第四十五話 「記憶」
百九十一



 NERVの廊下に、足音がこだまする。
 
 アスカと二人で、作戦司令室へと急ぐ。
 
 携帯電話の液晶表示には「非常招集」としか書かれていなかったが、NERV全体に漂う……ある種、緊迫した空気が、「使徒の襲来」という事実を二人に告げていた。
 
 
 
 シンジにとってそれは、今更驚くほどのこともない、確約されていた未来だった。
 
 もともと、そのつもりで、今日はNERVまで来ていたのだ。
 
 いつ非常招集が入っても、予想の範囲内だ。
 
 
 
 だが、アスカにとっては、少々事情が異なる。
 
 
 
 シンジのあとについて廊下を走りながら、アスカは、体内に充満する、幾重にも折り重なった複雑な感情を感じていた。
 
 
 
 ……なぜ、シンジは、使徒が来ることが分かったのだろう?
 
 
 
 いや、正確には……シンジが、本当に使徒が来ることを予見していたのかどうかはわからない。
 
 冷静に考えれば、シンジにそれを予見することは、無理というものだろう。
 
 それこそ……この世の誰にだって、使徒の出現を予言することなど出来ないはずだ。
 
 ずっと、そう思っていたし……今も、その思いには変わりはない。
 
 
 
 だが、アスカは……不思議と、自分の肌で、感じていた。
 
 やはり……シンジは、使徒が来ることを知っていたのではないか。
 
 どうやって、などと問われてもわからない。使徒という存在そのものについて説明するすべすら持たぬ彼女に、その方法を説明することなど出来るはずもない。
 
 シンジが、使徒の襲来を予見する……
 
 そう考える根拠すら、説明することなど出来はしない。
 
 
 
 だが、その疑惑をぬぐい去ることは、彼女には出来なかった。
 
 
 
 直接、聞いてみればいい。
 
 アスカは、走りながら、何度もそう思う。
 
 「使徒が来るのを、知っていたの?」……と。
 
 
 
 それで、済む。
 
 「知らない」と言われても、「知っている」と言われても、とりあえずはそれで済む。
 
 
 
 だが、聞けない。
 
 
 
 アスカは、シンジの横顔を盗み見る。
 
 前を向いたまま……ただ、黙って走っている、シンジ。
 
 その視線は、廊下の先をじっと見つめたまま動かず……その先に使徒がいるのではないか、とアスカは勘繰りたくなる。
 
 
 
 ……シンジの頭の中は、擦りきれるほどに回転していた。
 
 どうやって、サハクィエルを殲滅するか。
 
 ……それは、今に至るまでの間、もはや絞りかすも出ないほどに、考えて考えて、考え尽くしたことだった。
 
 
 
 ……どうしようもない。
 
 歴史の再現以外に、取るべき道はない。
 
 それが、先ほどまで、幾度も繰り返し導き出された、唯一の答えだった。
 
 
 
 しかし、ハイそうですか、と納得することには抵抗があった。
 
 ありもしない抜け道を、必死に探し続ける。
 
 
 
 シンジの脳細胞は、回転する。
 
 だが、それは空回りに過ぎない。
 
 それが分かっているからこそ悔しく、
 
 それが分かっているからこそ、考えることを止めるわけにはいかなかった。



百九十二



 シンジとアスカが作戦司令室に入ると、ミサトとリツコが驚いたように顔をあげた。
 
 
 
 「あら……なに、二人とも。えらく早いじゃない」
 
 ミサトが、目を見開いて言う。
 
 驚くのは当然だ。ミサトはおそらく、二人とも家なり商店街なり、とにかくまだここよりもずっと離れたところにいるのだろうと思っていたはずだ。
 
 まさか、ほんの数百メートル離れた場所にいたとは思わない。
 
 
 
 シンジは、なに食わぬ顔で返事をした。
 
 「いえ……NERVに来ていたんですよ」
 
 「NERVにって……なにしによ? 今日は訓練、ないでしょ?」
 
 「う〜ん……なにしにって……そう言われても困るんですけど……なんとなく、と言うか。理由なんて、特に無いんですけど」
 
 
 
 一見すると、シンジの言う言葉は、はなはだ信頼性を欠くものに見える。
 
 「なんとなく」……そんな理由を、誰が信用するというのだろう?
 
