Last of the Pieces: Heart & White
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第二季「夏空のアリア」

第一節「逆空のアリア」

 中空に少女が浮いている。いや、浮いている訳ではない、彼女を浮かせるその原動力となる肉体の活動が彼女のそれの何処にも起こっていない、つまり彼女が空に浮いているのは他の環境的な理由だ。透明な橋の上に佇んでいるとでも言う風で、少女は吹き抜けてくる風に身を浸して涼しげな表情を浮かべる。涼しげなその表情が、彼女がこの空中世界での生活にある程度適応している事を物語っている。
 少女は跳んだ、跳んで、そしてまた、空中で着地した。空中のどこかに見えないブロックが浮いていて、それを見出しながらそれに飛び乗っていく事でこの世界を歩んでいるとでも言うように。その少女の動きは軽い、その動作にこの世界に不慣れであると言うぎこちなさが見られない。恐らく彼女の体は地上で歩いていた時期の動作感覚をこそ忘れてしまっているのではないだろうか。手足を交互に前に出し、地面と平行に前に進んでいくと言う動作、歩くと言う事とはまるで対極に有るような、瞬発的な、肉体のばねをフルに使った、自分の頭上を、上空を往く、飛翔。その飛翔を、彼女は歩くと言う動作の代わりの自分の移動手段としてごく自然に繰り返している。地面の無い世界、空の透明な地面の上で。
 十数回それを繰り返し、また風を感じた彼女はそこで立ち止まる。よく見れば、少女はただ風を感じる為にいちいち立ち止まっているのではなかった、彼女は、風の吹いてくる方角を探していた。指に唾を付け、それを空―彼女の真下を地面と呼ぶとした時の―に向けて立てて風向きを確認していた。そして風が止むと、少女は風の吹いてくる方角へ体を向けて、また空中での飛翔を繰り返すのだ。
 少女はふと後ろを振り返る。そこに有るのは、かつて彼女が存在し、しっかりと足を付け歩いていた、土色の地面。それが上下左右に果てなく伸びている、振り返った彼女の視界の全てを埋めている。高所恐怖症の人間で有れば振り返っただけで卒倒してしまうような光景だったが、彼女にはそう言った恐怖心は無いようだった、恐怖すると言うよりも、寂しげな表情を浮かべた、恐怖出来ない自分を、寂しいと思っているような、もう戻る事の出来ない場所を、恋しく思っているような、何とも言えない、無表情とも取れる機械的な表情。恐らく彼女は今までに何百度と無く振向いたのだろう、そしてその度にある程度は違うリアクションをしてきた筈だったが、いまや振向いた時に勃発する感情は一種しか必要無くなったのだ。それは、諦めだった。こんな場所を歩いてしまっている自分の空しさを泣いても、こんな場所に慣れてしまっている自分の可笑しさを笑っても、誰も一緒に泣いてくれたり、笑ってくれたりする人はいないのだ。感情を外部に積極的に伝える手段を持っても、自分が得るものは何も無いのだ、有るとすれば、泣くと言う動作や笑うと言う動作の自分の中での位置付けが、どんどん可笑しくなると言う事、もっと大切な特別な何かに対して起こさなくてはならない動作なのに、その大切な特別な何かが分からなくなっていってしまう、こんな異常な状況で泣いたり笑ったりしたら、自分もどんどん異常な世界の中で笑う事泣く事を普通だと思うようになってしまう、つまり、得る物が有るとすれば、普通の喪失、異常の獲得だった。彼女はまたいつの日か普通な世界での異常に悲しい事、異常に嬉しい事を泣いたり、笑ったりする為に、異常な世界での普通を、笑ったり泣いたりする事を諦めていたのだ。今は、異常な世界が普通なのだ、異常な世界での異常、つまり普通に出会うその日まで、私は泣いたり、笑ったりするべきではない。彼女は、かつて地上で見上げていた普通の一部だった筈の空、をきっと睨み付けた。泣く代わり、彼女は指先に付けた唾を両目の下に一直線に塗って、異常な世界での泣き方をして、また飛翔を繰り返し、空を一人、上って行った。

