第五十九話 「互換」
二百七十一



 司令室に三人が到着したのは、リツコからの電話を受けてから、丁度5分後のことだった。
 
 中に入ってみると、リツコが微笑んで立っていた。
 
 
 
 もちろん、こっぴどく叱られる羽目になった。
 
 
 
 今回だけならまだしも……わずか数日前の、イロウル戦でも遅刻した三人である。
 
 たるんでいる、と言われても仕方がないだろう。
 
 しかも、前回はまだ、裏には遅刻しなければいけない理由があったが、今回はお喋りをして時間を忘れただけだ。
 
 思わず、シンジも首を短くして頭から降りかかる小言の雨に頭を垂れていた。
 
 
 
 アスカも、今回はさすがに、少しだけ落ち込んだ様子だった。
 
 連続で遅刻した、という叱られるに足る状態が、幾分、彼女を萎縮させているようだ。
 
 頭ごなしに叱られることによる、言いようのない不満のようなものはあるだろうが、反論の余地はなく、黙っていた。
 
 
 
 対してレイは、いつものごとく、ほとんど堪えていなかった。
 
 
 
 今回の試験はダミープラグの製造に必要なもので……もはや今のレイには、定刻通りに訪れなければいけないほどの必要性を感じていなかったことがひとつ。
 
 また、シンジに対して怒るリツコに、不満のようなものを覚えているため、あまり自分のことが気にならないことがひとつ。
 
 
 
 そして、さきほどの、本部までの道すがらで決まった……レイに誕生日ができた、ということ……そのことで、心がかなり満たされていたのが、ひとつ。
 
 
 
 ……それは、時間が経つにつれて、だんだんと、レイの中に染み渡っていった。
 
 最初、シンジから「誕生日は自由に決めてもいい」と教えられた直後は、あまり実感が沸かなかった。
 
 出生が定かではない、どころか……人として生まれてきたわけでもない自分が、誕生日を持つ。
 
 それは、ありえないこと……と、初めから、悩みもせずに諦めていた。
 
 
 
 その、「ありえないこと」が、現実になる。
 
 
 
 特にそれは、レイにとって……自分が人間ではないことを突き付けられる辛い事実の一つを、払拭する現実だった。
 
 
 
 時間が経つにつれて、レイの心に喜びが沸きあがる。
 
 急激な感情ではない……だが、それだけに、細胞のすみずみにまで行き渡るように、ゆっくりと浸透していった。
 
 
 
 私に……
 
 ……生まれた日が、できる。
 
 
 
 ……人間として、生まれた、日が……!
 
 
 
 「……レイ。何を笑っているの」
 
 急にリツコに声をかけられて、レイは我に帰った。
 
 顔を上げると、さきほどまでシンジとアスカに小言を投げかけていたリツコが、自分を睨んでいる。
 
 
 
 レイは、微笑んでいたのだ。
 
 自分でも、気付かないうちに。
 
 
 
 「……何でもありません、赤木博士」
 
 レイは、一瞬にして表情を消し去ると、目を閉じて頭を下げた。
 
 
 
 その頭を、冷ややかに見つめるリツコ。
 
 
 
 司令室は、静まりかえっていた。
 
 
 
 リツコの無言のオーラは、その場のすべてを凍らせる。
 
 実験の準備で慌ただしくキーボードを叩いていたオペレーターたちでさえ、固まったように動かない。
 
 ……とばっちりを食わないように。
 
 
 
 シンジも、アスカも、動けなかった。
 
 リツコの怒りの矢面に立たされているレイを助けてやりたい気持ちはあり……
 
 ……事実、このまま膠着しつづけていれば割って入っただろうが、咄嗟にどうしてよいか分からなかった。
 
 
 
 そうして、数瞬……
 
 
 
 そのまま、凍りついた時間を……
 
 
 
 ……動かしたのは、やはり、リツコだった。
 
 
 
 リツコは、目を瞑ると……ふぅ、と小さく息をついた。
 
 「……時間が、押しているわ。迅速に準備、大至急」
 
 リツコが低い声で言うと、呪縛を解かれたシンジが、慌てたように応えた。
 
 「はっ……はい、すぐ」
 
 「………」
 
 リツコはシンジには応えることなくその場できびすを返すと、カツカツと足音を響かせて、司令室の奥に歩いていってしまった。
 
 
 
 固まった空気が、ゆっくりと、動き出す。
 
 半ば慌てながら……いま、この場では何も起こらなかったかのように、キーボードを叩き始めるオペレーターたち。
 
 
 
 司令室の中に、再び、騒がしい喧騒が蘇った。
 
 
 
 ブシュッ。
 
 司令室の扉が開いて、ミサトが、書類をめくりながら入ってきた。
 
 手許の書類に目を走らせながら、コツコツと部屋の中央あたりまで歩いてきて……シンジたちの姿に気付く。
 
 
 
 タイムスケジュールどおりであれば、とっくにプラグスーツに着替えていなければいけないはずの三人の姿に、ミサトは眉間にしわを寄せた。
 
 「あら……なにやってるのよ、あなたたち。もう、プラグスーツに着替えてなきゃだめでしょ?」
 
 ミサトは、シンジたちが遅刻してきたことを、知らない。
 
 「あたしたちゃ、エイトマンじゃないっての」
 
 アスカが、ぶっきらぼうに言う。
 
 
 
 「なぁに、口ごたえ……」
 
 言いかけて、ミサトの言葉は、止まった。
 
 
 
 どうしたのか?
 