 具体的な情報を、何一つ、提示されていない。
 
 
 
 だが、実は、シンジはこの理由を、きちんと計算した上で喋っていた。
 
 
 
 何か、もっともらしい理由をつける。それは、前もって考えておけば、それほど難しいことではない。
 
 だが、それは、どうしたって間違いなく「嘘」である。
 
 その場凌ぎにはなっても、嘘である以上、何かの弾みでボロが出るかも知れない。
 
 そうなっては、最後だ。
 
 嘘が嘘を呼び……その嘘を隠すために嘘をつき、いずれ、雪だるまのように大きくなった嘘のかたまりに押し潰されてしまうのは、他ならぬ自分だ。
 
 
 
 だが、「なんとなく」……この理由なら、どうだろう。
 
 嘘っぽい。
 
 疑わしい。
 
 ……だが、突っ込みをいれるべき情報も、ない。
 
 「なんとなく」……それは、一見すると信用できないような理由でありながら、まったく隙の無い言葉でもあるのだ。
 
 
 
 ミサトは案の定、疑り深い視線でシンジを見る。
 
 だが、それ以上、何も言わなかった。
 
 
 
 そして、アスカの方を向く。
 
 「アスカはどうなのよ?」
 
 
 
 アスカは、急にミサトに振られて、思わず頭の中が真っ白になってしまった。
 
 殿下の宝刀……「なんとなく」は、すでに言われてしまった。
 
 シンジを追ってきた。
 
 まさか、そんなことは言えない。
 
 追ってきた理由が説明できない……。
 
 
 
 「え……え、と……」
 
 戸惑うように、言葉を繋ぐ。
 
 
 
 「アスカは、僕についてきたんですよ」
 
 
 
 突然のシンジの言葉に、アスカは驚いてシンジを見た。
 
 シンジは、何食わぬ表情で、ミサトを見ている。
 
 「……シンちゃんに? ついてきた?」
 
 ミサトが怪訝な表情を見せる。
 
 「……一緒に、来たの?」
 
 
 
 ミサトが不審に思う理由は分かる。
 
 レイが来ていない……。
 
 シンジの下校時に、レイがシンジに声をかけなかったとは思いがたい。
 
 おそらく……シンジの言うとおり「なんとなく」NERVに来たのであれば、始めはそのつもりではなく、レイの誘いを断ったのだろう。
 
 そのうえで、途中で気が変わって、NERVに足を運んだ。
 
 ここまでは、いい。
 
 だが……レイを誘わなかったこの状況で、アスカと一緒に、しかも「なんとなく」NERVに来る……などというのは、非常に不自然だ。
 
 
 
 だが、シンジは特に意に介すでもなく、肩を軽く竦めた。
 
 「違いますよ。
 
 僕と同じバスに、アスカも乗ってたんです。繁華街に行くのと、同じ路線でしょ?
 
 繁華街についても僕が降りないんで、アスカは好奇心でついてきたんです」
 
 嘘はついていない。
 
 状況は、一緒だ。
 
 
 
 「……ああ、ナルホド」
 
 ミサトも、理解して疑惑の視線を鞘に収めた。
 
 
 
 アスカは、黙ってシンジを見ていた。
 
 
 
 「それより、ミサトさん……使徒ですか?」
 
 シンジが話題を変える。
 
 「ああ、うん」
 
 ミサトも答える。
 
 「まぁ、詳しい話はレイが来てからにするわ。三人揃ってないと、意味がないから」
 
 
 
 レイがNERVに到着したのは、それから15分ほど経過してからだった。
 
 それまでの間……シンジは、慌ただしく走りまわる職員たちを、ただ部屋の隅に座って見ていた。
 
 アスカも、隣に無言で座っていた。
 
 
 
 走り回るオペレーターたちの口から、幾つかの言葉が飛び出すのが聞こえる。
 
 それは、現在の状況を伝える報告の一部だ。
 
 使徒の正体も、作戦の内容も知らない状態であれば、それを耳にしても……ほとんど何も分からないだろう。
 
 だが、シンジは知っている。使徒の状態も、今後の作戦の概要も、全て知識の中だ。
 
 その状態で聞いていると、職員たちの言葉の微妙な端々から、現在の状況を再確認することが出来た。
 
 
 
 やはり、歴史に変化はない。
 
 
 
 サハクィエルが、現れたのだ、軌道上に。
 
 かすかに聞こえる会話から考えるに、どうやら、自分の体の分離・落下による試し撃ち(本当にそういうつもりなのかどうかは知るすべも無いが)もすでに2回行われ、次には本体が落ちてくるのではないか、という段階まで来ていた。
 
 まさに、歴史通りだ。
 
 
 
 ガチャッ
 
 
 
