Monologue in Spain 2001


第一部 カスティージャ・イ・レオン

スペインにやってきた編


Plaza mayor de Salamanca de la noche

03/03

まもなく着陸する機内。

だいだいいろのあつまり。 はじめは海に浮かんでいる船舶かと本気で思った。 もちろんありえない、マドリーなんだから。 現地時間22時過ぎ、漆黒の中で巨大な船舶が集まっているかのよう。 あるいは広大な宇宙の中のそれぞれの銀河。 いつかのプラネタリウムみたいだ。 次第にぼやっとそれぞれの意味するものが見えてくる。 小さな点がたまにツツツと動く。 だいだいの中に白い見なれた明かりにも気付く。

こんな夜景は見たこと無かった。 ニューヨークで見た圧倒的な光の塊とも違う。 シカゴのようなスウゥッと遠くの街へ伸びていくような光の広がりとも違う。 ナトリウムランプであろうだいだいの演出は、大地から切り離された目で見たときに、天地の逆転さえ錯覚させる。 “試みなければならないのはあの光たちと心を通じさせることだ。”と、さだかではないけれどこんな意味のことを “人間の土地” だったかな、サン・テグジュペリが語っていた気がする。

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空港からホテルへ向かう途中のタクシーで、運転手はとてもわかりやすいスペイン人だった。 カーステレオでラジオのサッカー中継を音割れするほどの音量で流し、腹から大声を張り上げて喋る。 野次る。 やや落胆する。 ホームゲームでバルセロナと引き分けた。 ラウルの2得点は見事だったけれど、追いつかれた一点はオウンゴール。

“ニシザワを知ってるかい? エスパニョールの日本人だ。” “ああ、ハポネスだろ。 なかなかうまい。 でもバリャドリードだ。” “違うよそれはジョーだ。 彼はもう日本に帰った。 オトロ(別の)・ハポネスのニシザワだ。 エスパニョールにいる。” “ええっ、もういないのか? ニシザワ? ああ、見た気がする。 でもハポネスの名前まではおぼえられないよ。” と、二人で怒鳴りあった。 大声でがなりたてるように会話していると、不思議と言葉の不自由さは感じなかった。

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飛行機の中ではオーディオで季節物の歌謡曲特集を流していた。 ソニーの小さなそれでいて飛行機とは思えないほど音の良いヘッドホンから、“春なのに”が中島みゆきの声で流れ、何の脈絡も無く、数日前に他界した女性ニュースキャスターを思い出した。 追悼番組で紹介した彼女の自著には、一時キャスターを辞め、夫婦生活を辞め、ニューヨークへ留学したときの、先の見えない虚無に似た感情と涙が綴られていた。 何らかの決意を持っていたからこその涙だろう。

果たして、何らかの、僕の決意は見つかるのか。 スペイン滞在がはじまる。


Plaza Major de Salamanca

03/05

学校が始まった。 3ヶ月のスペイン滞在期間のうち2ヶ月間をマドリーからバスで2時間半のサラマンカでスペイン語を学ぶ。 サラマンカはスペイン最古の大学の街。 “ドン・キホーテ”のセルバンテスもサラマンカ大学で学んだという。 サラマンカ、サラマンカ、サラマンダー(サンショウウオ)。 全然関係無いけどなんとなくおかしい。 カレル・チャペックの小説で“山椒魚戦争”っていうのがあったなぁ。 チャペックは小説化でコラムニストで戯曲作家。 “ロボット”という造語を作った人物としても知られている。 これも全然関係無いけれど、どこもかしこも“アイティー”の世の中で“ロボット”っていうひびきがなんだかなつかしい。 僕らは未来さえなつかしく思えている。

