第九話 「未来」
十五



 授業間休みのたびに、シンジのまわりには人だかりができた。
 
 途中で、ずっと気にしていた質問が飛び出す。
 
 「碇君って……あのロボットのパイロットだってウワサがあるんだけど」
 
 いつかは聞かれるだろうと思っていた。だが、それにどう返答するかは、まだ決めかねていた。
 
 あまり嘘をつくような真似はしたくない。だが、あまり知れ渡ると身動きがとりづらくなるのでは?
 
 
 
 ……などと逡巡しているあいだに、「No」と答える選択肢がなくなっていることに気付く。
 
 
 
 もしもパイロットでないのなら、即座に「違う」と答えなければおかしい。
 
 答えあぐねていることが、イコール「Yes」になってしまっていることに、遅ればせながら気付いた。
 
 そして、その答えを理解してしまっている級友達の顔……。
 
 シンジは、はぁ、と溜め息をついた。
 
 「……そうだよ」
 
 
 
 とたんに、教室が騒がしくなった。
 
 「ええ! 本当!?」
 
 「どうやって動かすの!?」
 
 「なんで選ばれたの!?」
 
 「あの敵はなんなの!?」
 
 
 
 矢継ぎ早に出される質問。
 
 その間、シンジはずっと黙っていた。
 
 そして、やがて興奮の波が小康状態になると、シンジはゆっくりと周りを見回して、微笑んだ。
 
 「ノー・コメント」
 
 えええぇ〜……というブーイング。だが、シンジはそれ以上は答えなかった。
 
 
 
 教室の扉が開く音に、シンジは気が付いた。
 
 見ると、そこには自分の見知った顔がひとつ。
 
 その眼は、自分を睨み付けている。
 
 
 
 ああ……やっぱり。
 
 
 
 シンジは、突然立ち上がった。周りの皆は、驚いてシンジを見つめる。
 
 「みんな、ちょっとゴメン」
 
 言うと、シンジはその場を離れ、トウジの方へ向かって歩いた。
 
 トウジは、苦虫を噛み潰したような表情で、自分の方に向かってくる少年を、真っ向から睨み付けていた。
 
 やがて、シンジはトウジの正面まで来た。
 
 「トウジ……」
 
 「いい身分やな、ん? チヤホヤされてのぉ。自分が何したかもわかっとらんクセに」
 
 シンジは、眼を逸らさなかった。それは、シンジにとって、逸らすことの許されない事実だった。
 
 「トウジ……屋上へ行かないか? そこで、話を聞くよ」
 
 「屋上? ……ああ、まぁええやろ。つきあってもらうで」
 
 二人は、屋上へ向かって歩いていく。
 
 ケンスケは、そのただならぬ様子に、身を潜めながらついていった。親友の少年と、たったいま親友になった少年……無視する訳には行かなかった。
 
 
 
 屋上は、少しだけ蒸し暑かった。
 
 授業間休みは、もう終わっている。屋上に、二人の他に人陰はなかった。
 
 屋上の中央まで、二人は歩いて行く。
 
 やがて立ち止まり、シンジは振り返った。トウジと対峙する。
 
 しばらく、二人は黙っていた。
 
 ケンスケが到着した頃、トウジがゆっくりと口を開く。
 
 
 
 「……ワイの妹な、いま入院しとんのじゃ」
 
 「……」
 
 「……なんでかわかるか? お前があのバケモンと闘ったときに、瓦礫の下敷きになったんや」
 
 「……」
 
 「妹は、あんなにちっちゃいのに……なんでこんなメにあうんじゃ。お前、わかっとるか? 自分がなにしたか、わかってやっとるんか!?」
 
 トウジの一言一言が、シンジの胸に突き刺さる。シンジは、ゆっくり、絞り出すように、それに答えた。
 
 「……ゴメン。どんなに謝っても……謝りきれないのは分かってる。だけど……ゴメン……」
 
 屋上に、鈍い音が響き渡った。
 
 屋上のコンクリートの上を転がるシンジ。トウジは拳を握り締めたまま、シンジを睨み付けている。
 
 「ゴメンで済めば、警察はいらんのじゃ!」
 
 「………」
 
 「ちょ……ちょっと、トウジ」
 
 物陰で様子を見ていたケンスケが、あわてて二人のもとに走ってくる。
 
 「トウジ、それくらいにしといてやれよ」
 
 トウジは苦虫を噛み潰したような顔でシンジを睨み続ける。その拳は、まだ握り締めたままだ。
 
 シンジは、ゆっくりと上半身を起こした。口元が切れ、血が滲んでいる。だが、その視線は、しっかりとトウジのそれと絡み合っている。
 
 「……ゴメン」
 
 「ハッ」
 
 シンジの視線から先に眼を逸らすと、吐き捨てるように呟いて、トウジは背をむけた。
 
 「今度から、足許よう見て闘うんやな! どっちが味方か、わからへんで!」
 
 そのまま、足早に去ろうとする。ケンスケも、チラとシンジの方を向いてから、トウジの後を追おうとした。
 
 そのとき。
 
 
 
