第十四話 「異変」
二十五



 「シンジ、今日、これからヒマか?」
 
 身支度を整えて自分の席から立ち上がったシンジに、トウジが声をかけた。
 
 「うん、今日は何も予定はないけど」
 
 「ほんなら、これからゲーセン行かへんか?」
 
 「新しいヤツが入ったんだよ。行こうぜ」
 
 トウジの背中越しに、ケンスケも顔を出す。
 
 シンジに断る理由はなかった。
 
 「うん、いいよ」
 
 「おぉ〜し! ほなら、とっとと行こうや」
 
 トウジがシンジのそで口をつかんで引きずりだす。慌ててバランスを崩すシンジ。
 
 「ちょ、ちょっと、慌てないでよトウジ」
 
 「じゃっかぁしい! おうケンスケ、今日こそは負けへんでぇ!」
 
 「はいはい……悪いな碇、こないだ碇がNERVに行ってるときに、トウジが無謀にも僕に対戦を挑んできたんでね……ま、軽く相手してあげたってわけ」
 
 「やかましいわ! あんときは腹の具合が悪かったんじゃ。今日やったらあんなんやないでぇ!」
 
 
 
 シンジ、トウジ、ケンスケの3人は、最近よく一緒に、近くのゲームセンターに行くことがある。シンジは特に得意なゲームがあるわけではなく、全体的にまぁまぁといった腕前だが、ケンスケの格闘ゲームの腕は一級品だった。
 
 「トウジ、引っ張らないでってば」
 
 「大体さ、トウジは技が一本調子なんだよな。テレフォンパンチというか……次にどうやって攻撃してくるかミエミエなんだよ」
 
 「なんやとぉ〜」
 
 「幾ら格闘っていってもね、所詮ゲームなんだから熱くなったほうが負けさ。気合じゃなくて頭脳でプレイしなくちゃね」
 
 「オンドレは、それでホンマにおもろいんかい!」
 
 「俺に言わせれば、駆け引きのないトウジのやり方の方がつまらなそうだけどな」
 
 「なんやとぉぉ〜」
 
 「トウジ、引っ張らないでってば!」
 
 言いあいながら教室を出て行こうとする3人。
 
 
 
 ピピピピピピピピピピ……
 
 
 
 同時に、教室の2箇所から、電子音が聞こえてきた。
 
 3人は思わず立ち止まる。
 
 ひとつはシンジの鞄の中から、もうひとつは自分の席で本を読んでいたレイの鞄から聞こえていた。
 
 
 
 「なんや、携帯か?」
 
 「うん」
 
 言いながらシンジは鞄に手を突っ込んで携帯電話を取りだすと、液晶に表示された言葉を確かめておもむろに電話を切った。
 
 その様子を見ていたトウジが声をかけた。
 
 「シンジ、出んでええんか?」
 
 「うん」
 
 「……NERVだね?」
 
 ケンスケが、眉間に指を当てて眼鏡を直しながら呟く。
 
 「……ま、そんなところ」
 
 「何の用事?」
 
 「それは行かなきゃわからないよ」
 
 
 
 だが、シンジには、呼びだされた理由がはっきりとわかっていた。
 
 
 
 そうか……。
 
 シャムシェルだ。
 
 そういえば、今日だったな……。
 
 
 
 シンジの頭脳は、既に記憶をたぐってフルスピードで回転していた。戦いを有利に運ぶために、使徒の特徴、前回の戦いの経緯、そこから導きだされる有効な戦闘手順をいち早く把握しておく必要がある。
 
 
 
 あのときは……
 
 
 
 瞬間、シンジの脳裏に、シャムシェルとの戦いの様子が描き出された。
 
 あのとき……!
 
 そうだ!
 
 あのとき!
 
 「トウジ! ケンスケ!」
 
 バッと顔を上げて、シンジは二人の方を向いた。
 
 突然、大きな声で呼び掛けられ、二人はキョトンとしてシンジの顔を見つめている。
 
 「な、なんや?」
 
 「ゲーセンなら、また今度にすればいいさ……」
 
 「そんなのはどうだっていいよ」
 
 強い口調で、シンジは言う。
 
 「いい、二人とも。頼むから、避難所から外には絶対に出ないで」
 
 「はぁ?」
 
 「……なに言うとんのや」
 
 あきれた顔の二人。
 
 「いいから! 約束してよ。避難所にはいったら、非難警報が解除されるまで、みんなと一緒にいてよ」
 
 先ほどまでのシンジとは、明らかに様子が違う。声の大きさはいつものように戻っていたが、有無を言わせぬ迫力があった。
 
 「せ、せやな……そりゃ、出る理由もあらへんしな」
 
 「そうだよ、大体なにしに外に出るんだよ。意味無くそんなことしないさ」
 
 「……う、うん」
 
 「それより、何かあるのか? 避難しなくちゃいけないようなことが」
 
 「うん、まあ、その……多分ね」
 
 「碇君」
 
 突然呼びかけられ、シンジは振り返った。すぐ後ろに、レイが鞄を持って立っている。
 
 「非常招集。行きましょう」
 
 「……うん、そうだね。行かなくちゃ」
 
 シンジはレイに答えると、また振り返ってトウジとケンスケの方を向いた。
 
 「二人とも、絶対だよ」
 
 「わかってるって。変なヤツだな」
 
 「言われんでも、おとなしゅうしてるわ」
 
 「……じゃあ、僕、行くから」
 
 軽く手を上げて、シンジは二人の前を通り過ぎて教室を出た。そのすぐ後をレイが追う。
 
 トウジとケンスケは、教室の中に戻ると反対側の窓に近寄った。外を見ると、シンジとレイが校門に向かって走っていくのが見える。
 
 しばし無言で、その姿を見つめる二人。
 
 やがて、シンジとレイは、校門の向こう側に消えた。
 
 
 