第二節「ブラックホール・スカイ」

 少女が空中で寝転がっている。つまり、寝ている彼女の足をそのまま地上に持っていったら地上に立ち上がっている格好になっている。だが、彼女は間違い無く、寝転がっている。そして空を見上げる、その見上げている空も地上で見る時には見ることの無い角度からの空、側面の空だ。いつも彼女は真正面を、つまり地上で見上げる普通の空をいつでも見飽きるほどに眼前に据えている筈なのに、何故わざわざ異様な光景でしかない側面の空に空を求めてしまうのか。それは、真正面に位置する空が、異常だからだった。青が一色も無いのだ、もしも今ブラックホールを肉眼映像で捉えた前経験が有ったとすればこれもその一種だと判断出来るのではないかと思わざるを得ないような光景、白い渦巻きが全天を支配しているのだ。勿論この世にブラックホールは渦巻き形として存在するのだろう、だがそれを肉眼で果たして人が良く連想するような渦巻き形として捉える事が出来るのか、と言うとこれは定かではない。超々望遠のレンズを通してみればブラックホールは渦巻き形だろう、だがそんな事は知識の中であるだけで超々望遠による映像など真のリアリティであるとは言えない、脳内部の概念映像としてブラックホールは渦巻きである、という心象をインプットしたとしても肉眼で視覚しなくては、外部組織体目によって事象に対し覚めなくてはそれの具体像を得ることは出来ない、地球は青かった、と言う言葉を言ったとしても宇宙に出て実際にそれを目撃した者でないと何の意味も無いのと同じだ、それを見るまで、自分の肉眼を用いて地球世界の構造を、内部からではなく外部から、切り離された位置から見るのでなければ、その人にとっての地球の青は、過去形にはならない、未来形のそれも弱推量にしかならない、〜に違いないという形は使えない、どの青なのか分からないからだ、(地球上から見える)海の青なのか空の青なのか、それともクレヨンの中の原色の青なのか。青、と一言で言うのは簡単だが、地球色の青、は地球を本当に目撃した物でなくては言う立場には立ち得ないのだ(勿論ビデオ映像の地球の青、紙面の地球の青はビデオ映像の青、紙面の青でしかない)。同様、ブラックホールは渦巻き形だった、も何の視覚改造装置も無しに確認しないと発言しても意味が無い、ブラックホールの渦巻き形は、潮の渦か、雲の渦か、それとも生活廃水が流れ込んでいく流しの渦か(また同内容的な事を繰り返すが、ビデオ映像や紙面のブラックホールは直径1mも無いのだ)、それらから連想する想像者本人達それぞれの渦にしかならない、もし各々ブラックホールの渦を肉眼で確認しているので有ればそこにはある一つの共通形が存在する筈だが、そんな状況を獲得した人間などいるわけが無いので潮の渦の様にうねり雲の渦の様に巻いて生活廃水のようにどす黒いという様な雑多な想念にその人の心に有るこれもまた観念的な宇宙を添えてその人は黒い渦、ブラックホールを想像する事が出来るだけだ。だが、彼女はそれにもう一つ、他の人間が肉眼で確認している筈の無い渦巻き形のリアリティ・イメージを想像ブラックホール製作の際の想念材料として、得た、目の前にある白い渦、異常な白く渦巻く空がそれだ。だから彼女の作る想像ブラックホールには他の人間より幾分か説得力の強度が増している。そして彼女自身もまた、彼女の持つ想像ブラックホールによって強く納得させられているのだ、潮の渦よりも圧倒的に規模が大きく、雲の渦よりも圧倒的に扱っている物理要素が多く、生活廃水の渦よりも圧倒的に二度と見たくない、この世に有るべきではない地獄絵図に惚れた青空が自分が青だった事を捨ててまで求婚し今正にその性行為に及んでいる姿を彼女は延々と見せられていたのだから。この禍々しさは、彼女にこの神の物理なのかそれとも非物理の極なのか判断しかねる映像を、彼女の心の中ではいまだ未知の禍々しさと絡む色、黒の存在である、ブラックホールと名づけるに足る最大根拠だった。アイ・ラブ・ユー・ブラックホール、バット・アイ・ドント・ライク・ユア・ブラック・ラブ、私は貴方を愛しているわ、だけど黒塗れの恋は終わりにしましょう、そう呟いて、彼女は最愛の天上世界に向き直ると、今までよりもちょっとだけ強いストライドで、歪んだ空で確かすぎるほど真っ直ぐに、跳んだ。

