第二十七話 「不協和音」
八十五



 トウジとケンスケが葛城邸に足を向けたのは、シンジとレイとアスカの三人が学校を休んでから……別の言い方をすれば、前回の使徒が来てから3日が経過してからだった。
 
 レイとアスカもそうだが、シンジは彼等にとって大事な友人だ。
 
 それが、先日……学校で急にNERVに召集され、その直後に非常事態宣言。
 
 そして、宣言が解除されたのちも、シンジは登校してこない。
 
 
 
 戦闘で怪我を負ったのではないか、と考えるのは当然だろう。
 
 
 
 使徒をまだ殲滅していない、とは、まさか二人とも思わない。
 
 情報操作もあるし、海岸の再開発地区一帯は数十キロに渡り立ち入り禁止。ヘリなどの飛行艇の運行も禁止されていた。
 
 まさか、目と鼻の先に、数日後に息を吹き返す使徒が、しかも2体もいるとは、夢にも思わない。
 
 
 
 非常事態宣言が無事解除されたということは、シンジが無事、使徒を撃退したはず。
 
 その結果として、登校も出来ないような怪我を負ったのだ……と、二人は考えていた。
 
 
 
 同時に考えるのは、レイとアスカも登校してきていない、という事実だ。
 
 三人とも、怪我を負ったのでは?
 
 ……だとしたら、そうとう大きな被害だったのではないだろうか。
 
 「綾波は、碇につききりで看病してるのかも知れないけどな」と、ケンスケは笑ったが。
 
 
 
 示し合わせたわけではなく……ヒカリも、同じく学校の帰りに葛城邸に足を向けていた。
 
 レイと、アスカ。
 
 二人が学校を休んでいるため、見舞いに行こうと考えていた。
 
 二人が怪我をしたのでは、という結論に至る思考は、ほぼトウジやケンスケと一緒なので割愛する。
 
 
 
 トウジとケンスケは、ミサトの家に行くということで、いつもより多少は見栄えがするようにトイレの鏡の前で無駄な足掻きを行っていたし、ヒカリは花屋に寄って花を買い込んでいた。
 
 そのため、三人は、葛城邸の団地の下で、初めて顔を合わせたのである。
 
 
 
 「あれっ、委員長じゃないか」
 
 「ナニやっとるんや?」
 
 「あれっ、す、鈴原……と、相田君」
 
 突然の邂逅に、ヒカリはうろたえたが、トウジはけろっとしたもの。
 
 横で見ているケンスケが、逆に呆れてしまう。
 
 (トウジ……ホントに、ニブいやつ……。
 
 俺なら、クサいセリフのひとつも言うのになぁ)
 
 そんなことばかり考えるから、彼等のような甘酸っぱい恋愛が訪れないのだよ、ケンスケくん……。
 
 
 
 「私は、レイさんとアスカのお見舞いに来たのよ」
 
 ちなみに、アスカはヒカリにも「アスカ」と、「さん」付けでなく呼ぶように指導していた。
 
 「俺達は、碇のお見舞いに来たんだよ」
 
 「ふぅん、そっか……そう言えば、碇君も、この団地なのよね」
 
 言いながら、団地を見上げる。
 
 「確か、シンジと綾波は隣どうしやったな」
 
 「うん、そう聞いてるわ」
 
 「惣流もこの団地なのかな?」
 
 「部屋番号しかわからないけど……レイさんの隣よ」
 
 「ほんなら、シンジの二つ隣っちゅうことか」
 
 「そうなるわね」
 
 「エヴァのパイロットが集められてるちゅうわけか……」
 
 などとお喋りをしながら、三人はエレベーターに乗り込む。
 
 ヒカリは、トウジと思いのほか近い位置にいることに、平静を装いながらも内心沸騰しかけている。
 
 このエレベーターが、ずっと止まらなければいい……。
 
 いっそ、停電か何かで閉じ込められたりしたら?
 