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今日は午前中、簡単なテストをやった。 「簡単」っていうのはテストの形式のことで必ずしも内容のことではない。 こちらへ来る前に日本で勉強しておくようにと口をすっぱく言われていたのに、出発前の仕事の忙しさにかまけて勉強をサボっていたから、悲しいかな過去形も未来形もふっとんじゃって自己採点で60問中25点。 その後は簡単な面接みたいのをやって一度解散。 夕方5時過ぎにもう一度学校へ行って、そこでクラスが編成されて必要なテキストを教えてもらう。 本格的な授業は明日から。

はたして“セルバンテス”という名の書店で買ったテキストはニーベル・エレメンタル。 つまり初級編。

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プラサ・マジョールの近くにインターネット・カフェを見つけた。 外国人留学生が多数ひしめくこの街ではこんな施設が大繁盛。 日本人も多く見られる。 早速WEBベースのメールアドレスをチェックすると幾つかのメールを確認できた。 隣の日本人は日本語でメールを打っている。 どうやるのか聞いてみたら、右下の言語マーク“Es(エスパニョール)”を右クリックして“japones”を選択すれば良いとのこと。 が、見当たらない。 ひょっとしたらこのマシンは古くて日本語に対応してないのかもしれない。 ちなみに、このページは持ってきた自分のパソコンを使ってファミリア(ホームステイ)で作成し、インターネット・カフェでアップロードするというハイブリットな方法を採用しています。

こんなふうに日常の様子を書き連ねていきたいと思うので今後のレポートに乞うご期待。 サラマンカの街についてはいろいろ書くことありそうだよ。


Salud!

03/07

僕のクラスは“メディオ・バホ(中の下)で、外国人10人の編成。 とはいっても6人のドイツ人と4人の日本人だけど。 昔何かの本で、辺境地に好んで行きたがるのはドイツ人が一番で二番目が日本人だ、というのを読んだことがあったけれどここでも繰り返された(!?)。 昨夜はこのうち4人のドイツ人たちと早速バルで乾杯ということになった。 もっとも待ち合わせ場所に居たのはドイツ人ばかりの10数人。 さすがにこんな人数は入れないってことで二手に分かれたのだけれど。 それにしても彼らはみんなデカイ。 クラスの自己紹介で僕が一番の年長だってことはわかっているのだけれど、男はみな190cm以上はありそう。 見下ろされるとなんだか腰がひけて。。

マルクとトーマスは同じファミリアに住んでいるらしい。 二人とも21歳で学生。 マルクは名前が示す通り(?)経済が専攻でイタリア語も話す。 トーマスは変な記憶力を持っていて、人が言ったことをその場で延々と鸚鵡返しする変わったやつだけど、きょろきょろしていて愛嬌があるから憎めない。 “パルク・フィクション”が大好きだってことで意気投合。 クラウデイアも学生。 マルクと同じ大学だと言っていた。 ブロンドの髪ときれいな顔立ちをしていて驚くほど色白。 透明感のある青い瞳がス・テ・キ。 ターニャは23歳の外科医師。 ドイツ人の父親と中国人の母親を持っていて、関係無いけれど日本舞踊を踊るのが好きらしい。 漢字も少しならわかると言っていた日本通。

それにしてもヨーロッパの人達の語学に対する意識は相当高くて、平均して4カ国語くらいは使えるんじゃないかなぁ。 とはいってもここに居るのは僕以外は皆ドイツ人だから訛りもあるし、ちょっと言ってることが聞き取りにくいなぁと悩んでいると “ツバンツィッヒ” とか “ビッテ” なんて聞こえてくるから、すかさず “イッヒ・カン・ニヒト・ドイチュ!” ってことになる。 

ビール大好きドイツ人らしく、トーマスがまた2杯のビールを持ってきた。 別に誰かの分を一緒に持ってきたわけじゃない。 “さっきビール2杯とトルティージャで350ペセタだった。 今、ビール2杯でやっぱり350ペセタだ。 このビールは高いのか安いのかどっちだ??” トーマス、ドイツや日本みたいに合理的な考え方をしちゃだめだ。 自分がどこに来たのか考えてみろ。 ここはスペインだ。