 そして、同時に、避難警報のサイレンが、教室に響き渡った。
 
 
 
二十六



 エントリープラグの中で、シンジは肺の中の空気を排出した。何度体験しても、この時の感覚だけはなじめない。
 
 「シンジくん。準備はいい?」
 
 スピーカーから、リツコの声が響く。
 
 「はい。いつでもOKです」
 
 「じゃあ、この間の訓練のこと、よく思いだしてね。落ち着いていくのよ」
 
 「はい」
 
 司令塔に開かれた回線のモニタを横目で見ると、そこにはリツコやミサト、オペレーターのマヤや青葉の姿が見える。
 
 そして、モニタのかたすみに、レイ。
 
 レイは、今日は待機だ。零号機の起動実験にまだ成功していないレイは、攻撃に参加することは出来ない。服装も制服のままだ。
 
 「シンジくん、行くわよ」
 
 「はい」
 
 「初号機、射出!」
 
 ミサトの声と同時に、ガクンという衝撃と、強い縦Gがシンジの体を襲う。グッと顔をしかめるシンジ。
 
 ガン! という音と共に、最上部まで打ち出される。暗い箱の中のようだ。
 
 「使徒、軸上に移動しました!」
 
 「シンジくん! 目標をセンターからはずさないでね。行くわよ!」
 
 「はい!」
 
 次の瞬間、ガガッと箱の前面が左右に開き、初号機の機体が陽光に晒された。
 
 その正面に、第四使徒・シャムシェルの姿が見える。
 
 箱に見えたものは、カモフラージュされたビルであった。
 
 「撃って!」
 
 ミサトの声が飛ぶよりも早く、シンジは引き金を絞っていた。
 
 
 
 話は数十分前にさかのぼる。
 
 ここは、避難所の中。シンジの中学校の生徒達が収容されている避難所だ。制服姿の子供たちが、それぞれいくつかの輪になりお喋りに花を咲かせている。
 
 「あ〜もう、まただよッ」
 
 ケンスケの声。
 
 ケンスケは、トウジと二人で向かいあって座っている。ケンスケが覗き込んでいるのは、ポータブルのテレビカメラだ。
 
 「どうかしたんか」
 
 「ホラ、見てみろよ」
 
 ケンスケがカメラの液晶をトウジの方に回転させる。それを、トウジが覗き込む。
 
 「なんやて、え〜……とくべつひじょうじたいせんげん……くわしいことはじょうほうがはいりしだい……」
 
 「平仮名で読むなよ」
 
 「文字ばっかやな」
 
 「そ。ま〜た一般の人間には何も教えないつもりだぜ」
 
 再び液晶を自分の方に向け、ケンスケは溜め息をついた。
 
 「バケモノとエヴァの一騎打ちだよ。またとないシャッターチャンスなのになー」
 
 「しゃーないやんか。あとでシンジに詳しく聞いたらええやろ」
 
 「碇もNERVの人間だよ、教えてくれやしないさ……それより、トウジ……」
 
 「ん? なんや?」
 
 「外、出てみないか?」
 
 トウジは、ポカンとケンスケの顔を見たまま、頭の後ろで組んでいた両手をほどいた。ケンスケの眼鏡は無意味にライトの光を反射して、その表情まで読み取ることができない。
 
 「……シンジが、出たらアカン言うてたやないか」
 
 「そんなの、どうして碇にわかるんだよ。遠くから見るだけなんだしさ」
 
 「そうかも知れんが、外は危険やないんか。ヘタしたら死んでまうで」
 
 「そんなの、ここにいたって変わりゃしないよ。こんなシェルター、バケモンに勝てそうに見えるか?」
 
 「そりゃあ……そうかも知れんけどな……」
 
 「なあ、今を逃したら、次にまた敵が来るかどうかなんてわかんないぜ。こんなチャンス、逃すわけにいかないよ」
 
 「それやったらケンスケがひとりで行ったらええやないか」
 
 「トウジ、怖いのか?」
 
 「バ、バカ言うな。せやかて、シンジとの約束が……」
 
 「だから、そんなのわかりゃしないって。それに、バレたって碇に迷惑かけてるわけじゃないだろ〜」
 
 「う……う〜ん……」
 
 実際には、めちゃくちゃ迷惑をかけるのだが、そんなことは今の二人にはわからない。
 
 ケンスケの、「使徒とエヴァの戦いを見たい!」というムダに熱く迸る情熱に負けたトウジは、結局ケンスケと連れ立って外に出ていく決断をするハメになったのであった。
 
 
 