 怪訝な表情で、アスカがミサトを見返す。
 
 
 
 ミサトは、不審な表情で、司令室の中を見回した。
 
 いつもの、実験前の慌ただしい準備の真っ最中……
 
 ……だが、場が、妙にぎこちない。
 
 
 
 「ん? ……ナニ? どったの?」
 
 キョロキョロしながらミサトが言う。
 
 「い、いや、何でもないですよ……」
 
 シンジは、曖昧に笑って応えた。
 
 
 
 シンジは、レイを見る。
 
 「綾波……その、大丈夫?」
 
 レイに近づくと、シンジは耳許で心配そうに話しかけた。
 
 
 
 レイは、何の表情も、宿してはいなかった。
 
 
 
 「……大丈夫……」
 
 
 
 冷ややかな視線で、
 
 それだけ、答えた。



二百七十二



 プラグスーツに着替えた三人は、実験管制室に集まっていた。
 
 マヤを初めとするオペレーターたちがキーボードを叩くコンソールの向こう側に、一面の強化ガラス。
 
 その向こう側の実験ポッドに、零号機が佇んでいるのが見える。
 
 
 
 「データ収集の手順の関係があるから、同時ではなく、順番にやってもらうわ」
 
 三人の前に立って、リツコが言う。
 
 
 
 リツコは、手許の書類に目をやった。
 
 
 
 三人の名前が、プリントに印刷されている。
 
 本来なら、この実験に必要なデータは、レイのデータだけだ。
 
 残りの二人のデータは、「ついで」であって、取らなくてもかまわない。
 
 
 
 ………
 
 
 
 ……だが、リツコはしばらくプリントを見つめ……そして。
 
 口を開いたときに出てきた名前は、別の名前だった。
 
 
 
 「……シンジくん、あなたから準備して」
 
 
 
 「……僕から、ですか?」
 
 シンジは思わず、反芻するように問い直した。
 
 リツコは、書類から顔を上げてシンジを見る。
 
 「どうかした? 最初だと、なにか問題がある?」
 
 
 
 「……いえ、わかりました」
 
 一瞬の間のあと……シンジは、何事もなかったかのように、頷いた。
 
 
 
 確か、記憶によれば……前回、先に実験したのは、レイだった。
 
 だが、シンジは今回の試験を、ただのシンクロテストだと思っている。
 
 ダミープラグの製造に必要な試験であり……つまり、実際にはレイのデータ以外必要がない、とは知らない。
 
 試験の順序が前後したのはランダムなゆらぎの範囲内で……深い理由があってのことではないだろう、と考えていた。
 
 
 
 「アスカはテストの内容が違うから、同時に試験を開始します。シンジ君の試験が終わったら、レイの試験を続けて行います」
 
 リツコは、言葉を続けた。
 
 その言葉を聞いたアスカは、怪訝な表情を見せる。
 
 「え……アタシ、違うのやんの?」
 
 「そうよ」
 
 「何をやるの?」
 
 「いつものシンクロテスト」
 
 「いつもとおんなじやつ? なんでよ……アタシはシンジたちがやるテストやんないの?」
 
 アスカが、怪訝さと不満を取り混ぜたような表情を浮かべて尋ねる。
 
 リツコは、軽く応える。
 
 「シンジ君たちがやる相互互換試験は、機体の取りかえっこよ。アスカは、弐号機以外、乗る気がないでしょう」
 
 
 
 「……ま……そうだけど」
 
 
 
 アスカは、消化不良な印象を残しつつも、矛を収めた。
 
 確かにアスカは、弐号機以外、乗りたくない。
 
 弐号機に、他の人間を乗せたくもない。
 
 
 
 それは……以前の、プライドに起因した感情とは、少し、種類が違う。
 
 
 
 あの、弐号機との、心の交信。
 
 かなり崩壊に近づいていた彼女の心を、優しく包んだ、弐号機の心。
 
 
 
 アスカは、まるで絆とも言えるような繋がりを、弐号機との間に感じている。
 
 
 
 できれば、他の誰にも触れて欲しくないと思う感情は、わりあい自然なものだろう。
 
 

 「サードチルドレンがプラグに搭乗しました」
 
 マヤが、キーボードを叩きながら言う。
 
 リツコは軽くマヤのほうに視線を向けて……それから、アスカのほうを向いた。
 
 「なにやってるの、アスカ? シンジ君と同時、って言わなかったかしら?」
 
 
 
 「あっ……い、今行くわよ」
 
 リツコに言われて、ただぼーっとしていたアスカは、慌ててばたばたと走っていった。
 
 
 
 そんなアスカの後ろ姿を見つめて、リツコは小さく溜め息をついた。
 
 そして、マヤのほうに視線を向ける。
 
 「いいから、先にシンジ君をやっちゃいましょう。アスカの試験は別系統だから、用意ができたところで始めればいいわ」
 
 「了解」
 
 マヤは、頷きながらキーボードを叩いた。
 
 
 
 強化ガラスの向こう側に、零号機が立っている。
 
 その頚堆に、プラグがエントリーされていく。
 
 
 
 その様子を、リツコはじっと見ていた。
 
 挿入されていくプラグの中に座る、一人の少年の姿を身据えるように。
 
 
 
 予定を覆して、シンジの順序を早めた理由……
 
 ……それは、シンジの互換試験の結果に興味を覚えたからだ。
 
 
 
 今回の試験に関して言えば、誰がどの順番でやろうとも、結果に関係はない。
 
 順序にほとんど重要性がないために、入れ換えてみようか、という気になったとも言える。
 
 
 
 シンジは、本当に、碇シンジなのか?

