Last of the Pieces: Autrue ch Rutuc
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Back:3rd Week「天界の情景」

The Last Week「破壊の記憶・後編」

The First Day「The Wind and I」

 私は何処へ行くのだろう。この暗く開けた深海の様な宵に佇む星と星の狭間に、私の往くべき未だ見ぬ世界は、夜を孤独を絶望への秘められた回答を、抱えながらがちがちと光届かない深遠の冷酷を一人味わっているのだろうか、この私がそうである様に。
 超高度の乾いた凍て付く空気が、私が今ここに存在する為の微々たる絶対空間を護る硝子窓を一心不乱に引き千切らんと私のすぐ側で私の全周囲で狂気の運動能力を行使している。この見えざる空気粒子の悪魔達は、私を血塗られた業の流れる運河へと導く水先案内人か、それとも只私の体と魂を引き換えに終わる事の無い黒い祝福を齎そうかと言う天使外道であろうか。何れにせよ、無情に世界から隔離されて縮こまってしまった弱者に群がる者の表情は分かる、ただ一種類に限定されるその強者としての一時幻想に身を心を浸してしまう切ないまでの卑屈さの発露が顔の表情筋を支配した場合に外部顕現する相とは、どう足掻こうと笑顔に他ならない。そしてそう言った相手への一方的な快楽を示す顔貌に私は答える必要も意味も持ち合わせては居なかった。
 切り裂かれた白い衣服の様な雲形が、私の左右を痛々しげに流れ去ってゆく。私は、ふとそれの一片の切れ端でもいいから、この手で掴んでおきたい、という不思議な衝動に囚われた。それは私の記憶の片隅で眠る、娘と、妻とで何時だったか、笑い合いながら駆け回った夏の日の海辺での一つの些細な出来事を連想させてしまったらしい。
 娘の帽子が飛んだ。それは風の強い日で有ったし、私も日頃の疲れを忘れる積りで思い切りその日常の憩いの絵の中に自分の社会的な枠組みから外れたところに存在するもう一つの、存在しえたかもしれない人生、少年が少年の時の気持ちで少年の時だからこそ存在すると信じ切っていた純粋で綺麗な生き方の中に登場する彼、自分がその人物に重なりたいと言う願いの肉欲から解き放たれた所に有る真っ白で自由な、鳥の翼そのものであるかの様な彼への憧れを、その憧れた光の色合いに最も共鳴する、自分の最愛の人と居る時間、空間、そして感情に投影し切っていたので、一時「風は帽子を飛ばす」等と言うどうでもいい世界物理の絶対真理を自分の中の黒く醜い汚物処理の精神の隔離区域に押し遣ってしまっていたのだろう。娘と、妻と、そして自分の何も見ていない、この現実に引き戻される前に居た幸せの中に有る光景しか視覚する事の出来ない瞳の目の前で、それは、娘の極自然な体の一部だったそれは、娘の小さな頭を可愛く彩り、包む込む様に護る役目を突如放棄して、自分の本来は風に舞う翼であり、その翼の持ち主を探しに行かなくてはならない、とでも言いたげに、娘の人の世の空気に汚される事を知らない高原を踊る青い草花を想わせる清潔な髪を剥れ虚ろな目的を持った飛行経路を辿りながら、夏の白い日差しの真ん中を飛んで行った。
 そして、私は、その帽子を捕まえる事が出来なかった。多分、その帽子に見た哀れな夢への不器用な飛翔が、自分の冷え切って硬くなった淡い想い出の中に凍り付けた自分の汚れずに居られなかった弱さを、線香花火くらいに儚い熱と短い命で、少しだけ、少しずつ、ちりちり、ちりちりと痛みを伴いながら溶かしていたせいだった。
 帽子は、あの日、目的地を見る事が叶わないまま、自分達の呆然と立つ海辺の現実と遥か向こうに描かれた空の果てる事の無い一の字の先に有る理想の真ん中で静かに息絶えた。
 あの日の帽子を捕まえていたら、自分は、こんな間違った道を歩む事は無かったのかもしれない、そんな風に思ってしまったのだろう、私は外の暴虐の世界へと伸ばしていた手を握り締める。こんな手で今更、何を掴もうというのだ。友さえも殺めてしまった、血塗られた手で。
 娘が笑ってくれていた日は遠い。私はきっと、彼女の笑顔を失ってから、少しずつ、少しずつ何かが確実に狂ってしまったのだろう。この時間を飛び越える船が、あの日の彼女の笑顔に辿り付いてくれるといいな、そんな風に思って、私はこの日初めて笑った。そして、笑いながら、子供の様に泣いた。

