Last of the Pieces: 2010
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Back:1「審判の日」

2「聖人の日」

00「天使の嘘、そして真実」

 悲しみの瞳に見守られる中を、私と彼女は只一直線に進んでいる。今にして思えば可笑しな話だ、何故、私と彼女の歩む道がこうも整然と存在しているのだ。やはり、地面が天使の死に様を操っていると言う事なのだろうが、とすると地面は天使をただいつまでも屍姦対象としていたい訳ではないのかも知れない。むしろ私の様な生有る対象を我が物としたいのにその生有る対象が自身の居場所に来るまでをどうしても我慢出来ずに自分の上を蠱惑的な足取りで進む者を植物化と言う鎖で縛り上げてしまって居るのかも知れない。自分が、いつまでも天使捕獲の網でなくてはならない現状を心の何処かでは憂いているのかも分からない、丁度女性姦淫癖の捨てられない男が純粋な姦淫願望からだけ女性を犯し続けてしまう訳ではないかも知れない様に。その男や、この地面には確実にその在り方に於ける何らかの歪みが有るのだ、あんな綺麗な花を咲かせたり、子供に喜びの内にその上を走らせたり出来るこの地面が何もかも汚濁の間歇泉に支配され切っているとは思えない、その汚濁が時折止まる、その時に見せるこの地面の暖かな表情を私は見逃しては居なかった。だが私は、この地面が何もかもその何らかの汚れのせいで悪しき物へ零落れているとは思わない、地面が選んだ自主性も有ろう、だから地面を許したいとは思わない、地面と言うか、この地面の精神を司っている何者かを。だが、その何者かは、今はまだ見えないがそれでもその何者かにとっては間違い無く正義である何かに従って行動していると思う、この汚れを敢えて身に蒙ってでも成し遂げたい巨大な目的が有って身の在り方を定めているのだと思う。ここまで徹底した悪は、逆に気高くすらある。その者にとってすればこれは必要悪であり、その必要悪を超えた所に有る大目的を獲得する事で早く自らに附着した負の呪いを浄化したいと思っている筈だ。だがここで危険なのは、それが主観的必要悪である、と言う事だ、客観的に見ればそんな物只の純粋悪でしか無い、受け入れざる異物でしか無いかも知れないのだ。私は今、客観と主観の間に立っている、私は今この必要悪が果たして主観的でしかないかそれとも客観的にも(ある程度)そうだと言えるか、その判断を委ねられているのだ。勿論私がこの必要悪を客観だと判断しても基本的にその主観性は変らないだろう、主観の幾つかの積み重ねが客観と呼ばれる曖昧な観点である事は否定出来ない。だが、私は現在の主観寄りに過ぎる主観からその主観的客観に辿り着く為にもこの加害者地面を被害者天使その総体の代表として裁く権利と義務が有ると思う。私は間違い無く、天使として自分から地面にコンタクトを取れる最初で最後の存在だろう、私の行動如何で今後の人間の、若しくは人間の次なる存在の決定的な動向が出来上がってしまう気がする。空一面見渡す限りの瞳の海なのだ、これはとある小さな一地域で起こっている人間の陵辱ではない、勿論、それを人類全体等とひっくるめる事の正しさは何処にも無いのだが、そうも気負わなくては私はこの重たい歩みを進める事が出来ない。そうゆう壮大な嘘と、前に居る人との小さな真実だけが、今、私が人を正しい方向へと導く為の天使である、と囁いてくれていた。

01「人の太陽」

 今、三日目。私はこの段階まで来て漸く悟っていた、一体何が意識の深層に附着しては往々に喚起される概念、天使の三日、なのか。それは、大まかに言えば天使の役割の上での三段階の事だ。偽りの天国に入るまで、偽りの天国から抜け出るまで、そして、本物の天国に入るまで。最後だけは今の所推測でしか無い、何故なら他の二段階もその所業を成して初めてそれが日数として換算された事を自覚出来たからだ(最初の一日目の経過感については慣れない肉体、神経の疲労や混乱による錯覚にしか思えず殆ど何の注意も持てなかったが)、三日目を達成するまでは、一体三日目を過ごした事になる条件が何なのか分からないだろう、そして、三日での死を宣告されている私は、三日目を越えた所に有ると思われる真の天国を知覚出来ないまま終るのだろう、この身この心朽ち果て、死ぬのだろう。またこの天使の羽化、天使が真の天国に入る事で人間的な要素、人としての肉体(今私が人の肉体をほぼ失っているこの状態以上に)や意識を全て消失して獲得する様に思われる翼それと共に有る状態化、までの三段階が何故、日、で換算されるのかについても揺るがざる理由が見出せる。前を行く人、それが私の太陽なのだ。この人を中心に動く事が私の天使としての、言い方を変えれば私と言う無翼天使の行動の全てだ、丁度人が太陽の在り方によってその社会の時間を定めているのと同じ様に。勿論この世界が明るいのは彼女が居てくれるからではない、精神的な明るさ、と言う意味ではこれ以上無い位に眩しいがやはり物理的には空に浮かぶ太陽は有り、意味も無く森羅万象に微笑みを照射している。あの太陽は、今は他人だ、今この世界にあの太陽を太陽として行動している人間は存在しない、と言うより人間意識を持って行動しているのはひょっとすると私だけなのかも知れない。とすると或る意味で前の人は、空の太陽より余程太陽らしい、少なくとも人の太陽と言う意味合いで。この人の太陽が天の太陽に同化した時、やっと人の空の太陽を基準とした時間の凍結が破られるのではないか、そんな幻想を抱いてしまう。だが、この人が天の太陽に溶けると言う事はこの人の存在が私の物だけでは無くなってしまうと言う事だ、万人の女神に生まれ変ってしまうと言う事だ。幻想でしか無いとはいえ、私はこの人の微笑みの光を一身に受けているその万人のイメージを酷く破壊したくなった。だが、そのイメージを破壊することは出来なかった、その万人の中に、私が居なかったからだ、私はそのイメージの外側の存在だったのでそのイメージに影響力を行使する事が出来なかった、忘れる事しか出来ない、汚す事が出来なかった。私は身震いする、もしこの幻想がこれから私が成そうとしている事を隠喩しているとするならば、私の居場所は何処なのだ?

