Monologue in Spain 2001


第一部 カスティージャ・イ・レオン

スペインに慣れてきた編


El domingo de la manyana

03/11

日曜日の朝はいつもより少しだけゆっくり起きてのんびりと通りを歩いてみる。 10時。 スペインについてから一番の青空なのに、弟にもらったデニムのジャケットだけでは物足りない。 ひんやりとした空気にディパックの中のマフラーを思い出す。 通りの人は驚くほど少ない。 こちらではラストロと呼ばれているフリーマーケットの場所を聞いてきたのだけれど乾いた音を立てて通りすぎる自動車の排気ガスが鼻腔を刺すから、たまらず路地へ逃げ込んだ。

それにしても透明な青い空と、冷たい石の壁の重さが、実にヨーロッパなんだなぁと思う。 一本の桜の木を見つけた。 なんとなく居心地悪そうに小さな花が咲いている。 上野公園も、隅田川も、千川の路地も、近所の公園も、そろそろかなとも思う。 目黒の通りも見事だろうなぁ。

どこにいるのかわからなくなった。 背中に地図が入っているけど、慌てることはない。 “オラ、セニョール。 マジョール広場はどこ?” “この通りをまっすぐ行ってみな。 右側に見えるから。” サラマンカは小さな街だ。 どこに居ても、マジョール広場には通じているから好きなように歩けば良い。 そうそう、“ドンデ・エスタ?って早口で10回繰り返してると “どこですか?” に聞こえてくるからやってごらん。 事実、その意味だ。 時を得て、教会の鐘が鳴る。

“鐘は理由もなく鳴る そして我々もまた  鐘を理由もなく鳴らせ そして我々もまた”

と、トリスタン・ツァラのフレーズを繰り返す。 日本に忘れてしまった彼の詩集のタイトルが異邦人となって通りを歩く僕にはちょうど良い。 “近似的人間”。

ルーマニア生まれの彼は故郷を離れてフランスに帰化した。 自分の名前を捨てて “Tristan Tzara”、直訳すれば “故郷を悲しむもの” という名前をあらたに採用したのは興味深い。 事実、このあとルーマニアはチャウセスクの独裁へと向かうのだから。

***

マジョール広場のレストランでトイレをかりた。 ズカズカ奥に入っていくと “セニョール、ちょっと” と呼びとめられる。 “そっちじゃない。セルビシオ(トイレ)は向こう。” どこかの小さな国みたいに “当店のお客様以外はちょっと。。” なんてことは無い。 小さい方のブースに入った。 温度センサーのスイッチにタッチすると電気が点くのだけれど、これが30秒ほどで切れてしまうから、すぐにまたタッチしなければならない。 何度か繰り返してからスイッチの位置が座った姿勢の僕の、ちょうど顔の前にあることに気付く。  ほら、“フーッ”ってするだけでやっぱり点いた。 ひょっとしたらフンバッて“フンッ”と鼻息でも出したときにスイッチが入るような設計なのかもしれない。 素晴らしいアイディアだ。 僕は採用しないけれど。。。

***

ブラブラしてたらまたインターネット・カフェをみつけた。 せっかくだからメールを覗いてみると、なんとSさんの奥さんからだ。 昔、ここサラマンカに留学していたという。 ルア・マジョール通りに住んでいたから訪ねてみて、とある。 なんだ今歩いてきた通りじゃないか。 はは、やっぱり世界はどんどん狭くなってる。


Los coches antigos

03/13

少しづつだけど、スペインのこの小さな街に馴染んできたなぁと思える。 いくつもの通りが集まる自動車の往来が激しい交叉点での信号無視にも慣れてきた。 去年ニューヨークに行ったときにも感じたのだけれど、信号無視しながら街を歩けるようになるとその街に対して親近感がわいてくる。 彼らのウインカーなんて信じちゃいけない。 注意して運転手と呼吸を合わせて足を出せばホラ、難なく渡れた。

同じ店でビールの値段が違っても、青信号の横断歩道で轢かれそうになっても、もう驚いたりしない。 “エソ・エス・エスパーニャ!(それがスペインだ)”。

***

“ぺぺ、サラマンカにもサッカーチームはあるの?” “もちろんあるさ。” “じゃあここでもリーガ・エスパニョルが見れる?” “でもサラマンカは良くないよ。2部リーグだ。それにいつ試合があるかは知らない。” 大学都市だからかな、みんなあまり興味なさそうだ。

“ラウリアーノ、サラマンカでは魚釣りできる?” “トルメス川にいけばなんか釣れるよ。” “トルーチャ(マス)はいないの?” “もっと上流か、北の方だな。俺は釣りしたことないから良くわからないよ。 マサは好きなのか?” “ムッチシモ(大好き)!”

