第十五話 「心の変化」
 禁固刑を終え、シンジは独房から外へ出た。
 
 考えなければならない問題は幾つかあった。
 
 だが、さしあたって、最も急を要すること……それは、二日間自分がいなかった為に、見るも無残に変貌を遂げているであろう葛城邸の大掃除であった。



三十



 予想どおりの姿でシンジの帰還を出迎えたわが家の掃除に丸一日を使用してから、シンジは、昨日の戦闘が繰り広げられた山間部へ向かった。
 
 NERVのトラックにゆられて着いた先には、プレハブで仮組みされた幾つもの建造物が並んでいる。
 
 シンジはトラックから降りると、二棟先の建物の扉……大きくNERVのマークが描かれている……をくぐった。
 
 
 
 中は、外から見た印象以上に広く、天井が高い。
 
 その天井からは幾つもの照明がぶら下がり、縦横に張り巡らされた鉄パイプの足組みと電線の間を、人々が慌ただしく走り回っている様子を照らしている。
 
 シンジは、奥に見える硬化ベークライトの山を一瞥すると、そちらには行かずに、まず手前の小さな扉を開ける。
 
 その小さな部屋の中には、壁中に敷き詰められたコンピュータと書類、その山に埋もれるようにしてキーボードを叩くリツコ、そしてその後ろに立つミサトがいた。
 
 「あらっ、シンちゃん?」
 
 ミサトが机の上にコーヒーカップを置くと、少しだけ驚いたように、シンジに声をかける。
 
 「おはようございます、ミサトさん、リツコさん」
 
 「おっはよ」
 
 「おはよう」
 
 言いながらも、リツコはキーボードの上を走らせる指を止めようとはしない。
 
 「シンちゃん、今日はどしたの?」
 
 「いえ……使徒を見てみたいな、と思って」
 
 これは、事実である。
 
 
 
 ここに来る必要は、シンジにとっては特にない。この使徒は、すでに一度見ている。
 
 ただ、前回はおっかなびっくりで、しかも特に興味がなかったため、遠くから眺めたにすぎない。
 
 さしたる意味はないのだが、「もう一度、間近で使徒の体を見てみたい」という好奇心に誘われて、シンジはここまで来たのだ。
 
 「あの……近くで見てきても、いいですか?」
 
 シンジは二人に言う。
 
 「いい、リツコ?」
 
 「別に構わないわよ」
 
 「いいってさ」
 
 ミサトのウインクに片手を軽く上げて応え、シンジはコンピュータ室を出ようとする。
 
 そのシンジに、ミサトが付け足すように声をかけた。
 
 「そうそう……シンちゃん」
 
 「はい? なんですか?」
 
 「お父さん、来てるわよ」
 
 「! ……そうですか」
 
 シンジは一瞬、視線を宙に漂わせたが、すぐに再び焦点を合わせると、軽く一礼をして、部屋を出ていった。
 
 
 
 閉まる扉を見つめながら、ミサトは独り言のように呟いた。
 
 「シンちゃん……司令のこと、どう思ってるのかしら」
 
 「どうって?」
 
 モニタから目を離さず、興味のなさそうな声でリツコが応える。
 
 「何年もほったらかしにされてさ……やっぱり、嫌いなのかしら」
 
 「そうなんじゃないの」
 
 「でも……別に拒否はしてないみたいなのよね」
 
 「……まぁ、私が見るには、シンジくんは司令を「赤の他人」として見てるわね」
 
 「赤の他人?」
 
 「そう。肉親からでは許せない仕打ちでも、他人からならどうでもいいことってあるでしょう。シンジくんは、そう認識することで、父親へのいろんな感情に折り合いを付けてるんじゃないかしら」
 
 リツコの言葉に、ミサトは眉根を寄せる。
 
 「でもさ、それって……」
 
 「結局は拒否してる、ってことね」
 
 ミサトは、はぁ、とひとつ、溜め息をついた。
 
 
 
 (これが、使徒か……)
 
 ベークライトの合間から露出する表皮のそばに立ち、シンジは感慨深げにそれを見上げた。
 
 触ると硬い。
 
 これが、あんなにも柔軟な動きを見せることに、不思議な気持ちになる。
 
 (まぁ、死んだから硬くなったのかも知れないけど……)
 
 シンジは、しばらくそうして、使徒のそばに立っていた。
 
 使徒の存在そのものについては、ほぼ理解していたが、単純な物質としての使徒に、興味はつきない。
 
 
 
 子細に使徒の表皮を眺めていたシンジは、人の声が近づいてくるのを耳にして、頭を上げた。
 
 (……父さん)
 
 シンジの立っているところから左に100M程の場所に、歩いている一団。その先頭に、碇ゲンドウと冬月の姿が見える。
 
 「……化が激しいのでサンプルとしては……」
 
 「……は現物を……」
 
 「……じめての素材としては……」
 
 冬月と研究者が話しているのがかすかに聞こえる。おそらく、採取されたコアの状態について言っているのに違いない。
 
 ゲンドウは、特に口を開かない。
 
 (……僕のことには、気付いているのかな……)
 
 別に気付いて欲しいわけではない。ただ漠然と、シンジは考えた。
 
 
 
