第五十五話 「試験」
二百四十七



 二基の疑似エントリープラグが使用不能、という報告を受けたときの、リツコの怒りは凄まじかった。
 
 「……状況を説明しなさい」
 
 言葉は静かだが、その実、内に秘められた怒り。
 
 そばにいたマヤとミサトは、そのとばっちりを食わないように、そっと気配を消していた。
 
 
 
 この場合、不幸と言うべきは、報告に来た整備員であろう。
 
 責任は、彼にあるわけではあるまい。だが、今は、そのリツコの怒りを一人で受けとめて泣きそうな面持ちである。
 
 「は、はい……その……二基の、内部に腐食が発生しておりまして……」
 
 「錆が浮くような材質ではないわ」
 
 「さ、錆ではありません。ただ、本来はLCLなどに接しない内部回路が、全面的に腐食しております」
 
 「原因は」
 
 「……わ……わ、わかりません」
 
 「復旧の見通しは」
 
 「インテリアの総入替えになります……その……入れ替えはたいした時間でもありませんが、その後の接続乾燥とパターンアプリのインストールと調整に、数時間は……」
 
 
 
 パターンアプリのインストール、とは、パーソナルパターンに関するアプリケーションのインストールを意味する。
 
 すでにアプリケーションがインストール済みのプラグでは、各チルドレンの誰のパターンにでも比較的短時間で書き替えが可能だが、その前段階として、数時間の準備は必要なのだ。
 
 
 
 「……原因を究明しなさい。レポートにして提出、一時間以内。使用可能な一基をプリブノーボックスへ」
 
 「は、はいっ」
 
 いたたまれないような思いでリツコの前に立っていた整備員は、慌てて返事をするときびすを返し、シグマユニットを出ていった。
 
 
 
 閉じた扉の音が、指令室にこだまする。
 
 全員が、物音を立てずに、ひっそりと……リツコの、次の行動をうかがっていた。
 
 
 
 リツコは、ただじっと、窓から見えるプリブノーボックスを見つめ……
 
 苦虫を噛みつぶしたような表情で、いまいましそうに呟いた。
 
 「……子供たちは、何をやっているの!」



二百四十八



 結局、シンジたちがNERVに到着した時、すでに時間は、試験開始予定時刻から一時間以上経過していた。
 
 当然の如く、リツコやミサトの怒りを買うことになる。
 
 
 
 「……なぁに、考えてんのよッ! 遊びでやってんじゃないんだからね!」
 
 ミサトが、三人を思いきり怒鳴り付ける。
 
 今回のことは、間違いなくシンジたちの規則違反であり、三人に反論の余地はない。
 
 
 
 自分が引っ張っていったせいで怒られる形になってしまい、レイやアスカには申し訳ない、と、シンジは思う。
 
 ……とはいえ、あの時点では、避けられない選択だった……とも、思うが。
 
 
 
 レイは、堪えた風もなく、むしろシンジに対して怒るミサトに、不満気だ。
 
 アスカも、自分が悪いと理解はしつつ、頭ごなしに怒鳴るミサトを上目づかいに睨んでいる。
 
 
 
 シンジは、神妙な表情で、ただ、頭を下げて、ミサトの叱咤を受けていた。
 
 
 
 シンジには、わかっていた。
 
 ミサトとともに暮らした時間の長さが、それを可能にしていた。
 
 
 
 「……じゃぁ、試験の時間も押してるし、説教もこのあたりにしておくけれど……次は、しっかりしなさいよ!」
 
 ミサトが、三人を睨み付けながらも、小言を切り上げる。
 
 「……申し訳ありませんでした、ミサトさん」
 
 シンジは、もう一度、頭を下げる。
 
 その姿を見て、ミサトは、ふん……と、バツが悪そうにきびすを返した。
 
 
 
 ミサトが離れると、アスカが、小さな声で呟く。
 
 「そんなに、下手に出るこたないわよ……そりゃ、あたしらが悪いんだけど……そこまで、黙ってる必要、ないじゃない」
 
 「……碇君は……そんな……悪いばかりじゃ、ないわ。それなのに……」
 
 レイも、ミサトの背中を見つめて不満を漏らす。
 
 だが、シンジは、静かに口を開いた。
 
 「いいんだ……悪いのは、僕らだ。
 
 それに……ミサトさんは、分かってるよ」
 
 
 
 ミサトは、肩をいからせてリツコの側までやってくると、憤懣やるかたないといった表情で腕を組んだ。
 
 「まったく……人類の未来を何だと思ってるのかしら……」
 
 なおもぶつぶつと、怒りを吐き出す。
 
 
 
 横に立って愚痴をつく友人の姿を、リツコは横目で冷ややかに見た。
 
 口を開く。
 
 「……やめなさい、下手な芝居は」
 
 「は、え?」
 
 ミサトが、思わず咳き込むようにどもる。
 
 リツコは、目をつぶって溜め息をつくと、手許の書類をめくりながら反対側を向いた。
 
 背中越しに、言葉を発する。
 
 「……まぁ、今回は乗ってあげるわ。時間もないしね」
 
 「……バレバレ?」
 
 「当たり前よ」
 
 言いながら、ペンを走らせる。
 
 「多分、シンジくんもわかってるんじゃないかしら」
 
 ペンを止めて、顔を上げる。
 
 シンジたちの方を見ると、ちょっとだけ睨んでから、口を開いた。
 
 「さぁ、時間がないわよ。説明するからこっちにきなさい!」
 
 
 