0?「哀千眼」

 糞尿に集る蝿の様に付きつ離れつを繰り返す、彼女とその光の恩恵に与る聚合者達の心象は私に現世での時間経過、肉体動作感覚を忘れさせた。蝿と言う苦虫を噛み砕こうとしてはその蝿が何故だか鋼鉄の細胞で出来ていて噛み砕く事が出来ないのを一々確認してはまたそれをすぐに忘れて同じ事を繰り返す、もう殆ど歩行に伴う手の振り子運動と同レベルの頻度と必然性でその生産性皆無の思考ルーチンは私の思考野の中枢に鎮座していた。丁度私がその蝿の眼球の一個一個を丹念に噛み潰してみようと攻撃の方向性を改めた所で、前の彼女の動きが止まった、私はその彼女の動作が止まった瞬間を幾重にも重ねて見た様な、まさに蝿の視覚を通してそれを見た様な気分になった、まるで彼女の光を受ける万人の視覚情報を自分一人で処理しているかの様な感覚に陥る映像だった。私はその映像情報錯覚の衝撃に固唾を呑むついでに破壊出来ない蝿を思わず飲み込んでしまった、恐らくは消化する事も叶わないであろう蝿を、そう、破壊出来ない心象イメージを。もう私はこの心象と別れる事は出来ないのだな、私が何処にも見当たらない輝かしい未来と訣別する事が出来ないのだな、そうゆう事を私の胃液で楽しげな鋼鉄の蝿の元気な舞に感じ取っていた。
 彼女は何故止まったか、私はその理由を視覚で感じ取る前から大きな真理として掴み取っていた、彼女は、光与えるべき万人の囚われの場へ来たのだ、そう、鋼鉄の蝿の巨大な卵の様な、天使生産工場に。そして視覚によって確認してそれは裏付けを得た、その裏付けは私の胃の中の蝿を更に酔わせ狂わせ、私自身を更に苦しめ狂わせた。私は、この万人を縛る鎖を断ち切るべく行動する積りで初めは居た、人の彼女が死に至る前は、そうだった。だが、今はそれが違う、万人を救ってあげようと言う自分は人の彼女と一緒に爆死した。今ここに鋼鉄の蝿と一緒になって狂って居るのは白の彼女に新たに生を吹き込まれた人形だ、白の彼女と言う糸繰りの人を失えば直にでも活動を停止してしまいそうな非常に脆い、立ち位置の怪しい存在だ。白の彼女に人の彼女が宿っている、と言う幻想の小糸にしがみ付いていなくてはこうして立っている事すら間々ならない涎垂らしの赤子なのだ。その幻想の小糸は、今、非常に見辛い、何故なら白の彼女が眩すぎるからだ、私は白の彼女の眩さは私の憐れで脆い心をぽっと照らしてくれる分量しか望まない、万人に分け隔てなく与えられる様な光は私と言う闇の心に沈んだ者には余りにも熱量過剰だ、多分白の彼女が本当にこの鋼鉄の蝿の眼球の一粒一粒に宿る心象映像並に神々しく光る者の威力を身に付けたら今度こそ私は終るだろう、その光に焼き尽くされて消滅するだろう。そして私は気付く、そうか、この心象に私が居ないのは、私がこの心象と矛盾しているからなんだな、私は、死の森を歩き、天国の死の切欠を作り、そして、何より人の彼女の死と言う放射能を体一杯に浴びた。私は、死の温度に慣れ過ぎている、もう生が溢れる場所で生きていくには精神が窶れ切ってしまっているのだ。勿論私がこの先生命の試練たる今を経ての生命の余暇とでも言うべき潤いを謳歌し得る人間なら、幾ら負の濃硫酸に心を浸し続けもはや心の部位のどれがどれなのか分からない程に腐食してしまっても復帰出来る位心には回復への意志が興る、希望への盲信の根を張る色取り取りの花々の種が一斉に撒かれるのだろうが、私は違う、私は、もうすぐ死ぬ、希望への妄想等持ちようが無いのだ、だから死性ガスに充満する自分の頭蓋内部を浄化する理由など無いのだ。それ以上に通常の人の心と思しき物が得体の知れない天使ウイルスに感染し病死しようとしている現状、私は心に傷を負わせこそすれ回復させる余裕など何処にも見出せない、私は、死の地平へと生命の坂を猛スピードで転がり落ちる石ころの様な物だ、やっと転がる事が終って休めるか、と言う瞬間にはもう私の命は恐らくは無いのだ。だから、私の心が終る時、ずたぼろでも、心ですらなくてもそれは別に構わない、それは甘んじて受け入れる覚悟が有る。だが私が受け入れられないのは、彼女が万人の女神になってしまう事、私の事を見向きもしない、普遍的な愛情の化身になってしまう事だ。彼女の中での私の死、それが私が本当に恐れる、真の死だ。死にたくない、彼女に忘れて欲しくない。蝿を体内に取り込んだ事でより一層視界の自己殺傷能力を増した私は、彼女の姿を幾ら見据えようとしても、もうそれを一点に居る物と捉える事が出来なかった、ただ、幾千の彼女が好き勝手に私の視界の端々まで散らばって行こうとするだけだった。

