第五十四話 「寄り道」
二百三十九



 チャイムの音が響き、生徒達に放課後を告げる。
 
 授業中はどこか日常とは異なる空気に包まれてしまっていた教室の中は、数時間ぶりに訪れた自由の時間に心地好い解放感に包まれていた。
 
 
 
 いつもの、光景。
 
 だが、今から数時間後に使徒が現れる可能性があることを、シンジは知っていた。
 
 
 
 自分にできることは、限られている。
 
 
 
 トウジとケンスケが、鞄を持って立ちあがる。
 
 二人で言葉を交わした後、トウジがシンジに声をかけた。
 
 
 
 「おぅい、シンジ! ゲーセン、行かへんか?」
 
 トウジの声に、シンジが振り返る。
 
 「え?」
 
 「ゲーセンだよ、ゲーセン。いつもンところ」
 
 ケンスケが繰り返す。
 
 
 
 「ああ……ごめん、今日、訓練なんだ」
 
 「なんだ……そうか」
 
 「しゃぁないな……したらケンスケ、ワシらだけで行くか」
 
 トウジが、ケンスケを見て言う。
 
 
 
 だが、そんな二人の後ろに、いつのまにかアスカが仁王立ちで立っていた。
 
 腕を組んで、半目でじろっとトウジを睨んでいる。
 
 
 
 視線に気付いたトウジが、バツの悪そうな表情でアスカに振り返る。
 
 「な、なんや、惣流……なんぞ言いたいことでもあるんか?」
 
 「……あんたねぇ〜……」
 
 アスカは、はぁあぁぁあぁぁぁあぁあぁぁあぁぁぁああぁぁあぁぁぁぁぁああぁぁあぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁあああぁぁぁぁあぁあぁぁあぁぁぁああぁぁあぁぁあぁぁぁあぁぁ……と溜め息をついた。
 
 「な……な、な、なんじゃぁ、その、ざぁとらしいタメイキはぁ!」
 
 思わず、二・三歩、腰が引けつつ反応するトウジ。
 
 ケンスケは、いつのまにか手に持っていたストップウォッチを眺めつつ、「素晴らしい肺活量だ」などとよくわけのわからないことを呟いている。
 
 
 
 アスカは、腕を組んだまま……目を開けると、ギン、とトウジを睨む。
 
 「いっつもいっつもゲーセンゲーセンゲーセンゲーセンってねぇ……ヒカリがかわいそうだとか、思わないわけ?」
 
 「ちょちょ、ちょっとアスカ……」
 
 なんとなくアスカの後ろに立って話を聞いていたヒカリが、赤い顔をして、俯きがちにアスカの袖を引っ張る。
 
 「……そ、そない言うても」
 
 トウジも、思わず赤くなって、慌てたように視線を泳がせる。
 
 「な、なぁ?」
 
 「僕に振られても困るよ」
 
 苦笑しながら、シンジが応える。
 
 
 
 「たまには、二人で帰るとか、しなさいよ。それくらい、してやってもバチあたんないでしょ?」
 
 「い、いや……そ、そない言うてもな……て、TEKKEN-6がな」
 
 「ゲームと彼女と、どっちが大事なのよッ!!」
 
 「「だ、だれが彼女(やねん)(なのよ)!!」」
 
 真っ赤な顔をして、トウジとヒカリがユニゾンしながら叫ぶ。
 
 
 
 ケンスケは、そんな二人を眺めながら、半目で頬を掻いた。
 
 「……そういうところが、だよ」
 
 あきれたように呟く。
 
 
 
 「と・に・か・く! アンタ、もうちょっとヒカリのこと構ってやんないと、いいかげん逃げられるわよ!」
 
 言いながら、アスカがドン、とトウジの背中を突く。
 
 トウジはバランスを崩し、よたよたと数歩足を踏み、ヒカリの目の前に踊り出てしまった。
 
 「い……い、い、いいんちょ……」
 
 ヒカリを見上げて、トウジの声は思わず頼りなくどもってしまう。
 
 ヒカリも頬を染めて、困ったようにアスカを見た。
 
 「ア、アスカ……」
 
 「ヒカリ、見張ってないとフラフラしっぱなしよ、こいつは」
 
 びし、と指を立てて、真面目な顔でアスカが言う。
 
 
 
 「ほ、ほっといたらええやろ! そない、なんでワシらばっかに構うんやっ」
 
 赤い顔のまま、トウジがふりかぶってアスカを見た。
 
 
 
 アスカは、腕を組んで溜め息をついた。
 
 「見てて、いらいらすんのよ、アンタら……全然、進展しないしさぁ」
 
 
 
 「そ、そないな……」
 
 「前はね、シンジとファーストもそんな感じだったけど。でも最近、あいつら周りを気にしなくなってきたからさぁ」
 
 アスカの言葉に、シンジは思わず頭を掻く。
 
 ……そうだろうか?
 
