第十三話 「訓練」
二十二



 ここはNERVの巨大実験ホールの制御室。
 
 NERVの所員達が、自分たちの作業スケジュールにしたがって慌ただしく動き回っている。
 
 その横で、所員に任せて特にすることがないミサトと、自分の準備はすっかり終わらせたリツコとが、椅子に座ってコーヒーを飲んでいた。
 
 「……でもシンジくん、よく乗る気になったわね」
 
 呟くように、リツコが口にした。
 
 
 
 今日のおもなスケジュールは、シンジの実戦訓練である。
 
 エヴァンゲリオンの装備には、パレットガンなどの、いわば生身の人間の使う銃に模して、そのままサイズだけを引き上げたような武器が存在する。それを実戦で扱えるようにするためには、普段の脳波のシンクロによる身体動作ではなく、銃の操作……銃身の構えからトリガー操作といった動きを優先的に行う必要がある。
 
 そういったトリガー優先の状態を「インダクション・モード」と呼ぶ。
 
 今日は、その状態でのシミュレーションによる疑似実戦訓練である。
 
 
 
 「そう? シンちゃん、乗るの嫌がってないじゃない。訓練や実験にもそれなりに積極的だし……。不思議じゃないでしょ」
 
 ボ〜ッとした顔で所員達が走り回る様子を眺めながら、これまたボ〜ッとした声でミサトが答える。
 
 リツコは、同じように前を見ている。だが、その視線は所員達に焦点があっているわけではない。
 
 「……確かにそうかも知れない。でも……普通じゃないわ」
 
 「ど〜ゆ〜イミ? 確かにちょっち普通じゃないけどさ……」
 
 ボ〜ッとしたままのミサト。
 
 「考えてもみて」
 
 リツコの、低い声。
 
 「こんな巨大兵器……およそ、マンガやテレビの中にしか存在しなかったようなモノに有無を言わさず乗せられる。戦う相手は、何物なのか……それすらわかっていない、言うなれば得体の知れない化け物。戦いで受けた痛みは直接自分の体に跳ね返ってくるし、シンクロを保つことも精神に負担をかける。なにより、そうでなくても戦っているのは自分なのだから、ひとつのミスがそのまま自分の死につながる」
 
 「………」
 
 ミサトは答えない。リツコの言うことは、勿論ミサトも了解している。
 
 それこそ、何度も自問自答したことだ。
 
 いつの間にか、ミサトは手許の紙コップを眺めていた。先ほどまでのたるんだ視線は消えうせている。
 
 リツコは続ける。
 
 「そして、自分がミスをすることが、そのまま人類の滅亡に直結している。……自分ひとりの肩に、全人類の未来がかかっているのよ」
 
 一度言葉を切る。そして数秒。
 
 「……普通なら嫌がる。絶対に……それこそ、全身全霊をかけて」
 
 「シンちゃんがそれだけ強いってことなんじゃないの」
 
 ミサトが言う。
 
 そう、シンジは強い。およそ、中学生とは思えないほどに。
 
 
 
 それが、子供の強がり、精いっぱいの背伸びであれば、まだ単なる「ほほ笑ましい情景」で片付けられる。
 
 だが、シンジのそれは違う。
 
 いつも接していれば、おのずと分かる。
 
 シンジは、それが普通だ。それが、自然なのだ。
 
 およそ、年端も行かない中学生の姿には似付かわしくなかった。
 
 
 
 「間違えないで」
 
 リツコが、少しだけ強い口調で答えた。
 
 ミサトが、リツコの顔を見る。
 
 「……私は、普通じゃない、と言った。それは、彼が他人に比べて強い、という意味もある。でも、それだけじゃないの」
 
 「どういう意味?」
 
 「彼が、彼自身に対しても普通じゃない、ということよ」
 
 「??」
 
 ミサトが怪訝な顔をする。意味がわからない。
 
 「いい、ミサト。シンジくんがサード・チルドレンとして選出されたとき、シンジくんについて、かなり詳しい調査を行ったわ。あなたも見たでしょう?」
 
 「ああ……アレね。まぁ……見た……ケド」
 
 「調査の上では、彼は平凡な中学生に過ぎなかった。……いえ、シンジくんには悪いけど、むしろ平凡以下ね」
 
 「ま……あ……ね〜」
 
 「それを踏まえて、昨日、MAGIにシミュレートさせたわ。それは、この調査の人物がサード・チルドレンとしてNERVに来て、エヴァに乗ることを強制されたら……どうなるか」
 
