第22.5話 「オーバー・ザ・レインボウ」
五十八
 
 
 
 太平洋。
 
 延々と広がる大海原の上を、豆粒ほどの船影が、群れをなして航行している。
 
 だが、それは、世界の広さに惑わされた姿……
 
 ヘリが近づくと、みるみるうちに、それは巨大な戦艦のひしめく大艦隊へと、姿を変えていく。
 
 低空飛行へと移行したヘリコプターは、その中央に位置する空母へと針路を向けた。
 
 
 
 国連軍所属空母、オーバー・ザ・レインボウ。
 
 
 
 世界的に見ても、超巨大級空母として名を馳せる歴戦の勇者である。
 
 ボディに赤いエンブレムを煌めかせたヘリコプターは、ホバリングしながら、ゆっくりとその甲板に脚を降ろした。
 
 
 
 「ふぅい〜、結構時間かかっちゃったわね〜」
 
 黒髪をかき上げながら、一人の女性がヘリコプターから降りてくる。
 
 NERV作戦本部長、葛城ミサトである。
 
 その後から、無言で降りてくる制服姿の少女。蒼い髪に赤い瞳が印象的な彼女は、ファーストチルドレン、綾波レイである。
 
 甲板に降りたレイは、特に周りを眺めるでもなく、ただ水平線の彼方を見つめていた。
 
 その視線の方角を見てとったミサトが、レイに声をかける。
 
 「レイ」
 
 「…はい」
 
 「シンちゃんがいなくて、寂しい?」
 
 「………」
 
 レイは応えない。だが、わずかに赤く染まった頬が、代わりに答えているようなものだ。
 
 (かわいいわね、相変わらず)
 
 ミサトは、そんなレイを微笑んで見つめていた。
 
 そして、一息。
 
 ニカッと笑うと、優しくレイの肩をたたいた。
 
 「ま、引き離しちゃって悪いけど、これも仕事だからね。帰ったら、うんとシンちゃんに甘えちゃうといいわよン」
 
 ミサトの言葉に、さらにレイの頬に朱が差す。
 
 「……はい」
 
 小さな声で、頷くレイ。
 
 
 
 「ヘロゥ、ミサト!」
 
 突然、甲板に快活な声が響き渡った。
 
 ミサトが振り返ると、そこには、赤い髪と蒼い瞳の少女が、仁王立ちで、クリーム色のワンピースをはためかせている。
 
 セカンドチルドレン、惣流・アスカ・ラングレーである。
 
 
 
五十九
 
 
 
 「久しぶりね、アスカ」
 
 アスカの前まで歩み寄ると、ミサトが微笑んで口を開いた。
 
 アスカも、ニッと笑い返す。
 
 「ミサト、少し太ったんじゃないの?」
 
 「ぬわんですってぇ〜」
 
 「相変わらず、ぐぅたらしてビールばっか飲んでんでしょ。いいかげんにしないと、イキナリくるわよ」
 
 「うっさいわね! こ〜見えてもね、キチンと運動はしてんの!」
 
 「ま、アタシには関係ないけどさ。若いから肉がついても胸と腰につくしね〜」
 
 若さに溢れる肉体を誇示するかの如く、腕を組んで胸をはるアスカ。
 
 対するミサトは、その美しいプロポーションを支える下着たちの努力を、もはや忘れるわけにはいかない年齢。
 
 「まだ若いわよ〜! 私だって!」
 
 青筋を立てつつ、アスカに食ってかかるミサト。
 
 さすがに言い過ぎたか、と、アスカは慌てて笑うと、話題の方向転換を試みた。
 
 「そ、それよりミサト! ……あの女が、そう?」
 
 
 
 アスカが指し示したのは、レイである。
 
 指さされたレイは、ただ冷ややかな視線をアスカに送っている。
 
 今、眼前で繰り広げられていた漫才には、全く興味がなかったようである。
 
 「ん? ……ああ、紹介するわ。レイ! ちょっち来て!」
 
 ミサトに呼ばれて、隣までやってくるレイ。
 
 「アスカ、彼女がファーストチルドレン……綾波レイよ」
 
 「フン……聞いてるわよ、起動するかしないか、っていうやつね」
 
 アスカが、ニヤニヤしながらレイを見つめる。
 
 レイは、特に何も答えない。
 
 「ま、いいわ、お仲間さん。戦闘でアタシの足、引っ張らないでよね。ヨロシク」
 
 アスカは、言いながら右手を差し出した。  
 
 
 レイは、差し出された右手を、じっと見つめる。
 
 数秒のタイムラグを経て、レイもその右手を握り返す。
 
 「……よろしく」
 
 
 
 横で見ているミサトは、ハラハラものである。
 
 なにしろ、アスカの態度は相手を怒らせようとしているかのごとく挑発的だし、レイも非常に反応がそっけない。
 
 なんとか握手まで、(まぁまぁ)スムーズにことが運んだのは、僥倖と言ってよかった。
 
 
 
 「ミサト、もうひとりいるんでしょ? サード、来てないの?」
 
 握手をほどいたアスカが、ミサトの方を向き直って言う。
 
 「シンジくんは、本部で待機よ。使徒が来ないとも限らないし、ここにチルドレンが集結するわけにはいかないでしょ」
 
 「はっ。できそこないの、お留守番ってヤツ? 残念ねぇ〜、こ〜んな美少女に会いそこなっちゃうなんてさ!」
 
 言いながら、ビシ! と意味もなくポーズを決めるアスカ。
 
 ミサト、完全無視。
 
 「違うわよ」
 
 「え? なにが? ……まさか、アタシが美少女じゃないとでも言う気?」
 
 ポーズを決めたまま、ミサトを睨むアスカ。
 
 ミサト、完全無視。
 
 「できそこないじゃないのよ……アスカ。彼はね、できがよすぎるの」
 
 「え?」
 
 「私たちのいない間に使徒が現れても、彼がいれば何とかなるかも知れない。だから、彼を置いてきたの」
 
 「はぁ? できがいい?」
 
 唖然とした表情で、アスカはミサトの顔を見る。
 
 「……アタシよりも?」
 
 「そうは言わないわ」
 
 ミサトが答える。
 
 「得手不得手、ってものもある。アスカに及ばない部分もあるでしょうしね」
 
 
 
 アスカは、そのミサトの言葉を、咀嚼しかねていた。
 
 
 
 及ばない部分もある?
 
