第十九話 「生活」
四十一



 「ふわぁ〜……たっだいまぁ……」
 
 いかにも眠たそうな声と共に、妙齢の女性は、頭はボサボサ、目の下にクマといういでたちで、わが家に帰還した。
 
 葛城ミサトである。
 
 昨晩、シンジに「帰れない」と言ったのは、仕事があったからではない。
 
 ミサトは、赤木リツコ・伊吹マヤ・日向マコト・青葉シゲルという面々で、一晩中アルコールを摂取していたのである。
 
 「くぁ〜……ああ、ねむ……」
 
 荷物を椅子の上に放りだすと、目をこすりながら洗面所へと向かう。
 
 蛇口を捻り、冷たい水で顔を洗う。
 
 化粧落としで、化粧を落とす。
 
 クリームを塗る。
 
 幾ら眠くても、この作業を省くわけにはいかない。花の29歳、お肌の曲がり角であった。
 
 
 
 冷たい水をかぶったことで、幾分目を覚ましたミサトは、急に空腹を覚えた。
 
 居酒屋に行っても、ミサトは飲む専門で、ほとんど食事をしない。水分の補給量は多いからその場では何も感じないが、一呼吸空けると、やはり腹の虫がさわぐ。
 
 「シンちゃん、昨日は何を食べたのかな〜……」
 
 ミサトは、台所に入る。
 
 見ると、コンロの上に鍋がのっている。蓋を開けると、中にはクリームシチューが入っていた。
 
 「おおッ、うっまそ〜! もらうわよ〜ん」
 
 舌なめずりをして、いそいそと小鉢にシチューを盛っていく。
 
 それを、ラップもかけずに電子レンジへ。
 
 そして、「あっため」のボタンを押す。
 
 「えっへっへ〜」
 
 窓の中で回転する小鉢を、ニヤニヤ笑いながら見ているミサトの姿は、とても青葉や日向には見せられない、といったところだ。
 
 
 
 チーン!
 
 
 
 「いえ〜い!」
 
 ほどなくして、湯気を上げるシチューを、お茶漬けのごとく掻き込むミサトの姿があった。
 
 
 
 「あ〜、おいしかった。ゴチソ〜サマ〜」
 
 ミサトは、すっかりご満悦の様子で両手を合わせると、食べ終わった食器を流しに放り込む。
 
 ……もちろん、朝、目覚めたシンジが洗うのである。
 
 「それにしても、今日のシチューはなかなかね〜。シンちゃん、また腕を上げたな〜」
 
 ニコニコしながら、居間に戻ってテレビをつける。
 
 
 
 ……そう言えば、昨日はレイが泊まってたんだっけ。
 
 今頃になって、やっと思いだすミサト。
 
 
 
 それで、腕によりをかけちゃった、てなワケね〜。
 
 シンちゃん、やるぅ!
 
 
 
 二人とも、まだ起きてくる気配はない。
 
 まぁ、まだ朝の6時だ。当然、熟睡中であろう。
 
 
 
 ……そう言えば、レイの寝顔って、見たことないわね。
 
 ミサトは、ふと思う。
 
 
 
 いつも、無愛想というか……無表情でいる、レイ。だが、どう見ても、美少女なのは疑いようがない。
 
 (ああいうコは、眠ってるトキこそ、「天使の微笑み」っちゅ〜やつになるんでないの?)
 
 ミサトは、ニマァ……と笑うと、一度自分の部屋に戻り、再び戻ってくる。
 
 その手には、デジタルカメラ。黒いボディに、NERVのマークが赤く刻印されている。
 
 (レイの寝顔、ウチの若いコたちに売れる気がすんのよね〜)
 
 このあたり、ケンスケと全くの同類である。
 
 違うところといえば、ケンスケがバイトや売り上げで機材代を稼ぐのに対し、ミサトは超高級カメラを職務権限フル活用で、バンバン使ってしまうところであろうか。
 
 
 
 抜き足、差し足、忍び足。
 
 ミサトは、シンジの隣の部屋の前まで近づくと、そぉ〜……と襖を開いた。
 
 「あら……」
 
 だが、レイの姿はない。
 
 中に入ってみると、ベッドを使った形跡もないようだ。
 
 「あらぁ……結局、泊めなかったのかしら?」
 
 だが、視線を横に動かすと、反対側の壁に、見覚えのある鞄が立てかけてある。
 
 レイの、鞄だ。
 
 「……んん?」
 
 ……そして、その横には、脱ぎ散らかされた女物の制服。
 
 「……んんん? ……ま……まさか……?」
 
 
 
 慌てて部屋を出たミサトは、シンジの部屋の前に立つ。
 
 ゴクッ……。
 
 
 
 ダメよ、ミサト。
 
 シンちゃんを信じるのよ……。
 
 ええ〜、ウチのコに限って……。
 
 
 
 恐る恐る、襖に手をかけると、そぉ〜……と、先ほどのように襖を開く。
 
 「シンちゃ〜ん……」
 
 ささやくような声でシンジを呼びながら、音を立てないように中を覗き込むミサト。
 
 ベッドを見ると、どう見てもヒト一人が入っているにしては、不自然に布団が盛り上がっている。
 
 
 
 落ち着くのよ〜、ミサト……。
 
 だ、抱きまくらかもしれないじゃない……。
 
 
 
 そんなもの、シンジが使ったためしが無いのであるが、とにかく自分を奮い立たせるミサト。
 
 真相を究明しなければ……。
 
 つま先立ちで、ミサトは部屋に入ると、ベッドの横までツツツ……と移動する。
 
 
 
 掛け布団の中から、シンジの首だけが覗いている。
 
 そのシンジは、スヤスヤと夢の中だ。
 
 レイの姿は、ない。
 
 ホッ、と安堵の溜め息を漏らすミサト。……だが、そうすると、この盛り上がりは一体……?
 