 ゲンドウの一行は、吊り下げられたコアの前まで来ると、小さな声で話しながら、コアをつぶさに観察し始めた。
 
 こうなると、気付いていようがいまいが、こちらにコンタクトを取って来そうにはない。
 
 シンジは、かるい落胆と、多くの安堵(これは単純に「面倒事を回避した」という安堵だ)を覚えながら、再び視線を目前の使徒の表皮に戻した。
 
 
 
 ……目の前には、双眸に湛えられた赤い瞳。
 
 
 
 「うわぁッ!?」
 
 シンジは、思わず間抜けな大声をあげてのけぞった。
 
 まさか、自分がちょっと横を見ている間に、目の前にレイが立っているとは思わない。
 
 「あ……あ……綾波!?」
 
 まだ落ち着かない声でそう問いかけてから、はっと気付いて、ゲンドウのほうを見た。
 
 ゲンドウは、シンジと目線があうと、すっと視線をそらす。
 
 (今……こっちを、見てたよな……)
 
 「……ごめんなさい」
 
 だしぬけに、レイの小さな声が聞こえる。
 
 シンジは、振り返ってレイの方を向いた。
 
 レイは、制服に身を包んで、心持ち俯き加減で立っている。
 
 「……なんで、謝るの?」
 
 「碇君を……驚かせてしまったから」
 
 レイは、淡々と……しかし、また少し小さい声で、呟くように言う。
 
 その姿を見て、シンジは、思わずクスッと笑いそうになった。……もう落ち着いている。
 
 「ほんとにね」
 
 シンジの言葉に、レイの肩がピクッ、と震える。
 
 シンジは、優しい声で言葉を紡いだ。
 
 「綾波の……そういうところ、ほんとにかわいいよ」
 
 レイが、少し目を見開いて、シンジを見上げる。
 
 (なに言ってるんだ、僕は……)
 
 いつもなら、こんな恥ずかしいセリフは、考えただけでも真っ赤になっていることだろう。
 
 だが、シンジは、自分が感じていることを、再びゆっくりと繰り返した。
 
 「綾波のそういうところ、かわいいよ」
 
 
 
 「………」
 
 レイの顔が、見る間に真っ赤になっていく。
 
 そして、慌てたように視線をそらせて俯いた。
 
 (か……かわいい)
 
 シンジは、再び頭の中で繰り返す。
 
 思わず抱きしめたくなるくらい、かわいい。
 
 レイの、こういう女の子らしい仕草にはほとんど記憶がないので、実に新鮮な感動がある。
 
 予想以上にレイが恥じらい、しかも自分の頭脳のストライクゾーンをまっすぐヒットするような仕草を見せられ、シンジは今更ながら恥ずかしさが込み上げる。
 
 ……そして、二人で真っ赤になって俯いてしまった。
 
 
 
 「……綾波は、何しにここに来たの?」
 
 少しの沈黙の後、シンジが切りだした。
 
 「ひとりで来たの?」
 
 「違う」
 
 レイの答え。
 
 「……碇司令が、来いと言ったから」
 
 「……ふぅん」
 
 何故、ゲンドウはレイを連れてここに来たのか。
 
 確か、前回の世界では連れてこなかったはず……そう思ったが、すぐに、それが根拠のない憶測であることに、シンジは気が付く。
 
 ゲンドウとの接触を避けていたシンジは、ゲンドウと入れ違いになるようにここを出ている。レイが、ゲンドウや冬月と一緒にいなかったことは間違いがないが、別の場所にいたかどうかは、正直、記憶にない。
 
 だが……いずれにせよ、レイは、何のためにここに連れてこられたんだろう?
 
 「綾波はさ、ここに、何のために連れてこられたの?」
 
 シンジは、直接レイに聞いてみることにした。
 
 だが、レイからの言葉はない。
 
 「綾波?」
 
 レイは黙っている。
 
 「あの……綾波」
 
 「……わからない」
 
 「え?」
 
 「碇司令が何を考えているか……私には関係がない」
 
 レイは、シンジの方を見ていない。ただ、宙に漂わせるように、視線を泳がせていた。
 
 「私は、司令の命令を聞くだけ……」
 
 「綾波」
 
 「私は……」
 
 レイの瞳。
 
 何も、見ていない。
 
 何も……映っていない。
 
 「……人形……」
 
 私は、人形だから。
 
 その言葉は、最後までは語られなかった。
 
 最後まで語る前に、シンジがレイの頭をかき抱いたからだ。
 
 
 
 レイは、大きく目を見開いたまま、シンジの胸に抱きしめられている。
 
 何も考えられない。
 
 だが、先ほどまでの、空っぽな感覚とは違う。
 
 ……頭の中も、胸の中も、真っ白でやわらかなもので一杯になって、何も考えられなくなっているのだ。
 
 「綾波は……人形じゃない」
 
 レイの髪の毛にかすかにうずもれたまま、ささやくようにシンジが言う。
 
 「忘れないで……綾波。綾波は、ひとりの女の子なんだから……」
 
 「……碇君」
 
 「綾波は、人間なんだ。人間は……人形とは違うんだよ」
 
 私は、人形じゃない。
 
 そう言うシンジの言葉は、レイの心の中に流れ込んでくる。
 
 でも……。
 
 
 
 わたしは、ニンゲンじゃナイ。
 
 
 
 シンジは、それを知っている。
 
 だが、「シンジがそれを知っている」ことを、レイは知らない。
 
 
 
 いかりくん……。
 
 わたしが人間じゃないと知ったら、何て言ってくれる?
 
