第四十六話 「一緒」
百九十五



 女子更衣室で、裸で対峙していた二人の美少女。
 
 その、粘りついたような、それでいてコンクリートに固められたような……あるいは、強固な鎖に縛られ、なおかつ真綿に包まれたような不可解な空間は……しかし、一人の美女の乱入によって破られた。
 
 
 
 バァァンッッ!!
 
 
 
 「ナニやってんのよ、アンタたち!」
 
 
 
 ミサトだ。
 
 
 
 その表情は、苦虫を噛潰したような……と言うよりはむしろ、もっとストレートに「怒り心頭」という様子である。
 
 両腕で思い切り扉を叩き開けて更衣室に入ってきたミサトは、そのままヅカヅカと、大股で二人の前まで歩み寄った。
 
 
 
 突然の闖入者に、驚いたような表情でミサトを振り返るレイとアスカ。
 
 ミサトは、二人の前に立つと、すぅっ……と息を吸って……
 
 「……こォの……バカチン!!」
 
 ……思い切り、怒鳴りつけた。
 
 
 
 アスカは、不満そうな、それでいてバツの悪そうな表情で、上目づかいにミサトを見る。
 
 レイは、
 
 「……ばかちん?」
 
 ……よくわかっていなかった。
 
 
 
 「あんたたち……何分経ったと思ってるの!」
 
 ミサトが、二人を睨む。
 
 「15分後に、着替えて集合って言ったわよね……今、何分経ったの? 25分て、何分オーバー? しかも、様子を見に来りゃ、まだ着替えてもいないなんて……」
 
 ミサトの言うことは、正しい。
 
 しかも、訓練や単なるブリーフィングだと言うのであればまだしも……これから、人類の存亡を賭けた闘いに赴こうという時だ。
 
 遅刻、という具体的な問題に限らず……甘えた行動は許されない事態だろう。
 
 ……二人とも、言葉を返すことができない。
 
 「遊びでやってんじゃないのよ! 二人とも、着替えて2分で集合! いいわね!」
 
 ミサトは、言うが早いが、きびすを返した。
 
 
 
 バン!
 
 
 
 大きな音を立てて、再び扉が閉まる。
 
 
 
 一瞬の沈黙のあと……
 
 二人は、バッと自分のロッカーに駆け寄ると、物凄いスピードでプラグスーツを身に着けていった。
 
 
 
 椅子に座って、プラグスーツの靴部分を、左右とも履く。
 
 スーツを膝までたくしあげて、椅子から立ちあがって腰まであげる。
 
 背中部分を体に引き寄せて、バックパックの前部装着アタッチを接続。
 
 両袖に腕を通す。
 
 首部のゴム製の部分を伸ばして、頭を通す。
 
 バックパックの位置を調節。
 
 背中部と胸部の繋ぎ目を重ねて指でなぞり、熱圧着を行う。
 
 手首のボタンを押してスーツを体にフィット。
 
 インターフェイス・ヘッドセットを装着する。
 
 
 
 「いくわ」
 
 先に着替えたアスカが、振り向かずに声を出し、走り出す。
 
 ワンテンポ遅れたレイも、そのすぐ後を追って走り出した。
 
 
 
 「なに、考えているのかしらね」
 
 発令所で、ミサトが溜め息をつく。
 
 「………」
 
 リツコは、何も言わなかった。
 
 
 
 リツコが考えているのは、レイとアスカが遅れたことについてではない。
 
 今回の作戦……
 
 使徒を受け止める、という作戦内容について、ゆっくりと思考を巡らせていた。
 
 
 
 ミサトの立てた、今回の作戦。
 
 この作戦に、リツコは、当初、否定的だった。
 
 あまりにも、危険な賭け。
 
 成功する確立も、限りなく、ゼロに等しい。
 
 
 
 だが、リツコは、あえてこの発案者たる友人の女性に何も言わなかった。
 
 ……最初は、ミサトに抗議するつもりだった。
 
 ミサトにとって、使徒は父の仇であり、使徒を倒すことが復讐に繋がる……という、私怨めいたものがあることは、リツコにはわかっている。
 
 そのために、たとえ危険な作戦であっても、使徒を殲滅できるならばそれをとってしまう、ミサトの心。
 
 だが、個人の恨みと人類の未来を、天秤に掛けるような真似を見過ごすことは出来ない、と思った。
 
 
 
 ……だが、ミサトの、「シンジの意見を聞く」という言葉に、リツコは動かされたのだ。
 
 あの少年が、この使徒に対してどのような作戦を立てるのか?
 
 それは、現在の危険な状況を忘れさせるほど、興味のある事象だった。
 
 
 
 あの少年は、どんな作戦を立てるだろう?
 