 ミサトは、再びリツコの方を見た。リツコも、ミサトの方を向いている。
 
 一瞬の間の後、ミサトが少し声のトーンを落として口を開いた。
 
 「……どうだったのよ」
 
 「……まあ、想像どおりよ。結果は、乗るのを嫌がり、抵抗し……もしなんらかの要因が作用してエヴァに搭乗しても、使徒と対峙すればパニック。それで死亡。……生き残っても、必死の抵抗か、あるいは完全な無気力状態か……。逃走する可能性も示唆されたわ」
 
 「………」
 
 「……それは、およそ今のシンジくんとは結びつかない」
 
 探るような目付きのミサト。ますます声を潜め、明らかに秘密の話をしています、という姿になる。それは、はたから見るとかなり異様だ。だが、そんなことは二人とも気にしない。
 
 勿論、それに突っ込むような人間もここには存在しない。所員達も、見てみぬふりをしている。
 
 「……まさか」
 
 ミサトが、ゆっくりと口を開いた。
 
 「……別人……だって言うの……?」
 
 そうであってほしくない、という気持ちがまともに現れている。
 
 「それは違う」
 
 リツコがすぐさま否定する。ミサトは、ホッと安堵した。
 
 「実は、私もこの結果を見て、別人ではないかと疑ったの。それで……初号機のエントリープラグから、彼の髪の毛を拝借して、DNA鑑定を施してみたのよ」
 
 「結果は?」
 
 「シロ。マッシロね。彼は、100%、碇シンジでしかありえない」
 
 「なら、別にいいじゃない」
 
 ミサトは、かがみこんでいた姿勢から、一気に背もたれにもたれかかった。大げさな溜め息をつく。
 
 今までの思わせぶりな議論はなんだったのか、と言いたげだ。
 
 だが、リツコは厳しい表情を崩さない。
 
 「……だから「普通じゃない」のよ」
 
 ゆっくりと、噛みしめるように呟く。
 
 「………」
 
 「……とにかく、気を許さないほうがいいわ。何かある……それだけは、間違いがない。せめて、真相が明らかになるまでは……」
 
 「……そうね。でも、別に悪いコじゃないんじゃないの。気にするなっても無理だけど、警戒することはないんじゃないのォ〜」
 
 リツコは、眉間に指をやると、首を軽く振りながら溜め息をついた。
 
 「あなたを一緒に住まわせたのは、間違いだったかしらね」
 
 「あによォ〜、それ……」
 
 リツコの皮肉に、ミサトが食ってかかろうとしたとき、コンソールのほうから、おずおずと声がかかった。
 
 「あのぉ〜、先輩、葛城一尉……。準備、できましたけど……」
 
 
 
二十三



 シンジはエントリープラグに入り、肺の中の空気を押しだしている。LCLの中に、細かい気泡が浮かび、消えていく。
 
 シンジは、ゆっくりと目を開いた。
 
 「おはよう、シンジくん。調子はどう」
 
 リツコの声がスピーカーを通じて聞こえてくる。
 
 「問題ありません」
 
 シンジが答える。
 
 「エヴァの出現位置、非常用電源、兵装ビルの配置、頭に入ってるわね」
 
 「はい」
 
 「ではもう一度おさらいするわね。通常、エヴァは有線からの電力供給で稼働しています。でも非常時において……」
 
 リツコの説明は続く。モニタのむこうで、シンジはそれに耳を傾けている。
 
 
 
 ミサトは、そのようすを後方に立ってボーッと見つめていた。実戦ではないし、この段階では作戦部長のすることはない。
 
 そのとき、制御室の非常扉がゆっくりと開いた。
 
 
 
 何気無く振り向いたミサトは、そこにいる人物の姿を見て戸惑った。
 
 蒼い髪に赤い瞳……。
 
 
 
 レイは、そのままガラスのそばまで歩いてくる。そして、強化ガラスのすぐ手前まで来てから、立ち止まった。
 
 その視線の先には、初号機がたたずんでいた。
 
 
 