第三節「ザ・スカイ・セッド、"ラブ・ユア・ネイバー"」

 彼女の口にした愛、その愛は一体何処から出てきたものなのだろうか、また、ブラックホールの愛が黒いとするならばその黒さとは何なのか。まず彼女の愛についてだが、彼女は原始的求愛の一種、女を見初めた男がその女の気持ちを何も考慮せずに行き成り彼女を抱きすくめ自分の物にしてしまう形式、愛を育む過程と言う通過儀礼も無く行き成り愛の関係を築いてしまう至極直接的至極男性主観的な形式によってこの世界に立たされている、彼女のこの世界における重要な役割に、自分の隣に置く事でその役割に属する彼女が太陽光のように輝く事を見出した空が行き成り彼女を抱きすくめ自分の物にしようとしている、状況下に彼女は立たされている。そして、彼女は、立っているのだ、立たされているだけではない立っているのだ。何故彼女は立つか、それは彼女が空のあからさまに見せつける愛が非透明愛、相手の目線相手の仕草相手の言葉を発する時と食事をする時の唇の使い方の差異等に見え隠れする、相手は果して私という性的愛対象にどの程度の理解欲求を備えているのか、またその理解欲求とは天秤にかけた場合に肉体的理解欲に傾くのか精神的理解欲に傾くのか、と言った事を識別する時の嗅ぎ分けの邪魔をする無臭ながら無味ではない(性的愛対象と共にする食事の時、各々には必ず潜在的に相手を口に運んでいる心理が有る。相手という繊細な歯ざわりの野菜を噛み砕き相手という柔らかな温もりの肉汁を啜り相手という甘い甘い口内麻薬としてのデザートと舌を絡めている透明な幻想が、ふたりの空間を淡く彩るテーブルの真ん中の蝋燭の炎の中で情熱的にとろけている)透明ならざる愛、つまり、もしかして相手は私を好きなのではないか、と言う部分さえ越えて、つまり可能性を考えている部分もしかしてを越えて、もしかしなくても相手は私を好きなのに違いない、と言う限り無く無根拠に近い幻想が拒否しがたい圧力と引力とで以って識別者を被識別者のパブロフの犬にしてしまう、非透明愛(真理的総合的否定の形容客観否定の形容、不ではない、ただその人による道理的道徳的(勿論道理道徳は真理的総合的なものではない。民族間で既に差異があるような物を真理や総合とは呼べない)否定の形容主観否定の形容、非で正しい。不透明愛なんて物は存在しない、愛は透明だからだ、目に見えるわけが無いからだ、が、識別者がもし、限り無く無根拠に近い幻想が愛に見えてしまったなら、その時点でもう愛は透明ではない、その人にとって透明にあらざる物即ち非透明愛だ)、それとして見えているからだ。端的に言えば、男性器を受け入れた時にそこに愛が有ろうが無かろうが流れ出る確かな女性器の愛液が、ふたりの周りを支配して浮かんでいる、精神の目を捉えるものとしてそこに存在し識別者を被識別者の色香に惑わせていると言うような状況だ。非透明愛は、もうその人にとっては愛なので本当に追求しなくてはならない透明愛の追求をそこで止めさせる、相手の目線に映っているのが蝋燭の中の、ふたりがあたかも愛し合っているかのような幻想でしかなくても、相手の仕草が別に自分の事を気遣っているから優美なのでは無くても、相手の喋る時にその読唇だけをしていると私はこれこれこうゆう事を喋っているけどそれもこれもみんな貴方に色んな角度色んな方向性色んな(無根拠な(この部分は、見えない。非透明愛は根拠で成立している訳ではない))幻想で愛を伝える為なのよ、肉が美味しいわね(あなたって美味しそうね)、この野菜は何処で取れるのかしら(貴方が何処から来たのか、なんて事はどちらでもいいの、貴方がここにこうして居てくれてる事が重要なのよ、じゃなきゃこれから貴方が私と別れて何処かへ行ってしまうというとき、貴方の心に私を残せないでしょう?)、ねえ、このデザートあたし達にも作れないかしら(あたし達も早く愛を作らない?)、こう言った風に全てが変換されてしまう、見えてしまう愛は、それ程に強烈だ、動物は基本的に愛と言うか、性欲に弱いが人間は性欲に弱くない振りができる生き物だ、動物と違い性処理の文化を異様に肥大化させてきたから性欲に弱くないかのような自分を社会にさらけ出す事が出来るが、本当はもの凄く弱い、愛と性欲がイコールなのに愛と性欲がイコールじゃないような事を言わないといけない動物的な部分の自分は、もの凄く弱いのだ。だがここで一つ言わなければならないのは、彼女は見える愛に感動をしても、見える愛液に感動する(感動はするだろうが、それは見える愛液の中に見える愛への感動である筈だ、性行為の主体目的はそれ自体ではなく愛の確かめ合いの方である筈だ、女性は性行為で支配する側ではなく、支配される側なのだから)存在ではないと言う事だ、彼女は女なのだ。つまり、おもしろい事に状況が逆なのだ、普通色香で男を惑わすのは女であるのに、この状況では男が色香を振りまいていてそれに彼女が引き寄せられているのだ。それが彼女の言う、ブラック・ラブだ。それは見える愛だ、しかし、黒いのだ、禍々しいのだ、間違っているのだ、彼女は、自分に確かな愛という素敵な物を見せてくれた空に、その愛は黒じゃいけないよ、本来の透明に戻さないといけないよ、と教えに行こうとしているのだ。この彼女の感情は非透明なのだろうか、不透明なのだろうか。勿論先の論理で行けば感情とは統一的に透明だ、もしくは傍観者の主観狂気を交えて非透明だ。だがここで言っているのは、彼女はこの非透明な愛に包まれている中で、この唯一確かと思える通常な感情を、状況に対し持っている(不透明)のか、状況に持たされている(非透明)のか、と言う事だ、ここに確かに存在はする、と言う意味で透明でないこの感情、それが不なのか非なのか、彼女はそれを知りたくて、ずっと歩みを続けている。地上に戻る事の出来ない、という痛すぎる不透明に包まれた、一歩一歩の、無気味なほど透明な道を行く翼無き飛翔を。そう、彼女は透明な存在、天使ではない、何処までも不透明な存在、人、なのだ。