 人間は、人形じゃない。
 
 じゃあ、人間じゃない私は……。
 
 わたしは、人形? それとも、人形じゃない?



三十一



 日差しの照り付ける校庭に、水音と嬌声が響く。
 
 今日の体育は、女子が水泳、男子がバスケットボール。
 
 ……だが、男子はだれ一人としてバスケットボールなどしていない。
 
 男子担当の体育教師がいない。おそらく、何かの用事で離れているか、あるいは休みなのだろう。
 
 そんな状態で、まじめに体育などするわけがない。
 
 男子は、めいめい、てんでバラバラに、木陰で休んだりお喋りに興じたりして、自由な時間を過ごしていた。
 
 
 
 (綾波……)
 
 シンジは、遠くから、プールサイドに座るレイを見つめていた。
 
 今の時間は、おそらく自由時間なのだろう。水をかけあう音や、プールサイドに座ってお喋りする女子の姿が目に入る。
 
 レイは、スクール水着に身を包み、膝を抱えるようにして座っている。
 
 
 
 誰とも、一緒にいない。
 
 
 
 (綾波……)
 
 シンジは、心の中で、もう一度呟いた。
 
 レイが人間らしくなるためには、他人との接触は必要不可欠。だが、レイは、それを必要と感じていない。自分から歩み寄ることは、今のままでは起こりえないだろう。
 
 シンジひとりの力では、限界がある。今日のような別行動の時間だと、レイは孤立してしまう。
 
 (……洞木さんの力を借りるか……)
 
 こういった場合、女子の方が適任だろう。彼女はよく気が付くし、いろいろ世話を焼いてくれるタイプだ。
 
 あとで、レイのことをそれとなく話しておこう。
 
 シンジは、そう決めた。
 
 
 
 「おっ、センセ、真剣な目ェして水着の観賞か?」
 
 後ろから、突然声をかけられた。
 
 振り返ると、ニヤニヤしながら立っているトウジとケンスケ。
 
 「そんなんじゃないよ」
 
 「今更隠してもムダや! さっきからずぅ〜っと見とったけど、実に真剣なまなざしで凝視しとったやないか」
 
 「ちがうってば……」
 
 そんな風に見えてたのかな、と、ちょっと困惑した。
 
 「誰を見とったんや? 洞木か?」
 
 それはトウジだろ! というつっこみを、ケンスケとシンジは同時にこらえる。
 
 しかし考えてみれば、超鈍感なトウジが、そんなことをするわけがないのであるが。
 
 「おっ、綾波きゃ? あいかわらずラブラブしとるのぉ〜」
 
 「だ、だから、そんなんじゃないってば!」
 
 「否定すな! もうええかげん認めんかい!」
 
 「そうだよ碇、なんでそこまで隠すんだか知らないけど、今更まるめこまれるワケないんだからさ」
 
 「別にまるめこもうとしてるわけじゃなくて……」
 
 「そんなに言うんやったら、綾波に聞いてみようやないか。……おぉい! 綾波!」
 
 トウジが、プールサイドに声をかけた。
 
 
 
 レイは、声をかけられてから約1秒後、その言葉が自分の名前であることを認識した。
 
 (………)
 
 声の主が、クラスの男子のひとりであることは、かろうじて覚えていた。だが、名前も顔も、思いだされない。
 
 彼女にとって、意味のない情報だからだ。
 
 (………)
 
 首を動かすことなく、チラ、と声のしたほうに視線を向ける。
 
 男子が数人固まっている。そのうちの、立っている人物の顔に焦点があうと、ようやく声と顔が一致された情報として引きだされた。
 
 鈴原トウジ。クラスメート。
 
 それ以上の情報は、レイの頭脳には格納されていない。
 
 一瞬、トウジの顔を見てから、再び視線を戻そうとした。
 
 だが……。
 
 (!)
 
 レイの焦点は、急速に、トウジの足許に座ってこちらを向く少年の顔に合わさった。
 
 (碇君……)
 
 
 
 トウジが声をかけると、一瞬のタイムラグを置いて、レイが視線だけをこちらに向けた。
 
 (綾波……)
 
 明らかに、トウジとケンスケが期待しているのがわかる。シンジとしても、レイがどのような反応を示すのか、やはり気になってしまう。
 
 だが、レイの視線には、まったく感情がこもっていなかった。
 
 「なんや……」
 
 トウジの呟きが聞こえる。
 
 声をかけた手前、何か話しかけなければいけないところだが、レイの無感情な雰囲気に気圧されてしまっているようだ。
 
 シンジは、安堵と落胆が入り交じったような、複雑な気持ちになる。
 
 
 
 レイの、心の全く入っていない視線が、悲しかった。
 
 
 
 一瞬の間の後、レイは視線を戻そうとする。
 
 そのとき。
 
 
 
 レイは、驚いたように目を見開いた。
 
 視線が、固定される。
 
 それは、明らかにシンジの顔に固定されている。どうみても、今はじめてシンジの存在に気が付いたふうだ。
 
 「………」
 
 レイは、目を見開いて、シンジの顔を見つめている。
 
 そして、そのまま、カァッと赤くなり、慌てたように目を背けてしまった。
 
 (あ……あやなみ……)
 
 その様子を、シンジは茫然と見つめていた。
 
 
 
 あれは、どう見ても恋する少女だ。シンジにも、さすがにわかる。
 
 (綾波……どうしちゃったんだ?
 