The First Ray: "Sky-Blue"

 この世界の明るさの意味が見えてきた。そして、私の存在が永らえた意味も。私はそう、外部に出た精子であり、この明るさとは、その精子を卵子まで正確に導く為の物だ。そして、ずうっと明るいということが何を意味するか?それは、私と言う個体の生命に世界の明暗の切替が、活動存続の時休眠停止の時の入れ替わり立ち替わりが必要とされていないと言う事だ。つまり、私には早期に卵子と合体する事に因るか、他の精子との戦いで朽ち果てるかして消滅する事が期待されている、のである。そしてそんな死を間近に控えた生に、休息の余等全くの無意味なのだ。
 あの過酷に走破した三百日間、あれは紛れも無く私と言う個体に課せられた試練だった、選び抜かれた精子だけが、この世界の究極の勝利、受精を勝ち取る前段階の予め準備された淘汰の儀式だ。今この景色を見ればよく分かる。この明るさを前にしてようやく見えてきたこの世界の真実。手が無かったのでは無かったのだ、顔の真正面よりも外側の幅の世界への洞察がすべて遮断される空間が有ったと、そして走り終えた後の空間には、常に計算され尽くした、この世界の真実へ手を伸ばそう等と言う疑いの種子の発育条件から懸け離れた十分な安らぎの仮想母胎が、用意されていたと言う事だ。その一つの面影が、あの肉の元となる動物と言う犯すべき他者、「まだ自分の物でない、肉体で愛すべき女性」のメタファーの不在だ。勝者となる精子には彼が今まで抑圧して来た肉慾の全てを最期の闘いに於いて自分の使命の原動力として使う事が設定されていた(彼女に性的能力が無かったのもその一環であろう)。そして、走り抜けたあの空間は女性の膣に当たる、他の精子の死に様に慄き、現実への逃避感、悲愴感で満ちた精子に生き長らえる好機等有りはしない、あれは自分が目の前の唯一の生に繋がる突破口へ突き進もうとする時の自分の命の懸った集中力を研ぎ澄ませる為に存在した。実際、あの狭隘なる空間に違和を感じなかったのも、矮小な光の投げ掛けの縁も有るが何より、常軌を逸した緊急からの脱出の際に人間が陥るパニック症状にも似た過剰な視神経の集中に因る限定円視界との同一性の利用があった所為だろう。そして今、私はその集中力を試されている。辺りにまるで砂浜に所々在る色取り取りの小石の様に当り前を繕いながら、色んな場所に同じ表情をした私の過去に有り得たかも知れない死のヴァリエーションが転がっている。皆、大体足が以前直線を描けた筈の物体であるとは信じられない程、ひしゃげ消し炭の様な黒ずんだ骨と溶解肉になって散らばっている。手の方の死に位置にはほぼ何の法則性も無く、只自分が何故運動を停止してしまったのかも分からない様な綺麗な形でその生涯を終えている。頭の向きが、我等が女神の居た真正面を死の直前まで向いていた事を示唆している物が多いのは痛々しい。そうではない、地面と接吻したままの物や、顔面陥没をしながら遥か真上の空―彼の望んだ青き光はその飢えた瞳に齎される事は無かったであろうが―を見据えていたりする死体は、彼らの命途切れる瞬間まで、何を思っていたのだろう。
 体の表面が焦げる様に熱い。この光は、精子の緩やかなる殺戮を目指して投げ掛けられているのだろう。多分、私の顔はもう人のそれとは呼べない物になっている筈だ。だが私は目指す。この全てを溶かし全てを一つにしてしまう様な神々しい光の中、何処かに居る筈の、あの日の女神を。どんなに私が壊れてゆこうと、消えていってしまう事の無い、彼女への愛を抱きながら。
 この永遠の、そして人生最後の朝焼けの向こう側に有る真昼の綺麗な青空に、本物の天使の羽根を生やした彼女があの笑顔で待ってくれている、そんな気がした。

