Last of the Pieces: Autrue ch Rutuc
TOPへ


Next:第二週「人を見た天使」

第一週「貴方の天国」

第一曜「全力疾走者」

 私は走っている。それも全力で。
 何かを追っているような、何かに追われているような、そんな冷たい感覚麻痺の拘束具を引き千切りたくて走っている。
 走っている。常に全力だ。
 昔、体力の限界と言う物を理解したと思った。でもそれは違った。それは世界の限界だ。私と言う自由を縛り付けておく事が出来なくなった嫉妬深い地上が私に括り付けた重力と言う名の鉄塊。私は一時的だが途端走力を失う。地上に激しく顔面を打ちつけ、望まぬ接吻を要求される。その相手の味はいつも血の味がして、私は歯と言う歯、舌と言う舌口内と言う口内を全て金属片で構築して行くおぞましい愛情で一杯に包まれる。私には手が無いので、その銀世界を指と言うぜん虫で粘膜の幸福の内にのたくってみたい煩悩を抑える事が出来た。代わりに有る足で地面ではない地面を蹴り上げて無様な二次元世界の飛翔を刳り返す。これは飛ぶ苦しみ!痛い!つまりそうする喜びであると私の体は足から教えられている!そして、私の精神的支配権の肉体への譲渡は、常に世の摂理と言う一元的な鉄扉の突破口を教えてくれた。私は、元来飛び得るのである、と。
 そして走り出す。重力と言う見えざる地に生えた幾つもの豪腕は、私の足にこびり付いた無色無臭の肉片と化し、翌日には太陽を忘れる瀕死の枯草の様に卑屈に拉げている。重力すらも、哀しく脂ぎった変態フライパンの上で汚く調理される玩具食材だった。そして私はまるで同情と言う心情を覚えたての子供の様にその感情を安売りする様な心境で、私の空間的真正面に存在する事を生業とする眼前の暗黒の太陰に食らい付こうとする暗い狼だった。黒き炎の先端で、踊りつづけるピエロット。
 そう、私は走っている。糞真面目に、世界の滑稽を。

第二曜「月の檻」

  音も立てずに今日一日分の狂気を回想の回避の為に念入りに嘔吐しながら、私は下から上へ、そして「また」上へと上って行くふざけたお月様を憎しみ交じり喜び交じりに見送っていた。そして愛らしい疲労感と純真な重力とに思い切り抱き締められ、私は自らの意思とは関係無く全身で彼らを歓迎する。そして唐突に自分に手が生えている事を「思い出した」私は、見えないその双子の頭を血が出る位に愛撫してやった。ついでに先程御預けだった口の中も楽しんだ。どうやら肉の丘には骨の石碑が順序良く立ち並んでいる。
 私には一つの精神と、二つの肉体が有った。もしくは、一つの肉体に二つの精神と言う解釈も夢があって宜しかろうが、どうしてもそれでは筋の通らない単純な理屈が有った。私の精神が連続性を持っている、という点だ。「私」という一つの個性が、自分の二つの肉体を別のものとして認識している。それはつまり、手の生えていない、足だけの時の自分、と、今の様に、足が全く機能を果たせない程疲労の極致に達している状態であり、その不足をどれ程補填するのか甚だ不明瞭だが、とにかくも雑草の様に生き生きとまるで今までの不在を弁解する様子も無くそこにある手、そして手よりは遥かに自分の一部分として愛着と信頼の持てる足、その両方がある自分だ。先程「思い出した」と表現したのは、私が後者の解釈に頗る憧れるからだ(それですら、あまり喜べた状態ではないと思うが)。でなければ、私は自分を新人類とでも解釈すれば良いと言うのか。
 そして今の私、足の不自由を手で補おうという機動力の低下著しい私は、この状態においてやらなくてはならない事柄が沢山有った。と言うより、足の自由を獲得すればそれは即ち運動に直結したので、行動の自由と言えば今しかない。何故なら、私の足の使用耐性の回復は、先程の月の地平と言う胎盤を破る上昇を意味していた。簡単に言いかえるなら、それが私にとっての「朝」の始まりだった。
 月が私の走る行動のきっかけとなるには訳が有る。月の運動は、必ず或る一点で止まる仕組みになっている。それは、私の目の前だ。私が正面を向けば私の視界からその完全円が微塵も外枠を隠せない位置で停止する。外枠、と言う表現になったのは月が所謂日食の時の光輪部分でしか無いからだが、私がその外枠以外を正面だと、つまり、月から目を離そうとすると世界が一変する。私は地面にへばりつく無様な四つ足動物的な存在になる(この時手が無い(はずな)ので二足だが)。そう、月と私の視線とは重力を介した主従関係に有る。私の視界は、月の御姿をこの上も無く有り難く素晴らしく見逃せない物として拝み倒し続ける為の固定枠に過ぎなかった。
 では、その場に胡座を掻き、そして月が静かに立ち上っていく様を眺める事にしよう。そうすれば走る必要はなくなる。だがそれが出来ない。何故か。月が私の「立っている状態での」目の前にあるからだ。私の目線が座っている状態での高さから見ていたのでは月は満足してくれないらしい。必ず私は地上の一部分にされてしまうのだ(ちなみに地形的に私の真正面にいても月が私の視界に収まる事の無いときは、目の前には存在しないのだが、それでも上を向くなり下を向くなり、立っている私の目線とその月とが合わないといけなかった)。
 では今度はその場に立ち尽くすか?それも無理だった。しばらくは持つが結局はまた重力の虜になる。月自身が、どうしてか私の全力疾走と同じだけの速さで遠ざかっているからだ。
 私は走っている。常に、それも全力で。