 確かに、以前よりは、「レイを好きである」ことを隠すようなことはなくなって来ているが。
 
 レイは、きょとんとしている。彼女は昔も今も、変わらず周りの目など気にしていない。アスカの言う意味がよくわからなかったのだろう。
 
 
 
 アスカは、トウジを見て、にっと笑う。
 
 「だから、もう、あんたたちに集中しちゃうわけ」
 
 「し、し、集中せんでもええわッ!!」
 
 真っ赤な顔をしてトウジは叫ぶと、ばっときびすを返した。
 
 机の上に置いてあった鞄を掴む。
 
 
 
 トウジは、もう、ケンスケとゲーセンに行ってしまおうと考えていた。
 
 照れ隠しもあるし、とにかく、恥ずかしくてこの場を離れたかったのだ。
 
 だが。
 
 
 
 トウジは、思わず振り返っていた。
 
 トウジの袖口を掴む、白い指。
 
 その持ち主は、頭から湯気が出ているかと思うほどに真っ赤になって俯いているが、その指はしっかりとトウジの袖口を掴んで、離さない。
 
 
 
 「……あらら」
 
 石のように固まる二人を横目で見ながら、アスカは半目で苦笑してみせる。
 
 シンジにとっても、思いは同じだ。ヒカリの行動が一世一代の勇気であっただろうことは、想像に難くない。
 
 
 
 「トウジ、とられちゃったかぁ……」
 
 ケンスケが、面白そうに言う。
 
 「さて、じゃぁ、俺はどうしようかな……碇は、訓練だよな?」
 
 「うん」
 
 「じゃ、綾波も惣流も一緒か」
 
 ケンスケは、考えるように中空を見上げ、「じゃ、ガンショップにでも寄って帰るかな」と呟き、教室を出ていった。



二百四十



 「じゃ、アタシらも、そろそろ行くわよ」
 
 アスカが鞄を持って立ちあがり、シンジとレイは慌ててその後を追った。
 
 トウジとヒカリは、まださっきの姿勢のまま、固まっていた。
 
 
 
 バスに乗り込み、一番後ろの多人数掛けの座席に並んで座る。
 
 バスは、静かに走り出した。
 
 
 
 風景が、ただ、前から後ろへと流れていく。
 
 座席は、8割ほど埋まっていた。
 
 
 
 シンジは、横に座るアスカを見た。
 
 アスカは、ただ前を見ていた。
 
 シンジは、アスカに声をかけた。
 
 「あのさ、アスカ……」
 
 「? なによ?」
 
 「僕ら、商店街に寄っていこうと思ってるんだけど……」
 
 シンジの言葉に、アスカは顔をしかめた。
 
 「アンタらね……時間考えなさいよ」
 
 「ちょっとだけだよ」
 
 「遅れたら、アタシに代返頼もうってハラ?」
 
 「……代返なんて、きかないだろ」
 
 「そんなもん、わかってるわよ」
 
 シンジは苦笑する。
 
 「アスカも、一緒にこない?」
 
 
 
 アスカは、ぽけっとしてシンジを見た。
 
 
 
 「……は?」
 
 眉根を寄せて、アスカがシンジに聞き返す。
 
 シンジは、何事もなかったかのように話を進める。
 
 「どうせ、僕らが全員そろわなくちゃ、訓練なんてできないんだから……一緒に、買い物に行こうよ」
 
 
 
 そう……。
 
 アスカも、一緒に行かなくては、意味がないのだ。
 
 加持がうまくやってくれたと仮定して、つまり、疑似プラグは一本だけ残る。アスカが時間通りに訓練に現れると、アスカだけ先に訓練を行う可能性がある。
 
 レイがトリガーであった場合はそれでいいとしても、時限式であった場合、それではアスカが危険に晒されてしまう。
 
 
 
 それでは、意味がない。アスカにも訓練に遅れて行ってもらう必要があり、そのためにはシンジたちと一緒に行動するのが、一番効率がいいのだ。
 
 
 
 「アンタ、本気?」
 
 「なにが?」
 
 「なにがって……」
 
 シンジに逆に尋ねられて、アスカは口篭る。
 
 
 
 アスカの言う意味は、「シンジはそんなこと言いそうにない」ということであった。
 
 訓練の前に寄り道して行こうなんて、むしろアスカが言いそうなセリフだ。そして、それを聞いたシンジが、苦笑しながら「やめといたほうがいいよ」と言う、それが、最も違和感のない情景ではないか。
 
