Last of the Pieces: 2010
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1「審判の日」

00「天使の指導者」

 居住区内に入ってからも、白の彼女はその歩を休めようとはしなかった。恐らくは目的点、人の彼女の居場所、そこを目指しているのだろう。この景色の病的な美しさにまるで意を介さず、彼女は私の前をずっと一定の歩幅一定の身振りで歩む、一つ彼女の行動に歪みが有るとするならばそれは彼女の周りを飛び交う蝶に注意を奪われる事だけだ。これだけの状況変化、真実と言う地獄から偽りと言う天国へと視界の環境の変転が有ったと言うのに白の彼女はそれに見向きもしないにも関わらず何故か蝶にだけ神経をくすぐられ笑顔を零しているのは私の人としての彼女への空想を呼んだ、もしかすると、人の彼女は蝶が好きでよくそれらと戯れていたのかも知れない、そして私はそんな愛らしい彼女を見るのが、見る時間が、見ている空間がとても大事な物であったので記憶の一番揺ぎ無い鋼鉄の保管庫に仕舞い込んで居たのかも知れない、そして白の彼女はその私の記憶の保管庫の鍵を開けてそうした事実を知ったのでこうして蝶にだけ心を解き放っているのかも知れない、そんな風な空想を。解き放っている、と言う言葉は、解放されているという言葉は解放されていない状態が有ると出現する言葉だ、私は否が応にも人の彼女のこの天国と言う檻の中に囚われた状況を思わずには居られないで居た。彼女は今もこの居住区の何処かで平和な囚われの日々を送っているのだろう、いや、もしかしてその囚われの日々はもうすぐ終結するのかも知れない、こうして天使になった私と関わりを持っていたらしい人なのだから年齢的にも私と或る程度接近していた筈だ、あと一年もしない内、それどころかあと一ヶ月も、一週間もしない内に彼女も天使にさせられる為の人間浄化プログラムを経験する事になるのかも知れない。彼女をこんなみすぼらしい生き物に堕落させる事はどうしても避けたかったが、私に何が出来ると言うのだろう、彼女の頬に触れる事を許されないこの体で。
 何も不能であると言う信念に囚われた私を尻目に白の彼女は進路を切り開いていく。まるで止まる事を知らない時の流れそのもののような歩みだ。彼女の動作は、私の、私と言う天使の成すべき行動の指針であるのかも知れない。私に残りの二日の生が保証されているとするならば、私は多分ずっとこの彼女の背中を追う事でそれを費やしていくのだろう。そして今、彼女と言う天使の指導者女神は、私のもう一人の女神、人の彼女、その居場所へと向かっている。両の彼女を同時に目にする事は無い、ふいにそんな嫌な感触を持った考えが脳裏を過った。何故なら指導者は、二人は要らないのだ。