第三曜「不可逆ランデブー」

 前へ前へと向かう不可思議な文字通りの現実逃避から開放されていた私は、今では現実的な現実、とでも呼びたくなる事情に直面していた。先程までが「朝」の一連行動とするなら、これから足の回復へと向かうまでの時間が「夜」、と言う事になる。不自由していない手という道具を最大限に利用して、次の「朝」への自己欺瞞的な活力を肉体的にも精神的にも補充しておかなくてはならない。これを怠った場合の世界の無慈悲がどの程度かは知らないし、知ろうという程の好奇心も余力も無い。せめてこの「夜」くらいは、束の間の平穏に身を浸らせておきたいものだ。
 そしてその夜行性の人間に課せられた行動が何かと言えば、簡潔に言って食料確保である。ほぼ一日一食を定義付けられている私には、恐ろしく重要かつ難度の高い作業である。光源というものがあのか細い月の外枠から齎される極細微な分量でしかない事、一度として同じ場所に留まる事を許されていないと言う事実が、事の非常さ、非情さを際立たせていた。そして何より、移動には明らかに不向きな手を最大限に生かしてそれを確保しようと言うのは、今日までそれを達成してきた自分を信じられないくらいだった。ある種、もう新人類を名乗っても可笑しくない境地に達しているのかもしれない。
 「朝」に現れるあの月は、唯一の光源なのだから太陽を名乗らせても可笑しくは無いのだが、こんな狂気世界での生活を強いられる以前の太陽への感謝(そんな感情は、以前無かったとはいえ)の気持ちからあの名に落ち着いている。月なぞ詩人の幻想美に彩られていない裸の姿では、全く評価できた存在ではない。
 だがそんな月でも今では程度はどうあれ燈し火である。利用していない訳ではない。この世界の闇のヴェールを脱がせる物と言えばやはりどんな他の五感よりも視覚であり、その視覚に必要不可欠な隣り合わせとなる物といえば光であるからだ。私は「朝」に有って時刻を刻々と有意義に過ごしていく間、何も月の愛に応える従順の証としてのみ目線を行使させている訳ではない。世界の物理を垣間見れるその知の媒介者を通じ、この未知なる悪夢の広がりに佇む有機物無機物の情報を少しずつ取り入れている。
 森を走る事が有り、河を走る事が有る。何日も山を上る時が有り、そして何日も山を下って行く。月はその時々によってその様相を変えていく。森を走る時なら、森の木々の頭上を越え私の視界から漏れない位置で世界を照らす。河を走る時、私の足に揉みくちゃにされる光の飛沫が辺りに撒かれる。山を上る時には、私の行方の遥か彼方に、下るときには、眼下をさり気無く満たしている。そして今の様に平地を走る時、それは私に何かを語り掛ける様な位置でうっとりと佇む。来る日も来る日も、私の忠誠は乱暴な方法で確かめられていた。

