第九十二話 「回転」
四百三十三



 黒の、参号機の機体。
 
 紫の、初号機の機体。
 
 その二機の体躯が、夕焼けの血のような朱を浴びて、半身を紅く染め上げていた。
 
 
 
 右肩を押さえたまま、レイは、ただ茫然とその光景を眺めていた。
 
 倒れた零号機を護るように立つ初号機の背中と、獣の如く身を屈めてそれと対峙する参号機。
 
 そして、その二機を主軸に、キャンバス一杯に広がる、全天の赤い空。
 
 
 
 まるで、一枚の絵画を見ているようだ、と、レイは思った。
 
 美しく、禍々しい。
 
 
 
 この空を、本物の赤い飛沫が舞う様を思い、レイは両肩をギュッと抱えた。
 
 
 
 ……シンジは、参号機をじっと睨み付けながら、心の中で小さく舌打ちをした。
 
 
 
 遅れてしまった。
 
 
 
 既に弐号機は、すぐ横の山肌に大の字になって、動く気配が無い。動かなくなったのは内部電源が切れたためだろうが、アスカの様子が心配だ。
 
 零号機も、危うく使徒の侵食を受けるところだった。レイを侵食に晒したくなんかないし、それに、参号機と零号機の両方を敵に回せば戦いはかなり厳しくなってしまったことだろう。
 
 ……起こりうる事態の大半が分かっていながら、ここまでの展開は、はっきり言って前回と全然変わりがない。
 
 それは、シンジの心に暗くさせた。
 
 ……実際には、「熊谷ユウ」という前回のシンジの人生にはまったく絡んでこなかった因子が新たに関わってきた以上、シンジに全てを予見し、先回りしろというのは、いささか酷な話なのだが。
 
 
 
 参号機は、四つん這いになって身を屈めたまま、犬のように小首を傾げて初号機を見つめている。
 
 それは……人間らしさを感じさせない分、不気味だが、緊張感に欠ける。
 
 まるで、動物。
 
 ただ……これは、愛玩犬ではなく、狼だ。
 
 主人の反応を伺っているのではなく、獲物を見る目なのだ。
 
 (……トウジ……)
 
 シンジは、心の中で、小さく友人の名を呼ぶ。
 
 ……彼は、無事なのだろうか?
 
 
 
 ……トウジは、肩で荒く息をしながら、目の前の初号機を見つめていた。
 
 
 
 「はぁッ……はぁッ……はぁッ……」
 
 体中から、纏わりつくような汗が流れ落ちる。
 
 L.C.L.の中にいるのだからそれは錯覚だが、ともかく……全身の毛穴から脂汗が噴き出ていた。
 
 それを手の甲で拭い落としたい衝動に駆られるが、身体はぴくりとも動かすことが出来ない。
 
 
 
 「……シ……シンジ……」
 
 目を見開いたまま、茫然と、呟く。
 
 
 
 ……先程までの、零号機・弐号機との闘いは、搭乗者であるトウジの意志を、完全に無視した闘いだった。
 
 何が起こっているのか、どうなるのか……訓練も積んでいない一介の中学生であるトウジには、およそ思考がついていかない闘い、である。
 
 
 
 自分が倒してしまったと思われる弐号機は、大丈夫だろうか? と、トウジは頭の隅で思う。
 
 先程まであんなに機敏に動き回っていた赤い機体は、今は山肌に大の字に寝転がったまま、ぴくりとも動かない。
 
 ……トウジは、エヴァの内部電源の存在など知らない。それに、同じエヴァである参号機は、ケーブルがなくても平気で動き回っている。
 
 これがS2機関によるものだ……などと、それこそトウジには知りようはずもなかった。
 
 弐号機が動かないのは、アスカがどうかなってしまったからではないか……トウジはそう思い、冷や汗をかいた。
 
 
 
 同じく、零号機にも視線を向ける。
 
 零号機も動かない。しかも、動かなくなる直前に、激しく片腕を爆発させていた。
 
 痛みが、搭乗者にフィードバックされる。それは、今は、トウジにも分かる。……あの、腕が爆発した痛みは、いかほどのものであろうか?
 