 ……そんなことになったら、いたたまれないのはケンスケである。
 
 
 
 目的の階に降りる三人。
 
 「どっちから先に行くんや、いいんちょ?」
 
 「アスカの方が手前だから、アスカを先にお見舞いしようと思ってるけど……」
 
 「じゃあ、俺達は碇の所に行ってるからさ。委員長も、あとで来なよ」
 
 「うん、わかった」
 
 友人のお見舞いに来て、不謹慎ながら、思わぬイベントに遭遇し、心の中で小躍りするヒカリ。
 
 そして、三人は、並んで廊下を歩いていき……
 
 
 
 同じドアの前で、立ち止まる。
 
 
 
 「「「なんでここで止まる(んだ)(んや)(のよ)?」」」
 
 三人は、完全なハモリを見せ……
 
 一拍おいたのち、三人は同時に手を伸ばしてチャイムを押した。
 
 
 
 ピンポーン
 
 
 
 「「は〜い」」
 
 
 
 ドタドタッ、と足音がして……
 
 ガチャッ、と扉が開かれた。
 
 そこから顔を出したのは……。
 
 
 
 「シ、シ、シンジ! お、おまえ……綾波っちゅうもんがありながら……」
 
 「しかも、今どきペアルック! いや〜んなカンジ」
 
 「……碇君……浮気!?」
 
 
 
 シンジとアスカの二人が、おそろいのレオタードとTシャツを着て出てきたのだった。
 
 
 
 「な、な、な、なに言ってんのよッ!」
 
 アスカは、怒りか恥ずかしさか、顔を真っ赤に沸騰させて怒鳴っている。
 
 「アスカ! 碇君とレイさんのコト、わかってるの!?」
 
 「知ってるわよッ! 誰がこんなヤツと、馬鹿にしないで!」
 
 なおも詰め寄るヒカリと、必死に反駁するアスカ。
 
 そのとき、シンジは何をしていたかというと……
 
 ……頭を抱えて、蹲っていたのだった。
 
 
 
 ああ〜……
 
 そう言えば、前回もこの三人が来て、同じことやったよ……。
 
 わかってたのに、またやってしまった……。
 
 
 
 ………
 
 ……でも……
 
 ……こんな細かいことまで、覚えてるわけないよなぁ……。
 
 
 
 「シンジ……おまえは、そういうヤツやったんか」
 
 シンジの頭上から、低い声が振りかけられる。
 
 シンジが見上げると、太陽を背に、トウジが見下ろしていた。
 
 「トウジが何を言いたいのか、大体分かるけど……誤解だって……」
 
 「ゴカイもロッカイもないわ!」
 
 ガバ、とシンジの襟を掴むと、強引にシンジを立ち上がらせる。
 
 「そう言われても……これは、訓練の一環でね……」
 
 「こないアホな訓練があるか」
 
 そりゃ……そう、思うよな。
 
 「そないシラを切るんなら……ワイがこのことを綾波に言う、ちゅうたらどないする気や?」
 
 「……言えば?」
 
 「なんやと?」
 
 「……そこに、いるし」
 
 ポケ、とした顔でシンジを見ると、トウジは慌てて、玄関の中を覗き込んだ。
 
 「……あ……綾波」
 
 そこには、ワンピース姿のレイが立って、玄関での騒動を見ている。
 
 それに気付いたヒカリも、訳がわからず、レイとアスカの顔を見比べている。
 
 
 
 「……どういうことなんや」
 
 間の抜けたトウジの声。
 
 その後ろ……
 
 ケンスケは、中指で眼鏡を戻す。
 
 そして……
 
 ひとこと。
 
 
 
 「……奥様、公認プレイ?」
 
 
 
