Monologue in Spain 2001


第一部 カスティージャ・イ・レオン

スペインに戻ってきた編


Japon Bazar, Salamanca

04/19

スペインに帰ってきて、また普通の生活に戻った。 たかだか1ヶ月半しか経っていないのに、ここスペインでの生活が日常となっていることに気付く。 ドイツからの留学生にドイツ旅行の印象を聞かれるから、ついあのことを話す。

“本当に寒かったよ。4月の半ばなのに雪だぜ。楽しみにしてたシュバルツ・バルト(黒い森)はついに見られなかったよ。だって一面雪で「バイス・バルト(白い森)」になっていたから!”

***

写真を現像に出した。

観光産業の国だからかな、ここサラマンカでもカメラ屋さんの数は結構多い。 ブラブラ歩いていると何気にカメラのショーウィンドウが目に入るから、ついつい立ち止まってしまうのね。 もっとも8割くらいは日本製のコンパクトカメラなんだけど。。 たまに見たことないヤツが置いてあるとやっぱり欲しくなっちゃうねぇ。 ペセタの値段表示を習慣的につい円に直しちゃうから、喉から手が出るのを必死に飲みこんでいる始末。 そうそう、マジョール広場のカメラ屋さんでスペイン製のカメラはないのか聞いてみたのだけれど、品の良い女性の店員は“私は見たことない”だって。

ちなみに僕のカメラもコンパクトカメラなのだけれど、一応ライカ(ミニルックス・ズームだよ)なのだ! 僕みたいにいい加減なカメラファンは、なんてったってカメラはライカ!と意味もなく思ってしまうのです。 もっとも最近はミョウにハッセルブラットが欲しいのだけれど。。 街を歩いていてさぁ、何気にあのデッカイ箱型カメラをディパックから取り出したらカッコイイと思わない!? まぁ興味本位で買うには高すぎるね。 僕が持っててももったいないし。 ちなみにウチの奥さんはコンタックス派。 カール・ツァイスのレンズを崇拝しているから、デジカメも当然ソニーのサイバーショット。 これは今僕が使ってるけど。 

だから、ドイツでシュツットガルトの街を歩いているときでも、カメラ屋さんを見つけるとつい二人でショーウィンドウを覗きこんじゃうんだよね。 休日だからお店は閉まってるのに!

さて実際の写真だけれど、僕はちょっとスカしてるからいつもリバーサル・フィルム(カラースライド。ネガじゃなくてポジね)。 スペインの現像はどうかなと、ちょっと心配だったけれど出来上がりを見てほっとした。 当たり前だけど、日本と遜色ないね。 まぁ本当は僕程度の撮影技術では仕上り云云もないのだけれど。。 違うのは仕上りが有無を言わさずマウント仕上げになっていること。 日本ではお店にフィルムを預ける時に“マウント”か“スリーブ”かを伝えるけれど、こちらでは何も聞かれずに現像日の日付入りで仕上ってくる。 日本では僕の場合、普通はスリーブ仕上げの方が安いからこれでお願いして、出来上がりを夜な夜な自分でマウントにしていくのだけれど、スペインの現像では一気にマウントになってきた。 しかもなかなかかっこいいマウントで。 それが36枚撮りのフィルム1本当り751ペセタだから500円ちょっと、しかも中一日で仕上るからなかなか優秀。 それにマウントが入ってくる、プラスチックのブルーのケースがなかなか丈夫でかっこいい。 スペインもカメラは作ってない(たぶん)けどなかなかやるじゃないか!

と、そんなわけで今日は写真ネタでした。 これからも僕の大きくて重たいコンパクトカメラ(!?)片手にスペインを歩き回ります。

ちなみに、当然ですがホームページの写真はデジカメ仕様です。 あしからず。


Gran via, Salamanca

04/20

晴れてるから散歩。 風が冷たいけれど気持ち良いから散歩。 たくさん歩くのにサンポ。。。

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の写真はグラン・ビア大通りでの、何の変哲もないスナップです。 グラン・ビアは文字通り車の往来も激しい大通りなので、写真のように歴史様式を纏ったアーケード状の歩道が両端に控えています。 もちろんこの通りでなくても頻繁に出くわすショットだと理解してください。

今日はこの通りを歩いている途中に大きな(僕にとって)仮説を思いついてしまいました!