01「風に舞う塵」

 光の、眩い白。前を往く彼女を形作る、彼女の属する所の物、彼女と言う現象の属性その物である、白。私があの死の森に居た時にはその死の在り様を代表するような感じで黒き光とすら認知できたそれは、今は只眩く健康的で清浄で心地良く、そして、強過ぎる。生と死、その両極がバランス良く行き来するのが物質界と言う魂のバイパスを澱み無いバイパス足らしめているのだと思うが、今のこの生が極端に発光していて死をあたかもどこにも無い物であるかのように主義主張する天国に居ると、ここで魂の渋滞が発生してしまっているように思われる。魂が、死へと流れていく事を放棄している、そんな感じなのだ。あの、天使達の死、その魂は本来ならばここ物質界ではない天国へ上がっていかなくてはならない、もしくは地獄へ深く落ちて行かねばならない。しかし彼らはその死に体を地面の愛玩具として弄ばれているばかりでなく、その魂でさえここ偽りの天国に封じ込められているのかも知れない。私は疑問だった、彼らも白を吐いた筈だが、それらは一体どこへ消えていってしまったのだろう、と。白は、彼らの生命力、それも子供の夢見る力をその主成分とするそれそのものだ、私も今自分の生命力の化身を眺めていてそれが分かる。そして白は、吐かれた事で彼らと分け隔てられた、生命の抜け殻−天使としての残り三日の、そして腐った木となってその存在を維持できるだけの仮初の生命が残された−と、生命それ自身とに。だから彼ら自身はああも死の異臭を放ったまま地面にへばり付いている、生命力を微塵も感じさせない腐り切った枝葉を晒し。彼らは、死にたいのだろう、だが死ねないのだ、この光り輝きが彼らの生命力に因る物だとして、それが今こうして私の目に眩くその存在を誇示し続けているのがその何よりの証拠になろう。多分彼らはそう、彼らがどうにか存在していなくては成立しないのであろうこの白の為に生き続けさせられているのだ。この天国は、恐らく彼らの白の力、夢見る子供の生命力で成立している、子供の生において死菌酵母の発酵など有り得ないから死酒の香りが微塵もしない、生だけの感じ、幸せだけの感じ、永遠の感じ非現実の感じがする。非現実、そう、現実感が丸で無い、本当に夢の世界のようだ、世界が永遠に止まってくれれば、遊ぶ事だけで太陽を仰ぎ見る事だけで水と一緒に裸で踊る事だけで草木と一緒に風の歌を歌う事だけで空を見上げて雲の白さを自分の心の色として染み込ませる事だけで暮らす、子供の日々、それが永遠に続いてくれれば、そう願って止まない何処かの夢見る少年少女が作り上げてしまった永遠停滞世界、生しか無いという、偽りの楽園、その惑星全体を材料とした模造庭園の中に迷い込んでしまったかのようだ。だが、ちょっとこの天国の外側を見ればそこには明らかにその模造庭園作りに余計だったのだろうゴミの山が転がっている、私とてそのゴミの一部だ。生命力を搾取されて、その生命力の影としてずっと存在を保持し続けねばならない塵灰、その塵灰がこの精巧で美しい模造庭園の中に入り込んでいるのだ。これは明らかにイレギュラーなのだろう。私は自分と言うイレギュラーがこの世界に何を齎す事になるのか、全く分からない。私はただこの模造物のような嘘臭い世界で唯一本物と思えるあの人に会いたいだけなのだ、私と言うゴミに反応してくれた、私と言うゴミを拾ってちゃんと屑篭に捨ててくれるかも知れない、あの人に会いたいだけなのだ。白の彼女と私と言う二対のゴミは、大いなる意志と言う突風に吹き上げられている、何処に着地出来るかは、知る術も無い。