第四節「ファースト・ナイト・ウィズ・スカイズ・ホワイト」

 非透明愛は、もうその人にとっては愛なので本当に追求しなくてはならない透明愛の追求をそこで止めさせる、だがしかし彼女は間違い無く透明愛への追求心を、状況に持たされているかどうかはともかくとして、持っている。この状況が一体何処から来るのかと言えば、彼女が女の色香に惑わされている男ではなく、男の色香に誘われている女である、と言う所からだ。男が女の色香に惑わされる分には問題無い、そこに危険性が介在しない、男が女の色香に惑わされていざ事に及ぶ事になったとしても男側には何も喪失に対する心配を持つ必要が無い、男は女の振りまいた空中愛液が空中愛液のままで構わないのだ、それが本当の愛でなくても、それが本当の愛液で有れば、男に性の感動を与えてくれる存在愛液でありさえすればそれで状況は完璧なのだ、そこで彼の状況に関する保身思考はストップする、男であれば誰でも精神的愛液を見せた女に飛びつきそして精神的結合に見せかけた肉体的結合に事を運ぼうとするだろう(ちなみにここで扱っているのは非透明愛つまり色香なので男性にも当然ある真の精神結合欲求、透明愛の追求においてはこの限りではない)。だが彼女は違う、彼女は女だ、たとえ男の色香に惹かれて状況を事に運びたくなったとしても、もし男の見せつける物が単に色香でしかなければ彼女には警戒心が働く、この男との結合に及ぶ事になった時の自分の喪失と獲得を同時に見て、喪失の方が明らかに重いと言う場合において彼女の心はその男との事に関して了解しないだろう、男の空中愛液を睨み付けたり、目を背けて見たり、そして処女の場合自分の男と共には無かった貞操の道を振り返ってみたり、何らかの拒否反応を示す筈だ、女性にとって男性の愛液とは、恐怖だ、異物だ、愛と言う天使の顔をした支配翼の悪魔だ、そして彼女にとって今、その愛液とは、目の前に位置しつづける白い渦、空中愛液の渦だ。
 この空のおかしな点、それは、かなりの高さまで飛翔した彼女が何故今になっても振り返ったときに彼女がこの狂気の空と言う男に魅入られる前に純潔であり続けた場所、地上を見ることが出来るのか、つまり、何故、雲が地上を彼女の視界から覆い隠してしまわないのか、と言う点だ。それは、雲が全部我先と白い渦の構成部位としてそれに成りに行こうとしてしまっているからだった。だからあれはある意味只の雲の渦なのだ、だが何故、先に言ったように只の雲の渦よりも圧倒的に扱っている物理要素が多いのか、それはこの雲達が自分たちが雲であった事を放棄しているからだった。雲の役割は、単純に雨を降らせることだ。雨と言う行為で常に地上との友好関係を守ってきたはずの雲、それが皆をして今度は空の渦の中へ雨を降らせようとしてしかしそんなもの降らせることができる訳が無いから液体を自分の中に溜め込んで遂には白いゲル状の空中愛液になってしまった。雲の渦は、雲が、渦である、という事以外に見るべき物理要素が特に無いが、この白い渦に関しては、雲を雲でなくさせる何らかが、雲を渦にさせている、雲を雲でなくさせる何らかが、雲の渦の真ん中に彼女を誘い込もうとしている、そう雲の愛液が空の渦の真ん中に来ようとしている彼女への射精への期待感に小躍りしながら渦巻いて、彼女を誘い込もうと自分の愛液の魅力をこれでもかと彼女に見せ付けているのだ、扱う物理要素が、同じ規模の中で無生物的であるものから生物的なものへと変貌しているならそれが圧倒的に多くなるのは当然だ、特に雲を雲で無くさせている彼女を渦の真ん中に誘い込もうとしている何らかは空の新要素としてはあまりにも新し過ぎる、巨大過ぎる異物なのだ。それを彼女は睨んでいたのだ、目を背けていたのだ、地上を振り向いて、自分のかつての純潔を思い出して自分の心を何とか正常に保っていたのだ。それは愛液を顔面に掛けられてしまう膣内に注ぎ込まれてしまう前の女のささやかな抵抗、処女だけが持つ男性の性支配への敵対心、処女の凛だ。顔面に掛けられたり膣内に注ぎ込まれたらその時点で終了してしまう女としての純潔を彼女はまだ守っている、彼女はいずれ抵抗するまでも無く愛液を顔面に掛けられたり膣内に注がれたりする事実を知っているが、それでも今はまだその状況には無い、彼女は性行為への最後の抵抗をする、処女を今正に捨てようとしている少女だった。
 だが、その抵抗はいまやもう、危い。今、世界は初めての夜を迎えた、空と、彼女の、記念すべき最初の夜、初夜だ。夜、それは黒い、しかし彼女にはそうと見えていない、白と黒の中間色、灰色の夜が何処までも広がっていた。彼女はこんな光景を今まで一度だって見たことが無かった。見たことが有るとすれば、灰色を孕んだ雲が全天を覆い尽くしているような状況、それが有る位だったが、今は夜だ、灰色を孕んだ雲の灰色も黒に沈んでいなくてはおかしい状況なのだ、それでも彼女の目にはくっきりと、灰色の周囲が映っていた。彼女の目は、もはや手遅れだった。雲の愛液を見すぎたせいで、世界を色を的確に捉える事が出来なくなっていた、彼女は空の純愛に汚染されきっていたのだ。彼女は、空に抱きすくめられてからの十時間余り、一度として涙を流したり笑ったりした事は無かったが、今は、頭を抱きかかえて、泣いて、笑ってしまっている。もう彼女は知った、彼女には二度と、いろんな異常を喜んだり悲しんだり出来る笑う事泣う事が与えられない事を。彼女は状況を諦めたと言ったが、それは諦めと言うよりも、我慢だ、諦めと言う状態が真に深まると、心の何処かからまだ諦めていなかった自分が急に浮上してくる、当然だ、生きている人間で、何か決定的なことを完全に諦めきれる人間はいない、食べる事を諦めても絶対にそれを諦めてはいないし、性の結合を諦めてもそれを諦めてはいない、普通に生きることを諦めてもそんな事をしている事自体が諦めていない事の何よりの証拠だ、諦めと言う言葉は、何処までも仮初だ、自分の中で欲望と言うわがままな子供をあやす理性と言う親、これが諦めと言う行為における構造だが、この理性と言う親には何か決定的なものというものが無い、理性は、生きていく上での絶対条件ではない、欲望がちゃんと成立していなければ、子供が満足に生きていくことが出来なければその存在理由が全く無い立場だからだ。言い方を変えれば、理性にとっての決定的なものとは欲望なのだ、親にとっての最優先事項は子供なのだ。今、彼女の中の子供が死んだ。普通に生きていくと言う欲望が、たった今親の目の前で息を引き取った。彼女の中には今はもう、拠り所の無い決定的なものの完全に欠如した親が只一人、正常に知覚出来ない完全に黒い訳でも白い訳でもない全く決定的な感じのしない灰色の無気味な温もりの中で怯えているだけだ。普通と言う子供を無くした彼女に対して、この空と言う子殺しの雄獅子は彼女と今度は異常と言う名の子供を儲けようとしているのだ。彼女はこの求愛に対し、どうゆう返答を取るだろうか。今この場で舌を噛み切って雄獅子の支配から逃れようとするだろうか、それともまだこの雄獅子の愛の間違っている事を言うだけの気力が残っているのだろうか、彼女の空の黒き純愛に侵食された瞳の奥には、いまだ黒に染まっていない不透明な思いが残っているのだろうか。その回答を持っているのは、恐らくは今の彼女ではない。この夜を越えたところにいる、精神的な破瓜をされた後の、処女の純潔を捨てた後の彼女だろう。彼女に今出来る事は、心の流す処女血を眺めながら、まだ自分の事をぬくもりで包んでくれる風の耳元を過ぎ行くのを聞く事だけだった。