 なによ……その言い方。
 
 
 
 それじゃ、まさか、なに?
 
 大部分は、アタシよりサードの方が上だとでも言いだす気?
 
 
 
 ジョーダンじゃないわよ!!
 
 
 
 ジョーダンじゃないわよ!! と、口に出して言おうとして、アスカはミサトを見た。
 
 だが、顔面からわずか数センチのところまでにじり寄っているミサトの顔を目の当たりにして、おもわずのけぞってしまう。
 
 「わぁ! な、なによ、ミサト!」
 
 「……そんなことより、アスカ……」
 
 「え?」
 
 「加持、来てるんでしょ!?」
 
 「加持さん? 来てるけど……」
 
 「どこに居るのか教えなさい!」
 
 
 
 その時のミサトの表情を表現するなら、まさに「鬼」の一言に尽きるだろう。
 
 オーラがもしも目に見えるならば、ミサトの周囲には、怒りのオーラが嵐のように吹き荒れ、渦巻いているのが確認できたはずであった。
 
 
 
 「あ……あの、士官室の……」
 
 気圧されたアスカが言い終わらないうちに、ミサトは、一陣の風の如く、教えられた方角に向かって素っ飛んで行ってしまっていた。
 
 
 
 残されたアスカは、方角を示した指を降ろすのも忘れ、唖然と、ミサトの過ぎた後の甲板を見つめていた。
 
 「な……なんだっての?」
 
 その横を、レイが何も言わずに通り過ぎる。
 
 アスカが、慌てて呼び止めた。
 
 「ちょっと、ファースト!」
 
 「なに?」
 
 振り返らず、立ち止まりもせずに、レイが答える。
 
 「どこに行くのよ!」
 
 「……ここにいても仕方がないから」
 
 「待ちなさいよ! アタシを置いて行こうっての!?」
 
 叫びながらアスカは、慌ててレイの後を追った。
 
 
 
六十
 
 
 
 「加持ィィィィ〜!!」
 
 その声が響き渡ったとき、加持リョウジは、ちょうど士官室前の廊下を歩いているところだった。
 
 振り向くと、ミサトが、仁王立ちでこちらを睨んでいる。
 
 (おっと、見つかったか)
 
 「よお、葛城じゃないか。久し振りだな」
 
 片手を上げて声をかける加持。
 
 ミサトは、それには答えずに、大股でカツカツと加持の前まで近寄ってくる。
 
 (ん?)
 
 笑顔は崩さないが、ミサトの中に渦巻く感情を、敏感に感じ取る加持。
 
 (怒ってるのか?)
 
 「よぉ、どうし……」
 
 「加持ィィィィ!!」
 
 唸りながら、ミサトは加持の襟首を掴むと、力任せに壁に叩き付けた。
 
 ドォゥン……
 
 加持の背中が壁にぶつかる鈍い音が、誰もいない廊下に響き渡る。
 
 だが、加持は慌てたそぶりは見せない。
 
 「何だ、どうしたんだ? エラい剣幕だな」
 
 加持は、両手を軽く上げて、おどけたような口調で話す。
 
 その言葉にミサトは、キッ! と加持を睨み付けた。
 
 「説明……して……もらいましょうかぁぁぁぁぁぁ〜!!」
 
 地の底から沸き上がるような声。
 
 
 
 「説明?」
 
 なんだか、様子が想像していたのと、少し違う。
 
 
 
 (なんなんだ? あの頃のことを何か怒ってるのかと思ったが、それも違うみたいだな……。俺がここに来ていることについて説明を求めているのとも違うみたいだが。
 
 まさか、ドグマのことをもう嗅ぎ付けて、説明しろと?
 
 ……いや、まさかな)
 
 
 
 「何のことだ?」
 
 「シンちゃんから聞いたわよ! シンちゃんと連絡取り合ってたって、ど〜ゆ〜ことよ!!」
 
 「シンちゃん?」
 
 「シ・ン・ジ・く・ん!」
 
 「シンジくん……碇シンジくんのことかい?」
 
 「そーよッ!」
 
 「連絡って……」
 
 「ナニ!?」
 
 「いや……」
 
 
 
 (葛城のやつ、相当怒ってるな。
 
 しかし……俺とシンジくんが、連絡を取り合っている?
 
 どういうことだ?
 
 サードチルドレン・碇シンジ……確かに、集めた報告では、ちょっと普通の中学生とは違った感じだったが……
 
 ………
 
 ひとつ、カマかけてみるか……)
 
 
 
 「シンジくんが、何か言ってたのかい?」
 
 「言ってたわよ! アスカのこと、ペラペラ喋ったんですってェ!?」
 
 (アスカのことを? 俺が?)
 
 「そりゃあねぇ、おんなじチルドレン同士だし……ちょっとぐらい、教えてあげてもいいかもしれないわよ! でもねェ、一応機密事項なんだし、許可も降りないうちからベラベラ漏らされたら困るのよ!」
 
 「……いやぁ、大したことは喋ってないはずだぞ。怒られるほどじゃないと思うがな」
 
 「大したことないですってェ!!」
 
 「……大体、なんで直接、シンジくんに聞かないんだ?」
 
 「聞いたわよ! そしたら、オーバー・ザ・レインボウに加持君がいるから、直接聞けって言ったのよ!」
 
 
 
 (ははぁ……
 
 俺がオーバー・ザ・レインボウにいることまで知ってるのか。こいつは驚きだな。
 
 しかし、俺達が連絡を取り合っていたという事実がないのに、シンジくんは俺に聞けと。
 
 と、言うことは……
 
 まさか、嘘がバレてもいいと思っているわけじゃないだろうから、俺に適当に、話を合わせておけというわけか)
 
 
 
 「別に……彼、すごいだろう? 才能も成績も、目を見張るものがある。興味がわいてね。……個人的に、連絡をとってみたいと思っただけさ」
 
 「だ、だからって、その……」
 
 (?)
 