 聡明といえども、わずか14歳の中学生に過ぎない。他愛もない、取るに足らない作戦を立ててくるかもしれない。
 
 あるいは、ミサトの作戦など霞んでしまうような、素晴らしい作戦を立ててくるかもしれない。
 
 その、どちらになったとしても、興味は尽きない。
 
 
 
 だが、シンジの立ててきた作戦は、そのどちらでも、なかった。
 
 
 
 ミサトの立てた作戦と、全く同じ。
 
 
 
 もともと、ミサトの作戦に否定的といっても……それに代わる案が、何かリツコにあるというわけではなかった。
 
 認めたくはなかったが、現時点で、ミサトの作戦が唯一無二の手段だったのだ。
 
 その時、シンジが、この作戦を支持した。
 
 それは、作戦に対する懐疑的な印象を、一気にプラスの方向へ傾けていた。
 
 
 
 やってみてもいいかも知れない。
 
 リツコは、そう思い始めていた。
 
 もともと、ここを放棄していくことなど、何があっても出来はしないのだ。
 
 どんな方法にせよ、使徒に立ち向かわざるを得ないのである。
 
 
 
 「フ……」
 
 リツコが、目を瞑って……かすかに、笑う。
 
 不機嫌な表情で入口の方を見ていたミサトが、眉をひそめてリツコを見た。
 
 「……あによ、リツコ。なんか面白い?」
 
 「……いいえ、ごめんなさい。何でもないわ」
 
 ミサトは、怪訝な表情を見せたが……何も言わず、再び視線を戻す。
 
 
 
 リツコを見ていたシンジと、リツコの視線が合う。
 
 「?」
 
 シンジは、咄嗟に視線を外すこともなく、ただ、ぼーっとリツコを見ていた。
 
 リツコは、シンジの瞳をじっと見つめて……
 
 「………」
 
 もう一度、かすかに微笑んで……目を伏せた。
 
 
 
 「?????」
 
 何だかよくわからないシンジ。
 
 
 
 リツコの笑いは、自分自身に対してのものだった。
 
 なんだろう?
 
 碇シンジという少年は、今も昔も、変わらずに興味の対象であると同時に、疑惑の対象だ。
 
 彼の全てが、疑わしい。
 
 今回の作戦について明確に説明してみせたことについても、「スパイでは」という疑惑がよぎったのは確かだ。
 
 
 
 ……にも、関わらず。
 
 ……どこか、シンジを信用している自分がいる。
 
 信頼、ではない。
 
 信用……それは、言葉にして言うならば、「シンジが想像を越えた存在である」ことに対する信用、であろうか?
 
 
 
 スパイ。
 
 そんな、他愛もない回答を、信じることのない自分がいる。
 
 シンジが、敵か、味方か。そんな問題とは別に。
 
 シンジは、自分の予想を裏切ってくれる。
 
 いつでも、何か、周りの浅はかな思惑など蹴散らすように、全てを越えた存在として……そこにいる。
 
 
 
 そんな、信用。
 
 
 
 そんなことを思う自分を、笑ったのだ。
 
 
 
 発令所に、アスカとレイが現れた。
 
 
 
 レイは、アスカの横をすりぬけるように駆けると、シンジの右横に立つ。
 
 「遅くなって……ごめんなさい」
 
 レイは、小さな声で、呟くように言う。
 
 「いや、いいよ」
 
 シンジも、短く答えた。
 
 なぜ遅くなったのか、気にならないわけではなかったが……レイが言い出さないのであれば、無理に聞くことでもなかった。
 
 
 
 アスカも、少し間を開けるようにして、シンジの左側に立つ。
 
 アスカは、何も言わない。
 
 その表情からは、何も読み取ることは出来ない。
 
 
 
 ミサトは、三人が並ぶのを横目で確認してから、前置きなしで、いきなり本題に移った。
 
 モニタを指さす。
 
 「MAGIが予測した、使徒の落下範囲は、この程度」
 
 ミサトの言葉と同時に、モニタには第三新東京市の詳細な地図と、その全体を覆うような大きな円が現れる。
 
 「……広いですね」
 
 シンジが、言う。
 
 知っている事実ではある。
 
 だが、こうして改めてその広さを突きつけられると、成功までの道程の困難さを、シンジはいやでも感じてしまう。
 
 ミサトは、そんなシンジを一瞥すると、静かに言葉を補足する。
 
 「……実際には、もっと広いの。ただ、あんまり広範囲はどうせサポートできないし、落下してもNERVが巻き込まれないものについては、このさい無視しました」
 
 シンジは、黙って話を聞いていた。
 
 そうなるだろうと思っていた。
 
 この場合は、しかたあるまい。
 
 全てを守るにこしたことはないが……最悪、使徒とドグマの接触だけは避けなければいけない。
 
 
 
 ミサトは、三人の方に向き直った。
 
 「……使徒は、あなたたちに受けとめてもらいます」
 
 「……え」
 
 俯くようにして聞いていたアスカが、初めて声をあげた。
 
 アスカの驚きは、当然だ。半径数キロにも及ぶ範囲が灰燼と帰すような破壊力を、「受けとめろ」と言っているのだ。
 
 一見しても、たやすく成功しそうな作戦とは思えない。
 
 ミサトは、そんなアスカの心が分かっていたが……あえて、冷静に言葉を続けた。
 
 「大丈夫……ATフィールドを展開すれば、受けられます。……ただし、数秒間だけ」
 
 「……数秒」
 
 「いい? 今回の作戦は、スピードが命よ。三体のエヴァのうち、どれが遅れても間に合わない。持ちうる限りの、最高速でお願いね」
 
 
 
