第三十九話 「停電」
百五十八



 アスカが、ガチャガチャと非常用ボタンを連打して、マイクに怒鳴っている。
 
 「ちょっとォ! 誰かなんとか言いなさいよッ!」
 
 しかし、返事はない。
 
 「も〜! 非常時に繋がんないで、なァにが非常用よッ!」
 
 叫んで、ガンッ! と壁を蹴りつけた。
 
 
 
 「落ち着きなさいよ、アスカ」
 
 ミサトがたしなめる。
 
 「そのうち、非常用の発電機が動くはずよ」
 
 「5分前にもそう言ったじゃない!」
 
 「う〜ん、でもねぇ……」
 
 「あいにく、アタシはさっきから、『非常用』って言葉は信用しないことにしたのよね!」
 
 言い捨てて、アスカは腕を組んで不機嫌そうに壁に寄り掛かった。
 
 
 
 「アタシに言ったってしょうがないでしょうが……」
 
 ブツブツと愚痴るミサト。
 
 
 
 シンジは、そんなアスカを、ある意味興味深く眺めていた。
 
 この狭い箱の中には、加持がいる。
 
 以前のアスカなら、あんな口の聞き方はしないはずだ。
 
 
 
 だが、アスカはいつもと変わらぬように喋っている。
 
 それを不思議に思っていると……
 
 それを、当の加持が指摘した。
 
 「アスカ、変わったなぁ」
 
 「? 何がですか、加持さん?」
 
 怪訝そうな視線を向けるアスカ。
 
 加持は、面白そうに目を細める。
 
 「昔のアスカは、もっとこう、自分を隠してたと思うよ。特に、俺の見える範囲ではね」
 
 アスカは、ちょっと目を見開いて、加持を見る。
 
 それは、指摘されて初めて、気付いたかのように。
 
 ……そして、少しだけ頬を赤くして、顔をそらせた。
 
 「……ヘン?」
 
 「いいや」
 
 微笑む、加持。
 
 「これが、アスカだと思うよ」
 
 アスカが、加持を見る。
 
 加持は、楽しそうに呟いた。
 
 「はじめからわかってたさ。まだまだ、アスカの演技には騙されないよ。……それに、こっちのほうがいい」
 
 「……フン!」
 
 アスカは、一瞬赤くなってそっぽを向くと、すぐさまもう一度視線を戻して、加持を睨んだ。
 
 「……だって、隠す必要無いもん! 加持さんは、ミサトとくっついちゃったんだしさァ!」
 
 「ちょッ……ちょっとちょっとちょっと!」
 
 慌てたように、横からミサトが割って入った。
 
 
 
 「いつ、誰が、どこでくっついたってのよ!」
 
 「いっつも、ミサトと加持さんが、そこらじゅうで!」
 
 「ちょ、ま、な、アンタねぇ!」
 
 「はっはっは、バレたか」
 
 「アンタは黙っててッ!」
 
 「今さら……だと思いますよ、ミサトさん……」
 
 「シ、シンちゃんまでぇ!」
 
 「………」
 
 (な、なんにも言われないのも無気味だわァ……)
 
 
 
 「ま、ジタバタしても始まらないさ。誰かが救出に向かってるだろ」
 
 ひとしきり、騒動が済んだ後……加持が、ニコニコしながら言う。
 
 「そうかなぁ」
 
 口を尖らせて、アスカが呟く。
 
 
 
 「……無理だと思うわ」
 
 突然、レイが呟いた。
 
 アスカが、少しだけ眉をあげて、レイを見る。
 
 「……なんでよ?」
 
 「……非常電源は、遅くとも3分で入らなければいけないわ。その様子がないと言うことは……」
 
 「そっちも落ちてる、てことか」
 
 加持が、レイの言葉を繋ぐように呟く。
 
 アスカが、二人の顔を見比べる。
 
 「……それと、ここに救出に来ないことと、何の関係があるの?」
 
 「つまり……停電はここだけじゃなく、NERV全体に及んでるってことさ。NERVは、電気が来ないと不味い問題がいくつもある。MAGIもあるしな。そうなると、今頃は大騒ぎだろうから……こんな、誰かが閉じ込められてるかどうかもわからないエレベーターにまで、わざわざ助けには来ない」
 
 「……うぅ」
 
 嫌そうな顔をするアスカ。
 
 
 
 「ま、気長に待つさ」
 
 加持が伸びをしながら言う。
 
 「まさか、一生このまま、てこたぁないだろ」
 
 「そりゃ、一生って事はないかもしれないけど……」
 
 アスカが、不機嫌そうに加持を見る。
 
 「ん? なんだい、アスカちゃん?」
 
 「……もっと、その、差し迫った問題があるでしょ?」
 
 「なんだ? ……食事かな?」
 
 「……それもあるけどォ」
 
 妙に歯切れの悪いアスカ。
 
 その時……
 
 
 
 「あ、トイレか」
 
 シンジが、ポン、と手を打つ。
 
 その瞬間。
 
 スッパァァァァアァン!!
 