第五節「エンジェル・クライ・イン・ザ・スカイ」

 アサが、来た。いや、朝など来ていない、少女の夜はまだ明けていない、少女の精神はいまだ空の狂気のシロと愛し続けている、ふたりの長い長い愛の確かめ合いは永遠に続いている。その証拠に少女の視界は純白になった、一応のアサ、光の主張が夜の沈黙を無視するこの刻に有って少女の視界は灰色を脱してはいたが只その灰色の明度が世界を覆い尽くさんばかりに肥大化した、つまり、少女の視界にはもう、何もない、空の純愛色白以外に少女の瞳が捉えるものは何もなくなった。だが、少女は立ち上がっている、頭を抱え泣き笑うのを止め、たどたどしい足取りではあるが確実に、飛翔を、再開している。一体この少女を突き動かしている感情、空の愛という激流に飲まれてしまうことなく尚それに逆らって川を上って自分の到達すべき場所まで行かなくては成らない、という決意、状況への愛は一体少女のか弱く小さな体の何処から沸き起こっていると言うのだろう。少女の体はか弱く、そして小さい、だがしかし、心はそうでない、心はその弱き体を守護する騎士として彼女の中に居る、心は空の愛という血塗られた巨剣を跳ね返し、無数の鏃をその一身に受け、その抜き取った鏃を武器にしてさえ今この状況という戦地で必死に彼女の歩むべき道筋を切り開こうとしている。そしてその戦場はいまや一寸先は闇、とでも言うべき状況、そう、愛という名の盲目、白き闇、に閉ざされきっている、心と言う騎士の乗る決意と言う白馬の進むべき道は、何処にあるのだろう。その道を明るく示す存在、彼女の決意を愛する存在、彼女の歩みを祝福する存在、それは、この視界に頼る事の全く出来なくなった世界において、只一つ以前と変わりなく彼女に一片の普通を与えてくれる、以前地上で喜びの中で外を走り回っていた、転げまわっていた、はしゃぎまわっていた時の記憶、その記憶に寄り添うようにしていつもそこに有り、その沈黙で微笑し、その暖かさで抱擁し、その透明で彼女の世界を美しくさせてくれていた、そんな永遠の子供の理解者、そう風だ、風は吹いている、風は彼女の視界だ、風は、彼女の目となり、意思となり、彼女の手を引く親となり、彼女に絶対の安心感と信頼とを齎しながら、歩む道を、目には見えないそれでも確実な何かに繋がる、空の上の空色の橋を、彼女の前に示し続けていた。
 彼女には思うことが有る。この風、この風は特殊だ。風は普通地上に平行に吹く存在だ、地上に平行に吹き、見知らぬ土地から訪れそしてまた見知らぬ新たな土地へ旅立っていくそういう存在だ、風は常に新しい、風には方向性が有るからだ、古い風が過ぎると必ず新しい風が他所から旅してやってくる、彼女はそんな風の流れに、さようなら、そしてこんにちは、と、心の中で挨拶をするのが好きだった。だがこの風は違う、この風には有るべき方向性がない、この風は地上に平行に吹いていないのだ、果てしない高度から地上に向っている、早く地上に辿り着いて、そしてまた新しい旅を始めたくてしょうがないのに、それでも果てしない高度から旅を始めなくてはならない、空の高みに留まらなくてはいけない理由がある、そんな事を彼女に感じさせる風だった。この風は、何かに捕われている、そんな事を思わせるのだ。彼女は自分の思いが、果たして非透明か、不透明か、と言うことを知りたく願って行動している。つまり彼女には、この風が停滞しているのは、ひょっとして空の罠なのではないか、と思う部分があるのだ。普通ここまで陵辱されたらもう歩けない、恐らくこの風が無ければ彼女はあの夜に舌を噛み切って空との愛の契りから自分を解き放っただろう、死と言う名の絶対の黒い夜に自分を凍り付けたに違いない。だが、彼女の心は凍り付かなかった、この風の温もりが彼女の涙を乾かし、彼女の笑顔を、狂気の笑顔を、少しでも幸せの笑顔だと優しく誤解させてくれたからだ。もし、この風が、空と言う食虫植物の振り撒く拒否しがたい甘い神経破壊の蜜の予感を運ぶ香りの粒子の流れでしか無いのなら、彼女はもうそれでしょうがない、自分はこの食虫植物に無様に魅入られた一匹の蝿なのだ、この感情は状況に持たされていた非透明でしか無いのだ、もしかしてこれが空の罠でしか無いのなら、それはもう、それでいい、私が幸せの予感を抱き、そしてその幸せと言うのが何処にも無いのだとしても、その幸せの予感を抱いたまま死ねるのなら、黒い夜に深く深く落ちてゆくのが幸せの予感と言う夢と共であるのならそれはそれで構わない、とそう思っている。だがもしそうでないなら、この風は私に救いを求めているから吹き続けているなら、そこには私の意思が入る、私はまた新しい風との、さようなら、そしてこんにちはをする為の最初のきっかけを作る事ができるかも知れない。私の手を取って歩いてくれた風と、今度は自分から手を取ってこの牢獄から抜け出す事が出来るのかも知れない、そう思っているのだ。彼女はその牢獄から抜け出すと言う事が肉体を伴って、つまり以前までの普通に戻れると言う意味で抜け出せる、と思っていたがその考えは甘かった、と言うことを知った。もう、彼女は普通の人間には戻れないだろう、彼女は今でさえ自分の体が上手くコントロールできていない、今彼女は常に涎を垂らしてしまっている、空の愛液を排泄しようとしているのだ、何処にもそんなもの入っていないのに、彼女の頭はもう空の愛液が自分の血液になってしまったのだと言う位に本気で自分の体を拒絶している。彼女は自分が汚されてしまった事を本気で拒絶しているのだ、自分は汚されていない世界の住人でいたい、しかしもうこの肉体を伴ったままでは汚されていない世界の住人にはとてもなれそうに無い、ならば。風の手を取って風の世界へ連れて行ってもらおう。風の世界へ連れて行ってもらうと言う事、それは、風と同格の存在になると言う事だ。それがどういう事になるかも、彼女は知っている。それでも彼女は歩いているのだ、彼女は選んでいるのだ、消極的な死ではなく、積極的な死を。残された選択肢から、確実に後者だけを選択したのだ。前に歩かない、つまり、その場で死ぬか、それとも無様に戻れるわけの無い地上を目指すか、それを選んでいないのだ。地上を今更目指しても、ここまで来るのに十時間以上が経過しているのだ。戻るにはそれの倍以上の時間が掛かるだろう、もう体が活動する為のエネルギー源が無いのだ、そして地上に戻ったとしてもそんな物を獲得できるとは思えない。それ以前にこの世界の物理は異常だ。空への飛翔以外の行動は何も許されていないのだ。人は、ジャンプすると、ジャンプして空中に上がる、と言う部分では紛れも無く自分の力による行為になるが空中から地上に戻る、という部分では自分の力は何処にも関わらない、そこに有るのは重力の影響力だけだ。だがこの世界は、空が重力を支配している、つまり、ジャンプした人間を下降させる事を許さないのだ、そして下降する事を許されない人間はそれをどうする事も出来ない、下降すると言う動作を持っていないからだ。だから、彼女が狂って地上に戻ろうとしても何も起こらない、目を見開いて全く近づいてこない地上をずっと見つめていることしか出来ない。それを選択しないという意味で彼女はまだ正常だ、だが、自分の死を目指して歩いている人間が正常と言えるのか、それも怪しい事だった。彼女は、汚れた自分を捨てるために跳んでいる。飛ぶ動作一つ一つで、汚れていない存在、天使に近付けるとでも言うように。少なくとも、白い世界で、純粋な思いを胸に、透明な風に導かれ、静かに無駄なく飛び続ける彼女の姿は、天使そのものの様であった。彼女の涎は、目から流れ出る人間の涙ではなく、人間の瞳からは流れ出ない天使の涙だったのかも知れない。