 「……こりゃぁ、夕食、ミサトのオゴリね」
 
 アスカが、溜め息をつきながら呟いた。
 
 「……いいわ、いくらでも奢ってあげるわよ」
 
 ミサトが、静かに微笑んだ。
 
 「ステーキでもなんでも、あなたたちの好きなものを……」
 
 「言っとくけど、忘れちゃダメよ、ミサト」
 
 「?」
 
 「御馳走、っていう位置づけなのよ。最低でも、日頃食べなれてる、シンジの料理よりはマシなところにしなさいよ」
 
 「……う」
 
 ミサトの頬の肉が、ピクッとひきつる。
 
 つまり、それは、イコール高級料理店であることをあらわしていた。
 
 
 
 シンジは、ミサトに軽口を飛ばしているアスカを、横でじっと見ていた。
 
 様子が、変だ……。
 
 
 
 無理して、笑っているように、見える。



百九十六



 三体のエヴァが、ビルの間に佇んでいる。
 
 それぞれ、他のエヴァを視認できる距離ではない。第三新東京市全体をカバーできるように、三体が散っているためだ。
 
 
 
 ……どこに、サハクィエルが落下してくるかは、わからない。
 
 さきほど、サハクィエル本体がゆるやかに高度を下げ始めたという報告があった。
 
 刻、一刻と、それは近づいてきている。
 
 
 
 ……できれば、自分のところに落ちて欲しい。
 
 シンジは、そう思う。
 
 それは、「自分が犠牲に」といった類いの、下らない自己陶酔とは違う。
 
 客観的に考えて、初号機が最初に落下地点に到達するのが、成功の確率が一番高いのだ。
 
 三体の役割分担のうち、一番最初に到達する、「使徒の受け役」の負担が、他の二体に比べて最も高い。二体目、三体目には、スピードのみが要求される。もたつきさえしなければ、ATフィールドの中和やコアの破壊に技術は必要ない。
 
 それに対して、最初に到達する機体には、数々のものが要求された。
 
 最初に落下地点に到達するためのスピードはもちろんのこととして、使徒全体をカバーする巨大なATフィールドの展開を可能にする精神力、強大な荷重に耐えうる機体そのもののパワー、使徒の殲滅が完了するまでその状態を維持し続ける持続力……など。
 
 どれについても、おそらく初号機の能力が一番高い、とシンジは思う。
 
 
 
 助かる可能性は、少しでも、高いほうがいい。
 
 
 
 (たとえ……自分が、落下地点から、一番遠くても……)
 
 ……一番最初に、到達する。
 
 シンジは、息を吸い……静かに目を瞑る。
 
 集中力を……よりあわせる。
 
 音が、消えていく。
 
 
 
 レイは、じっと前方を見つめていた。
 
 おそらく、今、自分が見つめているほうにシンジがいる。
 
 それが、心を落ち着かせていく。
 
 
 
 シンジの助けになりたい。
 
 レイは、切実に、そう思う。
 
 シンジの負担を減らしたい。
 
 
 
 誰よりも早く、落下地点に到達する。
 
 それが、レイの願いだ。
 
 
 
 さきほどの、更衣室での情景が、ゆっくりとレイの脳裏に浮かぶ。
 
 アスカと交わした言葉、アスカの変化。
 
 アスカが苦しんでいる、と、レイには唐突に理解できた。
 
 
 
 これまで、アスカに対してそのような印象を抱いたことはない。
 
 アスカの苦しみ。
 
 レイの、どちらかと言えばあまり得意ではない人間観察力では、そんな深いところまで見通すことはできなかった。
 
 ずっと、アスカはあまり気持ちのよくない存在だった。
 
 ことさらにシンジのことを酷く言い、シンジのことを認めようとせず……それでいながらシンジのそばにいる女。
 
 
 
 ずっと、嫌いだった。
 
 初めて、海の上で会った、あのときから。
 
 
 
 ……そこまで考えてから、レイは、ふと違和感を覚える。
 
 ……本当に、そうだったろうか?
 
 初めて会ったときから?
 
 初めて会ったときから、本当にアスカのことが、嫌いだっただろうか?
 