0?「愛幻親」

 人の子が現れてきた、この居住区の存在理由、主要素である、子達が。白の彼女を取り巻く蝶のそのまた周囲を取り囲むような形で彼らは現れた、蝶が群れを成して目に見えない何かに釣られ動いている様に興味を引かれたのだろう。その彼らの介入は蝶の選択肢を作った、ひょっとするとこの天国における籠の鳥である彼らの籠に収められてしまうその危険を敢えて冒して白の彼女の蜜の予感を追い続けるか、それともここでその見えざる蜜との決別をし今まで追い求めていた在り来りながら十分に己の生命欲を満たしてくれる他の花に記された魅惑の蜜の光学記号を改めて探すか、その両者だ。蝶達はほぼ半々でその選択肢を選んだようだ、半分近い蝶は子供らが蝶を眺めつつ追いかけつつその群れの整然を掻き乱そうと群れにちょっかいを出したり突進したりしている内に白の彼女を離れ何処かまた地獄の死の森や天国の未知なる花園へと消えていった。残った蝶はこれら圧倒的な強者子供の齎す恐怖と憂鬱を噛み潰しながら白の彼女の取り巻きを続けている、それほどまでにこの白の彼女は力強い生命の波動を発していると言う事なのだろう。この子供達もひょっとすると表向きにはこれら蝶の群れを面白がってここに集ってきたのかも知れないが、無意識下では、いや意識する範囲内でもこの蝶を結びつける未確認動体エネルギーを感知してそれに蝶達と同じに圧倒的に魅了されて寄って来ているのかも知れない。子供達が耐え難く惹かれる物の内簡単に連想出来る物に、親が在る。これら子は、親が居ない筈なのだ、何故なら誰も大人になる事を許されていない世界だからだ。誰も子供を辞めて彼らを養育し慈しみ彼らと微笑みを共有し合う立場、親になってくれない、だから親は彼らからすると見た事も無い空想の中の巨人でしかないだろう。御伽噺の中の巨人イコール親の世界で生きて来た彼らは、多分何かが圧倒的に惹かれていて尚且つその何かが惹かれているそれが全く分からない、見えて来ない、と言う状況に弱い、それは彼らの触れ得る世界の裏側への空想、例えば渡り鳥があんなにも大勢で羽ばたいて行く先には一体何が有るのだろうとか、蟻が懸命に餌を運んでいく地面の中には一体どんな広がりが有るのだろうとか太陽が落ちていく空の果てでは一体どんな世界が新たに光を受け朝を迎えているのだろうとかそうゆう空想を通常の親持ちの子より強烈に抱いてしまうのであろう彼らの心理構造に顕著である筈だ。彼らはそう言った何かが惹かれている、何かが目指しているその未知なる対象に、彼らにとっての惹かれる目指すべき未知なる目的物、親、それをどうしても思い浮かべてしまうのだろう。渡り鳥は緑豊かなる水辺と言う、蟻は暖かなる大地と言う、太陽は新たなる地平線の向こう側の朝焼けと言う、それぞれの場所へと帰っていく。彼らにもきっと帰るべき家は在る、だが、帰ってその帰宅を祝福してくれる存在、親は、多分その代替者に置き換えられていて存在しないのだろう。彼らは、彼らの空想の親を探しに来たのかも知れない、渡り鳥や蟻や太陽の場合と違い、蝶の目指す対象は見えないながらも彼らの手の届く範囲に確実に在るらしいのだ、彼らがそこに親的な物を期待しない方が不自然だ、論理でそれが親ではないと分かりきっていたとしても。だが白の彼女は子供達に興味を示す事は無かった、私の記憶の中の人の彼女が今の白の彼女の人格根源なのだろうから、つまり彼女自身もまた子供でしか無いのであろうから、子供に対し何かそれ程特別な愛情を抱ける訳ではないのだ。ふいに、白の彼女と五年の精神年齢差(肉体的には人の彼女がモデルだから身体年齢差は無い、と言える)が在る人の彼女を思い浮かべた、彼女の五年は、彼女をより大人に、母親のポテンシャルを持つ大人の女性に近づけただろう、天使になってしまった女性と言う性を認識出来なくなってしまった私による想像など優に超える位に。私は、そんな母親としての輝きを持った彼女の微笑みが見たい、と飢える位に願っている自分に気付いた、私もまた、親への憧憬に苛まれ続けた不運な子供の一人だった。