10「記憶の闇」

 幾千の彼女が消滅した。私はまた一人の彼女を視覚が捉える事が出来るまでに状態が回復したかと寸時期待を懐いたがその期待は直に蒸発した。彼女は、跡形も無く居なくなっていたのだ、つまり、天使生産工場、鋼鉄の蝿の卵に侵入したのだろう。私もその後を追うべく手探りで天使生産工場の入り口、私が初めにそこから出てきたと思しき出口を求めた、そしてそれは直に見つかった、当然だ、天国とここを繋ぐ綺麗に手入れされた街路樹の整然と立ち並ぶ遊歩道を真っ直ぐに突き進んでくればそこに出入り口が有るのは想像に難くない。だがこの万華鏡と物理結合してしまったかの様な眼球の織り成す不条理な色彩の狂騒は私に視覚への信頼の粗方を失わせた。もう、私は精神の眼とでも言うべき物でしか世界を承認したく無くなった、そしてその精神の眼には彼女の姿がいつも映っていた。彼女の側に居る事でその私の心の中の彼女を強く強く印象付けたい、そう渇望する私は一部の迷いも躊躇いも無く卵の中へ入り込んでいった、もう恐らく二度と目にする事が無いであろう、死の森や哀しみの空へ別れの視線を送りもせずに。
 入り込んで、私は唖然とする。生命を取り扱っている筈の施設が、何故こうも冷たい雰囲気で溢れているのだろう、生命の芳香を放つ花の育つ土壌としては養分が圧倒的に足りない様な印象だ、むしろ花を養分として何かを勘違いしている土壌が己の中で別の禍々しい生命体を育んでいるかの様にさえ感じる。そして、私は何かを思い出した、最初にこの施設に入った瞬間の映像が何かの拍子で私の中に舞い戻ってきた。それは、私の人としての最後の映像だった。天使としての最初の映像は施設を出た、と言うか天使として完全に覚醒する前に外に出された時に広がっていた幾多の死の樹木だったから(施設に戻ってみよう、と言う意志は全く働かなかった、白の彼女がそちらへ向かったから、と言うのも有るが亀の子が海へ海へ只管向かう様な心持ちで只々天国を目指してしまった。形容のレベルを超えてこの施設は或る意味本当に私達天使の卵、巣立つべき場所なのだろう)今私が思い出した物が私にとって唯一のこの施設内部に関する知識だったと言う事になる。ここに入り込んだ時、私は心の底から幸せに満ち溢れていた。教育とは恐ろしい物で恐らく幼少の頃より天使として朽ちる事が人としての無上の喜びだと教え込まれていた私はそれに疑いを持つ事が出来なかったのだろう。また、結局十五の時の絶望と言うのは辻褄合わせの後付けの造られた記憶だった訳だ、私の過去を埋め合わせる為の、そしてその絶望感から一刻も早く生を擲たせて地面と契りを交わさせる為の。ともかく、それでこの場所で、今も記憶に残っているあの言葉を聞かされた。『貴方は成人としての役目を立派に成し遂げた後、その肉体その精神を母なる大地に還します。その大地に還す体、魂貴方の全てはその時の為に出来る限り浄化されていなくてはなりません。因ってこの五年間、貴方には人間浄化プログラムを経験して貰います』。あれを読んだのは誰だったのだろう、この言葉だけ一部の揺らぎも無く完璧に思い出す事が出来るのは何故だ?人としての記憶は、ここで人間浄化をされている時に殆ど洗い流されてしまったらしいが、今私が思い出しているのは間違い無く人の時の記憶だ。確かにこの記憶は私を天使へと順序良く導くに当って有効な記憶だからと言うので記憶清浄過程でこの記憶だけが記憶の濾過に於いての目的物で有ったとしても可笑しくは無いが、この記憶を思い出す時に心躍る感覚が有るのはなんだろう。上手い具合にこの記憶が愛しいのは何故だろう。私は、前を見る。そこに何か居なくてはいけない人が居る様な気がした、そこに居る人が喋っている言葉の一語一語が麗しく甘美な音の清流で、私はそれにずっと聞き惚れていた様に思うのだが、それが実際なんだったかは、遠く暗い記憶の狭間に深く落ち込んでしまってとても取り戻す事は出来なかった。そんな事は、だが今となってはそう重要な問題ではない。今の私には、喋る事の無いあの人の立ち居振舞い、それを一分一秒でも長く見つめている事、そちらの方が余程重大だ。私は、あの人を探すべく、施設の闇を更に深くへと潜って行った。