 ミサトは、自分が必要以上に怒ってみせることで、リツコの怒りの火に水を注いだのだ。
 
 リツコが非常に怒り心頭していることを察し、言ってしまえば自分が悪者になることで、リツコの気勢を削いだのである。
 
 シンジには、それが分かった。
 
 だから、感謝こそすれ、ミサトに不満を抱く筋合ではないことを理解しているのである。
 
 
 
二百四十九



 「まず、今日の訓練ですけど……三人に集まってもらって悪いけど、一人だけの訓練になるわ」
 
 リツコが、シンジたちを前にしてそう告げた。
 
 リツコのその表情は、やはり幾分かは、いまいましげ……といった印象だ。訓練直前に起きたトラブルに、やはり腹立たしさを隠せない。
 
 「なぁんだ……じゃあ、遅刻したっていいじゃん……」
 
 「それとこれとは、別」
 
 小さい声で不満を言うアスカの言葉を、リツコはぴしゃりと制した。
 
 
 
 リツコの言葉を聞いて、シンジは、加持が何らかの工作に成功したことを知った。
 
 どうやったのだろう?
 
 「リツコさん……その……予定では、全員やるはずだったんでしょう? どうして、急に、一人だけってことに……」
 
 「実験で使う疑似プラグがね、使えなくなったのよ」
 
 リツコは、それだけ答える。まぁ、すべてを説明する必要などないのだから、これは当然だろう。
 
 結局、シンジには、加持が詳しく何をしたのかまでは知ることができなかった。
 
 
 
 「で、なに? ひとりだけ? って言ったら、ト〜ゼン、アタシよね」
 
 アスカが、腕を組んで、半ば得意げに口を開いた。
 
 思わず、振り返るシンジ。
 
 「いっ」
 
 「……なによ。なんか、文句ある?」
 
 アスカが、じろっとシンジを睨む。
 
 
 
 文句は大アリ、である。
 
 
 
 この時間になってもイロウルが発現しないことで、時限式でないことはほぼ確定的となった。
 
 となれば、残る可能性は、レイだ。
 
 レイが、イロウル発現のトリガー。
 
 そういう意味で行けば、アスカが訓練に参加しても実害はないはずだが……だからと言ってほいほいと送り出すことなどできない。
 
 
 
 何も起こらないことは、ほぼ、間違いがない。
 
 レイが実験に参加しない限り、イロウルが発現することはあるまい。
 
 しかしそれでも、実験には自分が参加したかった。実験で使う疑似体が収まる実験プールには、イロウルがいる。たとえ危険が少なくとも、それにアスカを晒したくはなかった。
 
 
 
 だが、次のリツコのセリフには、もっと驚愕させられた。
 
 
 
 「……いいえ、実験にはレイに参加してもらいます」
 
 
 
 シンジは、唖然とした表情でリツコを見た。
 
 せっかくの根回しが、根底から覆されるような、言葉。
 
 
 
 確かに、疑似プラグが一本残ったからと言って、シンジが参加することとなる確証はない。
 
 それに思い至らなかったのは、大きな失点だ。
 
 しかし、だからと言って……。
 
 「……なんで、ファースト? アタシじゃだめなわけ?」
 
 シンジとは別の観点から、不平を漏らすアスカ。
 
 「アスカは、他の二人ほどパーソナルパターンが似てないから……プログラムの書き換えが大変だから、後回しになるのよ」
 
 リツコは、こともなげに呟く。
 
 
 
 実際の理由は、それとは異なる。
 
 シンジすら……いや、ミサトですら知らないことだが、今回のオートパイロット試験の目的は、ダミーシステムに搭載する疑似人格パターンの正確なグラフを取得することである。
 
 シンジとアスカのパーソナルパターンは、ダミーシステムをより完成度高く仕上げるために、「個人差による揺らぎ」の情報を収集するために必要……という程度であり、絶対的に採取しなければならないデータではない。
 
 だが、レイのそれは、違う。

 レイが実験に参加することは、ダミーシステムの開発には、出来るかぎり必要なことなのだ。
 
 
 
 しかも、今……前回シンジが体験した世界とは、根本的に異なる要素が、ある。
 
 レイが、普段のダミーシステムの製造実験に参加していないことだ。
 
 プラントに浮遊する、レイの、魂のない他の体から、パーソナルパターンは取得することができ……一応今の状態でもダミーシステムを完成させることはできる。
 
 だが、やはり、不確定な要素は出てしまう。できることなら、どうしても……魂のある「綾波レイ」のパーソナルパターンの採取は必要だった。
 
 
 
 本当であれば、レイを拘束して実験に参加させることも、可能だろう。
 
 だが、もしもそのような行動を取れば、今やエースとして無視することのできない存在……碇シンジの協力を得ることは、おそらく永久に不可能となってしまう。
 
 それは、非常に困る。
 
 
 