 「あたっ!」
 
 アスカに後頭部を思い切りはたかれて、思わず蹲るシンジ。
 
 
 
 「碇君!」
 
 レイはシンジの側に跪くと、その肩を抱いてアスカをギッと睨んだ。
 
 「……碇君にひどいこと、しないで」
 
 「ハイハイ」
 
 アスカが、溜め息をつく。
 
 そして、周りを見回す。
 
 
 
 ………
 
 
 
 「……よく見たら、カップルばっかしじゃない。ああ、ヤダヤダ」
 
 大袈裟に肩を竦めてみせるアスカに、ミサトが詰め寄る。
 
 「だ! か! ら! アタシたちは、恋人じゃなァい!!」
 
 「ったく……往生際が悪いわよ、ミサト!」
 
 ……というように、ギャァギャァと非常に騒がしい箱の中で、シンジは思わず深い溜め息を漏らすのであった。



百五十九



 リツコは、キーボードを叩く手をとめると、深く溜め息をついた。
 
 リツコに席を譲って立っていたマヤが、おずおずとリツコに声をかける。
 
 「……どう……ですか?」
 
 「ダメね」
 
 短く答えると、リツコは立ち上がって振り返り、ゲンドウと冬月を見上げた。
 
 
 
 「正副予備、完全に途絶えました」
 
 「そうか」
 
 冬月も溜め息とともに答える。
 
 「旧回線はMAGIとセントラルドグマにまわしたから、当座の問題は避けた。だが、このままという訳にはいかんな」
 
 
 
 「こんな時に使徒に来られたら、どうにもなりませんよ」
 
 シゲルがキーボードを叩きながら言う。
 
 「そうね。……でも、準備はしておかなければいけないわ」
 
 リツコが答える。
 
 先程の席には、再びマヤが座っている。
 
 「チルドレンは見つかったかね」
 
 冬月が、マヤに声をかける。
 
 「いえ、ロストしたままです」
 
 「本部の中にいれば、ここまでくるだろうから……外にいるのかも知れんな」
 
 「停電した時には、まだ予定時刻まで30分近くありましたから。今頃は、出入り口でIDが通らずに、呆然としているかも……」
 
 ……とマヤが呟いた時に、シゲルの声が被った。
 
 「いえ……入館認証記録が通っています!」
 
 「えっ?」
 
 リツコが、シゲルの方に振り返る。
 
 「……あのこたち、ここに来てるの?」
 
 「今はどこにいるのか分かりませんが……ジオフロントには入ってますね」
 
 「あら……じゃぁ、どこかの扉が開かなくて、立ち往生してるのかしらね」
 
 呟くリツコ。
 
 
 
 まさに、立ち往生しているのである。
 
 
 
 「そういえば、葛城一尉もいらっしゃいませんね」
 
 マヤが言う。
 
 「ミサトも、どっかに閉じ込められてるのかしらねぇ」
 
 リツコが呟いて、もう一度、溜め息をついた。



百六十



 「……ア……ツ……イィィィィィ〜〜〜〜ッ!!」
 
 アスカの声が、狭い箱の中に響き渡った。
 
 温度が上昇し、すでに面々は汗だくである。
 
 
 
 しかも、前回の時に比べて、人数が倍以上に増えている。
 
 全員が手を伸ばせばぶつかりあうような距離に、ひしめき合っているのである。
 
 
 
 加持は上着の前を開けた状態。
 
 ミサトは、上着を脱いでタンクトップのような姿になっている。
 
 シンジはワイシャツを脱いで、Tシャツ姿。
 
 アスカとレイは制服の構造上脱ぐことが出来ないので、ブラウスのボタンを一つだけ外していた。
 
 
 
 全員、裸足である。
 
 
 
 アスカは、ジロリとシンジの方を睨む。
 
 口を開けて、一言。
 
 「……アンタラねぇ……見てるコッチが暑苦しいから……やめてくんない?」
 
 
 
 レイは、しっかりとシンジの腕に抱き着いていた。
 
 シンジは何度か離れるように言ったのだが、密閉空間の極限状態と暑さで、レイはネジがとんでしまっているようで、全く聞き入れない。
 
 シンジもうだるような暑さに面倒くさくなってしまい、途中で言うのをやめてしまっていた。
 
 
 