 「「「「そんなワケあるかぁ!!!!」」」」
 
 レイを除く、その場全員の怒鳴り声が、団地中に響いたのだった……。



八十六



 「なるほど、そういうワケやったんですか」
 
 お茶を飲みながら、トウジがにこやかに笑いかけた。
 
 笑顔の先は、もちろん、葛城ミサトである。
 
 ヒカリはそんなトウジを横目で寂しそうに見ている。
 
 「だから、さっき訓練って言ったじゃないか」
 
 シンジが言う。
 
 「ああ、すまんかったな。まさか、ペアルックする訓練があるとは思わんやろ?」
 
 快活に笑うトウジに、苦笑いで返すシンジ。
 
 
 
 一行は、テーブルなどが片付けられて広く空けられたフローリングの床に、車座になって座り込んでいた。
 
 トウジとシンジ、ミサトは談笑中。
 
 ヒカリは、トウジが気になりつつも、ペンペンを抱えてアスカとお喋り。
 
 ケンスケは、シンジ・アスカのレオタードとレイのワンピース、そのうえ至近距離でのミサトというラインナップに、我を忘れてデジカメのシャッターを切り続けている。
 
 レイは、じっとシンジを見つめていた。
 
 
 
 「まあ、それはいいんだけど……」
 
 ニコニコと笑いながら、ミサトが言いかけ……
 
 ギン!
 
 と、横を睨む。
 
 「……アンタが、なんでココにいんのよ!?」
 
 
 
 睨まれて、人を喰った笑顔を見せるのは、加持リョウジである。
 
 あぐらをかいたまま、ずず、とお茶をすする。
 
 「いやぁ、やっぱり、発案者としては訓練の結果が気になるだろ?」
 
 「……アンタの計画、やっぱり採用するんじゃなかったわ」
 
 ミサトが、大袈裟に溜め息をついてみせた。
 
 
 
 トウジたち三人が現れてすぐに、ここへ加持がやって来たのだ。
 
 その真意はよく分からない。
 
 案外、本当にフラリと立ち寄っただけかも知れない。
 
 
 
 「あの……どなたさんでっか?」
 
 トウジが、おずおずと声を出した。
 
 さっきから、まるで知り合いかのごとく、空気のように話の輪に溶け込んだこの男……。
 
 ミサトにずいぶん親しげに話しかけているのが、気になったのだろう。
 
 トウジの横で、ケンスケもうんうんと頷いている。
 
 
 
 あ。
 
 そうだ。
 
 
 
 シンジは、急に思い立った。
 
 
 
 ……だいたい、トウジもケンスケも、ミサトさんと付きあうことになるわけないんだし……
 
 洞木さんもいるし。
 
 
 
 よし……。
 
 
 
 「ああ、加持さんって言ってね、NERVの……え〜と……」
 
 「ま、何でも屋だな」
 
 加持が笑う。
 
 「オジャマ虫よ」
 
 睨みながら、ミサトが言う。
 
 苦笑いの加持。
 
 
 
 先ほどからの一連の会話で、ミサトと加持が仲が悪いらしいことに気付き、思わずトウジとケンスケがホッとしかけた、その時……。
 
 
 
 シンジが、微笑みながら続けた。
 
 「……で、加持さんはミサトさんの恋人ってわけ」
 
 
 
 「な、な、な、シンちゃんんん!?」
 
 すっとんきょうな声を上げて、口をぱくぱくさせるミサト。
 
 シンジが、振り返って笑った。
 
 「ですよね、加持さん?」
 
 「ああ、そうだな」
 
 加持も、笑いながら答える。
 
 「ちょ、ちょ、ちょっとシンジ! 嘘つくんじゃないわよ!」
 
 アスカも思わず身を乗り出して怒鳴る。
 
 「嘘って言われても……ねぇ?」
 
 「そうだなぁ」
 
 ニコニコしながら、顎をなでる加持。
 
 「ミ、ミサト! ホントなの!?」
 
 「ウソ! ウソ! ウソ! ウソウソウソよッ!」
 
 「……顔が赤いですよ、ミサトさん」
 
 ばっ、と頬を両手で押さえるミサト。
 
 そして、自分の行動に気付く。
 
 
 