 リツコにとって、それはずっとついてまわっている疑問だった。
 
 確かに、シンジがNERVにやってきた当初、不審に思ったリツコはシンジの髪の毛を採取して遺伝情報の照合を行い、彼がシンジに他ならないことは確認している。
 
 それに第一、シンジがシンジ本人でなければ、初号機とそう容易くシンクロすることは不可能だろう。
 
 
 
 だが、それでもなお、払拭しきれない疑惑。
 
 ゲンドウに呼び出されて、故郷でシャトルトレインに乗り込むまでの碇シンジと、第三新東京市でシャトルトレインを降りた後の碇シンジ。
 
 この、わずかな時間差で、なんという違いであろうか。
 
 
 
 人間は、そうも簡単には、変われまい。
 
 幼いシンジが、真実の自分を周囲に隠していたとも思いがたい。
 
 この、あまりにも不自然な変貌……この現象を説明するには、「シャトルトレインの中で入れ替わった」と思うより他に、ない。
 
 
 
 ……だが、それでは、もといた碇シンジはどこに行ってしまったのか?
 
 入れ替わった碇シンジは、どこからやってきたのか。
 
 彼の目的は?
 
 
 
 付随するさまざまな疑問が芋蔓式にわきあがり……そのすべてに、決定的な解答を見いだすことができない。
 
 完全な、理論の袋小路だった。
 
 
 
 「第一次接続開始」
 
 マヤの声が、リツコを思念の海から呼び戻した。
 
 
 
 リツコは、カツカツと靴音を響かせてコンソールに近づくと、マイクに口を寄せた。
 
 「シンジくん。どう、調子は?」
 
 『いえ……別に。普通ですよ。……ちょっと、違う感じもしますけど』
 
 「違う感じ?」
 
 『微妙に、違和感があるって言うか……』
 
 シンジの言葉に、リツコが応える。
 
 「それは、仕方がないわね。零号機はレイの専用機体。パーソナルパターンの書き換えが済んでいると言っても、まったく初号機と同じ感覚というわけにはいかないわよ」
 
 『そうですよね……はい、わかります』
 
 シンジも、モニタの向こう側で頷いた。
 
 
 
 レイのにおい……それをやはり、シンジは感じていた。
 
 だが、それを口にはしない。
 
 前回は、素直に思ったことを喋っていたが……冷静になれば、やはり、少々気恥ずかしいセリフだ。
 
 
 
 シンジは、目を瞑る。
 
 
 
 まだ、神経接続を繋いだわけではなく……あのとき感じた、レイ……あるいは、零号機のコアたるアダムとの、接触は始まっていない。
 
 
 
 今度は……受け入れる。
 
 シンジは、思う。
 
 レイと、シンジと。
 
 その、心の繋がりは、あの時と今とでは、あまりにも違う。
 
 あの時、無意識に拒絶した思い……それは、「自分の中に、誰も入ってきて欲しくない」という恐怖と、「綾波レイという、一種、不可侵なものに触れた恐怖」……それらが混ざり合って起きた感情だろう。
 
 今なら、そのどちらも、払拭されている。
 
 ましてレイであれば、誰よりも深く、受け入れられる自信があった。
 
 
 
 「データ受信、再確認。パターン・グリーン」
 
 「主電源、接続完了」
 
 「各拘束、問題なし」
 
 
 
 マヤたちの報告に、リツコは、頷く。
 
 同時に、思う……零号機と問題なく呼応できる、それはやはり、碇シンジなのだ……と。
 
 
 
 「……相互間テスト、セカンドステージに移行」
 
 
 
 リツコの声と同時に、メインモニタに映る神経接続が、素早くリンクしていく。
 
 「A10接続、スタート」
 
 マヤが、キーボードを叩いて、言う。
 
 
 
 シンジは、自分が……エントリープラグから、一気に羊水の海に放りだされたような感覚を覚えていた。
 
 瞑った瞼の裏側に、果てなく広がる水の広がり。
 
 シンジは、裸でその中に漂っている。
 
 
 
 (……これは……)
 
 
 
 これが、アダムの心か、と、シンジは気付いた。
 
 海。
 
 LCLの、海。
 
 生命の源であり、すべての終わり。
 
 
 
 シンジの視界に、レイの姿が映る。
 
 
 
 シンジと同じように、水中に漂っている。
 
 シンジがその姿を見据えた途端、二人の距離は、一瞬にして縮まった。
 
 気付くと、鼻先に、レイがいた。
 
 
 