 一瞬逡巡するミサト。だが……
 
 (ええ〜い! 保護者として、確かめる義務があるのよぉ〜!)
 
 意を決して布団の端をつかむと、ゆっくりと上に持ち上げた。
 
 
 
 そこには、イキナリ、白い肌。
 
 
 
 「!!!」
 
 
 
 布団を剥いでしまうと、全貌が明らかになった。
 
 下着姿のレイが、シンジの腕にしがみつき、シンジの足に自分の足を絡ませて、シンジの胸板をまくら代わりに、スヤスヤと眠っているのである。
 
 
 
 ガァァァァ〜ン!!
 
 
 
 ミサトは、頭を抱えてよろめいた。
 
 「んん……」
 
 布団を剥いだ寒さからか、レイは眉をひそめる。
 
 そして、身をよじり、よりシンジの体に密着すると、安心したように、再び安らかな寝息を立てた。
 
 ミサトは、無言で再び布団をかけると、よろりらとしながら、シンジの部屋を出ていった。
 
 
 
 ああ〜……シンちゃぁ〜ん……
 
 男に……男になってしまったのねぇ〜!
 
 ああ……私の管理責任が問われてしまうぅ〜……
 
 
 
 だが、ミサトの手の中のデジカメには、しっかりと新たなメモリーが加えられていたのであった。



四十二



 「う〜ん……」
 
 シンジは、安らかな気持ちで、目を覚ました。
 
 ああ……朝だぁ……。
 
 まだ、完全に覚醒していない。
 
 横を向くと、間近にレイの寝顔。
 
 ああ……綾波だぁ……。
 
 もちろん、まだ完全に覚醒していないのである。
 
 
 
 「んん……」
 
 レイは、満たされた気分で目を覚ました。
 
 瞼を開くと、柔らかな微笑みで、シンジが自分を見つめている。
 
 ああ……いかりくん……。
 
 
 
 「おはよう……いかりくん……」
 
 「おはよう……あやなみ……」
 
 レイは、嬉しくて、シンジの腕を自分の胸にギュッと押し付けると、シンジの首に顔をうずめて、猫がやるようにこすりつける。
 
 シンジは、その頭をやさしく抱え込む。
 
 満たされた、至福の時間……。
 
 
 
 (ああ……やわらかいなぁ……あやなみ……
 
 ………
 
 ……ん?
 
 ………
 
 ……やわらかい?
 
 ……んんん!?)
 
 
 
 シンジの脳細胞は、急速に覚醒する。「柔らかい」を感じる部分に目をやると、自分の二の腕が、レイのふたつの胸のふくらみにしっかりと挟み込まれている。
 
 「…………………………あ、あ、あ……綾波ィィィィィ!?」
 
 
 
 シンジは、真っ赤になって、布団を押しのけて立ち上がろうとする。
 
 だが、レイが、腕にも足にもしっかりとしがみついていたので、立ち上がることが出来ない。
 
 シンジは体勢を崩し、もんどりうってレイの上にのしかかってしまう。
 
 
 
 ムニュッ。
 
 
 
 レイの体中の弾力が、シンジの体を優しく受け止める。
 
 「あわわわわわ、ご、ご、ごめん!」
 
 パニックに陥ったまま、大慌てでレイから離れようとするが、レイは全然、放す気配が無い。
 
 必然的に、シンジは、レイの上に乗っかったまま、動けない。
 
 (くわぁぁぁぁぁぁぁ〜!)
 
 頭に血液を逆流させながら、再び立ち上がろうとレイを見ると、布団が落ちて全身が見える。
 
 完全、下着姿。
 
 「ほわぁぁぁッ!」
 
 もう、シンジの頭は、パニックで何がなんだかわからなくなってしまっている。
 
 そんなシンジを、ただ不思議そうに、キョトンとレイは見つめていた。
 
 
 
 数分間、その体勢のまま動くことの出来なかったシンジは、不屈の精神力で、崩壊しかかった人格の再構築に、ようやく成功した。
 
 シンジは、レイの体を見ないように目を逸らしながら、真っ赤な顔でレイに言葉をかける。
 
 「あ、あ、あ、綾波……その……放して、くれる?」
 
 「イヤ」
 
 ぎゅっ。
 
 「あ、あ、あ、あ、あやなみィィィィ〜……」
 
 む、む、むねが……
 
 おなかが……
 
 ふとももがぁ〜。
 
 「あ、あ、あ、あの、……お、お願いだから……放して……」
 
 シンジは、必死に懇願する。
 
 「イヤ」
 
 ぎゅっ。
 
 「あ、あ、あ、あ、あやなみィィィィ〜……」
 
 
 
 数回に渡り、そんなやりとりを繰り返した後、レイはようやくと……しぶしぶと、シンジを解放した。
 
 シンジは、飛びのくようにベッドから離れる。
 
 「あ、あ、綾波、その……何でもいいから、服を着てよ」
 
 「……何も無いわ」
 
 「じゃ、じゃぁ、その毛布を体に巻いて!」
 
 シンジに言われたとおり、体に毛布を巻くレイ。
 
 シンジは、とりあえず最悪の状態を脱し、ホッと安堵の溜め息を漏らしてその場に座り込んだ。
 
 
 
 「……綾波〜、裸で人前に出ちゃ、駄目って言ったでしょ……」
 
 シンジが、疲れたような声で呟く。
 
 「……裸じゃないもの」
 
 「下着姿もダメ!」
 
 「……そう……わかった」
 
 少し、残念そうなレイを見て、再び小さく溜め息をつく。
 
 「……とにかく、その格好じゃ、なんだから。部屋に戻って、服を着てよ」
 
 「わかったわ」
 
 レイが立ち上がる。
 
 「も、毛布、置いてかなくていいから!」
 
 
 
