第六十九話 「作戦」
三百十九



 「は?」
 
 
 
 思わず、シンジは間の抜けた声を出した。
 
 
 
 レイとアスカは、発令所の出口に向かって片足を踏み出したような状態で……振り返り、きょとんとした表情でリツコを見ている。
 
 ミサトも不思議そうな表情だ。
 
 リツコは、何喰わぬ表情でシンジを見ている。
 
 
 
 「……ええ……と? ……何ですか?」
 
 怪訝な表情で、シンジが尋ねる。
 
 リツコは、白衣のポケットに両手を突っ込んだまま、軽い口調で応えた。
 
 「5分ぐらい、話が出来るかしら? レイやアスカには、食堂で待っていて貰うといいわ」
 
 「……はぁ」
 
 シンジは、一瞬、リツコの後ろに立つミサトに視線を向けたが、目が合ったミサトは、「さぁ?」という表情で肩を竦めるに留まった。
 
 
 
 「……よく分かりませんけど……じゃぁ……ハイ」
 
 シンジは、おずおずと肯いた。
 
 意図は不明だが……話がある、と言われては、行かないわけにもいくまい。
 
 そのまま、振り向いてレイとアスカに声を掛ける。
 
 「じゃ……二人とも、先行っててよ。食堂でしょ? 後から、行くよ」
 
 「……そう? じゃぁ、早く来なさいよ」
 
 「……碇君……待ってる」
 
 それぞれ、シンジに応えると、アスカは素早く……レイは、ちょっと名残惜しそうな表情を見せてから、連れ立って発令所を出て行った。
 
 
 
 二人が去って行ったところで、ミサトがリツコに声を掛けた。
 
 「なに、リツコ……作戦会議か、なんか?」
 
 「いいえ……まぁ、ちょっと、別の話よ」
 
 リツコはミサトを横目で見て応える。
 
 そして……そのまま、視線をシンジに移した。
 
 
 
 「じゃぁ、ちょっと付き合って貰えるかしら」
 
 
 
 「え」
 
 シンジが返事をするよりも早く、リツコはシンジの横をすり抜けると、そのままカツカツと出口に向かって歩いて行く。
 
 「ちょ、ちょっと、リツコ……ここで、話があるんじゃないの?」
 
 ミサトは右足を一歩踏み出すと、慌てたように、リツコの背中に声を掛けた。
 
 
 
 リツコは、ちらりと後ろを振り返る。
 
 「ごめんなさい。作戦とは、あまり関係ない話なのよ」
 
 「……え? でも……使徒が来てるのよ。関係ない話って……」
 
 「今はまだ、私の出番じゃないわ。今は、MAGIと、オペレーターと……それから、作戦を考えるあなたの仕事の時間よ」
 
 さらりと言うリツコの言葉に、ミサトは、眉をひそめる。
 
 「……何を言ってるのよ、リツコ? あなただって、マヤたちについて、指示を出す必要が……」
 
 「ないわね」
 
 ミサトの言葉尻を喰うようにして、リツコは、ぱしん、と言葉を叩いた。
 
 そして、コンソールに座るマヤの後頭部に声を掛ける。
 
 「……でしょう? マヤ」
 
 
 
 マヤは……おそらく、今の会話を聞いていたのだろうが……おずおずと振り返った。

 「え……あ、は……はい」
 
 少し気後れしたような風情で応える。
 
 
 
 「私の指示が必要になるような場面じゃないわ」
 
 そう言うリツコの言葉に……ミサトは、眉根を寄せて、リツコを睨んだ。
 
 リツコは、気にせずに言葉を紡ぐ。
 
 「……私が考えなくちゃいけないのは、MAGIの分析結果が出た後の話よ」
 
 そして、目を瞑り……ほんの少しだけ、肩を竦めてみせる。
 
 「ま……どっちにしても、そんなに長いこと、席を外すつもりはないわ。……マヤ」
 
 「ハ、ハイッ」
 
 リツコに声を掛けられて、マヤは慌てて返事をする。
 
 「すぐに戻るけど……何かあったら、私の執務室にいるから、連絡を入れて頂戴」
 
 「ハ……ハ、ハイ」
 
 返事をするマヤの声を待たずに、再びきびすを返すリツコ。
 
 「行くわよ、シンジ君」
 
 「あ……は、はい」
 
 
 
 シンジを引き連れるようにして出口に向かうリツコに、ミサトは……腕組みをしたまま、少しだけ腹立たしげに……少しだけ、溜め息をついて、声を掛けた。
 
 「……30分で戻ってきなさいよ、リツコ!」
 
 
 