 ミサトが近寄って声をかけた。その様子は、初号機のモニタには死角となっている。
 
 おそらく、シンジはレイが来たことにすら気が付いていない。
 
 「レイ?」
 
 レイは、じっと初号機を見つめたまま、ミサトの問い掛けには答えない。
 
 「レイ。どうしたの?」
 
 再びミサトが問う。
 
 「……なんでもありません」
 
 「なんでもないって、あんた……今日はレイの訓練、ないでしょ」
 
 「はい」
 
 「NERVに用事でもあったの?」
 
 「……いいえ」
 
 「じゃ、何しに来たのよ」
 
 「………」
 
 レイは答えない。
 
 「……ま、いいけどね」
 
 ミサトは、それ以上レイを追及するのを諦めた。軽く溜め息をついて、元の場所に戻る。
 
 (レイ……あなた、そうやって誰にも心をみせないつもりなの……)
 
 シンジについて良心を痛めるのと同じように、ミサトはレイのことも憂いていた。レイの、他人と接触しようとしない姿は、エヴァに乗っていることが原因の一端ではないか、と思っていた。
 
 直接どう結びつくのか、と言われると、答えに窮するのだが……。
 
 レイは、ただじっと初号機を見つめ続けていた。
 
 
 
 「では昨日の続き、インダクションモードの練習、始めるわよ」
 
 「はい」
 
 カシャン。
 
 起動音と共に、内部電源のカウントダウンが開始される。
 
 シンジは、睨むように前方を見据え、銃を構えた。
 
 
 
 シミュレーション映像の向こう側に、ポリゴンで作られた第三使徒の姿が浮かび上がる。同時に、同じくポリゴンで出来たビルの間を、サッと俊敏に移動する。
 
 すかさずシンジは、エヴァの体を横倒しにして、想定される敵の視界から消えうせる。同時に、すき間から確認された使徒の体にむかって照準を合わせ、素早くトリガーを引いた。
 
 ビルとビルの間をかすめ、弾丸は正確に使徒の中央に命中する。
 
 使徒の体が、火を吹いてゆっくりと倒れていく。しかし、既にシンジはそこから目を離し、命中と同時に出現していたもう一体の第三使徒にむかって引き金を引き絞っていた。
 
 
 
 「すごいわね……」
 
 ミサトが、あきれたように呟いた。
 
 ガラスのむこうでは、エヴァが銃を構えて激しく引き金を引いている。だが、それ以外には何もない。
 
 シンジが見ている映像は、MAGIの作り出した疑似空間なのだ。
 
 ちなみに、シンジが初号機の体を動かすことが出来るのは、両腕の部分に限られている。
 
 それ以外の部分への神経伝達は分断され、かわりにMAGIのプログラム内のバーチャルボディに送られていた。
 
 シンジにとっては、実際に動かしているのと同じように感じられる。そして、本物の初号機は、銃を構えたり引き金を引いたりする動きだけを行っていた。
 
 
 
 ミサトが感嘆したのは、疑似空間でのシンジの動きだった。
 
 無駄弾がほとんどない。正確に、しかも狭いすき間からでも周りのビルを傷つけずに、パレットガンの弾は使徒の体に吸い込まれていく。
 
 動きにも殆ど無駄が無く、今回のシミュレーションでは想定されていない使徒からの攻撃にも、正確な回避行動をとっていた。
 
 成績は、平均のおよそ30%増しの得点をあげていた。
 
 「マヤ、使徒の反応速度を20%上げてみて。それから、出現間隔を355から288まで短縮……」
 
 リツコが、矢継ぎ早に指示を出していく。
 
 リツコにも、シンジの成績の良さが目を引いたのだろう。難易度を上げて、様子を見ようというのだ。
 
 だが、シンジはそれをも、危なげなくこなしていく。
 
 
 
 「いい成績ね」
 
 ミサトのそばまで戻ってきたリツコが、誰に言うともなく呟いた。
 
 この成績は、特に訓練を積んだものなら叩きだせる数値だ。だが、それも「プロとしての訓練を」という枕詞がつく。普通の中学生の反射神経としては、抜群の成績と言えた。
 
 
 
 エントリープラグの中で、シンジは的確に目標を捉え、撃破していった。
 
 だが、頭の中では別のことを考えていた。実は、その程度の余裕が、彼にはまだあるのだ。
 
 
 
 (……これは、一体なんだろう?)
 