 「くっはああぁあああ……!」
 
 トウジは、汗だくで大きく息をついた。
 
 「くうう……まさか、止まってるエスカレーターが、こんなにキツイものだとは……」
 
 トウジの後ろで、ケンスケも苦しそうに声を絞りだした。
 
 二人の後ろには地下から長々と連なるエスカレーターが、前には非常用のハッチがある。
 
 「ハァ、ハァ……おぉし、あけるで」
 
 肩で息をしながら、トウジがハッチからT字型に伸びた取っ手をつかみ、右に90度回転させた。
 
 バシュン! と空気の抜ける音がして、直後に二人の顔の表面をさわやかな風が吹き抜けた。
 
 
 
 出てみると、そこは山の中腹に設けられたハッチだった。第三新東京市を一望に見渡すことができる。
 
 「見ろ、トウジ! 最高のロケーションだよ」
 
 ケンスケが、早速ビデオを構えながら叫ぶ。
 
 「せやな。いい眺めや」
 
 「なに言ってんのさ。そ〜ゆ〜コトじゃないの。えーと……」
 
 ケンスケは、ファインダーを覗きながら左右を見渡した。
 
 「おっ! いたいた! うひょ〜……」
 
 ケンスケは、一点の方向にカメラを固定して、ニンマリと笑いを浮かべた。
 
 トウジも、ケンスケの向いている方向に目をやる。
 
 そこには、第四使徒シャムシェルの姿があった。
 
 「ゲッ。気色ワルゥ」
 
 顔中で「ウエッ」という表情を見せて、オーバーにトウジが呟いた。
 
 「見ろよ〜あの造形! 人外の意匠! 究極のクリーチャー! 苦労したかいがあったってもんだよ〜!」
 
 「何が面白いんじゃ。わけわからん」
 
 「碇はどこだ? いないのか?」
 
 カメラを使徒に固定したまま、ケンスケが顔だけ上げて辺りを見回す。
 
 「初号機もレンズにおさめておきたいんだけどな〜」
 
 「そういやぁ、おらんな。どこに……」
 
 その瞬間、ガシュッという金属音と空気音の入り交じったような音が響いた。
 
 見ると、使徒の前方のビルから煙が上がっている。そして、そのなかから続け様に銃弾が連射された。
 
 
 
 ドガガガガガガッ!
 
 
 
 「おお!? な、なんや!?」
 
 「うお〜! モノホンの戦闘シ〜ン!!」
 
 トウジの驚きの叫びと、ケンスケの歓喜の叫び。
 
 使徒に向けて発射された銃弾は、しかし、むなしく空を切る。使徒が、予想以上に俊敏な動きで、弾幕を躱したのだ。
 
 素早く距離を置く使徒。そして、それを追うように、紫色の巨体が煙の中から現れた。
 
 
 
 「おお〜! 見ろ、トウジ! あれがエヴァだよ! 感激だぁ〜!!」
 
 カメラにかじりついて叫ぶケンスケ。トウジは、その声が聞こえないかのように、茫然と呟いた。
 
 「あれに……あんなんに、シンジは乗っとるんか……いや、綾波か?」
 
 「あれは初号機だから碇だよ。綾波は待機じゃないか? 零号機はまだ使えないんじゃないの」
 
 「なんでそう詳しいんじゃ、オノレは……」
 
 
 
 シンジは、使徒の飛び退る先を予測して、パレットガンを素早く移動させていた。横一文字に、パレットガンの弾着が激しい爆発と煙を上げる。
 
 だが、使徒はその動きよりもわずかに早く、弾はことごとく宙を飛んでいた。
 
 「くぅっ」
 
 シンジの押し殺した声が聞こえる。
 
 使徒の予想以上に素早い動きに、若干の焦りが出ているようだった。
 
 「シンジくん! 落ち着いていきなさい!」
 
 ミサトが、モニタに向かって叫んだ。
 
 シンジの瞳が一瞬動く。ミサトの声に反応したようだ。
 
 だが、それに応える余裕はなさそうである。
 
 「訓練の時の動きじゃないわね」
 
 リツコが、呟くように言う。
 
 ミサトが、その言葉に反応して、リツコの方に振り返った。
 
 「シンジくん、調子が悪いの?」
 
 「いえ、悪いというほどでもないわ。どちらかというと……このあいだが良すぎたのよね」
 
 事実、現在の初号機の動きは、やはり平均的な中学生の反射神経を上回る、良い動きだった。
 
 シンジを責めるにはあたらない。
 
 「むしろ、この動きに見あう作戦を提示できない私たちの責任ね」
 
 「わかってるわよ」
 
 再びモニタを睨み付けたまま、低い声で、ミサトが呟いた。
 
 
 
 ミサトの頭は、フル回転で作動していた。機械だったら激しいシグナルの点滅で埋め尽くされているところだ。
 
 (どうすればいいの……)
 