11「嵐の中の微笑み」

 奥へ行くと、探していた面影はすぐそこに居た。私はいざ知らず彼女は闇と同化するのが余程似つかわしくない存在と見えて闇と彼女との対比はまるで宵の黒とそれを照らすランタンの灯のそれそのものであった。ただ、この闇は単に光の供給量不足が齎すものではない、ここで行われている忌むべき人体実験の暗部をそのまま代表している色だ、彼女が立ち止まっているのも、その不浄な色合いが描き出す空想の死神に精神を支配されてしまっている所為だろう、いや、死神はもしかして幻想ではないかも知れないが。私は、この天使に改造されて恐らくその最終目的に唯一近付けている存在だと思う、そして最終目的であるからして私は天使としては最後の存在であろうとも。だから、この天使生産工場は、もう天使を生産していないかも知れないのだ、ただの天使の墓場、天使部品の掃き溜めと化している恐れが在るのだ。いや、部品等と言ったが、それは誤魔化しに過ぎない、現に今こうして私がここに立っているこの瞬間にも天使の原型位までは創り込まれていた生在る者が生を分解されて天使部品として破棄されているかも知れない、平たく言えばここは今現在進行形で屠殺場になっているかも知れないのだ、彼女は私には感じ取れないその殺されている人として扱われない者達の阿鼻叫喚に動きを止められていると言う事も有り得るのだ。彼女はそれを肯定する様に、わなわなと震え出し遂にはその場にしゃがみ込んでしまった、耳を塞ぎ、頭を抱え、自分の殻に閉じこもってしまった。ランタンの灯が、小さく頼り無い物になってしまった、それで暖を取る事でしか自分を癒す術を知らない私はそのランタンの熱を少しも逃がさない様に思わず彼女を後ろから抱き締めていた。船の中心で彼女を抱き締める、と言うのはこう言う事を言ったのではない、一方的な慰めの抱擁では無く、双方が向き合っての愛情の確かめ合いとしての抱擁を望んだのだ。だがその愛情の抱擁はきっと叶わない、今居るこの嵐の中の船が嵐を乗り切って光溢れる澄み切った空の下の静かな海に浮かんでいるその頃には、私は居ないだろうから。私は、嵐の船で震える彼女を守る為にその存在が有るのであってそれ以降を期待されては居ないのだ、静かな海で一人嵐がまるで夢の中での出来事だった様に微笑んでいる彼女が居ればそれでもう構わないのだ、彼女を守る過程で力尽き、死体となって船の上での邪魔な汚物となる前に海に身を擲つ事が私の役目だ。むしろ私は彼女の乗る船、と言う見方の方が正確かも知れない。死の木々が無くては天国を形作る白が存在出来ないのであろう様に、私が居なくては存在出来ないのであろう彼女、それを私と言う船から解き放つ、そして新しく万人と言う港に辿り着かせる事、それが全て、その先に私の役割は無い(真の天使として覚醒し死ぬ前の私の事で在って私と言う意識の死後における私の延長線上の存在については定かではないが)。だが、私は船ではない、人なのだ、人として静かな海の平和な時間に彼女に微笑みかけて貰える存在である事を望んでいるのだ。
 どれ位の時間が過ぎただろうか。何時の間にか彼女は立ち上がり、私の抱擁を必要としなくなるまでに回復していた。そして彼女は私に微笑んだ。それは何の微笑みだったのだろう。物事が何も解決していない、嵐の只中でのその微笑みはとても悲しく、とても儚かった。