 
 
 記憶の糸が、とぎれとぎれに引き寄せられる。
 
 ……よく、思い出せない。
 
 言い合いをしていた気がする。
 
 けんか腰で会話を交わした気がする。
 
 シンジのことを、悪く言われた気がする。
 
 
 
 だが……心が、重なった瞬間が、あったような気が、する。
 
 
 
 とにかく、レイの中で……
 
 「アスカ」という存在は、初めて色彩を持ちつつあった。
 
 
 
 アスカは、操縦把を握りながら、じっと前方を見つめていた。
 
 前方……
 
 現在分かっている範囲での、使徒の落下予想地点。
 
 そこを、アスカは凝視するかのごとく見つめている。
 
 
 
 何も考えたくない。
 
 ただ、いま、使徒のことだけを考えていたい。
 
 
 
 それなのに……
 
 
 
 「うぅ」
 
 小さく、アスカはうめいた。
 
 下唇を噛む。
 
 
 
 こうしてじっとしていると、次から次へといらぬ考えが浮かんでくる。
 
 発令所では、無理に会話をすることで、何とか考えないようにしていたが……プラグの中に一人でいると、とてもダメだ。
 
 あの日以来、一度も思い出さずに過ごしてきた、公園での出来事。
 
 ずっと封印してきた記憶が、接ぎの壊れた蛇口から溢れる水のように、止めどなく思い出される。
 
 
 
 思い出したくない。
 
 アスカは、目をぎゅっとつぶって、激しく頭を振った。
 
 
 
 自分を否定する、シンジの言葉。
 
 今の自分は間違いだと説くシンジの言葉。
 
 
 
 これほど、いまいましいことはない。
 
 ……はずなのに。
 
 
 
 アスカは、自分自身に対する怒りも感じていた。
 
 なんで。
 
 アスカは、悔しい。
 
 なんで。
 
 なんで……
 
 甘美な記憶として、思い出すのだろう?
 
 
 
 身も焦げるような、悔しさ。
 
 それなのに……。
 
 何度も何度も、繰り返し、あの日の情景をリピートする。
 
 止めようと頭で思っても、叶わない。シンジの言葉の一つ一つが、繰り返し、繰り返し……アスカの頭を駆け巡る。
 
 
 
 そのたびに、脳細胞を洗い流されていくような感覚を覚えていく。
 
 
 
 何と形容すればよいのだろう?
 
 厚く空に覆われた、深く鈍い灰色の絨毯。
 
 その合間から、やがて、一筋、ふた筋と、光り輝く帯が降りてくる。
 
 
 
 びしょ濡れでしゃがみこんでいた自分に、ゆっくりと光が舞い降りる。
 
 涙に濡れた幼い自分。
 
 見上げると、暗く湿った世界の中で、遥かな高みから自分に注ぐ暖かい想い。
 
 
 
 叫び出したかった。
 
 体中を駆けめぐる暖かい想いに、心がはじけそうになる。
 
 ちぎれるほど両腕を広げて、大きな声で泣きたかった。
 
 体中で、その光を受けとめたかった。
 
 
 
 自分に当たった光の帯が、世界を変えていく。
 
 色彩のない世界が、自分のいる場所を中心に、ばぁっと色とりどりに染めあがっていく。
 
 灰色の岩肌は、本当は草花の咲き乱れた草原だった。
 
 飛びかう悪魔は、本当は美しい声でさえずる小鳥たちだった。
 
 湿ってまとわりつく空気は、本当は恵みの雨をもたらす潤った大気だった。
 
 
 
 世界は、本来の姿を取り戻していく。
 
 自分に、見えていなかっただけ。
 
 これが、本当の、姿……?
 
 
 
 「うっ……」
 
 アスカの口から、
 
 「うっ……う・うぅ……っ」
 
 嗚咽が漏れる。
 
 
 
 アスカの目尻に涙が浮かぶ。
 
 
 
 認められない。
 
 絶対に、認めたくない。
 
 
 
 アタシが
 
 認めているなんて
 
 認めたくない。
 
 
 
 「う……う」
 
 自分の十年間は、何だったんだろう。
 
 否定されるための人生?
 
 あんな、むかつく男に……すべてを否定されるような、人生?
 
 
 
 そんなこと……
 
 「あ……り、え、ない……」
 
 俯いて操縦把をきつく握り締めたまま、かすかに言葉を紡ぐ。
 
 
 
 なぜ?
 
 なぜ?
 
 なぜ?
 
 
 
 繰り返し、繰り返し、思う。
 
 
 
 ふと気付くと、また、あの日の記憶を再生している。
 
 あの日の自分が、あのとき……心が洗われたような感触を覚えていたことを、記憶とともに思い出す。
 
 
 
 なぜ……なぜ。
 
 
 
 いやだ……
 
 
 
 いやだ。
 
 いやだ。
 
 いやだ。
 
 
 
 アスカは、かすれたような声で、呟いた。
 
 意識した言葉ではない……魂の、呟きだった。
 
 
 
 「だ……れ、か……た……す……け、て……」



百九十七



 「使徒、高度二万メートルを切りました!」
 
 マヤが、鋭い口調で報告する。
 
 発令所のメインモニタに映る、落下している使徒の体躯。
 
 激しい空気摩擦が、まるでモニタごしに……発令所の面々の体に直接振動を与えているかのような錯覚を感じさせる。
 
 そして、事実……使徒の落下する衝撃波は、体の奥底に響くような低い地鳴りになって、地下深くにいるはずの彼等の体に、確かな現実を伝えていた。
 
 
 
 くる……
 
 もう、逃げられない。
 
 成功か、滅亡か。
 
 ……そのどちらかしか、ありえない。
 
 
 
 数分後には、全てが決まるのだ。
 
 
 