 そのため、どうしても、こういった通常の訓練で、レイのパーソナルパターンの純粋な採取を行うことが必要なのだ。
 
 チルドレンのうち一人しか実験に参加できないとなれば、リツコがレイを指名するのは当然だった。
 
 
 
 だが、シンジはそんな事情は知らない。
 
 レイだけを、特に重視して実験せねばならない背景など、彼の知ったことではない。
 
 シンジは、リツコに食いついた。
 
 
 
 「まっ……待ってください、リツコさん。じゃあ、僕の訓練にしてください」
 
 シンジが焦ったように言うと、リツコは怪訝そうに眉をひそめた。
 
 「? 何を言ってるの、シンジくん……心配しないでも、シンジくんはまた、近日中にやってもらうわ」
 
 「いえ、あの……じゃぁ、今日、僕がやったっていいでしょう?」
 
 「プログラムは、レイのものにあわせてあるのよ。アスカより書き換えが簡単と言っても……わざわざ、レイでやればすむところをシンジくんに調整する必要なんて、ないでしょ」
 
 「そっ……それは、そうかも知れませんが、しかし……その」
 
 「? よく分からないわね……なぜ、今日実験することにこだわるの? 早いか遅いか、それだけの違いよ」
 
 
 
 もちろん、それだけの違いではありえない。
 
 ましてや、もはやレイがイロウル発現のトリガーであることが確定的と思われる今……レイが実験に参加するということは、ほぼ間違いなく、レイが危険に晒されるということだ。
 
 シンジにとって、絶対に引き下がれない。
 
 
 
 「で、でも……その、とにかく、今日やりたいんです……僕は」
 
 言いながらも、自分で自分の言葉に説得力の無さを感じずにはいられない。
 
 レイが実験に選ばれるというのは予想していなかった展開なので、うまい口実をシミュレーションしてこれなかったのだ。
 
 「ちょっと、シンジ……何なのよ、アンタ。そんなの通るんなら、じゃあ、アタシがやるわよ」
 
 アスカが、横から口を挟む。
 
 「えっ、いや、だめだよ」
 
 「なァんでよぉ」
 
 「いや、ほら、あの……アスカは、プログラムの書き換えがいるって言ってたじゃないか、さっき」
 
 「それは、アンタも一緒!」
 
 「いや、でも、僕のほうが簡単でしょ」
 
 「書き換えるんなら、一緒よ!」
 
 「い、いや、でも、だめだよ……」
 
 
 
 リツコは、眉をひそめて、そのやり取りを聞いていた。
 
 ……非常に、違和感がある。
 
 これが、シンジの代わりにアスカが食いさがっていると言うのなら、まだわかる……だが、シンジがこうも訓練に固執するのは、らしくない。
 
 理由があるはずだ。シンジが、個人のわがままで駄々をこねているとは、考え難かった。
 
 
 
 同じことを、ミサトも考えていた。
 
 リツコがその分析力からそう判断したのと同じように、ミサトもまた、日頃のシンジとのつきあいから、今のシンジの態度に違和感を抱いていた。
 
 とても、らしくない。
 
 
 
 シンジが、こういう態度を取るときは、決まって……自分のためではなく、他の人間に振りかかる危機を察してであることが多い。
 
 ……と、言うことは……
 
 疑似プラグに乗ることが、危険だと判断できる何かが、あるということだろうか?
 
 
 
 ……実際には、レイ、以外の人間が乗るのであれば、ほぼ安全だ。
 
 だから、とにかくシンジは……レイが疑似プラグに載ることだけは、回避しなければいけなかった。
 
 
 
 「……レイ」
 
 リツコが、低い声で呟く。
 
 「あなたは、わかっているでしょう? ……あなたが、乗るのよ」
 
 
 
 場が、静まった。
 
 
 
 シンジを含め、その場の全員が、レイを見つめていた。
 
 動くのを忘れた、まるで土くれの人形のように、固唾を飲んでレイの次の言葉を待っている。
 
 
 
 レイは、じっと虚空を見つめていた。
 
 
 
 レイには、今回の試験の目的が、初めから理解できていた。
 
 ダミーシステムの製造。そのための、データ採集。
 
 
 
 普段、恒常的に行われているダミーシステム製造実験にレイが参加しないのは、何か信念や哲学があってのこととは、少し違う。
 
 
 
 ダミーシステム製造用データ蓄積実験は、スケジュール的には、ほぼ毎晩行われていると言って良い。
 
 もちろん、定期的に参加しているのであればそのすべてに足を運ぶ必要はまったくないが(第一、毎晩自宅にいないという状況になると、非常に不自然である)、それでも、多くの時間を実験に要することは間違いがない。
 
 ……前回のレイであれば、それでよかった。
 
 他にすることがあるわけではないし、実験に参加することは当然であって避ける感覚は存在しなかった。
 
 
 
 だが、今のレイは違う。
 
 
 
 望めることであれば、1秒でも離れたくない、愛しい少年がいる。
 
 彼と共にあることは、そのほかのすべてに勝った。
 
 
 