10「死のミルキーウェイ」

 子供らも、先の蝶と同様幾らかの蝶をその手中に収めそれに満足し何処かへ去っていってしまう者、そして捕える事を目的とせずそんな独占欲に行動を支配されずただただ純粋に蝶の不可思議な群れのその行く末に興味を抱きその推移を見守る者、とに別れた。多分性別による行動指向の違いが有るのだろうが性別の分からない私には事実としてのこの場を離れていった者といまだ残っている者の性別の違いを把握する事が出来ない、ただ想像によってそれを思い感じる事が出来るだけだ。思うに、ここに残っている者も離れて行った者も男女同比位なのではないだろうか。離れていった者、それは蝶を捕らえたい、と言う独占欲主体に行動した者、それだけでは無い筈だ。離れていったもう一つの理由として思い当たる物、それは蝶が追い続ける移動する蜜の在り処、それに対する興味の大小だ。植物は己が種の繁栄を促す為蜜を精製し虫を呼び寄せそして花粉をその身に附着させる。虫に附着した花粉はそしてまたその虫が別の蜜に呼び寄せられた時にその蜜の生産工場花に落下し、受粉が成立する。これを人の生殖システムに置き換えるとつまり、花は動かない精巣で有りかつ卵巣と言う事になる、動いているのは精子と卵子を結びつけているのはその生殖の外側の存在第三者虫だ。人間の場合、虫に値する存在は居ない、虫の様に手当たり次第に受精を成立させる存在は有ってはならないからだ、人は精子を卵子を自らが選択する。だが、虫は実は目に見えないだけで人の生殖サイクルの中に紛れ込んでいる、男の性欲の働きは実に虫の行動に等しい、男は、虫が花粉のばら撒き方に無頓着であるのと同様に別に卵子を本来それ程念入りに選り分ける必要は無いのだ、ただ社会の枠組みが生まれ来る子供への経済的倫理的責任を要求するから男は生涯の伴侶を求めるのであってそうでなければ別に受精させる女を厳しく選択する必然は無い、もし自分の精子を虫が勝手に女性の膣内へ放り込んでくれるなら花の様に動かずに時たま性欲を発揮してさえ居ればそれでいい。だが、女は花ではない、女は花の様に男の性欲に従順ではない、女は男の中の虫を否定する、虫から逃げる生き物だ。女は自らの体に子供を宿すので有ってそんな巨大な生命の実りをわざわざどの男の物でも良い等と女としての生を投げ捨てたりはしない、女は野に咲く花である事を辞めたのだ、高嶺の花である事を選んだのだ、男はその高嶺を登る、或る者は手を滑らせ或る者は誰かに蹴落とされするだろう。がそれでも彼らはその高嶺の花に辿り着かなくてはならない、彼ら男は、野に咲く花である事を辞め、虫に咲く花、若しくは花びらで羽ばたく虫になったと言う訳だ。だからこの蝶に強烈に共感し蝶の獲得欲も忘れてこの場に残ってしまうのは男、彼ら少年でなくてはならない、虫が強烈に求める物の面影には女のシルエットが見え隠れする事を遺伝子的に心底知っている者でなくてはならない、しかもその虫が求める物が未だかつて感じた事の無い様な女的神秘なのだ、否定し難い興味衝動を抱きもするだろう。また女、彼女ら少女は蝶に対する獲得行動意欲も希薄だろう、何故なら蝶は男が捕らえてくれるからだ、男が望むだけの数の蝶を捕らえてくれたら、女には基本的にこの場に居る理由は無い、そもそも最初からその面ではこの場に居合わせる理由が薄い。だが、私は離脱者も残存者も男女の比率がほぼ等しい事を推測している、ここに今居る蜜の移動体、白の彼女を目的とした少女達も少なからず居るだろうと考えるからだ。虫がこうまで惹かれている、その存在への憧れ、自らも男にこうまで惹かれさせてみたいと言う願望を抱えている筈の彼女らは本能的にこの蝶の群れを形成する中心部の構成部品を少しでも我が物としたい、こんな綺麗な蝶にすら魅力を感じさせる美的高次元の女王座に自分も座りたい、と言う幻想を捨てられない筈だ、その幻想の吸引力に釣られこの場から離れられない者も居る筈だ。白の彼女は我々と言う新惑星系を束ねる若き太陽として天使の白が作った三途の川、死のミルキーウェイを進んで行く。私は思う、白の彼女は、対岸へ行こうとしてミルキーウェイを横断しているのか、それとも何処までも流れを下り天の川の果てに在る星の死海へ出ようとしているのだろうか。私は、天の川の果てなんてどうでも良いから対岸に有る筈のあの人の笑顔に辿り着きたいと思った、だが、不安が過る、ミルキーウェイに入る以前の深遠なる真空、天使の空虚、死の森、対岸にもあれと同じ光景が広がっている様な気がする、もうこの天使の白の天国にもその外側にも、何処にも本当に生が生らしく光り輝ける世界は無い気がする。私はそんな重苦しい思考を振り払う様に蝶と子供の女王の方を見た。彼女が眩し過ぎるせいで、対岸が見えないどころかミルキーウェイの何処に居るのかさえ全く分からなくなってしまった自分の姿が脳裏に浮かぶだけだった。