 
 
 まがりなりにも、自分が乗っている参号機が二人を攻撃し、今や生死の判然としない状態に追いやっていることは、トウジの心を小さく痛めた。
 
 ……だが実際には、トウジも他人のことを心配していられるような状態ではないのだ。
 
 何しろ、トウジは全く身動きが取れず、エヴァの操縦も出来ない。この事態を前に、出来ることはただ、こうして座っていることだけだ。
 
 「敵」である零号機と弐号機は退けたが……目の前には、新たに初号機がやって来て、戦闘態勢で構えているのが見える。
 
 ……相変わらず、自分も、生と死の瀬戸際にいるのだ。
 
 
 
 『……アスカ、レイ。大丈夫!?』
 
 スピーカーを通して聞こえてくるミサトの声。
 
 それを聞きながら、アスカは、逆さまになった身体を起こして、いまいましそうに頭を振った。
 
 「……ったたた……。ああ〜、クソ……」
 
 眉をしかめながら、頭に出来たこぶをさする。
 
 その様子を見て、ミサトが安堵と緊張を声音に半々に混ぜながら、声をかけた。
 
 
 
 『アスカ? 大丈夫?』
 
 「……大丈夫じゃないわよ。内部電源切れちゃったし」
 
 『……アスカの体のことよ』
 
 「体は平気よ。……そんなにカンタンにぶっ壊れるほど、ヤワじゃないわ」
 
 アスカはそう言うと口を閉じた。
 
 体は確かに平気だが……闘いに負けてしまったのは、確かだ。それは、動かない。
 
 アスカは小さく舌打ちすると、インテリアのシートを蹴って、上部のハッチに向けて泳ぎだした。
 
 
 
 『レイは? レイ、大丈夫?』
 
 ……ミサトの呼びかけに、レイは、最初応えなかった。
 
 眼前で仁王立ちする初号機の姿に、目を奪われていたからである。
 
 ……だが、ミサトの幾度かの呼びかけに、レイは右肩を押さえたまま、ゆっくりと体を起こした。
 
 
 
 「……ハイ、大丈夫です」
 
 『あっ……レイ、あぁ……よかった。体は平気?』
 
 「外傷は特にありません」
 
 レイは小さく頷く。
 
 
 
 ガ……シャン!
 
 アスカはハンドルを廻し、扉を横にスライドさせた。
 
 ハッチが音を立てて開くと、合わせて一気にLCLが流れ出す。
 
 
 
 弐号機は、横倒しになっていた。
 
 そのため、普通なら地表より遥か高い位置にあるはずのエントリープラグも、今はアスカがハッチから手を伸ばせば、すぐに地面に触れられるほどの高さになっている。
 
 アスカは最初、地面に飛び降りようかとも思ったが……しかし、溢れたLCLが山肌の土を泥濘ませている。アスカは、眉を軽くしかめてから、懸垂の要領でぐいっとプラグの上に登った。
 
 そのまま軽い身のこなしで、ほいほい、と弐号機の体の上を移動する。
 
 倒れた弐号機の顎の上に到達すると、仁王立ちになって目の前の情景を仰ぎ見た。
 
 
 
 腰を低く落とした初号機と、四つん這いになった参号機。
 
 朱の空をバックに……数百メートルの間を置いて、二機が対峙しているのが、見える。
 
 
 
 零号機と参号機の間に初号機が割って入ってから、既に数分が経過しているはずだが、両者とも、まだ動きが見られなかった。
 
 「……まずは、様子見ってコトかしらね……」
 
 アスカが、目の上に手の平をかざし、眉間に皺を寄せながらそう呟いた、そのとき。
 
 
 
 ……参号機は、反動をつけるような動きもないままに、いきなり地を蹴った。
 
 
 
 ……ぶんっ!!
 
 
 
 空気を切り裂くような音とともに、参号機は五百メートル近い距離を跳躍した。
 
 どざん!
 
 そのまま、反転しながら畦道に着地する。
 
 ……初号機は、間一髪でその体当たりを躱していた。
 
 ざっ、と体を回転させて、再び腰を落とす。
 
 
 
 アスカは、軽く目を見開いた。
 
 
 
 管制塔でその顛末を眺めていたマヤは、少しだけ驚いた表情でモニタを見つめ……横を向いて、隣に座るシゲルに、囁くように声を掛けた。
 
 「シンジくん……よくよけたわね、今の」
 
 
 
 シゲルは、キーボードを叩きながら、横目でマヤを見た。
 
 「え?」
 
 「よくよけたわね、って」
 
 「あぁ……でもシンジ君なら、あれくらい……よけられるんじゃないか?」
 
 「でも……反動も無しで、いきなりよ。予想できなくない? 躱せたとしても……ギリギリくらいじゃないかしら、普通」
 
 「う〜ん、まぁ……確かに、初号機はバランスも崩してなかったけど……」
 
 「余裕があるのかしら」
 
 
 
