Monologue in Spain 2001


第二部 アンダルシア

マドリー、エル・エスコリアル編


Senyorita peruana, Madrid

05/16

昨夜カディスのバスターミナルでかわいらしい一人の女性と話しが弾んだ。

不意に若いカップルが現れて、“私たちは別々の時間でチケットを買ってしまったの、誰か融通がきく人がいたら交換してくれないかしら?” 女性の係員を交えてああだこうだと押し問答をするようにして彼らの目が、その彼女を向いており、それに対する困惑の表情が滲んでいたから“僕は別に交換しても問題ないけど・・”。

といったわけで予定よりも1本遅いバスに乗ることになった。 そんなことがきっかけで冒頭のかわいらしい女性との会話がはじまったのだけれど、ペルーからマドリーの伯母の家に遊びに来ていて、そこから夜行バスの往復で0泊3日の強行カディスを決行したらしい。 マドリーについたら、その朝の別のバスに乗って今度は日帰りでトレドへ行くとも言っていたから、なんともパワフル。。

彼女は予定通りのバスで(僕の1本前のバスで)マドリーへと発ったのだけれど、なんとマドリーのバスターミナルでばったりと偶然に出会ってしまった。 そこで彼女のトレド行きバスを待つ間、また会話を楽しむ機会を得ることができた。 彼女との会話もユーモアと諧謔の混じった大笑いの連続だった。

“ところでセニョール・フジモリはどこにいるの?”

***

旅で移動が続いているからかな、夜行バスが結構疲れた。 もちろん風邪気味だったせいもある。 アトーチャ駅の近くにホテルを探したから、本格的な街歩きは明日からにして今日は早めに休むとしよう。


Estacion Atocha, Madorid

05/17

レイナ・ソフィア美術館で早速ピカソを観て来ました。 もちろん他の美術家たちの作品も展示されているのですが、ソフィアといえばやっぱりピカソの“ゲルニカ”でしょう。

幾つかの作品を見ながら“抽象画”の意味について考えました。 ピカソは常に空間を視野に入れていると思います。 対象そのものを見つめ、見つめ続けているうちにそれを取り巻く空間そのものをキャンバスに置きかえる、そんな作業のような気がします。 仕事の範疇が空間にまで広がってしまうと、そこにある対象物(object)との間に新たな距離が生まれるような気がします。 その計りようのない距離こそ“空間”のはずですから描かれるものは“抽象(abstraction)”にならざるをえません。 問題はもうオブジェではないのですから。 もちろんピカソの繊細さがにじみ出るような美しい絵画も存在するのは周知の事実です。 例えば自分の息子を描いた“ポール”のシリーズ。 かわいくてかわいくて仕方がない自分の息子ですから、それは当然“オブジェクト”のまま。

もう一つ。 ピカソは保守的な画家だと思います。 なぜなら方向がある。 上と下がある。 たとえ奥行きを消し去ろうとしても、その空間への意識があるから方向性まで消し去ることは彼にはできない。 

別の画家。 例えばカンディンスキー。 例えばモンドリアン。 前者は全方位に飛び散る。 後者は極端なグリット形態の行使によって逆説的に方向性を消し去る。

カンディンスキーはロシア・アヴァンギャルドとしての構成主義者。 鮮やかな色使いとは裏腹に、どこか影があってくらい。 もちろん全方位に飛び散る様子を表現しながら、キャンパスの中の“構成”で成立している。 モンドリアンはデ・シュティール(ザ・スタイル)を代表する構成主義者。 グリットが基調になっているので建築との直接的な関わりが大きい。 事実、彼の絵画に着想を得てリートフェルト(建築家)はそのもののような建築をつくった。 

・・・ここまで書いて何だけど、やっぱり比較できないな。 僕はキュビストとしてのピカソが好きだ。 彼の作品は明るい。 カンディンスキーにはない明るさがある。 きっと明るい太陽の下で育まれた楽観主義だ。 ゲルニカだって悲しみだけではない、と信じたい。

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アトーチャ駅の近くにホテルをとりました。

写真はそのアトーチャ駅のアトリウムです。 トップライトを持つ曲面屋根の大空間がいかにも駅のターミナルらしくて、いい感じです。 ただ実際は植物を枯らさないように、常に霧吹き状のスプリンクラーが働いているため、なんだか霞がかっていて、しかも蒸し暑いです。 それでも併設されたカフェはなかなか賑わってましたけど。