 
 
 だが、シンジは、しれっとして応える。
 
 「別に、遅れて行くつもりなんかないよ。まだ、少しだけど、時間にも余裕があるだろ? ちょっと寄り道するくらいなら、大丈夫だよ」
 
 
 
 これは、シンジの計算だ。
 
 アスカやレイが時間を気にしても、シンジが「なんでそんなに気にするの? 全然平気だよ」という態度を一貫して持っていれば、なんとなく「……そんなに気にするほどのことでもないか」という気になるだろう、と考えたのだ。
 
 
 
 案の定、アスカは気持ちがぐらついていた。
 
 もともとアスカは、エヴァの操縦や訓練には執着を示すものの、同時に、「規則を守ること」などには特に意義を感じないタイプだ。
 
 自分がやりたいことをやるのが彼女の好みであり、それが規則と一致すればそれを守るが、相反する場合は、自分を曲げてまで規則を守る気はない。
 
 
 
 アスカが迷っているところで、バスが繁華街についた。
 
 ドアが開き、どっと乗客が降車する。
 
 「ほら、アスカ」
 
 「えっ? あっ」
 
 シンジとレイは併せて立ちあがり、シンジはアスカの手を引いた。
 
 虚を突かれたように、アスカは思わず、シンジたちと一緒にバスを降りてしまった。



二百四十一



 走り去るバスの背中を眺めてから、アスカは諦めたように溜め息をついた。
 
 「……で……どうすんのよ?」
 
 「? どうすんのって、なにが?」
 
 「こ・れ・か・ら!! どうすんのって、言ってんの!!」
 
 アスカが、頭から湯気を上げて怒鳴る。
 
 
 
 「これから?」
 
 「ヒトのこと、強引につきあわせてんだから……なんか、予定があるんじゃないの!?」
 
 
 
 ……あ。
 
 
 
 シンジは、固まってしまった。
 
 寄り道することに必死で、何をするかは特に考えていない。
 
 
 
 呆然とするシンジを見て、こめかみを引きつらせるアスカ。
 
 「シンジィ……アンタ……何も考えてない、なんてこた……」
 
 低い声でそう呟きながら、詰め寄ろうとするアスカの前に、突然、紅い瞳が飛び込んだ。
 
 「わぁっ!」
 
 思わずのけぞるアスカ。
 
 
 
 レイだ。
 
 
 
 レイが、アスカとシンジの間に、割って入ったのである。
 
 きっ、とアスカを睨みながら、口を開く。
 
 「碇君のこと……悪く、言わないで」
 
 「アンタね……」
 
 アスカが、ひくひくしたまま、目をつぶって応える。
 
 
 
 「じゃ、アンタに聞くわよ!」
 
 びし! と、レイの鼻先に指をつきつけながら、ギンと睨んで言う。
 
 「アンタは、なんかプランはないわけ!?」
 
 「……プラン?」
 
 「なんか、行きたいこととか、したいこととか、ないのかって言ってんのよ!」
 
 「……碇君と、一緒にいること……」
 
 「そういうコト言ってんじゃなァい!! 今! ここで! 何かしたいことないのかって言ってんのよッ!」
 
 「……碇君と、一緒にいること……」
 
 「い〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっつも、一緒でしょうが、アンタらはッ!!」
 
 「……寝るときとか……お風呂とか……一緒じゃないわ」
 
 「一緒に居りゃいいでしょ! 誰も止やしないわよッ」
 
 「碇君……一緒に居ても、いいの?」
 
 「ダ、ダ、ダメダメダメダメッ」
 
 「ハァ……シンジ、アンタもいいかげん、観念したらァ?」
 
 「な、な、なにをだよッ!」
 
 「ミサトの目が気になるんなら、ファーストの家にいきゃぁいいのよ」
 
 「べ、べつにそんな理由じゃなくて……」
 
 「碇君……うちなら、いいの?」
 
 「だ、だ、だめだよ、綾波……い、言ったでしょ、裸を見せちゃいけないんだよ」
 
 「……じゃぁ……夜、一緒に寝るのは、いい……?」
 
 「え、あ、ぐ、だ、だだだめだよっ」
 
 「なぜ……? パジャマを着ているわ……裸じゃ、ない」
 
 「い、いや……その……なんちゅうか……」
 
 「そんなの、シンジがキレなきゃいいのよ。そんなら、一緒に寝ても問題ないでしょ、シンジ?」
 
 「……きれなきゃ?」
 
 「い、いや、そんなこと言っても……」
 
 「自信ないワケ?」
 
 「い、いや、そんなことは……」
 
 「ファーストは、そっから先のことなんてわかんないんだからさ、シンジが平気なら、なんも起こらないでしょ」
 
 「そ……そ、そう、かも、知れないけど……でも」
 
 「抱きあうくらい、いっつもやってることと変わんないじゃない、アンタら」
 
 「いっ」
 
 「碇君……」
 
 「あ……あぅあう」
 
 
 