 モニタを睨む。
 
 プラグ内のシンジは、必死に使徒を追って攻撃を繰り返している。眉間にしわが寄り、下唇を噛みしめている。
 
 ミサトは、同じように下唇を噛んだ。
 
 いつまでも、このままではいられない。
 
 なにか、手を打たなければ、使徒を倒すことも出来ないし、何よりシンジに負担がかかり過ぎる。
 
 だが、いまだミサトの頭には、決定打と言うべき策は浮かんではこなかった。
 
 
 
 膠着状態とも思われた事態が、突然変化を迎えた。
 
 それは、使徒の方から行われた。
 
 シャムシェルは、横に移動して逃げ続けた状態のまま、突如、触手をまっすぐ初号機に向けて伸ばしてきたのだ。
 
 「うわッ!」
 
 横の動きに慣らされていたシンジは、突然の縦の動きに、即座に対応することが出来ない。と言うより、何が起こっているのか理解できなかった。
 
 
 
 ズズーン!
 
 
 
 初号機は、横倒しに倒れ込んだ。
 
 激しい煙が上がり、ビルの破片が舞い上がる。
 
 「シンジくん!」
 
 ミサトの叫び。考えがまとまらぬうちの事態に、彼女の頭は真っ白になりかけていた。
 
 
 
 その瞬間のシンジの反射行動は、まさに天才的と賞されてよかった。
 
 急速に伸びてきた触手は、シンジからは直角となる為に、ほとんど点としか認識できなかったはずだ。しかも、物凄いスピードだ。普通の人間なら、認識するよりも早く、触手に薙ぎ払われていたところであろう。
 
 シンジは、「何が起きているか」を認識するよりも早く、動いていた。
 
 初号機は、自分で地面を蹴って、後ろ向きに飛んだのだ。そのまま、背中越しに倒れ込む。
 
 使徒の触手は、初号機を捉えるよりも一瞬遅く、むなしく宙を斬っていた。
 
 
 
 だが、触手は戻り際にも攻撃を加えてきた。
 
 「あっ!」
 
 第一撃目をよけるために地面に倒れ込んでしまっていた初号機は、それをよけるのに身をよじるのが精いっぱいだった。
 
 バキャァッ!
 
 激しい音と共に、右手首を砕かれる初号機。
 
 「うわぁッ!」
 
 苦悶の表情で身悶えるシンジ。
 
 パレットガンは、宙高くに放り出された。
 
 
 
 山の中腹から戦いの様を見ていたケンスケとトウジは、はるか遠くからゆるやかな弧を描いて飛んでくる物体を目で追いながら、茫然と呟いた。
 
 「おいおい……」
 
 「ウソやろ……」
 
 飛んでくるのはパレットガン。
 
 向いているのは自分の方角。
 
 狙ってくるのはこの地点。
 
 
 
 「……うっ……ぎゃあああああああああああ!!」
 
 
 
 しかし、パレットガンは、正確にはケンスケたちよりも上に向かって飛んでいた。
 
 頭を抱えてうずくまる二人の上を、ゴッ、と音を立てて通過する。
 
 そして……
 
 
 
 ズズゥウウウウン!
 
 
 
 「うわぁああああ!」
 
 「ひぃいいいいい!」
 
 激しい音と物凄い地面の揺れに、思わず抱きあって情けない声を上げる二人。
 
 
 
 シンジには苦しんでいる暇も与えられなかった。
 
 「くっそぉぉ!」
 
 続け様に襲い掛かる触手を、必死の思いで躱していく。まさに紙一重だ。
 
 「ミサトさん! どうすればいいんですかぁッ!」
 
 叫びながらよけ続けるシンジ。右手首からは物凄い痛みが襲ってきていたが、それに構っている暇はない。
 
 「落ち着いて! パレットガンは破壊されたわけではないわ! 取りにいけば間に合う!」
 
 「そんな余裕ないですよ!」
 
 「他に方法がないのよ! お願い、何とかしてパレットガンを取り戻して!」
 
 ミサトは苦汁の思いでシンジに叫んだ。
 
 何とかして、などというのは、作戦とは言えない。具体性を欠く、戦闘の当事者にしてみればもっともタチの悪い命令だ。
 
 だが、他に方法が思い付かない。
 
 ミサトは、また、下唇をかんだ。
 
 
 
 司令塔の後ろで、レイは立ちすくんでいた。
 
 体中を、何とも分からない悪寒と不安が駆け巡っている。
 
 それは、モニタ越しに見えるシンジの、苦痛と苦悶に彩られた表情をみるたびに、一足飛びに跳ね上がっていくようだった。
 
 碇君……!
 