第四曜「堕天使の夢」

 私にはちょっとした、今に有っては心紛らす程度の物でしかないにせよ、ひょっとしたら、もしかしたら大きく実を結んでくれるのではないか、私を天へと導いてくれるのではないか、という希望、というか夢が有った。今日の収穫物の若干食感のざらついた芯の有る太目の植物の茎と花粉の強い甘さと辛さの程好い花の花弁を頬張りながら、私は今日も例によってその夢のもたらす空想にふけっている。
 それについて語る前に、如何にしてこの哀れに不自由な肉体の男が恵みの緑を頂くに到ったかは、想像してもらう範囲で十分なのだろうが、少しこの異常世界の生態系について自分が分っている部分での事は触れておこうかと思う。まず、ここまで野性的原始的肉体行動を、それも熱量消費量の莫大な走行を長時間続ける事を迫られている私が何故、より適切で効率の良い「肉」を求めず「草」で我慢できるのか。それは勿論我慢しているからなのだが、その我慢と言うのには酷く根源的な出所が有る。「肉」は、存在しないからだ、自分の体を除いては。これは経験論でありこの世界の真実ではないのかも知れないが(そうであって欲しい)、本日に到るこの生活が始まってからの300日間前後の間、私は一度として動物と言う生を目にする事はなかった。当然、目にすると言っても目はこの世界ではその有用性を大きく狭められている為、これは私が自分の五感、肉体、頭脳を総動員して導いた遣る瀬無い結論だ。山での夜に一度、まるで獣の様に雄叫びを上げてみた。返答は実に良く獣然とした立派な物だったが、だからと言ってそれは空しさ以外の何物も私にもたらしはしなかった。
 この世界は暗黒であり、それならばその動物とやらが存在してみたところで捕えるは疎か、視覚以外の感覚と筋力とに優れる獣相手では、人間の知性を生かしにくい分逆にやられてしまう事のほうが多いだろう(そしてその回数は一回限り)。かと言って、私はそれでも「肉」を求めたろう。その肉を探し回り、疲労困憊する頭脳と肉体を駆使してなんとかその肉を手に入れたとしても、果たして翌日の壮絶な生存への逃走を果たし遂げる事が出来るだろうか。答えは否であろう。かと言って、私はそれでも「肉」を求めたはずだ。この世界は巧妙に、私を生かし続け殺さないようにし続ける様に仕組まれているのだろう。月の私に対する丁重で愛情表現豊かな対応を思うと、そんな被害妄想的な発想もすんなり受け止められて来るから嫌になる。
 その代わり、二足で朝夕、何物も省みずただただ真っ向に位置する光の環を潜らんとして大地を駆け、四足で夜、草木を求め光無き地面を這い回る夜行性なのか昼行性なのかいまいちハッキリしない動物の事は良く知っている。私だ。そしてその私は今日も、闇夜の中手の触感を頼りに、これらの植物の恩恵を獲得した、と言う訳だ。
 夜の私という物の姿がそれこそ動物そのものであったとしてもそれは良い。人は基本的に夜は動物である、と言う事が言いたいのではなくて、これが先程の私の希望とも空想ともつかない思念に関連してくる。朝昼の私、手無く無い手の位置に翼を求めその翼で今にも月の裏側を目指し地を拠り所とする足により飛翔を得んとするかのような自分、押し付けられている物とは言え常に敗北と言う名の死に背中を追われている、目の前に有る生と言う光を狂わんばかりに追い求める自分、その先に有る光の環、それはつまり、私は飛ぶ者になろうとしている、それも飛ぶ者の中でも一際輝いた存在、《天使》を目指しているのではないか、と。闇の朝は、私という存在が時が来たりて光の衣を身に纏う時、その光を受けんとするが為に闇の中に沈んでいるのではないか、と。そしてこの世界、この行動、この狂気の全ては、いずれ来るはずのその時の為に存在しているのではないか、そんな自分には不釣合いな、曖昧とした、それでも捨てる事の出来ない暖かな幻想。これを胸にずっと抱いてきたからこそ、今日までの300日を、それ程精神に支障を来すでもなく走り続けて来れたのだと思う。私はこの環境に有って余計な社会のしがらみから開放された今、心の有り様の少年時の物が少々帰って来てしまった様だった。
 ただ、この空想の暗部は、ならば私は死んでいるのか、と言う部分なのだが、これはもはや然程気になる要素でもなかった。死ぬという状況がこの様な生存時の続きの様な状態なら誰彼も死を必要以上に考察する事もないであろう。尤も、この世界に属したてでは自分の「生きている」意識が無ければ考えられない「自分は死んでいる」と言う感覚の存在に気付くより先に、本能的にその矛盾を肯定し矛盾を追究する気も起こらなくなるだろう、私がそうであった様に。
 徐々に睡魔の沈殿に私の精神は巻き込まれて行く。逆に私の空想は飛躍の中に留まっている。天使になって後、私はどこに行くのか。天使になる私は、生きている、と感じる事が出来るのか。それ以前に何故、私は天使になろうというのか。何故、一体、天使とは、何なのだろう…。