第六節「いつか、青い青い空に」

 少女が歌っている。それは少女がこの空に閉じ込められてからずっと心の中で、心と言う止まり木に翼を休めていた小鳥が口ずさんでいた歌、彼女がずっと耳を傾けて心落ち着けていた歌だった。それを今度は少女が囀る、心の止まり木からその幻の小鳥が飛び立っていくのを、見送る為であるとでも言うように。小鳥、青い翼青い瞳の青い青い歌を歌っていた小鳥は、白い空の何処かに、消えた。彼女はそれを満足げに見送ると、前に向き直り、そして、彼女自身もまた、白い空の何処かに消えた。

第二雪
「ようこそおねえさん、ずっとまっていたんですよ!ひとりぼっちでさみしかったんです、だからいつもいつもここからみていたんですよ、おねえさんがはやくここにきてくれないかなあって!ここ、どうですか、すてきだとおもいませんか?ここがあたしのうちなんです、かぜさんがくれたあたしのうちなんです、おほしさまたちとおなじにそらのうちをもらったんです、でも、おほしさまがぜんぜんあそびにきてくれないから、へんだなあとはおもうんですけど。でもよかった、おねえさんがきてくれて!おねえさんがきてくれたからこんどからはおほしさまにここにきてもらえないかなあってかなわないねがいごとをしながらさみしくすごしているひつようもなくなりました、とってもうれしいです!
 おねえさん、ふしぎだとおもってますよね、なんでくもさんがあめをふらせることをしなくなったのか。それは、あたしがくもさんにもうあめをふらせるのはやめて、せかいをはいいろにそめるのはやめてっておねがいしたからなんです。あたし、このうちにくるまえにはいいろのせかいにとじこめられてて、それではいいろがとてもかなしいいろであることをしったから、くもさんに、そうゆうことはやめてねっていったんです、はいいろはかなしいいろだからって。そうしたらやめてくれて、でも、そのかわりおねえさんをここにつれてきてもいいかっていうんです、あたしはそのときやっとおねえさんがちじょうにいることをしって、それで、やっとこのうちにすんでくれるおともだちがふえるんだっておもって、うれしくて、はいいいですよってこたえたんです。それでおねえさんがいまここにいてくれてるんですけど、らんぼうなまねきかたをしてしまってごめんなさい。でも、ほかにほうほうがなかったんです、あたしさみしくてしょうがなかったから、どうしてもおねえさんにここにきてほしかったから、こんないっぽうてきなことになってしまったんです。
 ああ、ずっと夢だったんです、こうしてここでだれかとあそびながらくらしていくのが!おねえさんも、あんななんにもなくなってしまったちじょうでくらしていきたいとはおもわないでしょう?」