1?「恋誓人」

 更に奥へ。今まではただ延々と鋼鉄の回廊が続くだけだったこの場所にも変化が見られて来た。壁に刻まれた文字列らしき物、何かこの施設を創るに当ってその動機となった様な信念が綴られているのだろう。文字列は蛇の様に途切れず歩く私と彼女の左右でうねり続けている。成る程、この禍々しい施設を設立するにはこれだけの大層な大義名分という言い訳を用意する必要が有るのだな、と私は薄ら寒い戦慄を覚えた。誰に読んで貰える訳でもない、ただ自分自身に言い訳したいが為の自己弁解文、弄び続ける命へ唱えられる過ちの経。この文章量が、そのままこの施設の罪の量であるかの様にしか解釈出来ない独特の空気は私の神経の色を変える、怒りや嘆きや呪いや蔑み、そう言った物を何処にもぶつけられないと言う時の諦め、無力感、自分には何も出来ないのだという感じの無色透明な感覚が私を包み込み私の歩みを止めようとする。だが、ここには絶えざる色の源泉が有る、前を行く人の、白、私はこれを無色になった私の心に必死に塗りたくりながらなんとか自分の歩き続ける活力を復活させている。文字の中に込められた呪詛の孔から噴き出す毒性の闇の刺激臭を白の彼女から溢れ出る聖なる光の香水で清めながら何時終るとも知れぬ回廊の歩行は続いて行く。私は思う、恐らく私は天使になりに行こうとする際、ここを歩いていた事がある筈だと。つまりこの回廊の先の何処かに、天使製造システムへの入り口が有る筈だと。私達の目的地はそこなのだろうか、そんな破棄された狂気の成れの果てを見せられても私に出来るのは発狂ぐらいしか無いのだが。嫌な発想が生まれる、まさか天使回収システムとでも言うべき物が用意されているのか、ここで白の彼女との永遠の契りを交わし、私は彼女の存在の土台としての死の木に、彼女は天国の土台としての白にそれぞれ分かれあの天国を守り続けて行く事になるのだろうか。勿論あの天国は崩壊した訳だが私と彼女の絆の、愛の強さを糧にしてまた新たに美しき子供の楽園を再興させようと言う目論見が有ったとしても可笑しくは無い、多分私がこれから成す事の主軸はやはりその愛の絆でありその方向性は間違っていないのだろうがあの天国は嘘の匂いが強過ぎる。あの天国をもう一度作り直させられる事だけはなんとしても避けたかった。避けたい、と欲した所でもうこの先成るようにしか成らない、この施設を製作した者の目的に添う様な形以外での行動は許されはしないのだろうが、最後の最後まで抵抗したい、と言う弱者なりの強さは捨てたくなかった。その抵抗心は、或る物に新たな着眼点を見出した。そう、あの天の万の瞳だ、彼らは結局どういう存在なのだ、この天使製造プロセスの何処で彼らは生まれたのだろう。天国に近付く者を殺そうとし、天国に居た子供達を温かく見守っていた彼ら。それは、親心、以外の何物でもない様な気が今更ながらした、私も子供として生きた時分にはあの空に愛されてとても幸せで自分の居場所に疑問を持つ事など微塵も無かったのだろう。綺麗な服を着せられて、美味しい物を食べさせてもらって、とても満たされていたのだろう。服、食べ物?そんな物誰が提供してくれるのだ、と言うより、何故今更の様にこんな事に疑問を持つ事が出来る様になったのか。当り前過ぎる物事は、当り前である時にはその不思議さに気付く事が出来ない事が有る、私はもしかすると空の視線を身に受けなくなった今やっと空の愛の魔法が解けてその当り前の物事を当り前として感じなくなりそれについて客観的な視線を持てるようになったのかも知れない、そう、服や、食べ物は親の愛の結晶であり幸せな子供が思う様にそこに有って当然の、空気の様な物では決してないのだ。私は今やっと自分が愛を受けて当然の幸せな子供である、と言う事の盲目が直ったらしい、盲目が直って見えて来た空の瞳の愛に思わず涙していた。もうこうなって来ると分かる、彼らは天国に近付く者、と言うか、天国を形作る源となる白を産む天使を殺したかったのは、自分達の子供を守りたかったからだ、自分達の子供に食物や服など形有る愛(多分白でこれらを創り出すシステムが天国には有ったのだろう)を与える唯一の手段であるのが天使の殺害だったのだ。天使は、私と言う一例を見れば男だ、男が成る物だ、そして瞳は子供らの親である、と言う事を組み合わせると自ずと得られる答えは一つ、天の瞳は、女が成る物。だが、私の大事な人は多分あの瞳に成っては居ない、きっと白の彼女の中に居る。何故かと言えば母の目達は子供を作った筈だからだ、出産と言う役目を終えてから(産んだ子をその手に抱く事も許されぬまま)肉体と言う抜け殻を捨ててその魂とでも言うべき母の目になったに違いないのだ。受胎から出産、そして母の目への転生と言う我々男の物と対になる女の儀式はあの天国で、それも天国に有りながら儀式の年齢に達していない子供達には真実を隠す為入る事を禁じた聖域(とは言っても本当に生後間もない子供は聖域内の別施設で或る程度の自立を獲得するまで母親どころか人間ですらない何かに育てられていたのだと思うが)で行われていた筈だ、そしてその受胎は男の吐くあの白による物だったのだろう。これもまた空による盲目でどうしても私が思うに至らなかった事だった様だ、性器として存在する私をしてさえ思う事が出来なかったこの単純な事実、以前は天国の子供とは初めからそこに居て当然なまさに天国の産み落とした子供と言う感じで疑問を差し挟む等到底有り得ない物であった、天国に情事等と言う極めて世俗的な汚れた行いが関係すると誰がいちいち空想するだろうか。先程の服や食べ物の事も含め我々天国の民への母の目による異常なまでの思考の統制が有ったのだろう、我々が世界に対して牙を剥く事の無い様に、あの愛の眼差しで我々をどこまでも子供で在らせたのだろう。それに、記憶には残って居ないが母の目は子供の精神に直接語り掛ける様な形で言葉すら投げ掛けていたのではないだろうか、反論等出来ない一方通行な物として、いずれその言葉が自分の一部なのだと信仰してしまう程念入りに(先程の天国の産み落とした子供等と言う御伽噺も私が子供であった時分の信仰の名残ではないかと思われる)。ただその場合にも天国のシステムを守る為に声の主は空に居て更にそれは親である、子供を産んだのち空の一部となり今彼らを見つめている母である等と言う事だけは絶対に言わない様にしていただろう。いや彼女らには子供に自分達の存在を絶対に明かす事が出来なかったのかも知れない、そう言う風に母の目と言うのは出来ているのかも知れない。何にしてもあれは、愛情表現の有ってはいけない最終手段だと思う、父親を殺してでも母親としての立場を守る、なんて姿は到底美しい物ではない、少なくとも、人の在り方としては。私はあれを解決する為にこの身この心が有るのだな、と思った、それを解決した先に自分の姿が未だ見出せない恐怖こそ有ったが、この事に決意を新たにした私は、もう文字列の呪詛に負けない位に強い心の壁を手に入れていた。前を行く人にあの天国と同じ過ちを味わわせはしない、この彼女への固き誓いは、親を卒業した一人の大人としての、もう彼女に忘れられてしまう恐怖に取り付かれて怯えているだけの子供ではない、私に芽生えた新しい恋心だ。