 なんとかレイに毛布を身にまとわせると、レイを押すようにして、部屋を出る。
 
 
 
 冷気……。
 
 
 
 「……おはよ、二人とも」
 
 
 
 振り返ると、ミサトが椅子に座り、ジト目で二人を睨み付けていた。
 
 
 
 「……おはようございます……」
 
 「お、お、おはようございます……ミサトさん」
 
 平然としたレイと、しどろもどろのシンジ。
 
 ミサトは、椅子から立ち上がると、腕組みをして二人の前に立った。
 
 「昨晩は、お楽しみだったよおねぇ〜、シンちゃ〜ん?」
 
 「な、な、何言ってるんですか、ミサトさん!」
 
 真っ赤になって否定するシンジ。
 
 「あらぁ〜、裸のレイが、布団の中で愛しのシンちゃんにしがみついてる姿を見せられて、他に可能性があるとでも言うのォ?」
 
 「だ、だから、誤解なんですってばぁ!」
 
 ミサトは、ズイッとシンジに顔を近付ける。
 
 シンジは、思わずあとずさる。
 
 ……ミサトは、ニマァ〜ッと笑う。
 
 「避妊は、ちゃんとしなきゃダメよん」
 
 「な! な! な! なななな何を言ってるんですかぁぁッ!」
 
 「若いうちは、やりかたもよくわかんないで失敗することも多いのよォ〜」
 
 「だ、だから、誤解ですッ! 綾波が、知らないうちに布団に入り込んでいたんですよッ!」
 
 ミサトは、「ホホウ」といった顔で、大仰にのけ反ってみせる。
 
 「シンちゃ〜ん、幾ら恥ずかしいからって、女の子のせいにするつもりぃ?」
 
 「だ! か! ら! 綾波に聞いてみて下さいよ!」
 
 真っ赤になったシンジの反駁に、ミサトは、ついっと視線を横にずらす。
 
 
 
 レイは、シンジとミサトのやり取りを、ただボ〜ッと見つめていた。
 
 何が何やら、全然分かっていない様子である。
 
 それを見たミサトは、ニマッと笑うと、レイの方に向き直った。
 
 
 
 「レイ、シンちゃん、どうだった〜?」
 
 
 
 「……あったかかった」
 
 ぽっ。
 
 
 
 「あ、あ、綾波ィィ〜……」
 
 シンジの情けない声と、ミサトの爆笑が、葛城家の朝を告げたのであった。



四十三



 「……ひどいですよ、ミサトさん。わかっててからかうんだもんなぁ……」
 
 「だから、シンちゃんゴメンって!」
 
 ぶすっとした表情でそっぽを向くシンジに、ミサトは笑いながら両手を合わせた。
 
 結局、シンジはミサトに振り回されたのである。
 
 大体、もしも最後までいってしまっていたら、二人とも全裸になっているだろう。
 
 はじめから、わかっていたのである。
 
 
 
 「……碇君、お待たせ……」
 
 レイが、制服を着て、部屋から出てきた。
 
 手には鞄を持っている。
 
 「それじゃ、ミサトさん。隣、もう入れるんですよね?」
 
 「オッケ〜よ。レイのIDカードが使えるように、書き換えておいたから」
 
 ニコニコしながら、ミサトが答える。
 
 「すいません、急な話だったのに……ありがとうございます」
 
 「いいってことよォ。私は、あなたたちの保護者なんですからね〜」
 
 ヒラヒラと、手を振ってみせるミサト。
 
 「すいません、じゃ、ちょっと見てきます。行こう、綾波」
 
 「……ええ」
 
 玄関に向かって歩きだす二人に、ミサトが声をかけた。
 
 「シンちゃ〜ん」
 
 「ハイ?」
 
 「隣、シンちゃんのIDカードでも開くからね〜」
 
 「は? は、はぁ、ありがとうございます」
 
 「だからといって、夜這いに行っちゃ駄目よォ〜」
 
 「行きません!!」
 
 
 
 レイのIDカードをスリットに通すと、ガチャン、と鍵の開く音がした。
 
 ノブを廻し、扉を開く。
 
 シンジとレイは、家の中に入った。
 
 
 
 そこは、ミサトの家と、左右を反転させた間取りになっていた。
 
 「一人で住むには、ちょっと広いかなぁ」
 
 シンジが独り言のように呟きながら、居間に入る。
 
 レイも、その後に続く。
 
 台所を覗くと、冷蔵庫や食器棚が設置されている。居間のテーブルやテレビ、クローゼット。洗面所には、洗濯機。各部屋にも、収納に使える棚が一つずつ用意されていた。
 
 「ああ、最初からあるんだ。……よかった、これから家具を揃えるとなったら、大変だからな……」
 
 ニコニコして、シンジはレイを振り返った。
 
 レイも、まわりをキョロキョロと見回している。
 
 「とりあえず、荷物は置いて、買物に行こうよ。……そうだ、どの部屋、使う?」
 
 レイは、ちょっと考えて、奥の部屋の襖を開く。
 
 「この部屋……使うわ」
 
 「うん、いいんじゃない?」
 
 シンジは、深く考えずに頷いた。
 
 ……この部屋は、葛城邸での、シンジの部屋にあたるところ。壁を挟んで、シンジの部屋と隣り合わせになっている。
 
 レイが選んだ理由は、それであった。
 
 
 
 レイが部屋に鞄を置いてから、二人は連れだって外に出た。
 
 鍵をかけるとき、シンジのIDカードを使ってみると、確かに、ガチャン、と鍵がかかった。
 
 (まったく……ミサトさん、何を考えてるんだろうな…)
 