 「……作戦中よ。無駄口を叩かないで」
 
 ミサトが、呟くように口を開いた。
 
 その言葉に、マヤは頬を赤くして首を縮めた。
 
 「あっ、は、ハイ。すみません」
 
 慌てて前を向き、キーボードを叩く。
 
 
 
 ミサトは、モニタに映る初号機の姿を、じっと見つめていた。
 
 
 
 ……シンジは恐らく、充分に集中していたに違いない、と……ミサトは思う。
 
 彼の、戦闘中の集中力は、これまでも、まざまざと見せつけられている。
 
 万が一にも、気を抜いていたりはするまい。まして、目の前には参号機に倒された零号機と弐号機が横たわっているのだ。
 
 遅れてやってきて、闘いの顛末そのものを目にしていなくとも、参号機の強さはおのずと推し量れよう。
 
 ……研ぎ澄ました集中力をもって対峙していれば、何の含みもない参号機の攻撃など、まだ余裕をもって躱すことが出来たに違いなかった。
 
 
 
 ミサトは、そのままカツカツと前進し、コンソールに両手を突いた。
 
 「シンジくん……まずは、様子を見て」
 
 マイクに向かって、そう、口を開く。
 
 「まだ……どうやって使徒を殲滅するのか、その具体策は見えていないの。
 
 参号機には、コアがない。以前の使徒にもそういうのがいたけど、とにかく、何が弱点なのか……それが、わからないのよ」
 
 ミサトは、そう言いながら唇を噛んだ。
 
 
 
 シンジを楽にしてやるためにも、何か、策は練らないといけないのだが……何を狙えばよいのか、それが見えてこない。
 
 リツコがいれば、コアの代わりに、どこを狙えばよいのか……それも、分かったかも知れない。そうすれば、それを元に作戦の練りようもあるのだが……
 
 (言っても始まらないわ……リツコは、いないんだから)
 
 とにかく、何とかしなければいけない。
 
 とにかく、相手の様子を見ながら、深追いを避けつつ攻撃を仕掛けていく。
 
 その途中で、使徒が何か、特定の部位を庇うような動きを見せるかも知れないし……あるいは、何かの攻撃に極端にひるんだりするかも知れない。
 
 そうした動きから、使徒の弱点を探っていくしかあるまい。
 
 
 
 ……しかし、スピーカーから聞こえてきたシンジの言葉は、そうしたミサトの意志に反した言葉だった。
 
 『いえ……闘いを長引かせる気はありません。一気に決着を付けます』
 
 
 
 「……シンジくん?」
 
 ミサトが、少しだけ驚いた表情で、顔を上げた。
 
 「一気にって……でも、どうするの?
 
 どうやって使徒を倒せばいいのか、まだ、分からないのよ」
 
 
 
 『使徒殲滅より、とりあえず今は、パイロットの救出が大事だと思います』
 
 シンジの言葉に、ミサトは眉根を寄せる。  
 「……それはそうかも知れないけど、パイロットを救うにしても、使徒の殲滅は必要でしょ?」
 
 そう言うミサトに、モニタの向こう側のシンジは、視線を参号機に固定したまま……小さく、首を振った。
 
 
 
 『さっき、零号機に侵食しようとするところを見ましたが、使徒の実体は、あの粘液体でしょう。
 
 あんなの、どこが弱点かなんて分かりませんよ。
 
 ……トウジが助からない殲滅なんて、まっぴらだ。使徒は参号機を乗っ取って動いているわけだから、要は、参号機の動きを止めればいい。手足の自由を奪って、無理矢理でもプラグを引き抜きます』



四百三十四



 シンジの策が必ずしも最善の方法なのか、それは、誰にも分からない。
 
 少なくとも、トウジに苦しみを与えずに過ごすことは出来ないだろう。手足を折られる痛みを体感して、平気でいられるはずはなかった。
 
 だが……シンジは、知っている。前回、とにかく凄惨な結末に終わったバルディエル戦だが、とにかく……あの時は、参号機の動きを完全に止めることが、イコール使徒の生命活動を失わせることだった。
 
 あるかどうかも分からない弱点を探って大事なチャンスを逸するよりは、一瞬で決着をつけたいのだ。
 
 
 
 参号機が、再び四つん這いになって、ぐぐっ……と腰を落とした。
 
 初号機も、併せて構えを取る。
 
 
 
 中央で、今、陽が沈まんとしている……。
 
 
 
 ……そんな、数秒の沈黙の後……二機は、ほぼ同時に飛び出した。
 
 
 
 ぶん!
 
 ドガッ!!
 
