
 
 男性が、レイの言葉の意味を汲み取れぬという表情で、眉根を寄せた。
 
 後ろに立っていたアスカが、腕組みをしながら横目で男を睨む。
 
 「管制塔につないでよ」
 
 「えっ」
 
 「通信!」
 
 「あっ……は、はいっ」
 
 ようやく意味を理解した男は、慌ててレイの手許の機械に飛びつくと、数桁のパスワードと思われる数字を入力した。
 
 「スピーカー、アタシにも聞こえるようにして」
 
 「ハ、ハイッ」
 
 自分の娘ほどの少女の命令に、男は慌てふためいて従う。
 
 野太い指がエンターキーを叩くと、スピーカーから潮騒に似た雑音が零れ落ちた。
 
 
 
 「……ファーストチルドレン、綾波レイ。応答願います」
 
 マイクの前で、凛とした声音を響かせる。
 
 一瞬、スピーカーが騒めきのような空気を拾った後……見知った女性の声が、その場の三人の耳に飛び込んできた。
 
 
 
 『……レイ!? どこにいるの!?』
 
 ミサトである。
 
 レイは、淡々とした口調で言葉を紡ぐ。
 
 「配電車の中です。アスカも一緒です」
 
 『あ……ああ、なるほど』
 
 「……初号機のダミーシステムの接続を切断して下さい」
 
 ミサトの言葉尻に被るように、レイが言葉を発した。
 
 
 
 一瞬、スピーカーの向こう側は、静寂に包まれる。
 
 
 
 腕組みをして聞いていたアスカは、レイの口から零れた初めて聞く単語に、片方の眉を怪訝そうにあげた。
 
 ……ダミー……システム?
 
 「ダミーシステムではフォースチルドレンの救出が出来ません」
 
 レイの言葉が続く。
 
 「サードチルドレンの方が、今回の作戦には明らかに適任です。ダミーを使う意味がないと思います」
 
 
 
 スピーカーの向こうから、返答はない。
 
 
 
 レイは、僅かに首を傾げた。
 
 
 
 ……なんだ?
 
 
 
 「……ミサトさん」
 
 『……それはできん』
 
 レイの耳朶を、低い声が叩いた。
 
 
 
 レイは、驚愕で目を見開いた。
 
 
 
 「……司令……!?」
 
 レイは思わずそう呟くと、左足を半歩、後ろに引くような態勢で、目の前のスピーカーを凝視した。
 
 アスカも、呆気にとられたような表情で突っ立っている。
 
 ……スピーカーから、その次の言葉は流れてこない。
 
 
 
 一拍……それこそ数秒ほどの間であろうか、車内は、コンクリートを詰め込んだような、重く堅い空気に包まれる。
 
 
 
 ……レイは、一度、手の平を広げて……
 
 ……それから、ゆっくりと、拳を握りしめた。
 
 
 
 「……なぜでしょうか」
 
 
 
 低い……感情のこもらぬ声音で……やがて、レイは呟いた。
 
 『……レイ……それは』
 
 「司令に聞いています」
 
 ミサトの言葉を、レイは乱暴に引きちぎった。
 
 
 
 アスカは、スピーカーを静かに睨み付けるレイを、驚きともつかぬ表情で見つめていた。
 
 ……もともと、アスカが日本にやって来たときには、もうレイの心はシンジにあり、ゲンドウと仲のいいレイの姿はアスカの記憶にはない。
 
 だが、それにしても……NERVの最高権力者たるゲンドウに、こんな、怒気が言外に漏れるような口調で話すとは、レイらしからぬという印象を覚える。
 
 シンジの身を思うあまりの怒りか……。
 
 ……それとも、レイとゲンドウの間には、何らかの確執があるのだろうか?
 
