Monologue in Spain 2001


第二部 アンダルシア

パイス・バスコ編


05/25

バスク地方にやって来た。 その中心的な都市といえるビルバオ。 まわりをぐるりと山で囲まれてこじんまりとした落着きのある都市だ。 この街の雰囲気はサンタンデールからのバスの車窓でも、先ず掴めた。 海の近くまで迫った山の、その間に生まれた工業都市。 大きな煙突も見えた。

思っていたよりも人口は多いらしく、街を走る自動車の交通量は多い。 まぁ他の観光都市と同様に少し慌しいかなとは思うけれど、それでも街並は北部の都市らしく落着いていて好感が持てる。 通りの先に常に山並みが見えるのも良い。 イギリスの建築家ノーマン・フォスターによって工業都市らしく金属のモノトーンで統一された地下鉄のデザインも良い。 一皿一皿丁寧に作られたバルのピンチョも良い。 ピンチョの種類に魚介類が豊富なのも良い。 気持ちの良い街にやって来た。

***

街を囲うようにしてビルバオ川の流れがあって、そのほとりに二つの個性的な構築物が認められる。 一つはセビージャでも紹介したスペインを代表する建築家サンチアゴ・カラトラヴァのデザインによるカラトラヴァ橋。 繊細で大胆でシンプルで複雑で。 力学的な特性を最大限に発揮した、彼ならではのデザイン。

もう一つは何と言ってもカナダ出身の建築家フランク・O・ゲーリーによるグッゲンハイム美術館ビルバオ。 写真で分かりますか。 独自の方法論によって導き出す形態に機能を追従させると言う、一般論とはややかけ離れた感のする彼の建築。 今や世界で最もスキャンダラスなこの建築家は、アメリカを中心に活躍してきただけあってハリボテ建築の王道、一つの極みと言える。 チタンの外装による流動的な形態群は写真の印象、ソリッドな形態の集合とは異なり、実際は鉄骨造の表層を覆うだけのものだから空間の密度には欠ける。 その複雑な構成、独特の施工方法からは不思議とクラフツマン・シップのような手の痕跡は感じられない。 もちろん僕個人の印象でしかないけれど。

なんだかネガティブな文体になってしまったけれど、決して非難しているわけではなくてむしろある種の感動を覚えたのは確か。 自分の方法論・形式論を常にここまでプレゼンテーションし続けることができる建築家はやはり稀有だ。 それからこの形態の集合は単純に美しいとも思える。 やはり彼の審美眼に敬意を払うべきだろう。

***

実はこの都市の新しい都市計画のプレゼンテーションを、昨年シカゴの美術館で見ました。 ビルバオと言う、バスク地方の中心都市。 ビスケー湾とピレネー山脈の中にあって、あくまでもスペインと一線を隔そうとする都市の実験。 北部の古い工業都市に重ね合わせた現代の徴はこの後どう展開されるのか。

例えばベルリン、上海、ビルバオ。。。 20世紀の終わりにはじまった21世紀の都市計画が継続しています。 建築はますます面白い。 トーキョーはどうなる??


05/26

ゲルニカの街へ行って来た。

1937年のナチスによるゲルニカ爆撃は、当時内戦中だったスペインのフランコ軍を支援したものだと言う。 その爆撃が決め手ではないにしても最終的にフランコ軍は共和制政府軍に勝利し、その後フランコ自身が死去するまでの約40年間彼の独裁が続いた。

2000人の死者をだしたというその爆撃に触発されてパブロ・ピカソが描いた大作“ゲルニカ”はあまりにも有名だし、僕もマドリーのソフィア芸術センターで鑑賞してきた。 その悲惨な状況をもはや残してはいないとわかりつつも、なんとなくその街を実際に見てみたくてビルバオ旧市街のアチューリ駅から1時間の小旅行を楽しんだ。

ゲルニカまでの車窓はあふれんばかりの爽やかな緑色で、ここがスペインであることを思わず忘れる。 もちろんイベリア半島の北側の海沿いだから南部の例えばアンダルシアと異なる風情は言わずもがなだし、何よりここはスペインである前にパイス・バスコ(バスク自治州)だ。 実際街の看板や標識もスペイン語と共にバスク語で書かれているし、スペイン語を他の外国語と同じように扱っているパンフレットの幾つかも目にした。 街のカフェの幾つかや、今日の電車の中ではバスクの伝統音楽(民謡?)が静かに流れていた。 ただ残念なのは街中でバスク語で会話している光景にはまだ出会っていない。

***

小さな駅を出て正面の通りをまっすぐに歩く。 先ずツーリスト・インフォメーションを訪ねたけれど、今日は土曜日だからもうすでに閉まっていた。 今は2時過ぎ。 1時間遅かったね。 いつもみたいにブラブラと歩く。 やっぱり、思っていた通り、当たり前だけど街は新しく築かれていて戦争の傷痕はもう見えない。 ビルバオをもっともっと小さくしたような山山に囲まれた静かな落着いた街。

 

街の真ん中(だと思う)に美しい公園があって、のんびりとカメラのシャッターを切りながら散歩を楽しんでいたらウェディング・ドレスの美男美女に出会った。 今朝はビルバオの公園でも同様のカップルを幾つか見たけれど、この二人は本当に美男美女で見ていて気持ち良いね。