 僕のこと……本気で好きなの?
 
 正直すごく嬉しいけど……
 
 このあいだのプレハブの時といい今といい、なんでイキナリ?
 
 前は、ただ好意を抱いている、っていう感じだったのに……。
 
 
 
 でも……
 
 
 
 ああっ! かわいいなぁ!)
 
 
 
 「シ〜ン〜ジ〜?」
 
 「ハッ!」
 
 突然の低い声に現実に引き戻されたシンジは、驚いて後ろを振り向く。
 
 そこには、ミサトばりのニヤニヤで顔中を埋め尽くすトウジと、「ゴゴゴゴゴ」という擬音と暗雲を背中に背負ったケンスケが立っていた。
 
 「どないなっとるんか、説明してもらおうやないか」
 
 「……事と次第によっては、ただでは済まさないよ、碇……」
 
 「な、なんのこと? よくわかんないな、ア、アハハ……」
 
 「「わかんないな」、やないわい! 白状するまで、逃がさへんで!」
 
 「嘘つきは極刑に値するね……」
 
 「だ、だから、なんでもないんだって!」
 
 「「やかましい!」」
 
 その日、一日、シンジは二人の追及を逃れる為に、必要以上の体力を費やさなければならなかった……。
 
 
 
三十二



 「シンちゃん、悪いんだけど、このIDカード、レイのところに届けてくれない?」
 
 「え!!」
 
 それは、葛城邸での夕食が終わり、シンジが滞りなく後片付けを済ませ、ミサトが風呂から上がったところでの出来事だった。
 
 ミサトは、軽い気持ちで声をかけた。
 
 少なくとも、レイはシンジを拒絶していない。それは、ここ数日の、レイの行動からも明白だった。
 
 だから、ミサトが渡すよりも、シンジの手から受け取ったほうがレイも嬉しいだろう、と思ったのである。
 
 
 
 ところが、シンジが予想外の反応を示した。
 
 「わかりました」という、いつもの調子の返事が返ってくるものと思ったのだが……。
 
 シンジは、片手に持っていた湯呑みを取り落としそうになりながら、両目を見開いてミサトの顔を見ていた。
 
 動揺とか照れとか、そういう反応ではない。
 
 ポカン、と馬鹿みたいな顔で、ただミサトを見ている。それは、何を言われたのか理解できていない、という感じだ。
 
 
 
 ミサトは、いぶかしげにシンジを見た。
 
 「シンちゃん? どうしたの?」
 
 そのミサトの言葉に、やっと現実に引き戻されたように、シンジが答える。
 
 「あ、い、いや、何でもないです」
 
 「ホント? 今の顔といったら、もう……」
 
 言いかけて、一瞬言葉を止め、まじまじとシンジの顔を見つめる。
 
 そして、ニヤリとした笑い。
 
 「……ははぁ〜ん、シンちゃん、さてはぁ……」
 
 「な、な、なんですか!? そんなんじゃないですってば!」
 
 「ほほ〜う、まだ何も言ってないけどねぇ? 何が「そんなん」なのかなぁ?」
 
 「ミ、ミ、ミサトさん!」
 
 見事ミサトの術中にはまったシンジは、真っ赤になってかぶりを振ると、ひったくるようにミサトの手から、レイのIDカードを奪い取った。
 
 そのまま、シンジは玄関に駆けていく。
 
 「シンちゃん? どこ行くの?」
 
 「あ、綾波に届けてきます!」
 
 「こんな時間に?」
 
 「え……あ!」
 
 そうだ。前回は、カードを受け取った翌日に、NERVに行く前に届けに行ったのだ。
 
 幾らなんでも……こんな時間には、非常識だろうか。
 
 「よっぽど、愛しのレイに会いたいのね〜?」
 
 ミサトが、顔を見なくても分かるような笑いを含んだ声で、シンジの背中に声をかける。
 
 駄目だ。
 
 とても、ここにいてミサトの攻撃を受け止めきれない。
 
 シンジは、バッとしゃがみ込んで靴をはくと、立ち上がって玄関のノブを回した。
 
 「レイを襲っちゃ、ダメよ〜ん」
 
 「そんなことしません!!」
 
 シンジは、部屋の中に怒鳴りながら、扉を閉めた。
 
 
 
 街灯の下、人気のない歩道を歩きながら、シンジはレイの家に向かって歩いていた。
 
 先ほど、ミサトにレイのIDカードを届けるよう頼まれたとき、シンジが驚いた理由はふたつある。
 
 ひとつは、昼間のレイについて、ちょうど思い出していたところだったから。
 
 昼間の、かわいらしい仕草のレイを、回想する……。
 
 その瞬間にミサトの口からレイの名前が出て、まるで、心の中を見透かされたような気がして、頭が真っ白になってしまったのだ。
 
 そして、もうひとつ……。
 
 (……今度は、うまくやらなくちゃ)
 
 溜め息をつきながら、シンジは思う。
 
 もう一つの理由は、前回、IDカードを届けたときのことを思い出したからであった。
 
 あの時のことは、思い出しても恥ずかしい。
 
 シャワーあがりの、全裸のレイを真正面から見てしまい、パニックに陥って、レイを押し倒し、あまつさえ胸にまで触ってしまった。
 
 (あ〜、最低……)
 