 一つ隣の辻に、黒ずくめの男がじっと潜んでいる。
 
 チルドレン専属のSPである。
 
 
 
 一見、能面のように無表情なその男は、しかし……わずかに肩を震わせ、サングラスの裏側で目を潤ませていた。
 
 
 
 (ぷっ……く……く・くくくく……ぷ・ぷ・ぷ……)



二百四十二


 
 結局、一行は済し崩し的に、洋服を見ることになった。
 
 というか、アイデアが出てこないので、業を煮やしたアスカの意見が通った形である。
 
 「ま、ど〜せ30分くらいしか、時間ないんだけどさ」
 
 言いながら、アスカは先頭を切って、手近なブティックに足を踏みいれる。
 
 
 
 当然のことであるが……その店は女性の専門店で、男物はほとんどない。
 
 ある物といえば、奥の一画にまとめられた、フォーマルスーツの一群くらいだろう。
 
 
 
 シンジは、店内を見渡して、所在なさげに頭を掻いた。
 
 並んでいる洋服を見ても、どうにもならない。まさか自分で買うわけにも行かないし、レイに買ってあげるとしてもどれがいいのかよくわからない。
 
 
 
 「シンジシンジ、これどうよ?」
 
 アスカは、目まぐるしく洋服を選び出して、自分の体に当ててシンジの意見を求める。
 
 「ああ、うん……いいんじゃない」
 
 曖昧にシンジは応える。
 
 何しろ、素材は十二分すぎるほどに、いいのだ。
 
 何を着たって似合うだろう、というのがシンジの見解……と言うより、よくわからない、というのが本音のところだ。
 
 
 
 レイは、何をするでもなく、ただシンジに寄り添って立っている。
 
 ぎゅっと、シンジの手を握り、それで満足しているようだ。
 
 大体、服の好みが分からないことにかけては、レイはシンジよりはるかに上手だ。今、レイが持っている洋服も、自分で選んだものは一つもない。
 
 
 
 時間をもてあますシンジ。
 
 
 
 ただ、このまま漫然としていると、時間になればNERVに向かわざるを得なくなってしまう。
 
 特に何もしていないのだから、それを避ける口実が、ない。
 
 シンジは、とにかく何がしかの行動を起こそうと、周囲を見渡した。
 
 
 
 店内の一番奥に、天井から「Accessories」という看板が下がっているのが、見える。
 
 
 
 「シンジ、こっちとこの赤いやつ、どっちがいいと思う?」
 
 背後から、アスカが声をかける。
 
 シンジは、その声に振り返った。
 
 「え? ああ……赤いやつ……の、ほうが、いいかな……。
 
 ……ねぇ、アスカ。ちょっと、あそこのアクセサリーを見てるよ」
 
 「あ、そう? じゃ、アタシは試着してるから」
 
 アスカは、横に積んであった洋服の山を抱えて応えた。



二百四十三



 加持は、プリブノーボックスを見下ろす廊下から、窓越しに中を見つめていた。
 
 
 
 今は、まだ、ボックスの中には疑似プラグも模擬体も入っていない。
 
 それぞれ格納庫に入っており、実験の直前に、初めてボックス内に搬入される。
 
 その理由は、模擬体や疑似プラグを使用した実験が、このプリブノーボックスでばかり行われるわけではないから……ということと、整備は専用施設で行ったほうが効率が良いからだ。
 
 
 
 今は、半分ほどの水位に達する、冷却液の湖があるだけだ。
 
 
 
 加持は、口にくわえた煙草を、そのまま軽く回した。
 
 火は、ついていない。
 
 
 
 「……さて」
 
 あごひげを指先でつまみながら、誰に言うともなく、呟いた。
 
 「……どうしたもんかな」
 
 
 
 とりあえず、疑似プラグを使用不可能にするためには、プログラム的に、もしくは、物理的に妨害をしかけるしかないだろう。
 
 
 
 ……プラグラムの方は、だめだ、と、加持は静かに思う。
 
 妨害を仕掛けること自体は可能かもしれない。
 
 だが、リツコの実力は、誰に聞かなくとも分かっている。
 
 自分の仕掛ける工作など、リツコにかかればたいした手間もかけずにリペアしてしまうことは、想像に難くない。
 
 
 