 エレベーターでマンションの下に降り、目の前の道を歩いていく。
 
 一番手近なデパートは、ここからは徒歩では行けない。
 
 二人は、バス停でバスを待つ。
 
 
 
 やがて来たバスに、二人は乗り込んだ。
 
 数人の客が乗っているのみで、比較的すいている。
 
 シンジとレイは、二人掛けの椅子に並んで腰掛けた。
 
 
 
 窓の外を流れる風景を、シンジは、ボーッと眺めている。
 
 あまり、人気の無い街。
 
 だが、確かに、人々はここで暮らし、生きている。
 
 (守らなくちゃ……みんなを……)
 
 シンジは、心でそっと呟いた。
 
 
 
 そのシンジの手の甲に、レイの手が、そっと重ねられた。
 
 驚いて、シンジがレイの顔を見る。
 
 レイは、頬を染めて、俯きがちにシンジを見ている。
 
 そして、視線をそらせると、
 
 「あったかい……」
 
 と、小さな声で呟いた。
 
 
 
 ……綾波……。
 
 
 
 バスが目的地に着くまでの間、二人は、しっかりと手を握りあっていた。
 
 
 
 デパートの正面の停留所で、二人はバスを降りた。
 
 「さて……何を買おうか?」
 
 「……私、わからない……碇君が、決めて……」
 
 レイが答える。
 
 シンジは、入口の前で、考え込んだ。
 
 
 
 そして、今朝の騒ぎを思いだす。
 
 
 
 「そうだ! じゃあ、まず寝間着を買いに行こうよ。」
 
 「ねまき……?」
 
 「そう。持ってないでしょ?」
 
 コクン、と頷く。
 
 「寒いときなんか、いつもの……その……ああいう格好じゃ、風邪引いちゃうかも知れないし。持ってても損はないと思うよ。……それで、そのあと、ついでに他の服も買おう」
 
 「よくわからないから……碇君の思うようにして」
 
 「う、うん、じゃぁ、婦人服売り場へ行こうか」
 
 シンジが先に立って歩き、レイはその後をついていく。
 
 
 
 「綾波、どれか……気に入ったやつ、ある?」
 
 パジャマ売り場で、シンジはレイを見て言った。
 
 レイは、積んであるパジャマを眺めている。
 
 「よく……わからない」
 
 「そう……」
 
 
 
 レイは、今まで……セントラルドグマと、あの殺風景な部屋でしか、生活してこなかった。
 
 それに、今まで、人の目を気にすることもなかった。……それは、皆無と言ってもいい。
 
 そんな生活のなかで、レイは、「自分の好み」というものを構築する機会なく、ここまできてしまったのだ。
 
 
 
 だから、色とりどりのパジャマを眺めても、どれがいいのか、自分でも決められない。
 
 彼女自身で考えられる要素があるとすれば、せいぜい機能面に限られてしまう。
 
 
 
 「まあ、焦らずに……だんだん、好みを決めていくといいよ」
 
 シンジは、微笑んで言う。
 
 レイは、ニコッと微笑みかえすと、再び棚の中に目をむけた。
 
 
 
 ……どれも、同じ……。
 
 違いなんて、私には、何も感じられない……。
 
 
 
 碇君も、自分の好みがあるのだろうか?
 
 ……それがない私は、変だろうか……。
 
 
 
 レイは、一つずつ、手にとって眺めていく。
 
 だが、違いは何も感じられない。
 
 
 
 そうこうするうちに、一つのパジャマを手にとって、レイの足が止まった。
 
 
 
 あ……これ……。
 
 
 
 「碇君……これ……」
 
 「え? どれ?」
 
 シンジがレイの手の中のパジャマを見ると、それは、紫と緑のツートンカラーのパジャマだった。
 
 
 
 初号機の、色……。
 
 碇君の……色。
 
 
 
 「う……う〜ん……」
 
 シンジは、腕組みをしてしまった。
 
 レイが自分で選んだのだから、これでいいと言ってやりたいが、正直、お世辞にもいいデザインとは言えない。
 
 色の取り合わせも、どぎつくてなんだか変だ。
 
 「駄目……?」
 
 レイが、シンジの顔を見て、言う。
 
 「う〜ん……ちょっと、綾波には……派手かも知れないなぁ」
 
 シンジが、頭を掻きながら答える。
 
 「派手……これが、派手、ということなのね」
 
 「う、うん」
 
 「わかった……やめる」
 
 レイは、手に持っていたパジャマを、棚に戻した。
 
 
 
 残念な気も、するけれど……
 
 碇君に気に入ってもらわないと、意味がないもの。
 
 
 
 「綾波……他には、なにかいいのがあった?」
 
 レイは、フルフルと首を振る。
 
 「碇君……選んで」
 
 「え!」
 
 「私は……それで、いい」
 
 
 
 シンジは、脂汗を流しながら、パジャマの棚を睨み付けていた。
 
 はっきり言って、女の子の服を選ぶなんていう経験は、いまだかつて、シンジにはない。
 
 まして、この選択は、レイの好みを決定付けてしまうかもしれないのだ。
 
 責任重大である。
 
 
 
 ……しばらく、そうしてパジャマの山と格闘してから、シンジは、一つのパジャマを取りだした。
 
 「……これ、どうかな?」
 
 シンジが差し出したそれは、薄い青のパジャマ。
 
 襟元にだけ、赤のラインが入っている。
 
 レイがそのパジャマをじっと見つめているのを見ながら、シンジは言葉をつないだ。
 
 「綾波って、青とか、白とか……そういう、ちょっと清潔感のある色が、似合うと思うんだ……。この青なら、綾波の髪の毛とも同じ色だし……」
 
 「これで……いい」
 
 「そ、そう?」
 
 「……買ってくる」
 
 レイは、そのパジャマを両手で抱えると、くるりときびすを返して、レジへと向かっていった。
 
 シンジは、慌てて後を追う。
 
 ……なんだか、深く考えてないみたいだけど……。
 
 本当に、あれでよかったのかな?
 
