第三話 「決意」




 シンジが振り向くと、リアウィンドウごしに初号機の姿が見えた。

 それは、また激しい衝撃をシンジに与える。

 綾波……二人目の綾波が乗っている……あの人型の巨大兵器の中に……!

 言い様のない感覚……それは、太陽のような暖かさと、氷のような冷たさを併せ持っていた。

 安堵と……恐怖。

 もといた世界では、シンジは綾波を救うことができなかった。

 唇を噛み締めて後方を凝視するシンジを横目でチラ、と見ると、ミサトが口を開いた。

 「心配いらないわよ、後から出てきた方は味方だから」

 「え? ……あ、ああ、そうですか……」

 ミサトの勘違いに気付き、適当にあわせる。

 「あんなのが出てきて驚くのは無理ないけど、なんにも打つ手がないわけじゃないのよん」

 「ええ」

 即答。

 違和感を感じて再び助手席を見ると、少年はいつの間にかきちっと座り直して、前方を見つめていた。



 もっと早く平常心に戻っていれば……。しかし、どちらにしてもあまり差がないことに、シンジは気がついていた。ミサトのルノーに乗らなければ、NERVに辿り着くことなどできない。必死の思いで走ってきたが、猛然と走るルノーに比べてみれば、ほとんど距離を稼いだうちに入らなかった。

 たとえ早く着いていたとしても、初号機の出撃には到底間に合わなかっただろう。と言うか、機体がないので戻ってくるまで何もできない。それどころか、結局惨敗してレイが担架でかつぎこまれる頃に、ようやくケイジに着くのが関の山だ。

 しょっぱなで、いきなりレイの危機を救えなかったことは、シンジの心を重く締め付けた。

 せめて、レイが再び戦場に担ぎだされるのは避けなければならない。重傷を負うのは間違いないのだから、せめて休ませてやりたかった。この頃のレイは、命令されればもう一度出撃しようとする。そのことに、一抹の疑問も抱かないだろう。

 それでは、だめだ。

 自分の知っているレイは、最後にはヒトの心を持ちかけていた気がする。

 それゆえに死を選んでしまったが、レイが人形のままでいることなど耐えられなかった。

 僕が、守らなければいけない。

 綾波を傷つける、その全てから……!

 まるで、そこにレイの敵がいるかのように、シンジは前方の空間をギュッと睨み付けていた。



 ミサトは少し意外だった。

 当然のことだが、今日出会う前に、シンジのことについてはあらかた調べさせていた。

 総司令の息子だからといって、扱いに変わりはない。と言うか、総司令がなんにも教えてくれないのだから、調べるしかなかったのだ。

 そのときに集められた情報から、ミサトはある程度シンジの人物像を把握していた。

 内気で気弱、平凡な今時の少年。得意な物も趣味もない。成績は悪くないが、別に良くもなかった。友達もそれなりにいたが、親友と呼べる程の者もいなかったようだ。

 自分の考えをあまり表にださず……人がよろこぶ、ごく平均的で無難な道を選んで生きている少年……それがミサトの、シンジに対する印象だった。

 別に悪いとは思わない。今時の子供なんて、大概そんな物だ。

 しかも、実の父親にほとんど愛されてこなかったのだから……。



 だが、いま自分の横に座る少年の瞳には、あきらかに強い意志の光が感じられた。

 この異常な状況で、パニックにもならない。わからないことだらけのはずなのに、質問攻めにすることもない。

 いくつかのシミュレーションの中では、確かにそうやって黙る姿も予想された。だが、それはたとえば、「全てに対して興味がなく、やる気と言う物が失せている」状態でなら起こりうる、と考えていたことだ。

 この少年は、ちがう。

 彼は、熱い意志の力をその眼に秘めながらも、同時にひどく冷静だった。

 とても中学生とは思えない、大人の落ち着きを思わせた。



 まるで、全てを知っているかのように……。







 青いルノーは人工灯の明かりを照り返しながら、地下深く、広大な空間の中央を滑走していた。



 正確には、ルノーをのせた台車がレールの上を移動しているのである。信じられないようなだだっぴろい地下空間の中で、遥か下に地表を見ながら一本のレールの上を移動している。

 「ここがジオ・フロントよ」

 ミサトはシンジに語りかける。

 ここに来るまでの間に、ごく簡単な説明をすませていた。

 使徒。それと闘う特務機関NERV。地上再建の要……人類最後の砦。そして、碇ゲンドウが、ここの総司令である事実。

 あまりいろいろ尋ねられても困るし、情報過剰でパニックになられても困る。だから、ミサトは「たいしたことじゃないのよ」とでも言うかのように、さらっと要点だけを話して聞かせた。
 