第五曜「目覚めの朝」

 目が陥没しそうに痛い。胃に思い切り鋼鉄の雄牛の頭突きを食らった様な重たい物が有る。両の足は鎖で繋がれ、立ち上がったとしてもまともに歩けるような状態ではないだろう。それでも私は立ち上がる。そして転ぶ。手が無いので受身が取れず、ごしゃっと嫌な音を立てて私の頭の皮膚の一部分が崩れる。私は声にならない悲鳴を上げ、そして自分のうめき声が歯の間を抉じ開けながら出て行こうとするのを感じる。口外に、それこそ救いの手が差し伸べられていて、誰も触れないはずの自分に触ってもらえると言う確信があるかのように。私は俄かにそれを信じたくなる。そして口を開け先程は出なかった悲鳴をもう一度出そうとする。歯と歯がお互いを潰し合う様に引っ付いていて口が開かない。それでもそこに舌を捻じ込む位の隙間を作り出すと、声を…いや間違えて舌を出してしまった。思った通り、歯と歯は今度はその両者の間に壊すべき肉の壁を設けた。
 その壁が破壊されるより前に、私はどうしても目を開けて手荒い朝の準備体操を強要する母親に許しを嘆願する哀れで卑屈な子供の目線を繕わなくてはならない。顎を地面に不時着する飛行機の様に目一杯擦り付けながら、なんとか視界が彼女の姿を捉える位置まで崩れた石像の一部になった顔を持ち上げようとする。顎が涎で塗れる。どうやら破壊されるまでの時間が迫って来ているらしい。耳が爆発しそうなほどに理性を失った血管が血酒をがぶ飲みしている。鼻息が白濁した光線に当てられている小石を弄んでいるのが目に入る。もう少しだ。もう少し顔を上げれば、目覚められる…。
 視界に御母の全裸の姿を捉えた。途端私の体は石で創られている事を止め軟体動物のような柔らかさを得る。どうやら肋骨が二、三本折れたのか、胸の辺りが剣山で突き刺された後の様に熱い。私は母の愛をかみ締めながら、先日の消化し残した物と思しき繊維質の嘔吐を立ち上がりながら垂れ流した。血の色かもしれないが、昨日の花の花弁は赤だったらしかった。