“8月にミュンヘンでビール祭りがあるからみんなで集まろう! マサもこいよ!” 行けるわけねーだろ。

あっという間に11時をまわった。 アスタ・マニャーナ。


Pepe, Lidia, Carmen, Rauliano

03/08

スペイン人はたくさん食べる。 “朝食は軽く、昼食は重く、夕食も重い”というのを日本で聞いたけれど、昼食も夕食もこれでもかという感じで出てくる。 僕は今、ファミリア(ホームスティ)で暮らしているから彼らの日常的な暮らし振りが良くわかってとても面白い。 この家ではラウリアーノとリディアの老夫婦が二人暮らし。 ただ、近くに娘夫婦のカルメンとぺぺが暮らしていて、お昼と夜の食事には集まって一緒に食べる。

8:00 朝食。 ただし僕だけ。 コーヒーとパン、ビスケットといったかんじ。 “もっと食べなさい、小食なんだからぁ”といってるくせに自分達は“私たちは朝はミルクだけなの。。”

14:00 昼食。 スープ、パン、肉か魚、デザート。 これが大量に出てくる。 良く聞くように、“ランチはのんびり時間をかけて。。” なんてのは嘘っぱちだ。 彼らは老若男女すべて先を争うかのように食べまくる。 いきおい、流し込んでいるかのよう。 食後はゆっくり休む。 シエスタはしていないけれど、テレビを見ながらくつろぐ。 15:30くらいかなぁ、ぺぺはまた仕事に向かう。

21:30 夕食。 昼食に準ずる。 とにかく食べまくる。

僕は自分が小食だと思ったことは無い。 何人かの人は知ってると思うけど、焼肉のときなんてそりゃぁもう。 それなのに、彼らときたら黙々と食べてる僕を尻目に、大声を張り上げるように会話しながらあっという間に食べ終えて、僕を待ってるといったありさま。 まいりました。 良く見るとみんなむくんだような丸い手をしているけれど、納得。 僕はスペイン語のクラスが、途中に30分の休憩をはさんで9:00から13:00まであるのだけれど、そこでまわりの友達に聞いても大体似たような様子だからこれが平均的な(たぶん田舎の)スペイン人だと思って良い。

***

このところイベリア半島は、連日の雨。 特にポルトガルはひどくて、川に掛かる橋が落ちてしまい多数の死者も出ている。 日本でもニュースになっているとは思うけど、スペイン南部も含めて多数の水害がでている。 こちらでは当然連日のニュースで放映しているから、リディアは毎日顔をしかめている。 運が良いことにここサラマンカでは、天気予報の大雨マークを裏切ってにわか雨程度。 昼間は太陽の顔も見えるから “♪おひさま、グラァシアス” と思わず口をついて出る。


Punching windows

03/09

スペインでは“戸建住宅”という思考は一般的では無い。 住居は“ピソ”と呼ばれるフラット・タイプのアパートメントが主流となる。 つまり通りに面して中庭型(ブロック型)集合住宅という都市型住居形態が反復されている。 中庭は採光、通気といった建物の巨大化に伴う衛生上の問題を解決することとなる。

このピソに住んでみてはじめて実感したのだけれど、僕らの感覚でいうと室内は驚くほど暗い。 日本の住居は基本的に柱と梁で構成するから、壁を全部窓にすることだってできる。 ところがこちらでは組積(ソセキ)造と呼ばれるように建物を石の壁で構成するから、壁に穴をあける“窓”はその構造上、最小限にしなければならない。 建築用語では壁に小さな穴を穿つ様から“パンチング・ウインドウ”と呼ばれる。 パンチで開けたような小さな穴だから、建物の奥行きが深いと光が届かなくなる。 ゆえに中庭が生まれた。 もちろん現在ではすべて鉄筋コンクリートの建物には違いないのだけれど、歴史的な形式と言うのは恐ろしいもので、相変わらずパンチング・ウインドウが小さな明かりを空間に与えている。 