 全裸の、レイ。
 
 その体は、神々しい輝きに覆われて、見ることができない。
 
 
 
 シンジと、目が合う。
 
 その、瞳……
 
 
 
 ……シンジは、気付く。
 
 
 
 ……ああ……
 
 
 
 ……やっぱり、違う。
 
 
 
 ………
 
 
 
 ……綾波は、こんな瞳じゃない。
 
 
 
 これは……昔の……綾波だ。
 
 
 
 ………
 
 
 
 ……今の……綾波は……ちがう。
 
 
 
 シンジは、手を伸ばした。
 
 目の前のレイの頬に、そっと、手を添える。
 
 「きみは……」
 
 
 
 ゆっくりと、口を開く。
 
 
 
 ……きみは……
 
 
 
 ……アダムだね?



二百七十二



 シンジは、ゆっくりと、目を開いた。
 
 零号機の、プラグ内部の表示が見える。
 
 
 
 『……どう、シンジくん?』
 
 スピーカーから、リツコの声が聞こえた。
 
 
 
 シンジは、軽く、二三度瞼を閉じると、首を少し振って、目を開いた。
 
 『シンジくん?』
 
 「……いえ、大丈夫です。なんでもありません」
 
 シンジは、乾いた声で応えた。
 
 
 
 無性に、喉が渇いた。
 
 
 
 実験管制室。
 
 リツコは、シンジの言葉を聞いて、ホッと息をついて背を伸ばした。
 
 マヤの席の後ろまで移動すると、その背中に声をかける。
 
 「どう?」
 
 「オールナーブリンク、ハーモニクス、全て正常です」
 
 「そう……いい数値ね」
 
 マヤの言葉に、リツコが応える。
 
 
 
 結局、シンジとレイのパターンには、殆ど差異が無いことが証明された。
 
 エヴァに嘘はつけない。
 
 彼は、碇シンジだ。
 
 
 
 リツコは、マイクを手に取って口を開いた。
 
 「……ご苦労様、シンジくん。あがっていいわよ」
 
 
 
 プラグから降りて空中橋脚を移動したシンジは、そのまま、廊下に足を踏み入れた。
 
 更衣室に通じる廊下だ。
 
 背後でハッチが閉じる。
 
 チルドレン以外通らぬ、そのクリーンスペースを、シンジは、無言で歩いていく。
 
 
 
 額に、脂汗がにじんだ。
 
 
 
 壁にはいくらかの距離を置いて、ハッチが点々と続いている。
 
 シンジが廊下を歩いている最中に、右側のハッチの一つが、突然開いた。
 
 
 
 「……あら? アンタも終わったとこ? シンジ」
 
 ハッチから出てきたのは、アスカだった。
 
 別の実験ポッドで、シンクロテストを終えたところだ。
 
 もともと、定例のテストと変わらないアスカは、なんの緊張もなかったらしい。
 
 
 
 シンジは、アスカの言葉に、咄嗟に返事が出来なかった。
 
 曖昧に、口許を歪めて笑っただけだ。
 
 
 
 アスカは、その瞬間のシンジを見ていなかったために、シンジの変化には特に気づかなかった。
 
 ととん、と軽く歩くと、シンジの横に肩を並べて歩きだす。
 
 
 
 「ねぇシンジ、相互互換試験て、どんなかんじよ?」
 
 アスカは、特に深い意味もなく……前を見ながら言った。
 
 シンジは、応えない。
 
 「なんかさ、アタシだけやんないじゃない? ま、弐号機に誰も乗せたかないけど……気になるのよねぇ」
 
 「………」
 
 「それとも、やっぱあれ? 愛しのレイの機体なんかに乗ると、それだけで嬉しくなっちゃったりするわけ?」
 
 「………」
 
 「……シンジ?」
 
 
 
 返事のないことを怪訝に思い、アスカはシンジの方に視線を向けた。
 
 シンジの顔を視界に捉え、アスカは、少しだけ眉を上げた。
 
 「……アンタ……顔、真っ青よ」
 
 
 
 「……うん」
 
 シンジには、そう答えるのがやっとだった。
 
 額に、ぶつぶつと汗が浮いているのが分かる。
 
 心なしか、膝下にも力が入らないような気がする。
 
 口を開くのもおっくうで、ほとんど言葉を発することができない。
 
 
 
 「何よ、アンタ……どうしたの?」
 
 立ち止まって、アスカが心配そうにシンジを見る。
 
 「やっぱ、他の機体とのシンクロって、ムリがあったんじゃないの? ……そんな、ツラそうになるなんて」
 
 「……いや、大丈夫だよ……ごめん」
 
 かすれたような声で、シンジは呟いた。
 
 丁度、男子更衣室のところに来る。
 
 よろけるようにボタンを押すと、ブシュッ、と音を立てて扉が開いた。
 
 「……じゃ、アスカ……また、あとで」
 
 「あっ……ちょっと、シンジ!」
 
 
 
 慌ててアスカはシンジの背中に声をかけたが、シンジは、扉の向こう側に消えてしまった。



二百七十三



 男子更衣室の扉を閉じた後……シンジは、その場にへなへなとへたりこんでしまった。
 
 息が荒い。
 
 目を閉じ、右手をこめかみに当てて、ゆっくりと息を吐きだした。
 
 
 
 ……アダム。
 
 
 
 ……あの、冷たい思考の海……
 
 
 
 シンジは、先ほどの出来事を、思いだす。
 
 
 
 それは、衝撃的な出来事だった。
 
 恐らく……能動的に、アダムと接触を取らなければ、わからないことだろう。
 
 
 
 ……そこは……どこまでも続く、虚無の世界だった。
 
 
 
 あんな感情が、この世に存在するのだろうか?
 