 作戦司令室の扉が開かれた。
 
 書類をめくっていたミサトが、振り返って口を開く。
 
 「あ、来たわね、レイ……じゃぁ、全員揃ったところで、作戦会議を始めるわよ」
 
 
 
 レイは、ミサトの「全員揃った」という言葉に反応した。
 
 キョロキョロと視線を動かし、部屋の隅で立ちあがろうとしていたシンジに気付く。
 
 「碇君!」
 
 表情を綻ばせて、思わず近づこうとして……歩きかけた足を、止めた。
 
 怪訝な表情。
 
 
 
 シンジが、一人でNERVに来ている。それはいい。タイミングが、揃わなかっただけかも知れない。
 
 ……だが……シンジの横に、アスカがいる。
 
 
 
 レイの中に、嫌な気分が滲みだす。
 
 
 
 数日前の、夜の公園。
 
 あのとき、シンジとヒカリが、二人きりで座っているのを見た。
 
 ……にも関わらず、あのときのシンジには、わずかの疑いも抱かなかった。
 
 
 
 何が、あのときと違うというのだろう。
 
 シンジの横にいる人物が、違うだけ……
 
 だが、レイは、心の隙間に小さな釘を打ち込まれたような、わずかに不快な感情を覚える。
 
 
 
 「綾波」
 
 シンジは立ち上がると、片手を挙げて、レイの方に歩みよった。
 
 その微笑みは、レイの心に安らぎをもたらし……それゆえに、逆に、それを失う恐怖は計り知れない。
 
 
 
 レイは、タッと床を蹴ってシンジの許まで駆け寄ると、シンジの右腕にしがみついた。
 
 ぎゅっ……と、シンジのワイシャツの袖を握り締める。
 
 「えっ……あ、綾波?」
 
 シンジは、自分の腕にしがみついた少女を、驚いたように見つめる。
 
 レイは、俯いてしがみついており、シンジからはその表情は見えない。
 
 「ど……どうしたの? 綾波……」
 
 シンジが尋ねたが、レイは答えない。ただ、いっそうシンジの腕を握る力を強めるばかりだ。
 
 
 
 レイにも、わからなかった。
 
 自分にも分からない感情を、シンジに説明できるはずが無い。
 
 ただ、とにかく……シンジの側を離れたくなかった。いま、シンジを離したら……二度と再び、その側に立つことができなくなるのではないかという錯覚に囚われる。
 
 
 
 怖い。
 
 
 
 「ど……どうしたのさ、綾波」
 
 シンジが、戸惑ったような声を出す。
 
 レイは、答えない。
 
 「はいはい、仲がよろしいことで」
 
 アスカが、呆れたような表情で肩を竦めてみせた。
 
 ……もっとも、アスカのその表情は、ポーズのようなものだ。
 
 先程までの、シンジに抱いていた不可解な疑惑の念が、解消されているわけではない。
 
 
 
 ぱんぱん、と掌を打つ音が、司令室にこだまする。
 
 
 
 「悪いわね、3人とも……それほど、悠長にしてるヒマはないの。こっちに集まりなさい」
 
 ミサトが、真面目な表情で言う。
 
 言われて、シンジ・レイ・アスカの三人は、ミサトの前まで歩み寄った。
 
 レイは、シンジの腕にしがみついたままだ。
 
 
 
 床に設置されたモニターが、映像を映す。
 
 三人は、足許を覗き込むようにして、その映像を見下ろした。
 
 
 