 
 
 だが、レイの心は、実際にはこのパジャマのことで一杯だった。
 
 碇君が、選んでくれたパジャマ。
 
 それに、青と白が、自分に似合うと言ってくれた。
 
 ……それが、私の、色。
 
 ……私だけの、色……。
 
 
 
 続いて二人は、同じ売り場の反対側にある、若者向けのカジュアルな服装の売り場に移動した。
 
 レイは、制服以外、何も持っていない。
 
 学校と家と、NERVの間を往復するだけの日々。確かに、必要性だけを考えれば、それで事足りる。
 
 だがシンジは、いろいろな服を選び、着替え、おしゃれをすることは、レイの成長に役立つだろうと思っていた。
 
 それに、そういう堅苦しい理由は抜きにして、シンジ自身もレイの私服姿を見てみたかったのである。
 
 
 
 しかし、売り場に来てから、シンジは困ってしまった。
 
 
 
 寝間着なら、さほど悩む必要はない。
 
 デザインは多種多様だが、もとの作りはほぼ1種類で、男物との差も殆どない。
 
 だが、私服となると……。
 
 (洞木さんに、一緒に来てもらえばよかった)
 
 今更仕方がないが、シンジは自分の浅はかさに軽い溜め息をつく。
 
 レイは、そんなシンジを不思議そうに見つめていた。
 
 
 
 「碇君……なにを、買えばいいの」
 
 レイが、フックにかかった数々の洋服を眺めながら、シンジに尋ねた。
 
 「う〜ん……」
 
 シンジは唸る。
 
 
 
 「コートを買いに来た」「ズボンを買いに来た」なら、なんとかなるかも知れない。
 
 だが、レイは、下着以外に「私服」と呼べるものを全く持っていない。完全に、一から揃えていくわけだ。
 
 そうなると、どこから手を付けて、何を揃えればいいのか……シンジには、もはや手の付けようがなかった。
 
 
 
 仕方がないな……店員さんに頼んで、見繕ってもらうかな。
 
 
 
 シンジは、そう考えて、辺りを見回す。
 
 すると、店の隅で、まさにそういう客を求めてスタンバイ状態にあった店員と、目があった。
 
 (うっ)
 
 ニコ〜ッとした笑顔と共に、足が地面についていないのではないかというスピードで、店員は一気に距離を詰めてきた。
 
 「お客様ぁ、なにを、お探しでいらっしゃいますかぁ?」
 
 満面に笑顔を貼り付けて、語尾を微妙に引きずりながら、店員はシンジに尋ねる。
 
 (ううっ)
 
 シンジは、思わず引いてしまう。
 
 はっきりいって、こんな店員に尋ねたくない。
 
 だが、シンジには手の施しようが無いわけで、ここは、この店員の力を借りる以外に無いのである。
 
 「あ、あの……彼女の服を、見立てて欲しいんですけど……」
 
 シンジは、レイを指し示しながら、恐る恐る口を開いた。
 
 
 
 「あらぁ……お客様、とても肌が白くて美しゅうございますねぇ。いやぁ、なんともうらやましぃ限りですわぁ。私など見てご覧下さいまし、このように、どうしても黒ずんで来てしまいましてねぇ……いえもう、お客様でしたら、どんなお召し物でもすんなりとお似合いになられるんじゃございませんかぁ、オホ、オホホ、オホホホホホホホホホ……」
 
 「……い、いや、あのぉ……」
 
 「お客様ぁ、なにか、ご希望の色などございますでしょうかぁ? お客様でしたらぁ、もお、どんな色でもお似合いでございますよぉ。まぁ、御髪やお目の色がより美しゅうございますので、そちらのほうにあわせられるとよろしいのではないかと思いますけれどもぉ、そうですわねぇ、こちらなどいかがでしょうかぁ? まぁ、ご覧下さいまし、美しさに磨きがかかると申しましょうか、まるで天女のようではございませんかぁ、オホ、オホホ、オホホホホホホホホホ……」
 
 「……あのぉ……」
 
 「まぁ、本日のご予算の方は、いかほどにお考えでいらっしゃいますでしょうかぁ? 私共も、お客様によりお気持ち良くお買い物を楽しんでいただきますためにもですねぇ、幾らかでもお勉強させていただきたいと考えておるんでございますよぉ。こちらのお嬢様のお召し物ともなりますとですねぇ、やはり、いかほどか、お嬢様にお負けにならないような、釣り合いとでも申しましょうかぁ? ある程度はお値打ちのあるものをですねぇ、オホ、オホホ、オホホホホホホホ……おや、お客様? お客様ぁ?」
 
 
 
 シンジは、レイの手を引いて、その場を退散していた。
 
 「碇君……」
 
 急に手を引いて歩きだしたシンジに、レイが怪訝そうに声をかける。
 
 「あ、ああ、あの……あの店にはあんまりいいのがなかったからさ、他の店に行こうか」
 
 シンジは、取り繕うように、あわてて笑顔を返す。
 
 
 
 とても、あの店員にレイの洋服を選ばせる気にならない。
 
 もしかしたら、服の選択はプロとしてとてもいい見立てをしてくれたかもしれないが……やはり、あまり気持ちのいいものではない。
 
 まして、レイの初めての私服ともなれば、絶対におろそかにしたくなかった。
 
 シンジは、エレベーター前の休憩所に立ち止まる。自動販売機でジュースを買うと、一本をレイに渡し、おもむろに携帯電話を取りだした。
 
 
 