 
 
 シンジは、頭の中で呟く。
 
 なかば、茫然と。
 
 
 
 シンジの類い稀な身体能力・反射神経に、一番驚いているのは、ほかならぬシンジ自身だった。
 
 いつになく体が動く。
 
 この世界へ来る前、あの「終焉を迎えた世界」の頃も、訓練でこのような動きを見せることはなかった。
 
 そう……まるで、戦闘中に、シンクロ率が物凄く上がったとき、あのときの感覚に似ている。
 
 
 
 エヴァンゲリオンの体を操り、自分の体で戦っているわけではない以上、コンマ何秒とは言え、思考と動作の間には確かなタイムラグが存在する。それは、機構上、仕方のないことだ。
 
 そのタイムラグを、今はまったく感じない。
 
 
 
 2体の使徒が、同時に初号機の前と後に出現する。初号機の体は、それを視界に認めてからコンマ5秒後、真横にジャンプして2体を丁度90度に結ぶ位置まで移動する。これで、2体を同時に視界に捉えることが出来る。
 
 
 
 シンクロ率が今日に限り、いつもに比べて格段にあがっているわけではない。それは、自分で分かる。
 
 おそらく、90%前後と言ったところだろう。
 
 100%を超えない以上、タイムラグは必ず存在する。それを感じない。
 
 
 
 シンジは気が付いていなかったが、実際にはタイムラグは存在した。機構的に払拭できない欠陥を、理由なく取り去ることは出来ない。
 
 では、なぜシンジにとってタイムラグを感じないのか?
 
 それは、シンジ自身の中で、タイムラグによるフィードバックを補正しているからである。
 
 本来の生身の体では起こらないタイムラグが生じることで、脳はわずかに混乱する。それが、違和感を感じさせ、本人にタイムラグを認識させる。だが、シンジの脳は、「計算上起こりうるタイムラグ」を想定したうえでA10神経に感情を走らせ、初号機の機体に命令を下す。結果、想定したとおりのタイムラグのみが発生し、脳は混乱しない。本人は違和感を感じない。……タイムラグを感じない。
 
 
 
 人間的な脳の処理能力を、若干ながら超えている。
 
 
 
 シンジ自身、専門的なことは知らずとも、自分に何かおかしなことが起こっていることを認識していた。
 
 (今日は、なんだって言うんだろう……。
 
 まるで、風だ。
 
 自分の手足じゃないみたいだ。
 
 体中が……目になり、耳になったような……
 
 空気の粒子そのものを感じるみたいな感覚だ。
 
 ……まぁ、バーチャルだから空気の粒子なんかないんだけど。
 
 でも……
 
 
 
 なんだか……異常だ。
 
 
 
 おかしいな……大体、僕はこういう訓練は苦手なほうじゃなかった?
 
 特にアスカなんかには、いっつも馬鹿にされてたもんな……。
 
 それが……
 
 
 
 どうして?)
 
 
 
 訓練を積んだものならば、この動きを行うのは可能かもしれない。そう、例えば、惣流・アスカ・ラングレーのように。
 
 だから、異常とは言え、人間の動きを超えた動きをしているわけではなかった。
 
 
 
 ……だが、「碇シンジ」の動きとしては、あきらかに異常だ。
 
 
 
 確かに、シンジは全てを経験し、幾度もの戦いをくぐり抜け、そのうえ大いなる使命に燃えてこの世界に戻ってきた。
 
 だが、「使命感」が身体能力を引き伸ばすわけではない。
 
 ヤル気だけで、人間は強くなることは出来ない……。
 
 
 
 シンジにとって、もうひとつ……掴み所のない不可解な要因。
 
 シンジの感覚は、波のように研ぎ澄まされる……その、波の頂点。
 
 彼の細胞がすべてをとらえるその瞬間、彼の脳裏に、誰かの姿が浮かぶ。
 
 
 
 ……いや、それが「誰か」なのかすら、シンジにはわからない。
 
 とにかく、何かが、いる……。
 
 幾重にも霞のかかったその向こうに、シンジの感覚が研ぎ澄まされた瞬間だけ、何かが見える。
 
 
 
 何かが自分の体に起こっていることを、シンジは確かに感じていた。
 
 理解の範疇を超えた何かが……。
 
 
 
二十四



 シンジはシャワーで体についたLCLを洗い流すと、体を拭いて、学生服の袖に腕を通した。
 
 シンジは、先ほど頭をかすめた問題に、まださほど重要性を見いだしてはいなかった。確かに懸念すべき、納得のいく説明の見つからない難問ではあったが、当面考えなければいけない問題は他にあった。
 
 今日の夕食、何にしよう……?
 