基本的には部屋のどこに居ようと、どの時間帯であろうと、何か作業をしようとするときには電気をつけなければならない。 しかし光への恩恵という意識が強いから、決して明かりを点け放したりはしない。 基本的には人が居る所にやわらかな明かりがあるというイメージ。 共用玄関・廊下などはスイッチを入れても一定の時間がたつと切れるようになっていて面白い。

僕に与えられた部屋ひとつをとってみても、あまりにも日本と違うことが多い。 まぁ、写真で見るだけではわからないかもしれないけれど。 壁はコンクリートに直接、リシン吹付け仕上。 床は尺角(30cm角)テラゾ・タイルで巾木と窓の下枠は大理石! 当然セントラル・ヒーティングで一日中暖房はついている。 これが建物の標準仕様で、ここに各家庭がそれぞれ家具をしつらえている。

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蛇足だけど、ラテン文化の建物が中庭型を採用しているのに対し、アングロ・サクソン系ではフロント・ヤード、バック・ヤードとなる。 日本は例えば中世の町屋などでは中庭型の建物が生まれているけれど、近代黎明期にはイギリスを参照し、標準的な住居として後者のタイプを採用した。 その表れが現在の建売住宅である。 ただし悲しいかな、日本ではフロント・ヤードもバックヤードも経済的な理由で失われてしまった。 現在、都内を中心に大型のマンションが建設ラッシュを向かえているけれど、ひょっとしたら戸建住宅が本来不可分な関係の“庭”すら持つことができないという、悲しい現状に対するアンチ・テーゼなのかも知れない。


Toledo

03/10

昨日は週末を利用してトレドへ足を伸ばした。

7:00am。 まだ夜も明けていないうちにバスは出発した。 隣に座ったマルクが “古典を読みたくてラテンを学んでいるんだ” と言いながらシェイクスピアをとりだす。 “イ・トゥ・タンビエン、ブルーテ!(ブルータスよおまえもか!)” と合いの手を入れるから話しが弾む。 “マサもシェイクスピアを読むのか?” “ちょっとだけね。でもジュリアス・シーザーよりキングリチャード・サードの方が好きだ。” “それはまだ読んでない。” “彼は戦争のクライマックスで自分の馬から振り落とされてこう叫ぶんだ、馬をくれ、王国をやる”って。” 窓を叩く雨の向こうの空がわれて、金色の光がさしはじめる。 バスは田園を走っている。 とても詩的な朝の光だと思う。

トレドでは幾つかの有名な教会と美術館をまわった。 グループで行動しているからか、それぞれを美しいとは思うけれどトレドの中身が直接伝わってこない。 仲間内の会話が楽しくて個人的な経験がゼロになるけれど、それもまた良し。

“マルク、エル・グレコの絵画をどう思う? 迫ってくる迫力はある。 でも正直なところ、僕にとってはグロテスクなだけだ。 彼は君らにとっては特別だろう? キリスト教徒として。” “うぅん、でも俺はプロテスタントだからわからない。” 

小さな土産物屋で不思議な絵葉書を見つけた。 一面が真っ黒に塗りつぶしてあって、真ん中の上の方に “TOLEDO DE NOCHE (トレドの夜)”とだけ書いてあるからみんなで笑った。 “とても興味深い。 マレー・ビッチをしってるかい? 黒の中の黒、白の中の白だったかな、どちらかを描いた。 この葉書もひょっとしたらアヴァンギャルドかも知れないぜ。” 小柄なおじさんに25ペセタを手渡して葉書をバックにしまった。

18:00過ぎ。 バスは再びサラマンカに帰る。 すぐにまぶたが重たくなった。 トレドでは何を見たのか覚えていない。 共通の言語となったスペイン語でひたすら笑いの種を探していたのだと思う。 人目をはばからぬ大笑いだけが反復される。


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Have a good activities and peace!