“俺は鉄砲撃ちするんだよ。 ポンポーン、て。 最近はあんまり行かないけれど、ライチョウ、ウズラ、キジバト…イノシシだって獲ったぞ。 一番うまいのはウズラだな。 トレドではレストラン行ったか? あそこはウズラが有名なんだ。 店で食ったら相当高いけどな。 日本にだっているだろ?”

“もちろんいるよ。 僕の田舎の方でも昔は見たけど、最近はどうかなぁ? でもウズラを食べるって話しは聞いたこと無いな。 食べるのは卵だけだと思うよ。”

“ポブレ! かわいそうにあんなにうまいもの食ったこと無いのか。”

***

仲間と集まってバルで酒を飲み、タパス(小皿料理)をつまみながら大笑いすることを、親しみを込めて“フィエスタ”と呼ぶ。 “リディア、今夜はフィエスタだから僕の食事はいらないよ”というと、むこうからぺぺとラウリアーノが“そいつはいい、めいっぱい楽しんで来い!”と口を挟む。 飲んで食べて笑って踊り明かす夜を決して悪びれず、素直に楽しめるのがスペインだ。


Las ropas

03/14

イベリア半島の大雨もようやく落着いて、どうやら本格的に春になっていくらしい。 空気がやや乾燥してきたかなとも感じる。 おとといの夜、フィエスタの帰り、さすがにいつもと違い人影まばらなサモラ通りを歩いていたら、まるで除雪車のような車がゆっくりと動いているのを見かけた。 0時半くらいだったかなぁ。 良く見ると車体の下で大きなブラシが回転していて、水飛沫をあげているからおそらく清掃車の類だろう。 夜中のうちにこうして水撒きも済ませておけば、朝の通りも埃が立たないと言う訳か。。。

連想ゲーム。

“乾燥”で思い出すのは映画“バグダット・カフェ”。 みんな見たでしょ。 アメリカの砂漠でもうもうとたちこめる土煙砂埃。 その中で唯一瑞々しかったのが黒人女性の涙だったな。 僕が見たのは夏の盛りのうんざりするくらいジメジメした時だったけれど、その映画を見終えて僕は、日本の高温多湿にほっとしたのを覚えている。

リディアが帰ってきた。 少しだけ清掃の仕事をしているという。 “清掃”で思い出すのはスペインの鬼才ペドロ・アルモドバルの“グロリアの憂鬱”。 これはみんな知らないだろうなぁ。 普通の中年のおばさんを主人公にして、身の回りに起きるドラッグ、セックス、殺人等さまざまな問題を描き出す。 あくまでも普通に。 エンディングが興味深い。 まず彼女の部屋が映し出され、それが徐々にフェーズアウトしていく。 一つの部屋から建物全体、周辺地域、都市俯瞰へと。 つまりごく普通の社会を徐々に限定していくと、限られた空間の中では常に劇的な行為が行われている、と。

同じようなカメラワークを去年ニューヨークで見たな。 ケビン・スペイシーが主演した“アメリカン・ビューティー”。 あれはオープニングとエンディングが同じ映像だった。 フェーズアウト。 当然、ストーリーの主題は似ている。 日常生活とはいかに特異な世界か。

そう言えばロシア・アヴァンギャルドの主題はの一つは、芸術の力によって日常をどのように異化するかではなかったか。 be動詞に近く日常性を意味する“ブイト”という単語は形式として彼らの前に立ちはだかる。 アヴァンギャルドの代表的な作家マヤコフスキーが自殺する間際に叫んだのも“ブイトに負けた!”だった。

朝起きて、顔を洗い、食事をし、歯を磨き・・・そんな毎日の同じ手続きをいつも新鮮に感じていたいと思う。 毎日飲む同じコーヒーを毎日美味しいと感じていたい。 そんなささやかな気持ちが芸術的な生活なんだとも思う。 だから健康は大切なんだなぁ。

***

石の街はとても重くてなかなか動かないなぁと思う。 蹴っ飛ばしたくらいじゃ動じない。 こんなに重たい街で新しいものを創ろうとする建築家は、どんな決意を持って仕事に挑むのだろうか。 

オットー・ワグナーの逸話を思い出す。 近代黎明期、ドイツの建築家。 同じく石造りの街。 同じく装飾が施された建物。 そんな中に彼は無装飾の近代建築を作った。 今、僕の眼で見れば近代建築にはまだ遠く無装飾とは思えないけれど、当時はそれでも相当のインパクトがあった。 相当のバッシングがあった。 例えば彼の決意はどんなものだったろうかと、気になる。


Falc's wagen?