 また、溜め息をつく。
 
 とにかく、成り行きとは言え、今度は前回とはまるで違う時間帯に、レイの家に行くことになる。
 
 少なくとも、レイがシャワーを浴びているところに出くわすような、情けない事態にはならないだろう。
 
 (もしかしたら、綾波はもう寝ちゃってるかもしれないな)
 
 レイが早寝早起きなことは知っている。正確に何時頃眠りにつくのかは知らないが、もう眠ってしまっていてもおかしくない。
 
 (……まぁ、インターホンは壊れちゃってるし、あのグチャグチャな郵便受けに突っ込んでおくわけにも行かない。
 
 そこらに置いておいて、もしも綾波が気付かなかったら、明日NERVに入れなくて困るだろうし。
 
 結局、直接渡すか、部屋の目立つところに置いておくしかないんだよな)
 
 また、勝手に部屋に入ることになりそうで、シンジは幾度目かの溜め息をついた。
 
 できればそんなことはやりたくないのだが、避けて通ることは出来ないのである。
 
 
 
 「……やっぱり、壊れてる」
 
 カチャカチャ、と、抵抗の欠けたインターホンのボタンを押し、シンジは肩を落とした。
 
 レイの部屋には入りたくないわけではない。だが、できれば招待されて入りたい。
 
 こんな、不法侵入まがいの真似はしたくないのだが。
 
 (まあ、綾波は気にしないんだろうけど)
 
 仕方なく、シンジは、音を立てないように注意しながら、ドアのノブを回した。
 
 
 
 「……あやなみ」
 
 小さな声で、ドアの中に声をかける。
 
 真っ暗な部屋の奥からは、何も聞こえない。
 
 ……やっぱり、寝ちゃってるのかな。
 
 シンジは、一瞬逡巡した後、意を決して、玄関に足を踏み入れた。
 
 ゆっくり、音を立てないように、ドアを閉める。
 
 部屋の奥の、シンジの位置からは見えない窓からの月光だけが、空間をほのかに照らしている。
 
 「……おじゃまします……」
 
 小さな声で呟くと、靴を脱いで、奥の部屋へと進んだ。
 
 
 
 レイが寝ている、と、シンジは予測していた。
 
 だが、ベッドには人影がない。
 
 「……なんだ」
 
 力が抜けたように、がっくりと張り詰めた緊張をとると、奥へ進んで、ベッドの縁に腰掛けた。
 
 「緊張して、馬鹿みたい」
 
 しかし、レイは一体どこへ行ったのか?
 
 もう、夜の十時近い。
 
 「……コンビニにでも、行ったのかな?」
 
 それも変だな、とシンジは思う。レイはいつも、学校帰りに必要なものを揃えていて、家に帰ってからわざわざ出かけるようなことはなかったように思う。
 
 「……と言っても、綾波のことなんて、よく知らないんだけど……」
 
 独り言のように、シンジが呟く。
 
 
 
 ……まあ、いいや。
 
 
 
 とりあえず、留守宅に忍び込んで泥棒に間違われる前に、IDカードを残して去ろう。
 
 目立つところに、書き置きと一緒に残していけばいいだろう。
 
 ……書き置きを残せば「留守宅に忍び込んだ」ことはバレバレなのだが、シンジはそこまでは気が回らないようだ。
 
 (さて……どこに置こうか?)
 
 シンジは、部屋を見渡した。
 
 ふと、自分の座るベッドの上に、目をやる。
 
 そこには、制服と、下着と……。
 
 (……ん? 下着?)
 
 下着……。
 
 綾波の……。
 
 え〜と……。
 
 ………。
 
 ………。
 
 
 
 ……ま……
 
 ……まさか……
 
 
 
 シャッ、と、廊下の方でアコーディオン・カーテンの開く音。
 
 そして、サンダル特有の、軽く引きずるような足音。
 
 そして、石と化したシンジの前に、現れた人影。
 
 
 
 (……なんてこったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁ!!)
 
 全身の血液を逆流させながら、シンジは倒れそうになるのを必死にこらえ、頭の中で絶叫していた。
 
 レイは、部屋に足を踏み入れた状態のまま、硬直していた。
 
 まさか、シンジが部屋にいるとは、想像もしていなかったのだ。
 
 
 
 ……レイは、肩からさげたタオル以外、何も身にまとっていなかった。
 
 
 
 (よ、夜も、シャワーを浴びているなんて……)
 
 シンジは、グラグラする頭の中で、茫然と呟く。
 
 しかし、考えてみれば、風呂に入るのは、どちらかと言えば夜の方が普通だろう。前回、昼間シャワーを浴びていた方こそ、いつもと時間をずらしていたと考えるほうがしっくりする。
 
 ……もちろん、今のシンジに、そんな冷静な推理をする余裕など無いのだが。
 
 「……あ、あ、あや、あやなみ……」
 
 必死の思いで、シンジが口を開いた。
 
 はっきり言って、前回より今回の方が慌てている。
 
 「……碇君」
 
 レイも、半ば茫然とした状態で呟いた。
 
 裸身を隠すようなそぶりは、全くない。
 
 「碇君が……いる」
 
 レイの頬が、ほのかに赤くなる。
 
 だが、シンジを慌てさせている肝心の体を隠そうとしない。
 
 恋心による照れはあっても、「人前での裸は恥ずかしい」という概念はないのだ。
 
 
 