 アスカは、自分の知らないレイの姿に、口を差し挟むことが出来ない。
 
 
 
 ……重く足許に漂うような沈黙の後……スピーカーから、再びゲンドウの声が聞こえてきた。
 
 『……ダミーシステムは、切断することはできん』
 
 「なぜですか」
 
 ゲンドウの言葉に、即応するようにレイの言葉が飛ぶ。
 
 『機能的なものだ。強制的に切断すれば、初号機にもパイロットにも影響が及ぶ可能性がある』
 
 レイの強めの口調にも、全く動じた風情もなく、ゲンドウの言葉が続いていく。
 
 
 
 「……それは、仕様なのですか」
 
 『そうだ』
 
 「……最初から……分かっていたのですか?」
 
 『そうだ』
 
 「………」
 
 『………』
 
 「……なぜ……」
 
 レイが、悲しみをたたえたような声で、呟く。
 
 
 
 「……なぜ……」
 
 
 
 『………』
 
 「……なぜ、それが分かっていながら……ダミーシステムを起動したんですか」
 
 『いずれ実験は行わねばならん』
 
 「……今回でなくても、良かったはずです」
 
 『次回でも今回でも違いはない』
 
 「……鈴原君が乗っています!」
 
 『………』
 
 「……鈴原君を……助けなければ……いけないのに……!」
 
 
 
 ……レイは、顔を伏せて、唇を噛んだ。
 
 
 
 ……なんという、傲慢で不遜な態度だろうか!
 
 分かっていたことだ。
 
 分かっていたことだが……
 
 ……この男は……チルドレンの命に、1ミリグラムの重さも、感じてはいないのだ!
 
 
 
 レイは、まるで自らの心臓を掴み上げられるような、堪らない気持ちに包まれていた。
 
 ……実験に、参加などしなければよかった。
 
 こんな、ことになるのだったら……。
 
 
 
 ……今だったら、絶対に実験に参加などしない。
 
 例え、ゲンドウに直接請われても、それを拒絶することが出来る。
 
 だから、悔やまれる。
 
 何故……私は……実験に、参加したのだろう。
 
 何を恐れていたのか?
 
 何に、尻込みしていたのか?
 
 
 
 自分の後ろ向きな思いが、トウジの命を窮地に追い込み、シンジの心を激しく傷つけている事実が、レイ自身の心をも強く締めつけていた。
 
 
 
 ……ズ……ッ……
 
 
 
 ………ド……ォゥウウン!!
 
 
 
 ……その時、急に響いてきた鈍い地鳴りに、レイとアスカは、驚いたように振り返った。
 
 
 
 「えっ?」
 
 アスカが、困惑の表情を浮かべる。
 
 今の……地響きは、何だ?
 
 鈍く響く衝撃が、確かに、足の裏に伝わってきていた。
 
 
 
 ……なんだ?
 
 
 
 ……まさか、参号機が爆発でもしたのだろうか?
 
 いや、それならばこの程度の衝撃ではすまないだろうが……。
 
 レイはマイクを持ったまま、即座に男に向かって声を上げる。
 
 「……現場に向かって」
 
 「えっ? あッ、この車で……ですか?」
 
 「そう」
 
 「あっいや……しかし、任務が……」
 
 「アンビリカルケーブルは切断されています。ここにいる意味は全くありません」
 
 「あ……は、で、ですが、命令無く待機場所の移動は……」
 
 「……これは命令です!」
 
 「あッ、ハ、ハイ!」
 
 レイの叱咤に男は慌てて背筋を伸ばすと、ガタガタっと立ち上がって前部の運転席に飛び込んだ。
 
 
 
 エンジンが唸りをあげ、グンッと体に発進の加速を感じる。
 
 レイは再びマイクを握り締めた。
 
 「ミサトさん……今の音は何でしょうか」
 
 
 
 『………』
 
 「……ミサトさん?」
 
 『………』
 
 「………」
 
 『……どうしちゃったの』
 
 「………?」
 
 『……ナニよ、今のは』
 
 呆気にとられたような……緊張感の欠けた、声。
 
 
 
 山肌を走る車が、ざぁっと木々の分厚いカーテンを抜けた。
 
 オレンジ色の陽はすでに地平線に残るのみとなり、空には星が瞬き始めている。
 
 その夕闇の中。
 
 
 
 ……先程までは、確かに、参号機の上にがっしりと初号機がのし掛かっていた。
 
 あの体勢から、形勢を逆転するのは難しい。まして、慈悲の欠片もないダミーシステムに主導権が移り、もはや参号機の命運は尽きた、と誰もが思っていた。
 
 
 