The Second Day「Beautiful World」

「アウトゥル・ク・ルトゥク…?確か、ラグドゥーの使徒、機械で出来た翼だけの天使…人の形を棄てた自由なる空気存在…『天使を動かす羽』、と言われる、あの伝説上の?」
「その通りだ、ケイス。そしてそれが、俺達が携わっている計画の裏コードだ」
「裏コード?計画?何の事だ」
 計画…具体的な実態を知らないが、私はその黒い渦の只中に自分が居る事を、よく分かっていた。だがしかし、それがこうやって自己の範疇だけでは無い、人の口から聞かされるとなると、現実としての重みが全く違った。子供が生まれて初めて聞く言葉を鸚鵡返しする様に、或いは何か悪い冗談でも言っているのかとでも言った口調で、私は無意識の内に友の言葉に返答していた。
「表向き俺が関わっている計画が時間超越船の開発、まあ俗に言うタイムマシンって事になっている、と言うのは、知ってるな?」
「ああ…違うんだろ、本当は?」
「まあ、違うとは言わない。時間を飛び越える事には変わりは無いから。ただ、飛び越えるのは未来だけだ、何処かの御伽噺の様に過去には行けない。それも気が遠くなる位の、遥か彼方の未来だ」
「それは…冷凍人間に近いな」
「確かにな。只それと決定的に違うのは、この世界から文明が、人類が消滅しても、冷凍人間の様に管理する側の存在が無くとも、存在を続けて行ける、と言う事だ」
「…どう言う事だ?」
「いいかケイス。よく聞いてくれ。この世界は、もうすぐ終わる。あの狂ったディオニス・キプスが世界を覆い尽くした時点で、もう俺達の世界は一度閉じるんだ」
「な…なんだと!」
「ディオニス・キプス。あれが宇宙船の燃料だなんて話は嘘だ。あの宇宙船事故はこいつをばら撒く為のダミーに過ぎなかった。もうこの国の上の奴らは宇宙になんて期待を持っちゃ居ない。この世界を貪り尽くすまで、ここでぬくぬくしているつもりなのさ」
「…『人ならざるものの血』、か…」
「ああ…あれを開発した奴らの班は俺達科学者連中にもコンタクトを取れない極秘に組織された班だから正確な事は知らないが、あれは人の心を接続してしまう物だと言う噂が有る」
「人の心の接続…どうなるんだ」
「分からない…只、エリクエクの防壁ではディオニスに感染した雨か雪を防げないのは間違いないな。もう2ヶ月もすればエリクエク上空を完全にディオニスが覆う。そうなれば、あの国はもう終わりだ」
「馬鹿な…」
 私はもう、何も考えられなかった。機械兵となった子供達が綺麗に整列してエリクエクを目指して行進して行く姿が、脳裏に焼き付いていた。
「俺達の方の防壁も恐らくディオニス非対応型だ。只、宇宙船を爆破した位置がエインエス・アイオゥを除けばハルクト主要国家の中ではアーキが最も離れた位置にある。多分そのタイムラグで、アウトゥルの血塗られた羽根が動き出す事になるんだろう」
「つまり、そのタイムマシンで、この崩壊する世界を生き延びようと言う訳か」
「そうゆう事になるな」
 しかし…分からない。人のいなくなる、もう人の地では無い星で生きて、何になるというのだ?
「ケイス、お前、奥さんの事愛しているか?」
「え?」
「俺達は、エリクエクみたいな心の豊かさを生み出す素晴らしい文化に触れないまま歩んできただろ?鉄と火で風景が出来ている様なこの国でさ、そんな他人の心を信じ合うなんて言う強さなんて、持つことが出来ていないんじゃないか?」
「…そうかも知れないな。そもそも愛なんて概念自体、エリクエクの歌姫達に出会うまで、本当には実感した事は無かったのかもしれない。只なんとなく、社会の枠組みの中で大きくなって、社会の取り決め、社会の成り行きで結婚して、そのぎこちない家族と言う守るべき自分の世界から逃げ込む様に仕事に没頭して、この有様だ。何にも変わっちゃ居ない。子供だったあの時から、科学だけを信じて生きて来たあの日から…」
「俺もさ…。分からなかったよ、人生本当に守るものはなんなのか。もっと早くエリクエクの連中に出会えてたら、こんな悲惨な結末にはならなかったかも知れないな」
 エリクエク出身の妻。私の事を理解してくれようと、慣れない科学知識を身につけ、私の本当の支えになってくれようとした彼女。私は、その余りの温もりを恐れ、彼女を心の何処かで遠ざけていた。そんな温もりが、突然消えて無くなってしまう事の恐怖に耐えられなかった。なんて、なんて馬鹿だったんだろう。
 友との暗い話題からまた逃げる様に、昼時のまだ日の高い空の青をくすんだ研究室の窓越しに見やる。遠くの方の空が、なんだか赤く滲んで見える気がする。あそこに自分達が見つけた本当に美しい世界が、壊れていき悲しい歌を歌っているのかも知れない。だが、瞬きするとその赤はもう無かった。全てが夢の中の出来事だったらどんなに素晴らしいだろう、
「この悪夢は、いつまで続くんだろうな」
 しかし、友の重たい一言が、ここが現実の一番醜い場所である事を冷たく物語っていた。

The Second Ray: "Fairy-Lamp"