 トウジとケンスケは、一言も言葉を発せなかった。
 
 ただ、ボケッと抜け殻のようになっているばかり。
 
 アスカも、今のミサトを見て、がっくりと肩を落とした。
 
 
 
 ミサトは、フルフルと肩を震わせながら、真っ赤な顔をしてシンジを睨む。
 
 「……シンちゃん……あとで……覚えておきなさいよォ〜〜……」
 
 「あ、あはは……」
 
 苦笑いするシンジ。
 
 
 
 あはは……は、早まったかな?
 
 
 
 でも……
 
 シンジは、ヒカリを見る。
 
 脱け殻になったトウジを心配そうに横目で見ながらも、どこか嬉しそうだ。
 
 
 
 だいたい、トウジも洞木さんに弁当まで作ってもらってるんだからさ……
 
 ミサトさん追っかけてないで、洞木さんと付きあえばいいんだよ。
 
 お似合いなんだから……。
 
 アスカも、加持さんとじゃ、恋人同士にはなれないだろ?
 
 はたからみてても、恋人って言うよりは、兄か父親に甘えてるって感じだし……
 
 恋愛って言うよりは、憧れって感じだもんな。
 
 加持さんはミサトさんと、仲良くなってもらわなきゃ。
 
 昔、何があったのか、よく知らないけど……。
 
 好きなんでしょ? なら、いいと思うけどな。
 
 ケンスケは……
 
 ………
 
 ……まあ、ミサトさんと釣り合いが取れるとは思えないし……なぁ……
 
 
 
 自分のことでなければ、ここまで洞察力を発揮するシンジであった。
 
 
 
 「それで、調子はどうなんですか?」
 
 その場の空気を察し、あわてて話題の方向転換を図るべく、ヒカリがミサトに尋ねた。
 
 「え? あ、え、なにが?」
 
 慌てたように、返事をするミサト。
 
 「訓練、の話ですけど……」
 
 「え? あ、ああ、訓練ね! え、え〜と……ま、まぁ、やってみればわかるわよ」
 
 頬をまだ少し赤くしたまま、照れ隠しのようにミサトは言う。
 
 「じゃあ、休憩終わり! 二人とも、準備して」
 
 「はい」
 
 「……はぁい」
 
 言いながら、シンジとアスカは立ち上がった。
 
 
 
 アスカは、加持がミサトの恋人であるという事態に、瞬間的には頭が切り替えられないようであった。
 
 それは、まぁ、しかたがないかな……と、横目で見ながらシンジは思う。
 
 だが、敢えて心の中で予測していたように……アスカは荒れたりするようなことはなかった。
 
 口ではブツブツ言いながらも、ポーズを取るアスカ。
 
 そんなアスカを、シンジはさすがだと思う。
 
 
 
 でも、要するに……そういうこと。
 
 アスカも、加持さんのことを、恋愛対象で見ているわけじゃないんだよな。
 
 そして……
 
 アスカは、それを、自分でもわかっているんだ。
 
 
 
 それを処理するのに、時間がかかっているけれど……
 
 気付いていなかったわけもないだろう。
 
 それらしいことも、前に一度、言った気がするし。
 
 
 
 だから、彼女のショックは、表層的なものだ。
 
 自分のものと思っていた人物が、実は他人のものだと知ったときのショックは、大きい。
 
 だが……
 
 アスカには、わかっていたんだ。
 
 加持さんが、自分のものではないという事実に。
 
 たとえそれが、深層心理によるものだとしても……。
 
 
 
 シンジには、感じられる。
 
 彼女にとって……少なくとも、今の彼女にとっては、エヴァの操縦が、最も大切なこと。
 
 そこにつながる、この訓練……。
 
 
 
 いま、音楽が始まれば、彼女の頭は、切り替わる。
 
 ……それは、彼女の尊敬すべき能力なのだ。
 
 
 