 「……とにかく、何もしないってワケには、いかないからなぁ」
 
 加持は、一度視線を泳がせてから、窓の側を離れた。
 
 現在、疑似プラグは第8整備棟に格納されていることは分かっている。
 
 「今の時間なら、整備中だな……正攻法でいってみるか?」
 
 腕時計に目をやって、タバコをくわえたまま、微かに笑う。
 
 (何て言うか……久々に、楽しいな、こりゃぁ……)
 
 上衣のポケットに両手を突っ込むと、加持は靴音を響かせて、第8整備棟に足を向けた。
 
 
 
 第8整備棟。
 
 エヴァの整備や、ポジトロンライフルの整備を行う棟に比べると、格段に規模の小さな整備棟である。
 
 ここでは、主に疑似プラグなどの実験で使われるものや、エヴァの各所で使用されている小型の部品の単体整備に使用されていた。
 
 
 
 加持は、整備棟の入口まで足を運ぶと、スリットにIDカードを通す。
 
 カチャン。
 
 音がして、自動ドアが左右に開いた。
 
 
 
 ものすごい轟音が、加持の耳朶を叩いた。
 
 もともと、整備棟とはどこでもこんな状態であり、慣れた整備士ならともかく、普通の人間ではちょっと顔をしかめる騒音だ。
 
 加持もご多分に漏れず、片手で耳を押さえて「おぅ」と呟いたが、その表情は穏やかである。
 
 
 
 近くで肩から下げた機械のつまみを調整していた男が、油に汚れた顔を上げた。
 
 加持は、片手を上げてみせる。
 
 
 
 男は、機械を床に降ろすと、加持のところに駆け寄ってきた。
 
 「やぁどうも、ご苦労さん」
 
 加持が、人を喰った笑顔で頭を下げる。
 
 男は、思わず戸惑ったような表情を見せたが、そのまま口を開いた。
 
 「え……えぇと、すいません、どちらの部署の、どちらさまでしょうか? こちらには、どういったご用件で?」
 
 「特殊監査部所属、加持リョウジ」
 
 「階級は?」
 
 「そんなもん、ないさ」
 
 「は?」
 
 「わかるだろ?」
 
 加持は、ウィンクしてみせた。
 
 「は……はぁ、そうですか……わかりました」
 
 男も、曖昧に笑って頭を掻く。
 
 
 
 実際には、男には、何のことだか全く分からない。
 
 だが、加持にああ言われては、それ以上追及することなどできなかった。
 
 もともと彼は整備士であり、そういった方面には長けていないのだ。
 
 
 
 「ここに来た要件は……ま……視察、てとこかな」
 
 「しさつ……ですか」
 
 「そ。……いいか? 誰かに聞かれたら、そう応えたらいい。いいね」
 
 「は? ……は、はい。わかりました」
 
 男は、一瞬のタイムラグのあと、急に背筋を伸ばして、そう応えた。
 
 加持は微笑むと、軽く男の肩をたたいて、騒音の中に足を踏み入れていった。
 
 
 
 加持の言う、「正攻法」。
 
 それはつまり、これだけのことだった。
 
 
 
 もともと勝算あってのことだったが、最初に階級を誤魔化したのは、「カマをかけた」のである。
 
 実際には、加持の階級は一尉だ。
 
 隠す必要も、全く無い。
 
 だが、意味あり気に言葉を濁したところ、男は「わかったようなフリ」をした。
 
 
 
 本当は、裏など無いのだから、「わかる」はずがない。それなのに、わかったフリをするということは……つまり、彼は「自分がわからない」ことを表に出すのを避けたのだ。
 
 そういう人間であることを、確認するための「カマ」だった。
 
 
 
 あとは、簡単だった。
 
 これで、彼はもう喋るまい。
 
 まして、彼の中では、もっと複雑な事として、勝手に物事が組み立てられているに違いなかった。
 
 この状態では、彼は何も言えないだろう。
 
 
 
 入室の際に使ったIDカードは、加持のものではない。
 
 これで、もう大丈夫だ。
 
 
 
 組み上げられたやぐらの間を、加持は平静を装って歩いて行く。
 
 幾人もの整備士とすれ違ったが、誰も気には止めなかった。
 
 そういうものだ。
 
 下手に姿を隠そうとすると、見つかったときに言い訳できない。
 
 堂々としていればいいのである。
 
 ……だが、その「堂々と振る舞う」こと自体、経験が物をいうのだ。そこらの人間には、こうも鈍重には振る舞えないだろう。
 
 
 