 それに、もうひとつ。
 
 普通の人間でありたい、と思う感情が、前回とは比べ様もないほどに、大きい。
 
 
 
 シンジは、人間だ。それは紛れもないことであり、レイにとって疑いようもない。
 
 シンジと同じ存在でありたいと思う。
 
 また、シンジに、自分が人間ではないと話すことを思うと、恐怖で身も凍る。
 
 自分が人間であることを、疑いもなく信じられたら、どんなにか良かっただろうか。
 
 実験に参加することは、自分を失うこと。自分と同じ存在を大量生産する、人形のような自分をよしとすることだ。
 
 それはもう、今のレイには、できない。
 
 
 
 だから、レイはゆっくりと、口を開いた。
 
 
 
 「申し訳ありません、赤木博士……。朝から腸の状態が悪く、実験に支障があります」
 
 
 
 リツコは、目を見開いていた。
 
 それは、シンジも、ミサトも同じだ。まさかそういう返事が返ってくるとは、思っていなかった。
 
 
 
 レイが、実験の参加を断るとは……。
 
 
 
 その言葉に対して、違和感をさほど抱かなかったのが、アスカだ。
 
 アスカが日本にやってきた時には既に、レイはシンジにべた惚れで……レイが、実験や命令を一義に考える姿を、アスカは知らない。
 
 「ナニ、アンタ……腹の調子でも悪いの?」
 
 アスカが、特に深く考えずに口を開く。
 
 レイはアスカのほうに視線だけ向けると、小さく頷いた。
 
 「ええ……」
 
 そして、足元に視線を漂わせる。
 
 
 
 レイは、もはや、実験に意義を感じない。
 
 もちろん、普段のシンクロテストや、その他の多くの実験は、エヴァの操縦技術の向上に役立つ。戦闘でのシンジの負担を減らすことができ、欠かせないものだ。
 
 だが、今日の実験は、パイロット本人には何もフィードバックされることの無い実験である。
 
 
 
 シンジが、乗りたがっている。
 
 しかも、らしからぬほどに。
 
 であれば、自分は引いて、シンジが乗れるように、計らうべきだ、と、思う。
 
 
 
 レイは、シンジがレイの危険を肩がわりしようとしているのではないか……という疑惑にまでは、思い至っていないようだ。
 
 
 
 「腸……?」
 
 リツコが、かすかに眉根を寄せて、レイを見る。
 
 そのまま、沈黙。
 
 
 
 「……本当に?」
 
 「……はい」
 
 
 
 しばし、リツコはレイを見つめた後……
 
 ふぅっ、と視線を逸らして、溜め息をついた。
 
 手許の書類にペンを走らせて、後ろを振り返った。
 
 
 
 「……マヤ。パーソナルパターン、シンジくんに書き換え。急いで」



二百五十



 「あ、綾波」
 
 シンジは、慌ててレイに声をかけた。レイが、振り向く。
 
 「あの、ごめん。……ありが」
 
 「シンジくんッ! 時間がないの、準備しなさい!!」
 
 リツコの叱咤が飛び、シンジは首を竦める。
 
 今回に関しては、リツコに気に入らないことがいろいろありすぎた。これ以上、あまり怒らせたくない。
 
 「じゃ、じゃあ、あとで」
 
 シンジは、レイに軽く声をかけると、きびすを返してシグマユニットの外へ走って行った。
 
 
 
 シンジの消えた出口をじっと見つめるレイに、アスカが声をかける。
 
 「はぁ〜……ファースト……アンタって、ホントに健気ね」
 
 呆れたような、溜め息。
 
 レイは、アスカの方を向く。
 
 「……けなげ?」
 
 「自分を抑えて、好きな男のために尽くすトコなんか、まんまそうでしょ」
 
 「? 抑えてないわ……やりたいことを、してるだけ」
 
 「ハイハイ」
 
 アスカが、もう一度溜め息をついてみせる。
 
 
 
 一方のシンジは、裸になったと思ったら、もう怒涛のクリーン攻撃に晒されていた。
 
 こうなるのは初めから分かっていたことだが、しかし……ゆとりがあると目に入ってきてしまう、天井の四隅にある監視カメラには、さすがに気恥ずかしい気持ちが沸きあがってくる。
 
 密閉された半畳ほどの個室で、頭上や壁から消毒液が霧状に吹き付けられる。
 
 と、思ったら、鋭い勢いで空気の塊を叩き付けられる。
 
 わぁっ、と思う間もなく、粉体の薬をぶっかけられて、それをまた暴風で吹き飛ばす。
 
 ギラギラとした色とりどりのライトに晒されて、かと思えば思わず驚く熱さの光を瞬間的に当てられる。
 
 
 
 なんだか、前回よりも極端にキッツい気がするシンジである。
 
 怒りの憂さを、リツコが晴らしているのかもしれない。
 
 
 
 結局、54回ものクリーン作業を終了し、へろへろしながら、クリーンルームから出てくるシンジであった。
 
 
 
 「………」
 
 コンソールの前で、ミサトから実験の概要を聞いたアスカは、絶句していた。
 
 実験の内容までは、知らなかった。
 
 ……まさか、裸になっての実験とは……。
 
 
 