 空気を切り裂くような鈍い音とともに、二機は宙を舞った。
 
 初号機と参号機は、共にくるくると回転しながら、離れた位置に着地する。
 
 「あっ、え?」
 
 眺めていたアスカは、慌てたように視線を泳がせた。生身の目では、咄嗟の動きに視線が追いつかない。
 
 ……どうやら飛び出した二機は、そのまま空中で斬り結んで再び一気に離れたらしい。
 
 そう類推するよりも速く、今度は、初号機が先に動いた。
 
 
 
 ダンッ! と一気に地を蹴った初号機は、参号機までの距離を一瞬にして縮めた。
 
 空中で体を回転させて、スライディングのように参号機の足首を払いに行く。
 
 だが、参号機は一瞬のところで地面に両手両足を踏ん張ると、反動をつけて、一気に上空へジャンプした。
 
 
 
 蹴り足を空振りさせた初号機は、そのまま回転するように両足を広げ、土煙を上げて停止し、ざっと片手を突いて上空を見上げる。
 
 初号機の腰から連なるアンビリカルケーブルが、ぶぅん、と大きく弧を描いた。
 
 空高く舞い上がった参号機は、そのまま物理法則を無視したような速度で、初号機めがけて落下する。
 
 シンジは咄嗟にのけ反るようにその場からジャンプした。ズゥン! と土煙をあげて参号機が着地する。初号機は、そこから数百メートルほど離れた場所に着地した。
 
 
 
 (速い)
 
 シンジは、じっと参号機を見つめながら、眉間に皺を寄せた。
 
 
 
 なるほど、アスカやレイが、二人がかりでやられてしまったのも頷ける。最初、二機がやられているのを目の当たりにしたときには、トウジの身を案じて充分な攻撃が仕掛けられなかったからかとも思ったが……どうも、そんなことを抜きにしても、こいつは充分に強い。
 
 初号機は、ぐぐっ……とヒザをため、肩からプログナイフを取り出して左手に構えた。
 
 ……とにかく、参号機は……目で追うのが大変なほど、速い。
 
 トウジを助けるにしろ何にしろ、まずは、この参号機の動きを止めなければ話にならない。
 
 
 
 ……ナイフを構える初号機に、トウジは冷や汗を垂らした。
 
 「ぅわ……」
 
 咽が渇いて貼り付く。
 
 
 
 ……歯が鳴る。
 
 ガチガチと歯を合わせながら、汗びっしょりの顔で、呻くようにトウジは呟いた。
 
 ……死にたくない。
 
 当たり前だ。
 
 だが……どうやって?
 
 
 
 ……シンジが、自分を殺すはずがない、という淡い期待が、今や縋りつく全てだった。
 
 シンジは、自分を助けようとしてくれているに違いない。
 
 そう……信じるしか……ない。
 
 
 
 「……シ……シ、シンジ……た……た……頼む……頼むで……」
 
 
 
 止めに入った零号機と弐号機は、この参号機に為す術もなくやられてしまった。
 
 ……もはや……参号機は、よほどの力をもってしなければ、とても……止めることが叶わないのだ。
 
 
 
 目の前で、ゆっくりと、右手にナイフを持ち替える、初号機。
 
 
 
 ……シンジが……何とか……してくれる。
 
 
 
 ……シンジにしか……もう、どうにも、出来ないのだ。
 
 
 
 ……この世で、自分を止められるのは……シンジだけなのだ。
 
 
 
 「……い……い……いた……ないよぅ……したってや……なぁ」
 
 唇の端を歪めた。
 
 無理に笑顔を作ろうとして、滑稽な表情になってしまう。
 
 とても、冷静にはなれない。口でそう言っても、とても完全に身を委ねられない。
 
 ……だが、自分には、どうにも出来ないのだ。自分は……ただ、この椅子に座っているだけだ。
 
 トウジは、乾いた笑いを口から漏らす。
 
 とても、笑えるような心境ではなかったが……無理矢理、笑い声を出した。
 
 案の定……とても笑い声には聞こえないような、押し殺したカエルの如き声になってしまったが……それでも、恐怖に震える心の、百万分の一ミリでも、奮い立つ。
 
 
 
 そうだ。
 
 もはや、ジタバタしても、仕方がない。
 
 
 
 「シンジ……信じとる……信じとるで……
 
 て……手でも、足でも、お……お、お、お……
 
 ……折ってくれ……構わんから……。
 
 ……そや……
 
 ……さっきの綾波も……そやった。……そやな?
 