 暖かみの欠片もない……虚無と、冷たさと……それらが、深遠の闇に消え広がっていた。
 
 
 
 一瞬にして、シンジの心は、激しくハンマーで叩かれたようなショックを受けていた。
 
 バシン!
 
 と、音を立てて、体中が凍り付いた。
 
 
 
 なんと、いう、世界だろう。
 
 
 
 これが、アダム。
 
 
 
 人間とは、違う、世界。
 
 
 
 そして……
 
 
 
 ……シンジに与えられた、もう一つの、衝撃。
 
 
 
 ………
 
 
 
 ……これが……昔の……綾波……!
 
 
 
 それは、シンジの心臓を掴み上げるような……体中の毛穴がすぼまり、ざっと逆立つような感覚だった。
 
 シンジの心が、暗闇に覆い隠されてしまいそうな、形容しがたい感覚。
 
 
 
 綾波!
 
 綾波!
 
 綾波……!
 
 
 
 ……あれが……昔の……綾波なのか!!
 
 
 
 身震いするような、思い。
 
 あんな……
 
 
 
 ……あんな世界に、ずっと、生きていた綾波を……
 
 
 
 シンジは、瞼をギュッと閉じる。
 
 叫びだしそうな、想い。
 
 
 
 ……綾波……を……
 
 
 
 ……救って……あげ……られ、なかった、な、ん、て……ッ!
 
 
 
 シンジは、床に座り込んだまま……我知らず、自分の肩を掴んでいた。
 
 きつく。
 
 きつく。
 
 きつく……。
 
 
 
 こぼれ落ちそうになる涙を、堪えていた。
 
 
 
 それが、精いっぱいだった。
 
 
 
 アスカが女子更衣室に入ると、丁度、レイが手首のボタンを押したところだった。
 
 シュッ。
 
 軽い空気音をさせて、レイのプラグスーツが、その肢体にフィットする。
 
 
 
 「あ……アンタ、これから?」
 
 「ええ」
 
 アスカの声に、レイが短く応える。
 
 
 
 「あ〜……ファースト……」
 
 アスカは、言い淀むように言葉を濁した。
 
 視線をずらして、頭を掻く。
 
 アスカのらしからぬ態度に、レイは怪訝な表情を見せた。
 
 「……なに?」
 
 「いや……」
 
 う〜ん、と、アスカは眉間にしわを寄せる。
 
 
 
 「……その……なんちゅうの。これから試験だし、あんましヘンなこと言うのもアレだからね」
 
 「? ……なに……」
 
 「いや……その……ね……」
 
 「?」
 
 「……シンジなんだけどさ」
 
 「碇君?」
 
 
 
 「さっき、そこで会ったけど……その……すごい、調子悪そうだったわよ」
 
 
 
 レイの目は、一瞬にして見開かれた。
 
 アスカは、慌てて両手を伸ばして手を振る。
 
 「あ、いや、シンジは大丈夫だって言ってたわよ。アイツが大丈夫だって言うんだから、大丈夫なんじゃない?」
 
 「碇君、どこ!?」
 
 「どこって……更衣室……だけど」
 
 アスカの言葉が終わるよりも早く、レイは、アスカの脇をすりぬけて廊下に飛び出そうとする。
 
 アスカは、慌ててレイの右腕を掴んだ。
 
 レイは、泣きそうな表情で振り返る。
 
 「離して」
 
 「ちょ、待ちなさいよ。どこ行く気?」
 
 「更衣室。離して」
 
 「アンタね、あっちは男子更衣室!」
 
 「関係ない……碇君が、いる」
 
 
 
 あまりにもストレートな言葉に、レイの右腕を掴んだアスカの手が、一瞬緩んだ。
 
 その瞬間、レイは、アスカの腕を振りほどいて走り出す。
 
 「あッ……ちょっと、ファーストッ!」
 
 アスカは、慌てて後を追った。
 
 
 
 女子更衣室と男子更衣室は、隣合わせではないものの、ほとんど離れていない。
 
 レイは、すぐに男子更衣室の扉の前まで駆け寄ると、渾身の力で扉を叩いた。
 
 「碇君!」
 
 ドン!
 
 ドン!
 
 ドン!
 