 映像に映っていたのは、第三新東京市を中心とした、詳細な地図だ。
 
 数箇所が、丸い赤色の円に塗りつぶされている。
 
 「今回の使徒は、軌道上に存在が確認されました」
 
 ミサトが話す。
 
 シンジは口を閉じたまま、ただ黙ってその説明を聞く。
 
 レイは、別問題で頭がいっぱいで、特に口を挟むことも無い。
 
 そのため、自然とアスカがミサトの言葉に反応する構図になった。
 
 「軌道上?」
 
 アスカが尋ねる。
 
 ミサトが、表情を崩さずに返事をする。
 
 「そうね……地上からの攻撃の方法は、ナシ」
 
 「そんなの、どうやって倒すのよ」
 
 「それは、今から説明するわ」
 
 言いながら、ミサトはカツカツと移動して、一つの円の上に立った。
 
 「当然の話だけど、こっちと同様、むこうだって浮いてるだけじゃぁ、攻撃なんか出来ないわよね」
 
 「まぁ……そうね」
 
 「でも、すでに、使徒の攻撃は始まっています」
 
 「え」
 
 「と、言っても、まだ見当違いだけどね」
 
 自分の足の下に描かれた円を指さす。
 
 「使徒は、体の一部を分離して、直接、落下攻撃をしてきています。第一撃は、このあたり」
 
 「太平洋の真ん中じゃない」
 
 「そうね。……で、第二撃は、あそこ」
 
 指さしたあたりは、房総の少し先のあたりだ。そこにも、赤い円が描かれている。
 
 「誤差修正しているわ」
 
 いままで黙っていたリツコが、静かに口を開く。
 
 「このままなら……次は狙いが定まるでしょう。おそらく、本体ごと、ここに来るわね」
 
 
 
 「……どうするつもりなの?」
 
 アスカが、低い声で聞く。
 
 わずか、一部分の落下が……かなりの範囲に被害を及ぼしていることが、円の大きさから分かる。
 
 このうえ、次に来るのが本命だとしたら……
 
 一筋縄では行かない、ということくらいは理解できたのだろう。
 
 「作戦は、最終調整の段階よ。早急に結論を出すわ。まずは、概略ってところね……。15分後に、着替えて発令所に集まってくれる」
 
 ミサトの言葉に、三人はそれぞれ肯いた。
 
 
 
 そのまま、きびすを返して立ち去ろうとする三人の背中に、ミサトが声をかける。
 
 「シンジくん、ちょっと残ってくれる?」
 
 「えっ?」
 
 シンジが、驚いて振り返る。
 
 ミサトは、真面目な表情のまま、軽く片手を挙げて、指を広げてみせた。
 
 「5分で、済むから」
 
 
 
 「……わかりました」
 
 
 
 呼び出された理由は分からなかったが、ミサトの表情は真剣だ。
 
 シンジは、おとなしく残ることに決めた。
 
 ……しかし、残ろうとした腕に、抵抗を覚える。
 
 見ると、俯いたレイが、じっとシンジの袖を掴んで離さない。
 
 「綾波?」
 
 レイは、答えない。
 
 いや、答えられないと言うべきか。
 
 シンジは少し戸惑ったような表情を見せたが、ゆっくりと自分の袖を掴む少女の手に自分の手を重ねる。
 
 「……大丈夫だから……綾波」
 
 噛み締めるように、呟く。
 
 
 
 レイは、自分の行動がわがままであることを自覚していた。
 
 しばし、固まったように、シンジの袖をきつく握った後……指を一本ずつほぐすように、おずおずと、その袖を離した。
 
 
 
 シンジは、レイの肩を軽く触る。
 
 「綾波……大丈夫だよ……また、あとでね」
 
 言って、柔らかく微笑んだ。



百九十三



 レイとアスカが出ていった後、作戦司令室には、ミサト・リツコ・シンジの三人だけが残された。
 
 ミサトは、ゆっくりとシンジのほうに視線を向けると、静かに口を開いた。
 
 
 
 「……どうしたらいいと思う……シンちゃん?」
 
 
 
 シンジは、ポカンとした表情で、ミサトを見た。
 
 オウム返しに、言われたとおりの言葉をしゃべる。
 
 「ど……うしたらいいと……って?」
 
 ミサトは、視線を動かさない。
 
 そのまま、再び口を開く。
 
 「使徒の殲滅よ……どうしたらいいと思う? シンちゃんの意見が聞きたい」
 
 
 
 今度こそ、意表を突かれた。
 
 
 
 ミサトは、使徒の出現の報を聞くと同時に、シンジに意見を求めることを考えていた。
 
 ずっと、彼の意見を聞いてみたい、と思っていた。
 
 ミサトにも、もちろん、プランはある。だが、それとシンジのアイデアとを組み合わせることにより、より確実な作戦にしたかった。
 
 
 
 「どう……と言っても」
 
 シンジは戸惑った。
 
 今回でなければ、これは絶好のチャンスだったはずだ。
 
 もともと、いつもシンジは、NERVの作戦を更に補完した作戦を考えている。それは、すでにNERVの作戦を実行した結果を知っているからだ。一度自分自身が経験した問題点を、さらに洗い直して修復したアイデアを立てる。それは、そう難しいことではない。
 
 
 
 にも関わらず……今までの作戦において、使徒の殲滅が必ずしも容易に運ばない局面があったのは、自分が立てた作戦をそのまま実行する機会が無かったからだ。
 
 自分の正体を明かすわけにも行かず、また、作戦に対して発言する立場にも無い。
 
 直接最前線に立つ自分だからこそなんとか出来る、ごく小さな関与しか許されなかったのだ。
 
 
 