?0「哀光願」

 回廊は地下に潜り始める、それに伴い明度上昇、つまり白の彼女以外の光源からの欠片も感じられる様になって来た、内部に光夥しい空間が隠されていると言う事であろう、そんな明度で以って見せつけられるのが相応しい、大っぴらになるのが好ましい様な趣の広がりが有るとは到底期待できないが。地下、と言う事は私は地面の束縛を或る種回避出来た訳だ、やっとの事で地面の内部へ到達出来たと言う訳だ、この先にどんなに禍々しい広がりが有ろうとも、私はそれを心の底から受け止めなければならないな、変に感化されて、その広がりの圧倒的な存在感を従うべき強大な物等と錯覚し心を持って行かれてしまう事無く全力で憎み倒し侮蔑し切る為に心と言う地平を精一杯踏み締めなくてはならないな、と思った。だが、それだけでもいけない、一度憎しみのスイッチが入るとそれ以外の事を考えられなくなりがちだ、私が今成すべき事は確かにこの施設に端を発する忌むべき世界の破壊だがそれ以上に再生についても考えねばならない、そしてそれはこの施設の持つ暗色のエネルギー無しでは叶わない、或る程度はこの施設の穢れに狂信とまでは行かなくても共振位は出来ないと行けない、生命の礎は、善悪で構成されている訳ではない、そこには強弱が有るだけだからだ。もう少し言えば、何処に強弱のバランスを決定付けるエネルギーの要を置くか、だ、この世界の様に子供の世界だけしか見つめていない、子供にしかエネルギーを注いでいない世界は危険だ、大人を殺して子供が育つ世界なんて物は有り得ない、それはつまり子供の未来、大人を拒絶する、成長を拒絶する世界だからだ。この世界はこの膨大なエネルギーを成長拒絶に要を置いて行使してしまっている、ただ子供最優先で物事が動き過ぎているのだ、子供が強者過ぎて大人が弱者に成り果てていてそのまま世界が停滞してしまっているのだ。それは或る意味で正しい、子供が世界に於ける最大の保護対象というのは正しい、だが、この世界は保護の意味合いが間違っている、子供を大人と言う夢の無い存在へ導きたくない、幸せしか無い様な夢の世界から辛さの底無し沼に引き釣り込みたくない、と言う思想での保護は何も産まない、それは保護すべき対象を保護していると言うより謬った保護者としての自分の在り方立場を保護していると言う事で有ってそのレベルから何処にも発展の余地の無い思想だからだ。保護者がそもそも子供であり、大人に成りきれていないのだ、この施設は子供に纏わる観念でしか物事を見られていない人間の産物だ、子供と言う状態、子供と言う在り方子供と言う感覚子供と言う自由子供と言う神聖子供と言う天使を信仰し過ぎる大人の姿をした子供の異常崇拝者達の正殿なのだ。彼らの盲信を解き放ち、子供と大人の立ち位置を今現在の神と信者ではない対等な物に改善する事、それが私に望まれている事だと思われる。だが、入り込む前はそうも思わなかったがこの雰囲気から察するに恐らくは彼ら盲信者達はもうここには居ないのだろう、この子供至上の生命サイクルの中に溶け込んでしまってもはやここは信者の正殿としては終了しているのだろう。彼らの盲信の偶像、産物で有るここそのものをどうにかする事でしか改善への道は拓けまい。
 そして明るさは満ち、禍々しさへの扉は開かれた。地面に閉じ込められた、哀しき生命の光。私はその光が願うところの物を即座に感じ取っていた、闇になってしまいたい、死んでしまいたい。私は心の中でそれらの光の主達の嘆きとしか言い様の無い願いに返答する、もうすぐ君らの体を焼き焦がすその炎の光は止まるよ、君らの体を焼き尽くす事で。心に踏ん張る覚悟を決めた私は、逆に自分が心の泥濘にどんどん埋まって行くのを感じた、この広がりに恐ろしいまでの拒絶心を覚えた。だが、幾許かは共振せねばならないのだ、親の偏愛が産んだこのおぞましい世界を見ても、まだその親の愛を信じてみなくてはならないのだ。私は今より、親の溺愛と言う泥濘の中でもがき始める。