 でも……綾波は……耐えたんや。
 
 シンジも……惣流も……耐えられるんやろ。
 
 ……平気……
 
 ……平気……や……。
 
 ……どうとでもしてくれ。
 
 構わん……から……ワシを……生きて、ここから……出してくれ……」
 
 
 
 目尻から、涙がこぼれた。



四百三十五



 ぶんっ、と参号機の伸びた腕が空を切った。
 
 初号機は俊敏に躱して距離を取る。
 
 
 
 参号機の動きは、総じて言えば物理法則を無視したものだ。
 
 反動もなく動き、速度も加減速の変化が急激すぎる。右に動いていたものが次の瞬間は左に転じ、それがブレーキの様子もなく行われるのである。
 
 シンジはその全てを躱し続けてはいたが、向こうが物理原則を無視した動きを見せる分、行動の予測が付けにくい。
 
 参号機の僅かな動きにも即座に反応しなければならないために、精神力を限界まで集中させてしかもそれを維持させなければならず、シンジの負担は大きい。
 
 
 
 ガシャン!
 
 と、レイはハッチを開けて、プラグの外に這い出した。
 
 俯せに転がる零号機の頚椎を登り、振り返って前方で繰り広げられる戦いに目を向ける。
 
 
 
 参号機は、土塊を舞い上がらせながら地を蹴ると、そのまま空中で前転するように回転して、体に巻き込むように、ぶんっ! と踵を降り落とした。
 
 シンジは、咄嗟に頭の上で両手を交差し、参号機の踵落としに備える。だが、予測された衝撃は来ず、代わりに、空いた胴に激しい蹴りが入った。
 
 
 
 ドガガガッ!!
 
 
 
 のけ反るように背中から田を削る。
 
 舞い上がる激しい土煙。しかし初号機は、そのままガッと地を蹴って反転し、すぐに両手を突いて立ち上がった。
 
 その眼前に、一瞬にして距離を詰めた参号機が迫る。
 
 そのままムチのように右腕をしならせて初号機の横腹を薙ぎに来るが、初号機は横転するように倒れながら間一髪でこれをよけ、その勢いで蹴りを参号機の脇にぶちこんだ。
 
 一気に吹き飛ばされる参号機。
 
 しかし参号機も、空中で腕を伸ばして地面に爪を立てると、凧のように身を翻して着地した。
 
 
 
 ガインッ!!
 
 そうして参号機が態勢を立て直すよりも早く、突然その眼前に七色の壁が浮かび、参号機はその壁に再び弾き飛ばされた。
 
 激しく土塊を撒き散らしながら黒い体躯が地を削るのを、七色の壁は追うように後につく。
 
 ……初号機のATフィールドで、捕獲しようという試みだったのだが……しかし、参号機は吹き飛ばされた不自然な体勢のまま、右腕を横に薙いで、その壁を掻き消した。
 
 
 
 「中和……」
 
 茶色の髪を風になびかせながら、アスカは小さく呟いた。
 
 アスカの立っているところから、闘う二機までは数百メートルと離れていない。
 
 この闘いでは、その距離はゼロと大差なく、とても安全とは言えないのだが……アスカは脅える様子もなく長い髪を掻き上げると、弐号機の顎の段差に腰を下ろした。
 
 
 
 先程までの、自らもその渦中にいた激しい闘いが、今は遠い別世界での出来事のようだ。
 
 片方の膝を立てて、その膝を両腕で抱えるようにする。
 
 背を僅かに丸め、抱えた腕の中に顎をうずめるようにして、上目遣いに視線だけを闘いに向けた。
 
 
 
 今や、自分は蚊帳の外に追いやられ、シンジが人類の未来を双肩に負っている。
 
 その事実は、昔の自分であれば承服しがたい屈辱であろうが……今は、さして心も乱れない。
 
 それは、アスカ自身の変化に因るところももちろん大きいのだが、結局……シンジに闘いを預けることにさほどの不安を抱かなくなっているからだ、と、アスカは思う。
 
 
 
 エヴァでの闘いにおいて、自分がエースであるわけではないことは、もう、アスカも理解していた。
 
 それは、シンジに自分が劣るということではなく……つまり、シンジも、アスカも、レイも、全く別個の存在であり、対等なのだ。
 
 自分が倒せなかった使徒をシンジが倒すことで、優劣が決まるとは思わない。
 
 自分には自分の闘いがあり、シンジやレイにも、自分とは違う、別の闘いがある。
 
 それはベクトルの違いであって質の差ではない。
 
 
 