 やがて、加持は疑似プラグの前までやってきた。
 
 
 
 目の前の床に、並べて横にして固定されている、疑似プラグ。
 
 ハッチが開いており、横に立って中を覗き込むと、インテリアの両脇のカバーが開いていて、中から部品が広げられていた。
 
 隣にあるハッチを覗き込んでも、同じ状態だ。
 
 
 
 「……いかんなぁ、こんなんじゃ工作のし放題だぞ」
 
 加持が、眉をしかめて腰を伸ばした。
 
 
 
 「……いいんですよ……そのために、我々がいるんです」
 
 
 
 一瞬にして、加持は身を回転させて後ろに向き直った。
 
 ポケットに入った手は、銃把を握り締めている。
 
 
 
 緊張した空気は、しかし、一瞬のタイムラグをおいて……ゆるやかに、解きほぐされた。
 
 
 
 「おまえか……熊谷」
 
 加持は、肩を竦めて呟いた。
 
 
 
 熊谷、と呼ばれた男は、スーツをピシッと着こなして、その上に白衣を羽織っていた。
 
 身長は、加持よりも若干低い。だが、もともと加持が長身気味であり、決して低くはないだろう。
 
 短く刈り込んだ髪の毛は、そのスーツ姿とどこか違和感を覚えさせる……有り体に言ってしまえば、「軍人」然とした風貌。
 
 彫りの浅い顔つきに、鋭い眼光が細めの瞳から放たれる。
 
 
 
 本名、熊谷ユウ。特務機関NERV特殊監査部所属、階級二尉。
 
 加持の、部下である。
 
 
 
 「加持さん……私に後ろをとられるなんて、珍しいですね」
 
 「ああ……そうか? まぁ、この騒音だからな」
 
 加持が、屈託ない表情で笑う。
 
 熊谷も笑うが、その瞳は決して、笑わない。
 
 ある意味、それがプロのしるしでもある。
 
 
 
 「加持さん……何をなさってるんです?」
 
 「ん……まぁ、ちょっとな」
 
 「あんまり下手なことはしないでください。加持さんを撃ちたくはない」
 
 「俺も、撃たれたかぁないさ」
 
 「でしたら、お戻り下さい」
 
 「そうか? 何も、しちゃぁいないぞ」
 
 「わかっています。見ていましたから……。ですから、何かなさる前に、お戻り下さい」
 
 「信用無いなぁ……当たり前か。わかった、戻るよ」
 
 「申し訳ありません」
 
 
 
 加持と熊谷は、並んで整備棟の出口まで行き、そのまま加持は外に追いだされた。
 
 加持の背後で、扉が閉まる。
 
 
 
 加持は、何も言わずに廊下を歩くと、エレベーターに乗り込んだ。
 
 加持を乗せた箱が、ゆっくりと上昇を開始する。
 
 
 
 回転する数字を見つめる加持。
 
 何をするともなくそうしていた加持は、やがて、かすかに口許をゆがめた。
 
 
 
 ……甘いなぁ……熊谷。
 
 
 
 疑似エントリープラグの中で、小さなカプセルが、ポン……とかすかに煙を吐いた。
 
 それで、十分だった。



二百四十四



 アクセサリーの棚にやって来たシンジは、振り返ってレイに声をかけた。
 
 「綾波……どれか、欲しいものはない?」
 
 「……欲しいもの?」
 
 シンジにそう言われて、レイは棚に並ぶアクセサリーに視線をやる。
 
 
 
 そこに並んでいるのは、小さな金属の飾り物だった。
 
 ピアスやイヤリング、ネックレス、指輪、ブレスレットやアンクレット、バックル、キーホルダー。
 
 だが、値札はどれも、高くても2000円といったところで、大したものはなさそうだった。
 
 
 
 レイは、ひとしきり視線を泳がせてから、横に立つシンジの方を見た。
 
 「よく……わからないわ」
 
 「そう……うん、わかった。じゃあ、僕が選んで、何かプレゼントするよ」
 
 「……プレゼント? ……私に?」
 
 「うん、そうだよ」
 
 
 
 レイは、じっとシンジのことを見つめた。
 
 
 
 そして、しばし固まったあと……
 
 
 
 ばふっ、と、シンジの体にその身を投げた。
 
 
 
 「あ、え? あ、綾波?」
 
 突然抱きしめられて、シンジは驚いていた。
 
 こう言っては語弊があるが、シンジがプレゼントしようと言いだしたのは、まぁ、軽い気持ちからだ。
 
 レイは、アクセサリーを身につけていることが殆ど無い。
 
 おめかししているときなどに身につけていることをたまに見かけるが、それはミサトの持ち物だろう。
 
 だから、アクセサリーの一つか二つ、持っていてもいい、と思ったのだ。
 
 
 