 「シンちゃん、よそ見しない! 音楽、行くわよ!」
 
 「「ハイ!」」



八十七



 スピーカーから流れる音楽に合わせて、シンジとアスカは踊り続けていく。
 
 ユニゾン訓練とは、つまり、こういう訓練だった。
 
 踊り続ける二人を見ながら、トウジが感心したように呟いた。
 
 「……なんや、やるもんやなぁ」
 
 「ああ」
 
 相づちを打ちながら、ケンスケもデジタルビデオの撮影に余念がない。
 
 ……レオタード姿のシンジ・アスカのペアが踊るビデオなど、ケンスケの懐を十分すぎる程潤わせるであろうことは、簡単に想像がつく。
 
 「へぇ……さすがね〜」
 
 ヒカリも、同じく感心したように呟く。
 
 レイは、何も言わずに、ただ二人の踊りを見つめていた。
 
 誰も気付かなかったが……ワンピースの裾を、ギュッと握り締めていたが。
 
 
 
 やがて音楽はエンドロールを迎え、フェードアウトする。
 
 
 
 シンジとアスカの二人は、終わりのポーズでピタリと静止した。
 
 
 
 「いやぁ、よかったで、シンジ!」
 
 動き出したシンジに、トウジやケンスケが駆け寄る。
 
 「ありがと。まだうまく踊れないところもあるけどね……」
 
 「どこがや! 全然、そんなんわからへんて」
 
 「ああ、これはいいビデオだよ〜」
 
 「……また、そんなの撮ってたの、ケンスケ……」
 
 
 
 「加持さん、見てくれました?」
 
 汗を拭いながら、ニコニコと加持たちの所にアスカが戻る。
 
 「ああ、かっこよかったよアスカ」
 
 「やったぁ!」
 
 アスカ、満面の笑み。
 
 シンジは、そんなアスカを横目で見ていた。
 
 ……衝撃が、訓練によって……思いのほか、緩和されている。
 
 だが……
 
 これから、その緩衝材を、あえて一度取り除かなければならないだろう。
 
 ……それが、ユニゾン訓練の成功につながる道だからだ。
 
 
 
 「さぁ〜て……では、結果を見てみましょうかねぇ」
 
 言いながら、ミサトが小さなリモコンを取り出した。
 
 「なんですか? それ」
 
 ケンスケが、ミサトの手許を覗き込む。
 
 「コレ? コレはね、言うなれば『ダンス評価マシーン』てとこかな」
 
 「???」
 
 よくわからない、という表情のトウジ・ケンスケ・ヒカリ。
 
 シンジが苦笑する。
 
 「その説明じゃ、何がなんだかわかりませんよミサトさん」
 
 「そぉ? まあ説明するとね……ホラ、部屋の四方にカメラがセットしてあるでしょ? あれで撮った映像を、MAGI……え〜、NERVのマザーコンピュータが解析して、理想の動きとの誤差を得点で表示する、ってワケ」
 
 「なるほど! いやぁ、すごい技術ですねぇ」
 
 「へぇ〜、すごい……」
 
 「??? なんやようワカランけど、要するに今の踊りに得点がつくっちゅうことやな?」
 
 理解した顔のケンスケ・ヒカリと、よくわからないまま納得のトウジである。
 
 「で、結果はどうなんです?」
 
 身を乗り出すケンスケ。
 
 「ちょっと待ってね。このランプがついたら……と、ついたついた」
 
 リモコンの上部にあるケースが、赤く光る。
 
 それを確認して、ミサトはリモコンにたった一つだけあるボタンを押した。
 
 液晶部分に、パッと数字が並ぶ。
 
 
 