第六曜「破壊の記憶・前編」

 300日前。私が最初にこの地に足を踏み入れた時の事を、私は昨日の事の様に覚えている。私は、アーキ・ファルファ王立独立国家の科学技術省における人型自走兵器、通称「ラグドゥーズ」研究の総合顧問だった。「ラグドゥー」とは、この国の古い神話に有る、人に文明の泉、機械をもたらしたとされる機械神の名だ。ズと言うのは複数形ではなく、所有格。つまり意味は「ラグドゥーの」と言う事になる。もはや人の発明品はラグドゥーのそれと並ぶレベルまで来た、という、今考えると奢りでしかないナンセンスなコードだった。
 私はそんな常軌を逸した非人道的な悪魔の兵器を生み出すのに抵抗が無かった訳ではない。ただ、時代がそうさせた、といえば虫が良すぎたのだろうが、私は、そうしてしまった。それはアーキ王からの絶大な支持が有った事、またその開発援助金が莫大だった事が私の正常な判断力を麻痺させていた部分もあるのだが、そんな事を喜んでいる自分の不甲斐無い精神の中にも、志の欠片とでも言うべき物は存在した。それは、この技術の応用、そして世界普及によって戦争の被害の緩和がもたらされるのではないか、と言う希望。人が人として、それぞれ別の社会を築き、それぞれ別の道を歩んでいこうとする時、その道筋で両者が出会った時に起こる事は必ずしも幸せな事ばかりではない。人はきっと、それぞれの道を認めなかったり、踏み躙ったり、時にはその歩みを止めさせようとしたりもするだろう。その歩みを止めようとする時、言葉による助言である事もあれば、一方的な暴力を振るう事による事も有るだろう。そんな時、その暴力が相手を傷つけたり、更には、一生回復する事の無い傷跡を遺してしまうような事が有れば、その傷を付けた方は、きっと、後で必ず後悔する。そして後悔とは、歩みを止めることの出来ない人にとって、事去って後にはどうしようもなく愚かしく、救い様も無く無思慮な事に思えても、その時には避け方の分らなかった危険な障害物として人の前に立ちはだかる事が多々有るのだ。
 そんな時、この技術を貴方方の代弁者として使って欲しい。人と人とが血を求め合う、たとえそれが事実でなくとも、お互いが本当の自分を見失っているからに過ぎなくても、時代の狂気が貴方方を取り巻くからだとしても、ちょっと立ち止まって、この技術の、神のもたらした知恵の産物の事を思い出して欲しい。貴方方自身が戦う必要なんて無い。どうしても戦うと言うのなら、貴方方はどうか、血を流すのではなく、血を受け継いであげてください。次の世代の、若い笑顔達の為に。そう、思っていた。そう、願っていた。それが、この研究に携わった私と、助手としてだけでなく、その他のあらゆる面でその心強い味方だった妻、そして研究に関わってくれた仲間の皆、その全員の強い願いだった。そのはずだった。
 だが、願いは望んだのとは違う形の物を連れてきた。
 ちょっと考えれば分った筈だった。一体何が神の創造物のレベルまで到達したと言うのだ。科学技術?戦争?神の与えられたこの技術ならばこの人の創りし単純明快な不幸を解消してくれると信じていたのかもしれない。しかし、科学技術とはどこまで行っても人の手による物であり、与えたのは誰であれその使い方は全て自分で判断せねばならなかった。それを扱って良いのかさえも。そして私達は、その使い方を誤った。誤ったまま、道具は完成してしまった。戦争を喜ばせるだけの、哀しい玩具が。
 自走兵器。自分が戦う事だけを定義付けられ、そしてそこにこの上ない喜びを見出せる存在。それは殺人兵器だ。そしてその者にとって殺人は遊び、悪い事ではない、むしろいい事だ、という思念を刷り込む事が出来たらどうなる。そしてその遊びを最も良く知り、最も良く付き合い、最も良く愛する、遊びに愛されているのは誰だ。答えは頭の中で吐き気と共に回転して明滅して私の理想は混沌の海へと沈んだ。子供だ。
 AI、人工知能の可能性をもう一度考えた。人工知能に、人間の根源的欲望を刷り込む事など出来なかった。AIの何も要求しない、発展性の無い頭脳など、子供の純粋なまでに遊びに貪欲な心に太刀打ちできるはずが無かった。太刀打ち?いや、AI同士戦うならそれで力は互角、誰も血を流さない戦争というものは実現するのではないか…戦争にそんな抑制された貧弱な戦力など意味を為さないではないか、むしろもっと実用性を考えた兵器を投入すべき…実用性だと?人の心に実用性も糞も有るか!!では、今までの研究は何の為、何の為、妻の献身的な支援は、娘への愛情を注ぐのも惜しんで取り組んできたこの研究は何だった、何だった?無だったのか?見返りも無く?…気づくと私は研究の報告書をまとめて王に提出する準備を進めていた。
 愚かだった。この時ですら、私は自分の発想を突飛過ぎる、誰にも思い至らないであろう私だけの禁じられた思考だ、自分の研究には意味がある、と自分を許してしまっていたらしい。提出の直後、王からその言葉を聞いた時、私は初めてこの王が何故あれだけ熱心にこの技術の力を支持していたのかようやく分った。「人が戦場に行くには代わり無い。ならばどうすれば良いか?もっと簡単に人を殺せるようになればいいのだよ。簡単にね、子供がアリを殺す様に」私は、この国と袂を分つ決意をした。