11「白と透明と」

 彼女の動きが止まる、何だ、対岸に着いた、と言う事なのか。それともこの液化生命の川、人という固形から強制的に蕩けさせられて一様にこの天国を伝う見えざる生命の腐敗溶液中に固形物を発見したのか、その溶液中に浸し続けていれば、いずれは同じ様に蕩け混ざり川を流れるその他生命水と区別が付かなくなってしまうであろう命の石を。命の固形は勿論子供達もそうだし蝶でもそうだ、木もそうだし、草も、この視界に映る有りとあらゆる有機物は今、生命が自らに宿っている事を雄弁に物語っている。だが、彼女はそれらでは動きを止めなかった、だから、彼女の動きを止めたのは単なる命の石、命の固形物ではない。命の宝石を見つけたのだ、私の、そして私の記憶を知る彼女の、宝石、人としての彼女を。私は私の真正面に位置してその先に有る物を見せる事を拒む様な彼女の背中を睨む様に見据える、彼女に次の挙動が有った時、世界が震撼する程の、少なくとも、私の立つ位置に亀裂が走る程の恐ろしく衝撃的な現象が起こる気がする。彼女の背中に、段々と覚悟が宿っていく様が見える、彼女は多分自分が何をする事になるかと言う事を熟知しているのだろう、私天使に何らかの役目があるとすれば、彼女白の太陽少女にも間違い無く私とは別の何らかの使命が用意されていると見ていい筈だ、きっとその使命を今、彼女は果そうとしているのだ。その後の行動主体が私になる位、ここで彼女らの何かが決定的に終るのだろう、そう、両方の彼女の何かが。その後、か。人の彼女とまた出会えそうだと言うのに、まだその後が有る事を予測しなくてはならないのか、やはり対岸には、闇の広がりが佇むのみで私はこの生命液の川に身を浸す事から逃げられないのか、そしてこの流れに身を任せ、流れの最果て、固形を持たない、生物に宿らない生命の辿り着く場所、本物の天国、そこまで行かなくてはならないのか(そんな世界が本当に有るのかと言う冷静な視点を持つ自分も居るがこの異常に不浄な非現実的現実を見ているとそんな異次元の存在も幾許か信じてみたくなる、と言うより、もう入り口位には来てしまっているとさえ感じている)。私は願った、生命の固形がこんな不自然な白き川の流れを生み続ける世界の状況ではなく、生命がその白さを生物として、生有る内に十分に発揮し、その白さを消費し尽くした終わりの排水が、透明なる生命の小水が、母なる海へと、大地へと還って行く、そんな自然で生命が生命としてこの物質界に有る事を祝福されている状況の実現を、この世界での神の微笑みの顕現を。それを成す為には、生命の流れの最果て、真の天国まで行かねばならないのか、この世界に留まって状況をどうにかしようと言うのではなく、神の居る領域まで踏み込む事で願いを達成させようと言うのか。神がこの世界に居るとするなら、何故こんな生命活動環境に於ける致命的プログラムミスをそのまま放置しているのだろう、神そのもののプログラムにも致命的な欠陥が有ると言う事だろうか。この世界は間違っている、それは真理だ、疑う余地は何処にも無い、が、神自身、この世界の構成方針、設計図自体に何か途方も無いミスが有るとすればこの世界が間違っている事は或る意味で実際は間違っていない事になる、その設計図を忠実に再現したのがこの世界なのであればそれは間違いと言う事にはならない。私は、その神の設計図、それを修正しそしてまた新たな生命への託宣記号を書き加える為に存在しているのかも知れない。人と神を結びつける、神の使い、それが天使なのだから。
 遂に白の彼女の背中が、揺れた。私は、白の彼女の背中に見えない天使の羽根を見た気がした。