 「え〜と……92……ポイント!」
 
 読み上げながら、顔が綻ぶミサト。
 
 周囲からも、おお〜、というどよめき。
 
 「それ、やっぱいい得点なんでっか?」
 
 「いいわよん! 今までで最高得点ね」
 
 「おお〜!」
 
 アスカが、腰に手を当ててふんぞりかえる。
 
 「ま、ト〜ゼンでしょ!」
 
 フフン、と笑うアスカ。
 
 みなの賞賛は、彼女の自尊心を満足させるに十分だったらしい。
 
 「シンジ! こんなとこで喜んでないで、練習よ! アンタがトチらなきゃ、100%行くんだからね!」
 
 バッ、と髪をなびかせて、シンジの方に向き直った。
 
 
 
 よい得点に顔を綻ばすシンジ……を、アスカは想像していた。
 
 いや、他の皆も。
 
 
 
 だが、そこにいたのは、眉間にしわを寄せた、シンジ。
 
 
 
 「なによ、シンジ! 気に入らないの!?」
 
 「……ああ、そうだね」
 
 アスカの不満げな問いに、シンジが答える。
 
 「……ハッ! ずいぶんと殊勝じゃない。だから、これからもっと練習すんのよ」
 
 アスカが、シンジを睨みながら言う。
 
 
 
 ……アタシは、完璧に踊ってみせたはず。
 
 100点にいかないとすれば、シンジがトチッてるからだわ。
 
 この得点で不満なら、アンタがうまく踊ってみせなさいよね!
 
 
 
 しかし、シンジの次の言葉は、アスカの予想したものではなかった。
 
 「……いや、このまま踊っても、永久に駄目だよ」
 
 
 
 「……な!?」
 
 あまりのシンジのセリフに、こめかみに青筋を浮かべて固まるアスカ。
 
 ……アンタ……もう、敗北宣言!?
 
 そのまま、罵倒のセリフを吐こうとするアスカだが、それよりも先に、シンジが加持に振り返った。
 
 「……加持さんは、わかりますよね」
 
 「ああ、発案者だからな」
 
 顎ひげを撫でながら、加持が面白そうに言う。
 
 「ええ!? 加持さん!?」
 
 アスカが、驚愕の表情で加持を見る。
 
 
 
 「ちょっと、加持! どういうこと?」
 
 ミサトが、同じく驚いたように加持を見て言う。
 
 確かに、使徒を倒すには100点を取るのが理想で……そう言うイミではまだまだだわ。
 
 でも……
 
 このままでは、永久にダメですって?
 
 今のだって、決して悪いできじゃなかった……いいえ、むしろいいできだったわ!
 
 
 
 皆の視線を浴びて、加持は天井を見上げる。
 
 「さてと……なんと説明したらいいかな」
 
 言いながらポリポリと頭を掻く。
 
 「……シンジ君は、わかっているようだがね」
 
 「何! 悪いのは、アタシだっていうの!?」
 
 アスカが、詰問する。
 
 ……相手は、あの加持だ。いつものアスカなら、こんな口調では話さないだろう。
 
 ……だが、本性を隠すことも出来ない程に、加持の台詞はアスカを刺激した。
 
 
 
 「……そうだ、シンジ君、レイちゃんと踊ってみてくれないか?」
 
 
 
 皆が、驚きの視線で加持を見る。
 
 「……ファーストが、アタシよりもうまく踊れるって言うの!?」
 
 「そうは言わないが……この場で原因が分かってるのは、俺とシンジ君以外には、レイちゃんしかいなさそうだからな」
 
 加持が、緊張感の抜けた声で応える。
 
 
 
 レイは、平静を装いながら……内心で、心震わせていた。
 
 
 
 この3日間……ずっと見ているだけだった。
 
 弐号機パイロットの動き。私には……あそこまで踊れる自信はない。
 
 碇君と弐号機パイロットのユニゾンを見ながら……
 
 私は、諦めていた……。
 
 
 
 これは、訓練。
 
 でも……
 
 二人の息のあった動きを見ていると……
 
 どうしても、暗い気分になる。
 
 
 
 でも……
 
 
 
 碇君と、踊れる……
 
 碇君と、踊れる……
 
 碇君と……踊れる……!
 