 「わたしたちのコトまで、話すこたぁないでしょ!!」
 
 「は?」
 
 
 
 (………
 
 ……オイオイ、シンジくん……
 
 あんまり、難しい関門を用意してくれるなよ……)
 
 
 
 「……ちょっと、世間話に持ちだしただけさ」
 
 「ちょっとって何よ!!」
 
 「俺と葛城が、ただならぬ仲だってことかな」
 
 「あ、あ、あ、あ、あ、あんたねェ〜〜!!」
 
 「そういうシンジくんは、来てないのか?」
 
 「シンちゃんは地上待機!」
 
 「そうか、久し振りに会って話がしたかったんだが……仕方がない。向こうについてから、ゆっくりと語り合うとするかな」
 
 「むこうって……ア、アンタ、来るのォ!?」
 
 「そりゃあ、行くさ。アスカも行くんだし、護衛としてはね」
 
 「それ、シンちゃんも知ってるの!?」
 
 
 
 (当然、知ってるんだろうな。
 
 これだけ大々的に嘘付いてるわけだし、口裏を合わせないわけにはいかないだろう。
 
 MAGIにさとられたらまずいだろうから……
 
 そうなると、直接会う以外にないからな)
 
 
 
 「ああ、教えたからな」
 
 「く、く、くぅぅぅ〜! 私ばっかりのけ者にしてェ〜!」
 
 「おっと、俺が黙っておくように頼んだんだ。驚かせようと思ってな」
 
 「あんたねェ〜!!」
 
 
 
 (さぁ〜て、そろそろ潮時かな……
 
 いつまでもグズグズしているわけにはいかないからな)
 
 
 
 急に、加持はミサトを引き寄せ、抱き締める。
 
 加持の唇が、ミサトのそれと重なりあう。
 
 不自然な体勢のまま、加持に寄り掛かるような状態で、硬直するミサト。
 
 
 
 数秒の後、加持は唇を離した。
 
 ミサトは、茫然と加持の顔を見つめている。
 
 加持は、ニヤッと笑い、ミサトの耳元で呟いた。
 
 「再会を祝して」
 
 言うが早いが、風の如くその場を離れる加持。
 
 慌ててミサトはその後を追ったが、曲がり角を曲がると、既に加持の姿はなかった。
 
 「ちょッ……ちょっと! 加持ィィィ〜〜!!」
 
 
 
六十一
 
 
 
 バサァッ!
 
 ビニールシートを、アスカの腕が取り払った。
 
 塞がれていた視界が開けると、その向こうに、横たわるエヴァンゲリオン弐号機が見える。
 
 「見なさい、ファースト! これがアタシの、エヴァ弐号機よ!」
 
 バッと振り返ると、得意満面で言うアスカ。
 
 アスカの数歩後ろに立っているレイは、その機体を見つめつつも、何も言わない。
 
 「あんたのプロトタイプとは、ワケが違うのよ! 研究の粋を集めた、最高の機体なんだから!」
 
 「……そう」
 
 「アンタねェ〜! それだけッ!?」
 
 「他に、何かあるの?」
 
 「ムッカァァ〜ッ!」
 
 ギリギリと奥歯を噛みしめるアスカと、全然気にしないレイ。
 
 アスカは、怒りで腹の中が煮え繰り返りそうだった。
 
 (なんなのよ、コイツ!
 
 アタシにケンカ売ってるワケ!?
 
 さっきから、もう……フザケんじゃないわよ!)
 
 対する、レイ。
 
 (碇君……会いたい……)
 
 アスカのことなんか、まるで眼中にないのであった。
 
 
 
 ズドォォォォンッ!!
 
 
 
 急に弾け飛ぶような轟音が響き、船体が大きく揺れた。
 
 「きゃぁッ!」
 
 もんどりうって、その場に転げるアスカ。
 
 ドン! と壁に頭と背中をぶつけて、尻餅をつく。
 
 「あいたたた……うげっ!」
 
 そのアスカの腹に、真っ正面からレイが突っ込む。
 
 モロにアタックを受け、情けない声を上げるアスカ。
 
 「ゲホゲホ……ちょ、ちょっとファースト! どきなさいよ!」
 
 アスカが、咳き込みながら抗議する。
 
 
 
 レイは、アスカの胸に頭をうずめたまま、目をパチクリとさせていた。
 
 「………」
 
 「だぁ〜! どきなさい! ってるでしょ〜!」
 
 レイの肩を掴むと、強引に引きはがす。
 
 レイは、ぺたん、とお尻をついたような座り方で、アスカの方を見ていた。
 
 「……なによ?」
 
 アスカがレイを睨んで、立ち上がる。
 
 「……胸」
 
 「はぁ?」
 
 レイは、自分の胸を見て、アスカの胸を見て、また自分の胸を見る。
 
 キョトン、とした表情。
 
 その様子を見ていたアスカは、ははぁ〜ん、とニヤついた。
 
 「……胸の大きさが気になるってわけね?」
 
 「……個人差だから」
 
 特に感慨もなく、呟くレイ。
 
 ムッとするアスカ。
 
 「ファースト、アンタ、好きな男とか居ないの? ……って、居るわけないか」
 
 「………」
 
 みるみる赤くなるレイ。
 
 アスカはちょっと驚いたような表情で、その様を見つめている。
 
 「へぇ〜、いるの。意外だわ……でも、残念ねェ〜」
 
 意地悪な笑いを浮かべるアスカ。
 
 レイは、怪訝な顔でアスカの顔を見る。
 
 「アンタのその胸じゃ、フラれちゃうかも知れないわね〜」
 
 
 
 ただ、固まっているレイ。
 
 一見すると、その表情に変化は見られない。
 
 
 
 ズドドォォォォン!
 
 
 
 またも激しい衝撃音と揺れで、床に投げ飛ばされる二人。
 
 「そ、そうだ! のほほんとお喋りしてる場合じゃないわ! 一体、何よ!?」
 
 慌ててデッキに駆け出すアスカ。
 
 その後をついて外に出るレイ。
 
 その胸中は……
 
 
 
 (……ふられる、ってなんだろう?)
 
 
 
六十二
 
 
 
 二人がデッキに出て手摺りに飛び付いたとき、眼の前に繰り広げられていた光景……それは、沈み行く駆逐艦と、巨大な体躯を踊らせながら海上を跳ね上がる、クジラの化け物の姿だった。
 
 バッシャァァァン!
 