 だが……
 
 今回。
 
 理由は分からないが、ようやくと、発言の機会を与えられている。
 
 これは、願ってもない、チャンス……
 
 ……にも関わらず。
 
 自分には、……NERVを超えるアイデアが無いのだ。
 
 
 
 「受けとめる……しか、ないと思います……」
 
 シンジは、おずおずと、言葉を発する。
 
 ミサトが、シンジの顔を、じっと見る。
 
 「受けとめる?」
 
 「……はい」
 
 
 
 おそらく、現時点で……同じアイデアが、NERV内でも提議されているはずだ。
 
 だが、この場では、シンジの口から説明が出なければ収まらないだろう。
 
 シンジは、すでにミサトたちは知っているであろう説明を始める。
 
 
 
 「具体的には……まず、落下地点をMAGIに絞り込ませます。
 
 おそらく、ランダムな揺らぎで、完全に場所を特定することは出来ないでしょうから……『落下したらNERV本部が壊滅する場所』を選び出す作業になるでしょう。
 
 その上で、エヴァ三体を、それぞれ最も効率のよい位置に分散配置します。
 
 使徒が落下を開始したら、MAGIには、常にリアルタイムで落下地点の絞り込みをしてもらって……落下地点が確定したところで、エヴァ全機が落下地点に向かってダッシュ。
 
 最初に到達した一体がATフィールドを展開して受けとめる。
 
 次に到達した一体が即座にATフィールドを中和。
 
 最後の一体が、プログナイフで使徒のコアを破壊、殲滅します」
 
 
 
 ミサトは、目を見開いてシンジを見ていた。
 
 リツコも、同様だ。
 
 
 
 シンジは、違和感を覚えた。
 
 今、自分が語った作戦は、二人にとっては何も目新しくない作戦のはずだ。
 
 何を驚く必要があるだろうか?
 
 
 
 シンジは、フォローのように、思っていたことを口にする。
 
 「あの……まぁ、このくらいのことは、ミサトさんたちにも思い付いていると思うんですけれども……」
 
 
 
 「……まぁ……確かにね……」
 
 ミサトが、じっとシンジを見つめながら、呟くように言う。
 
 数拍の沈黙の後……ミサトは、組んでいた腕を解く。
 
 「……おそらく、今の作戦で行きます。着替えてきなさい」
 
 「は……はい」
 
 何だか釈然としない空気が残ったが、シンジは首を傾げつつも、一礼して部屋を走り出ていった。
 
 
 
 作戦司令室には、ミサトとリツコだけが残された。
 
 
 
 ミサトが、シンジの出ていったドアの方を見つめたまま、後ろに立つリツコに声をかけた。
 
 「……どう、思う?」
 
 
 
 「天才か……それとも、スパイかしら」
 
 リツコが、静かに言う。
 
 
 
 「確かに……シンジくんの言う通り……あなたが提議した作戦と変わらない。
 
 何も、新しいアイデアはなかったわね。
 
 
 
 でも……そこに至る過程が、私たちと彼では、違う。
 
 
 
 ……私たちは……使徒が現れてから、今まで、幾ばくかの時間があった。試行錯誤の余地があったわ。
 
 だけど……シンジくんは、今、何が起こっているのか……ほんの5分前に聞かされたばかりなのよ……」
 
 

 時間を戻そう。
 
 作戦司令室を出たレイとアスカは、プラグスーツに着替えるために、女子更衣室へと急いでいた。
 
 アスカが走り、その半歩後ろをレイが走る。
 
 二人の間に、言葉はない。
 
 
 
 一言も言葉を交わさぬまま、やがて二人は、女子更衣室に到着した。
 
 
 
 「………」
 
 「………」
 
 二人は、背中を向けるようにして、黙々と制服を脱いでいく。
 
 
 
 レイの心の中は、激しく乱れていた。
 
 
 
 シンジのことを信じる気持ちには、偽りはないと思う。
 
 シンジとアスカが、二人で何かをしていたとは思いがたい。
 
 にもかかわらず、どうにも収まりきれない、不快な感情が彼女を襲っていた。
 
 
 
 普通、嫉妬という感情は、そういうものなのである。
 
 相手が、実際には、何も疑わしいことをしていない、という……本当に、信ずる心があるとしても、やはり嫉妬は起こる。
 
 たとえば浮気の疑いがあるとき。それが、あとからはっきりとしたアリバイとともに、100%の無実が証明されたとする。
 
 ……しかし、それでも、狂おしい嫉妬の感情は、起こるのだ。たとえ浮気をしていないと完全に理解できていても、じゃぁ、もしも浮気していたらどうなっただろう、という想像を働かせることは出来てしまう。
 