 「……でも」
 
 
 
 シンジの呟きに、トウジの足がとまる。
 
 振り返ると、シンジは立ち上がっていた。再び、はっきりとトウジの視線を捕まえる。
 
 「……でも、僕はきっとまた闘う。そして、誰かを傷つけるかも知れない。それでも……闘うのを止める訳にはいかないんだ。……僕の、大事な人たちを、護るために……」
 
 
 
 トウジは、言葉を失っていた。眼を逸らしたくても、シンジの視線が、ガッチリとトウジの瞳を捕らえて離さない。それほどに……強い力をもって、シンジはトウジを見つめていた。
 
 (な……なんや、コイツ……)
 
 ガンをつけられているわけではない。その瞳は、強い意志と、揺るがぬ決意に彩られているばかりでなく、自責と慈愛、哀惜と謝意とが絡み合い、奥の知れない複雑な深さを見せていた。
 
 トウジも、横で見ていたケンスケも、一言も発することができない。身体も完全に固まっていた。
 
 数瞬の時が流れる。
 
 やがて、シンジが口を開いた。
 
 「……て言っても、今は分かってくれなんて言わない。妹さんを傷つけたのは確かだし、許せないのもよくわかる。ただ……トウジ。ケンスケ。きみたちには、僕のことを分かってほしいんだ……いつか、笑って話せたらいい、と思ってる……」
 
 シンジの言葉が、固定していた時間を動かした。トウジはまだ二の句が告げなかったが、いち早く我に帰ったケンスケが、笑いながら助け舟を出した。
 
 「ま、まぁ、いろいろと事情があるのは仕方ないさ。トウジ、おまえらしくないぜ。許せない気持ちも分かるけど、自分の気持ちを吐き出して、しかも一発殴ったんだ。碇も、ちゃんと謝った上で、本音を言った。ここは、後腐れなく、仲直りするべきじゃないか?」
 
 「お、おお……」
 
 ケンスケの呼び掛けで、ようやくトウジの時間も動きだしたようだ。
 
 一度ケンスケを見る。それから、再びシンジを見る。シンジは、まだトウジを見つめていたが、先程のような強い光はもうたたえていない。
 
 トウジは一度咳払いをして、それからシンジの許に歩み寄った。
 
 しばし、対峙する。
 
 「……そうやな」
 
 トウジが、シンジを見つめたまま呟いた。
 
 「あんまま、バケモンのやるとーりにさせといたら、妹も怪我じゃ済まんかったかもしれん。わしらも、死んでたかもわからんな……。碇、謝る気はないけど、これで許したるわ。おまえの言うことも、全部とは言わんが、分かる気がする。適当なこと言わんと、ホントのとこ言ってくれて、おおきにな……」
 
 トウジが、シンジのほうに、すっと右手を差し出した。
 
 「これでしまいや。お前、気に入ったで。わしは、鈴原トウジ。トウジでええ」
 
 シンジは、トウジの右手を握り返す。
 
 「僕も、シンジでいいよ、トウジ」
 
 そして、ニッコリと笑った。
 
 
 
 ふたたび、さっきとは全然別の意味で硬直するトウジの横で、ケンスケが冷静に分析していた。
 
 (また、あの笑顔だよ……ほんと、この顔こそ、鏡で見せてやりたいよなぁ……。これじゃ、女どころか男でもクラッとくるよ、全く。
 
 トウジって……熱い男の友情が大好きだよな……まさか……いやいやいや。いくらなんでもそれは。
 
 でも……碇のこの笑顔……ああ、トウジのやつ、顔が真っ赤だよ。う〜ん……。
 
 大体、これで碇は全然気が付いてないのかぁ? 天才的に罪作りなやつ……)
 