 ミサトは、マイクに向かって語りかける。
 
 「いい? 三人とも。高度一万メートルまでは、MAGIが使徒の落下地点をリアルタイムで計算して誘導します。ただし、その先は電波障害で誘導は不可能。目視でやってもらうわ」
 
 「「了解」」
 
 シンジとレイが答える。
 
 ミサトは、少し眉をひそめる。
 
 
 
 アスカの返事が、ない。
 
 
 
 「アスカ?」
 
 「………」
 
 「アスカ? どうしたの? 作戦中よ、返事しなさい」
 
 言いながら、ミサトはマヤに手で合図を送る。
 
 マヤは、それに気付いて手許のキーを叩いた。
 
 
 
 サブモニタに、弐号機のプラグ映像が映る。
 
 
 
 そこに映っていたのは、顔を伏せているアスカだった。
 
 両手は操縦把を握っているものの、その顔は俯いていて表情は見えない。
 
 その肩は、かすかに震えていた。
 
 
 
 「アスカ?」
 
 怪訝な表情で、ミサトが声をかける。
 
 返事がない。
 
 「アスカ!!」
 
 ミサトの叱咤が飛んだ。
 
 
 
 ハッ、と、ミサトの声に初めて気付いたアスカが、顔をあげた。
 
 その、瞬間。
 
 
 
 「使徒、高度一万メートル!」
 
 
 
 マヤの声が弾けた。
 
 
 
 シンジとレイが、クラウチング・スタートの体勢から、同時に駆け出した。
 
 ……使徒の落下点は、弐号機にもっとも近い。
 
 どんなに急いでも、初号機と零号機には、間に合わない……。
 
 「アスカッ!!」
 
  ミサトの叫びを瞬時に理解したアスカは、一拍おいて飛び出した。
 
  数秒の遅れ。
 
  しかし、そのわずか数秒は、人類にとって取り返しのつかない時間だった。
 
 
 
 「くっ……アスカが遅れた!」
 
 ミサトが、短く舌打ちをした。
 
 今回のオペレーションは、まさに三体同時到達が理想の作戦。
 
 しかも、アスカに一番近い位置に落下してきている。
 
 三体がベストのスタートを切ってなお、本来はアスカしか間に合わないはずだ。
 
 アスカが遅れたことは、致命的と言ってもよかった。
 
 
 
 「成功確率は」
 
  モニタを睨んだリツコが、腕を組んだまま、マヤに鋭く尋ねる。
 
 「……だめです! 高度ゼロが、弐号機到達よりも1.12秒早い……」
 
 悲痛な声でマヤが言いかけて、止まった。
 
 
 
 ミサトとリツコが、マヤを見る。
 
 
 
 「……いえ……初号機、シンクロ率上昇!」
 
 
 
 シンジの視界には、もはや、落下予測地点しか映っていなかった。
 
 それ以外の情報は、シャットアウトされたように、すべて闇の中だった。
 
 自分の位置と、落下地点の間に、細い光の道が走っているのが見えるだけだ。
 
 
 
 シンジの集中力は、極限まで引き絞られる。
 
 
 
 自分自身の体が、エヴァそのものになったような感覚。
 
 
 
 すべての情報がシャットアウトされていながら、同時に、すべての情報を把握しているような感覚。
 
 
 
 アスカに異変が起こっていたのは感じていた。
 
 ミサトとアスカのやり取りがスピーカーから聞こえていたためだ。
 
 
 
 アスカのスタートが遅れた。
 
 間に合わないかもしれない。
 
 
 
 その思いが、シンジの集中力を爆発的に引きあげた。
 
 
 
 「シンクロ率、200%突破! 成功確率、プラスに転じました!」
 
 マヤの叫び。
 
 ミサトとリツコは、呆然と、モニタの中を駆ける初号機を見つめる。
 
 それは……引き絞られて溜め込んだすべての力を、一気に解き放った、一本の矢のようだ。
 
 「シンちゃん……あなた」
 
 ミサトが、呟く。
 
 
 
 初号機は、駆ける。
 
 空気の壁を突き破るように……重いゼリーの壁を一気に突破するように、激しい衝撃波を伴って。
 
 信じられないような、速度。
 
 
 
 レイは弐号機と初号機の異変に気付いていた。
 
 弐号機のスタートダッシュが、遅れた。
 
 アスカらしからぬミス。
 
 そして、初号機が、信じられないような速度で走っている。
 
 
 
 レイは、アスカのように何かに気を取られるわけでも、シンジのように異常な集中を見せるわけでもなかった。
 
 そのために、周りの情報が、客観的に理解できたのだ。
 
 
 
 自分よりも遠くにいたシンジが、自分を追い抜く。
 
 それを、レイは驚愕の思いで見ている。
 
 ……そして、不安。
 
 シンジが、無理をしている。
 
 そんな気がした瞬間、レイのシンクロ率がはねあがった。
 
 
 
 「ぜ……零号機、シンクロ率100%突破!」
 
 マヤが、驚きの声をあげる。
 
 
 
 発令所の面面が驚きの表情で見つめる中、零号機の速度が目に見えて上昇した。
 
 ビル群を大きく飛び超えるように疾走する。
 
 
 
 アスカは、頭の中が真っ白だった。
 
 ミスった。
 
 しかも、誰にも弁解できないような理由で。
 
 
 
 必死に走る。
 
 落下地点に、自分が一番近いことは理解していた。
 
 この遅れを取り戻さなければ、とても人類は助からない。
 
 
 
 「ぐっ……」
 
 ビリビリビリ、と、大気が細かく振動する。
 
 操縦把を、折れよとばかりに握り締める。
 
 腕の筋肉が、悲鳴をあげる。
 
 
 
 はやく……もっと! はやく! はやく! はやく!
 