 ガン! と振り降ろした拳を、初号機は右腕で払うと同時に、左手で参号機の肩を掴む。
 
 参号機は、それを振り払って一気に距離を置く。
 
 
 
 いつしか、初号機が参号機の身体を捕らえる機会が多くなってきていた。
 
 参号機の行動パターンに、シンジは、徐々に慣れてきている。
 
 
 
 「惜しいっ」
 
 ミサトは、小さく呟いた。
 
 先程までの……初号機が参号機の動きをろくに捕らえることが出来なかった時には、勝負の行方はどちらに転ぶとも知れなかった。
 
 だが、ともかく今は、決定的ではないにせよ……先程よりも状況はいい。
 
 とっかかりがあるかないか、僅かな違いに見えて、この差は大きい。
 
 
 
 モニタの向こう側で、初号機の蹴りが参号機の足を払う様子が映った。
 
 バランスを崩して横転する参号機。
 
 その上に初号機は飛びかかると、格闘技のマウントスタイルのように、仰向けに倒れる参号機の上に座って、両足で参号機の腰をガッシリと挟み込んだ。
 
 
 
 「よしッ」
 
 アスカは、思わず小さく拳を握った。
 
 油断は禁物だが……あの体勢から、敵が逃げるのは難しい。
 
 少なくとも、両者の実力が拮抗しているのであれば、マウントスタイルは上位のものが圧倒的に有利なのである。
 
 アスカは、初号機の勝ちを確信して、肩の強張りを解いた。
 
 
 
 レイも、小さく頷いていた。
 
 ……実際、シンジは殆ど夢中であって、狙っていたわけではないのだが……幼い頃から訓練を受けているアスカやレイにとって、この体勢は、長い闘いに終止符を打つ、決定的な行動だった。
 
 そして、もう一つ……レイの心に広がる、安堵。
 
 それは……初号機が圧倒的優位に立つことで、トウジを不要に傷つけずに済むかも知れない、ということだ。
 
 ギリギリの、均衡した闘いでは、勝つ為の手段を選んではいられない。最終的にトウジを救うために、トウジを痛めつけなければいけないかも知れなかった。
 
 だが、この体勢なら……油断さえしなければ、かなり余裕をもって参号機の行動を抑えられる。ヘタに攻撃を加えることなく、プラグを引き抜くなどの安全な救出策が取れる、と思ったのだ。
 
 
 
 もちろん、同じことを、シンジも考えていた。
 
 
 
 マウントスタイルに持っていこう、と、必ずしも考えて闘っていたわけではない。だが、勝利への糸口を求めて闘いを繰り広げているうちに、ハッと気付くとこの体勢になっていた。
 
 ……参号機が素早く腕を伸ばしてくるが、それをシンジは片腕で払う。
 
 参号機に間合いの概念が無い分、普通のマウントスタイルよりは、遥かに集中力が必要だ。
 
 だが、いくら間合いが無いと言っても、腕がいきなり腹から伸びてくるわけではない。攻撃の起点はあくまで肩であり、これは動かないのだ。これは、俊敏さを身上とする敵と相対して、圧倒的な利点である。
 
 
 
 シンジは、急速に頭を回転させた。
 
 この体勢を、いつまでも保てると思うほど、状況に安穏とはしていない。即座に行動に移らなくては、せっかく手に入れたチャンスを無にしてしまう。
 
 ……とにかくこれで、トウジを不必要に痛めつける必要はなくなった。
 
 当初、この素早く動き回る参号機を足止めするために、最悪……手足をへし折ってしまわなければいけないかも知れない、と思っていた。他に方法が無ければ仕方のないことだが、その際のトウジの痛みは、想像し難い。
 
 だが、この状態なら、そんな事態は避けられるのではないか?
 
 
 
 (参号機をひっくりかえしてしまおう)
 
 横転でもいい。
 
 そして、露出したプラグを強引に引き抜く。
 
 神経の強制切断になってしまうが、搭乗者の精神に影響がないことは、知られている。プラグを引き抜くにあたり使徒の粘体が邪魔になると思うが、知ったことではない。
 
 
 
 参号機の右腕が伸びるが、初号機はそれを払う。そして、その右腕を、そのままガッと左側に押し込んだ。
 
 腕を地面に押さえつけられて、参号機の右肩が浮く。
 
 その空いた右肩の向こう側に、粘体に包まれた頚椎が見える。
 
 
 
 ……トウジは、憔悴した表情で……しかし、やや安堵したような気持ちで、初号機を見つめていた。
 
 
 