 「……あ、洞木さん? もしもし……碇ですけど。うん……あの、悪いんだけど、ちょっと洞木さんに手伝って欲しいことがあって……うん。うん……あの、綾波の、こと、なんだけど……う、うん。……そう? あのね、第八区のデパート、あるでしょ、セントラルの……。あそこのロビーに、来て貰えないかな……。ごめん! 必ず、お礼はするからさ……うん、うん……じゃあ、待ってるから」
 
 
 
 「洞木さん……」
 
 「うん。やっぱり、女の人の服は、女の人じゃないと、色々大変だからさ……」
 
 「そう……」
 
 
 
 20分ほど待ったところで、洞木ヒカリが現れた。オレンジ色のコーデュロイのシャツに、デニムのズボンという出で立ちである。
 
 ヒカリは、二人の前まで走ってくると、立ち止まって荒い息を整えた。
 
 「ごめんなさい、遅くなっちゃって……」
 
 「とんでもない! 僕の方こそ、休みだっていうのに、わざわざ呼びだしたりして、ごめん」
 
 頭を掻いて謝るシンジに、ヒカリは笑顔で答えた。
 
 「おはよう、レイさん」
 
 「おはよう、ヒカリさん……」
 
 「それで碇君、私に手伝って欲しいことって、何?」
 
 シンジは、その言葉に我に還る。
 
 「あ、あのさ……綾波の服、見て欲しいんだけど……」
 
 「レイさんの服?」
 
 ヒカリは、ちょっと目を見開いてシンジを見る。そして、シンジの後ろに立つレイを見る。
 
 怪訝そうな表情。
 
 「え? ……レイさんが、自分で見ればいいんじゃ、ないの?」
 
 「うん、そう……なんだけど……」
 
 シンジは、またバツが悪そうに頭を掻く。
 
 そして、しばし、逡巡した後、意を決したように口を開いた。
 
 「あのさ……あんまりよそで言わないで欲しいんだけど、その……綾波って、自分で服を選んだことって、ないんだ」
 
 「え? じゃぁ……普段の服は、誰かに買ってもらってるの?」
 
 「……綾波、制服と下着しか持ってないんだよ……」
 
 「ええ!?」
 
 シンジの言葉に、ヒカリは意外そうに目を見開いた。
 
 「うそ……だって、それじゃぁ……学校が無いときはどうしてるの?」
 
 「いつでも制服だよ。今日もそうでしょ?」
 
 「う〜ん……」
 
 ヒカリは、腕を組んで首を捻った。
 
 「ちょっと事情があって……今まで、ずっとそうなんだよ。だから、綾波は自分で選びたくても、何を買っていいのかわからないんだ。……かと言って、男の僕じゃ、やっぱり何を買っていいのかわからないし……」
 
 シンジが、すまなそうに呟く。
 
 ヒカリは、息をついて、組んだ腕をほどいた。
 
 「完全には事情も飲み込めないけど……わかったわ。そういうことなら、碇君ひとりじゃ、どうしようもないでしょうし……私がレイさんの服、見立てればいいのね?」
 
 「ごめんね」
 
 シンジが手を合わせると、ヒカリはニッコリと微笑んだ。
 
 「いいわよ。碇君とレイさんの頼みだもの……」
 
 「ごめんなさい、ヒカリさん……」
 
 事情を理解したレイが、同じくヒカリに声をかける。
 
 ヒカリは、照れ臭そうにはにかむと、先に立って歩きだした。
 
 「まかせて! レイさんに良く似合う服を、選んであげるから!」
 
 
 
 「これとこれ、これなんかどう?」
 
 「……よくわからない……」
 
 ヒカリとレイは、並んで洋服の山をかき分けている。
 
 その様子を、三歩ほど後ろに立って、シンジは眺めていた。
 
 ここは、先ほどの店とは、建物の敷地にして対角の位置にある、同じく若者向けの洋服を揃えた店である。
 
 ヒカリは、よくこの店を利用しているという。それで、この店で探すことにしたのだ。
 
 「じゃあ、とりあえず、これとこれとこれを着てみましょう」
 
 ヒカリは、洋服の山をレイに手渡す。
 
 レイは、渡された洋服を、ただ眺めている。
 
 「……どうしたの、レイさん?」
 
 「……どうすれば、いいの」
 
 「え? ………………………………あ、ああ、そうだっけ……あのねレイさん、あそこの……カーテンのかかっているところで、試着が出来るの。実際に着てみないと、似合うかどうかも分からないし、サイズが違うかもしれないでしょう?」
 
 「……着方が、わからないわ」
 
 「え、ええ!? ………………………あ、ああ、そっか……制服しか着たことないんだもんね……って、あれ? ……碇君!」
 
 ヒカリが、突然、シンジを呼ぶ。
 
 呼ばれたシンジは、驚いたように顔を上げて、二人の許へ歩み寄った。
 
 「どうかした? 洞木さん」
 
 「……ねえ、レイさん、制服しか着たことがないって、言ってたよね」
 
 「……うん」
 
 「じゃあ、学校にはいる前はどうしてたの?」
 
 「……うっ!」
 
 
 
 シンジは、虚を突かれて情けない声を上げてしまった。
 
 確かに、そうだ。一人目が死んだのは小さな子供の頃だったから、今のレイも、学校にはいる前の時間が十分にあったはずだ。
 
 
 
 ……だが、それについては、事実を知らなくても、十分に推測がつく。
 
 学校に入るまで、レイはセントラルドグマから出ていない。事情を知るゲンドウとリツコ以外の目に触れることなど、なかったのだ。
 
 おそらく、何も着ていなかったか……あるいは、病院で着る服のようなものを常に身にまとっていたことだろう。
 
 服の着方が分からなくとも、全く不思議はない。
 
 
 