 「……ハイハイ、作戦部長様」
 
 リツコは振り返らずに応えると、そのまま……シンジと共に、発令所を出て行ってしまった。



三百二十



 レイとアスカは、発令所を出て、そのまま食堂に移動していた。
 
 
 
 図らずも、先日の学校帰りの時と同じように、レイとアスカの二人きりだ。
 
 この食堂から外に出ても、どこに行けるというわけでもない。
 
 「D区より向こうには行くな」と言われてしまうと……時間を潰せるような場所は、ここと、あとは休憩所くらいしかない。
 
 どうしたって、チルドレンはずっと一緒にいる以外、無いのだ。
 
 
 
 ……それが、別に苦な訳ではない。
 
 だがアスカは、シンジが早く来ればいいのに……と感じていた。
 
 あの学校帰りの道すがらで感じた、「レイに嫌がられる」ことに対する怖れ(と、言うほどの物ではないが)が、何となく、アスカを居心地悪くさせていた。
 
 
 
 何なのだろう?
 
 自分の感情に、僅かな苛立ちを覚える。
 
 
 
 ……考えても、仕方のないことだ、と、アスカは思い直す。
 
 恐らく……いや、ほぼ間違いなく、レイは、自分のことを拒絶してはいない。
 
 これだけ、考えていることの分かり易い少女が、アスカに嫌悪感を抱いていて、それを表に出さずにいられるとは思えない。
 
 
 
 ……確かに、出会ったばかりの頃は、「レイは自分のことを良くは思っていないな」と感じられることがあった。
 
 だが、今はそういう意志は感じられない。
 
 レイの中で、アスカと言う存在は、何だかんだ言って……ずっと、自然な存在になっているはずなのだ。
 
 
 
 ……だが、(当たり前だが)それをレイに、直接聞いてみることなど出来ない。
 
 レイの考えていることを知る術はないのだ。
 
 ……考えても仕方がない、と思ったのは、そのためだ。
 
 アスカは、頬杖を突いて、レイの方を見た。
 
 

 アイスティーのストローに口を付けていたレイは、アスカの視線に気付いて顔を上げた。
 
 「……なに?」
 
 
 
 「……別に」
 
 アスカは、無愛想に応えた。
 
 レイは、ただ、不思議そうにアスカの顔を見つめている。
 
 
 
 ……この女……ホント、何も考えてなさそうよね……。
 
 
 
 アスカは、溜め息をつきながら、思う。
 
 もちろん、レイはレイで、アスカには思いも寄らない数々の悩みがあるわけだが……レイの秘密を知らないアスカには、そう見えても無理からぬことだ。
 
 アスカは、もう一度レイに視線を向けて、口を開いた。
 
 
 
 「ファースト、アンタさぁ……シンジの、どこがいいわけ?」
 
 
 
 レイは、アスカの顔を、ぼけらっと見つめて……
 
 
 
 ……それから、頬を染めて俯いてしまった。
 
 
 
 ……アスカは、もう一度、溜め息をついた。
 
 「アンタねぇ……まったく、少しは慣れなさいよ」
 
 「……?」
 
 その言葉に、レイは、頬を染めたまま……不思議そうな視線をアスカに送る。
 
 アスカは、びし、とレイの方に指先を突きつけた。
 
 「アンタと言い、シンジと言い、いつまでも照れてるんじゃないわよって言ってんの。こっちがからかったら、うまく切り返すくらいの余裕を見せてみなさいよ」
 
 「斬り返す? ……刀で?」
 
 「アタシを殺してどうしよってのよッ!!」
 
 相変わらずの噛み合わない会話に、アスカは脱力するように、机の上に突っ伏してしまう。
 
 そうして、額を机の天板にくっつけたまま、長い溜め息をつくのであった。
 
 
 
 ……シンジ〜……アンタ、さっさと来てファーストの相手をしなさいよねぇ……



三百二十一



 エレベーターの中で、シンジは困惑していた。
 
 
 
 ……それはそうだろう。
 
 説明もまるで無く、ただ、リツコの後ろをついて歩いているが、この先の展開は全く予測がつかない。
 
 リツコは、自分に何の話があるのか?
 