 「……とにかく……なんとか、ここから出なくちゃ……」
 
 汗をだらだらとかきながら、シンジが言う。
 
 「……どうやってよ?」
 
 「……どうやってでもさ」
 
 アスカの問いに、シンジが答える。
 
 
 
 「大体さ……今、使徒が来たら、僕ら三人がここにいて、勝ち目はないよ」
 
 「来ないわよ、どーせ」
 
 面倒くさそうにアスカが言う。
 
 「今頃……リツコやマヤが……復旧しようとしてるでしょ。……それを待つしかないんじゃないの」
 
 「そんなこと言って……本当に来たら、まずいよ」
 
 シンジが言う。
 
 
 
 実際のところ、シンジは知っているのだ。
 
 もうすぐ、使徒が来る。
 
 
 
 しかし、その情報は、このエレベーターの中にまで伝わってくるだろうか?
 
 もしかしたら、今頃、もう来ているかも知れない。
 
 自分達が知らないだけかも知れないのだ。
 
 
 
 シンジは、加持の方に向き直った。
 
 「加持さん……どうしたらいいでしょう」
 
 加持も、汗を流しながら、上を見上げる。
 
 「ま……エレベーターの場合、天井から出るのが早道だろうな」
 
 「天井か……」
 
 シンジも、上を見上げる。
 
 
 
 箱の上部には、確かに四角いラインが見える。
 
 あれが、天井からの非常坑だろう。
 
 
 
 「このままこうしていても、埒があきませんよ……」
 
 シンジが、加持の顔を見て言う。
 
 「……あそこから、出ましょう」
 
 
 
 横から、ミサトが聞き咎めて口を出す。
 
 「どうやって? あんな高いところ……」
 
 「肩車とか、手はあるさ」
 
 加持が、腕をまくりながら答える。
 
 
 
 「……さて、どうしようか?」
 
 加持が面々の顔を見渡した。
 
 「アタシは……イヤよ」
 
 隅っこの方で腕を組んでいたアスカが、声を出す。
 
 シンジが、怪訝な表情でアスカを見た。
 
 「イヤって……なにが?」
 
 「……肩車って言ったら……下になる方は当然、男よね」
 
 「そう……かな?」
 
 「当たり前でしょ」
 
 アスカがシンジを睨む。
 
 「アタシがやるとしたら……上ってことよね。……そんな……アタシの身体に触れるなんて、許さないわ」
 
 フン、という表情のアスカ。
 
 
 
 ……実際のところ、肩車されることには抵抗があるのだろう。
 
 加持に肩車されることには、一種のわだかまりがあり、また、シンジに肩車されることはプライドが許さないのか、あるいは恥ずかしいのか。
 
 
 
 「……レイも、ダメよね」
 
 ミサトが、片手で自分を煽ぎながら言う。
 
 「非常坑から出るための腕力が足りないもの」
 
 まず、非常坑を開けるためにも、ある程度の力が必要だろう。ただ乗っけてあるだけの扉ではないはずだ。
 
 それに、非常坑を開けても、やっと頭が半分出るくらいの高さしか無い。
 
 そこから実際に外に出るためには、腕の力で這い上がらなければならないのだ。
 
 
 
 レイは、特に反論しない。指摘された点は自覚しているのだろう。
 
 「と、なると……」
 
 加持が、呟く。
 
 「……やっぱり、俺が葛城を持ち上げるのがいいかな」
 
 「……なんでよ?」
 
 「身長だよ。……俺達二人が、一番背が高いしな。腕力も……葛城なら問題ないだろ」
 
 「そうか……わかったわ。じゃぁ、とっととやりましょ」
 
 その言葉に、加持が少しだけ眉を上げて、面白そうに微笑む。
 
 ミサトが、怪訝そうに加持を睨む。
 
 「……なによ?」
 
 「ああ、いや……物わかりいいな、と思ってね」
 
 
 
 シンジも、加持と同じ感想を抱いていた。
 
 なんとなく……二人きりならいざしらず、自分たちの見ている前で、加持に肩車されることに、何かしらの抵抗を示すだろうと思っていたのだ。
 
 ……だが、実際には、ミサトに抵抗は全くなかった。
 
 彼女も大人なのだから……そんな、下らない理由でダダをこねるわけもない、ということなのだろうか。
 
 シンジはそう思い、改めて、ミサトを見た。
 
 
 
 ミサトは、口元をヒクヒクとゆがめながら、曖昧に笑った。
 
 「……っちゅうかね……アタシ、トイレ行きたくなってきたのよ……」
 
 「……マジ?」
 
 加持も、思わず固まってしまった。
 
 もちろん、シンジも。
 
 
 