 シンジは、いまだ立ち直っていなかった。
 
 一度は回避したと思った遭遇なだけに、逆に心の準備ができていなかったのだ。
 
 (あ、あやなみ……)
 
 しかも、あろうことか「目を背ける」とか「服を着るように促す」という発想すら出てこない。
 
 完全に、今のシンジの頭の中は真っ白……
 
 正確には、「レイの裸身の映像」以外は真っ白である。
 
 
 
 奇妙な対峙。
 
 かたや、少女の裸体を凝視しながら、石のごとく固まっている少年。
 
 かたや、一糸まとわぬ姿で、照れながら立ちすくむ少女。
 
 
 
 それは、およそ30秒近く、続いたのだった。
 
 
 
 同じころ、葛城邸。
 
 送りだした少年の状況を知ってか知らずか、家主の女性は大酒をかっくらって眠っていた。
 
 ……ときどきお尻をボリボリとかいているあたり、オヤジ以外の何物でもない。
 
 
 
 再び、綾波邸。
 
 膠着した状況を先に打破したのは、レイのほうだった。
 
 「……碇君」
 
 呟くように相手の名前を口にすると、レイはそのまま、ぶつかるようにシンジの胸に飛び込んできた。
 
 「あ、あやなみぃ!?」
 
 レイが、どん、とシンジの胸にぶつかり、その勢いで、シンジはベッドの上に背中から倒れ込んだ。
 
 ゴチン!
 
 勢いあまって壁に頭をぶつけるシンジ。
 
 「あいたっ!」
 
 「あっ……碇君」
 
 パッ、とレイがシンジから少しだけ顔を離し、心配そうにシンジの顔を覗き込む。
 
 「碇君……ごめんなさい」
 
 「あ、あはは、だ、大丈夫だから……」
 
 慌てて笑顔を向けるシンジ。だが、レイの方を見ると、そのままレイの胸が見えてしまう。
 
 (の、のうさつだぁ……)
 
 鼻頭を押さえながら、真っ赤な顔で横を向く。
 
 見つめ続けていると、思わずよからぬことをしてしまいそうである。
 
 してもいいんでは、と思わないではないが、レイは、自分の行動から結びつく結果を知らないのである。求めれば拒まないかもしれないが、それでは騙し討ちと変わらない。
 
 シンジの上に乗っかったまま、再び心配そうにシンジの顔を見るレイ。
 
 「碇君……」
 
 「あ、あの、綾波? ふ、服、着てくれないかな?」
 
 とにかく、事態の急変で、ようやく自分を取り戻しかけているシンジは、半ば上ずった声で、そう言った。
 
 「……服?」
 
 「そ、そう」
 
 「……何故?」
 
 「な、何故って、それは……」
 
 レイは、シンジの背中に手を回した。
 
 そのまま、ぎゅっとシンジの体を抱きしめる。
 
 (あ、あやなみぃぃ!)
 
 ワイシャツごしとはいえ、シンジの胸板に、明らかにレイの胸の弾力が押し付けられている。
 
 シンジの脳髄はブチ切れ寸前だが、レイはそんなことは露ほども知らない。
 
 「このままの方が、あったかいのに……」
 
 「い、いや、あ、あ、あのね。ふ、普通、他人の前で、女の子は裸にならないものなんだよ」
 
 「……そうなの」
 
 「そ、そうなの。……だから、綾波、その、服を……ね」
 
 「………」
 
 「服を、着てほしいなぁ〜……なんて……」
 
 「………」
 
 「……あやなみ?」
 
 「………」
 
 「……もしもし……綾波さん?」
 
 「……何か、入ってる」
 
 「え?」
 
 
 
 レイは、シンジのズボンに手を延ばした。
 
 
 
 ババッ! と、まさに脱兎のごとき素早さでシンジはレイの手を離れ、ベッドから飛びのいた。
 
 レイは、ベッドの上に座って、キョトンとシンジを見つめている。
 
 「……碇君?」
 
 「あ、あ、綾波! きょ、今日きたのはね、え、え〜と……あれ? え〜……そ、そう! これを渡しにきたんだよ!」
 
 真っ赤な顔で、レイの顔の前にIDカードを突き付けるシンジ。
 
 「IDカード……」
 
 「そ、そうそう! IDカードの更新でね! ミサトさんに頼まれてね! あ、あははははは! ……そ、それじゃ、その、また明日!」
 
 まくし立ててから回れ右すると、シンジは玄関に飛び込んだ。
 
 「あっ、碇君……」
 
 「じゃ、じゃあね、綾波! はやく服を着ないと、風邪ひくよ!」
 
 部屋に向かって声をかけると、シンジは、そのまま不自然な姿勢で玄関から出ていった。
 
 
 
 扉が閉まる音を聞きながら、レイはベッドの上に座って、ただシンジの消えた方を見つめていた。
 
 「碇君……」
 
 胸の内から、感じたことのない感覚が沸き上がる。痛いような、寒いような……体の中に穴が開いたような感覚。
 
 それが「寂しさ」であることは、レイにはまだわからない。
 
 
 
 「碇君……」
 
 先ほどの、シンジを抱きしめたときの暖かさを思い出す。
 
 体が、心が、温まる気持ち。
 
 
 
 今は、寒い……。
 
 シンジのいない部屋は、一層の寒さを感じさせた。
 
 
 
 ……いままで、この部屋にいても、こんな気持ちになったことはなかった。
 
 だけど、今は寒い。
 
 前と、なにが違うの?
 