 何とも言えない、身の置き処のないような、居心地の悪さを覚える。
 
 
 
 エレベーターを降りて、長い廊下を歩く。
 
 このフロアは、ミサトやリツコ、冬月といった、幹部クラスの人間の執務室が並んでいる。
 
 そのまま、リツコと一緒に、彼女の執務室までやってきた。
 
 ロックを解除して、並んで部屋に入る。
 
 
 
 シンジは、リツコの執務室は勿論のこととして……ミサトや、そのほかの士官の執務室にも、未だ足を踏み入れたことはない。
 
 と言うより、このフロアに降りること自体が初めてだ。
 
 今回に限らず、前回の人生を合わせても初めてのことなのだから、やはり、こういう機会でもなければ訪れる必要のない場所なのだ。
 
 それは、恐らくアスカにとっても同じだろう。
 
 
 
 リツコは部屋の奥まで歩くと、デスクの向こう側に回り込んで、自分の椅子に腰掛けた。
 
 「えぇ……と」
 
 立ったまま、所在無さげに、頭を掻くシンジ。
 
 リツコは、片手を上げて、部屋の隅にある6本足の椅子を指さした。
 
 「ああ、ごめんなさい。……あの椅子、こっちに持ってきて、座って貰えるかしら」
 
 「ああ……はい、わかりました」
 
 リツコの指示に従って、シンジは椅子を取りに行く。
 
 その椅子は、キャスターのついた事務椅子だ。
 
 シンジはその椅子を引いてくると、机の前に置いて腰を下ろした。
 
 
 
 椅子に座った状態で、部屋の中を見回す。
 

 
 リツコの部屋は、お世辞にも片付いているとは言い難かった。
 
 ただ、それは、ミサトの部屋の汚さとは根本的に意味が違う。
 
 ミサトの部屋は、ゴミの山に埋もれていく感じ。
 
 リツコの部屋は、物が多すぎるのだ。
 
 
 
 ここは、一応執務室であり、仕事に関係のない物は置いていないようだ。
 
 だが、それでも、シンジには使い道の分からないような電子機器の類が、うず高く積み上げられている。
 
 コンピュータも、本体、モニタ、周辺機器が壁のうちの一面を占拠しており、さながら「サイバーパンク」の風景を思わせる。
 
 反対側の壁際には数々の専門書籍。だが、一見したところ、日本語で書かれた背表紙は見当たらない。
 
 
 
 「わざわざ、連れて来てしまって悪かったわね」
 
 リツコの言葉に、シンジは、慌てて椅子に座り直した。
 
 「あ……いえ、まぁ……それはいいんですけど」
 
 「………」
 
 「………」
 
 「………」
 
 「……あの」
 
 「………」
 
 「……お話って……なん、ですか?」
 
 
 
 リツコは、じっと……シンジの顔を見つめている。
 
 そのまま、数秒の沈黙……。
 
 やがて、ゆっくりと……リツコは、口を開いた。
 
 
 
 「……シンジ君」
 
 「は……はい」
 
 「……あなた……どこまで、知っているの?」
 
 「……は?」
 
 
 
 「……なぜ……さっき、使徒の行動が、分かったの……?」



 「……え?」
 
 一拍置いて……シンジは、間の抜けた返事を返した。
 
 「な……何が」
 
 「……さっき、あの使徒がどういう行動に出るか、知っていたでしょう?」
 
 「そ、そんなことはないですよ」
 
 「……あの使徒が、突然消滅したとき、驚いていなかった」
 
 「え、ぇえ? ……い、いえ、驚きましたよ」
 
 「見ていたのよ、私は。……驚いてなかったわ」
 
 「……ええと」
 
 「……それに……使徒が消えて、次に再び現れた場所を、先にあなたは見ていたのよ……シンジくん。
 
 そんなこと、普通なら、知っているはずがないわ」
 
 
 
 執務室の中に、冷たい空気が充満していた。
 
 
 
 シンジは、心臓の鼓動がハンマーのように自分を打ち付けるのを、必死に覆い隠さなければいけなかった。
 
 髪の毛の裏側と、背中から汗が伝う。
 
 だが、表面にそれを出してはいけない。
 
 
 
 ……失敗だった。
 
 とにかく……
 
 切り抜けなければいけない……。
 
 
 
 「……それは……その……偶然、ですよ」
 
 とりあえず、シンジは、そう応えた。
 
 リツコは、腕を組んだまま、背凭れに体を預けた。
 
 「……それを、信じろ、と言うの?」
 
 低く、言葉を紡ぐ。
 
 
 
 シンジは、咄嗟に戦略を練ることはできなかった。
 
 それは、そうだろう……綿密に対応策を練るには、余りにも唐突で、時間がなさ過ぎた。
 
 ……だから、シンジは、窮余の策を考えた。
 
 とにかく、本当に、「何も知らない少年」に成り切ってしまうことにしたのだ。
 
 「シラを切る」どころではない。
 
 碇シンジは、何も知らないのだ。隠すも何も、何を言われているのかすら分からない。
 
 ……そう、振る舞うことに、決めたのである。
 
 
 