 アスカは思わず、「やらなくてよかった」と冷や汗をかく。
 
 
 
 「……まったく……チルドレンに人権ってモンはないのかしらね」
 
 アスカが、部屋の隅でぶつぶつと呟く。
 
 特に用もなく、その隣に立っていたレイが、アスカの方を向く。
 
 「……?」
 
 アスカが、怪訝な表情のレイに気付く。
 
 「……なによ、ファースト」
 
 「……何か……問題でも、あるの?」
 
 「あ〜あ〜、そう言うだろうと思ってたわよ。普通の人間はね、裸を見られるのは嫌がるモンなの」
 
 「……碇君……嫌なの? ごめんなさい……」
 
 「ああ……シンジは、まぁ、まだいいのよ、見られたって。問題は、アタシら」
 
 「? ……何が、違うの?」
 
 「男か女かってコトでしょーが」
 
 「????」
 
 「ハァ……いい? 普通はね、男の裸なんて、見たって面白くも何ともないわけ」
 
 「……そう?」
 
 「アンタは、別! ……って言うか、別に、見たいのは『男の裸』じゃなくて、『シンジの裸』でしょ、アンタの場合は」
 
 「……そう……そう、ね」
 
 「好きな相手の裸、てのはこの際、置いとくわよ。世間一般的にね、男の裸を見たがるのは、割と特殊な層に限られるの。普通は、別に見たかぁないのよ。あんただって、鈴原や相田の裸、見たい?」
 
 「(ふるふる)」
 
 「でしょ。……で、これが女の裸ってなると、違うのよ」
 
 「??? ……別に……見たくないけど」
 
 「それは、アンタが女だから……アタシだって、別に見たいわけじゃあないわよ」
 
 「?????」
 
 「いい? ……男っていう生き物はねぇ、普通、女の裸って見たがるモンなのよ」
 
 「………」
 
 「アンタ、本屋行ったことあるでしょ? ない? あるわよね。
 
 雑誌のコーナーとか、覗いて見なさいよ。
 
 男の裸なんて、滅多に無いけど、女のヌードの載った雑誌なんて、数えきれないわよ」
 
 「……そうなの?」
 
 「そうなのっ」
 
 「………」
 
 「……アンタ……もう少し、世間の常識ってぇモンを理解しなさいよ……こうしてると、シンジの気持ちがわかるわ、まったく……」
 
 「碇君?」
 
 「何でもないわよっ」
 
 
 
 シンジは最後のクリーンルームを出ると、そのままクリーン処理された廊下を進み、奥にあるハッチまで歩み寄った。
 
 開いたハッチの中に入り、シートに腰を落ち着ける。
 
 背後でハッチが閉まり、シートはスルスルスルスルッと奥に向かって滑り落ちていく。
 
 数メートル落ちたところで固定され、背後でもう一度、隔壁が閉じた。
 
 足元から、LCLが湧き上がってくる。
 
 
 
 「サードチルドレン、エントリー終了しました」
 
 マヤが、モニタを見ながら言う。
 
 「テストスタート」
 
 リツコが短く言葉を発した。
 
 
 
 アスカが、暇を持て余してマヤの背後までやって来た。
 
 ちなみに、レイも、特に意味もなく、その後についてきている。
 
 アスカが、腰の後ろに手を組んで、ひょいっとマヤのコンソールを覗き込む。
 
 
 
 「……げっ」
 
 
 
 露骨に、顔をしかめるアスカ。
 
 マヤが振り返る。
 
 「あら、アスカちゃん……どうしたの?」
 
 「マヤ、アンタ、これ……ええっ、アタシこの実験、ゼッタイやだ!」
 
 眉を引きつらせたまま、立て続けに呟く。
 
 
 
 コンソールのモニタに映っているのは、パイロットのサーモグラフィ映像だ。
 
 ……だが、精度が高すぎる。映像が精緻すぎて、結局、体中のラインがはっきりと見えるのである。
 
 
 
 「マヤ、あんた、よく平気ね」
 
 アスカが、眉をしかめながら言う。
 
 ちなみに、アスカ自身は、自分がシンジのモニタを見ること自体は全然平気らしい。
 
 マヤは、頬を染めて、声をひそめた。
 
 「その……実は、見てないから」
 
 「は?」
 
 「視界をね……うまく、逸らして、ね」
 
 「……映像出してるイミ、ないじゃん」
 
 「……ま、まぁ、そう……かな、アハハ」
 
 アスカは、溜め息をついて姿勢を正した。
 
 「マヤ、アンタ……ヒカリと話が合いそうよね」
 
 「え? 誰?」
 
 「アタシの同級生。マヤにそっくりよ」
 
 「ええ? どういう意味……」
 
 「マヤ! 何をお喋りしてるの!!」
 
 「ハッ、ハ、ハ、ハイッ! す、すみません!」
 
 リツコに叱咤されて、慌ててマヤはコンソールに向き直った。
 
 
 