 だが、レイにとっては、意味がまるで違った。
 
 シンジからのプレゼント。
 
 シンジからのプレゼント。
 
 シンジからのプレゼント……。
 
 
 
 これが、喜ばずにいられようか。
 
 
 
 「……ありがとう……」
 
 「え、あ? う、うん、まぁ……大した値段でもないし、あはは」
 
 つい、いらんことを言ってしまうシンジである。
 
 
 
 試着室のカーテンの隙間から、丁度その光景が見えているアスカは、
 
 「……まったやってる、あの万年いちゃつきカップルは……」
 
 と、呆れて溜め息をついていた。
 
 
 
 レイがようやくとシンジの体から離れたので、シンジは赤くなりながら棚の方を指さした。
 
 「あ、あのさ、綾波……欲しいものはないって言っても、一応、どれか嫌なやつとか好きなやつとか、ある?」
 
 「………」
 
 シンジに言われて、もう一度、レイはじっと目を凝らす。
 
 
 
 「これは……何?」
 
 「え? ああ、それはピアスだよ。……綾波は、ピアス穴開けてないから、無理だね」
 
 「……ピアス穴?」
 
 「必要ないよ、綾波」
 
 「そう……じゃぁ、いい」
 
 「ネックレスとか、いいかもね……どうかな」
 
 シンジの言葉に、レイは、雑然と並んでぶら下げてあるネックレスに、視線を向ける。
 
 しばし、そうしたあと……
 
 「これ……」
 
 レイは、一つのネックレスを手に取った。
 
 
 
 それは、青いガラス玉を涙滴型に成形し、細い金属のチェーンにぶら下げたものだった。
 
 以前、ミサトにレイのおめかしを手伝ってもらったときに、やはり青いガラス玉のネックレスをつけていたことがある。
 
 あれに似ているが、あの時のガラス玉は宝石のような感じに切り込まれていたのに対し、今回のこれは、もっとフラットな感じだ。
 
 陽に透かすと、中に細かい泡が幾つか入っていて、それが屈折を変えて美しい。狙ったものではなく、製造過程で偶然入ったものかもしれないが、それはどちらでもよかった。
 
 
 
 「……これ、気に入ったの?」
 
 シンジは、聞いてみた。
 
 レイが、自分から選んだ。それが、嬉しかった。
 
 だが、レイは、かすかに首を振った。
 
 「……よく、わからないわ」
 
 「綾波……?」
 
 「……ごめんなさい……どれがいいのか……わからない。
 
 でも……前に……碇君が、私のパジャマを選んでくれたときに、青が……私の色だって、言ってくれた。
 
 だから……」
 
 
 
 そうか……と、シンジは、思う。
 
 自分の言葉には、気をつけなければいけない。レイの好みを、自分が決めてしまいかねないのだから。
 
 だが、今選ばれたこのネックレスは、確かに、レイに良く似合いそうだった。
 
 
 
 「うん……似合うよ」
 
 シンジが、静かに言った。
 
 「そう……?
 
 私に……似合う?」
 
 「似合うよ」
 
 「………ありがとう」
 
 レイは、微かに頬を染めて、シンジの肩に頭を乗せた。
 
 「ホラ……それにさ、見てよ。光に透かすと、綺麗でしょ?」
 
 シンジは、手に持ったネックレスを掲げると、天井から下がるライトにかざしてみせた。
 
 
 
 かすかにゆらめく光が、ガラス玉の中で踊っていた。
 
 それは、まるで、水の中だ。
 
 揺らめく、光。
 
 煌めく、光。
 
 シンジは、そのガラス玉を指でつまむと、今度はレイの瞳のすぐ前まで持ってきた。
 
 そのまま、つまんだ二本の指で、軽く回す。
 
 それは、レイの意識を、まるで海の中にまでダイブさせたようだった。
 
 荘厳な、輝き。
 
 ガラス玉?
 
 それが、なんだというのだろうか。
 
 揺らめく波間から、光の渦が軽やかに舞い、渦を描く。
 
 聖なる妖精たちの、たおやかなダンス。
 
 それは、大きく、小さく、うねるように。
 
 ガラス玉?
 
 それが、なんだというのだろうか。
 
 白熱灯?
 