第一日曜「新雪」

 月は、そして笑顔になると、私の耳元にて(以前の日常世界での)普段聞き慣れなくこそばゆい原始的な言葉を数珠の様に繋いでそれ以外いかなる言語種も発想できない程に私の自我意識を疲弊させ小動物の様に扱い易く丸め込みそれを我が物とした後にまた先の意味を成さなかった数種の言葉のメビウスの環を熱した液化金属を流し込むかの様に耳にインプットして、「ああ俺は愛されているなこの母の姿をした愛の化身に」という一字一句として切り離す事の出来ない恐ろしく不愉快な喜劇調の抑揚を持ったそのフレーズをアウトプットさせる。出力先はどうしても口でなくてはいけないので「ああおれはあいされているなこのははのすがたをしたあいのけしんに」という音節の区切りの最初から最後まで見出せない複雑な鳴き声を発する私の口は終始動きつつ開き放しでまるで絶えず食への欲求が尽きる事無くその理由はその求める物を求める動作が求める物を消費し尽くしてまで求める所為である所の鳥の雛のそれの動きに通じる物が合った。さながら私は愛への欲求不満で悶死寸前の極度の自己防衛本能を備えた子供の様で在った。それと言うのも私は自らでは如何する事の出来ない怪我、骨折をしてしまったのであり、それを治癒しようと考えた場合選択肢と言えば目の前に御する女神に哀願するより他どうしようもないのだ。
 「ああおれはあいされている!なこのははのすがたをしたあいの!けしんに」催促の為重要と思われる単語「あい」(もはやその意味が何であるかはこの際問題ではない。この愛くるしい赤ちゃん言葉で二回出てくる言葉に目を付けただけだ)を強調しようとしてその箇所の音を強くしようと努力してみたが上手く行かずにずれてしまった。ただ後者の方はより近かった為三回目ともなれば成功してくれるのではと安直な期待をしそしてもう一度鳴こう(既に無意識に繰返し鳴いているので次回を待っている)とした時胸を思い切り食い破られた様な爆音の様な痛みが走った。何かが口に込み上げて来て声帯の機能が奪われてしまい、辛うじてでも人間的な発声による訴えがとうとう動物のそれ以下の耳触りの悪い不規則で無目的な嗽に変り果ててしまった。母は上にいるので下を向いて何色か知れぬ嗽薬を吐き出すわけにも行かず、私は亀の雌が産卵時に流す様な感情を伴わない排泄物としての涙を流した。本来の呼び声を出す事が出来なくなった状況を悲しんでいる風を装う為の信号としての涙だ。赤子が持つ生存の為の常套手段であり、最大唯一の武器は、鳴くか、泣くか、そのどちらかなのだ。