 ……だが、目の前の情景は、様子が異なっていた。
 
 初号機は、数百メートル離れた畦道に倒れ、周りに微かな土埃が上っていた……それは、たった今の衝撃音が、初号機の倒れた音だったことを意味している。
 
 そして、先程まで風前の灯といった風情だった参号機が、今……ゆらり……と、立ち上がっていた。
 
 
 
 「……えぇ?」
 
 車の窓から上半身を出していたアスカは、激しい風に長い髪をバサバサとなびかせながら、目を見開いて、驚いたように眉根を寄せた。
 
 
 
 ……何が起こった?
 
 あの状況から……どうやって、初号機を弾き飛ばしたというのだろう?
 
 
 
 アスカの後ろから顔だけ出したレイも、驚きで目を見張った。
 
 車は、まるで転がるような猛スピードで木々の間を潜り抜けていく。
 
 
 
 倒れたままの初号機は、目の前に参号機が立っているにも関わらず、起き上がる気配が無い。
 
 だが、微動だにしない、という訳でもなく……小刻みに、錆の効いた関節のような震えを見せていた。
 
 
 
 参号機は、砕けた左腕を、ぶらん……とさせたまま、ゆっくりと、片足を踏みだす。
 
 
 
 『……ミサト! 何があったのよ?』
 
 管制塔の中に響き渡るアスカの声を聞いて、ぼうっとモニタを見つめていたミサトは我に返った。
 
 一瞬戸惑いの表情を浮かべてから、カツカツとマイクの前に歩み寄る。
 
 
 
 「アスカ」
 
 『ミサト? ……何よあれ? あの状態から、どうやってひっくり返したのよ?』
 
 「……分からないわ」
 
 『何よそれ』
 
 「分からないのよ……えぇと……初号機が急に、立ち上がって……」
 
 『……えぇ?』
 
 「それで、自由になった参号機に蹴り飛ばされたのよ」
 
 『……何で、立ち上がったのよ?』
 
 「分からないのよ。何か、動きが変だったけど……」
 
 『ヘン?』
 
 「脈絡ないって言うか……」
 
 
 
 参号機が地を蹴った。
 
 
 
 ドン!
 
 地を這うように蹴りだされた参号機の足は、転がる初号機の腹に音を立ててめり込んだ。
 
 蹴り飛ばされた初号機は一気に反対側の山肌に叩きつけられる。
 
 
 
 アスカとレイは、急激に動き出した展開に目を奪われ、言葉を継ぐことが出来ない。
 
 バゥンッ! と最後のうねりを飛び越えた配電車は、激しくサスペンションを効かせながら、畦道に急停車した。
 
 
 
 山肌にめり込んだ初号機は、数秒の間沈黙して……それから、ガクガクとした動きで、危なっかしく体を起こした。
 
 しかし、見るからに、異常な状態……表現するならば、右半身と左半身が全く別の命令系統で動いているかのような、そんな状態だ。
 
 
 
 車から飛び降りたアスカとレイは、そんな初号機の様子に目を見張った。
 
 「なによ……アレ。
 
 どうしちゃったの……?」
 
 アスカが、独り言のように、呟く。
 
 
 
 レイは、茫然と、不可解な動きを見せる初号機を見つめていた。
 
 レイの目が、見開かれている。
 
 あれは……
 
 あれは……。
 
 
 
 「……やはり、完成していなかったか」
 
 冬月が、小さく呟いた。
 
 ゲンドウは応えない。ただ、目の前のモニタを凝視している。
 
 
 
 冬月は、横に座るゲンドウに、視線だけを動かす。
 
 「……どうするつもりだ?」
 
 その声音は、詰問でも、抗議でもなく……ただ、乾いた疑問。
 
 「ダミーが暴走すれば……使徒の殲滅も、初号機の手でフォースを葬るという計画も、実現するかどうか分からなくなる。まして……シンジ君が、危ないのではないか」
 
 
 