 だが、それをヒカリに語るわけにはいかない。
 
 やむなく、シンジは、逃げた。
 
 「……不思議に思うのは分かるけど、言えないんだ……事情があって。うまく言えないけど……でも、綾波は嘘はついていないから……」
 
 
 
 シンジの言葉は、まったく答えになっていない。
 
 だが、ヒカリは、何か触れてはいけない、深い事情があるものと理解してくれたようだった。
 
 「じゃぁ……私が着方を教えてあげる。どっちにしろ、服を買ったら、自分で着なくちゃいけないんだし……レイさん、一緒に試着室にはいろう」
 
 ヒカリが、レイを促した。
 
 レイが促されるままについていき、シンジも半歩遅れて、後を追う。
 
 歩きながら、レイがヒカリに尋ねた。
 
 「試着室で……何をするの」
 
 「何って……今着てる服を脱いで、かわりにその服を着てみるのよ」
 
 「駄目」
 
 突然、レイが立ち止まった。
 
 ヒカリは、思わず二歩ほど先に行ってしまってから、あわてて取って返した。シンジも、レイの横に立って、レイの顔を見る。
 
 「綾波?」
 
 「レイさん……だって、試着してみなくちゃ……」
 
 「裸を……」
 
 「え?」
 
 「裸を……人前で見せたら、いけない」
 
 
 
 あ……綾波……!
 
 
 
 「は、裸になるわけじゃ、無いわよ」
 
 「……下着姿も、駄目」
 
 ヒカリが、困ったような顔でシンジを見る。
 
 シンジが、寄り添うようにレイの耳元に顔を近づけた。
 
 「綾波……信頼できる人の前なら、いいんだよ」
 
 「碇君、信頼できる……のに」
 
 「お、男は駄目!」
 
 「……そう……わかった」
 
 レイは、スタスタと試着室の方に向かって歩いていく。
 
 ヒカリは、あっけにとられたようにその様子を見つめてから、あわててシンジに近寄った。
 
 「あの……碇君」
 
 「な、なに?」
 
 「まさかと思うけど……レイさん、碇君の前で裸になったり、するの?」
 
 「!!! そ、そんなわけないじゃないか!」
 
 真っ赤になってかぶりを振るシンジ。
 
 ヒカリはじっとシンジを見つめていたが、レイが試着室の前でこちらを見ているのに気付き、きびすを返して試着室の方に歩いていく。
 
 シンジは、ばくばくと暴れる心臓を感じながら、思わず冷や汗をかいていた。
 
 
 
 「どう? 碇君」
 
 ヒカリの声と共に、試着室のカーテンが左右にぱぁっと開かれた。
 
 
 
 シンジは、声を失っていた。
 
 そこに立っていたレイは……
 
 
 
 (綾波……)
 
 
 
 そこに立っていたレイは、白いワンピースを身にまとい、足元も白いパンプスを履いていた。
 
 いや……白だと思ったが、よく見ると、ワンピースは、下から上に、うっすらとした桜色から白へのグラデーションになっている。
 
 首から下がっているのは、小さな蒼い石。おそらくガラス玉だとは思うが、レイが身につけると、それだけで石の格を数段持ち上げたように、気品のある輝きを見せていた。
 
 
 
 レイは、シンジに見つめられて、頬を染めながら俯いている。
 
 
 
 シンジは、言葉がない。
 
 
 
 「碇君、ご感想は?」
 
 ニッコリと笑って、ヒカリが尋ねる。
 
 シンジは、なおもレイお見つめたまま、茫然と口を開いた。
 
 
 
 「……キレイ、だ……」
 
 
 
 口に出してから、シンジは初めて、自分が何を口走ったか気が付いた。
 
 慌ててレイの方を見ると、首まで真っ赤になって俯いてしまっている。
 
 思わず、シンジも、照れて赤くなってしまった。
 
 そんな二人の様子を交互に見て、ヒカリはまたニッコリ微笑むと、レイに優しく声をかけた。
 
 「……よかったね、レイさん」
 
 
 
 「……うん」
 
 ほんのりと頬を染めて、レイは微笑んだ。
 
 
 
 そのワンピースは、即座に購入することに決定した。
 
 その他に、活動的な服も必要だろうということで、ジーンズを2本と数着のTシャツ、上に羽織るカジュアルなシャツ、それから部屋着にとゆったりしたパンツと半ズボンを選んだ。
 
 レイは、何を着ても似合う。試着室から出るたびにレイに見とれながら、シンジはそう感じた。
 
 だが、それはつまり、レイによく似合う服を、的確に選びだしてくれるヒカリの力量のおかげでもあった。
 
 (……やっぱり、洞木さんにお願いしてよかった)
 
 シンジは、心の底からそう思う。ヒカリに足を向けては寝られない。
 
 
 
 「けっこうな量になっちゃったけど……こんなに、お金あるの?」
 
 「うん……たぶん、大丈夫だと思う」
 
 シンジは、ものすごい量の荷物を見ながら、ハッキリと答えた。
 
 
 
 基本的に、シンジやレイは、NERVから給料を貰っている身分である。
 
 当然のことながら、あれだけ時間を拘束し、心身の負担を必要とし、なおかつ常に命の危険に晒される彼らは、一般の水準から見ればかなりの高給取りだ。
 
 だが、二人はまだ、中学生。そんなに大きな金額は、利用できない。
 
 二人のIDカードは、そのままクレジットカードとして使用できる。
 
 金額に制限があると言っても、限度額があるわけではない。使うときには、貯金の許すかぎり使用できる。
 
 ただ、あまりに金額が大きい場合、あとでNERVの方に、正確な使途明細表を提出しなければならない。そこで、正式な用途と認められなかった場合、翌月から3カ月間、非常に厳しい使用額制限がつくのである。
 
 
 