 クジラの化け物は、そのまま激しい水しぶきと共に、海中へと姿を消す。
 
 「な……何よ、アレ!?」
 
 ふりかかる細かい水の飛沫を浴びながら、アスカは茫然と呟いた。
 
 レイは、答えない。
 
 ただ、じっと、化け物が姿を消したあたりを見つめている。
 
 「そんな……まさか、アレが……使徒!?」
 
 アスカが、呟く。
 
 「……そうよ」
 
 ややあって、レイがその言葉に応えた。
 
 
 
 「……チャ〜ンス!」
 
 アスカは、ニィッと笑うと、不敵に瞳を輝かせた。
 
 そのまま、バッと手摺りから離れ、艦橋の中に飛び込もうとして……すぐに、また戻ってきた。
 
 レイの腕を、グイッとつかむ。
 
 「アンタも来なさい、ファースト!」
 
 「私が? 何故?」
 
 レイは掴まれた腕を振り払うこともなく、ただ淡々と問い掛ける。
 
 「必要、ないわ」
 
 「イチイチ、ムカつくわね〜! アタシの操縦テクニックを見せてやるって言ってんのよ!」
 
 「必要ないもの」
 
 「ムッキィ〜ッ! いいから、来なさいよ!」
 
 頭から怒りの湯気を吹き上げながら、アスカはレイを引っ張って艦橋に入っていく。レイは、そんなアスカに引きずられるようにして、後に続いた。
 
 
 
 「……これ、着なさいよ」
 
 弐号機の横たわるポッドの最下層に降りた後、アスカはレイに、予備のプラグスーツを放り投げた。
 
 「余計なノイズが入ると邪魔だからね。さっさと着なさい」
 
 手許のプラグスーツを見つめるレイに声をかけると、アスカは手早く服を脱ぎ始めた。
 
 レイはしばらくその様を見ていたが、やがて自分も服を脱ぎ、プラグスーツを装着する。
 
 アスカがプラグスーツを身に纏い、手首のスイッチで体型にフィットさせる。
 
 ややあって、レイも同じく着替え終わり、スイッチで空気を排出する。
 
 シュッ。
 
 プラグスーツのフィットした体を、居心地悪そうに見回すレイ。
 
 「……なによ、なんか文句でもあるの?」
 
 腕を組み、睨み付けながら、アスカが言う。
 
 「……胸が、少し緩い」
 
 (フフン、当然〜)
 
 「……腰も、緩い」
 
 (ムカッ!!)
 
 肩をいからせて、くるっときびすを返して歩いていくアスカを、少しの間を空けて、レイが追いかけていった。
 
 
 
六十三
 
 
 
 「駄目ですッ! まるで歯が立ちません!」
 
 オペレーターの悲痛な声が、ブリッジに響き渡った。
 
 装填された8門の魚雷は、確実に使徒の体に吸い込まれた。
 
 にもかかわらず、使徒の動きには全く変化が無い。
 
 艦長は、歯ぎしりしながら呻くように呟いた。
 
 「馬鹿なッ……! あれだけくらって、なぜ効かない!?」
 
 「くらってないですもの」
 
 その声に振り返ると、そこにはミサトが腕組みをしながら、厳しい表情で立っていた。
 
 「何の用だ! 勝手に入ってくるな!」
 
 「おあいにく。言うことを聞いて差し上げてもいいんですけど、まだ死にたくないんです」
 
 低い声でミサトが応える。
 
 その視線は、一度も艦長を見ていない。艦長の体の後ろ……ブリッジの前方に広がる洋上を睨み付けている。
 
 艦長はバッと向き直ると、吐き捨てるように言った。
 
 「どういう意味かね……我が艦隊が、やつにかなわないとでも言うつもりか!」
 
 「何故、魚雷が効かなかったか……おわかりになりますか?」
 
 「なんだと?」
 
 艦長は、拳を握り締めると……ギリギリと歯を噛みあわせながらミサトを睨み付ける。
 
 数秒の、沈黙。
 
 ミサトが、口を開く。
 
 「……おわかりにならないようですね。では、教えて差し上げますわ……」
 
 ミサトの視線が、ゆっくりと艦長の瞳にあわさる。
 
 その、強い意志……。
 
 艦長は、ほんの数センチ……ほんのわずかに、気圧されたように上体を反らす。
 
 
 
 ……なんだ、この女。
 
 オモチャと子供のお守りに過ぎん訳ではなかったのか……。
 
 
 
 ミサトの言葉が、ゆっくりと紡ぎだされる。
 
 「それは……」
 
 「使徒がATフィールドを展開しているからですよ」
 
 ミサトの言葉を喰うように、緊張感の抜けた声がする。
 
 ミサトは、ゆっくりと背後に視線をやった。
 
 
 
 「加持君! キミもここに入る許可は与えていないぞ!」
 
 「まぁまぁ、この際こまかいハナシは無しにしましょうや」
 
 頭の後ろをしばった黒髪を掻きながら、楽しそうに言う。
 
 加持リョウジである。
 
 「……加持君」
 
 ミサトが、加持を睨み付ける。
 
 加持は、肩を竦めて笑ってみせた。
 
 「ケンカは、あと。やることがあるだろ?」
 
 加持の言葉に、一瞬艦長の方に視線を向ける。それから、また加持を睨む。そして、再び艦長の方に向き直った。
 
 「……つまり、使徒がATフィールドを使用しているかぎり、通常兵器では……傷を付けるどころか、使徒の体に当たりすらしないのです」
 
 ゆっくりと、噛んで含めるように、言葉を紡ぎだすミサト。
 
 艦長は、拳をきつく握り締め……それを震わせながら、呟いた。
 
 「……だから、何だと言うのかね」
 
 「使徒を殲滅するには、エヴァが絶対に必要なのです。引き渡しを要請します」
 
 「ならん! アレはまだ我々の管轄下だ!」
 
 「……あんた、ガキの遊びじゃないのよ」
 
 突然、ガラリと口調が変わるミサト。
 
 「な、なんだと……」
 
 「死にたいの? 部下とあんたの命、あんたのプライドよりも軽いわけじゃないでしょう。グダグダ言ってるヒマは、ないの」
 
 ぐっ、と言葉に詰まる艦長。
 
 そのまま、俯いてしまう。
 
 ミサトが、一歩前に出る。
 
 「……さあ」
 
 「……ならん……ならん! 駄目だ!」
 
 「……あんたねぇ〜!」
 
 思わず、ブチ切れかけたミサトが、殴るための拳を握り締めた、その瞬間。
 
 「オセローより入電! ……エヴァ弐号機、起動します!」
 
 オペレーターの声が響き渡った。
 
 
 