 
 
 「レイ……何がいけないのか、わかってるの?」
 
 ミサトが怪訝そうに声をかける。
 
 「……はい」
 
 レイが応える。
 
 アスカは憮然とした表情で、その答えを聞く。
 
 「フン……アタシよりもうまく踊れるって言うんなら、それを見せてもらおうじゃないの!」
 
 言いながら、ドン、と壁に寄り掛かった。
 
 
 
 シンジとレイは、部屋の中央で、定位置につく。
 
 「綾波、踊りの順序、わかってるよね」
 
 「毎日見てたから……覚えてる」
 
 「うん、じゃあ……がんばろう」
 
 「……うん」
 
 
 
 音楽が、始まった。
 
 
 
八十八



 部屋いっぱいに音楽が流れ……二人の足音と息遣いが、それに重なる。
 
 皆の見ている前で、シンジとレイの踊りは続く。
 
 
 
 シンジの心は、隣にいるレイを感じていた。
 
 すぐそばに、レイの心が寄り添っているのがわかる。
 
 
 
 レイの心は、隣にいるシンジを感じていた。
 
 すぐそばに、シンジの心が寄り添っているのがわかる。
 
 
 
 そのことが、二人の心に、充足感を与えていた。
 
 
 
 ……そして、やがて音楽は、終わる。
 
 
 
 最後のポーズを二人が解いたとき、最初に声を上げたのは、トウジだった。
 
 「いやぁ……さっきとはまた違った魅力っちゅうか……」
 
 腕組みをして、唸るように言う。
 
 「しかしうまいのぅ、センセ」
 
 「う〜ん、毎日やってればこれくらいは……」
 
 照れたように頭を掻くシンジ。
 
 
 
 実際のところ、踊りの構成自体はかなり簡単だ。難しい踊りを覚えるのが主眼ではないのだから、これは当然だろう。
 
 それに、訓練3日目と言っても、シンジは前回、既に5日間の訓練を積んでいる。
 
 しかもアスカの特訓の成果とは言え、使徒と相対した時にはほぼ踊りはマスターしていたのだ。
 
 今回、1日目を思い出すことに使い、残りの2日で頼り無いところを洗い直す。
 
 おそらく、普通の中学生なら、同じ環境に置かれれば、シンジと同じかそれ以上には踊ることができるはずだ。
 
 
 
 アスカは、フン、という表情でミサトを見る。
 
 「ミサト。結果は?」
 
 「ちょっと待って……と、出たわ」
 
 ミサトのリモコンに、得点が表示された。
 
 
 
 そこに表示された得点は……
 
 84ポイントだった。
 
 
 
 「ホラ、見なさいよ!」
 
 バッと右手を振って、満足そうに胸を張るアスカ。
 
 「アタシがやるよりも、得点がいいなんて言ったの、誰よ?」
 
 見たことか、という表情でシンジを振り返る。
 
 
 
 「そんなことは言ってないよ」
 
 シンジは、リモコンを眺めながら答えた。
 
 「ただ……逆を言えば、この訓練は高い得点を出せばいいわけじゃないってことだよ」
 
 ムッのした顔のアスカ。
 
 「どういうことよ?」
 
 「つまり、得点が低くても……訓練としての完成度は、シンジ君とレイちゃんの方が高いってことだな」
 
 「加持さん!?」
 
 後ろから投げられた加持の言葉に、アスカが振り返る。
 
 
 
 「なるほど……やっとわかったわ」
 
 ミサトが呟く。
 
 「ミサト、アンタ……」
 
 アスカが、動揺した瞳でミサトを見る。
 
 
 