ちょっと写真をトレースしましょう。 まず、車道は日本のそれと変わらない普通のアスファルトです。 一方、歩道の部分は石畳になっています。 そして、そこでアーケードを構成する柱に注目してください。 その地面(石畳)と接する部分が、スマートではありません。 柱を地面にストンと落とすのではなく、別の四角い石を間にはさんでいます。 わかりますか? この目的は何なのだろうと考えました。 理由の一つは経済性でしょう。 よく見ると地面が右下がりの傾斜になっていることに気付きます。 建物は普通、地面の傾斜とは関係なく水平に造りますから、茶色い部分の半円アーチから下、柱の部分の長さが右へ行くほど長くなってしまいます。 そこで、左の方の1箇所を基準にして柱の長さを決めてしまって、あとは地面との隙間に見合うだけの別の部材をそこに置けば、柱自体は同じ形状の繰り返しですから、これは経済的なアイディアだといえるでしょう。

でも疑問はまだ残ります。 全ての柱の長さを一定にして、足らない部分に必要な高さの石を置くのであれば、その大きさ(断面)を柱と同じにすることも技術的には可能なはずです。 その方がすっきりしたデザインだと僕は思います。 “なぜ?”

ここからが僕の仮説です。 上部の茶色い半円アーチの石積みに、まず目を移します。 そう、半円アーチなんです。 前にも書きましたが、ゴシック(ロマンティシズム)の建築は尖頭アーチ(トンガリアーチ)を採用しますから、ここで用いられた形態が半円だということは、クラシシズムの表現を選択しているということになります。 クラシシズムですから、ギリシャ・ローマです。 ギリシャの神殿、アクロポリスを思い描いてみてください。 小高い丘の上に、“基段”を伴ってその神殿は建っています。 基段とは言わば人工地盤のようなものです。 丘の上に、周囲よりさらに一段高く水平な床を築き、その上に建築物を築く。

ゴシックの寺院に基段はありません。 つまり、この街並がクラシシズムを表現手段としたときに、必然的に基段を欲したのではないでしょうか。 もちろんここでは建物全てを基段に乗せるわけにはいきません。 ですから、、、もうわかりますね、柱の下の塊は基段の遺伝子だということが! それゆえ、柱とは別の部位として表現(分節)されているということが!

もちろん、これらの設計をした建築家が、この“基段”に対してどれほど意識的であったかは知る由もありませんし、本当は全く違う理由があったのかもしれません。 真実はわかりません。 でもより重要なことは、このことを僕が気付いたということです。 だからサン・エステバンのところで書いた一言をもう一度ここで繰り返します。 この国はゴシックなんかじゃない、“スペインだ”、と。


Mercado, Salamanca

04/21

今日は久しぶりに日本に電話をかけた。 電話をかけながら、“時差”について考えているうちに、なんとなく“浦島太郎”を思い出した。

イメージ・ゲーム。

浦島太郎は“♪助けた亀に連れられて、竜宮城に来てみれば・・・”ですけど、ひょっとしたら中国へ渡ったのではないかなぁ。 中国から日本へ来ていた何らかの使節団の一人を手伝って中国へ渡り、宮廷に仕えて夢のような暮らしを実際に目の当たりにした。 その後、数十年の時を経て、土産の品と共に日本へ帰る。 その玉手箱の中身とは、当時はまだ貴重であった“鏡”だったのでは。。 そこで自分の姿を確認して、あまりの年月を実感した、と。

“浦島太郎”とはつまり、日本(島)の後ろ(裏)に渡った一人の男(太郎)。 

もちろん渡った先は、沖縄かも知れないけれど。 こっちの方が現実的かな。 そこには首里城を中心にした独自の芸能国家があったのだから。 芸能を国交の手段として用いた夢のような小国。

こちらの場合、“浦島”とは日本の後ろに控える島という意味か。


El dia del Libro, Salamanca

04/22

明日23日は“本の日”だそうです。 “ドン・キホーテ”の作者、セルバンテスの命日に因んで定められたのだと聞きました。 またシェイクスピアが亡くなったのも同じ日だそうです。 これも何かの因縁かな。

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“ドン・キホーテ”、読んだことありますか。 子供の頃の絵本などで、なんとなくイメージはあるものの実際の本を紐解いた人は案外少ないのでは?? 4・5年前かなぁ、チクマ文庫で僕が読んだのは。 前編2巻後編2巻の全4冊だから、一気に読むのはなかなか疲れた。 途中にキホーテの本編とは何の関係もないような挿話が幾つもあって、それがまたこの物語に厚みを与えているようでなかなかユニークだったのを覚えています。

先日、Eメールで義姉から中世英国の作家チェイサーによる“カンタベリー物語”のことを教えてもらいました。 カンタベリー大聖堂への巡礼者達による聖俗さまざまな物語が織り成されているそうです。

ドン・キホーテといい、カンタベリーといい、それぞれ中世を代表する物語ですが、内容はともかく物語りの構成形式が、ひょっとしたら似ているのかもしれません(カンタベリーはまだ読んでないので本当のところはわからないのですが)。 もしかして中世の代表的な文学形式?