僕は外のオープン・カフェでコーラを頼みました。


El Escorial

05/18

アトーチャ駅からおよそ1時間の郊外にある“エル・エスコリアル”に行ってきた。 往復の切符を買って、インフォメーションで乗るべき路線を確認して、時刻表までもらって、間違えた。 だってエル・エスコリアル行きは“C8-a”路線で“Via-1”乗り場から出発って行ったじゃん。 だからそこへ行って止まってる列車に乗ったんだよ。 そしたら予定よりちょっと早めに出発するから、スペインの交通機関は遅れるだけじゃなくて予定より早く出ちゃうこともあるのかなぁ、“まぁ、エソ・エス・エスパーニャ!(それがスペインだ)”なんてのんきに考えてたら、いつのまにか全然見当違いの終点駅で降ろされて。。。

結局、途中の“チャンマルティン駅”まで戻って、もう一度インフォメーションで確認して、予定の1時間遅れでなんとかエル・エスコリアルまでたどり着きました。 あとで分かったんだけど、同じホームに複数の路線が乗り入れてるからちゃんと時刻表と行き先を確認しなきゃ行けなかったんだね。 当たり前のことを怠っての失敗だから、何ともトホホ。

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その宮殿はマドリードの北西、グァダラマ山脈の南に、斜面の中で緑に囲まれて建っています。 16世紀半ばからおよそ20年の歳月をかけて完成したそうです。 その外観は今まで観てきたスペインの歴史様式の建築(特に中世)からみると驚くほど装飾が見当たりません。 建築家の意図を明らかにするすべはもはやありませんが、16世紀後半に建ちあがったこの建築は、ひょっとしたらやがてやってくる新古典主義を予期しているのかも知れません。 もちろん内部空間はルネッサンスを基本にしていることが見て取れますし、サロンの多くは長方形平面の天井を楕円アーチ状のヴォールト(カマボコ型)にし、細かな装飾が追従していることからすでにバロックが入りこんでいることが読み取れます。

“王たちのパンテオン”を訪れると、パンテオンの名のごとくそこは円形平面の空間の中央にドームが乗っています。 壁一面に一周ぐるりといわゆる棺桶が積まれていて、そこに遺体が安置されているそうです。 ちょっと俄かには信じられなくて、警備の女性に訊ねたのですが、本当だそうです。 棺にはナントカT世やらU世やらとプレートが着いています。 いくつかそのプレートに名前が書かれていないものもあったのですが、そこにはこれからの王が入るのでしょうか? このことは訊き忘れました。

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一通り観終えて出口までやって来ると、外は何と雨。 朝から厚い雲が覆っていて、その切れ間から申し訳なさそうに青空がのぞいていたのだけれど、そんな申し訳なさらずにどんどん出てきておくれと願っていたのだけれど、そうは問屋が卸さなかったみたい。 Dパックに折畳傘が入っているけれど、出すのが面倒くさくて、それにほら雨は相変わらずだけど日が照ってきたし。。

30分もそのエントランス・ホールで待つとすっかり雨は上がって青空が見えてきた。 右の写真はその時に撮ったものです。 日本の梅雨時みたいに雨雲と青空とがはっきりしていてなかなか面白いでしょ。

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しかししかし、今回の旅行はさすがに時間が充分取れているだけに、いろんな建築が観れて本当に勉強になるねぇ。 建築って面白いねぇ。


Madrid

05/20

毎週日曜日になると、“ラストロ”と呼ばれる蚤の市がたつ。 マジョール広場を南にリベラ・デ・コリドーレス通りを進むと、すぐに通りの両側に露天が軒を並べる一帯にぶつかり、そこは早くも人ごみの興奮が渦巻いてるようだった。 ぶらぶらと冷やかしながら歩いて、いくつめかのミュージック・テープを並べているテントで足をとめた。 中のラジカセからずっと気になっていた女性のヴォーカルが流れてくる。 僕と同年代の店の女性に聞くと一つのテープを渡してくれた。 セクシーな若い女性の横顔が写っている。 “BAILA(ダンス)”という名前だったからというわけではないけれど、リズミカルなポップで少し悲しげな彼女のテープを一つ買った。 この、少し悲しげなところが実はスペインらしくてとても良い。 CDじゃなくてテープなのもなかなか良い。

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ソル広場でパレスチナ解放を訴える集会が開かれていた。 聞いたことのない民族音楽(だと思う)が流れ、集まった人人が両手を高く突き上げる。 僕はこの問題に入りこむだけの材料を持ち合わせていない。

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ホテルへ戻ってテレビをつけた。 自転車のロードレースを中継している。 やや興奮気味に若い選手のゴールを伝えた。 ツール・ド・フランスにはまだちょっと早いな、何のレースだろう。

ちょっとつかれた。

今夜、妻がマドリーにやって来るのを待って、明日はこの街を出る。 スペイン滞在も残す所もう2週間を切っている。

とりあえず北へ。


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Have a good activities and peace!