 結局、加持がミサトを肩車することになった。
 
 天井から出た後、ロープを垂らして、全員引き上げようと言うことらしい。
 
 
 
 「よし、葛城、いいか?」
 
 床にしゃがみ込んだ加持が、ミサトに声をかける。
 
 加持の頭を両腿ではさんだミサトは、加持を睨む。
 
 「ヘンなトコ、さわんないでよ」
 
 「そういうことは、二人きりの時にするさ……よっ! と」
 
 加持が、一気に立ち上がる。
 
 
 
 ゴイン。
 
 
 
 「あだッ!」
 
 「あ、スマン、葛城」
 
 見事に、天井に頭を打ちつけてしまったらしい。
 
 ミサトは、加持の耳をぎう〜〜、とつねる。
 
 「あ、タ、タタタッタッ!」
 
 「このバカ! ちゃんと見て動きなさいよ!」
 
 「わ、悪かった、悪かったから、耳を、イタタタタタ」
 
 見上げるアスカが、呆れた顔で呟く。
 
 「……暑いんだからさぁ……痴話ゲンカはやめよう、って言ってンのよ」
 
 「ち! わ! ゲンカじゃないってば!」
 
 「……いいから、早く開けてくださいよ、ミサトさん」
 
 「わ、わかったわよシンちゃん……ちょっと待ってね」
 
 「だから、葛城! 耳を、イタタタタタ」



百六十一



 時間を少しだけ、戻そう。
 
 日向マコト。
 
 彼は、ミサトの使い走りで外のクリーニングにミサトの服を取りに来ていた。
 
 今まで、すっかり忘れられていた訳では、断じてない。
 
 
 
 マコトは、ランドリーからビニールパックを取り出しながら、ぶつぶつと文句を言っている。
 
 「まったく、葛城さんもズボラだよな。洗濯物ぐらい、自分で取りに行けばいいのに……」
 
 圧縮されたビニールパックのなかに下着が入っているのを見て、所在無げに頭をかくマコト。
 
 「こーゆーの、男に取りに行かせるかなぁ?」
 
 
 
 両手いっぱいの紙袋を抱えて、マコトはクリーニング屋を出た。
 
 駅へ向かう道を歩いていく。
 
 
 
 やがて辿り着いた交差点で、マコトは赤信号に立ち止まった。
 
 紙袋を足の両側に置き、腕をコキコキと回して伸びをする。
 
 そして、信号に目をやる。
 
 「……ん?」
 
 ……先程までついていた信号が、消えている。
 
 
 
 キキィィィィィィィィッ!!
 
 ドガシャアァァァァァンンッ!!
 
 
 
 信号を見上げるマコトの目の前を、トラックがブレーキ音を響かせながら通り過ぎ、右側から交差点に入ったタクシーに横殴りに突っ込む。
 
 トラックにはねとばされたタクシーは、慣性で数度、回転した後、向いにあった商店のショーウィンドウに突っ込んだ。
 
 その直後に、コントロールを失ったトラックが飛び込む。
 
 
 
 ボッガァァァァァンン!!
 
 
 
 一瞬の間を開け、鈍い爆発音とともに、商店ごとトラックが炎上した。
 
 そのまま、激しい炎を巻き上げながら、小さな爆発を繰り返している。
 
 
 
 マコトは、ただ呆然と目を開いたまま、いきなり目の前で起こった出来事の結果を眺めている。
 
 
 
 やがて、マコトは……かすかに、口を開き、呟いた。
 
 「……大変だ」
 
 
 
 NERVに向かって走り続けるマコト。
 
 間違い無く、第三新東京市全体を、大規模な停電が襲っていた。
 
 NERV本部は大丈夫だろうか? たとえ停電が起こっていたとしても、正副予備の三系統の電源が停電を防いでいるはずだ。
 
 だが、NERVの電源が回復していれば、非常用連絡塔の電源も回復しているはずだ。しかし、これだけの停電が起こっていながら、スピーカーは何も言わない。
 
 おかしい。
 
 もしかすると、NERV本部も停電から回復していないのではないか……マコトはそう懸念し、必死に本部への道を走っていく。
 
 
 
 大通りの角を曲がったマコトは、眼前を移動する物体に気付き、呆然とした。
 
 ビル並に大きな体躯に、クモのような長い足。
 
 中央の本体部分に、かすかに目のような紋様が見える。
 
 割合ゆっくりとした速度で、だが確実に、NERVの本部に向かって歩いていく。
 
 
 
 ……使徒だ。
 
 
 