 「碇君……開けて!」
 
 
 
 それは、ほんの数秒のことだった。
 
 
 
 動転していたレイだが、すぐに……開閉ボタンを押せば済むことに気付く。
 
 慌てたように、レイがボタンを押す。
 
 ……シュッ、と、扉が開いた。
 
 「碇く……」
 
 バッ、と中に飛び込んだレイは、
 
 ……シンジを見て、息を呑んだ。
 
 
 
 シンジは、奥のベンチに腰掛けていた。
 
 現れたレイに顔を上げたその瞳は……哀しみが渦巻き、真っ赤に血走っていた。
 
 背中をまるめた姿が、痛々しい。
 
 
 
 「いか……」
 
 慌てたように駆け寄ろうとしたレイよりも早く、シンジは立ち上がった。
 
 
 
 目の前にもう一脚、置かれていたベンチを蹴飛ばすようにして、レイの前まで走り寄る。
 
 そのまま、止まらぬ動きで、レイを抱き締めた。
 
 
 
 「……綾……波……ッ……!」
 
 
 
 レイは、言葉を継げなかった。
 
 何が起こったのか、わけがわからない。
 
 
 
 シンジは、抱き締めたレイの温もりを感じていた。
 
 全身で……レイの、体の、心の、温もりを感じ取りたかった。
 
 
 
 そうだ……
 
 そうだ! そうだ! そうだ……!
 
 
 
 綾波は……違う!
 
 今の綾波は……違うんだ……!
 
 
 
 アダムの冷たさとは違う、レイの温もり。
 
 駆け寄るレイの、瞳に渦巻いていた、感情。
 
 
 
 今の綾波は、違う。
 
 はっきりと、変わっている。
 
 もう、あんな、世界に、住んではいない。
 
 
 
 レイの体に回された腕に、力が篭る。
 
 シンジにしては珍しく……力の加減を忘れるほどに、きつくきつく抱き締めた。
 
 レイは、苦しさで思わず、小さな息を吐く。
 
 だが、何も言わなかった。
 
 シンジときつく触れあうのは、幸せだった。
 
 
 
 扉のところでその様子を見ていたアスカは、ポリポリと頭を掻いた。
 
 「なんだっつうの……ま、元気ならいいけどさ」
 
 とにかく、シンジがまだ、先程よりもつらそうでないのは、アスカを安堵させた。
 
 
 
 そして、同時に思う。
 
 
 
 ……シンジには、やはり……レイが、必要なのだ。



二百七十四



 レイを抱き締めたことでシンジは平静を取り戻し、それを見たレイは、不安を取り除くことができた。
 
 そのまま、照れたようにシンジは更衣室に戻り、レイは安心して初号機のポッドへ向かう。
 
 
 
 シンジは制服に着替えると、実験管制室に足を踏み入れた。
 
 「お疲れ様、シンジくん」
 
 リツコが、振り向いて言う。
 
 「シンちゃん、おっつかれぇ。コーヒー、どう?」
 
 ミサトが、紙コップを片手に歩み寄る。
 
 「すいません」
 
 シンジは申し訳なさそうに笑って、そのコップを受け取る。
 
 まだ、完全に動揺から立ち直りきっていたわけではない。
 
 
 
 紙コップをあおり、コーヒーを飲む。
 
 苦いインスタントの味が、しかし、シンジに現実感を呼び戻させる。
 
 
 
 「……シンちゃん、零号機、どんな感じだった?」
 
 ミサトは、シンジの横に立って、言う。
 
 「どんな感じって……まぁ、フツウですよ」
 
 「そぉ? そぉゆ〜んじゃなくて……何て言うの? いつもはレイが座るシートに座ってさ……なんか、ドキドキしたぁ〜っ、とか、ないわけ?」
 
 ニヤニヤしながら、ミサトが流し目でシンジを見る。
 
 
 
 シンジは、思わず苦笑した。
 
 「そんなの……考えてる余裕、ありませんでしたよ」
 
 「なんでよ? 普通だったんでしょ?」
 
 「いや、まぁ、そうですけど……やっぱり、乗り慣れない機体は不安じゃないですか」
 
 「そう? ……ま、そういうもんかしらね」
 
 ミサトは、それ以上シンジをからかうのをやめ、再び前を向いた。
 
 
 
 シンジも、黙って前を向く。
 
 
 
 現実は、少し違う。
 
 だが、アダムの心の説明をミサトにしても、理解は出来ないだろう。
 
 第一……ミサトは、コアに人格が入っていることすら知らないのだ。
 
 
 
 「第一次接続開始」
 
 
 
 マヤの報告の声に、シンジは顔を上げた。
 
 
 
 先ほどまで、シンジの乗る零号機が佇んでいたポッドに、初号機が入っている。
 
 サブモニタに、初号機のプラグに座るレイの姿が映っている。
 
 
 
 「どう、レイ? なにか感じる?」
 
 マイクを手に、リツコが呼びかける。
 
 
 
 目を閉じていたレイは……ゆっくりと、瞼を開いた。
 
 
 
 「碇君の……においが……する」
 
 
 
 そう呟き、レイの頬はかすかに色付いた。
 
 
 
 その様子を奥で見ていたミサトは、ほほぉ、という表情を見せた。
 
 そのまま、横に立つシンジの方を向く。
 
 「シ〜ン〜ちゃぁ〜ん?」
 
 「……な、なんですか?」
 
 「レイは、なんか、あんなコト言ってるわよ〜……ど? うれしい?」
 
 「な、何を言ってるんですか」
 
 「ほら、レイ、あんな頬あかくしちゃって……カワイイわね〜」
 
 「い、いや、そう……かも、しれませんけど……」
 
 「かもぉ? 聞き捨てならないわねぇ。愛しのレイちゃんを、ハッキリかわいいって言えないワケ?」
 
 「い、いや、あのですね……」
 
 
 