 
 
 レイは、ただ拳を握り締めるしかない。
 
 
 
二十七
 
 
 
 シンジは、ミサトの無理な注文に応えようと、必死で体を動かしていた。
 
 命令として、無茶なものだということは、よくわかっている。
 
 だが、他に方法が無いことも、またよく理解していた。
 
 「このっ……このっ……!」
 
 初号機は、触手を躱しながら、少しずつ移動していた。
 
 もうすぐ、使徒とパレットガンの間に入り込むことが出来る。そこまで来たら、一気に背後にジャンプして、パレットガンのところまで跳んでいく計算だ。
 
 横の動きから縦の動きへ。
 
 先ほどの使徒の攻撃を逆手にとった計画だった。
 
 
 
 立ちこめた煙が晴れるなか、ケンスケとトウジは、茫然と背後の山を見上げていた。
 
 二人の位置から、わずか500Mと離れていないところに、深々とパレットガンが突き刺さっている。
 
 間近で見るそれは、信じられない威圧感をもって鎮座していた。
 
 
 
 「もうちょっと下だったら……俺達死んでたな……」
 
 「やっぱ……シンジの言うとおりにしとったらよかったわ」
 
 ただただ茫然と、呟く二人。
 
 まさに、九死に一生を得た、という感覚であった。
 
 そのまま、パレットガンを見つめる二人。
 
 遠くでビルの破壊される音や爆発音が聞こえるが、二人の耳には殆ど入ってこない。
 
 ややあって、ケンスケが口を開いた。
 
 「戻ろうか……?」
 
 トウジも口を開く。
 
 「せやな……」
 
 二人は顔を見あわせ、無言でうなずきあうと、今来た道を戻るために、ゆっくりと振り返った。
 
 
 
 視界に入ったのは、こちらに向かって、一直線に飛んでくる、初号機の背中。
 
 
 
 「……………………うっ……ぎゃあぁああああああああああああああああ!」
 
 
 
 パレットガンの方向へ一気に距離を詰めた初号機を、信じられない反応速度で使徒の触手が追う。
 
 だが、シンジの思惑どおり、横から縦への突然の動きに、使徒は距離感を失っていたようだ。
 
 触手は、初号機のわずか手前で空を斬る。
 
 しかし……。
 
 バシッ!
 
 音を立てて、アンビリカルケーブルが切断された。ぶらさげていた紐を引っ張られたような形になり、初号機はバランスを崩した。
 
 
 
 ……ズズウゥウウウウウン!
 
 
 
 山の中腹に、背中から倒れ込む初号機。
 
 司令塔に、警報が鳴り響いた。
 
 「アンビリカルケーブル、切断! 内部電源に切り替わります!」
 
 「何てこと……! ダメージは!?」
 
 「初号機、パイロットともに正常です! いけます!」
 
 「シンジくん!」
 
 
 
 「くぅっ……」
 
 シンジは、衝撃で一瞬霞んだ頭を、ブルッ、と振る。
 
 正面を見ると、使徒がこちらに近づいてくるのが見える。
 
 先ほどまでの素早い動きではなく、様子を窺うようにゆっくりとした動きだ。
 
 (そうか……こっちの手許にパレットガンが戻ったから、様子を見るつもりなのか……)
 
 シンジは、頭の中で呟いた。
 
 またとない好機だ。
 
 (ちゃんと、パレットガンを手に入れないと……)
 
 シンジは、すぐ後ろに転がるパレットガンを握ろうと、地面についた右手を見た。
 
 その指の間に……トウジと、ケンスケ。
 
 頭を抱えて、腰を抜かさんばかりの格好で、泣きながらこちらを見ている。
 
 (トウジと……ケンスケ……え〜と?)
 
 事態を把握していないシンジは、ボーッとその様を見つめる。
 
 そして、2秒。
 
 急速に、シンジの目に焦点があった。
 
 信じられない思いで、搾り出すようにシンジは叫ぶ。
 
 「……トウジ! ケンスケ! ……なんで!?」
 
 
 
 その二人がいる様は、即座に司令塔にも伝わった。
 
 モニタに、二人のプロフィールが表示される。
 
 「シンジくんのクラスメート!?」
 
 「何でこんなところに……!」
 
 驚くミサトとリツコ。
 
 「どうすればいいの……下手に動いたら踏みつぶすわよ」
 
 「あの二人より使徒殲滅のほうが優先されるわ」
 
 リツコの言葉に、ミサトが、キッ、と睨み付ける。
 
 「そんなこと、出来ると思う!? ……第一、シンジくんが絶対に許さないわ」
 
 「わかってるわよ」
 
 「冗談でもやめてよね……でも、どうすれば……」
 
 ミサトの当惑とは別の意味で、シンジは激しく当惑していた。
 
 (何で……何で二人ともここにいるんだ!
 
 避難所からでてくるなって……
 
 あれほど……言ったのに!
 
 今度は巻き込まないように……言っておいたのに……!)
 
 ギュッと唇を噛みしめるシンジ。
 
 使徒は目前まで迫っている。
 
 この場所で戦闘になれば、とても二人の安否は保証できない。
 
 かと言って、同じく二人を気遣いながら、この場所を移動することも難しい。
 
 (こうするしか……ないのか!)
 
 シンジには、迷っている時間はなかった。
 
 
 
 バシュツ!
 