 「……大変だぁ」
 
 マコトは、その姿を見上げながら、呆然と呟いた。
 
 NERVから、避難勧告放送もなければ、兵装ビルによる第一次攻撃も無い。
 
 ……間違い無い。
 
 NERV本部は完全に停電しており、外とのネットワークが完全に断たれてしまい……使徒が目前に迫っていることに、気付いていないのだ。
 
 あるいは、気付いていても、手の出しようが無い状況にあるのか……。
 
 「やっばい……知らせないと……」
 
 マコトは、慌てて辺りを見回す。
 
 いくらなんでも、あの足の長い使徒よりも早く本部に辿り着くことが出来る訳が無い。このまま走って本部に向かっていたのでは、壊滅した本部に到着するのが関の山……と言うより、つまり本部に辿り着く前に人類滅亡だ。
 
 マコトは、焦って回りを見渡す。停電してからというもの、事故を恐れているのか通る車も無く、辺りは閑散としている。
 
 ……そのとき。
 
 
 
 辻角を曲がって、一台のバンが、こちらへ向かって走ってきた。
 
 車の上に設置した看板に、大きく「市議会議員候補 高橋ノゾク」と書かれている。
 
 
 
 『みなさん、バケモノです。バケモノが歩いております。
 
 しかし、私は動じません。いかなる非常事態にも冷静に対処する男、高橋ノゾク、高橋ノゾクを、どうか宜しくお願いいたします!』
 
 
 
 「……ラッキー!」
 
 マコトは、ニヤリと笑うと、車道の中央に駆け出した。



百六十二



 「おいおい……全然出迎える様子が無いぞ」
 
 眼前のレーダーを見つめながら、男が唖然として呟いた。
 
 「まさか、作戦か?」
 
 「そんなバカな……」
 
 周りの男達も、口々に不安そうな声をあげる。
 
 
 
 ここは、航空自衛隊管制室。レーダーに映っている熱源は、まぎれも無く、使徒だ。
 
 
 
 空自は、使徒が上陸を試みている頃から、すでにその存在を察知していた。
 
 だが、今までの戦闘経験から、使徒にはNERVしか……正確には、あの巨大人型兵器でしか対抗できないことを学習していた。
 
 出動要請があったのならまだしも、現時点で、空自が動く必要は無い。
 
 ……そう判断し、空自はいままで、事態を静観する立場を取っていた。
 
 
 
 ……だが、さすがにここにきて、状況の不自然さに気付く。
 
 熱海に上陸した直後ならまだしも、使徒は現在、すでに第三新東京市に侵入している。
 
 だが、NERVは何も行動を起こさない。
 
 空自の上層部は、やおら不安に駆られて色めきたった。
 
 
 
 「駄目です! 第三新東京市そのものと、全く連絡がつきません!」
 
 受話器を握ったオペレーターが、振り返って叫んだ。
 
 「なんだと!?」
 
 席を立ってレーダーを見つめていた男が驚愕の表情を見せる。
 
 「バカな……ヤツは、もうすぐそこまで来てるんだぞ! なんとかならんのか!?」
 
 こめかみを、脂汗が伝った。
 
 
 
 「い……よっとぉ!」
 
 バコッ!
 
 ミサトの気合いと共に、エレベーターの上部ハッチが上に跳ね上げられた。
 
 ミサトは、開いた非常坑から頭を出し、キョロキョロと周りを見回す。
 
 「……とりあえず、ここから出るしか無さそうね」
 
 ミサトが呟く。
 
 
 
 前回、ミサトはエレベーターの非常坑を開けるのに、非常に苦労していた。
 
 だがそれは、トイレへの欲求が限界間近だったせいで、焦りが頂点に達していたせいではないだろうか。
 
 NERVのエレベーターの非常坑が、そんなに開けにくい構造であるはずがない。
 
 
 
 ミサトは、下を見下ろして加持を睨んだ。
 
 「いい? 今から出るけど、ぜっっっっっっっ……たいに、上、見るんじゃ無いわよ!」
 
 加持が笑う。
 
 「いまさらって気もするがなぁ」
 
 アスカが、露骨に眉をしかめる。
 
 「……フケツ」
 
 「うるさァい!」
 
 ミサトは、バッと両手で非常坑の端を掴んで体重を支えると、思いきり加持の頭を蹴り飛ばした。
 
 「あダッ!」
 
 反動で、ミサトは非常坑の上に出る。
 
 
 
 エレベーターの上には、箱を支えるワイヤーをロックする機構部分の他に、金属の箱が接着されていた。
 
 ミサトは、箱のフタを開け、中からロープを取り出した。こういう時のために、あらかじめ用意されているものだ。
 
 箱の中でロープの端が固定されている。そのまま非常坑からロープを中に垂らす。
 
 
 