こういうこと考えるのって楽しいね。 人間の思考、構造、構成、表現技法・・・もっとも顕在化するのが建築だ。

***

その本の日を明日に控えた日曜日の今日は、マジョール広場で本の青空市とでも言うべき催しがありました。 広場の回廊に沿って幾つもの本屋さんが軒を連ねます。 大判の辞書から子供向けの絵本まで揃っていて、それら全てが定価の10%オフです。 大学都市らしく活気付いたその風景は、さながら神保町の古本祭りを彷彿とさせていました。

セルバンテス、ロルカ、カルメンなんて名前の本屋があるから、なんだかいかにもスペインらしくて頬が緩みます。 荷物が重くならないようにペーパーバックを何冊か買いたいと思って、ブラブラと一回りしながらどんな本が並んでいるのかを一通りチェックしました。 どうせならスペインらしい本を読んでみたいなぁと思うと、やっぱり焼けるような太陽の下で消えていった悲劇の詩人が頭をかすめます。

フェデリコ・ガルシア・ロルカ。 さすがに幾つもの本屋の店先で彼の本は確認できます。 それならやっぱり“ロルカ”と言う名のお店で買いたいと思って、そこのワゴンをあさるのですが、なぜか見つかりません。 なかなかうまく行かないなぁ、と隣の本屋で買いました。

“ジプシー歌集 Romancero gitano”、“血の婚礼 Bodas de sangre”。

来週末、僕は2ヶ月間の語学留学を終えて、ここサラマンカを去ります。 その後の1ヶ月間、スペイン国内を転々としながら過ごそうと考えています。 金曜日の深夜、夜行バスを利用して先ずアンダルシアに向かいますから、その地ではやはりロルカの詩の何編かが必要となるはずです。 たとえばグラナダの丘の上で、太陽の下で、風の中で、ロルカを感じてみたいと思っています。

***

“ベルデ(緑)、君をあいしているよ、ベルデ。

 ベルデの風とベルデの一枝。

 海の上の船と山の中の馬。

 腰まわりの影とベランダにもたれる彼女の夢、

 ベルデの肉体と髪の毛のベルデ、

 そして冷たい銀のまなざし。

 ジプシーたちの月の下、

 すべてがそれを見ているのに

 彼女はそれを見れないなんて”

ロルカ ‘夢遊病者のロマンス’ “ジプシー歌集”

Garcia Lorca 'Romance sonambulo' "Romancero gitano"

translated; ishige,masanobu 


Bocadillo, Salamanca

04/25

相変わらずブラブラと当てもなく歩きつかれる日々。 サラマンカを離れる前にもう一本(フィルム)くらい撮っておこうと、カメラ片手に一人撮影行脚。 サラマンカの東のハズレに長距離バスのターミナルがあって、そことトルメス川の間にちょっと気になる建物がある。 四角い箱型建築で外観は赤茶けた鉄錆色。 実際に鉄板がそのまま貼ってあってなかなか渋い。 これは随分前から気になっていたのだけれど、今日やっと撮影することができた。 まわりを広く、ぐるりと金網が張られていてなかなか近づけなかったのだけど、今回ゆっくりと逆側に歩いてみたら簡単に入口が見つかった。 どうやら一帯が美術系の大学か何かのキャンパスになっているらしく、まわりで一眼レフカメラとレフバンを抱えた5、6人のグループが幾つか撮影会をしていた。 写真学科の学生達かな。 その建物はインフォメーション棟だと、そのうちの一人が教えてくれた。 彼は何気に僕をファインダーで覗いていたから、Vサインをしたら話しかけてきた。

“ハポネスだろ、今日はどっちが勝つと思う?” “もちろんハポンだ!” “ははは、テンガン・スエルテ(彼らに幸運を)!” クゥゥゥッ、まったくナメヤガッテ! そう、日本でも話題になっていると思うけど、今日はコルドバで日本対スペインの試合(もちろんサッカー)があるのですね! 残念ながら生で見ることはできないけれど、テレビで応援しますよ、現地時間の21時35分!