 音を立てて、エントリープラグが半分だけ排出された。
 
 「シンジくん!? 何をする気!?」
 
 ミサトの叫びには応えず、外部出力に切替えたスピーカーから、シンジの声が響いた。
 
 
 
 「そこの二人! はやく来るんだ!」



二十八



 エントリープラグのハッチから中に飛び込むと、そこは水の中だった。
 
 「うわっぷ! お、溺れてまう……ごぼごぼ」
 
 「あばがばがばがば……カ、カ、カメラ……ごぼごぼ」
 
 暴れるケンスケとトウジ。
 
 しかし、やがてすぐに、呼吸が可能なことに気が付く。
 
 必死で気を落ち着ける二人の耳に、無線の声が飛び込んだ。
 
 「シンジくん! どういうつもり!? 民間人をプラグにいれるなんて……」
 
 「説教なら、後で聞きます」
 
 シンジの声。
 
 二人がそちらを見下ろすと、操舵把を握り締めるシンジの姿があった。
 
 その目は、まっすぐ使徒を睨み付けている。
 
 「シンクロ率、低下!」
 
 マヤの声が、司令塔に響く。
 
 「当たり前よ! あんな真似して!」
 
 「異物が二つもはいって、これ? 相変わらずやるわねぇ」
 
 「何言ってんのよ! ……しょうがないわね、シンジくん! 一時退却よ!」
 
 ミサトの声。だが、シンジからの応答はない。
 
 「シンジくん!?」
 
 「回線が切られています!」
 
 「何ですってェ〜〜〜〜!!」
 
 
 
 ミサトと口論しているヒマは、シンジにはない。
 
 前回のシャムシェルとの戦いではわからなかったが、この使徒は、他の使徒とは明らかに違う。
 
 頭がいい。
 
 判断力も応用力もあり、動きもいい。
 
 
 
 うかつなことはできない。
 
 
 
 ここで退却のためにハッチに戻れば、そこが本部に直結していることを知るだろう。そうすれば、初号機が収容された後、そこから攻撃を仕掛けてくるのは想像に難くない。
 
 それは、避けなければいけなかった。
 
 頭をフル回転させるシンジに、トウジとケンスケが、おずおずと声をかけた。
 
 「センセ、大丈夫なんか?」
 
 「悪かったなぁ、碇……。出てくるなって言われてたのに……」
 
 「ホントだよ」
 
 「ぐッ」
 
 
 
 内部電源が切れるまで、幾らも時間が残されていない。
 
 考えている暇はない。
 
 ……あのときの再現以外に、方法はない。
 
 
 
 「……うおおッ!!」
 
 シンジは叫びながら立ち上がると、自分から使徒に詰め寄った。
 
 パレットガンは握っていない。手にあるのは、プログレッシブナイフだ。
 
 静止状態からの一転した素早い動きにも、使徒は思いのほか慌てなかった。
 
 「うぐあああッ!!」
 
 使徒の触手は、2本とも、初号機の腹部を貫いた。
 
 
 
 「碇君!!」
 
 レイの声が司令塔に響き渡る。
 
 悲痛な叫び。
 
 レイの顔は、不安と恐怖に埋め尽くされていた。
 
 思わず、誰もが動きを止めてレイを見る。
 
 レイは、そんな周りの様子など構うことなく、モニタ越しに見えるシンジの苦悶の表情を凝視していた。
 
 (レイ……この子……)
 
 ミサトは、驚きの表情でレイを見つめていた。
 
 その後ろ……リツコは、ただ、冷ややかなまなざし。
 
 
 
 腹部を貫かせたのは、作戦だった。
 
 荒っぽいが、これで触手は自由に動かない。その事実は、前回の戦闘で確認済だった。
 
 焼けるような、えぐられるような痛み。
 
 「……うおおおおおおおッ!!」
 
 叫びながら、使徒のコアにプログレッシブナイフを突き立てた。
 
 
 
 「初号機活動限界まで、あと45秒!」
 
 マヤの声が司令塔に響く。
 
 使徒のコアは光の飛沫を上げて、ナイフを飲み込んでいる。
 
 「……30! 29! 28! ……」
 
 カウントダウンの声が響く中、茫然とミサトは、その様子を眺めていた。
 
 (シンジくん……どうして、命令を聞かないの……)
 
 普段の、冷静沈着なシンジが、単純に命令に反抗したのだとは思えなかった。
 
 「……17! 16! 15! ……使徒、完全に沈黙!」
 
 「神経接続を切って!」
 
 「ハイッ……えッ!?」
 
 一瞬、命令に従いかけた青葉は、その声に気が付いて思わず振り返った。
 
 それは、ミサトの声ではなく、レイの声だった。
 
 同じように驚いてレイを見たミサトだったが、即座に状況を理解すると、続け様に声を発した。
 
 「早く!」
 
 「ハッ、ハイ!」
 
 「初号機神経接続切断!」
 
 ブビュウゥゥン……。
 
 活動限界までをあと12秒残して、初号機は停止した。
 
 
 
 腹部の痛みから解放されて、シンジは大きな溜め息と共に、シートにドッとよりかかった。
 
 (ミサトさん……神経接続を切ってくれたんだ……)
 
 まさかそれが、レイによるものだとは、シンジは夢にも思わない。
 
 肩で息をするシンジを、ケンスケとトウジは、茫然と見つめていた。
 
 (碇……)
 
 (シンジ……おまえ……いつも、こんな戦いをしとんのか……)



二十九



 トウジとケンスケは、NERVの諜報部隊に連れられて行ってしまった。
 
 手荒な真似はされないだろうが、おそらく、こってりと絞られるだろう。
 
 
 