 献立を幾つか頭に思い浮かべながら、シンジは廊下に出た。そのままエレベーターに乗り込み、「閉」のボタンを押す。
 
 エレベーターは、低い唸りを上げて動きだした。
 
 
 
 エレベーターが到着したことを知らせるベルの音が、短く廊下にこだました。
 
 彼女は、手に持った本から視線を外すと、エレベーターの扉の方を見つめる。
 
 数秒と置かず、その扉は、「シュッ」と空気を排出する音をさせながら、左右に開かれた。
 
 その向こうには、驚きの表情で自分を見つめる少年……。
 
 少女は立ち上がる。
 
 少年は、表情を変えずに、呟くように呼びかけた。
 
 「……あ……綾波?」
 
 
 
 廊下に立ったシンジの背後で、エレベーターの扉は音もなく閉じられた。
 
 レイは、立ち上がったそのままの姿勢で、ただシンジを見つめている。
 
 「……あの……綾波?」
 
 シンジが、おずおずと声をかけた。
 
 「なに?」
 
 「綾波……どうしたの?」
 
 「なにが?」
 
 「今日……綾波、訓練無かったじゃない」
 
 「………」
 
 「なんで、ここにいるの?」
 
 「………」
 
 「あ、ああ、NERVに何か用事があったんだね?」
 
 「………」
 
 「……え〜と……」
 
 「………」
 
 レイは、黙ったままだ。最近、言葉すくなながら、シンジとは会話が成り立ちつつあったレイにしては、少々様子がおかしい。
 
 シンジは、追及するのを諦めた。
 
 それに、言いたくないことなのかも知れない。それを無理に聞きだすようなまねは、したくない。
 
 「……よくわかんないけど……用がすんだんなら、一緒に帰らない?」
 
 「……うん」
 
 シンジの問い掛けにレイが反応したことで、シンジはホッと胸をなで下ろした。今の問い掛けにも無言で返されたら、もう何をしていいのか分からないところだ。
 
 「じゃ、行こうか。遅くなるといけないし」
 
 「ええ」
 
 そして、シンジとレイは、肩を並べて歩きだした。
 
 
 
 街並みは、夕焼けの赤に染まっていた。
 
 電車の駅を出た二人は、家の方角に向かって、ただ並んで歩いている。
 
 会話はない。
 
 だが、シンジには、それが重苦しいものには感じられなかった。
 
 
 
 横目で、レイを見る。
 
 正面を向いて歩くレイの横顔は、風景と同じように夕焼けの色に染まっていた。
 
 いつもは蒼い髪も、白い肌も、今日はただ赤い。
 
 それは、レイの瞳の赤と同じ色に見えて、柔らかな光をたたえているかのようであった。
 
 (キレイだな……)
 
 レイと出会ってから、すでに何度目になるか分からない思いを、シンジは胸の中でそっと呟いた。
 
 
 
 レイは、自問していた。
 
 今日、自分はなぜNERVに行ったのだろう?
 
 特に何の用もなかった。
 
 「じゃ、何しに来たのよ」
 
 ミサトの言葉が、頭の中でこだまする。
 
 
 
 ……あのとき答えられなかったのは、言うべき言葉が見つからなかったから。
 
 何しに来たのか、なぜあそこに行ったのか……
 
 ……自分でもわからない。
 
 ……訓練が、今後の参考になると思ったから?
 
 確かに、まだ起動におぼつかない私は、エヴァの操縦に関して、見て学習することは多い。
 
 でも……
 
 ……それなら、碇君を待っていたのは、なぜ?
 
 わからない。
 
 訓練が終わった時点で、もう用事はなくなった。いつ帰ってもよかった。
 
 碇君は、訓練の後、講評会にでなくてはならない。それから着替えをして……
 
 あそこまで出てくるのに、しばらくの時間があった。
 
 そのあいだ……
 
 
 
 なぜ、わたしは帰らなかったのだろう?
 
 
 
 なぜ、碇君を待っていたのだろう?
 
 
 
 レイは、自分の行動に、具体的な原因を提示しようと努力していた。
 
 だが、根本的なところが霞の向こうにあるように捕らえ所が無く、それを測りかねていた。
 
 
 
 だが、今こうして、シンジと並んで歩いている気持ちは、はっきりと見える。
 
 ……心地いい。
 
 夕焼けの暖かさだけじゃ、ない。
 
 これは……すべての悩みをぬぐい去ってくれるような……不思議な、暖かさ。
 
 
 
 レイの口許には、自然と微笑みが浮かんでいた。