 関係ない。
 
 それは、今この瞬間にかなえられる、最高の、贅沢だった。
 
 
 
 いつの間にか、レイは、自分でガラス玉をつまんでいた。
 
 それを、くるり……くるり……とまわしていく。
 
 
 
 青い光が、降り注ぐ。
 
 それは、レイの心に染み込むような、幻想的な光。
 
 
 
 「……気に入った?」
 
 シンジが、優しく声をかけた。
 
 レイは、視線をガラス玉から離して、シンジを見て……それから、手の平に転がるガラス玉を、もう一度見た。
 
 こくり、と、頷く。
 
 
 
 「よかった……じゃぁ、それをプレゼントするよ」
 
 「……いいの?」
 
 「いいよ、それで綾波が喜んでくれるなら……」
 
 シンジはそう言うと、レイの手から、それを拾い上げた。
 
 「じゃあ、ちょっと買ってくるから、待ってて」
 
 そう言って、シンジはレジの方に歩き去った。



二百四十五



 シンジがレイのネックレスを買って、ラッピングされた包みをレイに手渡す。
 
 レイは、大事そうにそれを鞄の中にしまい込んだ。
 
 
 
 アスカの呼ぶ声に、シンジとレイは試着室の方まで行くと、アスカがニコニコしながら待ち構えていた。
 
 「さ! ご意見を聞かせていただくから、よろしく頼むわよ!」
 
 
 
 その後、アスカの試着する枚数と言ったら、筆舌に尽くしがたい。
 
 とにかく、膨大な枚数の洋服を着替えて、その度にシンジの意見を聞く(正確にはレイにも聞いているのだが、レイにはさっぱりわからないので、結果的にシンジの意見のみを聞いている感じになっている)。
 
 なんだか流れ作業のようになり、手を抜くつもりはないのだが、シンジとしても、どれがいいのか悪いのか訳がわからなくなってきたりしていた。
 
 
 
 突然、携帯電話が鳴った。
 
 それも、三人同時に。
 
 
 
 「あっ……もう、そんな時間?」
 
 アスカが、顔をしかめて呟く。
 
 一番、寄り道を嫌がっていた人間の弁とは思えない。
 
 シンジは、携帯電話の液晶を確認した。
 
 『訓練時間』
 
 とだけ、表示されている。この淡泊な書き方は、おそらくリツコだろう。
 
 
 
 シンジは、頭を回転させた。
 
 これからNERVに行っても、15分くらいかかる。つまり、15分の遅刻だ。
 
 だが、実際には、例え時限式でも、まだ発現はしていないだろう。
 
 
 
 NERVに着いた時点で、時限式かそうでないのかの区別がつく……それくらいは、遅れて行きたい。
 
 つまり、あと20分くらいは、ここにいる必要があるということだ。
 
 
 
 シンジは、アスカに振り返った。
 
 アスカは、少し残念そうな顔で洋服をまとめている。
 
 「まったく……だいたい、何がちょっと、よ。結局、遅刻してんじゃないの」
 
 ぶつぶつ言うアスカ。
 
 とは言え、あまり大きくは言えないのは、遅れた理由の一つがアスカの「大試着会」であり、アスカ自身も時間のことを完全に忘れていたためである。
 
 
 
 「あのさ、アスカ。まだ、試着したい服、あるんでしょ?」
 
 「え? ああ、あるけど……」
 
 「じゃあさ、もう、いま着ちゃえば? もう遅刻してんだし、それくらいの時間差は変わらないんじゃないの」
 
 「ええ?」
 
 アスカが、大袈裟に眉を上げてシンジを見る。
 
 シンジは、しれっとした表情で微笑んだ。
 
 
 
 ………
 
 
 
 ………
 
 
 
 ………
 
 
 
 アスカが、溜め息をついた。
 
 「……ったく……しゃぁないわねぇ〜……」
 
 だが、その表情は、言葉と裏腹に微笑んでいた。恐らく、試着を全て終えずに行くのが、やはり後ろ髪を引かれる思いだったのに違いなかった。



二百四十六



 結局、それから20分ほどして、三人は店を出た。
 
 アスカは、あれだけ試着していながら、結局2着の服だけを選んで自宅に配送してもらっていた。こう見えて、財布の紐は固い。
 
 レイは、バスにゆられながら、じっとあのネックレスのことを思い、頬を染めていた。
 
 シンジは、ただ前を見つめていた。
 
 到着したときに、イロウルが発現していれば、時限式。
 
 そうでなければ、レイがトリガー。
 
 どちらだろう? それはわからない。
 
 
 
 ……とにかく、この二人を危険から遠ざけることだ、とシンジは思う。
 
 それに、自分自身も、計画どおりなら、危険には晒されないはずだ。
 
 
 
 バスは、NERVに向かって走り続けていた。