?1「恋夢塵」

 白き海に、人の形をした物が浮かんでいる。一つや二つではない、それこそ白き海を埋め尽くす様な圧倒的な物量で以ってそれらは存在していた。成る程、天使工場とは名付けてみたもののその響きから受ける印象とは大凡合致しない物がその実態だったのだな、私もここで五年間死体の様になっていたのだろう、いやむしろ実際に人としては殺されてそれで今こうして仮初の生を受けているのかも知れない、と思った、ここは今現在で屠殺場であるかないか以前に人と言う家畜の命の処理現場なのかという風に。人の形をした物は、私には人に見えるが実際それがどんな状態なのかはよく分からない、私には多分天使も人も同じ様にしか見えないのだろうが人の場合は天使は見えず人はちゃんと確認出来る筈で、その前提でこの天使へと創り掛けられている人だった物が彼らにどう見えるかというのを想像すると虫唾が走る、彼らがもし人としての生命を維持したままここを見る事が出来たなら、人の様々なパーツが無作為に鏤められている異様な光景を目にする事になるのだろう。私は初めて天使としてのこの異常な視覚に感謝していた、彼らが天使に成り行く者として綺麗な姿でそこに在る事実は彼らが真の天国で優雅に飛び回るその時の為に天使になろうとしている、と言う夢想(勿論現実的な予期として私は彼らが既に死んでいるかもしくはこれから死ぬことに成る事しか思えないのは別として)に繋がり、私の心に大いに潤いを与えてくれたからだ、それはこれから真の天国へ辿り着こうかと言う私達を肯定する夢想であるかの様に思えた、その考えを上回る勢いで私の拒絶心は膨らみ続ける一方ではあったが。新しき生命への予感と古き生命への拒絶、これは私の場合にも当て嵌まる様な気がする、私と言う個は、今の在り方を暴虐的なまでに拒絶しており新しく来るであろうこれからの在り方を渇望し夢見ている、私の激情の限界域を優に超える程に。もう、私は自分の存在が壊れつつあるのを悟っていた、自分の内側の蝿がどんどん肥大化して自分を突き破ろうとしているのを。そうか、これから自分になる、と言うのはこの蝿なのだろうな、と思う、自分には分からないが私は万人が彼女の光を全身に浴びている映像の何処かで存在する事になるのだろう、この蝿が象徴する所のものとして。そしてそれは今の私と言う物を破り捨てる、それに伴い私が彼女を愛していた記憶は、木っ端微塵に吹き飛ぶのだろう。その事は今でも私を酷く苦しめるが、私はそれを或る程度は我慢出来る様になった、私は、彼女を思える今が愛しい、花が散るから、雪が溶けるから、人が死ぬから愛しいのと同じだ、終わり行く私の恋心は、そうであるからこそ大切だと思えるし、終わりが有るからこそ未来へ繋げられるのだ、私が彼女を想う事に終わりが来ないと、これから万人の恋人になろうかと言う彼女の在り方に歪みが生ずる、女神を独占していい天使など、いないのだ。
 上を見上げると、私達が来た道がそこに在った。曲がりくねっている、ここ全体を子宮の中の子供だとするとそれはまるで臍の緒の様であった、地上に繋がる生命の掛け橋、私もそこを通って天使になり、また天使として出て行ったのだ、そして、今またそこを通ってここへ還って来た、私は、天使としての母の胎内へ還って来てしまったのだ、私が消え去る場所としては、この上無い場所と言えるかも知れない、私は、母へ還るのだ。そういえば、彼女がこの施設に入る時にすぐに見えなくなってしまったのは道が曲がりくねっていたせいなのだな、と思う、私は未だに千の視界で以って精神をずたずたに切り裂かれ続けているがそのせいであの時はどの様に彼女が見えなくなりまた見えるようになったのか全く分からなかった、ただ、混沌とした風景に、どの様にしてか彼女が消えそして何処からともなく彼女が現われしただけとしか感じられなかった。そしてそれは今にも当て嵌まるか、彼女はこれから、私が見当も付かない世界へ行ってしまう、私の世界から、消え去ってしまうのだ。それでも構わない、今私のそばに居てくれる彼女は、間違い無く本物だ、混沌としたこの世界の中での、唯一の確かさだ、その確かさに一時触れられただけでも、私はこの生をこの上無い物として評価する事が出来る。
 それから、彼女の事だけを思い続け時は過ぎる。そして私の人は、こちらを向いた。恋が終わり行く二人の、最後の一時が始まった。