 ここは、山の中腹からNERVに戻るトレーラーの中。
 
 そこは、NERVの移動作戦司令室となっている。
 
 
 
 そこに、シンジとミサトは、二人だけで対峙していた。
 
 
 
 「……なぜ、命令を聞かなかったの」
 
 ミサトが、低い声で呟いた。怒りがこもっているのが分かる。
 
 「命令? なんのことですか」
 
 対するシンジの声は、感情がこもっていない。冷静な声だ。
 
 「退却しなかったでしょ! どういうつもりなの!?」
 
 「すいません。回線が切れていて、聞いていません」
 
 「ウソおっしゃい! わかっているのよ、あなたが回線を切ったのは、私の命令を聞いた後だわ!」
 
 「……最善の命令とは思えなかったからです」
 
 「何ですって!」
 
 睨みあう二人。
 
 ……正確には、睨むミサトと、ただミサトを見つめるシンジだ。
 
 「じゃぁ、順番に話を聞かせてもらおうじゃないの。……まず、あの二人をプラグに入れたのは何故!?」
 
 「そこが、一番安全だからです」
 
 「あの瞬間を狙われたらどうするつもりだったの。あの場を離れたほうが安全だったんじゃないの」
 
 「あの二人の安全を保証できません。それは困ります」
 
 「あの場では、二人の安全は最優先事項ではないのよ……。使徒を殲滅できなければ、どっちにしろ終わりなの」
 
 先ほど、リツコに言われた言葉だ。
 
 「あの二人を見殺しにしろと?」
 
 「そこまでは言ってないわ。ただ、選択肢のウェイトの問題よ」
 
 「……あの二人を守れなければ、使徒を倒したとしても、僕には同じことです」
 
 「どういうこと?」
 
 「僕の大事な友達です……彼らを守れなくて、人類を守ることなんて、出来ません。そうでしょう? ……これは、踏み違えてはいけない問題なんです」
 
 ミサトは、険しい顔で、シンジをじっと見つめた。シンジも、ミサトの顔を見つめる。
 
 数秒の沈黙。
 
 そのあと、ミサトは目を瞑ると、ゆっくりと、大きく息を吐きだした。
 
 「まぁ、いいわ……その点に関しては。実際に戦っているのは、あなたなんだから……」
 
 「ありがとうございます」
 
 「でも、まだ終わりじゃないわよ」
 
 ミサトは再び、キッ、とシンジを睨みつけた。
 
 「退却命令を無視したのは何故!? 活動限界まで間もなかったし、戦い続けるのは得策じゃないでしょ」
 
 「あの状態で逃げて、どうするって言うんです。退路を発見されれば、おそらく使徒は、そこから攻撃を仕掛けてくるでしょう。零号機は戦闘に参加できないし、一度ひっこめた初号機もすぐには復帰できない。……ジオフロントは壊滅、人類は滅亡」
 
 「退路を攻撃されるとは限らないわ」
 
 「作戦と理想論を履き違えていますよ。攻撃されないとも限らない。そんなあいまいな条件で、人類の滅亡と天秤には掛けられないでしょう」
 
 「詭弁だわ! それを言うなら、あなたが使徒を倒せる保証もない。事実、時間的にはどっちが先に停止するのか、どう転んでもおかしくなかった。……あの時点で、あなたの内部電源が先に切れたら、やっぱり世界は終わっていたのよ」
 
 「その心配は……」
 
 「何!?」
 
 「……いえ」
 
 シンジは、言葉を切った。
 
 実際には、シンジには、絶対の自信があった。前回よりも、15秒近く前にコアにナイフを突き立てたことは、自分で認識していた。
 
 前回、使徒の沈黙と、内部電源の切れるタイミングは、ほぼ一緒だった。
 
 つまり、15秒早く攻撃を仕掛けた今回は、誤差があったとしても、余裕で先に殲滅することが出来る、と踏んだのだ。
 
 ……だが、それを説明するわけには行かない。
 
 「とにかく、いずれにせよ、命令違反には違わないわ」
 
 シンジが黙ったので、議論は終結したと見たのだろう。ミサトは、まとめにかかった。
 
 「罰則には、従ってもらうわよ。悪いけど」
 
 「……禁固ですね」
 
 「そ。2日間、ね。NERVに着いたら、さっそく独房に入ってもらうわ。……そこで、少し反省しなさい」
 
 「………」
 
 「……それじゃ」
 
 ミサトは、きびすを返して、作戦室から出ていこうとした。自動ドアが、バシュッ、と開く。
 
 「ミサトさん」
 
 シンジが声をかけた。
 
 「……何?」
 
 ミサトが振り返る。
 
 開いたドアの前に立つミサトは、背後からの光を背負う形になる。
 
 シンジから、ミサトの表情は見えない。
 
 「ミサトさん……神経接続、切って下さって、ありがとうございました」
 
 シンジは、軽く頭を下げた。
 
 ミサトは、じっと動かなかった。
 
 そして、軽く息をつく。
 
 「……私じゃないわ」
 
 「え? ……でも」
 
 「レイよ」
 
 「……綾波? ……は?」
 
 「………」
 
 「………」
 
 「……あのコが、あんなに感情を剥き出しにするの、初めて見た」
 
 「……綾波が……」
 
 「シンジくん……」
 
 「はい」
 
 「……レイを、大事にしてやってね」
 
 「ミサトさん……」
 
 「……あのコがシンジくんを見る目は、他とは違う。あのコにとって、あなたは特別なのよ」
 
 「………」
 
 「……レイを、守って……」
 
 「……ハイ」
 
 バシュン、と音を立てて、自動ドアが閉じた。
 
 作戦室は暗闇に包まれた。
 
 
 