 少女は嬉しそうに、そう語った。もう一人の少女、ここまで上って来た飛翔して来た彼女に。この少女は、一体誰なのだ、ここまで上ってきた方の少女はそう思った。こんなところで一体何をしているのだ、ここで暮らしている?ここで私を待っていた?そしてこれから私と二人でここで暮らそうとしている?と言うより、暮らそうとして私をこの事態に巻き込んだ張本人なのか?しかし、それにしては余りにも可笑しい、なんだこの少女の無邪気な笑顔は。子供の笑顔ほど残虐なものは無い、それは残虐な行為で悦びの笑顔になれるのは狂人か子供だからだ、そういう考えが有るが、これはそうゆう笑顔ではない、そうゆう笑顔の時は子供も狂人も目が笑わない、そしてその目が笑っている者の狂気を示すのだが、その目の奥に有る物はそうゆう冷たい輝きではなかった。とても暖かい、本当に自分の言っている事が正しいと信じ切っている者の笑顔、そしてその正しさを相手に伝えるだけの誠実さを持った目、正しい笑顔、狂人のそれではない子供の無邪気な笑顔そのものだった。だから、と彼女は思う。この少女の周りの何かが、狂人なのだ。この環境は絶対に狂っている、でもこの目の前の少女は狂っていない、だとすると、この環境には何か他の歪さが有る、そう、確信した。
 それに、この少女は自分が人間で無くなってしまっていること、風の子に、なってしまっている事を分かっていないと言った様子だ。それはしょうがない、風の子になってしまったことを分かるには、風の子ではない子、人間の子と出会いそしてその子と遊ぶ事が手を繋ぐ事が出来ない、おはようやまたあしたを言う事が出来ない事を知らなくてはならないのだろう、彼女とは違って、この少女には死の覚悟を持ってこの世界に入ったのではない雰囲気がある、夢の中にいるとでも言えばいいか、先ほどもこの少女は、夢を口にした、彼女とここで暮らしていきたいと。こんな絶望の環境下で尚この環境に留まりたいなどと言う夢を語れるのは狂人か子供だ、何も知らない子供だけだ。そしてこの少女は彼女の身に何が有ったかなど、分かる術も無いのだ、彼女が何故今風の子としてここに存在するかなど、ゲル化した雲に飲み込まれて窒息した彼女がどうなったかなど、風の子と人間の子の区別のつかないこの少女には、分かる筈は無いのだ。
 だが一つ、この子と彼女には共通認識が有るらしい事は分かった、地上には、何も無い(彼女は空に抱きすくめられて目覚めたのだったが、その時から既にその状況だった)、つまりお互い状況が異常である事は、程度の違いこそあれ分かっているのだ、その程度の違いと言うのは、この少女が空はまだ素敵であると信じている事、そして彼女が空はもう地上と何ら変わらない場所である事が分かっている事、その点だ。この少女の空への幻想を解き放ち、そして私はこの子と地上に帰らなくてはならない、そう彼女は思った。たとえ地上に帰ったとして、何も無いのは分かっているが、人間の子であれ風の子であれ、その有るべき位置はここではない、地上なのだから。
 だが、どうやって戻るのか。この世界には、上昇以外の行動が許されない、下降は無い。風は下降していたが、あれは自分を招き入れる為の特別措置だったろう、今この段階に及んですんなり下降させてくれるとは思えない。下降させてくれないものの母体、雲を雲で無くさせていた母体はなんだろう。それを探さなくてはいけないと思った。
 先程の事を一気にまくし立ててから、彼女がこう言った事を黙考している間ずっと彼女の事を見上げていた少女に向って、彼女は初めて口を開いた。私と一緒に暮らしたい、というのはとても嬉しいし私も賛成なんだけれど、でもこの家が素敵と言うのはちょっと違うと思うな。少女は、前半部分で明らかに瞳を輝かせたが後半部分でその輝きをすぐに消した。彼女はこの子は実に素直で汚れていないのだな、と羨ましく思いながら続ける。もし、地上に戻る事が出来たら、それだけじゃなくて地上を元に戻す事が出来たら、地上の方に素敵な家が有る、ていうのは、そう思うでしょう?少女はちょっと考えてから、同意した。うん、そう思います、でも、地上は灰色なだけで、とっても怖い場所になってしまいましたよ?
 灰色?この少女の言う灰色とは、空の雲の灰色の事だけではないのか?地上の灰色、それは一体何なのだろう、私が空との夜に見たあの悪夢の灰色か、しかしこの少女の汚れなさから言ってあの陵辱の灰色を経験しているとは思いがたい(そしてその辱しめを受けてからの私をここで眺める事からも隔離されていた筈だ、でなければ、この少女の落ち着き様の説明がつかない)。それに私の経験した灰色は強烈であったとは言え一時的だった、恐らくこの少女の言っている、灰色なだけ、一時的でない灰色は私の経験した物とは別種だろう。彼女はその事を少女に尋ねる。ねえ、灰色の地上と言うのは、どうゆうことなの?私が地上を見た時には、そんなものは無かったんだけれど。少女は吃驚したような顔になった。え、そうなんですか?おかしいなあ、あたしが地上に居た時は、空も地面も全部灰色で、すごく怖かったんですけど。
 そんな事を話しているうちに気付いた、この少女の背後に有る灰色に。ねえ、この石は何?少女は振り向く、そしてその灰色の石を持って言った。ああ、これはあたしが地上からここに来る時に一緒だった物なんです、これも灰色だけれど、でもあたしにその灰色から抜け出るきっかけを与えてくれたとても大事な物だからここに有るんです。