 ……初号機にのし掛かられたときには、思わず恐怖に震えた。
 
 だが、それから30秒から1分が経過しているが、初号機からの攻撃は、一度もない。
 
 全て、参号機の攻撃を躱すことに、終始している。
 
 その姿を見ているうちに……シンジの想いが、見えてきたのだ。
 
 
 
 ……可能であれば、攻撃せずに……自分を救おうとしている。
 
 それが分かったから、トウジの千々に乱れた心は、今はまだ落ち着いていた。
 
 シンジの性格を思えば、それは自然なことだ。それは、信頼に値すると言ってもよかった。
 
 
 
 「……頼むで、シンジ……」
 
 トウジは、小さく、呟いた。
 
 
 
 下階から照らす僅かな明かりの中……冬月は、じっと、目の前のモニタに映る情景を見つめていた。
 
 
 
 「……勝負あったな」
 
 冬月は、小さな声で呟く。
 
 ゲンドウは、その言葉には応えずに、ただ、繰り広げられる戦いを見つめていた。
 
 冬月は、暫く黙った後……僅かに、視線をゲンドウの方に向ける。
 
 
 
 「……いいのか?」
 
 
 
 「………」
 
 ゲンドウは応えない。
 
 冬月は、再び視線を前方に戻す。
 
 管制塔の中は、緊張感は保たれていながらも、少々落ち着いた空気が流れていた。
 
 シンジの、今日に至るまでの闘いぶりに対する評価もあるのだろうが……ここまで来て、シンジが大きな間違いをすることはないはずだ、と、みんなが考えているのだろう。
 
 
 
 ゲンドウは……低く、呟いた。
 
 
 
 「……ダミーは使わなければならん」
 
 
 
 「……闘いが有利に進んでいるのに、か」
 
 「……関係ない。必要なのは、ダミーの戦闘での実験と……シンジの手で、親友を苦しめた事実だ」
 
 「それが、委員会の意向でもある……ということか」
 
 「老人たちには、まだ、ぬるま湯に浸かっていてもらわねばならん。今は、予言のままに物語が進むことが望ましい」
 
 「……シンジ君が、黙って従うとも思えないがな。今回はそれでいいのかも知れんが、これから先、彼の協力を得られなくなるのではないかね」
 
 「どうとでもなる」
 
 ゲンドウは、短く言葉を切った。
 
 「あいつはまだ子供だ。レイやアスカのこともある……シンジが、エヴァを降りて生きていくとは思えん」
 
 「………」
 
 「シンジは、エヴァから離れることは出来ない」
 
 
 
 ゲンドウは、そう……低く呟いた後、声のトーンを変えた。
 
 さほど大きくなったわけでもないゲンドウの声は、不思議と、低く……しかし、管制塔の中に響く。
 
 
 
 「初号機の神経接続を切断。ダミーシステムに切り替えろ」



四百三十六



 ミサトも、マヤも、そも他のオペレーター達も……ゲンドウの言葉に、自らの耳を疑った。
 
 目を見開いて、バッと振り返り、ゲンドウを仰ぎ見る。
 
 
 
 「な……ッ」
 
 
 
 驚愕の表情で、ミサトは、一歩……右足を踏み出した。
 
 慌てたように、声を出す。
 
 「し……しかし、このままにしておけば、初号機は勝ちます!」
 
 ……ミサトの驚きは当然だ。わざわざ、今、ダミーシステムに切り替える必要など、全く感じられない。
 
 だが、ゲンドウは、全く意に介した風もなく、視線だけをミサトに移した。
 
 
 
 「勝つか、勝たないか……それは問題ではない」
 
 「は? ……使徒の殲滅が、最優先なのではないですか!? このままにしておけば、シンジ君は勝ちます!」
 
 「だから、今がいいのだ」
 
 「……はっ?」
 
 「ダミーシステムの、実戦での実験は……いずれにせよ、いつか、必ず行わなければならん」
 
 ゲンドウはそこまで言ってから一度言葉を切り、ややあって、再び続けた。
 
 「勝つか負けるか、分からないような戦いで、試すことは出来ん。もしも、ダミーシステムが正常に機能しなかったらどうする。
 
 今なら、勝ちはほぼ固まっている。今が、望ましい」
 
 
 
 ミサトは、茫然と、ゲンドウの顔を見ていた。
 
 
 
 おずおずと……しかし、若干の詰問口調を孕んで、マヤが言葉を発した。
 
 「……ダミーシステムは、まだ、完成とは言えません。完全にこちらで制御できるか、分かりませんが」
 
 「完成していないから、実験が必要なのだ。……完成しているものなら、実験など必要ない」
 
 ゲンドウは、マヤの方に視線を向けることもなく、その疑問を斬り落とす。
 
 管制塔は、静寂に包まれた。
 
 
 