 そして、そういった類いの想像は……むしろ、考えまいとすればするほど、脳裏に去来してしまうのだ。
 
 
 
 今のレイが、まさにそういう状態であった。
 
 
 
 とはいえ、レイは恋人同士のふれあいについて、余りにも知識が足りなすぎた。
 
 彼女に想像できる「最悪の状態」とは、せいぜい、抱き締めあうシンジとアスカ、といったところだ(脈絡がまったくないが)。
 
 しかしそれでも、彼女の心に与える動揺の度合は計り知れないのである。
 
 
 
 レイの方から、アスカに話しかけることは出来ない。
 
 出来るはずがなかった。
 
 もしも、アスカの口から、「シンジのことが好き」などという言葉が飛び出したら……
 
 いや、「シンジがアタシを好きだと言っていた」などという言葉が出てきたら、絶望で何も考えられないだろう。
 
 レイの心は、いま、恐怖と隣合わせだった。
  
 
 
 対するアスカは、レイの疑惑の内容にすら、気付いていなかった。
 
 アスカが、考えていること。
 
 それは、シンジに対する疑惑だ。
 
 シンジは、使徒のことを知っていた。その疑惑はやがて、現実的な疑いへとシフトし始める。
 
 
 
 ……シンジは、何かの組織に属する、スパイか?
 
 
 
 使徒が来ることをいちはやく知っていたのは、つまり、盗聴なり何なりといった手段で、NERVが得ている情報を、リアルタイムで入手できる立場にあったからではないか。
 
 
 
 ……つきつめて考えれば、この意見には、いろいろと穴がある。
 
 細部に渡って説明をつけるには、もう少し細かい検証が必要だろう。
 
 (と言うか、実際には正解ではないのだから、検証していけば矛盾が出てくるはずだ)
 
 だが、アスカは、この具体的な意見に信憑性を感じた。
 
 ……何か、理由が無ければ、おかしい状態。まさか、時代を逆行してきたなどという非現実的なアイデアをアスカが思い付くわけも無い。
 
 何だかわからないもやもやとした気持ちに、添え木を当てたように……捉え所のない空間に急に足場が現れたように、アスカはその考えを握り締めた。
 
 
 
 裸になったまま考え込んでいたアスカは、思い立って、振り返った。
 
 レイが、ちょうどパンツを脱いだあたりだった。
 
 アスカが見ていると、レイもアスカの視線に気付き、振り返る。
 
 
 
 見つめる視線。
 
 赤い瞳と、蒼い瞳。
 
 
 
 アスカが、口を開く。
 
 「……ファースト、シンジのこと……どこまで知ってるの?」
 
 アスカの言葉にシンジの名前が出てきたことで、レイは不快感を増した。
 
 静かに、口を開く。
 
 「……あなたには……関係の無いことだわ」
 
 「……何よ……むかつく言い方ね」
 
 アスカも、眉間にしわを寄せる。
 
 「ど〜して、そういう言い方されなきゃなんないのよ」
 
 「碇君のことは……あなたには、関係が無い」
 
 「ハァ? なに言ってんの? アタシが言ってんのはね、アイツがなんか怪しくないかってことよ!」
 
 「碇君が怪しい? ……なにが?」
 
 「いろいろ、よ! アンタも分かってんでしょ!? アイツ、普通じゃない」
 
 「当然だわ……碇君は、すごい」
 
 「そういうこと言ってんじゃないわよ!」
 
 
 
 ささいな行き違い……いや、正確には、見当違いとも言える双方の思惑から、妙に緊迫した空気が生まれつつある。
 
 そして、話題の渦中たる碇シンジは、まさか女子更衣室でそのような問題が勃発していようとは、思いも寄らなかった。
 
 
 
 レイとアスカは、ともに裸だった。
 
 最初、二人は黙って対峙していたが……先に、レイがその状態に気付く。
 
 
 
 レイは、一瞬、自分とアスカの体を見比べて……即座にアスカに背を向けると、その場にしゃがみ込んだ。
 
 急にしゃがんでしまったレイの丸い背中を、アスカはあっけにとられて見つめている。
 
 
 