 もちろん、それでも動揺は隠せまい、と予想していた。



 だが、返ってきた言葉は「そうですか」である。

 もちろん、そんな素っ気無い一言ではなく、シンジからはそれなりに相槌や、先を促すような質問も出るには出た。だが、結局まとめていえば「そうですか」に尽きる。ミサトはそう感じていた。



 シンジの方も、それなりに怪しまれないように返答したつもりだ。先ほどの、ミサトの名を呼んでしまったときの経験から、表面上は普通の少年として振る舞った方が都合がいいことを学んだのだ。

 だが、今はレイのことが気になる余り、どうしても無意識のうちに無愛想な返事になってしまっていた。



 変なコ。



 ミサトはシンジをそう評した。



 ルノーを乗せた台が建物の中に入り、程なく停止した。二人は車を降りる。

 (たしか、このとき……)

 昔のこと過ぎてほとんど覚えていないが、シンジははじめてここに来たときの記憶をたぐり寄せた。



 (たしか……)



 そして、案の定ミサトは道に迷ったのだった。



 「あっれ〜? おっかしいなぁ……」

 手許の地図を睨みながら、ブツブツと呟く。それを見ながら、シンジは溜め息をついた。



 全然変わってない。

 昔なんだから、変わってなくて当たり前だが。



 尚も訳の分からない所へ歩いていこうとするミサトに、慌てて後ろから声をかけた。

 「ミサトさん、こっちですよ」

 「え?」

 ミサトが振り返る。

 「なに言ってんのよ、シンジくん。あなたに道が分かるわけないじゃない。あたしに任せておけばだいじょ〜ぶよぉ」

 「任せておけないから言ってるんじゃないですか……」

 「え? なんか言った?」

 「何でもないです。それより、そっちじゃなくて、こっちですよ」

 「だから、何を根拠に言ってるのよぉ。大体シンジくん、目的地も分からない癖に……」

 「ケイジでしょ」

 ミサトの表情が変わった。眼が大きく見開かれている。

 「なんでそれを……」

 「父の手紙に書いてあったんです。でも、ケイジってなんのことか、全然わかんないですけど」

 あらかじめ用意していた答えだ。リツコ相手にこんな子供騙しはとても効かないが、ミサトならうやむやにできそうな気がする。

 「あ……ああ、そうなの……」

 「でね、ミサトさん。さっき、案内が出てたんですよ。ケイジはこっち、って」

 嘘ではない。

 勝手知ったるNERV本部、そんなものがなくてもケイジならすぐに行けるが、へたに怪しまれないように、実際に案内板がある所を通るのを待っていたのだ。

 「あれ、そう? そんなのあった?」

 「も〜、頼みますよ。さ、早く行きましょう」

 きびすを返し、ずんずんと進んでいくシンジ。ミサトがあわてて追いかける。



 グズグズしている暇はないのだ。

 おそらくレイはもう収容されているだろう。また連れ戻されないように、一刻も早く自分が出撃する必要があった。



 案内板のところを右に曲がり、突き当たりのエレベーターに乗り込む。

 躊躇なく目的の階のボタンを押す。

 心配だったが、今度は自然な動きだったのでミサトもおかしいことに気付かなかったようだ。



 エレベーターが降り切り、扉が開いたところで、ちょうどブロンドの女性とでくわした。

 (リツコさん……)

 「あらっ? あなたにしちゃ早かったわね、ミサト」

 シンジは、ようやく「知り合いとの初対面」に慣れてきた。これから先、ゲンドウ以外はすべて初対面だし、全員が生きているのも当たり前だ。いちいち動揺してては埒があかない。

 「あによぁ〜、リツコ。文句ないでしょ?」

 ミサトは言外に隠れた皮肉に気付いて不満げな声をあげた。

 「何も言ってないじゃない……ま、本当は道にでも迷ってるんじゃないかと思ったけどね」

 「な、なに言ってるのよ。そんなわけないじゃないの、はは、はははは……」

 ミサトのギクシャクした笑いを見て、リツコは、フ、と笑いを漏らす。

 そして、固まっている女性の後ろに立つ少年の方を向いた。

 「碇シンジくん? 私は赤木リツコ。よろしく」

 差し出された手を、シンジは握りかえした。

 「よろしくお願いします。赤木さん」

 「リツコでいいわ。さ、ちょっとついてきて。見せたい物があるの」

 キュッ、と機敏にターンすると、そのまま廊下の奥に向かって歩き出す。カッ、カッ、とヒールの音が響いた。

 シンジとミサトは、あわててその後を追った。