 そうか、と思う。この子は、空の雲の灰色を封印して、そして更に空に地上の灰色を持ち込んでいる。空に有るものの在り方を否定して、尚且つ地上の灰色の凝縮物を空に閉じ込めている。この少女は、知らず知らずに世界の歪みの中心に立ってしまっているのだ。地上に灰色を発散させる事を封印された雲、純白を強要された雲、それがその灰色を発散させると言う欲望のはけ口として彼女の肉体を欲した事、そして少女を酷く苦しめた地上の灰色を二度と風景の中に存在させない為に、その灰色を空の高くに石の形で自分の隣に置くという事。そう言った歪みを少女は生んだのだ。この少女は風の子だ、風の子とは、即ち無生物界における初めの生物だ、無生物界の無生物性を掻き乱す存在なのだ、この少女によって雲は無生物である事を捨てた、この少女によって石も無生物である事を止めたのだ(特に雲の場合にそれが顕著だ。生に目覚めた彼らは、灰色を発散させる、つまり灰色をその身に宿して雨を排泄すると言う事を禁じられた欲求不満を性欲(それも人間の、だ。彼らが"生まれた"、生命を自覚した時に初めに接触した者がこの少女であった事が、丁度鳥の雛が生まれて初めに見た者を親だと思い込むのと同じような原理で作用したのだろう)のそれだと判断したのだから。水と土、その出会いが地上の生命体全ての起源とも言える植物を産んだ事を考えると、彼らにとって見れば雨とは地上と言う子宮に対し注ぎ込む無数の精子だったという事なのだろう)。この少女は、全知全能ならぬ無知全能の神になってしまっている。今、少女の望む望まないに関わらず、世界の全気象はこの少女の力で動いている、だがこの少女はその気象を全くコントロールできていない、と言うより、その気象がどうなっているのかと言う事も全く知らない、雲が彼女を陵辱した事や、石が地上の灰色を全て吸収して空中に留まっている事、そう言った事を全く知らないで居るのだ(勿論、石が地上の灰色の凝縮物で有ると言うのはある程度憶測に過ぎないが、ほぼ確実だろう。雲が無生物で無くなっている時にこの石だけはなんの特殊な性質も備えていないと言うのはまず有り得ない、現に、この石は浮いてしまっていた、少女が手のひらにそれを持つ前から、少女のそばで、自らの意思で)。
 彼女は不思議だった、空が彼女を捕食しようとしているなら、何故一気に彼女を空中に吸い込んでしまって全てを終わりにしないのか、何故、彼女に死のチャンスを与えてまで自主性による到達の機会を与えたのか。今になって漸く分かった、それは、その捕食というのが飽くまで雲の存在の歪みだけが求めた出来事であり、彼女をここへ誘い込んだ力、重力を支配する空の狂気の中心に存在した物は、捕食に何の参加意義も無いこの石の方だった為なのだ。この石は、少女の灰色への拒絶心の表れだ、地上には二度と戻りたくない、もう二度と灰色の地上を経験したくないと言う意志が、この石、地上の灰色の凝縮物に空中に留まる力、地上への下降を拒否する力を与え、その力が彼女をここに飛翔させる強制力となった。だがその石の力は空中停滞と下降拒絶であり彼女を一気に吸い込むと言うような圧倒的な上昇強制力では無かったのだ。何にせよ、この石を地上にまで持っていかなければ事態は変わらない、この石、地上の灰色をまた地上に返さなくては彼女とこの子、そしてこの子を守っていた風は地上に帰る事が出来ないだろう。彼女は、そう言った事をこの少女に納得させなくてはならなかった。
 彼女は自分の来た道を振り返った。そして、その道が希望の道である事を知った。この少女には今までこれが見えていなかったのだろうか。これが見えていたら、少女も地上に戻ろうと言う気になったのかも知れない。彼女も風の子になる前までは見えていなかった物、彼女がここに飛翔する為に歩んできた、空色だと思っていた空の上の橋。それは、虹の橋だった、光の凍結の橋がそこには有った。少女は恐らく灰色と言う闇を司る風の子なのだろう、そして自分はこちらの光の、虹の橋を司る風の子なのだろうと彼女は思った。少女の抱える灰色を地上に解き放って対抗手段が必要となった時、虹の凍結橋、これでその灰色と戦う事が出来るかも知れなかった。それにそう言えば、雲の壁が遮っていてここから地上を見るまでには視界が開けていないようだ。その事も少女に地上に帰る事を拒ませた遠因なのだろう、そのせいで地上はもはや灰色ではないと言う事を知ることが出来なかったのだから。偶然的にか必然的にか少女は実に念入りな隔離の中に置かれていたらしい。どうあれ、ここから連れ出してしまえば外を、地上を見せることは出来る。
 彼女は少女の手を取った。少女は慌ててその力に逆らおうとしたが、彼女はそんなものお構いなしに少女をその光の橋まで連れて行った。少女は自分の家の外、雲の壁の外に出るのが初めてだったのだろう、空中に浮かんでしまっている自分に怯えていた、石をぬいぐるみか何かのように抱きしめながら。でも、浮かんでしまっている事、落下していない事を確認すると少女は瞳を開けた、そして彼女の顔を見た。少女は、自分には見えていないものが彼女に見えていることを言葉ではなく体で理解したようだった。そして口を二度、動かした。自分を外に連れ出す存在、つまり親と一瞬勘違いしてしまったのだろう、その口は、まま、と言う風に動いたに違いない。だが、彼女はこの子の母親ではない、ただこの子と一緒にこの世界から抜け出そうと考えている一人の少女に過ぎない。それでも、せっかくこの少女に親と言う風に誤解してもらえたのだ、風の子として、私が名乗る名は、こうゆう物でも面白いかもしれない。

七色の夏にいまだ冬を抱えた春を連れ出した少女、ナナ
第二季「夏空のアリア」 完

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