 この部屋は、何も変わっていない。
 
 
 
 ……変わったのは、わたし?
 
 
 
 ……だとしたら、変えたのは、きっと、碇君……。
 
 
 
 碇君のことを想うと、胸が暖かくなる。
 
 でも、今は違う。
 
 碇君のことを想うと……胸が、痛くなる。
 
 苦しく……なる。
 
 ……これは、なに?
 
 どうして?
 
 碇君は、あんなに暖かいのに……。
 
 
 
 どうして、碇君のことを考えるのが、こんなに苦しいの……。
 
 
 
 レイは、ゆっくりと、ベッドの上に横になった。
 
 そこは、さっきまで、シンジが寝ていたところ。
 
 (碇君……)
 
 レイは、シンジの名前を呼ぶ。
 
 それだけで、胸が痛む。
 
 だが、呼ばずにいることは……できないのだ。
 
 
 
 レイは、ベッドに顔を伏せ、ぎゅっとシーツを握り締めた。
 
 
 
 シンジは、レイの家から帰る間、ずっと走り続けていた。
 
 そうでもしなければ、収まりがつかなかったのである。
 
 (ううう……危なかったぁ!
 
 あそこで綾波を襲いでもしたら、シャレにならないよ……
 
 しかし……
 
 ………
 
 ………
 
 ………
 
 ああああああ! 静まれぇぇぇぇぇぇぇ!!)
 
 今度、レイにじっくりと、「普通は何をしたらいけないことなのか」を教えなければいけない、と、シンジは煩悩と戦いながら心に誓うのであった。



三十三



 「これより、零号機の再起動実験を行います」
 
 リツコの声が、制御室に響く。
 
 「……レイ、準備はいいか」
 
 ゲンドウの声が、それに続く。
 
 「……はい」
 
 レイの声が、それに応える。
 
 
 
 ここは、NERVの実験棟・制御室。
 
 前回、零号機の暴走という結果に終わった起動実験を、再度行うのである。
 
 「第一次接続開始」
 
 「主電源コンタクト」
 
 「稼働電圧臨界点を突破」
 
 「フォーマットをフェイズ2に移行」
 
 オペレーターとリツコの声が、矢継ぎ早に状況を伝えていく。
 
 
 
 (父さん……)
 
 シンジは、制御室の隅で、ガラスの前に立つ父親の背中を見つめていた。
 
 普段、実験に立ちあわないゲンドウが、ここにいる。
 
 (父さん……やっぱり綾波が、気になるんだね)
 
 シンジは、心の中で、ゲンドウの背中に問いかけていた。
 
 ゲンドウは、ガラスの向こうの零号機を見つめたまま動かない。
 
 後ろで組んだ手。
 
 手袋をしているが、シンジは、その向こうに、火傷でただれた皮膚があるのを知っている。
 
 (……だけど)
 
 哀しみを浮かべて、シンジは呟く。
 
 (……綾波は、母さんじゃないんだ、父さん……)
 
 
 
 レイは、エントリープラグの中にいる。
 
 今のレイは、起動することだけに意識を集中させていた。
 
 邪念の入る余地は全く無い。
 
 
 
 ……シンジを助けるため。
 
 ……いや、むしろ、シンジと体験を共有したいがため、であろうか。
 
 レイは、零号機の起動に、なんとしても成功したかった。
 
 それは、前回の実験の時にはなかった、確固たる意志であった。
 
 
 
 「パルス及びハーモニクス正常」
 
 「シンクロ問題なし」
 
 「オールナーブリンク終了。中枢神経素子に異状なし」
 
 「1から2590までのリストクリア」
 
 「絶対境界線まであと2.5」
 
 「2.4」
 
 「2.3」
 
 「2.2……」
 
 起動実験は進んでいく。
 
 シンジは、実験の行方を心配していた。
 
 前回、レイは再起動実験に成功した。
 
 だが、レイの状態は、前回とは明らかに違う。……幼いながら、彼女は感情と呼べるものを手に入れている。
 
 (実験に影響が出るだろうか……)
 
 エヴァンゲリオンの起動に、感情の起伏は重要な因果関係を持つ。
 
 もしも悪いほうに働いて、再び暴走するようなことになれば……。
 
 「0.7」
 
 「0.6」
 
 「0.5」
 
 「0.4」
 
 「0.3」
 
 シンジは、ギュっと拳を握り締める。
 
 「0.2」
 
 「0.1」
 
 「ボーダーラインクリア」
 
 
 
 「零号機、起動しました!」
 
 
 
 マヤの声に、シンジは、ふぅっと息をついた。
 
 手の平を見ると、爪の食い込んだ跡から、血が滲んでいる。
 
 (良かった……綾波)
 
 モニタを見ると、レイも、こわばった肩から力を抜いて、心なしか安堵しているようである。
 
 
 
 (起動した…)
 
 レイは、軽く溜め息をついた。
 
 もちろん、LCLの中なので、実際に息が出るわけではないのだが。
 
 (これで……碇君を手伝える)
 
 レイの心に、ゲンドウの名前は浮かんでこなかった。
 
 以前、レイは、ゲンドウの命令に従うために、起動実験を成功させたいと思っていた。
 
 それが、今はシンジのことを考えている。
 
 別に、ゲンドウのことを考えることを、棄ててしまったというわけではない。
 
 ……レイの心の中で、シンジが占める割合が、圧倒的に増えているのである。
 
 (碇君……)
 
 レイは、接続モニタから制御室を見る。
 
 シンジが、こちらを見ている。
 
 それだけで、レイの心は軽くなる……。
 
 
 
 ビィーッ、ビィーッ、ビィーッ……
 
 
 
 急に、制御室の中に、警報が鳴り響いた。
 
 ハッとした顔で、リツコが振り返った。
 
 
 
 「……ラミエル」
 
 
 
 (えっ?)
 