 「……計画通りに行くかどうかは重要では、ない」
 
 ゲンドウが、隣の冬月にしか届かぬような声で、呟いた。
 
 冬月は片眉を上げる。
 
 「……老人たちが黙っていないぞ」
 
 「……シナリオ通りに進めようというポーズは見せた。何事にも不測の事態はつきものだ。
 
 ……老人たちには、現実の冷たさも分かってもらわねばならん。いつまでも、ぬるま湯だと思って貰っては困る」
 
 淡々と語るゲンドウの言葉に……冬月は、小さく息をついた。
 
 
 
 「……こうなることが分かっていたのか?」
 
 「いや」
 
 ゲンドウは、短く応えた。
 
 
 
 「……冷静に構えているようだが……まずは、現状の打破だ。どうやって使徒を倒し、なおかつシンジ君を救いだすつもりだ?」
 
 「………」
 
 「シンジ君の精神にダメージを負わせること自体は、また機会を見て、別の方法もあるかも知れないが……シンジ君が死ねばそれどころではないぞ」
 
 
 
 冬月の言葉に……ゲンドウは、静かに……一瞬、瞼を閉じる。
 
 しかし、それは例えば、息子の死を思って思わず瞑ったような様子ではなく……むしろ、まるでただの瞬きのような、自然な行動に見える。
 
 ゲンドウはそうして……再び目を開けると、ゆっくりと、口を開いた。
 
 
 
 「……シンジはこんなことで死ぬまい」
 
 
 
 ゲンドウの言葉に、冬月は、微かに驚きの表情を浮かべて、じっとその顔を見つめていいた。
 
 
 
 「ダミーが……」
 
 レイは、茫然と立ち尽くしたまま、呟くように、かろうじてそれだけを口にした。
 
 間違いない。
 
 あの、挙動不審な初号機の動き……
 
 ……どう考えても、ダミーシステムに障害が起こったとしか、思えない。
 
 
 
 やはり、完成していなかった。
 
 レイが実験を拒んだ結果、ダミーシステムは開発途上で実戦に投入されることになったのだ。
 
 
 
 「……レイ……ダミーって、ナニよ?」
 
 
 
 レイの横に立っていたアスカが、小さな声で、呟いた。
 
 
 
 一瞬の間を置いて……レイは、視線だけをアスカの方に向ける。
 
 アスカは、横目でレイの顔を見つめている。
 
 「……さっきも、なんか言ってたわよね? ダミーシステム? それって、ナニ?」
 
 
 
 レイは、アスカの顔を見つめた。
 
 アスカも、レイの顔を見る。
 
 アスカがもう一度、口を開く。
 
 「……ダミーって、ナニ?」
 
 
 
 レイには、応えることが出来なかった。
 
 
 
 ……ダミーシステムの存在は、マヤやシゲルやマコト、それにミサトも知っていることだ。
 
 しかし彼らは、レイが人間でないなどとは夢にも思っていない。
 
 ダミーシステムのことを教えたからといって、レイのことをすぐに訝しがることなど、まず、ありえないのだ。
 
 
 
 ……だが、レイは即答できずに口を噤んでいた。
 
 
 
 ……ドォォンンン!!
 
 
 
 激しい地響きに、レイとアスカは、ハッとして夕闇に包まれた田圃を振り返った。
 
 二人の視界に飛び込んできたのは、地を削って倒れ込む初号機と、蹴り足をゆっくりと降ろした参号機。
 
 初号機は、立ち上がらない。
 
 
 
 参号機は、今度は続けて次の行動に移った。
 
 バッ、と地を蹴って空中に躍り出ると、そのまま、ズン! と初号機の腰の上に着地した。
 
 
 
 「あっ」
 
 アスカとレイが、驚いてその情景を見つめる。
 
 
 
 ……丁度、先ほどまでの立場が、逆転した体勢だ。
 
 初号機は、その場でガクガクと震えるだけで動かない。
 
 参号機は、ビシッとゴムのように腕を伸ばすと、両手で初号機の首を締め上げた。
 
 
 
 「う……」
 
 シンジは、茫然とした表情で、目の前の情景を見つめていた。
 
 神経接続がシンジから切り離されているため、シンジの呼吸が苦しいわけではない。
 
 だが……この、圧倒的な形勢の悪さ。
 
 ダミーシステムはもはや、役に立つ代物とも思えない。この攻撃を、初号機は振り払うことすら、できないのだ。
 
 
 
 いま、初号機の首が折られたら、どうなるのか……?
 