 あかい世界だ。すべてがあかい。わたしをみたしている世界のすべてがまっかだ。さっきからくちのおくからたれながれてくるちへどさえきれいなかわのみずのながれにおもえてくるほど、むこうのほうにあるさきゅうがかぜにふかれてくずれていくさまがこなごなになったばらのかべんがそらをまっているふうにみえるほど、あかい。わたしはてんをあおぐ。そしてそらのぜんたいをおおうゆらゆらとしてしんぞうのようにみゃくうつものをかくにんする。そのくうきのけっかんがこどうするおとはきこえない、もうこまくはきのうしていない、さっきからみみのあなはちではないとおもうがなんらかのえきたいがとろとろとこぼれおちてきていて、そのえきたいのふだんひふにふれるべきではないせいしつのあかしとしてかおのさゆう、みみふきんのぶいがへんにねつをもっていて、いたい。ときどきじぶんがまっすぐあるけていないことにきづいてからだをまっすぐにしようとするとさらにからだのばらんすをくずす、つまりわたしのばらんすかんかくじたいがもうくずれている。だからばらんすをととのえようとするのをやめたが、やめるとこんどはしかいが90どくらいかたむいたりする、くびのきんにくのどこかがひかりにやききられたのかもしれない、つまりいまくびのほうこうをしはいするのはじゅうりょくと、くびとじめんとのあいだにあるしょうがいぶつとしてのじぶんのにくたいだけだ、いまはどうやらひだりかたがあがっているのでみぎにくびがいっている、ちへいせんがたてにみえる。たてにみえるちへいせんをあるこうとしてあしがありもしないそくめんをあるこうとしてしまう、そのかんきょうてきおうをとめることができずわたしはさっきから25ほから33ほのあいだでてんとうしている。さいわいてんとうといってもあるくそくどじたいそうはやくはないのでうけみをとるためのてがいまやふずいするにくとほねのやなぎでしかないこのじょうたいでものうにちめいしょうがおよぶことはない。のうにちめいしょうがおよばないのでいまややなぎでしかないてがじめんにはげしくまさつするときのいたみのかんかくもいまだじゅうぶんにきのうしている、ころぶたびにさゆうどちらかのてがくるおしいほどじめんにこすりつけられてわたしはこえにならないひめいをあげる、たぶんちょうかくがまだあったとしてもこのひめいはちゃんとおんせいとしてききとることはできないだろう、のどをふくめて、こうないはもうかんそうしきっていてうごかそうとするとくだけるのではないかとおもうほどいたむからうごかさない、そしてこのはっせいにかんするいちれんのそしきをしんどうさせることをしなければこえはおしつぶされたありのあっしゅくおんれべるでしかだすことはできない、そんなくうきしんどうはこえとしてがいぶにとうたつするまえににくのかべにきゅうしゅうされてきえてしまう。ああころんでしまう、またたてのちへいせんがよこにながれていく。そしていたみだ、もういたみのかんかくがわたしをころすのではないかというくらいきょうどのきけんしんごうがやいばのついたじょうほうとしてわたしののうにつきささってくる。そして、たつ。たつときはもうてがつかえないのでなんとかあたまをじめんにおしつけるようにしてしりをうかせるようなしせいでまずあしからからだをもちあげる。そのあとひざをじめんにこていしてあたまをうかせる。あたまをうかせるといってもくびのきんにくがしんでいるのでじょうはんしんでうかせる。あたまはいがいにおもいのでじょうはんしんがちょっとそるようなしせいまでもってくる、ちょうどしたをむいているかおがじめんにくっついているひざをまっすぐみつめるいちになる。そしてそのじょうたいをそらしたしせいでつまさきをじめんにくいこませるようにしてまっすぐにたちあがる。