 シンジは、居心地悪そうな表情で、頭を掻いた。
 
 「えぇと……そう、言われても……信じていただくしかないんですけど」
 
 「偶然、で、片付けられると思う? あの瞬間、全員が驚いている中で……なぜ、あなただけが驚かなかったの?」
 
 「さっきも言いましたけど、驚きましたよ……僕は。でも、その……リツコさんも、消えた瞬間は、僕を見てたわけじゃないでしょう? あの使徒を見てたんですよね」
 
 「……まぁ、そうね」
 
 「じゃぁ、その……よくわかりませんけど……リツコさんが僕のことを見たときには、普通の表情に戻っていただけじゃないですか?」
 
 言いながら頭を掻く。
 
 
 
 「……そんなことが、あると思う?」
 
 「思う? って言われても、僕だって分かりませんよ」
 
 「確かに、消滅した瞬間に、シンジくんのことを見ていたわけじゃないことは認めるわ。でも、少なくとも、他のみんなは暫く慌てていたわよ。あなただけ、一瞬で平静に戻るなんて、考えられない」
 
 「考えられないって言われても困りますけど、まぁ……あの……実際、驚いたのは一瞬だったんですよ。
 
 消えたのには、確かに、びっくりしましたけど……使徒ですよ? 今までだって、突拍子もつかないことをしてきたじゃないですか。なんだか、突然消えたって言っても、『そんなものかな』と思っちゃうというか……」
 
 「……冷静ね」
 
 「そんなつもりはないですけど」
 
 「私が振り返ったとき、あなたは驚いていなかった。あなたが見ていたのは、その後に使徒が出現する、サブウィンドウだったわ。これは、どう説明するつもり?」
 
 「……どう、とは?」
 
 「使徒がどこに出てくるのか、事前に分かってたんじゃないの」
 
 「ええと……そんなこと、できる訳ないじゃないですか」
 
 「……では、なぜ、あのモニタを見ていたの? わかっていたとしか思えないわ」
 
 「……偶然……ですよ」
 
 「信じられないわね」
 
 「要するに……えぇと……実際には、よく覚えてないんです。その時に自分がどうしてたかなんて……
 
 ……でも、その……えぇと……
 
 ……もしかして、ここに現れるかも、と思ったかも知れない。だって、攻撃したのは兵装ビルでしょう? 攻撃を仕掛けてきた敵のところに使徒が現れるのって、自然だと思うんですが」
 
 「………」
 
 「……でも、まぁ、偶然ですよ……やっぱり。
 
 リツコさんが僕を見たときには、サブウィンドウの方を向いていたかも知れないですけど……次の瞬間には、別のほうを見てたかも知れないし。
 
 覚えてないですよ、そんな、細かいことは……」
 
 「……信じがたいわ」
 
 「……信じていただくしか、ないですけど……」
 
 「………」
 
 「………」
 
 「……信じられない」
 
 「……う〜ん」
 
 「………」
 
 「………」
 
 
 
 リツコは、急速に頭を回転させていた。
 
 今回に限らず、以前から、シンジには不審な点が多い。
 
 「偶然」を主張するシンジの意見を、鵜呑みにすることはできない。
 
 
 
 だが、ここで、最後まで追及してよいのか?
 
 それが、わからない。
 
 
 
 もしも、シンジの秘密を全部知りたいのであれば……まだ、問い詰める材料はある。
 
 自分の記憶をフル回転させて、あまた出てくる、疑惑。
 
 
 
 シンジは、初めての名乗りを聞く以前から、レイの名前を知っていた。
 
 初めて見るLCLの注水に驚かなかったのは、何故だ?
 
 シンクロ率が高い、という点については目を瞑るとしても、いきなり完全にエヴァを操れるのは何故か。
 
 あの時点で誰も使いこなすことのできなかったATフィールドを使って見せた。それは、存在すら知らなかったはずのシンジにできる芸当ではない。
 
 使徒を見ても畏れを抱かない。死と隣り合わせの恐怖を感じないのは何故か。子供の頃から訓練に就いていたアスカならともかく、いきなりエヴァに乗せられた中学生とは思えない。
 
 聞き間違いではない。確かに、シンジは「ラミエル」の名前を呼んだ。ほとんどの人間が知らないそのコードネームを、知っているのは何故か。
 
 ヤシマ作戦の残骸……零号機のエントリープラグのハッチ。あれを壊したのは、シンジではないか?
 