 「……なにやってんの、アンタ?」
 
 白い背中を見下ろしながら、アスカが呟く。
 
 レイは、膝を抱えた姿勢で、ちら……と、一瞬アスカの方に視線を飛ばし、アスカの視線とぶつかると、慌てたようにまた向こうを向く。
 
 
 
 「………」
 
 アスカには、なんとなく、読めてきた。
 
 
 
 とは言え、一応、尋ねる。
 
 「もう一度聞くわよ、ファ−スト……なに、やってんの?」
 
 レイは、向こうを向いたまま……背中でアスカに答える。
 
 「……見ないで」
 
 「……なんで?」
 
 「……碇君が……見せたらだめって」
 
 
 
 突然、アスカが、レイの肩を掴む。
 
 そのまま、ぐいっと自分のほうに引っ張った。
 
 膝を抱えてしゃがみ込んだまま、足の裏だけでバランスをとっていたレイは、そのままごろりん、とアスカのほうに転がった。
 
 仰向けに寝転がるレイの、丁度、頭の上あたりで仁王立ちになったアスカは、そのままレイの顔の前まで、ずいいっと顔を寄せる。
 
 その表情は、苦虫を噛みつぶしたような……という、それだ。
 
 
 
 「ファースト、アンタねぇ……ちょっと、アイツの言うことを信用しすぎ!」
 
 アスカに怒鳴られたレイは、大の字に寝転がったまま、アスカのことをムッとした表情で見る。
 
 「碇君は……信頼できる。碇君の言うことを信じるのは、当たり前だわ」
 
 「そーゆーことを言ってんじゃぁないわよッ」
 
 「碇君は、いつだって正しい」
 
 「だああッ!」
 
 アスカが、頭を抱えるようにして、ぶんぶんと首を振る。
 
 赤い髪が、アスカのきめ細かな肌の上を、流れるように踊った。
 
 「アタシが言ってんのはねぇ! アイツだって、間違うこともあるってコトよ!」
 
 レイを睨み付けながら、叫ぶ。
 
 
 
 レイは、厳しい表情のまま、アスカの視線を真正面から受け止めた。
 
 ゆっくりと、呟く。
 
 「ありえない」
 
 「ハァ?」
 
 「碇君は……間違わない」
 
 「……何でよッ!」
 
 「碇君は……すごいから」
 
 
 
 「ハッ!」
 
 吐き捨てるように、アスカは短く息を吐く。
 
 
 
 レイは、床に腕を突いて、ゆっくりと上体を起こした。
 
 そのまま、おしりをついた状態で、体をねじる。
 
 アスカを、見る。
 
 
 
 「碇君は……すごい。
 
 だから……間違わない」
 
 
 
 アスカは、ギン! とレイを睨んだ。
 
 燃えるような眼差し。
 
 「ああ! そうよ!」
 
 バッ、と両腕を思いきり広げて、アスカが叫んだ。
 
 勢いで、その豊かな乳房が、わずかに形を変える。
 
 「アイツは、すごい! ええ、そうよ! それは認めてやるわ!
 
 でも、間違いはある!
 
 それが、人間なのよ!
 
 間違いのない人間なんて、いない! 完璧な人間なんて、いないの!」
 
 
 
 静寂が、訪れた。
 
 
 
 アスカの動きが止まった。
 
 レイが、怪訝な表情でアスカを見る。
 
 
 
 レイは、立ちあがると、アスカの前まで歩みよった。
 
 アスカは、そんなレイを見ていない。
 
 まるで、何も見ていないかのような視線で、虚空に焦点を合わせている。
 
 
 
 「……?」
 
 
 
 ……まるで、急に電池の切れたラジオのように。
 
 先ほどまで、あれほど燃え盛っていた炎が、突然前ぶれなく、消えた。
 
 
 
 レイが、腕を伸ばした。
 
 アスカの肩に触れる。
 
 急に現実に引き戻されたアスカは、ビクッと体を震わせて、レイを見る。
 
 
 
 レイと、アスカの目が合う。
 
 
 
 その表情は、およそ、アスカらしからぬものだった。
 
 まるで、何かに脅えているような……
 
 
 
 「……何を……怖がっているの?」
 
 レイが、静かに問う。
 
 その言葉が、アスカに命を吹き込んだ。本人すら気付いていなかった感情に、言葉で輪郭を与えてやったことで、初めて自分自身に知覚できる感情となった。
 
 アスカは、電流が走ったように、バチッ! と表情を一変させた。
 
 いつもの、強気な表情。
 
 「……ア……タシが、怖がってるですって!?」
 
 必死の思いで、アスカはレイを睨む。
 
 「アタシは、何も怖がってなんかない!」
 
 
 
 言いながら、アスカはレイから数歩下がった。
 
 再び、対峙する。
 
 
 
 しかし、先程までの対峙とは、少し構造が変化していた。
 
 
 
 強烈な意志の力を発散する、アスカ。
 
 それは先程までの状況と変わらぬように見えるが、実は、その意志のうちの半分は、自分自身の内側に向けられていた。
 
 
 
 ……完璧な人間がいない!?
 