22「太陽の人メリス=メイ、そして空の瞳ピューリ=アミネ」

 彼女の背中には、葉の無い大木、大木はあの破棄された天国へと繋がっているのだろう、この白き海、天使の白のこの海のエネルギーを送り込む役割をこの大木が担っていたのだろう。彼女の事を考える時間は、幸せ過ぎてその経過感を全く感じられなかった、あっという間に私が施設から天国へと歩いたあの距離をこの海でも歩き終えてしまったらしい。私はそれを名残惜しいとでも言う風に彼女の顔をまじまじと見つめる。美しい、それ以外に表現し様が無い、こんな忌むべき場所に居るのが全く相応しくないと言う位に彼女の美しさはそこに浮き彫りにされている。この美しさは、もうすぐ私の知覚範囲を去ってしまうのだな、去って、そしてその美を遍く全ての人々に分け与えようと言うのだな、それ位に分散されてやっとその立場が落着くと言う程の美しさだ、私が今こうしてそれを一人だけで見つめている状況は、もはや罪と言ってさえいいだろう。私はその贖罪として死ぬ、こんな美しい人と共に愛を送り合えたその甘き重罪に身を捧げ消える、そんな考えがふと浮かぶ、そして私はその考えを嫌いではなかった。私は、この人をこれから先も独占したい、と言う願望をどうにか拒否し無視し切らなくてはいけない、そう思っている、それがどんなに些細な思考の欠片でも私が彼女をこうしてずっと見つめていたい欲求を軽減する一助となるのであれば、私はそれを喜んで身に纏う、死に装束は出来るだけ白い方がいい、純粋な方がいい、彼女への未練と言う血を地面へ無様に流しながら切腹などしたくない、その赤を、優しく綺麗に吸収してくれる、白がいい。彼女が微笑む、そして手をこちらへ差し出す。彼女は、彼女の世界へ行く。そして私は私の世界へ。これは、別れの動作だろう、この手を握った時、私は多分殺される、彼女と繋がる白の海にその意識を吹き飛ばされる、今にして思えば白の彼女が人の彼女に死を与えたそれだけで天国が崩壊したのはこの白の海、天国の礎が彼女と非常に密接に連結しておりその彼女の行為と連動して働いてしまったからだろう、彼女が、天国の中で生に死を齎せばそれだけで天国は寸時に崩壊する仕組みになっていたのだろう、こうして白と彼女が一体化している姿を見てよく分かる、というよりそうとしか思えない、白の海と彼女はそれ位その存在から受ける印象が近しかった、もはや同一だと言っても過言ではない程に。ただ、同一であるからこそ白の海は私がそこに足を踏み入れた瞬間に私を消す様な行為には出なかった、私と彼女が二人の生きた思い出の場所の下まで行く、そして私が彼女の今後についてより良く思考する時間を与えた、白の海もまた私の中の彼女への想いに何か期待しているのだろう。惟うに、私が今考えている事がそのまま今後の世界へと繋がっていく事になる気がする、例えば私が彼女を私の物として独占したい、他の人間などどうでもいい、と言う風に思いながら握手をしたら世界はそれに準じた物に変質する、と言うよりまたあの天国が再生してしまう事になるのかも知れない、子供を何時までも独占していたいという間違った考えの元に成立していたあの天国が。だから私は、心の底から彼女のこれからを祝福してあげなくてはならない、私を巣立って天の女神として旅立っていくのを。私がもし、彼女を強く愛するのなら、その握手の時に自分の独占欲に勝てないといけないと思う、そうでなくてはまた全てが元の木阿弥だ。この施設の製作者とは、もしかしていつかの私かもしれないな、と思った、私でなくてもいいが、私の様に人を愛しすぎた人なのだろうな、と。愛しすぎ、その人を失うのが恐ろしくなってしまった、もしくは実際に失ってしまったので永遠に停滞する二人だけの世界を望んで作り上げようとしたその結果がこれなのか、人間は恋人の関係だけでは有り得ないのでそのもう一つの究極の関係性親子を追加した世界(親子と恋人を置き換えた事が原因だとしても可笑しくは無い)があの天国とこの天使工場だったのか、と。その人はきっとこんな世界で満足はしていない、この必要悪(今や私が施設建設者かと思ってしまう程に私はこの施設の設立目的と共振してしまったのでもうこの悪をあまり責める気はなくなっていた、天使を代表する位置の私がこの悪の意味合いを判断できた事で弄ばれ続けて今は天国の天使達が少しでも報われた事になるだろうか。何にせよ、地面の精神体、白の海の在り方を司ったこの世界の創始者が誰であろうと完全に許せる程までは納得出来ないが)としての世界を通過した所にある何か、に賭けたのだと思う、その何かは私には見えて来ないが、いやそんな物はきっと何処にも無いのだろうが。何処にも無い、と悟ってみた所で私はでは独占欲に任せて彼女と世界の方向性をまた新たに定めるのであろう白の海、母胎と繋がれば、世界の精子となってしまえばいいとは思わない。きっと彼女が旅立っていく世界も本当の意味では素晴らしくはないのだろう、人が、愛故に苦しみ、愛故に迷いする世界なのだろう、だが、世界が本当の意味で素晴らしくなどなったらそれこそが停滞だと思う、欠点の何処にも無い世界、そんな終った世界に何の魅力があろうか、私は、ただ今の悪の色を少し変えてみるだけだ、自分好みの醜い世界を選ぶだけだ。その醜さを何とかしたくてもがき苦しむ人々の姿が美しいと思えるそんな世界を望むだけだ。私は、彼女と握手した。

ありがとう、私の大切な人

 私の中の蝿が私を突き破った。蝿だと思っていた虫は実際には蝶だった、彼女の愛した蝶だった。蝶は、彼女と共に天高く上って行く、蝶には眼が無い。空の千の瞳を自らの眼とするのか、世界をあの天国での様な愛の瞳で見つめる空になるのか。彼女は白の海と共に世界を作る、私の願いを糧にして。世界がまた人々の上に陽光を落とす時、その陽光に思わず人々が顔を顰め空を見る時、私の蝶よ、彼らにその顰め面を和らげる蒼い祝福の言葉を掛けてくれ、ようこそ、私達の子供達と。

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