03/15

ハポネスとスペイン語は全然違うんだろ?とファルクが声をかけてきた。

そうだなぁ、アルファベートに相当するのが50文字くらいある。 ひらがなって言うんだ。 あと、カタカナっていうのがあってこれは主に外来語に使う。 もう一つ漢字、見たことあるだろう?

ああ、レンガ・ディブホ Lengua Dibujo (絵文字)だ。

うまい!そう、ホントに Dibujo (デザイン)なんだ。 例えば“口”という字がある。 こっちに“犬”と書く。 すると“える”だ。 な、モンタージュ理論だろ。 普段、この漢字とひらがな、カタカナをメスクラル(混ぜる)に使ってる。 それに語順がまったく違うよ。 君らはドイツ語でもスペイン語でも英語でも、例えば関係代名詞の位置なんか一緒だろ・・・。

***

ファルク、君の車は日本でも大人気なんだぜ。

俺はまだ車なんて持ってないよ。

そんなことないだろ。日本でもたくさん走ってるよ・・・ファルクの車(ファルクス・ヴァーゲン)!!

必殺のギャグにあたりは静まり返った。


Acueductor romano de Segovia

03/17

サンタ・テレサ修道院がなんとなく強い印象を持っている。

スペインへ来てから2度目の週末を迎えて、先週のトレドに続き今週はアビラ・セゴビアをまわるエクスカーションに参加した。 セゴビアはなんとなくイメージがあった。 ローマ時代の水道橋はあまりにも有名だし、古く栄えた都市としてトレド同様その名は知れ渡っている。 ところが“アビラ”って一体。。。

***

サラマンカを8時半に出発したバスはまずアビラをめざした。 今日、隣に座ったのはお喋りトーマスだったから書きたいことはたくさんあるけど今回は割愛。 1時間半くらいでついたと思う。 何の前知識も無く、セゴビアのついでで立ち寄ったこの街は想像以上にインパクトがあった。

まず都市の輪郭がはっきりしていて、中世都市のありようをいきなり印象付けてくれる。 これはイスラム教徒の侵攻に対する防御のためだと言うけれど、そうそうヨーロッパの都市は城壁が都市を囲んでいるのだなと思い出させてくれる。 つまり壁の内側がコミュニティ。 この思考は日本とは圧倒的に異なる。 日本の城を見るといい。 壁の内側に一般的な人々は暮らしていない。 内側にいるのは一部の武家社会のみ。 これはもちろん日本が基本的に単一民族の国家であることと無関係ではないと思う。

さてここで最初に見学したのはサン・ヴィセンテ教会だった。 12世紀のロマネスク様式とガイドは言っていたけれど、なるほど確かにゴシックに見られる合理的な構成はまだ見られない。 しかし空間は良い。 結構良い。 ディテールにおどろおどろしたものがあるけれど、それはそれとしてなかなか良い建物だったと思う。 これで、アビラもなかなかやるじゃないか、という気分になった。

Santa teresa de Avila

そして2番目だか3番目だか確かではないけれど、冒頭のサンタ・テレサ修道院である。 なぜこれが印象に残っているかというと、スペインに圧倒的な数存在しているモニュメントのそのほとんどがゴシック以前のものであるのに対し、この建物の様式がもっと新しいからである。 15世紀ころの新古典主義だと、ガイドは言っていた。 確かに装飾が形態を造るようなあり方はせず、より幾何学形態への傾倒が見た目に理解できる。 ただしこれが新古典主義だと言われると、ちょっと疑問を感じる。 写真ではわかりにくいと思うけれど、外観の構成は建築家の変な“意図”が働いているように思う。 シンメトリーな構成を施しながらも、あまりにも不安定な印象を感じずにはいられないし、内部空間の強烈な作為性はむしろマニエリスティックだ。 なんとなくアルベルティを思い出した。 また年代的にも1600年代の建物を新古典主義と呼ぶには、やや時期尚早ではないかと個人的には思う。 

いずれにしても、この頃からもう近代への準備が始まっていると見て取れるのは興味深い。 ここに見られる建築家の作為性は、もう少し時間が経過すればより明確な幾何学への意思として、文字通り本当に新古典主義が始まるに違いない。

***

それにしてもいくら文化的な背景が違うとはいえ、この建物が作られた当時日本は江戸時代前期。 良い悪いとか、好き嫌いとか、どちらが進んでいるとかいう問題ではなくて、あまりにも違うもんだねぇ。


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