 数分、時間を戻そう。
 
 アスカとレイの二人は、横たわる弐号機のプラグに、半ば強引に乗り込んだ。
 
 「……う〜し、行くわよ」
 
 両手を二・三度、開いたり閉じたりするアスカ。
 
 レイは、興味なさそうにその様子を見ている。
 
 手動でスタートしたLCL注水が、程なくして終わる。
 
 「LCL Fullung.」
 
 アスカが呟く。
 
 「Anfang der Bewegung.Anfang des Nerven anschlusses.Ausloses von links-Kleidung.Sinkio-start...」
 
 瞬間、赤い「エラー表示」の羅列が、プラグ内を激しく駆け巡る。
 
 「ちょっと! ファースト!」
 
 横に座るレイに、アスカがキッと視線を投げかけた。
 
 「アンタ、日本語で考えてるでしょ! ちゃんとドイツ語で考えなさいよね!」
 
 レイは、アスカの顔に焦点を合わせる。
 
 「……なにも、考えてないわ」
 
 「そ・う・い・う・イ・ミ・じゃな〜いッ!」
 
 血管が切れそうな感覚を覚えながら、アスカが怒鳴る。
 
 レイは、まったく動じない。
 
 「ドイツ語で考えないと、ノイズが混じってバグんのよ!」
 
 「知らないもの」
 
 「……くぅぅ〜〜! 役に立たないわねェ〜、ホントに!」
 
 ピクピクとこめかみを引きつらせながら、再び前方に向き直った。
 
 「思考言語切り替え! 日本語!!」
 
 怒鳴るような声に合わせて、今まで目まぐるしく点灯していたアラートが消え去り、たちまちプラグの周囲は全天のモニターに切り替わった。
 
 アスカは、操縦把を握り締めると、前方をしっかりと睨み付けた。
 
 「行っ……くわよォ〜!」
 
 
 
 「馬鹿な!」
 
 ポッドの天井を引きはがして、ゆっくと上体をおこす弐号機を見ながら、艦長が驚愕の表情で声を上げた。
 
 すぐさま、手許のマイクをオンにする。
 
 「おい、パイロット! 起動中止だ、元に戻せ!」
 
 「構わないわ! アスカ、やっちゃいなさい!」
 
 艦長の真後ろから、物凄い大声で叫ぶミサト。
 
 慌てて、艦長がマイクを隠す。
 
 「ならん! エヴァはまだ我々の管轄下だ! 我々の指示に従ってもらう!」
 
 「んなこたぁど〜でもいのよ! マイクよこしなさい!」
 
 「や、やめんか!」
 
 背中にマイクを隠す艦長と、それを奪おうとするミサトが、その場でぐるぐると回転する。
 
 その艦長の後ろから、すっと手が伸び、マイクを奪った。
 
 「ああ!?」
 
 慌てて艦長が振り返ると、加持がマイクを持ってウインクをしていた。
 
 「キサマ! それを返せ!」
 
 「加持君! よこしなさい!」
 
 「はいはい」
 
 ほい、と艦長の手をあっさりと躱すと、マイクをミサトの手に渡した。
 
 「オッケ! 聞こえる、アスカ!?」
 
 「や、やめんか!」
 
 「全くです」
 
 加持が、にこにこしながら艦長の腕を取る。
 
 そのまま、艦長は身動きが取れなくなってしまう。
 
 「な、何をする! 離せ!」
 
 「そ〜は行かないんですよ、あいにくとね。ここは、任せてもらいましょうか」
 
 そうして加持が艦長を押さえている間に、ミサトは指示を出していく。
 
 「え!? レイも乗ってんの!?」
 
 『ハイ』
 
 スピーカーから、レイの声が聞こえる。
 
 「そのプラグ、単座なのよ! なんでわざわざ二人で乗ってんのよ!」
 
 『無理やり乗せられました』
 
 『うっるっさっいっわっねぇ〜〜ッ!!』
 
 レイの答えにかぶるように、アスカの怒鳴り声。
 
 ミサトは、思わずクラクラと頭を抱えてしまう。
 
 『いいから見てなさいよ、ミサト!』
 
 アスカの叫びと同時に、弐号機は駆逐艦を蹴り、空高く舞い上がった。
 
 
 
 「でっぇえ〜〜いッ!」
 
 気合と共に、オーバー・ザ・レインボウの甲板に着地する弐号機。
 
 ゴバシャアァァァアン!!
 
 衝撃で激しく揺れ、ブリッジの船員達はゴロゴロと転げまくる。
 
 「きゃっ!」
 
 同じくバランスを崩し、倒れそうになるミサト。
 
 「おっと」
 
 その脇に手を入れ、抱きかかえるように加持がミサトを支えた。
 
 「気をつけないと、危ないぜ」
 
 ニッ、と不敵な笑いを浮かべ、ウインクする加持。
 
 ちなみに、手を放された艦長は、ブリッジの反対側まで転がっていってしまっている。
 
 「……ふん!」
 
 一瞬、顔を赤くした後、ぷいっと顔を背けると、ミサトは加持の手を乱暴に払いのけた。
 
 「ちょっと、アスカ! もう少し丁寧に着地しなさいよ!」
 
 マイクに向かって怒鳴るミサト。加持は、やれやれというように、微笑みながらその後ろ姿を見つめている。
 
 『うるさいわね、そんなこと、イチイチ気にしてられないわよ!』
 
 アスカが怒鳴り返す。
 
 「沈んだらどうすんのよ!」
 
 『ほっときなさいよ、んなもんは! ど〜せ国連の空母でしょ!』
 
 「の・っ・て・る・ワ・タ・シ・は・ど・〜・な・ん・の・よ!」
 
 『泳いで帰ってきなさいよ! ミサトならできんでしょ!』
 
 「……できるかぁ〜〜!」
 
 「俺も、ちょっと無理かなぁ、それは……」
 
 『! か、加持さん!? 加持さん、そこにいるの!?』
 
 「ああ、いるよ」
 
 『や、やだ! 今の、ウソですからね、ウソウソ!』
 
 「いやぁ、本気で言ってるのかと思ったよ」
 
 『もぉ〜、やだぁ、加持さんたら! そんなコト、アタシが言うわけないじゃないですかぁ!』
 
 『……二重人格?』
 
 『ア、ア、アンタは黙ってなさいよッ!!』
 
 「……あのね、アスカ……漫才やってる場合じゃないんだけどね〜……」
 
 『わ、わかってるわよ! うるさいわね!』
 
 
 
 ドッガァァァァァン!!
 