 「……碇君」
 
 いつの間にかマヤの後ろに立っていたレイが、サーモグラフィを見て呟く。
 
 「あっ、あ、レイちゃん……ダ、ダメよ、みちゃ」
 
 マヤが、赤くなってサーモグラフィの上に手の平を広げる。
 
 アスカが、フン、と鼻を鳴らす。
 
 「……アタシが見てても、何も言わなかったクセに、今更ねぇ」
 
 「あ、あっ、アスカちゃんもダメっ」
 
 「マヤ!」
 
 「ハッ、ハイ!」
 
 アスカは、ニヤニヤしながらレイの肩を叩いて、後ろを向いた。
 
 「ファースト、アタシらがいると、マヤが怒られるから、後ろに行くわよ」
 
 「? そう?」
 
 そう言って後ろに下がる二人の足音を聞きながら、マヤは思わず、赤くなってしまっていた。
 
 
 
 「オートパイロット、記憶開始」
 
 「シミュレーションプラグ、MAGIの制御下に入りました」
 
 別のオペレータの言葉に呼応して、マヤが報告する。
 
 メインモニタに、数式とMAGIの活動分布グラフが激しく動く様が映し出される。
 
 
 
 「速いわね〜、さすが、MAGI」
 
 ミサトが、呟いてコーヒーをすする。
 
 「初実験の時、一週間もかかったのがウソみたい」
 
 
 
 「シミュレーションプラグ、全て模擬体と接続しました」
 
 
 
 「気分はどう? シンジくん」
 
 リツコが、腕を組んでマイクに話しかける。
 
 
 
 「……いつもと、違いますね」
 
 シンジが、静かに応えた。
 
 
 
 シンジは、プラグの中で、ゆっくりと周りを見回した。
 
 実際に初号機の中にいるときも、この疑似プラグの中も、プラグの全天に周囲の風景が投写される。自分が裸でいること以外は、感覚的には、普段のプラグでの情景と変わらない。
 
 だが、大きく異なるのは、そのエヴァとの接続感覚だ。
 
 
 
 『……違うって、どういうふうに?』
 
 「……なんだか、ぼやけた感じです。いまいち、シャープに模擬体を認識できないというか」
 
 『そこらへんは、感覚に誤差があるのは仕方がないわね。もともと、模擬体はどうしても、完全にエヴァと同一化することはできないの。
 
 あなたたちは、それぞれ各個のエヴァに特化してるから、エヴァと模擬体に差異があれば、感覚にも差が生じるのは仕方がないことよ』
 
 「……なるほど、わかりました」
 
 『ぼやけかたは、大体一緒? 全体的に、違う感じ?』
 
 「いえ……揺らいでるって言うか……右腕とか、割とハッキリした感じですけど」
 
 『右腕、動かしてみてくれる』
 
 「はい」
 
 
 
 模擬体は、疑似プラグが挿入されているボックスとは違う場所に待機させられている。
 
 正確には、このプリブノーボックスの真上だ。
 
 リツコたちにも模擬体の姿は直接は見えず、サブモニタ上での映像とMAGIからの数値が判断材料となる。
 
 
 
 グググッ……
 
 と、模擬体の右腕が動いた。
 
 力こぶを作るような状態で、右手を数回、開いたり閉じたりする様が見える。
 
 
 
 「オッケーよ、シンジくん」
 
 リツコは、マイクに向かって言う。
 
 
 
 シンジは、右腕を元に戻しながら、考える。
 
  ……大丈夫そうかな?
 
 このまま、何事もなく、実験が終われば……それにこしたことはない。



二百五十一



 「MAGIシステム、対立モードに戻ります」
 
 マヤがキーボードを叩くと、三面に区分された対立モードモニタが、激しくまたたく。
 
 さまざまな分析を、それぞれに意見を闘わせながら処理しているからである。
 
 
 
 発令所。
 
 シゲルがキーボードを叩く様を、冬月が後ろから見ている。
 
 
 
 「ここです。第87タンパク壁」
 
 切り替わったモニタを指さしながら、シゲルが振り返った。
 
 シゲルの指差したモニタには、細かくデジタル処理で区分された複眼映像で、タンパク壁のクローズアップが映っている。
 
 「変質か……どういう状況かね?」
 
 冬月が続ける。
 
 
 
 横に座っていたマコトも、同じくキーボードを叩きながら、それに応えた。
 
 「侵食……だと、思いますが……。温度と電導率が、変化してます。無菌施設の劣化は、よくあることですから……」
 
 「よくある、では、済まされんな」
 
 言いながら、冬月はかがめていた腰を伸ばす。
 
 「工期が60日近く圧縮されましたから……また、気泡でも混ざってたんじゃないですかね」
 
 「そのあたりは、使徒が現れてからの工事ですから。焦ったんでしょうね」
 
 「気持ちはわかるがな。これでは、ダメだ。どうにかせんといかんな……明日までに、処置しておけ。碇に知れると、またうるさいからな」
 
 「わかりました」
 
 そのまま、冬月はその場を離れようとする。
 
 
 
