三
それは、間違いなく、第三使徒だった。
国連軍の戦闘機が、急旋回しながら近づいていく。遠目に見ていると、両翼の下からミサイルが発射されるのがわかった。
ミサイルは、まっすぐ使徒に命中した。だがもちろん、傷ひとつだってついた気配はない。
「ATフィールドだ……」
呆然としたまま、シンジは呟いた。
信じられない。
だが、事実はもはや、一つしかない。
また一機、戦闘機が撃墜された。正確には、自分から使徒のATフィールドに突っ込んで、自爆しただけだ。戦闘機などで、あのATフィールドが破られるわけがない。
また、たとえATフィールドがなくても、傷ひとつ付けられないことに変わりはないのだ。
そのことは、シンジの元いた、あの世界なら、知らない者などいない厳然たる事実だった。
シンジは、ギュッと両方の拳を握り締めた。
事実は、一つしかない。
たとえ……それが、どんなに信じられないような事態でも。
事実は……ひとつしかない。
シンジは、くるっと振り返ると、使徒と国連軍との戦闘に背を向け、一気に走り出した。
……NERVの本部に向かって。
事実は、一つしかない。
シンジは、ふたたび、あのときに戻ったのだ。
四
息をきらして、シンジは必死に走る。
もう、逃げたりしない。なぜこの時代に戻ることができたのか……偶然なのか、それとも何か大いなる意志が働いたのか……それは、もう考えても意味のないことだ。
もう逃げない。自分に後悔なんかしたくない。
なにより……みんなをむざむざ死なせるような、誰も幸せになれないような、そんな結末なんて、絶対に認められない。
何かできるはずだ。
使徒をとめることができる唯一の存在……エヴァ。
そのパイロットである自分は、今、間違いなく此の世で唯一人、全てを理解している人間なのだ。
自分がやらなければ、誰にも世界の終わりをとめることなどできない、とシンジは強く感じていた。
全力で走りつづけて、しだいに足がもつれてきた。
NERVでの訓練により、エヴァのパイロットになる前の自分にくらべればずっと体力がついていたはずだが、もとが余り丈夫ではない。
意気込んでも、だんだん速度が落ちてくる。
NERVの本部はまだ遠い……と言うより、ここから徒歩で行くなど無理な距離だ。
シンジはやっとそれに気付いた。
「あ……あれ……?」
荒い息で立ち止まる。
あのとき、僕は、どうやってNERVまで行ったんだっけ?
たしか……
そのとき、前方から一台の乗用車がこちらにむかってくるのに気がついた。
シンジは、その車の方に目をやる。
物凄いスピードでこちらにむかってくる青いルノー。
道路のまん中に立ったまま、シンジは呆然とそれを見つめていた。
忘れるはずがない。見間違えるはずがない、それは……
ルノーは、シンジのわずか2メートル手前で、砂煙りをあげながら右に90度回転し、カウンターをあてて停車した。
ガチャッ、と扉が開く。
「ごみんごみん、ちょ〜っちヤボ用で遅れちゃった!」
黒くて長い髪をかきあげながら、その女性は、本当にすまなさそうに顔の前で手をあわせ、悪戯っぽく笑った。
ミサト……さん……!
シンジは、雷にうたれたように、そこを動くことができなかった。
ミサトが生きている……
自分の命とひきかえに……シンジに最後の力を与えて、シンジの背中を優しく押して、死んでいった女性が……。
「キミ、碇シンジくんでしょ? お父さんから聞いてない? わたし、葛城ミサト……」
いいかけて、ミサトは怪訝な顔をした。
「どしたの?」
言われてはじめて、シンジは、自分の頬を涙が流れていることに気付いた。
二度と会えないと思っていたミサトに出会って、激しい動揺と当惑、そして……喜びと安堵に、全身が包まれていた。
「ま、無理もないかぁ。あんなのが街を破壊してんだもんねぇ。……怖かったんでしょ?」
ミサトは、ニヤっと笑いながら言う。
「え……あ、いや、ちが……」
「さっきなんか、必死の形相で転げるように逃げてたもんねぇ〜」
ニヤニヤしながら、覗き込むようにシンジの顔を見上げるミサト。
シンジの顔がまっかになる。
「も、もう、なに言ってんですかミサトさん!」
シンジの言葉に、ミサトは、おっ、という顔をした。
「あらぁ〜、いきなりファ〜ストネェムゥ〜?」
あっ。
シンジは、一瞬、しまった! と思った。
ここでは、シンジとミサトは、初対面なのだ。
「ふぅ〜ん……結構みかけによらないわねぇ。そうやって、女の子にはみんな名前で呼ぶわけ?」
ミサトは腕組みをすると、さっきとは別のニヤニヤ笑いでシンジを見つめた。
「いや、だからそれは……あの、つい……その……」
あわてふためくシンジを見て、ミサトは胸をなでおろした。
普通の中学生だ。
もちろん、「女の子には誰にでも」というタイプではないことは、一目瞭然だ。
いま本人が言ったように、きっと、つい口から出てしまっただけなのだろう。
真っ赤になってあわてる目の前の少年を見つめながら、ミサトは、少しだけ心が暖かくなるのを感じていた。
そして……同時に、それ以上の痛み。
こんな中学生を……戦地に送りださなければならない。
彼は、きっと驚き、当惑し、傷つき、全てが信じられなくなっていくだろう。
それでも、彼等に全てを託すしかないのだ。
首から下がる銀の十字架のペンダントを、ミサトはギュッと握り締めた。
一瞬だけ見せた悲し気な表情を、シンジは見のがさなかった。
ミサトが何を考えているのか、シンジにははっきりとわかっていた。
いま初めて会ったこの女性とは、もう何ヶ月も一緒に暮らしていたのだから……。
「さぁ、行きましょう」
シンジは明るく声をかけた。その声に驚いて、ミサトは顔をあげる。
シンジは、優しいほほえみを浮かべて、ミサトの瞳を見つめていた。
この子は……
この子は、なんて顔をするんだろう……。
「さぁ」
もう一度促されて、ミサトはハッと我にかえった。
そうだ。
グズグズしているヒマはないのだ。
「よぉし、行くわよ! シートベルトしてね!」
ミサトは運転席に滑り込むと、シンジが助手席に乗り込んでシートベルトをしたのを確かめて、思いきりアクセルを踏み込んだ。