これをいままで176かいやった、いま177めにしてひとつちがうことがあった、やなぎのようなてがさっきのしょうげきでいっぽんなくなってからだをはなれていた。みぎてだった、だからいまはもうすでにひだりのほうがからだがおもい、うまくたたなくてはさいしょからばらんすがくずれてしまう、さいしょからばらんすがくずれるところぶまでにへいきんしてあるけるきょりはかくだんにちがってしまう。これはさけたかった。さけたかったのでいっそもうかたほうのてもちぎっておこうとおもった。そのばでなんかいもひだりてのほうからころんで13かいでようやくぼろっととりのぞけた。これでしっかりあるくことができる。わたしはほっとしてまたたちあがろうとする。たちあがろうとしたところで、ぽと、とくびすじにえきたいのかんかくがあった。くびをじぶんであげることはできない−てんをあおぐのはめせんだけでやった−ので、ころんであおむけになった。あめだ、とおもった。とてもきもちがよかった。わたしはそのあめにみたされたまま、きゅうにしにたくなってきた。じぶんはなんのためにこんなかんきょうのなかをくもんするせいのれんぞくをせんたくしているのだろう、いっそもうじゆういしによるせいのせつだん、じさつをもとめてもよいのではないか。しんではならないこんきょはなんだ。じゅせいだ。じゅせいのかちはじさつのあんらくにまさるのだろうか。かのじょののこしてくれたせいのかちがじゅせいのかちにひとしいのだから、じさつをえらぶどうりはないはずだ。ならば、かのじょへのあいのこんきょはなんだ?
 かのじょは、わたしをえらんでくれたじょせいであり、わたしのえらんだじょせいだ。いや、それだけではあいではない、あいはあいてのためにしぬかくごをもつかどうか、あいてのいのちをじぶんのいのちよりこういとみるかどうか、できまる。そしてかのじょはそれをじっせんした、わたしのいのちをかのじょのいのちのそんぞくよりもゆうせんした、だからかのじょのあいのありかのたしからしさはじゅうにぶんだ。だがしかし、かのじょはほんとうにそのあいだけのためにじぶんのみをとしてまでわたしをまもってくれたのだろうか。わたしがそのかのじょのぎせいのためにまもろうとするこのいのちのかちはどこだ。
(ナーユ…)
 わたしがけっこんしてつまとしてもなお、あいすることができなかった、けっこんいぜんのだんかいすらこえていなかったかのじょ。かのじょへのみれんが、わたしをいまのこの世界へとみちびいているのだろうか。かのじょへのつうれつなつぐないのねんが、てんしだとだんていされていたかのじょのじこにんちをつらぬいてねむっていたはるかかこのきおくをよびさましたのかもしれない。かのじょがわたしをあいしてくれていた、そのきおくを。いまではもうとおすぎてはっきりおもいだすことのできないあいまいな、だけれどとてもたいせつなきもちのために、わたしをすくい、じぶんをなげうって、えがおのままに、しょうめつしていったのだろうか。わからない。ただ、どちらにせよ、わたしのからだにやどるこのいのちこそが、かのじょのありか、かのじょのそんざいそのものであることにはかわりがなかった。そしてわたしは、そんなかのじょのじゅんすいなおもいのこもったこのいのちをなげすてることなどできない、わたしをあいしてくれたかのじょを、こんどこそ、あいしとおしてみせる。
 あのときわたしがおもった、てをなくして、てにはいる、とべるわけではない、ちいさな羽根は、このむねのなかにあったのだ。そうかくしんしたときには、わたしはもうふりしきるあめのなかでたちあがっていた。そしてあめにひやされてこごえそうになっているその羽根を、もうむねのなかにしかない、ひとの羽根でだきしめた。