 リツコは、声のしたほうを向いた。
 
 そこに立っているのは、14歳の少年……。
 
 (今……なんて……)
 
 しかし、その思考を遮るように、冬月の声がかぶった。
 
 「碇、未確認飛行物体が接近中だ!」
 
 言いながら、受話器を置く。
 
 ゲンドウは、ガラスの向こうを見つめたまま、動かない。
 
 「おそらく、第五の使徒だ」
 
 制御室に、音にならないざわめきが走る。
 
 「……総員、第一種戦闘配備」
 
 ゲンドウが、低い声で呟いた。
 
 
 
 シンジには動揺はなかった。
 
 レイの再起動実験中のラミエル襲来。
 
 歴史通りだ。
 
 
 
 「零号機はどうする? このまま使うか」
 
 冬月がゲンドウに問う。
 
 「まだ出撃には耐えん。……赤木博士、初号機は?」
 
 「380秒で準備できます」
 
 「よし。出撃だ」
 
 ゲンドウは、号令を発しながら、シンジがいたほうを向いた。
 
 しかし、シンジは、既に更衣室に向かって移動しており、そこにはいなかった。
 
 
 
 「……出撃させて下さい」
 
 
 
 出し抜けのレイの声に、制御室に驚きが走った。
 
 リツコが、インタホンに近寄り、声をかける。
 
 「レイ。あなたと零号機は、まだ起動に成功したばかり。……これから誤差の修正を行わなければ、戦闘には使えないわ」
 
 「しかし……」
 
 「……レイ。命令よ」
 
 「……はい」
 
 「零号機、切断。総員、すぐに初号機の出撃準備」
 
 
 
 起動……したのに……
 
 碇君を手伝えない……
 
 
 
 ごめんなさい……
 
 
 
 リツコがオペレータに命令を下すのを聞きながら、レイは黙ってただ前を見つめていた。
 
 
 
 「エヴァ初号機発進!」
 
 ミサトの声を聞きながら、エントリープラグの中で、シンジは来たるGに備えて身を固くした。
 
 バシュッ、と音を立てて、初号機を載せたリフトが高速で上昇していく。
 
 「使徒内部に高エネルギー反応!」
 
 突然、青葉の声が発令所に響いた。
 
 ミサトが驚愕の表情でモニターの先に映る使徒を見つめた。
 
 青葉の緊迫した叫びが続く。
 
 「周円部を加速! 収束していきます!」
 
 「まさか! 加粒子砲!?」
 
 一瞬、使徒の体の境目が、煌めいた。
 
 
 
 同時に、初号機を載せたリフトが、地表に到達した。
 
 
 
 「シンジくんッ! よけてッ!!」
 
 ミサトの、悲痛な叫び。
 
 
 
 シンジは、使徒の攻撃を予想していた。
 
 地表に上がると同時に、自分の前方にATフィールドを展開する。
 
 使徒から発射された加粒子砲は、ATフィールドに遮られた。
 
 「やった!」
 
 ミサトが叫ぶ。
 
 しかし……
 
 「戻してください!」
 
 シンジの声に、ハッとしてモニタに映るシンジの顔を見る。
 
 驚きの入り交じったシンジの表情。
 
 「早く!」
 
 一瞬遅れて、ミサトが反応した。
 
 「リフト戻して! 早く!」
 
 「ど、どうしてですか!?」
 
 「急ぎなさい!」
 
 「ハ、ハイ!」
 
 初号機がATフィールドを展開したまま、リフトが降りていく。
 
 やがて、初号機の機体が完全に地下に隠れると、使徒は加粒子砲の照射を中止した。
 
 
 
 「どういうこと? 葛城一尉」
 
 リツコが問う。
 
 「わからない……でも、シンジくん、尋常じゃなかったわ。なにか、まずいことがあったのよ」
 
 下降するリフトを睨みながら、ミサトは爪をかんだ。
 
 
 
 エントリープラグの中で、シンジは驚愕で目を大きく見開いたまま、肩で大きく息をしていた。
 
 (危なかった……)
 
 ラミエルは、加粒子砲に特化した使徒だ。
 
 その威力はすさまじい。
 
 
 
 あと10秒もすれば、シンジのATフィールドは破られていた。
 
 シンジは、それに気付き、破られる前に撤退したのだ。
 
 (やっぱり……)
 
 ゆっくりと背もたれに寄り掛かり、シンジは呟いた。
 
 「ヤシマ作戦しか……ないのか……」
 
 他に、あの使徒を殲滅するいい方法は思い浮かばない。
 
 
 
 だが、それはつまり、レイを危険に晒すことを意味する。
 
 
 
 シンジは、それが悔しかった。