はぁ、なんだか疲れた、足が重いと思って時計を見るともう18時。 2時間半も歩いていたんだ。 疲れたからお茶して帰ろう。

いつものマジョール広場に近いインターネット・カフェ。 隣に座った日本人の女性から声をかけられる。 “すみません、日本との時差って何時間でしたっけ?” 二十歳そこそこに見える彼女は留学生活が今始まったのかな。 サラマンカに来て初めてインターネット・カフェに来た時の事を思い出す。 もっとも僕はさらに初歩的で、日本語でメールを打つにはどうしたら良いのかを聞いたのだったな。 あれから2ヶ月近くたって、文法からっきしとは言え、なんとなくスペイン語らしい会話ができるようにはなってきたけれど、もう学校通いも終わってしまうと思うとちょっと寂しい。 あの毎日渡される大量の宿題とも、もうすぐおさらばかぁ。

***

帰り道、ピソの前の小さなフルーテリア(フルーツ屋さん)で大量のイチゴを買い込みました。 同じピソに住んでいるアイコに教えてもらったのだけれど、ここがサラマンカで一番安いらしい。 セべ(大家さん)に聞いたと言ってた。 それで、ここがまたホントに安い。 僕が買ったイチゴもモッテケ・ドロボー的で、3o厚のベニヤ板で作られた外寸235ミリ×295ミリ×35ミリ(タテ・ヨコ・タカサ)の箱売りで、この一箱がなんと250ペセタ! アイコにお裾分けしながらスープ皿一杯分食べたけどぜんぜん減らない。 確かに大きさも形もバラバラで、たまに熟れ過ぎも入っていて、甘いのからすっぱいのから色々だけど、それでもイチゴって本来こんなものでしょ。 機械で作ったかのような、粒ぞろいの甘ぁい日本のイチゴの方が不自然に思えてくる。 イチゴに限らずね。

お裾分けのお礼にと、アイコが美味しい食べ方を教えてくれた。 彼女は今月からサラマンカにやって来たのだけれど、ここに来る前にセビージャとマラガでも勉強してきたらしい。 その時に知ったんだって。 

1.イチゴを洗い、へたも取ってお皿に並べる(別に並べなくても良い)。 2.ちょっと砂糖をまぶす。 3.オレンジを絞る。 4.スプーンでひらひらとかき混ぜて、うまいうまいと言いながら食べる。 こぉれがおぉいしぃぃ! ぜひ皆さん試してみてください。 100%のオレンジジュースでも良いと思うけど、やっぱりオレンジを半分に切ってギュウゥッと絞った方が良いね。 オレンジはやっぱりバレンシア産かなぁ。 ま、なければフロリダ産でも良し。

***

21時35分。 はじまりました。 24時ちょっと前。 終わりました。 残念。 例のごとくロス・タイム。。。

内容には触れないで置こう。 言いたいことはあるけれど、一応僕の素人意見は何人かの友達にメールで送ったし。。

それにしてもスペインチームの中・長距離パスの正確さ。 トラップのうまさ。 無駄なパスの少なさ。 ほぼベストメンバーで臨んでいたようだから、当然といえば当然かも知れないけれど、それでもスペインリーグとヨーロッパリーグとの疲れでチームの状況はイマイチと盛んにテレビレポートはされていたから、まったくまったく。。。

明日は一応、記念にスポーツ新聞買っておこう。


Profesora Maria, Salamanca

04/25

明日、金曜日でスペイン語学校のコースが終わる。 たった8週間のコースだったけれど、色々あって楽しかったなぁ。 先生たちも皆面白く詳しく丁寧に教えてくれていたし、残念なのはマリア(先生の一人)と一緒に釣りに行けなかったこと。 釣好きのおばさんだけど、ルスィオはなかなか釣れないと言っていたから、それなら釣り方を教えてあげよう(やや傲慢に)と約束していたのにね。

“マリア、一緒に釣りできなかったね、残念。今度はマリアが日本に来なよ。サシミをご馳走するからさ。”

クラスが終わったその日の深夜、長距離バスに揺られて先ずはセビージャへ向かいます。 ちょうど“春祭り”の時期に重なっていて、皆1週間ほど踊り続けるそうですから、興奮のアンダルシアが待っているかも知れません。 その様子は追ってまたアップロードしますので、乞御期待!

***

サラマンカ、サラマンカ、去るもんか!? そんなことはない。

明日、マドリーから2時間半の、スペイン最古の大学都市を離れる。 さらばサラマンカ!! 


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Have a good activities and peace!