 J.A.が暴走する事実は、ほんの一握りの人間しか知らない。偶然かも知れないが、非番の日にわざわざ本部で待機していたのは何故だ。それに、何かあればいつでも駆けつける、と言っていたそうだが、暴走する事実を知っていたということではないか?
 
 加持とシンジが知り合いだ、というのも変だ。二人とも、自由に連絡を取り合える立場の人間ではない。加持の手引きかも知れないが、よほどうまくやらなければMAGIの検閲網を抜けることなどできないはずだ。
 
 あの夜のバス停で、シンジは、はっきりと「委員会」という言葉を口にした。……通常なら、知っているはずのないことだ。
 
 サンダルフォン。あの時の、火口にプログナイフを投げ落とすという行為は、勘の良さなどという言葉では説明つかない。第一、タイミングが良すぎる。それに、その後の一連の作戦指示を、完璧にやって見せた。ただの中学生にできることではあるまい。
 
 サハクィエル戦。あのとき本部が提唱した作戦は、ブレーンが集まって考えた最終作戦だった。それを、シンジは5分で考えた。……全く同じ作戦を。そんなことがありえるだろうか?
 
 サハクィエルを受け止めた初号機は異常な回復を見せた。もちろん初号機の力である可能性が高いが、日頃、シンジの非人間的な力を見せつけられると、あれもシンジの力ではないかと勘ぐりたくなる。
 
 イロウル戦の直前の実験で、執拗に実験に参加したがったことも、思えばイロウルの存在に気付いていたからではないか。考え過ぎかも知れないが……。
 
 
 
 他にも、もっと些細なことで、一介の中学生らしからぬ行動は数知れない。
 
 どう考えても、事前に調査された「碇シンジ」という少年ではない。
 
 別人か、虚偽の報告を掴まされたか。
 
 
 
 だが、ここでそれを全て問い詰めることが良いことなのか、それが分からない。
 
 碇シンジ。この少年が、どこに属する少年なのか、それがわからないのだ。
 
 
 
 敵か? 味方か?
 
 迂闊に踏み込んでいいものなのかどうか、その判断を、この場だけの感情で降すには、情報が少なすぎた。
 
 
 
 ゲンドウの差し金とは思えない。
 
 もちろん、日本政府の差し金でもあるまい。
 
 ゼーレの差し金とも、思いがたい。
 
 
 
 それは、何故か。
 
 
 
 ……シンジの行動原理が、「その場の展開をよりよい方向に働く」ことに基づいているように、見えるからだ。
 
 
 
 誰が、そんなことをするだろうか?
 
 
 
 碇シンジ。その個人の力で、これだけの異様な状況を作りだせるとは、とても思えない。
 
 個人の力の限界を超えている。
 
 絶対に、何か、シンジのバックとなる組織なり人間なりが、いなければいけない。
 
 
 
 だが、その目的は、なんだ?
 
 
 
 まさか、世界が平和になることを目的にする……といった類の、「超性善説」とでも言うべきものに基づいた組織だとは、リツコには思えない。
 
 どんな組織でも、その目的に、利益が伴うことが大前提だ。
 
 しかも、シンジがこれまで見せてきた、ある種常識の域を超えた行動は、それを可能にするための費用も莫大なものになるのではないだろうか。
 
 NERVに深く食い込んだ諜報活動。それだけでも、容易いことではないはずだ。
 
 
 
 利益なく、そんな行動を取ることができるはずがない。
 
 
 
 ……結局、リツコは、矛を収めた。
 
 もともと、「カマをかける」くらいの意味でシンジを誘ったのだが(でなければ、あんなにストレートには尋ねない)、どうもシンジにすかされたようだ。
 
 仕方ない。
 
 シンジに、この場でやすやすと喋る意志がないことを、確認したことで、よしとするしかなかった。



三百二十二



 シンジはリツコの執務室を出て、職員食堂に向かっていた。
 
 エレベーターに乗ると、プラグスーツの裏側にびっしょりと汗をかいていることに初めて気が付き、軽い不快感を覚える。
 
 
 
 途中からリツコが押し黙り、暫くして放免された。
 
 今の会話で、本当にリツコが許してくれたのか? いまいち、彼女の裡まで分からない。
 
 
 