 
 
 「きゃぁ〜〜ッ!」
 
 「おっとと」
 
 「うおわぁぁぁ!」
 
 『きゃぁぁぁぁ〜〜ッ!』
 
 『………(ゴチンッ)』
 
 
 
 使徒の体当たりを受けたオーバー・ザ・レインボウは、ミシミシと嫌な音を立てた。
 
 「やっば! このままじゃ沈むわ!」
 
 「な、な、なんだとぉ!」
 
 「おっと、こりゃヤバい。とっととおいとまするかな」
 
 加持はそう言うと、くるっときびすを返し、外に向かって走り出した。
 
 慌ててミサトが怒鳴る。
 
 「ちょ、ちょっと加持君! 逃げる気!?」
 
 立ち止まらずに、加持は首だけ後ろに向けて、片手を上げる。
 
 「この若さで、死にたくないんでね。生きてたら本部で会おう」
 
 そのまま、通路に飛び込んでいく加持。
 
 「こ……こ……この……薄情者ォォ〜!」
 
 ミサトの怒りの咆哮が、その背中に浴せ掛けられた。
 
 
 
 わずか一分後、加持を乗せたハリアーは、ゆっくりとデッキから浮上した。
 
 キャノピーから、離れゆく空母のデッキを見つめる。
 
 「死ぬなよ」
 
 見えるわけもない相手に、軽く手を上げて、呟くように言う。
 
 そして、自分の膝の上に目をやる。
 
 そこにあるのは、武骨なデザインのジュラルミンケース。
 
 そして、その中に入っているのは……。
 
 
 
 (ヤツは、これを狙ってくるんだ。
 
 コイツがいつまでもあそこにあっちゃぁ、本当に沈められてしまうからな)
 
 
 
六十四
 
 
 
 「きゃあああああ!」
 
 弐号機は、使徒が空母に体当たりした衝撃でバランスを崩し、海中へ転落していた。
 
 ゴボゴボゴボゴボ……
 
 慌てて体勢を整えようとするアスカだが、B装備では水中での動作もおぼつかない。
 
 「くっ、この……ちゃんと、動きなさいよね!」
 
 苛立ちながら、操縦把を握るアスカ。
 
 ちら、と横の表示を見ると、内部電源は3分を切っている。空母上でケーブルを装着する予定だったが、漫才をやっているうちにタイミングを逃してしまったのだ。
 
 尤も、その責任はミサトにあると言ってよい。ミサトがサポートをしなければ、他にその立場にあたる人間などいないのだ。
 
 しかし、アスカは、そのことは口にしない。
 
 いつも口が悪いが、こういう時には責めない。
 
 そういう少女だった。
 
 ……それを指摘すれば、烈火のごとく(本当に)怒り、反論するであろうが。
 
 「……くる」
 
 いままで黙っていたレイが、横を睨みながら呟いた。
 
 「え?」
 
 アスカが、その言葉に反応して横を向く。
 
 その瞬間……。
 
 
 
 ドガガッッ!!
 
 
 
 「ぐあっ!!」
 
 激しい使徒の体当たりに弾き飛ばされて、アスカは呻いた。
 
 アダムの影を失った使徒は、攻撃目標を完全に弐号機に定めたようだった。
 
 自由の利かない海中でだらしなく動く弐号機に、俊敏な動きで転回した使徒は、再び弐号機に体当たりをかます。
 
 
 
 ドガガッッ!!
 
 
 
 「ぐうぅッ……!」
 
 激しい衝撃に顔をしかめるアスカ。
 
 水中の動きに特化した使徒と、B装備の弐号機。
 
 最初から、あまりにもハンデが大きすぎる。
 
 嬲り者にされる感覚に、アスカは下唇を噛んだ。
 
 「ちっくしょう……! この、バケモンが……!」
 
 「二分、切ったわ」
 
 厳しい表情で、レイが続ける。
 
 「わかってるわよ!」
 
 「使徒を倒すだけでは、だめ。倒したところで内部電源が切れれば、深海に沈んでしまう」
 
 「だから、わかってることをイチイチ言うなって〜の!!」
 
 怒鳴りながら、前方の使徒を睨み付けた。
 
 使徒は、三度目の体当たりは仕掛けてこない。こちらを向きながら、水中で静止している。
 
 様子を窺っているのかもしれない。
 
 別の攻撃を仕掛けてくるのかもしれない。
 
 だが、チャンスなのは疑いようが無かった。残り2分弱で、こういう機会が再び訪れるとは、限らないのだ。
 
 
 
 だが、どうしてよいのか、わからない。
 
 
 
 ギリッ……と、操縦把をきつく握り締める。
 
 悔しさで、身も焦がれる思い。
 
 「くっそう……せめて、弱点でもあれば……」
 
 アスカが、呟く。
 
 そう。
 
 やみくもに突撃しても、勝てそうな気がしない。
 
 せめて、弱点でもあれば……。
 
 
 
 「コアよ」
 
 「えっ?」
 
 レイの言葉に、驚いてアスカは、レイの顔を見た。
 
 レイは、使徒を睨み付けている。
 
 「コア?」
 
 「そう。今までの使徒には、みんなコアがあった。そこを破壊すれば、使徒は死ぬわ」
 
 「なっ……でも、見なさいよ!」
 
 振りかぶりながら、アスカが叫ぶ。
 
 指さすのは、使徒。
 
 のっぺりとした、真っ白い体躯……。
 
 「どこに、そんなもんあんのよ! 何も見当たらないわよ!?」
 
 アスカの叫びに、レイは、ゆっくりと呟いた。
 
 
 
 「……口の中」
 
 
 
 「えっ? ……口の、中?」
 
 「そう……どこにもないのだから、そこしかない」
 
 「そ……そりゃ、そうかも知れないけど……じゃあ、どうやって攻撃すんのよ!」
 
 そう言って、アスカが使徒を見た……
 
 ……その瞬間。
 
 
 
 くあぁああ……あぁっ……
 
 
 
 ゆっくりと……そして大きく、使徒は、口を開けた。
 
 その奥に、かすかに見える、赤い輝き……。
 
 
 
 「……コアだわ」
 
 「なッ……なんで、口……あけ……」
 
 
 
 ゴアアアアッッ!!
 
 
 
 今までの静けさから一転して、猛烈な勢いで飛び掛かってくる使徒。
 
 「くッ……喰う気ィ!?」
 
 慌てて身をよじる弐号機。だが、動きの鈍さはいかんともしがたい。
 
 あぎとを開いた使徒の深遠が、目の前に広がっていく……
 
 
 
 グアガッ!!
 