The Third Day「Last Sunset」

「…何を言ってるんだ…?」
「待っていたんだよ、今日と言う日を。お前が研究を完成させて、何もかもに絶望して、この国を、この国と共に在った自分自身を棄てて、その最後に俺に会いに来てくれるであろう、この日をな。もう研究室の連中は全員帰した、俺とお前、二人きりだ」
「…だからと言って、何故俺がお前を殺さなくてはならないんだ!?」
「…もう、俺は自分の腐った研究に手を出したときから死んでいたようなものさ、世界がこういう風になってしまう事を聞かされて、尚その原因の核に携わっていたんだからな。だから、最後の別れに、この国と共に在った、この国と共に在る事しか出来なかった俺も、お前と一緒に旅立たせてくれ、お願いだ」
 友の手に握られたナイフの銀が、この薄暗い研究室の中で一際に眩しい。その眩しさの中に、自分が逃げ込んで行ける輝かしい天国が見えるような気さえしてくる。そして、その光の中にぼやけて映る哀れな男二人の輪郭が、二人の内のどちらか、或いは両方が今にもその世界の中ではっきりとした存在となって行く事を象徴しているかの様で、物悲しく見えた。
「…待ってくれよ、俺には、人を…ましてやお前を殺す事なんて…出来ないよ」
 出来ないよ、か。なんて薄汚い嘘を付くのだろう。お前の研究成果は人殺しの効率化、子供をその親を不幸にする為の戦時産業プロセスの開発だろう?しかし、どんなに人としての正しさを見失っても、私はこの男だけは殺す事が出来ない。この男と、この男の中にいる、きっと人として認めて貰えている幸せな私だけは、失いたくない。
 彼は笑った。優しい笑顔だった。そして、その笑みが嬉しい事、喜ぶべき事を一つも表現していないと言う感じの、子供が許しを請うような、そんな笑顔だった。
「そう言うと思ったよ、お前は昔からそうゆう奴だったよな。自分の意見ばかり見て、相手の意志は殺してしまう。だから相手の意志がお前の意見の尊重だったとしても、そんな物は信じてこなかった、そうだろ?俺と同じだよな、だから俺達はこんな殺伐とした鉄の檻の中でずっと上手い事疵を舐め合って来たんだ。お互いに触れ過ぎて傷つけ合う事も、離れ過ぎて不安になる事も無く、檻の格子の間から手を伸ばして、その手を握り合う事で分かり合った様な積もりになってとりあえずの安心を得て来た。でもそんなのじゃダメだ、ダメなんだよ。俺達が本当に狂いそうな程汚れてて痛んでて舐めて欲しい疵は、その檻の向こう側の、鉄に体温を奪われてすっかり凍えてしまっている、凍え過ぎてその痛みさえ忘れてしまっている、この胸に有るんだからな」
 それは、私に向って言っている言葉ではない、他人にそんな極限の依存を訴える大人なんていない、それは、母親の愛を知らずに生きて来た子供の飢え、その飢えの癒し方を知らないまま大人になってしまった人の嘆きだ。そして嘆きは、人が終に望みを手にする事が出来ない事を悟った時に叫ばれる。全ての明るい可能性の終局点、人にとっての死に際、彼は遺言を言っているのだ。
「でももうダメだな、そんな疵、もう何処に有るのかも分からないから。そんな何処に有るかも分からない疵を探して、随分自分の体を傷つけたよ、こいつでさ」
 そう言って、彼は白衣の袖を捲って見せた。今まで見たことも無い彼の暗部だった、まるで彼の人生とは彼を何処まで傷つける事が出来るか、という事が目的だった、と思わずにはいられないほど、無数の傷痕が細い腕に広がっていた。
「…頼むよ。これ以上惨めになりたくない。これ以上惨めになったら、きっとお前は俺が友である事を許してくれないだろう。だから、俺がお前の友人でいられている内に、現実世界に有る小さな夢の中で、綺麗に消えさせてくれ」
 気付くと私の手はナイフを握っていた。いつの間に、ナイフは私の手に有ったのだろう。彼の話に気を取られている間に、そっと握らされていたのだろうか、それとも、話の中で自然と私は無意識の内に彼の悲しい願いを叶えてやろうと言う気になっていたのだろうか。それとも、私自身が、この友人の唯一の救いで有る、少しばかりでも生きている価値の有る内に、消えてしまいたいと思ったから、なのだろうか。
 ナイフを見詰める。輝く光の天国が、さっきよりも近い。私の輪郭もはっきり、鮮明に映っている。

「…これが悪い夢で有ってくれて良かった。いい夢は、醒めた後が余りにも悲しすぎるから…」
 彼の瞳は、沈み行く赤をずっと見詰めていた。その瞳に映った色が消えた時、私は彼の瞼を閉じてやると、そっとその場を後にした。