 そんな汚らわしいまでの自己愛に基づく利己的反応行動も、母の愛の篭った目の暖かな温度の揺るぎ無く真っ直ぐな視線に捉えられれば意味合いの在る存在価値の存在する必然行動として受け入れられて来るから不気味だ。いや、彼女が受け入れてくれている事をあたかも自分の思考として受け入れているだけで、実際自分の中ではこの媚びを売る事の味を知っている卑屈な幼稚さへの嘔吐感のような拒絶反応を全身で抱え込んでいるに違いないが今口がする事は嘔吐でなく求愛の信号言語の羅列であるので自分の内面に勃発している状況への激怒など外面へ出る時に例えば喜びの情であるとか恍惚の表情であるとかに変換して適当に発散させてしまえばそれまでだ。今の私の情の表現筋肉の集合体、顔の覚えている感情表現には彼女を微塵でも不快にさせるヴァリエーションが有ってはならなかった。
 先ほどの胸の痛みは、なるほど感情の迸りがもたらした自己矛盾に対する危険信号だったのかも知れぬ、等と少女じみた感傷的な事を思っていると月の笑顔がようやく動き始めた。つまり月は今、それを瞳と見た場合で俯き加減のカーブを描いた細目、口と見た場合で端を吊り上げたバナナボート形状の引きつった状態、つまり笑顔の口の部分つまり月として見た場合の三日月型なのだがそれが徐々に、肉眼でも脳の視覚情報処理速度でもわかる程度で閉じようとしていた。常時の形状を丁度中心点を通る一線で真っ二つにした弛緩したUの字になろうとしている、と言う訳だ。その未成熟な乳房の輪郭が形作られていくのを呆けた様に口を痙攣の様に不規則な規則に沿って嗽させながら私はその後に来るであろう滑りの有る包み込む羊水の衝撃に備えた。
 来た、月から白い雫がぽとぽと目に見える水音を立てながら落ち始めた。その三滴目を眺めそれが前の二つの残像の軌跡を丁寧になぞって行くのを目で確認している時に私は突風の様な紫電の一閃の様な訳の分らない物理常識を全く無視した様な勢いの有る空気の弾幕に体をボロボロに吹き飛ばされた。丁度原子力爆弾で消滅するとこう言う風な、ガラス細工が地面に落ちて粉々にばらける様な肉体の各部の非接続感を味わう事になるのだろう。ただ月の爆弾の場合それは再生の意志を撒き散らす破壊であり私は肉体を細胞レベルで分解される事を寧ろ有り難き幸福として是としていた。それは射精のオルガスムスの快感を伴った、血の光の幻想の中で、母の胎内で心地良く聴いていた筈の心臓音のララバイを懐かしく思い出している様な耐え切れず切ない郷愁を呼び、私は十ヶ月前の自分の生まれ故郷へと帰れる事をとても嬉しく思った。300日前。私が最初にこの地に足を踏み入れた時の事を、私は昨日の事の様に覚えている。何故なら、それが私の肉体、精神が形作られたその瞬間の記憶だから。
 私は粉々の天使の羽根の欠片となり、上空の母を目指して天高く舞い上がって行く。母の再会の歓びを歌う様な羊水の旋律の中、私はまた何時の日か、この地に真新しい雪の様に降り注いで、そんな真新しい雪であった事を忘れ、持っていた筈の翼を無くし、母の罰として肉体が壊れるまで走り続けさせられる日の事を思い、激しい怒りを抱いたまま、一人眠りに就いた。

Next:第二週「人を見た天使」


Autrue ch Rutuc
TOPへ

Last of the Pieces:
TOPへ