 シンジとしては、非常に稚拙な対応だった、と下唇を噛む思いだ。
 
 事前に分かっていれば、もう少し、もっともらしいやりようもあったのだが……心の準備が足りなかった。
 
 こういう問答が起こり得ることは、想定して然るべきだ。シンジの認識が甘かった、と、この場合は言うことができよう。
 
 今、リツコに最後まで粘られずに済んだのは、偶然と言えた。振り子は、どちらに振れてもおかしくない。彼女の立場を思えば、シンジはあの部屋を死体として出てきても、文句は言えなかったのだ(もちろん、万が一にも、彼女がそんな愚かなことをするはずがないが)。
 
 
 
 もう少し、備えを改めなければいけない。
 
 それに、もともとそうだろうと思ってはいたことだが、今回……初めて、「リツコが自分を疑っている」ことを、事実として認識することができた。
 
 取り立てて、今後のシンジの行動が何か変化するわけではないが、一応、前提として考えておいたほうがいい、と、シンジは思う。
 
 
 
 食堂に移動したシンジは、レイとアスカに合流した。
 
 「何しに行ったのか」と尋ねられたが、とりあえず、「作戦について意見を求められた」と答えておいた。
 
 冷静に考えれば、その回答はアスカにとっては面白くなかったかも知れないが、その時のシンジには気を回す余裕が欠けていた。
 
 仕方がないことだ。アスカも、表面上は何も反応を示さなかった。
 
 
 
 MAGIの分析が終了したのは、深夜になってからのことだった。
 
 シンジは「予想よりも時間がかかったな……」と思ったが、タイムスケジュール的には前回と変わらない。シンジは、虚数空間の中にいて、いつ分析が終わったのかを知らなかっただけだ。
 
 
 
 チルドレンは、再び発令所に集められた。
 
 リツコの口から、使徒の性質が報告される。
 
 
 
 この使徒は、虚数空間を内包している。
 
 厚さ3ナノメートルしかない影がこの使徒の本体であり、本体だと思われていた球形の物体が影にあたる。
 
 影の中に広がる虚数空間は使徒の内部だけにあるものではなく、理論上、この世界と表裏一体に広がっている。従って、「虚数空間を破壊して殲滅」という概念は存在しない。
 
 使徒にはコアがあるはずだが、それが確認できる範囲にない。おそらく、虚数空間の中に存在しているのだろうと推測される。
 
 使徒の殲滅にはコアの破壊が不可欠。そのため、「内部に潜入する」か、「外部からコアの存在を把握し、それを破壊する手段を講じる」ことでこの使徒を倒すしかない。
 
 
 
 内部に入る、というアイデアは、シンジが反対した。
 
 これは当然だ。
 
 リツコも、シンジの意見を肯定した。虚数空間内には広さや位置という概念がない、もしくはこちらの世界とは違う概念で構成されており、入り込んでもコアを見つけ出せるかどうか分からない上、自力で戻れなくなる可能性が非常に高い。
 
 エヴァンゲリオンやチルドレンを、失うわけにはいかない。
 
 
 
 「現存する、すべてのN2爆弾を放り込むことで、コアを破壊、もしくはサルベージできる可能性はあります」
 
 リツコが、書類をめくりながら言う。
 
 「可能性はある……てことは、うまく行かない可能性もある、ってコト?」
 
 アスカが尋ねる。
 
 「そうね。……理論上、可能だというだけ。虚数空間は、この宇宙と同じくらい広い。まるで見当外れのところに放り込んでも、無駄だから」
 
 リツコは、アスカに視線を向けながら応えた。
 
 
 
 リツコの頭脳をもってしても、余り明快な解決策は導き出されなかった。
 
 シンジは悔しかったが、自分こそ本当に何のアイデアもないのだから、文句の言える立場ではない。
 
 
 
 そのシンジに、リツコは意見を求めた。
 
 「……三人とも、何か意見はない? ……そう、例えば……シンジ君?」
 
 
 
 シンジは、心の中で溜め息をついた。
 
 一見、三人に意見を求めたかのような口振りだが、結局、シンジ一人の意見を求めているのは傍目にも明白だ。
 
 昼間ああいう会話をして、今、であるから……リツコは、当然「シンジには何か策がある」と期待して問い掛けたのだろう。
 
 その心情は、理解できる。
 
 
 
 だが、シンジには、何の策もない。
 
 虚数空間である、と言う言葉の意味が、一介の中学生であるシンジには理解できないのだから、仕方がないことだ。
 
 
 