The Forth Day「破壊の記憶・青年編〜貴方の天国・序章〜」

 もう涙と言う涙を出し尽くして、凝り固まったような口元の引き攣りを湛えながら、私は座席の背凭れに体を死体のように預けて、何処を見るとも無く、只、顔面の真向いに位置する風景を眺めていた。濁って乾いて汚泥の張り付いた視界を、同じく人に汚されて煤けている味気無い雲が左右に引き裂かれながら無目的に流れていく。当然だ、私の搭乗するこの船の航跡自体、何の目的も無い。友と永劫の別れを果した後、そこに憐れな人生の落伍者を回収する為とでも言いたげに機械的な作業音を轟かせながら気怠げに開いた口に吸い込まれる様にして、人の道を踏み外した者が次に歩むべき路を指し示しているのだと言う不条理な条理に裏付けられて、入っていった新たな鉄の檻、それがたまたま友の用意してくれた逃避口だったと言うだけだ。そこに私の行動意欲、生への意志は存在しない。有るのは友の不器用で滑稽な程まっすぐな信頼、そして託された未来への希望だけだ。未来への希望、その姿は全く想像がつかない、もう存在を止めてしまうと言う人類、少なくとも人の形を棄てている彼らの住まう世界、そんな所に一体どんな希望が存在すると言うのだろう。そして、そんな世界を願った王は、何を思い、何に狂っていたのだろう。
 超越年数表示計の数値が億単位に入る。辺りを覆う切り裂かれた雲の断片達が段々と粘着性を帯びた物になって来ている。前窓にぶつかる雲に質量が感じられるようになって来た。その衝突感覚は車で人を全くの躊躇無しに吹き飛ばす時の感触に似ていた。その連想を抱いた途端この雲達がいちいち切れ端である事への回答がおぼろげながら吐き気と共に浮かんできた。これは、かつての人類の姿なのかもしれない。そう思った刹那、悲鳴が聞こえた。何処から聞こえて居ているのだろうと思って辺りを見回すと硝子窓に見慣れぬ醜い男の顔が映っていた。不愉快に思ったので視点を正面に移すとまだその男の顔が有る、耐えられなくなった私は下を向く、下を向いた拍子に今まで込み上げていた物を一気に吐瀉した。全ての狂気と全ての異物感、現実否定自己否定を吐き棄てた私の耳に、もうその痛々しい人の悲鳴は聞こえなくなっていた。
 粘着質の雲の領域を越えると、今度は永遠に照らされない事を運命付けられている様な気の遠くなる暗黒世界に出た。闇に目が慣れる余地が有るような生易しい物では無かった、今唯一正確な物の象徴として光源として存在しているのは飛び越えた時間を表す表示計の数字だけだ、十億単位になっている、十億年後のこの星は、光さえ奪われて自分の殻に閉じこもっているとでも言うのか。まるで、星自体が生きているような錯覚さえ覚えた、でなければこんな異常な物理が存在し得るだろうか、自分という個体が星の肉体に封じ込められて世界の何も感知できない範囲で活動を強いられる、寄生虫の様な状態を思わせるこの環境が他に如何したら有り得ようか。何処か、人に何も判断させずにただただ生き続けさせようとする間違った優しさを感じた。自分の母胎から胎児を永遠に手放さないで置こうとする、歪んだ愛を。
 サマー、お前は私に何を残してくれたのだ?彼の言葉を思い出す、檻の中から手を伸ばすのではなく、その檻の鍵を神を殺して奪ってでも、人々は抱き合う事を望む、そういう世界ではないぞ、これは。これはむしろ、手を伸ばして他人に触れられてしまうその檻の微かな隙間でさえ拒んでそれを埋め、単なる壁にしてしまった、そんな全てが閉じ、全てが終っている世界だ、ここから何が始まると言うのだ、教えてくれ。
 …それでも、神はまだ、その世界では生きているんだよ。ケイス、太陽を目指せ。俺らが子供の頃、どっちが最初に太陽の欠片を手に入れられるかって競争しただろう?俺には無理だったから、ケイス、お前がそれを持ってきて、それで俺に見せてくれよ。飛び切り大きな奴じゃなくたっていいから、夜に手のひらの中でじっと暖めてやっと光り出すような、ちっぽけな、天使の髪の毛の一本みたいなのでもいいからさ…
 …分かったよ、サマー。こんな所がお前の天国だなんて認めない。ここはせいぜい、貴方の天国だ、人類の守り方を間違えてしまっている、神様、貴方の。俺達の天国は、今も何処か、太陽の下で燦々と輝いている。その天国は、間違った事を嫌らしい程はっきりと見せ付けて来るし、物事を平気で腐り切ったまま放置してしまう様な場所だけれど、それは俺達が頑張って頑張って綺麗にすればいいだけの事だ。どんなにこの身が砕けようとも、どんなにこの心が朽ちようとも、俺は、絶対に、太陽をもう一度手に入れてみせる。こんな世界の、朧げな、白い偽りの死んだ月では無く!
 二十三億六千四百七十二万三千三百四十五年と二十三時間二十二分、友を殺してこれだけの時間が過ぎたこの星で、私は、自らの死を確信しながら、怒りの奴隷を始める事になった。

The Last Ray of the "Moonlight"

 どれくらい じかんはたったのだろう
 わたしは ただしいばしょに たどりついたのだろうか
 このばで どれだけのあいだ まちつづければ すくわれるのか
 むしろ すくわれない わたしがいることで だれかがすくわれる
 それを まっているのだろうか

 からだに ふりかかる あめは
 いまは もう ゆきになっている
 いや ゆきのような なにかべつのものかもしれない
 ぽたぽたと おおつぶのなみだをながす
 おおぜいの すくわれなかった ぎせいしゃなのかもしれない

 あしがこわれて このすなちで たおれているじぶん
 このおとこの そんざいりゆうは ここで おわるのだろうか
 これで いいのだろうか
 わたしは かのじょのえがおに ほほえまれる そんざいに
 なれているのだろうか

 わたしは じぶんのために わらってあげたかった
 わたしは じぶんのために ないてあげたかった
 しかし もう かおの うごかしかたも わからない
 めの ひらきかたも わからない