 NERVに戻ると、シンジは、即、独房に入れられた。
 
 食事の差し入れ以外で、他人との接触はない。
 
 シンジは、考える時間を手に入れた。
 
 
 
 ケンスケ……それと、トウジ。
 
 彼らが、物見遊山で避難所から出てくるのは、分かっていた。
 
 前回は助けられたけど、また同じように助けられるとは限らない。
 
 だから、避難所から出てくるなって、あれほど言っておいたのに……。
 
 ……ふたりは、出てきた。
 
 戦いの流れは違ったけれど、二人を見つけてから後は、殆ど変わらない。
 
 未来を知っているうえで、それに対する予備策も張っていたのに、状況が変化するには至らなかった。
 
 
 
 ……未来は、変えられないのか?
 
 
 
 いや、違う。
 
 トウジの妹を、助けることが出来た。
 
 綾波も、前回とは比べ物にならないほど、成長している。
 
 歴史は変わっているはずだ。
 
 でも……。
 
 ……本当に、そうなのか?
 
 細かいところは、常に変化している。分かれ道を右に行くか左に行くかで、後の事態は大きく変わる。
 
 だが、大きな流れには、影響を及ぼすことが出来ていないのではないか?
 
 ……結局、終焉に向かっている時代の流れには、逆らうことが出来ないのか……?
 
 
 
 シンジは、もう一つの懸念についても、考えていた。
 
 今回の戦いは、前回と違う。使徒は予想以上に俊敏だったし、動きも滑らか。こちらの動きを予測もしていた。
 
 使徒が、前回に比べて強かったわけではないだろう。慌てていた前回の戦いでは、それに気付かなかったのだ。それゆえ、知っていると思っていた使徒に、知られざる新たな一面を見せ付けられる形になった。
 
 
 
 ……だが、自分は冷静だった。
 
 
 
 もちろん、戦いのさなかには焦りや怒りの衝動があった。
 
 だが、それも、冷静な分析を妨げるほどではなかった。
 
 ミサトとの口論にしてもそうだ。
 
 十分に説明することが出来ず、納得してもらうことが出来なかったが、自分は冷静だった。
 
 言いくるめることが出来ないと分かったとき、下手にあらがわずに罰則を受けた。
 
 現在の禁固刑も、特にショックもダメージも、ない。
 
 
 
 精神が、強い。
 
 前から薄々と感じてはいたが、以前の自分とは、明らかに違う。
 
 先日の訓練の時、身体的な能力の変異に戸惑った。だが、実際に自分に与えた意味の大きさは、今回の方が遥かに大きい。
 
 
 
 自分は、どうしてしまったのか。
 
 何が起こっているのか?
 
 自分の認識しない範囲で、確かに「心」が大きく変化している。
 
 
 
 自分は、本当に「碇シンジ」なのか?
 
 気付いていないのは、自分だけなんじゃないのか?
 
 ……僕は一体、誰なんだ……?
 
 
 
 レイは、考える。
 
 初号機の機体に使徒の触手が刺さったとき、思わず碇君の名前を叫んでいた。
 
 なぜ……?
 
 私の体が傷ついたわけじゃない。私にとって、何の不利益にもならない。
 
 なのに……。
 
 初号機が負ければ、世界は終わる。それを心配して?
 
 いえ、世界が終わるのは、私にとって何でもないこと。
 
 死ぬのは怖くない。
 
 世界が終わることも。
 
 それに、あの時点では、負けが確定していたわけじゃない。
 
 事実、碇君は勝った。それは、私にも分かっていた。
 
 なのに……。
 
 何故、碇君の名前を叫んでいたんだろう?
 
 あのときの、胸が締めつけられるような痛みは、何だったんだろう?
 
 心が、バラバラに引き裂かれるような痛みは、一体……。
 
 
 
 それに、使徒が沈黙したとき、何故、私はあんなことを叫んだのだろう。
 
 命令系統の混乱は、戦闘の現場では、死に直結する。
 
 してはいけないと、言われていること。
 
 それなのに……。
 
 他のことは考えられなかった。
 
 碇君のことだけが、頭に浮かんでいた。
 
 碇君の苦痛の表情をみていると、いても立ってもいられなかった。
 
 
 
 この気持ちは、何だろう?
 
 私の中にある、この気持ち……。
 
 碇君、この名前にだけ反応する、この気持ち。
 
 
 
 あなたのことを考えると、頬が熱くなる。
 
 顔が紅潮するのが、分かる。
 
 
 
 私は、病気なのだろうか?