 アスカは、自分が口走った言葉を反芻する。
 
 ……そんなことは……ない!
 
 アタシは、完璧よ……
 
 ……誰よりも!
 
 
 
 そして、同時に思い出される、あの少年の言葉。
 
 
 
 『……完璧な人間なんて、いないよ』
 
 
 
 うるさい!
 
 
 
 アスカは思う。
 
 しかし、どうにもならなかった。
 
 封印していた感覚が、再び鎌首をもたげる。
 
 
 
 『自分に誇りが持てるなら……それだけで、素晴らしいんだ』
 
 
 
 うるさい!
 
 
 
 『アスカ……僕は、君を助けたい』
 
 
 
 うるさい!
 
 うるさい!
 
 うるさい……!
 
 
 
 アスカには、わからなかった。
 
 理解できない。
 
 
 
 心の底から、腹が立つ。
 
 ずっと、忘れていたかった。
 
 あの、公園での出来事。
 
 思い出すだけで、煮えくりかえるような、想い。
 
 はらわたをかきむしられるような、怒り。
 
 ずっと忘れていたかった。
 
 忌まわしい記憶。
 
 封印していた想い。
 
 
 
 ……なによ!
 
 
 
 ……なんなのよ……!
 
 
 
 なんで……
 
 
 
 こんなに、腹が立ってるのに!
 
 こんなに、ムカつくのに!
 
 こんなに、悔しいのに!
 
 
 
 なによ! なによ! なによ!
 
 この気持ちはなに!?
 
 なにを……あた……た……かくなってるのよッ!
 
 
 
 ああ! 消えて!
 
 イヤ!
 
 なによ……!!
 
 
 
 なんで
 
 嬉しいのよっ!
 
 
 
 嬉しくなんかない!
 
 嬉しくなんかない!
 
 嬉しくなんか……ない……!
 
 
 
 ……ない……の……に……!!
 
 
 
 アスカが、必死とも思える心持ちで、何度も自分自身を叱咤する。
 
 いままで、ずっと忘れていた。
 
 思い出してはいけない、言葉。
 
 あってはならない言葉。
 
 
 
 あの少年の言葉は、今の自分を否定する。
 
 理解しがたい言葉。
 
 それなのに……
 
 
 
 ……自分に命を吹き込んでいく。
 
 細胞の隙間を、瑞々しい清流が染み渡る感覚。
 
 
 
 その涼やかさは、燃える怒りと相反する、あってはならない感覚だった。
 
 認めることなんて、できっこない。
 
 あの言葉を言われたときに、不覚にも感じた温かさを恥じ、意識的に、記憶の底に封じ込めてきた。
 
 
 
 それなのに……!
 
 
 
 ……アスカは、気付いていない。
 
 シンジの、言葉の強さに。
 
 シンジの、言葉の重さに。
 
 
 
 封じ込めたと思っているのは、意識だけだ。
 
 実際には、アスカの心は……あの日を境に、まったく違う道を目指し始めていた。
 
 今まで、十数年かけて変わらなかった道を、あの時のシンジが変えている。
 
 ……それほどまでに、多大な影響を自分に与えていることに、彼女は気づいていなかった。
 
 
 
 いや。
 
 違う。
 
 目を、逸らしていただけだ。
 
 
 
 今、気付いてしまった。
 
 自分が、今……あのときの自分とは、既に少し違うということに、気付いてしまった。
 
 そうさせたのが……シンジであるという……事実にも。
 
 
 
 アスカが、その内側で、激しい綱引きを繰り広げているころ……
 
 レイは、先程とは打って変わった、落ち着いた心を持って、アスカを見つめていた。
 
 
 
百九十四


 
 そのころ、中央発令所。
 
 
 
 「……なぁんで、先に出ていったアスカとレイが、シンちゃんよりも遅いのよッ!」
 
 ギリギリと歯を噛みあわせるミサトの言葉に、シンジは、曖昧に笑ってみせるしかなかった。
 
 
 
 ……でも……
 
 ……ふたりとも、本当にどうしたんだろう?