 加持は、ミサトに蹴り飛ばされた頭をさすりながら、上から垂れてきたロープを掴んだ。等間隔に結び目が作ってあり、登りやすくなっている。
 
 「さて、では、とっとと出ようかな」
 
 汗を垂らしながら、加持が言う。
 
 
 
 「アタシ、一番最後!」
 
 アスカが、バッと手を上げて宣言した。
 
 加持が、おや、という表情をする。
 
 「珍しいな、アスカ。てっきり一番最初って言うかと思ったが」
 
 「だって、先に登ると……」
 
 言いながら、アスカがシンジを睨む。
 
 「……誰かがスカート覗こうとするかも知れないしィ」
 
 「……しないよ、そんなこと」
 
 溜め息をつきながらシンジが答える。
 
 
 
 「……何か、隠してるの」
 
 突然、レイが口を開いた。
 
 
 
 みな、キョトンとした顔でレイを見ている。
 
 会話の連続性を、掴むことが出来ない。
 
 
 
 「……ファースト、ナニ言ってンのよ、アンタ?」
 
 怪訝な表情で、アスカがレイに問う。
 
 レイは、アスカの顔を見て、首をかしげる。
 
 「あなたが……覗かれる、と言ったから」
 
 「? だから?」
 
 「スカートの中に……何か、隠しているのかと思って」
 
 
 
 「………」
 
 再び、言葉を失う面々。
 
 
 
 レイは、アスカをじっと見つめたまま、口を開く。
 
 「何か……違うの?」
 
 その声に、アスカはやっと我に帰って、ふぅ〜……と溜め息をついて肩を竦めた。
 
 「ファースト……アンタねぇ〜」
 
 言いながら、ズイッとレイの顔の前に、自分の顔を寄せる。
 
 気温が高いので、一気に熱が上がったような錯覚を覚える。
 
 「……ハッキリ! バッサリ! 言ってあげるけどねぇ……パンツ、見られちゃうでしょ! パンツ!」
 
 「………」
 
 間近に迫ってきたアスカの顔を、ただじっと見つめるレイ。
 
 
 
 ややあって、レイが、こくりと小さく頷いた。
 
 「そうね……下着姿は、他の人には、見せてはいけないから……」
 
 「……なァんか、ニュアンスが違うのよねぇ」
 
 アスカが、首を捻りながら、腕組みをして言う。
 
 「いい? ファースト。
 
 アタシはね、見せられない、って言ってんじゃないの。見られちゃう、って言ってんのよ。
 
 わかる?
 
 見せようとしてる訳じゃなくて、隠してるのに見ようとするヤツがいる、って言ってんのよ」
 
 「……よくわからないわ……見ようとするの? なぜ?」
 
 「知らないわよ、そんなの。アタシは見たくないわよ」
 
 憮然とした表情で、アスカは姿勢を正すと……クキン、と首を横に向けて、じっとシンジを睨んだ。
 
 シンジは、その視線に嫌な予感を覚え、思わず半歩、後ろに下がる。
 
 「……な、なに? アスカ」
 
 「……見る側代表として……碇シンジさんにでも御意見を伺ってみましょうかぁ」
 
 「み、見る側代表って、ちょっと!」
 
 慌ててシンジが叫ぶ。
 
 アスカは、ニコニコしながら拳をマイクを握るように輪にすると、シンジの前にズイッと突き出した。
 
 「碇シンジさん。男って、どうして女の子のパンツを見たがるんですかァ?」
 
 「い、いや、だから……僕は、見ないって!」
 
 「おや? それが、例え愛しの綾波レイさんのパンツでも?」
 
 「ないないない!」
 
 「お聞きになりましたか? 綾波さん」
 
 くるっ、と振り返って、レイの方を向くアスカ。レイは、アスカの急激な変化に、頭がついていっていないようで、ぼーっとやり取りを見ている。
 
 アスカは、今度はレイのところまで行くと、同じく「こぶしマイク」を突き出した。
 
 「綾波レイさん。碇シンジさんは、あなたのパンツに魅力を感じないそうですが、別れの危機ではありませんか?」
 
 「……わかれ……」
 
 「って、ちょ、ちょっと! そ、そ、そんなことないよ、綾波!」
 
 慌ててレイの側に駆け寄るシンジ。
 
 レイは、シンジの方を見る。
 
 「……わかれの、きき……」
 
 「ないない! そんなことないよ!」
 
 「しかし、現に今、綾波レイさんに魅力を感じないとおっしゃいませんでしたか?」
 
 ニコニコしながら、ずいい、と詰め寄るアスカ。
 
 「そ、そんなワケないだろ!」
 
 だらだらと汗をかきながら、シンジがブンブンと首を横に降る。
 
 「では、綾波さんのパンツを見てみたい、と、思ったこともおありだと?」
 
 「い、いや、それは……」
 
 「綾波さん、やっぱり碇さんは……」
 
 「……いかりくん……」
 
 「ああ! ある! あるある、あります!」
 
 
 