 ……などと、漫才を始めてしまった二人を横目で見て、リツコはやれやれ、と頭を振って溜め息をついた。
 
 
 
 ブシュッ……
 
 突然、実験管制室の扉が、開いた。
 
 
 
 カツ……カツ……カツ。
 
 誰かが、実験管制室に入ってきた、気配。
 
 そちらに視線を向けて、シンジは目を見開いた。
 
 
 
 入ってきた人物は、そのまままっすぐ、リツコのところまで歩いていくと……重く、口を開いた。
 
 
 
 「……どんな調子だ」
 
 
 
 「……司令。いえ、問題ありません」
 
 リツコが応える。
 
 
 
 シンジは、ゲンドウの背中を見ていた。
 
 ゲンドウがここに来ることは、全く予想しておらず……驚きを隠せない。
 
 ゲンドウも、今、同じ部屋にシンジがいることに、気付いているはずだ。
 
 だが、ゲンドウは振り向きすらしない。
 
 
 
 前回、ゲンドウがここにきていたのかどうか?
 
 シンジには、わからない。
 
 レイが試験を行っていたときは更衣室にいたし、自分が搭乗したときには周りに気を配る間もなく暴走して意識を失っていたため、覚えが無いのだ。
 
 
 
 ……だが、もしも、前回もゲンドウが見に来ていたとして……
 
 
 
 ……なぜ、わざわざこんなところへ?
 
 シンジは、違和感を覚えた。
 
 今まで、シンクロテストをわざわざゲンドウが見に来たことなどほとんどない。
 
 司令室で行うときならまだしも、この実験管制室を訪れるようなことは、まずなかったはずだ。
 
 
 
 この試験が、何か重要な意味を持つのか?
 
 シンジは、急に思い付いた懸念に、不安を覚えた。
 
 ……シンクロテストの、延長にある試験だと思っていた。
 
 だが……違うのだろうか。
 
 何か……補完計画に……あるいは、ゲンドウの計画に、重要な試験?
 
 
 
 シンジがダミープラグに思い至るまで、さして時間はかからなかった。
 
 
 
 まさか……。
 
 
 
 横に視線を上げると、ミサトも、若干怪訝な表情で、ゲンドウの背中を見ていた。
 
 ミサトも、ゲンドウが来る理由に不審を抱いているようだ。
 
 
 
 「第二フェーズ移行」
 
 リツコの言葉に、マヤがキーボードを叩いた。
 
 「A10神経、接続します」
 
 
 
 レイは、自分が……エントリープラグから、一気に羊水の海に放りだされたような感覚を覚えていた。
 
 瞑った瞼の裏側に、果てなく広がる水の広がり。
 
 レイは、裸でその中に漂っている。
 
 
 
 海。
 
 LCLの、海。
 
 生命の源であり、すべての終わり。
 
 
 
 レイの視界に、シンジの姿が映る。
 
 
 
 レイと同じように、水中に漂っている。
 
 レイがその姿を見据えた途端、二人の距離は、一瞬にして縮まった。
 
 気付くと、鼻先に、シンジがいた。
 
 
 
 全裸の、シンジ。
 
 その体は、神々しい輝きに覆われて、見ることができない。
 
 
 
 レイと、目が合う。
 
 その、瞳……
 
 
 
 「!!!」
 
 
 
 「パイロットのパルスに異常発生!」
 
 マヤの叫びに、シンジは弾かれたようにコンソールに駆け寄った。
 
 リツコが、驚いたようにマヤの手許を覗き込む。
 
 「どうしたの!?」
 
 「精神汚染、始まっています!」
 
 「そんな……このプラグ深度では、ありえないわ!」
 
 「いえ……初号機からの侵食です!」
 
 「なんですって!?」
 
 
 
 ポッドの向こう側で、初号機が頭を抱えて身をよじった。
 
 顎部ジョイントがひきちぎられる。
 
 
 
 ヴヴォオオオォォォオオォォオオォオオォオォォオオォオォオォォォオォッッ!!
 
 
 
 初号機の咆哮が、強化ガラスを激しく振動させた。
 
 
 
 「硬化ベークライト!」
 
 「神経回路切断!」
 
 「活動停止まで三十秒!!」
 
 「パイロット、モニターできません!」
 
 「だめです……オートイジェクション、作動しません!」
 
 
 
 気付くと、シンジは実験管制室を駆け出していた。
 
 
 
 渾身の力で走ると、更衣室に駆け込んだ。
 
 そのまま、反対側の扉を抜ける。
 
 
 
 先ほど通過したばかりの、あの、更衣室とポッドを結ぶ廊下。
 
 
 
 その廊下を走り、やがて見えたハッチを、シンジは叩き開けた。
 
 
 
 ヴォォォオオォオォォォオォオォオォオォオオオォオオオオッ!!
 