 じぶんが なんのために ここにいるのかも わからない

 だんだん ゆきのなみだに からだをおおわれ うまっていくのをかんじる
 あたたかくて とてもきもちいい
 このきもちよさのために ここまできたのだろうか
 そのために いままでのくるしみが あった?
 そのために かのじょのかなしみが あった?
 こたえはないけれど
 これはきっと あのひのかのじょの あたたかさのようなものなのだろう
 ここまできてやっと わたしはかのじょのあたたかさに ふれることができたのだ

 できることなら かのじょにも このあたたかさをかんじさせてあげたかった
 だが もうだきしめるためのうでも
 あいをつげるためのくちびるも
 なにより かのじょのすがたそのものが もう どこにもない
 わたしがめざしたあおぞらに かのじょのすがたは なかったのだ

…私たちを解き放ってくれてありがとう…
…私たちの願いは貴方の願い…
…だから…
…私たちの中に凍結している全ての時間を…
…貴方の願いに捧げます…

The Fifth Day

 立ち上がると、僕は赤く不愉快な世界の只中にいた。その赤を遠ざけたかったので、近くに有った森に入ってみた。そこは薄暗く寒かったけれど、僕はどうにかそこで赤い世界でのざわざわとした気分を落着ける事が出来た。何でこの場所にいたのかも分からない、きっと疲れていたのだろう。そして僕は直に寝てしまった。

The Sixth Day

 翌日、起きてみても世界はまた血のような赤に沈んでいた。気分が落着かなかったので、気晴らしに草の冠を作ってみた。そして倒れていた時から持っていたハープで首から下がっているこの宝石のメロディーを吹いてみた。懐かしいメロディーだった、多分このメロディーを味わいたくて、僕はハープを持って来ていたのだろう。それからも飽きずにずっと、このメロディーを吹いていた。

The Last Daylight
「Angel of the Air Autrue ch Rutuc」

 今日も昨日と変わらず笛を吹いていると、女の子が現れた。この世界の人間は口が無く、機械で体が出来ている様だった。同じ宝石を付けていたのは驚いた。とりあえずその宝石のメロディーをハープで吹いて楽しんでいた。
 しばらくして、女の子は立ち上がり、何処かへ行こうとした、何やら別れの言葉を出力しているようだ。また一人になるのは寂しかったが、こちらも別れの言葉で応じた。

「じゃあね、キャステ」

 この名前は一体何処から出てきたのだろうか。考えている内に彼女はもう何処かへと去っていってしまっていた。何の面識も無かった女の子を追って、僕は走り出していた。そして、気付いた時には抱きしめていた。

 女の子の金属を全て背中に付けた。そして肉体を彼女に分けた。分けたら僕の体は機械の羽根だけになっていた。羽根だけになってしまったので、僕はどうしても空に飛んでいかなくてはならない気がした。
 肉体を分けてしまう前に、その女の子の髪がとても綺麗だったので、一本だけ貰っておく事にした。そしてその代わり、僕は先日作った草の冠を彼女の頭に載せた。可愛らしい寝顔が少しだけ緩んで、微笑んでいるように見えた。彼女の頭を守る役目を得たその冠は、頼り無い程簡素な作りなのに、ちょっとだけ勇ましく、立派な物に見えた。

僕は空を見上げた。
さっきから何故泣いているのか、全然見当がつかなかったから、上を向いた。

 もう、体は空気になってしまったので、あの音の出る宝石も地面に落ちてしまった。なんだか二つの宝石は、離れ離れになってしまった恋人たちの様だったから、もうちょっと二つを寄せたいと思った。でも僕にはもうどうにも出来ない。涙だけは空気じゃなくて、僕の真下に落ちた宝石にぽたぽたと雫が落ちていた。見ると彼女も涙を流していて、それが彼女の方の宝石にもかかってそれを濡らしていた。そして二つの宝石が共鳴した。
 共鳴した宝石の間に光の柱が立ち上り、そして光は天使の形になった。僕は直感的に思った。僕がこんな赤黒い不気味な場所に彷徨いこんだのは、この天使に出会う為だったのだと。彼女は僕の目に見えない手を取って、僕の目に見えない笑顔を読み取って微笑んでくれた。もう僕は泣いてはいなかった。僕はこの人さえいてくれれば、誰にも知られず誰にも触れる事の出来ないこの空気の体でも幸せに生き続ける事ができる。僕は機械と言う人の業を背負い、太陽の天使と手を携えて、空の一部になりに行った。もう空は黒く染まっていた。この次に空に光の広がる時には、この空一杯を澄んだ青で染めてやろう、そう思った。

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