 シン……と、静寂が訪れる。
 
 
 
 アスカは、口元に静かに「こぶしマイク」を持っていくと、ニコッと微笑んだ。
 
 
 
 「……フケツ……」
 
 
 
 がっくりと床に蹲り、ぜーぜーと肩で息をするシンジ。
 
 何が何やらよくわかっていないレイ。
 
 加持は、頭をかいて苦笑いしている。
 
 
 
 ミサトが、非常坑から顔を出して、焦ったように呟いた。
 
 「どーでもいいケド……いつになったら登ってくんのよ〜! アタシは、トイレに行きたいんだってば!」



百六十三



 バンのスピードメーターは、すでに180近い数値を示していた。
 
 ビリビリと、小刻みに針が震えている。
 
 
 
 運転手の男性は、脂汗をかきながら、地べたまでアクセルを踏みしめていた。
 
 
 
 助手席に陣取ったマコトは、横目で使徒を見る。
 
 今は、ビルの向こう側に、長い足の最頂部が見えかくれするだけで、その全貌を目にすることは出来ない。
 
 だが……ゆっくりと動くそれは、使徒が、相変わらず本部を目指して歩いていることを示していた。
 
 
 
 『み、み、みなさん、こちらNERVです。正体不明の生命体が、市内を侵攻中です。お近くのシェルターまで、避難をお願いしますぅぅぅ』
 
 マイクを握る手をカタカタと震わせながら、ウグイス嬢が泣き声ともとれるような情けない声で叫ぶ。
 
 「み、見えました」
 
 運転手が、掠れた声でマコトに言う。
 
 
 
 前方に、ジオフロントのゲートが見える。
 
 
 
 「よし! そのままゲートに突っ込んでくれ!」
 
 「あぃい!? ……ハ、ハ、ハヒ!」
 
 一瞬、運転手は、ギュッと目を瞑り……汗だくになりながら、ガッと目を見開いて、思いきりアクセルを踏み込んだ。
 
 
 
 ブオオアァァァァァァァァァ……
 
 『……キャアアアアアアアアアッ!!』
 
 
 
 ……ドガッシャアァァァァアアンッ!!
 
 
 
 「被害状況が分かりました」
 
 シゲルが、報告書を手に、リツコの前に駆け寄った。
 
 ちなみに、その報告書は、コピー用紙に手書きで書かれたものだ。プリントアウトができないため、やむなくの処置である。
 
 「現在までの報告では、電源の物理的な切断が27箇所。プログラム操作による巧妙な隠蔽工作が16箇所、発見されています」
 
 「やはり、人的な妨害工作か」
 
 冬月が呟く。
 
 「……復旧の見通しは」
 
 ゲンドウが、いつもの姿勢でシゲルに問う。
 
 「電源の切断などの復旧に、およそ8時間かかります。プログラムの方は、MAGIが無傷ですので、おそらく数時間で復旧が可能かと……」
 
 「外部との回線復旧を急げ。最優先だ」
 
 「ハイッ」
 
 ゲンドウの言葉に、シゲルは敬礼付きで答えると、書類の束を持って再び自分の席へ掛け戻った。
 
 
 
 「……使徒対策のための、いわば、人間を護る最後の砦が……最初に許した直接攻撃が人間の手によるものとは、皮肉だな」
 
 冬月が、ゆっくりと、息を吐き出すように呟く。
 
 「もっとも脅威なのは、人間と言うことだ……」
 
 ゲンドウが、低い声で答える。
 
 
 
 「……それにしても、暑いわね」
 
 リツコが、額の汗を拭いながら言う。
 
 「心無しか、空気もよどんでいる気がするし……」
 
 「空調をストップして、全ての電力をMAGIに回していますからね……」
 
 マヤが、汗びっしょりになりながら答える。
 
 リツコは、服のチャックを少しだけ下げて、書類を押さえるプラスチック製のボードで風を送る。
 
 
 
 「よ……いしょっと」
 
 非常坑から上半身を出したアスカを、加持が抱え上げて天井に立たせた。
 
 「さて、これで全員だ……どうするかな」
 
 汗を拭いながら、加持が皆を見回す。
 
 
 