 
 
 ぎりぎりと、歯を噛み締める。
 
 
 
 引き絞られた振動が、全身の毛穴を収縮させる。
 
 
 
 誰にも、言えない。
 
 何も、話せない。
 
 自分は、一人だ。
 
 
 
 世界で、たったひとり。
 
 
 
 ビル群を飛び越える。
 
 ぶつからなかったはずの建造物が、衝撃波で砕け散る。
 
 
 
 「……許さないわよ」
 
 アスカが、激しい振動の中……うめくように呟いた。
 
 眉をしかめて、前方を見据える。
 
 「……このまま……黙ってやられて……たまるか!」
 
 そう……
 
 
 
 ガッ、と目を見開く。
 
 
 
 もっと……
 
 
 
 頑張りなさいよ!
 
 
 
 ……あたしのエヴァ!
 
 
 
 こんなもんじゃないでしょう……アンタは!
 
 
 
 「アンタは……」
 
 
 
 アスカの口が、血を吐くような凄まじい想いとともに、開かれた。
 
 
 
 「アンタは……」
 
 「アンタは……」
 
 「アンタ……は……ッ……!」
 
 
 
 「……アンタは……アタシが、わかるでしょうがッ!!」
 
 
 
 「弐号機、シンクロ率上昇!」
 
 
 
 マヤの声を、ミサトは呆然と聞いていた。
 
 弐号機が加速度的にスピードをあげていく様子が、モニタに映し出されている。
 
 
 
 涙が出そうだった。
 
 「あんたたちって……」
 
 口もとが歪む。
 
 一瞬、視界がぼやけそうになって、慌ててミサトは、目頭に力を込めた。
 
 
 
 まだだ……まだ、はやい。
 
 わたしは、あのこたちを、最後まで見守らなければいけない……。
 
 
 
 それが今、わたしにできる、ただひとつのことだから。
 
 
 
 シンジが落下点に到達するのと、使徒が高度0.2を刻むのは、ほとんど同時だった。
 
 「ATフィールド……全開!」
 
 口の中で呟いた瞬間、空に巨大な七色の壁が出現した。
 
 
 
 使徒が、ATフィールドに衝突する。
 
 「ぐっ……」
 
 支えるエヴァの関節が沈み込み、体液が弾ける。
 
 拘束具のロックボルトが吹き飛ぶ。
 
 足が、ズン! と一気にくるぶしまで地面に埋まった。
 
 
 
 「ぐあっ……!」
 
 
 
 わずか1秒にも満たない時間で、シンジの脳細胞は回転した。
 
 まだ、レイもアスカも到達しない。
 
 このままでは、二人が来るまで、もたない。
 
 
 
 その瞬間。
 
 
 
 シンジの脳細胞が、スパークした。
 
 はじける光芒。
 
 全てが飛び散るような、激しい光の渦。
 
 その後ろに、一瞬……かすかに見えた、姿。
 
 
 
 それを見たのは、アスカと出会った、あのとき以来だった。
 
 
 
 「初号機のATフィールド、出力上がります!」
 
 マヤの驚愕の叫び。
 
 「1.5……1.7……1.9……2倍突破! と、止まりません……」
 
 
 
 ズズズッ、と埋まった足首が再びせりあがる。
 
 千切れそうにめり込んでいた関節が、盛り上がるように元の位置に戻っていく。
 
 
 
 「そんなことって……」
 
 リツコが、我を忘れたような表情で、その情景を呆然と見つめている。
 
 「……理論値を、超えてるわ……エヴァの限界って、いったい……!?」
 
 
 
 「零号機、到達します!」
 
 
 
 レイが初号機の懐に飛び込むのと同時に、手を伸ばした。
 
 零号機の差し込まれた右腕を中心に、わずかにATフィールドが中和される。
 
 「アスカッ!」
 
 シンジが叫ぶ。
 
 
 
 弐号機が、眼前にいた。
 
 理論を超えた、信じがたいスピードだった。
 
 
 
 「……わぁっ……かってるわよッ!!」
 
 叫びと同時に、弓なりにしなった腕に握られたプログナイフが、サハクィエルのコアに音もなく飲み込まれた。



百九十八



 発令所のメインモニタがホワイトアウトするのと同時に、ものすごい振動がNERV全体を覆った。
 
 「きゃああッ!」
 
 マヤが、思わず目をつぶって衝撃に耐える。
 
 
 