 
 
 「ぐ……あああッ!!」
 
 使徒の牙が、弐号機の肩と腰に突き刺さった。
 
 激痛に、アスカが身をよじる。
 
 「ぐ……ああ……あああ……ッ!!」
 
 ズズ、ズズズ……
 
 めり込むように、弐号機の中に沈み込む牙。
 
 神経を直接ひきちぎられるような痛みに、アスカの体が跳ね上がった。
 
 
 
 くッ……そおぉぉぉぉッ……!
 
 こんな……ヤツに……やられてたまるか……
 
 アタシは……
 
 
 
 エヴァのエースパイロット、惣流・アスカ・ラングレーよ!
 
 
 
 ふっ、と、痛みが軽減した。
 
 相変わらずの激痛だが、動くことが出来る。
 
 なんで?
 
 アスカが、痛みできつく絞った瞼を開く。
 
 
 
 「……ファースト……ッ!」
 
 アスカは、驚きの声を上げた。
 
 
 
 レイが、体を重ねあうようにして……アスカの握る操縦把の上から手を重ね、操縦把を握っている。
 
 その表情は、苦痛と苦悶に彩られている。
 
 「……くッ……」
 
 「ファ……ファーストッ……なに……やってんのよッ!!」
 
 アスカは、呻くように声を出した。
 
 アスカの苦痛を、レイが半分受け持っている。
 
 それが、アスカにも理解できた。
 
 「は……離しなさいよッ! アンタに……助けて貰おうなんて……ッ!」
 
 「ち……がう……」
 
 レイが、顔をしかめながら答える。
 
 「時間が……ない……。アナタが死ねば……ワタシも……同じ……」
 
 「う……うるさいわねッ……!」
 
 アスカも、苦痛に耐えながら答える。
 
 「い……くわ」
 
 「な……なんですって……?」
 
 レイが、薄く開けた瞼から、横に座るアスカに視線を向ける。
 
 二人の視線が、絡みあう。
 
 「このまま……呑まれるの」
 
 「な……!?」
 
 「コアを……破壊しなければ……倒せない。……時間が……ないわ……」
 
 アスカは、驚きの表情でレイを見る。
 
 だが、すぐに、前方に目を向ける。
 
 口の奥の暗がりに、かすかにコアが見える。
 
 「フ……ン」
 
 呻くように、息を吐くアスカ。
 
 「じゃ……まずは、この牙……を……抜かなきゃな……」
 
 「全力で……いくわ」
 
 「わかってる……手……ぬくんじゃないわよ……」
 
 「後ろじゃない……前よ……」
 
 「わかってる……っての……」
 
 
 
 二人は口をつぐむ。
 
 内部電源の残量は、40秒を切っている。
 
 二人は、じっと、前を睨む。
 
 二人をつなぐのは、重ねあった手の平……
 
 ……そして……
 
 
 
 ……重ねあった、こころ。
 
 
 
 「ぬ……あああああああああああああッッ!!」
 
 「……………………く…………うぅううッ!!」
 
 合図もなく、二人は同時に叫びを上げた。
 
 ちぎれるほどに操縦把を握り締め、体中の筋肉繊維を集約させる。
 
 そして……精神力が、研ぎ澄まされた糸のように、引き絞られる。
 
 
 
 ズ…………ズ……ズ………ズズズズズッ
 
 
 
 弐号機は、瞬間、シンクロ率100%を突破する。
 
 両腕で上顎を、両足で下顎を、恐るべき力で引き剥がしていく。
 
 
 
 「く………あ……あ……あ……ああああああッッ!!」
 
 ひときわ大きいアスカの叫びと共に、ズボッ、と牙が引き抜かれた。
 
 
 
 その瞬間、弐号機は口の中に向かって飛び込んだ。
 
 
 
 アスカは、怒りに燃える、一匹の獣。
 
 極限まで引き絞られた、美しき野獣だった。
 
 
 
 「こッ……の、やろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ〜〜〜ッッ!!」
 
 アスカのプログレッシブナイフが、コアに深々と突き刺さった。
 
 
 
 「ああ……内部電源が切れるわ……アスカ! ……レイ!」
 
 マイクを握り締めながら、ミサトは海面を睨み付けていた。
 
 私は……なんてことを……!
 
 ミサトは、自らの失策を、血を吐く思いで悔やんでいた。
 
 弐号機が起動した時点で、アンビリカルケーブルを用意するべきだった。
 
 作戦も、適切なものを立てるべきだった。
 
 それが自分の役目であり、闘いの最前線に立つ子供たちを救う、絶対に必要な条件だった。
 
 
 
 それを……!
 
 
 
 「アスカ……! レイ……! お願い……」
 
 祈るような気持ちで、ミサトは呻く。
 
 
 
 お願い……
 
 生きて……
 
 生きて、戻ってきて……
 
 
 
 お願い……!
 
 
 
 その時、空母がグラリ、と大きく揺れた。
 
 「えっ?」
 
 一瞬バランスを崩しながら、ミサトは驚いたように足許を見る。
 
 一瞬の、間。
 
 カチン、と、何かスイッチが入った気がして……ミサトは、バッと海面に目をやった。
 
 
 
 ……ドッ……バシャァァァァァァァァァァンンンッッ!!
 
 
 
 「ええッ!?」
 
 ミサトは、驚愕の表情で、前方の光景を見つめた。
 
 数十メートルはあろうかという、激しい水柱……。
 
 目を凝らすと、その中に、かすかに赤いものが見える。
 
 「……まさか……ッ!」
 
 
 
 「う……わぁぁぁぁぁ!」
 
 「…………(ゴチンッ)」
 
 使徒の爆発の衝撃で、弐号機は空中高くに放り出されていた。
 
 急激な状況の変化に、感覚が付いていかない。
 
 なすがままに、放物線を描きながら空中を飛来した弐号機は……
 
 「……うそ」(<ミサト)
 
 ……オーバー・ザ・レインボウの甲板に、まっすぐに落下した。
 
 
 
 ドッガァァァァァン!
 
 
 
 「ぎゃああああ!」
 
 あまりの衝撃に、ミサトはブリッジの中をごろごろと転がった。
 
 ちなみに、艦長は頭を強く打って、とっくの昔に気絶している。
 
 ゴチン!
 