 「……特に、何も思い付きません」
 
 シンジは、申し訳無さそうに応えた。
 
 リツコは、じっとシンジを見返す。
 
 「そう? ……何も?」
 
 「はい……」
 
 シンジは、一拍置いて、答える。
 
 そして、言葉を続ける。
 
 「まぁ、あの……全然、対策とは違いますけど、言葉を補足することは、少し……」
 
 「続けて頂戴」
 
 「はい、えぇと……今のリツコさんのアイデアのうち、N2爆弾を投下するというものは、唯一の手段ですけど、危険を伴うことは念頭に置いておかなければいけません。
 
 何と言うか、その……今言ったように、そこにコアがあるとは限りませんよね。ですから、何の役に立たない可能性もあるわけですけど……
 
 ……そうなってしまうと、もう、N2爆弾は全部使っちゃってるわけですから、二度目は無い訳です。
 
 慎重にやらないと……」
 
 リツコは、黙って頷いた。
 
 当然、彼女も考えていたことだ。
 
 リツコがそれくらいのことを考えていないわけが無い、とはシンジにも分かっていたが、言葉にすることで整理され、全員の共通認識となる。それが大事だと思ったのだ。
 
 そのまま、説明を続ける。
 
 「……それに、もう一つ。一撃で倒せなかった場合の話ですけど……
 
 この使徒は、敵対行動をとる者に対して攻撃を仕掛けてくるわけですから。
 
 当然、N2爆弾を投入する僕たちは、あの使徒の攻撃対象になります」
 
 「……そのことは、考えなくてもいいんじゃない?」
 
 アスカが、呟く。
 
 シンジはアスカの方を振り向いた。
 
 アスカはシンジを見ると、軽い調子で言葉を続けた。
 
 「だって、二度目は無いんでしょ? 失敗したら、その時点で、ダメじゃん」
 
 「………」
 
 シンジは言葉に詰まった。
 
 
 
 ……そうだ。
 
 二度目は無い。
 
 
 
 ……だが……
 
 
 
 ……違う。
 
 もしも、その手段が失敗したときは……
 
 ……最悪、最後の手段が残っている……。
 
 
 
 「……慎重を期す、ということね、結局」
 
 リツコの言葉に、シンジは我に返った。
 
 腕組みをしたまま、リツコは、静かに言葉を続ける。
 
 「とにかく……それが唯一無二の方法であり、失敗の危険性があっても他の手段が無いのであれば、やらざるを得ないわ。今回の作戦のために、既にN2爆弾の調達は始まっています。早朝に、作戦を開始します」
 
 「慎重を期す、というのは、どうするつもりなの?」
 
 ミサトが呟く。
 
 リツコは、同じ姿勢のまま言葉を紡ぐ。
 
 「兵装ビルや遠距離ロケット砲などを使用すると、誤差や時間差が生じて危険です。無人ヘリにより、使徒の直上に輸送。そこで一斉投下します」
 
 「……コアの位置が不明であるということについては?」
 
 シンジの言葉に、リツコは、目を瞑った。
 
 「……それは、偶然に任せるしか、無いわね」
 
 「……偶然……」
 
 「……虚数空間の内部は……サーチできない。調べる手段が全くないのよ。
 
 MAGIの分析中に、ケーブルに繋いだレーダーポッドを投入したけど、中に入った途端に連絡が途絶えて、引き上げてみたらケーブルが途中で切れていた。
 
 調べられないのだから、慎重を期すと言っても、祈るくらいしかないのよ。せいぜい、使徒とコアがそんなに離れているわけがない、と信じるしかないわね。
 
 ……と言っても、距離の概念も不明だから、無意味なことかも知れないけれど……」
 
 
 
 「運任せ、ってヤツ? ジョ〜ダンじゃないわね……」
 
 アスカが、溜め息混じりに呟いた。
 
 人類の未来に、暗雲が立ちこめる。努力で補えることであれば、1%に過ぎない突破口であっても歯を食いしばって駆け抜ける決意があるが、運任せでは、どうにもならない。
 
 ただ、時間が経過するのを見ているだけ、というのは、逆にどうしてよいのか分からなくなってしまう。
 
 
 
 「……僕は、一応、初号機で待機しています」
 
 シンジは、静かに言った。
 
 全員が、一斉に、シンジの顔を見る。
 
 
 
 「……意味無いじゃん」
 
 アスカが、呟くように、言う。
 
 
 
 もちろん、意味はある。
 
 初号機と、シンジ。
 
 この組み合わせに限り、(100%ではないが)まだ策があるのだ。
 
 
 
 ……だが、それはこの場では説明できない。
 
 当たり前だ。
 
 止められるに決まっているからだ。
 
 
 