 ……シンジは無事だろうし、トウジも死ぬことはないだろう。
 
 だが、その先を見れば……人類の未来はないし、結局トウジを救ったことにはならない。
 
 
 
 「く……くそッ! 動け……動いてくれ!」
 
 シンジは、空しく操縦把をガシャガシャと叩きつけた。
 
 先程から、何度、同じ行動を繰り返したことか……?
 
 初号機は、シンジの慟哭に応えない。
 
 まるで、映画を観るように、一介の観客にしか過ぎない、状態。
 
 
 
 「……シ……シンジ……」
 
 トウジは、荒い息をさせながら、茫然と目の前の情景を見つめていた。
 
 
 
 トウジは、もちろんダミーシステムのことなど、何も分からない。
 
 だが、やはりシンジを信じていたし……だからこそ、直前まで自分を救おうとしていた初号機が突然参号機を殴りつけたことを、シンジの行動によるものとは思わなかった。
 
 ……トウジには……状況は、さっぱり分からない。
 
 だが、初号機か、あるいはシンジに、何か問題が起こったことは、かろうじて想像がついた。
 
 そして、二回目の豹変……まるで、戦闘意欲を失ったような初号機の動きが、シンジの意志が初号機の操作に反映されなくなった事実をトウジに確信させていた。
 
 
 
 痛みは、いつの間にか薄らいでいた。
 
 恐怖と興奮で逆に気分が高揚し、痛覚がマヒしているためだ。
 
 交通事故にあったときなどに、その場では痛みを感じず、翌日から七転八倒するのと同じ感覚である。
 
 
 
 ……目の前のモニタには、小刻みに震えるだけで動き出さない初号機と、その首を締め上げていく参号機の両腕が映っていた。
 
 トウジは、初号機の神経接続がダミーシステムに切り替えられていることを知らない。……首を絞められる痛みは、シンジの体に伝えられているものと思っている。
 
 (シ……シ、シンジが、死んでまう……)
 
 首に青筋を立てて、トウジは必死で身をよじった。
 
 やめさせたい……やめさせなければ、シンジが死んでしまう。
 
 だが、トウジの思いは空回りするばかりで、参号機は全く行動をやめるそぶりがなかった。
 
 
 
 「い……碇……君……」
 
 レイは、両手で頭を抱えるように、ゆっくりとかぶりを振った。
 
 目は、大きく見開かれている。
 
 アスカは配電車からポータブルの通信機を引っ張り出し、マイクに向かって怒鳴る。
 
 「……ちょっと! ナニ見てんのよ!? ……シンジが死んじゃうじゃない! 爆撃でもなんでもして、参号機を引き離しなさいよッ!!」
 
 
 
 その、アスカの言葉を耳の奥で聞きながら……レイは、しかしその結論は否定していた。
 
 今は、初号機の神経はダミーシステムに繋がれており、シンジは何も感じていない。
 
 参号機が初号機の首を締め上げているからといって、シンジは何のダメージも受けていないはずだ。
 
 例え首を折られたとしても、シンジ自身に影響はないであろう。
 
 
 
 ……だが、と、レイは心の隅で自問する。
 
 ……使徒が、そこで攻撃をやめてくれる保証がどこに存在する?
 
 首を折った後も、初号機がめちゃめちゃになるまで攻撃やめないという可能性は否定できない。
 
 何も為す術の無いシンジを内包したまま、初号機は参号機にずたずたにされてしまうかも知れないのだ。
 
 ……そのとき、シンジが助かると、誰が保証してくれるというのだ?
 