実は右の写真を撮った後に彼らに呼ばれて、一緒に並んで写真を撮った。 彼女の右に僕が立って、彼の左に僕の妻が立って、僕らもシャンパンをかざして。

公園の中に小さな池があって、アヒルやカモが昼寝する横をカメがよろよろと泳いでいた。 20cm弱くらいの大きさのアカミミガメ。 両目の後ろに赤いしるしがあるからすぐにわかる。 夏祭りなどの露店でよく見る、いわゆるミドリガメで、原産がどこかは忘れたけれど日本でも各地で自然繁殖で増えているから、生態系の観点からも静かに問題になっている。 ペット・ブームの弊害。 

***

帰り際、駅に向かう途中に真っ赤なバスク語の垂れ幕を掲げたカフェの前を通った。 公園の彫刻にも赤いスプレーで“ETA(バスク祖国と解放)”と書かれていた。 豊かな自然に囲まれたバスク地方の、スペインではないと自負する彼らの、もう一つのナショナリズムはテロリズムをともなっている。 日本ではニュースになることすら稀かもしれないけれど、今も彼らの活動は連日のニュースで取り上げられている。 今もバスク独立を建前に、ニュースになる活動を、例えば爆弾テロを続けている。

美しいイベリア半島北部の、豊かな自然と落着いた街並にはまったく似合わない問題。 豊かな自然と落着いた街並を築いた文化の問題。 残念ながら僕にはまだ彼らに対しての材料が足らな過ぎる。


05/27

バスク地方を代表するリゾート地、サン・セバスチャン(バスク語ではドノスティア。ちなみにビルバオはビルボ)。 今日から3日間をこの地でのんびりと過ごし、30日にマドリーを経由して31日のフライトで日本に帰る。 3ヶ月間のスペイン滞在の締めくくりをこのバスクの海に選んだのは大正解だった、と今日早速海岸を歩いて思った。

***

スペイン北部の海岸地域をなめていたと思いましたね、正直なところ。 断言するけれど、このサン・セバスチャンの街は本当にヨーロッパ有数のリゾート地だと思います。 事実、夏になると避暑地(ここも暑いと思うけれど)としてヨーロッパ各地から旅行者を集めると言うし、むかしは夏の間だけスペインの内閣がここへ移ったこともあるとか。。 今はもちろんリゾート・シーズンではないけれど、今日は日曜日と言うこともあって随分とビーチも賑わっていました。 美しいビーチは思い思いのスタイルで一足先の“夏”を楽しむ人でいっぱいで、早くも随分と多くの人が泳いだり(!2週間前のアンダルシアでもほとんどいなかったのに)、子供たちはウェーブスキーを楽しんだりしていました。 もちろんヨーロッパらしくトップレス美女も優雅に寝そべっています。

貝殻海岸と(Playa de concha)いう名前のビーチのすぐ近くに部屋をとることができたので、明日は水着のまま砂浜に出向いて海水浴を楽しみたいと思います! どうだ、ざまみろ!!


05/29

港で、ちょっと小ぶりの“ミヤマクワガタ”を見つけました。 ミヤマクワガタは“深山鍬形”ですから、この辺りが豊かな森に囲まれている証拠と言えるのではないでしょうか。 僕の子供の頃の経験としても、他の例えばノコギリクワガタなどと異なり、このクワガタは平地で見つけることは少なかったように思います。

港の潮風とクワガタとのイメージが、内陸育ちの僕には容易に重ならなくてちょっと不思議な感じ。

***

結局、昨日今日と二日とも日がなビーチで過ごしてしまいました。

8時半に起きてシャワーを浴びてからゆっくりと部屋を出る。 これもホテルから5分ほどのカテドラルへ向かい、まわりのカフェでトスターダ(トースト)とカフェ・コン・レーチェ(ミルク入りコーヒー)を頼む。 メルカード(市場)でフルーツを買って一度ホテルに戻る。 水着に着替えて、一応シャツを一枚かぶって、いそいそと砂浜に向かった。

昼過ぎまでは満ち潮の時間が続いているからまだビーチは狭い。 もうタオルの上に伏せて海と太陽を楽しむ人人がそこにはあふれているから、僕らも隙間を見つけてにバックを下ろし強めの日焼け止めクリームを塗りつけた。

太陽に焦がされて、急かされて、ビスケー湾の冷たい海に足を入れる。 まわりはすでに泳いでいる人がたくさんいるのだからと、意を決して頭まで海の中へもぐり込むと小さな魚の群れがおなかの下をさっと横切るのがわかる。 少し緑がかった透明な水は、バスクの森の緑が流れてきたのかなと少し考える。 それにしても空の青さ!太陽の暑さ!水の冷たさ!

去年は結局、海水浴へは行かなかった。 今年はまだ5月だけどすでに初泳ぎ。 2週間ほど前、アンダルシアの海でもまだ泳ぐ人は少なかったけれど、イベリア半島北岸の小さな美しいリゾート地で筋肉のダルさを味わった。 まったくまったくすみません。

もうここにずっと住みつきたいくらいだけれど、残念ながら明日はマドリーへ向かわなきゃ。 明後日には日本に帰らなきゃ。 ・・・また、そう遠くないうちにここへ戻らなきゃ。 小さな小さな美しいバスクの港町、彼らの言葉では“ドノスティア Donostia”。

***

30日。 マドリーに着くと、ここでも容赦ない陽射しがあふれていた。 街のデジタル温度計は41℃を示している。 北部の街街と異なりここは背高の近代的なビルディングが多いから風もぬけないようだし、なんだか空気が重くて絡みつく感じで、日本みたいな暑さだな。

もうすぐ3ヶ月間のスペイン旅行が終わります。 つたない日記にお付合い頂き、ありがとうございました。 ではまた。

HASTA LUEGO !!


BACK


Have a good activities and peace!