 「やりたまえ……これは、命令だ」
 
 
 
 シンジは、粘体に絡まれた頚椎を見て、僅かに拳を握りしめた。
 
 (よし)
 
 ……あの粘体の下には、プラグを包むエジェクトハッチがある。その下に、トウジの乗ったエントリープラグが入っているはずだ。
 
 考えている余裕はない。シンジは手を伸ばすと、頚椎の粘体を握りしめる。
 
 
 
 時間をかけていては、こちらも侵食にさらされてしまうかも知れない。
 
 短時間で勝負をかけなければいけない……。
 
 ブチ……ブチブチッ!
 
 頚椎の入り口付近を覆う粘体を引きちぎる。
 
 エジェクトハッチの一部が露出した。そのカドに指を立てると、強引に引き剥がした。
 
 
 
 ギ……ギ……ギ……バギッ!
 
 
 
 いくつかの金属破片を散らしながら、ハッチは力任せに引き剥がされた。
 
 その、中に、これまた粘体に絡まれた……しかし、紛れもないプラグが見える。
 
 (……トウジ)
 
 シンジは握っていたハッチを投げ捨てると、すぐさまそのプラグに手をかけた。
 
 
 
 突然、初号機のプラグのメイン照明が落ち、中は赤い予備灯の明かりだけになった。
 
 
 
 「えっ?」
 
 急に起こった変化に、シンジは、あっけにとられて周りを見回した。
 
 全天のモニタも光を失い、ただの金属内壁だけが視界に映る。
 
 手の平に受けていたプラグを握る感触も、今はない。
 
 
 
 これは……
 
 ……シンジの脳細胞が状況を咀嚼するよりも早く、インテリアシートの裏側から、かすかな回転音が耳に届いた。
 
 
 
 フィイィィィィ……ン……
 
 
 
 シンジは、ゆっくりと、目を見開いた。
 
 こめかみに、汗が浮かびだすのが、分かる。
 
 この……音が……意味する、ことが、分かる……。
 
 
 
 ブ……ゥン。
 
 
 
 一度失われたモニタの光は、再び、元のように、外の映像を映し出した。
 
 
 
 一度プラグを手にかけていたはずの初号機は、また、元のように手を放して、上半身を起こしていた。
 
 マウントスタイルの姿勢のまま、眼前に参号機を見下ろしている。
 
 
 
 「?」
 
 初号機の様子に、アスカは少しだけ怪訝な表情で眉根を寄せた。
 
 ……何をやっているのだろう?
 
 確かに、今、初号機は参号機のエントリープラグを引き抜こうとしたはずだ。
 
 それで、トウジは助かったかも知れないのに……
 
 ……何か、問題でもあったのだろうか?
 
 
 
 レイも、怪訝な表情で首をかしげる。
 
 一瞬……闘いに不釣り合いなほどの静寂が、二機の間に流れているのが見て取れた。
 
 何故、シンジは、行動をやめたのか?
 
 アスカと同じように、何か問題があったのだろうか、と思いかけて……別の、僅かな、ほんの小さな違和感が、彼女の脳裏に去来する。
 
 ……いや
 
 ……まさか……。
 
 
 
 トウジは、不思議そうな表情で、参号機の腰に乗る初号機を見上げていた。
 
 ……今までの一連の動きは、トウジにも朧げながら理解できた。
 
 シンジは、トウジを救うために、プラグを引き抜こうとしていた。トウジも自分が収まっているプラグが頚椎の辺りから引き抜かれることは理解していたし、シンジがとにかくプラグを抜いてくれれば、この状態を脱することが出来る……と、安堵の思いとともに、初号機の行動を眺めていたのだ。
 
 だが、初号機はプラグを引き抜こうとした動きをやめて、再び元の姿勢に戻ってしまった。
 
 僅かな落胆とともに、トウジは、初号機の悪魔的な顎のラインを眺めている。
 
 どうしたのだろうか……?
 
 
 
 トウジの見ている前で、初号機は、ゆっくりと拳を握りしめた。
 
 ぐぐっ……と、振りかぶる。
 
 「えっ……」
 
 トウジが、状況を完全に把握できないまま、声を漏らした……その、とき。
 
 
 
 「……父さんッ!!」
 
 
 
 ドガッ!!
 
 
 
 初号機の拳は、音を立てて参号機の顔面にめり込んだ。