 「マヤ!」
 
 リツコの、鋭い声が飛んだ。
 
 「状況を速やかに分析しなさい」
 
 ミサトも、腕を組んだまま言う。
 
 
 
 二人が全く動じていないことに気付いたマヤが、赤面しながら慌ててキーボードを叩く。
 
 「だ、だめです……電磁波が激しく乱れており、現場の状況は把握できません」
 
 「軌道衛星との通信、回復します」
 
 マコトが言う。
 
 
 
 マコトの手許のモニタが、二・三度ちらついて、ブン……と光を取り戻した。
 
 映っているのは、サーモグラフィのような色のついた、衛生からの映像。
 
 
 
 モニタに映った表示を見て、マコトは表情を緩めた。
 
 「詳細は不明ですが……パターン青は確認されません! 使徒、殲滅しました!」
 
 
 
 しかし、ミサトはその報告を聞いても表情を崩さなかった。
 
 「エヴァ三体の生存確認は?」
 
 「あっ、いえ……まだ、確認できません」
 
 「急ぎなさい……それが確認されるまで、作戦は終了ではありません」
 
 「すっ……すいません!」
 
 あわてて、モニターに顔を向けるマコト。
 
 
 
 ミサトは、じっとホワイトアウトしたモニタを見つめていた。
 
 ……シンジたちは、生きている。
 
 ミサトは、それを信じていた。
 
 エントリープラグの中は、安全だ。たとえ、爆心地にいたとしても、ここよりも安全に違いない。
 
 ……それに。
 
 ……シンジが、いるのだ。
 
 
 
 「電波、回復します!」
 
 マコトの声。
 
 ホワイトアウトした画面に、途切れ途切れに乱雑な走査線が走り、数秒を置いて、突然画面が回復した。
 
 
 
 地面が、大きくえぐれている。
 
 慌涼とした、死のクレーター。
 
 
 
 その中心に……
 
 
 
 三体のエヴァが立っていた。



百九十九



 カシャン。
 
 予備電源の残量をあらわすカウンターが、ゼロを刻んだ。
 
 
 
 「……ふぅ」
 
 アスカは、操縦把を離すと、ゆっくりと背凭れによりかかった。
 
 天井を、見る。
 
 予備電源が切れても、即座に全電力がなくなるわけではない。生命維持やプラグ排出、音声回線などに使用する電力は、別にプールされている。
 
 まだ、数十分は、この状態でも支障はないはずだった。
 
 
 
 口を開けると、LCLに浸透しきれなかった二酸化炭素が、小さな気泡となって浮上する。
 
 しかしそれも、天井に到達する前に、LCLに溶けて消えてしまった。
 
 
 
 「……ふぅ……」
 
 
 
 アスカは、もう一度、溜め息をついた。
 
 
 
 アスカの心は、静まっていた。
 
 ダッシュ直前の、千々に乱れた思考が、嘘のようだ。
 
 
 
 なぜ、あそこまで乱れていた思考が、静まったのか……
 
 原因が、わかっていた。
 
 
 
 「エヴァ……か」
 
 ゆっくり、呟くように……アスカは言う。
 
 左手を伸ばし、そっとプラグの内壁に触れる。
 
 冷たくも、暖かくもない……何も感じない。
 
 アスカは、それをじっとみつめる。
 
 「……エヴァ……あたしの、エヴァ……
 
 ……アンタって、なんなの?」
 
 
 
 アスカは、ずっと苦しんできた「壁」を、超えたことに気付いていた。
 
 努力ではない。
 
 才能、でもない。
 
 ……あの、疾走の瞬間。
 
 弾けた、想い。
 
 
 
 頑張りなさいよ、あたしのエヴァ!
 
 
 
 こんなもんじゃないでしょう……アンタは!
 
 
 
 アンタは……アタシが、わかるでしょうが!
 
 
 
 ……なぜ、あんなことを考えたのだろう?
 
 わからない。
 
 いままで、エヴァに語りかけたことなんて、一度もありはしなかった。
 
 
 
 シンジが、と、アスカは思う。
 
 ……シンジが、エヴァと語り合っている。
 
 それを、感じた。
 
 根拠なんて、ない。
 
 シンジのことを考えていた、あの瞬間……シンジに思考がシンクロした……。
 
 
 
 ……違う。
 
 アスカは、頭を振った。
 
 そんな、大層な理由じゃない。
 
 カッコつけても、仕方がない……。
 
 
 
 結局、アタシは、悔しかったんだ。
 
 
 
 シンジが。
 
 初号機が。
 
 その強さを認めるのが、悔しかった。
 
 
 
 シンジの言うことは、結局……
 
 「……うっ」
 
 アスカは、思わず、目をギュッ、と瞑った。
 
 拳を、握り締める。
 
 
 
 深く……深呼吸。
 
 
 
 目を、開く。
 
 
 
 「……ただ……し…ぃ」
 
 かすれたように、言った。
 
 
 
 わかってた。
 
 わかってた。
 
 わかってた。
 
 わかってた……本当は。
 
 
 
 悔しかったんだ。
 
 認めるのが。
 
 どうしても……。
 
 
 