 
 
 どうしていいのかわからない。
 
 エヴァ以外で、今の参号機を止めるものなど、この世に存在しないのだ。
 
 例え、アスカの言うように爆撃をしたとしても、それはATフィールドに阻まれるだけではないだろうか。
 
 
 
 ……その瞬間、ガクガクッ、と初号機の身体がおこりのように震え上がった。
 
 
 
 糸の切れた人形のように投げ出されていた腕が、きしみながら持ち上がる。
 
 ……その腕は、自らの首を締め上げている参号機の黒い腕を振り払うのではなく……ガクガクと振動しながら、ゆっくりと参号機の首を包み込んだ。
 
 
 
 指先が、その首に、食い込んでいく。
 
 
 
 「……う……が……ッ」
 
 ……トウジが、むせ返るようにせき込んだ。
 
 顎をのけ反らせて、荒く息継ぎをする。
 
 その首が、徐々に、赤黒く変色していく。
 
 
 
 「……やめろッ! やめろやめろやめろォッ……!!」
 
 シンジの叫びがエントリープラグの中にこだました。
 
 喉の奥から、ほとばしるように声を上げる。
 
 叩きつけるように何度も操縦把をぶつけ、ハンドルを左右に回転させる。
 
 しかし、初号機は動きをやめない……参号機の首に、指先が埋まっていく。
 
 
 
 ……くぁ……あ……あああ……。
 
 
 
 ……突然、参号機の口が開く。
 
 その隙間から、ドロリとした粘液が溢れ出した。
 
 
 
 「……あッ」
 
 マイクを片手に握ったまま、アスカが驚愕の表情で、その情景を見つめていた。
 
 あれは……
 
 
 
 「……碇君ッ!!」
 
 レイが、悲壮な声で叫びを上げた。
 
 ハッ、とアスカは振り返って、次の瞬間、咄嗟に手を伸ばす。
 
 思わず我を忘れて走り出そうとしたレイは、しかし、すんでのところで手首をアスカに掴まれてしまった。
 
 
 
 「……放してッ……!!」
 
 レイが、泣きそうな表情でアスカの方に振りかぶった。
 
 「馬鹿ッ! アンタがいったからって、どうなるってのよッ!!」
 
 「でも……でも、でも……! 碇君が……ッ!!」
 
 
 
 参号機の口から垂れた粘液体は……参号機に組み敷かれて横たわる初号機の胸に、滴り落ちた。
 
 
 
 それは、ビシビシとメロンの節のように初号機の表面に広がっていく。
 
 「……う…お、あ、がぁああああッ!!」
 
 エントリープラグの中で、シンジは苦悶の叫び声をあげた。
 
 神経接続は、シンジから切り離されているはずだ……
 
 ……だが、このおぞましい感覚は、直接シンジの体に侵食していく……。
 
 
 
 「あ……がッ……ぐ……う、う、うぅうッ」
 
 体中から汗が噴きだす。
 
 駄目だ。
 
 まるで、内蔵の中にまで触手が伸びてくるような、形容しがたい、感覚。
 
 自分の身体が、自分でなくなっていくような……
 
 
 
 「う……」
 
 
 
 プラグスーツの上からも、はっきりと分かるように、シンジの胸部が徐々に節くれていく。
 
 
 
 「……う……」
 
 
 
 身体の自由が利かなくなる。
 
 
 
 「……う……ッ」
 
 
 
 皮膚の全てが、まるで裏返っていくように、自分から引き剥がされていく……。
 
 
 
 「……う……う……う……
 
 ……う……ッ」
 
 
 
 「……う……ぉ……ぉおぉ……ぉあああああああああッ!!」
 
 
 
 その瞬間、シンジの視界がホワイトアウトした。
 
 
 
 激しい、光の渦。
 
 脳細胞の全てが、鋭敏に、感覚の海に拡散する。
 
 ……その……光芒……!
 
 
 
 シンジの脳裏に、幾重もの映像が洪水のように流れていく。
 
 その、激しいるつぼの向こう側に……
 
 
 
 誰かの、
 
 人影が……
 
 ……見える。
 
 
 
 ……バシンッ!!
 
 
 
 シンジの体を覆い尽くさんとしていた細かい節くれは、突然、細かい破片となって弾け飛んだ。
 
 「ハッ!!」
 
 汗でびっしょりとした表情で、シンジは、カッと目を見開く。
 
 これは……
 
 
 
 体中を、覆う、この……感覚。
 
 
 
 求めてやまなかった、鋭敏な、風の粒子……。
 
 
 
 ……自分の背中に荒れた土くれを感じ、
 
 ……その首筋に締めつけられるような痛みを感じ、
 
 ……その手の平に食い込む丸太のような感触を感じる……!
 