 「まぁ……備え、だよ」
 
 シンジは、強くは言わずに、軽い口調で答えた。深く勘繰って欲しくない。
 
 「備えったって……」
 
 「……私も出ます」
 
 アスカの言葉尻を喰う、もう一つの、言葉。
 
 
 
 「……綾波!?」
 
 シンジは、短く、驚きの声を発した。
 
 
 
 今まで沈黙を保っていたレイが、シンジの顔をまっすぐに見つめていた。
 
 「……私も、零号機で出ます」
 
 「だ、だめ……」
 
 「あ、じゃぁ、アタシも出るわ」
 
 「……アスカ?」
 
 「待ってるより、性に合ってるわ。何にもできないんだけどさ」
 
 
 
 アスカは、あっけらかんとした口調で言う。
 
 唖然とした表情のシンジ。
 
 
 
 今のアスカの言葉は、彼女の本心だろう。
 
 そして、慌ててシンジは、レイの方を見る。
 
 レイは、有無を言わせぬ瞳で、シンジを見つめている。
 
 
 
 シンジが、言葉を継げずにレイを見つめていると……そのままレイは、たっと駆け寄って、シンジの腕に掴まった。
 
 「あっ……綾波」
 
 慌てたように言うシンジ。
 
 レイは、ギュッとシンジの腕に掴まったまま、呟くように、言う。
 
 「碇君、一人は危ない……私も、行く」
 
 
 
 沈黙……
 
 
 
 シンジは、体の力を抜いて、はぁ〜……と、溜め息をついた。
 
 
 
 「わかったよ……じゃあ、三人で、待機していよう」
 
 シンジが、呆れたような口調で言葉を発した。
 
 パッ、と顔を上げてシンジを見るレイ。
 
 シンジは、肩を竦めるような素振りを見せて、レイに微笑みかけた。
 
 レイは、表情を綻ばせると……もう一度、ギュゥゥッ、とシンジの体に抱きついた。
 
 シンジは苦笑する。
 
 
 
 「……何か、勝手に決めちゃってくれるわねぇ」
 
 腕組みをしたまま、ミサトが溜め息混じりに呟く。
 
 「あ……すいません……」
 
 「ま……いいけど。確かに、待機してたからまずいって訳じゃ無いわ。一応、何かに備えて、出ていて貰いましょうか」
 
 ミサトは、天を仰ぎ見るようにした後……目を瞑って、そう言った。



三百二十三



 N2爆弾が届くまでに布陣を完了させる、ということになり、一時的に解散となった。
 
 N2爆弾が全て揃うのは昼前くらいになる。それまでに、チルドレンは睡眠をとっておくことになった。
 
 オペレーターたちも交代で睡眠をとり、明日に備える。
 
 
 
 今更誰も気にしないのだが、仮眠室は男女別々であり、シンジとレイは別の部屋になる。
 
 そのため、レイとシンジは、通路の途中で分かれた。
 
 レイは名残惜しそうだったが、シンジにはやらなくてはいけないことがあった。一緒にいるわけにはいかない。
 
 
 
 分かれた後、シンジはそっと、発令所に戻った。
 
 
 
 ミサトは、シンジを見付けて、眉を上げた。
 
 「あら? シンちゃん、仮眠室に行ったんじゃないの?」
 
 「いえ……ちょっと、忘れ物で」
 
 「早く休まないとダメよ」
 
 ミサトが微笑んで言うと、シンジは軽く目を瞑って応えた後、すすっとミサトに近寄った。
 
 
 
 「ミサトさん」
 
 小声で、シンジが話し掛ける。
 
 ミサトが、怪訝そうな表情で、シンジを見る。
 
 「ナニ?」
 
 「……明日の、ことなんですけど」
 
 
 
 「……綾波やアスカが、虚数空間に飛び込みそうになったら、神経接続を切って止めて下さい」
 
 
 
 「……シンちゃん?」
 
 ミサトが、眉をひそめる。
 
 「そんなこと、あのコたちがするわけないじゃない」
 
 「わかっています」
 
 短く応えるシンジ。
 
 そして、言葉を紡ぐ。
 
 
 
 「それでも……覚えておいて下さい。あそこに飛び込んでしまったら、出てこられませんから。躊躇しないで下さい」
 
 
 
 「……了解」
 
 ミサトが、肩を竦めた。
 
 そして、微笑む。
 
 「心配性ね、シンちゃん」
 
 シンジは、曖昧な微笑みで応えた。
 
 
 
 そうだ……。
 
 
 
 ……絶対に、飛び込ませては、いけない。
 
 
 
 ……自分の後を、追ってきて貰っては、困るのだ……。