 
 
 鼓膜が激しく振動するような初号機の雄たけびに、シンジは思わず立ち止まった。
 
 下半身を硬化ベークライトに埋められながら、初号機は激しく身悶える。
 
 迂闊に出ていくと、ただの人間に過ぎないシンジなど、蚊のごとく叩き潰されかねない。
 
 
 
 綾波ッ……!!
 
 
 
 シンジは、悲壮な表情で、その初号機を見ていた。
 
 
 
 なぜ!?
 
 なぜ!?
 
 なぜ……!?
 
 
 
 「初号機、活動限界!」
 
 マヤが叫ぶのと同時に、初号機は、ブシュゥゥゥン……と、カメラのコマ落としのように、速度を落として、停止した。



二百七十五



 プラグがイジェクトされ、回収班が駆け寄る様子を、リツコはガラス越しに見下ろしていた。
 
 誰にも聞こえない程度の小ささで……軽く、舌打ちする。
 
 
 
 ……完全に、予想外の展開だった。
 
 
 
 リツコは白衣のポケットに手を突っ込むと、静かに振り返る。
 
 「司令……」
 
 ゲンドウは、ただ、黙ってそこに立っていた。
 
 重い口を開く。
 
 
 
 「……原因は、わかるか、赤木博士」
 
 
 
 「追って調査すれば、おそらく」
 
 「調べたまえ」
 
 「……はい」
 
 
 
 ゲンドウは、ゆっくりと右手を上げ、サングラスを直した。
 
 呟く。
 
 「……このままでは、計画に支障をきたしかねん」
 
 
 
 「わかっております」
 
 リツコも、冷たい声で応えた。
 
 
 
 ゲンドウは、くるりと後ろを向くと、そのまま靴音を響かせ……実験管制室から、出ていった。
 
 
 
 リツコは、ただ、去った扉を見つめている。
 
 
 
 ミサトは、急に重くなっていた空気から解放されて、我知らず息をついた。
 
 同時に、思う。
 
 ……今の会話は、なんだろう?
 
 ……計画?
 
 ……なんの、話……?
 
 
 
 ミサトには、わからない。
 
 
 
 何か、毛穴がちりちりとそばだつような、違和感を覚える。
 
 
 
 調べなければいけないかも、知れない……
 
 
 
 白い壁に囲まれた、病室。
 
 ベッドと、小さな薬品棚と、他には何もない、四角い空間。
 
 そこに、シンジは座っている。
 
 
 
 目の前のベッドには、レイが眠っていた。
 
 
 
 プラグから担ぎ出されたレイは、すでに意識を失っていた。
 
 回収班がすぐさま医局に搬送するのに、シンジはついてきたのである。
 
 医師の診断では、命に別状はなく、精神汚染の可能性もないという。
 
 現在はショックと鎮静剤の効果で眠っているが、数時間と待たず、目覚めるだろうと言われていた。
 
 
 
 レイの寝息だけが聞こえる、その部屋で……シンジは、ずっと、レイの寝顔を見つめていた。
 
 ……目覚めたときに、そばにいてやりたかった。
 
 
 
 シンジは、混乱していた。
 
 なにが、原因だか、わからない。
 
 
 
 ……なぜ、初号機が暴走したのだろうか?
 
 前回も、相互互換試験は行い……その際には、問題なく終了することが出来たはずだ。
 
 自分の乗る零号機こそ暴走したものの、初号機の側に不具合は存在しなかった。
 
 それゆえ、今回、シンジもレイと初号機のシンクロについては特に不安を抱いていなかったのである。
 
 
 
 ……だが、考えてみれば、あの時と今とでは、確かに条件が違う。
 
 パイロットたるレイが、もう、全然違うのである。
 
 
 
 レイが、感情をもつこと……より、人間らしくなることが、なぜ、暴走の原因になるのか?
 
 そう言われると、シンジには結局、答えを導き出すことが出来ない。
 
 もともと、初号機に普段乗っているシンジは、感情豊かな人間である。
 
 パイロットの感情に、初号機が拒絶反応を示した……とは思いがたい。
 
 
 
 初号機の人格、ユイが、シンジ以外の存在を拒否したのだろうか?
 
 だがそれでは、前回、何事もなくレイがシンクロできた理由がわからない。
 
 あのときと今回と、レイが全く違う存在であることは確かだが……だからといって、前回のレイを、ユイがシンジと見紛うことはないだろう。
 
 
 
 シンジは、溜め息をついた。
 
 
 
 レイを、危険な目に合わせてしまった。
 
 それは、シンジの心を重くした。
 
 最悪の事態となれば、レイが、初号機に取り込まれてしまう危険性すらあった。
 
 もっとも、さすがにユイが、それを認めないだろうとは思うが……物事、どう転ぶかは分からない。
 
 
 
 レイを、守らなければいけない場面で、失敗した。
 
 だが、シンジには危険性を予見できなかったし、今も原因がわからない。
 
 
 
 シンジは、顔を上げた。
 
 
 
 窓の外が、眩しく光っている。
 
 シンジは、目を細めた。
 
 何もない部屋で……ただ、光がシンジとレイを、照らしていた。
 
 
 
 ……まだ、僕が知らない、何かがある……。
  
 
 
 ……シンジは、ゆっくりと、思った。