 「んっ……?」
 
 マコトが、変な声を出した。
 
 きびすを返そうとした冬月が、振り返る。
 
 マコトが、モニタの横のスライダを調節しながら、怪訝な表情で画像を見つめている。
 
 「……どうかしたかね?」
 
 「タンパク壁の温度が……あっ」
 
 その瞬間、マコトのモニタは、一気に真っ赤に染まった。
 
 
 
 NERV全体に、警報が鳴り響いた。
 
 リツコとミサトが、驚いた表情で顔を上げる。
 
 『シグマユニット・Aフロアに汚染警報発令!』
 
 スピーカーが叫ぶ。
 
 「汚染!? ……マヤ! どういうこと!?」
 
 「ま、待って下さい」
 
 慌てたように、キーボードの上を指が走る。
 
 
 
 レイとアスカも、思わず駆け寄ってくる。
 
 
 
 「第87タンパク壁が劣化発熱しています!」
 
 「劣化?」
 
 「第6パイプに異常発生! ……侵食部が、増殖していきます!」
 
 
 
 メインモニタに、ヘクサ状に区切ったデジタル映像。
 
 それが、みるみるうちに赤色に染まっていく。
 
 
 
 「こっ……ここに来ます!」
 
 「実験中止! 第6パイプ、緊急閉鎖!!」
 
 リツコの鋭い声に、マヤの声がかぶる。
 
 「ダッ……ダメです! 壁沿いに……来ます!」
 
 
 
 「ポリソーム用意!」
 
 リツコは、マヤの言葉を受けて、即座に命令を下した。
 
 
 
 ポリソーム……水中作業ロボットが、格納庫から引き出される。
 
 本来は水中での力仕事が専門のロボットだが、各種事態を想定して、攻撃用の機能も備えている。
 
 前部に設置されたビーム口が、バルブに向けられる。
 
 
 
 侵食が、このプリブノーボックスに侵入してくるとしたら……それは、そのバルブからでしか、ありえない。
 
 侵入と同時に、一気に焼却して侵攻を食い止めようという作戦だった。
 
 
 
 「侵入と同時に発射……いいわね」
 
 「はい」
 
 リツコの言葉に、マヤが短く応える。
 
 
 
 そのまま、静寂。
 
 
 
 ………
 
 
 
 ………
 
 
 
 ………
 
 
 
 ……何も、起こらない。
 
 マヤが、怪訝な表情を見せる。
 
 あの速度で侵攻していれば、とっくに……あのバルブから侵入してきているはずだ。
 
 ……このプリブノーボックスに、向かっていない……?
 
 
 
 『……ぐ……』
 
 「?」
 
 スピーカーから漏れた変な声に、思わず顔を上げる面々。
 
 その瞬間。
 
 「碇君ッ!?」
 
 レイの叫びにかぶるように、シンジの悲鳴が響き渡った。
 
 
 
 『……ぅあああああああああああッ!!』



二百五十二



 最初の警報が鳴り響いたとき、シンジは状況が良くわかっていなかった。
 
 あの時、音声回線は切れていた。
 
 構造上問題があるとも言えるが、疑似プラグの中までは、警報が聞こえてこないのである。
 
 
 
 ただ、プラグの中で、次のリツコからの指令を待っているときに……
 
 突然、右腕を激痛が襲ったのである。
 
 
 
 模擬体が、ガクガクと痙攣するように動く。
 
 その右腕が、メロンの皮のように、血管の浮き出た醜い姿に変貌を遂げる。
 
 
 
 侵食は、プリブノーボックスではなく、模擬体に向かって侵攻を行っていた。
 
 なぜ!?
 
 予想もつかない展開に、一瞬、リツコも唖然としてしまった。
 
 
 
 「侵食部、模擬体の下垂システムを侵しています!」
 
 まずい!
 
 マヤの声に、咄嗟にリツコの手が動く。
 
 素早く、コンソールのボタンに手を伸ばす。
 
 
 
 よりも、速く。
 
 
 
 突然、白い腕が、バッとリツコの脇から飛び出した。
 
 「えっ!?」
 
 リツコが驚くよりも速く、その手がレバーを握ると、ガッと下に引き下ろす。
 
 
 
 一瞬にして、模擬体の右腕が吹き飛んだ。
 
 『……ッ……ぐ』
 
 堪えるような声を、マイクが拾う。
 
 
 
 リツコは、バッと振り返った。
 
 レバーを降ろしたのは……レイだった。
 
 
 
 レイは、リツコに睨まれても、それに気付いてすらいなかった。
 
 凝視するのは、メインモニタに映る模擬体の姿。
 
 ……恐怖に凍り付いた、瞳。
 
 
 
 リツコは、一瞬口を開きかけたが……すぐに反転すると、マヤに向かって鋭く叫ぶ。
 
 「シンジくんは!?」
 
 「ぶ……無事ですッ」
 
 「ダミープラグを緊急排出! パイロットを安全地帯まで退避させなさい」
 
 「ハ、ハイッ!」
 
 
 
 マヤがボタンを押すと同時に、目の前の疑似プラグのが、ガシャン、と揺れる。
 
 中に入っていた、シンジを乗せたダミープラグが、排出されたのだ。
 
 
 
 それを見たレイは、バッと反転すると、一目散に走り出した。
 
 「あっ! ファ、ファーストッ!?」
 
 思わずアスカが声をかけたが、レイは全く反応せず、アスカの横をすり抜けると、シグマユニットの外へ走り出ていった。
 
 アスカはその急な動きについていくことが出来ずに、取り残されてしまった。
 
 
 
 レイは、廊下を走ると、飛び込むようにして奥のエレベーターに乗り込んだ。
 
 扉が閉まり、レイを乗せた箱が上昇を開始する。
 
 
 
 レイは、胸の前に手を当てて、破裂しそうな心臓の鼓動を感じていた。
 
 シンジの身を思い、胸が張り裂けそうだった。
 
 
 
 碇君!
 