 
 
 「う……おッ!!」
 
 シンジは、ガバッと身体を起こすと……うっ積した思いをはじき飛ばすかのように、激しく操縦把を前方に叩き込んだ。
 
 初号機は、握りしめていた参号機の首からバッと手を放すと、そのまま、自らの胸部に橋のように垂れている粘液体を掴む。
 
 その、握りしめた部分から、粘液体は激しく固体化し、ビシビシと音を立てて砕けていく。
 
 
 
 ビシ……
 
 ビシ、ビシビシビシ、ビシッ……
 
 ……バキンッ!!
 
 
 
 一気に、ひび割れは参号機の口許にまでせり上がり、激しく砕け散った。
 
 参号機は初号機の頚椎から手を離して、苦悶に震えるように身をよじる。
 
 一瞬の隙……それを見逃さないように、初号機は参号機を腹の上に乗せたまま、地面の上で大きくバウンドした。
 
 体勢を崩し、参号機はよろめくようにひざまずく。
 
 
 
 「うおおおおおッ!!」
 
 シンジは叫びながらジャンプした。
 
 体中の細胞が高揚している。
 
 全身の毛穴から、蒸気が噴き出しているかのような鋭敏な感覚。
 
 
 
 参号機は、よろめきながらも立ち上がり、初号機から距離を置こうと地を蹴った。
 
 だが、初号機はそれを無視するように横に飛び込む。
 
 参号機はその場で反転し、初号機に後ろを取られぬように……かつ正面に敵を捉えるために振り返る。
 
 しかし、その先には紫の残像しか見えない。
 
 参号機はバッと反対側に身体を回転させる。
 
 しかし、初号機を捉えられない。
 
 
 
 バッバッと向きを変える参号機の周りを、それを上回る速度で、初号機が移動していた。
 
 
 
 アスカは、茫然と目の前の情景を見つめていた。
 
 ……何が起こっているのか。
 
 あの、自分たちを翻弄した参号機が、まるで状況についていけていない。
 
 「……なによ、アレ……」
 
 誰に言うともなく……目の前のに気に視線を釘付けにされながら、呟く。
 
 「……速すぎる」
 
 
 
 「……碇君」
 
 レイも、茫然とした表情で、それだけを呟いていた。
 
 先程の、絶体絶命の状態から……
 
 ……いったい……シンジの身に、何が起こったというのだ?
 
 
 
 ダンッ!!
 
 参号機が何度目かの反転を行った瞬間、完全に初号機の姿を見失った。
 
 ……初号機が、どこにいるのか、分からない。
 
 参号機の動きが止まる。
 
 左右、どちらに反転してよいのか……その、一瞬の、迷い。
 
 僅か、コンマ何秒かの……時間。
 
 
 
 ガッ、と、剥き出しのエントリープラグを紫色の拳が掴んだ。
 
 表面を粘体が覆っている、その事実を、まるで無視したように。
 
 
 
 ブチッ……ブチブチブチッ!!
 
 
 
 空しく千切れる音を立てて、そのか弱い粘体が引き裂かれていく。
 
 ……そして。
 
 
 
 参号機の背中に立った初号機は、次の瞬間、右腕を高らかにあげて参号機のエントリープラグを引き抜いていた。
 
 
 
 「お……おおおおおおおおおおッ!!」
 
 シンジの叫びは、ほとばしるように喉の奥から弾き出された。
 
 ……今まで、シンジを、レイを、アスカを……そして何より、トウジを苦しめぬいた、忌まわしき存在。
 
 
 
 初号機の左腕が振りかぶられる。
 
 参号機に、振り向く暇など、与えはしなかった。
 
 
 
 ドッ……ガンッッ!!!
 
 
 
 まるで竜巻のごとく。
 
 その、全身全霊の怒りを乗せた拳が振り降ろされ……参号機の頭部が、星空の中に弾け飛んでいた。