 結局、最初に加持が登って上から引き上げる任につき、次にシンジがレイを押し上げ、その後にシンジ、最後に本人の強硬な要望により、アスカがトリを飾る、という順番に落ち着いたのだった。
 
 
 
 「だぁぁぁぁ……っ……とととにかくさっさとトイレにぃぃ」
 
 その場でくるくると回りながら、緊迫した表情でミサトが言う。
 
 「そんなこと言っても、しょうがないでしょ……落ち着きなさいよ」
 
 アスカが、腰に手を当てて、横目でミサトを睨む。
 
 「落ち着けるもんなら……落ち着いてるわよォ〜」
 
 アスカに反論しながらも、ミサトの動きは止まらない。
 
 
 
 とりあえず、エレベーターのシャフトは上下に非常に長く伸びているため、箱の中にひしめき合っていた先程の状態よりは、はるかに暑さは軽減されていた。
 
 汗が吹き出る温度であることに、変わりはないが。
 
 「アレ、使えるんじゃない?」
 
 アスカが、シャフトの一部を指差す。
 
 ちょうど、立っているアスカの頭くらいの高さに、空調ダクトのようなものが見える。
 
 
 
 加持が網のフタを外すと、中は真っ暗な狭いダクトが奥まで伸びていた。すぐに闇に溶け込んでしまい、どこまで続いているかは、わからない。
 
 「まぁ、ここから行くしかないのかな」
 
 シンジが言う。
 
 「さて、順番だが……」
 
 「シンジの前は、イヤ!」
 
 アスカが、ビシ! とシンジを指差して言う。
 
 「もォ〜、アスカァ……順番なんかど〜でもいいから、とっとと行こうってばァ!」
 
 情けない表情で、ミサトが言う。
 
 
 
 結局、アスカ、ミサト、レイ、シンジ、加持という順序で潜り込むことになった。
 
 加持が最後尾を護ることを提案したことと、ミサトが(さっきあんなことをアスカに言っておきながら)加持の前を拒否したこと、アスカが先頭を主張したことなどから、こういう布陣になったようだ。
 
 
 
 真っ暗なダクトの中……四つん這い、というよりも、むしろ腹這いに近いような体勢で、一行は進む。
 
 「ちょっとォ……けっこうダクトが枝別れしてるわよ」
 
 暗闇の向こうから、アスカの声が反響して聞こえる。
 
 しかし何しろ、先頭を行くのはアスカだし、ダクトの構造なんて誰も知らないのだ。
 
 「も〜、どっちでもいいわよ! アスカの好きにすれば」
 
 「あったりまえじゃない! アタシがリーダーなのよ! アタシが決めた道を、黙ってついてきなさいよ」
 
 「いいから、ホラ、はやくはやくはやくはやくはやくッ」
 
 ミサトが切羽詰まった声で先を促す。
 
 
 
 そうしたやりとりを、シンジもまた、苦笑して聞いていた。
 
 前回も、アスカは同じようなことを言っていた。
 
 だがそれは、メンバーがチルドレンに限られていたからだ。
 
 ミサトや加持が加われば言うことが違うかも知れない、と思っていたが、結局変わらなかった。
 
 それは、一見、わがままで自己中心的な姿が助長されているような懸念を抱かせるが……実は、違う。今までの、ミサト、あるいは特に加持の前で見せていた、ある意味、妙に大人しく従順な姿。あれが作られた姿であるのは、異論の余地がない。
 
 アスカは、相手に構わず、地の自分を見せるようになっており……それは、喜ぶべき傾向でもある、とシンジは思った。
 
 
 
 バンから手持ちのスピーカーを取り出したマコトは、それを持って管制室に向かっていた。
 
 やがて、管制室の扉が見える。
 
 マコトは、その扉を蹴り開けると、マイクのボタンを押し、息を吸い込んだ。
 
 
 
 『使徒接近中! 現在、本部の直上付近まで移動!』
 
 
 
 ゲンドウは、その声を聞いて立ち上がった。
 
 「冬月、後を頼む」
 
 「どうする気だ、碇?」
 
 冬月が、姿勢を崩さずに、顔だけをゲンドウに向ける。
 
 「エヴァを起動させる」
 
 「電力がないぞ」
 
 「人力でやれる」
 
 言うや否や、ゲンドウはきびすを返して、タラップに向かって駆け出していった。
 
 
 
 遠ざかる後ろ姿を眺めながら、冬月は、じっと黙っていた。
 
 数瞬……。
 
 やがて、冬月は元向いていた方に向き直り、呟くように言葉を紡いだ。
 
 
 
 「……人類を危機に陥れるのも、人間の力……
 
 ……人類を救うのも、人間の力、というわけか……」