 碇君!
 
 碇君!
 
 
 
 かくいうシンジは、排出される強烈なGを感じながら、茫然としていた。
 
 状況はわからないが、どうやらイロウルが発現した気配……。
 
 
 
 ……なぜだ!?
 
 
 
 シンジには、分からない。
 
 それは、責めるには当たらない。
 
 シンジは、イロウルの戦略も、これから何が起こるのかも、知らなかった。
 
 分かっていれば予測もたったかもしれないが、現状でそれは、不可能であろう。
 
 
 
 イロウル発現のトリガー。
 
 それは、時限式でも、レイでも、なかった。
 
 
 
 模擬体。
 
 これに命が吹き込まれることが、発現のトリガーだった。
 
 模擬体が動いてすぐに侵食が始まらなかったのは、タイムラグに過ぎない。
 
 正確には、腐食が始まったタイミングがそれに重なる……やはり、模擬体がトリガーだった。
 
 イロウルは、シンジが模擬体の右腕を動かしたその時に、発現したのだ。
 
 
 
 模擬体を操る人間など、誰であろうとイロウルにとっては関係がなかった。
 
 レイでも、シンジでも、アスカでもよかったのだ。
 
 
 
 イロウルの目的。
 
 それは、MAGIを汚染させること。
 
 模擬体の下垂システムから、MAGIの中枢に侵入すること。それが、目的だった。
 
 
 
 MAGIは、幾重にも張り巡らされたセキュリティーの加護の下にいる。
 
 通常の状態では、MAGIに侵入することは不可能だ。
 
 MAGIと直接繋がった端末から、侵入する。それがイロウルの作戦であり、その端末が、模擬体だったのだ。



二百五十三



 NERV内の個室で足を伸ばしながら、加持はイヤホンを耳から外す。
 
 そのまま、天井を見上げる。
 
 
 
 この部屋は、加持の専用個室ではない。
 
 だが、この部屋には、加持の持つ「別の」IDカードでなければ入ることができない。ここは、加持にとっての「隠れ家」の一つだった。
 
 一畳ほどの、狭い部屋。
 
 金属の壁が、四方から鈍い照り返しを加持に注ぐ。
 
 この部屋には、椅子と机しかなかった。それ以上のものは必要がない。加持にとっては、監視カメラや盗聴器が無い、ということのほうがよっぽど重要だった。
 
 
 
 加持が、ゆっくりと、口を開く。
 
 
 
 「……なるほど……
 
 疑似プラグを使えなくしろってのは、レイちゃんやアスカを護るため、か。
 
 ……シンジくんらしいな」
 
 
 
 だが……
 
 加持は、頭の後ろで腕を組む。
 
 背もたれが、ギィ、と錆びた音を出す。
 
 
 
 ……だが。
 
 それはつまり……シンジくんには、使徒が来るのがわかってたって、ことか。
 
 まぁ……今更、驚きゃしないがな。
 
 しかし……どうやって……
 
 
 
 「ま、今のところは、あの侵食が使徒かどうか分からんが……
 
 十中八九、使徒……なんだろうな、これは。
 
 こうなると、リっちゃん任せだなぁ」
 
 
 
 シンジくんに出来る範囲、か。
 
 なるほどね。
 
 
 
 ……だとすると……。
 
 
 
 「さぁて……
 
 リっちゃんには悪いが、使徒の方には技術部に何とかしてもらうとして……
 
 シンジくんには、これからの方が大変そうだなぁ」
 
 
 
 横に置いてあるポータブルテレビには、地底湖の湖面が映し出されている。
 
 その中央に、あと数十秒もすれば、シンジの疑似プラグが飛び出してくるだろう。
 
 しかし、シンジにはそのあと身動きの取りようがない。NERVの回収班が来るまで、待つしかない。
 
 「素っ裸だし……泳げないしな。
 
 しかも……
 
 そのうち、レイちゃんが来ちゃうぞ……」
 
 加持は、楽しそうに笑った。
 
 
 
 音量を落としたスピーカーから、甲高い警報が響く。
 
 だが、加持は動かない。
 
 退避命令?
 
 知ったことか。
 
 どうせ、リっちゃんが殲滅すればよし、失敗すれば人類は滅亡。
 
 どこに逃げる?
 
 それよりも……こっちの方が、面白そうだ。
 
 加持は椅子を回転させると、ドッカリと腰を降ろして画面を見入る。
 
 それは、おもちゃを与えられた子供のように、無邪気だった。