 「う〜ん……ワイにはようわからんなぁ」
 
 トウジが腕を組んで呟く。
 
 「そりゃ、シンジと綾波の踊りも良かったが……惣流と組んだヤツもよかったやないか」
 
 「私もそう思う……」
 
 おずおずと、ヒカリがトウジに同調する。
 
 「レイさんとの踊りは見ていて気持ち良かったけど……なんだか、アスカとやった方が完成されてた気がするわ」
 
 
 
 「俺は……わかったよ」
 
 ケンスケが、ファインダーから目を離して、答えた。
 
 
 
 「相田!?」
 
 アスカが、ケンスケを睨む。
 
 横にいたトウジが、怪訝そうに声をかけた。
 
 「ホンマにわかったんか? ワイにはさっぱり……」
 
 「俺は、カメラマンとして見てるからな」
 
 人差し指で眼鏡を直しながら、ケンスケが答えた。
 
 
 
 「要するに……この踊りは、ペアで成立するってコト。
 
 踊りの完成度を数値で表すとして……仮に、惣流を10、碇を9とするだろ。
 
 それに対して、綾波は碇と同じ、9。
 
 二人の数値を合計すると19と18で惣流と組んだときの方が高いけど、バランスって言う意味での完成度は、数値の揃った綾波・碇ペアの方が高いってわけ。
 
 さっき委員長も言ってたけど、だから綾波との踊りの時の方が、見ていて『気持ちがいい』のさ」
 
 
 
 「……アタシに、レベルを下げろって言うワケ!?」
 
 アスカが、叫ぶ。
 
 その瞳は、怒りに燃えていた。
 
 
 
 ……アタシは……完璧よ!
 
 ミスなんかない!
 
 悪いのは、じゃあ、10いかないシンジの方じゃない!
 
 
 
 「レベルを上げるとか下げるとか……そういう話じゃないんだ」
 
 シンジが、ゆっくりと、声を出す。
 
 「この訓練は……『完璧に踊りを踊ること』が目的じゃない。
 
 『二人の息をあわせること』……
 
 相手にあわせることが、大事なんだ。
 
 僕の実力が、仮にアスカの半分の、5しかなかったとしたら、アスカが完璧に、10踊っても駄目なんだ。
 
 僕は、アスカに合わせようと努力する。
 
 アスカも、僕に合わせてくれる。
 
 その結果、ふたりが7で揃うなら……その方が、訓練の成果としては望ましいんだよ」
 
 
 
 全員の視線が、アスカに注ぐ。
 
 
 
 「……アタシは……悪くない! 悪いのは、下手クソなシンジじゃない!」
 
 アスカは眉をゆがめて叫ぶと、バッと玄関に向かって駆け出した。
 
 「アスカ!」
 
 間髪を入れず、シンジも駆け出す。
 
 
 
 シンジは、考えていた。
 
 やはり、こういう結果になった……。
 
 僕は間違っているだろうか?
 
 彼女を、また傷つけてしまった……。
 
 
 
 だけど、口で説明しても、彼女は理解してくれなかっただろう。
 
 僕のやり方がへたくそなのかも知れないけど、他に方法が思い付かなかった。
 
 
 
 このまま、放っておいていいわけがない。
 
 
 
 僕が行ったら、火に油を注ぐだけかも知れないけど……
 
 追いかけないでは、いられないよ。
 
 このまま、放っておけるわけがない……。
 
 
 
 二度、玄関の扉が開閉する音がした。
 
 皆、呆然として、二人の消えた方を見つめている。
 
 
 
 「あちゃ……言い過ぎた……」
 
 顔を片手で覆って、溜め息をつくミサト。
 
 心配そうな表情で、顔を見合わせるトウジ・ケンスケ・ヒカリ。
 
 「仕方ないさ……ここまでは。
 
 こうなるのは、避けられない事態だった。
 
 シンジ君のお手並み拝見、だな」
 
 呟くように言う、加持。
 
 
 
 「碇君……」
 
 レイは、寂しそうな視線で、玄関を見つめていた。