 ………。
 
 ……それが……できたのは……
 
 
 
 「………」
 
 アスカは、もういちど、プラグに触れた。
 
 冷たくも、暖かくもない……何も感じない。
 
 「当たり前よね……」
 
 アスカが、呟く。
 
 「生きてるわけじゃ、ないんだから……」
 
 
 
 ……でも。
 
 
 
 ……でも……
 
 
 
 アスカはあの時、初めて弐号機に語りかけた。
 
 心の底から。
 
 それは……信じることのできる、たったひとつの、よりどころだったから。
 
 
 
 シンジの言葉が、正しいと知っている。
 
 だが、それを認めることができない。
 
 今までの、自分のすべてを否定されてしまうような気がするから。
 
 でも……認めないわけには、いかない。
 
 正しいのだから。
 
 更衣室で……アタシは、それに気付いてしまった。
 
 アタシは、わかってたんだ。
 
 完璧な人間なんて……いない……ってことに。
 
 アタシ自身が……それに気付いていることに、気付いてしまったんだ。
 
 
 
 認めるしか、ない。
 
 でも……認められない。
 
 
 
 アスカは、疾走する極限状態で……エヴァの人格を、無意識に求めたのだ。
 
 誰にも、言えない、今の気持ち。
 
 引き裂かれるような、想い。
 
 
 
 ……それを、わかってくれるのは……
 
 
 
 ……ずっと
 
 ……一緒にいる
 
 ……アンタだけ。
 
 
 
 誰かに、支えて欲しかった。
 
 千切れそうな想いを。
 
 砕けそうな心を。
 
 破れそうな気持ちを。
 
 
 
 誰にも言えない、誰にも語れない、この想いを。
 
 
 
 わかってほしかった。
 
 わかって、ほしかった。
 
 
 
 それは、許されないこと。
 
 ずっと、そう思っていた。
 
 
 
 「……ねぇ」
 
 アスカは、目をつぶって……ゆっくりと口を開く。
 
 「アンタってさぁ……誰なわけ?」
 
 穏やかに……微笑むように、呟く。
 
 もちろん、返事など、ない。
 
 
 
 だが、あのとき。
 
 アスカが語りかけた、あの瞬間。
 
 
 
 アスカは……何物よりも強い、全身を包み込むような愛情を感じたのだ。
 
 強制しない。
 
 束縛もしない。
 
 ただ……自分のすべてを包み込み、自分のすべてを理解して、自分のすべてを許してくれる。
 
 暖かくて……暖かくて……たまらない、愛。
 
 
 
 一人じゃなかった。
 
 一人じゃなかった。
 
 ずっと……自分だけだと思ってた。誰とも心を通わせずに……一人で生きていかなくちゃいけないと思ってた。
 
 だから……アタシは、トップでいなくちゃいけなかった。
 
 
 
 でも……一人じゃなかった。
 
 
 
 気が付かなかった……
 
 
 
 一人じゃ……なかったんだ……!
 
 
 
 アスカの心は、温かな想いを隅々まで感じていた。
 
 それは、形容しがたい、はじけとびそうな想い。
 
 
 
 わーっ、と叫んでしまいたかった。
 
 ギュッと、抱きしめてしまいたかった。
 
 
 
 世界が変わる。
 
 世界が。
 
 世界が。
 
 いま、大きく回転する。
 
 
 
 なぜ、わからなかったんだろう?
 
 ずっと、いつも、いつも、いつも、そばにいてくれた想いを。
 
 自分を守ってくれた想いを。
 
 そっと……抱きしめてくれた、想いを。
 
 
 
 光の、回廊を抜ける。
 
 真っ白な、まばゆくて何も見えない光。
 
 でも、それは、決して自分を拒絶しない、想い。
 
 その、ものすごい光の向こう側に、揺らめくように立つ人影。
 
 アスカは、駆けよって、その胸に飛び込みたかった。
 
 抱きしめて欲しかった。
 
 でも、その温かな想いに圧倒されて、そこまで辿り着くことが出来ない。
 
 
 
 その人影は、どうしても姿を見ることが出来なかった。
 
 でも、自分を見つめて微笑んでいた。
 
 
 
 わたしは、このひとを、しっている。
 
 
 
 わたしは、どこかで、あっている……。
 
 
 
 「ずっと……いたんだ」
 
 アスカが、小さく、呟く。
 
 それから、フッ、と微笑む。
 
 「アンタ……男じゃないでしょうねぇ? 男に包まれてるなんて、サイアク」
 
 言いながら、楽しそうに、笑う。
 
 心が、軽い。
 
 羽毛のように。
 
 こんな気持ち……何年振りだろう。
 
 
 
 ……10年……ぶり、くらい、かな……
 
 
 
 目を、開く。
 
 「……ありがと」
 
 小さく、呟いた。
 
 そして……ゆっくりと、目をつぶる。
 
 
 
 涙が、ひとつぶだけ、目からこぼれた。
 
 それが、LCLに、溶けていく。
 
 
 
 ……それも、また、いいか……
 
 
 
 アスカは、ゆっくりと……そう思った。