 ただ、今回は、レイが人並みの生活を送るに当たり、必要なことだ、とシンジは思う。
 
 今まで、レイの生活の世話をしてきたのは、他ならぬNERVだ。そのNERVが、レイの生活をまともに見てきたとは、到底言いがたい。
 
 今回の出費に文句を言われる筋合いはない。
 
 シンジは、明細票が不受理であれば、思いきり反論するつもりで、躊躇なくレジにIDカードを手渡した。
 
 
 
 荷物の多さに辟易したシンジは、その場でレイの家に送ってもらうことにした。今発送すれば、夜には届く。シンジは、伝票にレイの家の住所を書き込んでいく。
 
 その後ろで、ヒカリが何気なく声をかけた。
 
 「レイさんて、下着は持ってるんだよね?」
 
 「うん、あるよ」
 
 手許の伝票に記入しながら、シンジが背中で答える。
 
 やがて、すべての欄に記入を終え、店員に伝票を手渡す。
 
 椅子から立ち上がると、ヒカリが腕を組んでシンジをじっと見つめていた。
 
 「な、なに? 洞木さん」
 
 「碇君……なんで、レイさんの下着のことまで知ってるの?」
 
 「え!!」
 
 シンジは固まってしまった。
 
 
 
 ヒカリは、石になったシンジの瞳をじぃっと見つめてから、やがて一言だけ呟いた。
 
 「碇君……男なら、ちゃんと責任取ってあげなきゃ、だめよ」
 
 「!!!!」
 
 ヒカリは、ニコッと微笑むと、きびすを返してレイの許へと走り去る。
 
 シンジは、真っ赤な顔で立ち尽くしていた。
 
 
 
 その後、三人はこまごまとした日用品を買い揃えた。
 
 家財道具は大体そろっているが、日用品……特に、台所用品が足りない。
 
 シンジとヒカリは、共に凄腕の料理人である。レイに使い易く、場所を取らずに、何役もこなせるような料理道具や食器を、的確に揃えていく。
 
 一つ選ぶたびに、シンジはレイにその詳しい使用用途を教えた。
 
 レイは、それを頷いて聞いている。
 
 
 
 結局、日用品もものすごい量になったので、配達してもらうことにして、三人はデパートを出た。
 
 もう、外は夕焼けに染まっていた。
 
 丁度やって来たバスに乗り込む。
 
 今度は、一番後ろの席に、三人で並んで腰掛けた。
 
 
 
 「でも、私、驚いちゃった」
 
 ヒカリが楽しそうに呟く。
 
 「なにが?」
 
 シンジがそれに答える。
 
 「だって、あんなに色々買うんだもの。食器なんて、今迄だって持っていたでしょう? それなのに、全部揃えるみたいに……」
 
 「ああ……ええと……そう、綾波、今日、引っ越したんだよ。それで、改めて全部揃えることにしたんだ」
 
 「え! そうなの?」
 
 ヒカリが、驚いたようにレイの顔を見る。
 
 「……ええ」
 
 「ねえ、じゃあ、今度、レイさんの家に遊びに行ってもいいかしら」
 
 「……どうぞ」
 
 レイは、優しく微笑んだ。
 
 
 
 綾波は、よく笑うようになったな……。
 
 レイの美しい微笑みを見つめながら、シンジは、感慨深げに目を細めた。
 
 それこそ、レイの心が、いまや感情豊かなものへと変貌を遂げつつある証拠。
 
 レイの心の成長は、シンジに優しい気持ちを抱かせていた。
 
 
 
 「レイさんの家って、どこにあるの?」
 
 ヒカリが聞く。
 
 レイは、ちょっとだけヒカリを見て、俯いてしまう。
 
 頬が、わずかに赤い。
 
 「?」
 
 レイが、静かに口を開く。
 
 
 
 「……碇君の家の……隣……」
 
 「え?」
 
 「碇君が……連れてきてくれた」
 
 
 
 ヒカリは、目だけを大きく見開いて、俯くレイを見つめていた。
 
 そして、シンジを見る。
 
 シンジも、どうしていいかわからずに固まっていた。
 
 そうしたまま、しばらく三人は動かなかった。
 
 
 
 やがて、ヒカリの家のもよりのバス停に到着する。
 
 ヒカリは、荷物をまとめて立ち上がってから、シンジの前に立ち、もう一度微笑んだ。
 
 「……な、なに?」
 
 「……碇君、ほんとに、責任とらなきゃダメよ」
 
 ニッコリ微笑んだまま、ヒカリはバスを降りていった。
 
 レイは、赤くなって俯いたまま。
 
 シンジは、同じく赤くなって、再び石と化していた。
 
 
 
 帰宅したのとほぼ同時に、デパートから荷物が届く。
 
 二人は、手分けしてそれを収納していく。
 
 それから、レイを招待して、葛城家で夕食を食べた。
 
 しばらくくつろいだあと、レイを隣の家に送り、二人は別れる。
 
 
 
 レイは、シャワーを浴びて体を拭いた後、買ってきたパジャマに袖を通した。
 
 シンジが、レイのために選んでくれたパジャマ。
 
 レイは、その柔らかな着心地を体中で感じながら、ベッドに横になった。
 
 肌と触れあう布の感覚が、心地よい。
 
 レイは布団をかぶると、壁の方に体を向けた。
 
 
 
 シンジは、壁に寄り掛かってS-DATを聞いていた。
 
 その寄り掛かった壁の向こうに、レイが横になっていることには気が付かない。
 
 
 
 レイは、じっと壁を見つめてから、そっと呟いた。
 
 
 
 ……いかりくん……
 
 ……おやすみなさい……
 
 
 
 数分後、レイはやすらかな寝息を立てていた。
 
 
 
 寂しさは、なかった。