 それは、シンジが授業開始のチャイムに気付いて慌て、トウジが自分の顔が紅潮している事実に気付いて慌て、ケンスケが今の最高の笑顔をカメラに収めていないことに気付いて慌てるまで続いたのだった。



十六



 ……そういえば。
 
 シンジは、教室に戻りながら気が付いた。
 
 そういえば、前は殴られたところで非常召集があった。第四使徒シャムシェルが来たからだ。
 
 でも、シャムシェルが来るのは、あと1週間以上先だ。
 
 トウジにあの日初めて殴られたのは、トウジがそれまでずっと休んでいたからだ。でも、今回は、もう、登校してきている……。
 
 休んでたのは、妹の看病のため……。
 
 シンジは、そこまで思い当たって、急にある可能性に気が付いた。
 
 二、三歩先を歩くトウジに、あわてて呼び掛ける。
 
 「ト、トウジ!」
 
 「ん? なんや?」
 
 「あ、あのさ……その……妹さんの怪我って、どんな感じなの?」
 
 突然のシンジの質問に、トウジは勘違いしたようだ。
 
 「なんや、その話か。もう終わったんやないか。仕方なかったんやし、シンジが気にする必要ないで」
 
 「い、いや、そりゃそうなんだけど、その……」
 
 尚も食い下がるシンジに、怪訝な顔をしながらトウジが答えた。
 
 「ま、ええけどな。……左足が骨折して、右肩が脱臼ってとこや。今、おまえんとこの病院に入っとるけど、傷も残らんそうやし、再来週には退院できる。一安心てとこやな」
 
 その言葉を、シンジは呆然と聞いていた。
 
 シンジは、知っていた。
 
 前回、結局、トウジの妹は助からなかった。
 
 直接そう聞いた訳ではない。だが、パイロットの近親者の心がエヴァの起動に絶対に必要だったことを考えれば、フォースチルドレンにトウジが選ばれた以上、参号機のコアにはトウジの近親者……つまり、トウジの妹の心が入っていたはずだ。
 
 それは、つまり……トウジの妹が、あのときを前後して、死んでしまったことを意味していた。
 
 それが、骨折と、脱臼……再来週には退院。およそ、数カ月後に死ぬような状況ではない。
 
 「……どうしたんや、シンジ? どっかわるいんか?」
 
 怪訝な顔で覗き込むトウジ。シンジはハッと我に帰った。
 
 「……なんでもないよ。トウジ、ケンスケ、急がないと遅れるよ。さぁ、はやく」
 
 シンジは、満面の笑顔で、トウジとケンスケの背中を叩くと、浮かれたように先に立って歩き出した。
 
 トウジとケンスケは、その百面相のような表情の移り変わりに、なんなんだ、という顔で慌てて付いていく。
 
 
 
 ……怪我はさせてしまったけど、なんとか、トウジの妹は、助けることができた!
 
 教室で授業を受けているあいだ、シンジは浮かれる気持ちを押さえるのに必死だった。
 
 そうだ。未来は、確実に変わっている。綾波の出撃に間に合わなかったし、トウジの妹も助けられなくて、もしかして歴史は変えられないんじゃないかとも思ったけど……そんなことない。
 
 それに……。
 
 もう一つの可能性にも気付いて、またシンジの心が暖かくなった。
 
 それに……トウジの妹が助かったってことは、トウジがフォースチルドレンにならなくて済む、ってことじゃないか!
 
 シンジは、今にも外に飛び出したかった。トウジの入ったエントリープラグを握りつぶした感覚を、今でも思い出すことができる。あのときは、ダミープラグに神経接続が切り替わっていたため、シンジの手のひらが直接その感覚を受けた訳ではない。それでも、シンジは、心で、その感覚を受けたのだ。
 
 トウジを、あんな目にあわせなくてもいいんだ! トウジは、救われたんだ!
 
 ぎゅっ、と自分の両肩を握りしめる。うつむき、そのまま、しばし喜びの余韻に浸っていた。
 
 
 
 そのまま、数分……。
 
 
 
 再び、ゆっくりと顔をあげるシンジ。だが、その瞳には、先程までの喜びには満ちあふれてはいなかった。
 
 シンジは、ひとつの懸念に行き着いていた。
 
 
 
 第十三使徒バルディエル……。
 
 エヴァンゲリオン参号機に宿った使徒。
 
 
 
 フォースチルドレンは、もういない。
 
 
 
 じゃぁ……。
 
 
 
 あの使徒は、いったい、どうなってしまうんだ?