 「あだッ!」
 
 壁に頭をぶつけて、ようやく止まるミサト。
 
 涙目になり頭をさするが、すぐに状況を思いだして飛び上がった。
 
 
 
 前方を見ると、弐号機の機体が、甲板に大の字になって横たわっている。
 
 大慌てでマイクを掴むと、外部スピーカーに切替えて、ありったけの声で叫んだ。
 
 
 
 「アスカ! レイ! 聞こえてる!?」
 
 
 
 ゆっくりと、弐号機の右腕が上がる。
 
 甲板に横たわったまま、右腕だけを上げると……
 
 弐号機の親指が、グッ、と立てられた。
 
 
 
 カチャン。
 
 
 
 その瞬間、内部電源の表示が、0を刻んだ。
 
 
 
六十五
 
 
 
 「くぅ〜……いたたたた……」
 
 プラグの中で、アスカが腰をさすりながら顔をしかめた。
 
 レイも、眉を顰めて肩をさすっている。
 
 内部電源が切れたことで、ようやく二人は痛みから解放された。だが、余韻は残るのである。
 
 アスカはしばらくそうして痛みの軽減に努めていたが、ふと……視線を感じて、顔を上げた。
 
 
 
 レイが、アスカを見つめていた。
 
 何を考えているのか、その表情から読み取ることはできない。
 
 だが、その瞳の赤は、まるで、吸い込まれるような……赤。
 
 
 
 「……何よ」
 
 ボソッ、とアスカが呟いた。
 
 「……別に」
 
 レイも、呟く。
 
 「……フン」
 
 アスカは、不機嫌そうに顔を逸らせる。レイも、再び自分の肩に視線を向ける。
 
 
 
 そうして、しばらくの間、プラグには沈黙が訪れた。
 
 
 
 「……なんで、あんなことしたワケ?」
 
 ややあって、アスカが再び呟いた。
 
 レイの顔を見ていない。
 
 「……あんなこと?」
 
 レイが答える。
 
 レイも、アスカの顔を見ない。
 
 「なんで、シンクロを共有したのか、って言ってんのよ」
 
 不機嫌そうな口調のまま、アスカが言葉を続けた。
 
 「……そうした方が、いいと思ったから」
 
 「ハン……同情ってわけ? やめてよね……アタシは、アンタなんかに助けられなくたって、勝てるんだから」
 
 「同情……違う。私は弐号機にシンクロできても、操縦できるほどじゃない。あなたが痛みで気を失えば、弐号機は動けなくなる」
 
 「……フン」
 
 再び、沈黙が訪れた。
 
 
 
 やがて、腰をさすり続けていた手を止め、アスカが呟いた。
 
 「……ま……今回のところは、特別に許してやる。今後、勝手なことされちゃ、許さないけど……今回は、ま、いいわ」
 
 「……そう」
 
 「……それだけ?」
 
 「………」
 
 「張り合いが無いわね……ま、いいわ!」
 
 アスカは、吹っ切ったように大きな声を出して、ググッと胸を反らした。
 
 レイが、アスカの方を見る。
 
 アスカも、レイを見る。
 
 
 
 二人の視線が、絡みあう。
 
 
 
 フ、とアスカが笑った。
 
 レイの表情も、微妙に和らぐ。
 
 「へぇ……」
 
 アスカが、ちょっとだけ驚いたような顔をした。
 
 「ファースト……アンタ、そんな顔もすんのね」
 
 「……わからない」
 
 「はぁ? ……ま、いいけどさ」
 
 そして、レイの方に改めて向き直ると、ニッ、と笑ってみせた。
 
 「とにかく、見たでしょ? わかった? エヴァのエースパイロットは私だってコト、覚えておきなさいよ!」
 
 
 
 「……違うわ」
 
 「は?」
 
 「……一番すごいのは、碇君」
 
 
 
 ビキ、と、アスカの表情が固まった。
 
 
 
 こめかみをヒクヒクとさせながら、呟くように言う。
 
 「碇君、て……まさか……サード!?」
 
 「……そう」
 
 
 
 ま……また……サードォォ!?
 
 
 
 「ハン! サードがなんだってのよ! ソイツに、今日みたいな闘いが出来るって言うの!?」
 
 「……いいえ」
 
 「でっしょぉ〜」
 
 「……碇君なら、きっと、あんな目に会わずに、倒しているわ」
 
 「(怒ッ!!)」
 
 
 
 怒りで肩を震わせながら、アスカが言葉を紡ぐ。
 
 「フ……フン……! まだ、来たばっかのペーペーじゃない! ちょっと戦闘経験があるからって、馬鹿にすんじゃないわよ!」
 
 「……碇君のこと、悪く言わないで」
 
 レイが、キツイ表情でアスカを睨む。
 
 アスカも、睨み返す。
 
 「何、サードかばってんのよ! アンタら、まさか、そーゆー関係!?」
 
 「そーゆー?」
 
 「恋人同士かって言ってんのよッ!」
 
 
 
 一転して、みるみる耳まで赤くなっていくレイ。
 
 呆気にとられた表情で、アスカはそれを見つめている。
 
 
 
 な……なんなのよ、コイツ……
 
 ムカムカムカ……
 
 
 
 「ハ!」
 
 アスカが、吐き捨てるように言うと、腰に手を当てて踏んぞりかえった。
 
 レイが、怪訝そうな顔でアスカを見る。
 
 「下手クソ二人で、傷を舐めあってんじゃないわよ! アンタ、バカァ!? 勝手にやってなさいよ!」
 
 「……(怒)」
 
 
 
 帰りの航行中、二人は一度も口をきかないばかりか、顔すら見ようとしなかった。
 
 そんな二人に挟まれて、ミサトは大きく溜め息をつくのだった。
 
 
 
 (ハァァァァァ〜〜……
 
 
 
 このコたち、最初からあんまり仲良くなさそうだったけど、それに輪を掛けて……
 
 ケーブルなかったから音声が聞けなかったけど、戦闘中からよね……。
 
 も〜〜、こんな調子で、ず〜っとケンカしてたワケぇ?
 
 
 
 よく勝てたわね、ホントに……)



六十六



 シンジ:「そういえば、アスカに会ったんでしょ? どうだった?」
 
 レイ:「あのひと……好きじゃない」
 
 シンジ:「そ、そう……」
 
 
 
 うう〜ん……どんな出会い方をしたんだろ。