1?「憐観囚」

 爆発した。白の彼女が人の彼女の住居と思しき建築物(ドアは何故か開いていた)に入って直ぐの事だった。爆発?一体、何が?咄嗟に私は自分の心臓を押さえていた。勿論違う、心臓が爆発していたらもう爆発した等と言う事を知覚している瞬間は存在しない。なら、何だ、何だこの神経を逆撫でする様なべとべとと嫌らしい不潔で露骨な爆発感は。何とも楽しげで、何とも気持ち良さそうな爆発だ、その何かが爆発した事で大いに失望し大いに悲嘆する者が居る事を知っている、人の不幸が主食の爆弾魔がそれを破壊したのだろう、そこまでは分かる。が、そこから先の思考が寸断されている、大いに失望し大いに悲嘆する者とは誰、そして、爆発した物とは、何だ。いや、物、只単に物体が破壊されただけではここまで背徳的な快楽の余韻を含む爆発感を覚えはしない筈だ、なら、物ではなく者なのか、生物が爆発したのか?いや、最悪の予想からの逃げ道として者に生物を含めてしまったが、それもやはり違う、基本的には生物に者等という高次な属性を人は与えたりはしない、生きる、物、そう結局は物と同等位にしか捉えない事が多いのだ、だから人にとっての者とは、悲しい哉人だ。ではやはり人の爆発、それが起こったのか?誰が爆発したのだろう、と言うより、何故私はその爆発したらしい人の爆発後の有り様を確認する前から人の爆発感を早速覚えたりしているのだろう。もの凄く自分の中核に居る人が爆発したのではないか、その人と連動して私の心臓で暮らしていたもう一人のその人も同時に爆発してしまったのではないだろうか、だから私はその人の爆発感を自分の心蔵に感じたのではないだろうか。自分の中に居る、もう一人の自分自身だと言っても過言では無い人間、そんな者は何人も居る物ではない、だから、その人が消えたら私は完全に孤独者となってしまう。その人が私の中から完全に出て行ってしまう、消失してしまう事だけは避けなくてはならない。嗚呼、早速来た、嘔吐感が来た、多分この嘔吐はその人が今や無用なるバラバラの肉塊に変質してしまったからと言うのでそれを吐き出す為の物なのだろう。待ってくれ、例えその人が肉塊になってしまったとしてもそれが出て行ってしまっては駄目なんだ、私はその人無しでは生きていけないんだ、吐かせないでくれ、私の一部を私から切り離さないでくれ、その人の肉体にもはや命が篭っていないのだとしたら、私がその肉体を引き継ぐから、その肉体を食べてでも私の中に取り込むから、だから吐かせるのだけは止めてくれ。だが、その私の呼び止めも虚しく私の肉体は自分の中のもう一つの肉体の管理者が消滅してしまった今それを管理するのは不可能と判断した様で私の口は勢い良く肉塊と肉汁の大洪水を起した。この嘔吐と一緒に全てが流れ出て行ってくれればいいな、と思った、私が天使になってしまった事、彼女も別の意味で天使になってしまった事、私がもう二度と彼女の笑顔を見ることが無いであろう事、私がもう二度と他の生命の幸せの為に行動を起す気にならないであろう事、何もかも、流れ出ていってくれればいいな、私の命でさえも、と。
 私が一通りの彼女の分解肉片(勿論精神的な物だが、今の私にはそう思えない、この嘔吐物の欠片一つ一つが彼女のそれであると堅く信仰している)を吐き終えた所でまた異様な状況に気付いた、子供達や蝶が、丸で命を吹き込まれる前の肉と骨格の人形であるかの様にそこらに倒れている。確かに、それが命を吹き込まれる前の物だとしたら神が命を吹き込み忘れた不良品という風に解釈してもいいのだろうが、これら精巧な生物標本は、ついさっきまで生きていたのだ、逆に神がそれらを標本にしたいと言うのでぶすぶすと針を心臓に突き刺したが故に彼らは永遠に眠ってしまったのだ。更に周りを見ると草木も死んでいる、その表面に緑の輝きを守っているが何かが可笑しい、私のこの情報過多視界だから感じ得る事なのかもしれないが、もう草の緑を緑として留める為の生命の脈打つ感じが失われている、水の吸い上げ、光の受容、二酸化炭素の吸引、酸素の吐き出し、同じ様に死んでしまった茎を登っていた蟻や葉に住んでいた油虫と共に有る時の平和な感じ、葉を食らう蝶の幼虫や彼らを超然と踏み砕く人間によって壊された感じ(それでもまだ再生への意志の伺える感じ)、そう言った物がもう二度と起こり得ない事が明らかな位彼らを包んでいた生命感が完全に停止している。今、この世界で動いているのは私の心臓だけだ。辺りの物同様に自らと言う生命の消失を願う時限爆弾宜しく冷たく一定の間隔で動く私の心臓だけがこの世界と矛盾している。圧倒的な静の世界、死の世界だ、この神々しくさえある荒廃感を私に味わわせる為に生の溢れんばかりのこの天国が有ったのだろうか、とすら思えて来る。これが、白の彼女の成すべき事だったというのか。見えざる羽を持った彼女のその羽を視覚可な本当の姿にする為の、つまり偽りの天国を壊し本物の天国を手に入れ本物の天使となる為の、この静寂の大量虐殺が彼女の目的だったのか。私はその見事なまでの神的エネルギー行使劇のたった一人の観客と言う訳か、しかも何も出来ずに自分の大切な人を失うと言う衝撃の結末が待っている事も知らなかった観客だ。観客は、劇に対し、泣く、笑う、怒る、驚く、疲れる、力を貰う、など様々なリアクションを持つがそのリアクションに責任を持つ必要が無い、何故ならその劇と自分とは現実と非現実との間の壁で厚く確実に切断されているからだ。だが、私は違う、本当は只の観客ではない、劇が終ると同時にその劇への感動冷め遣らぬ内に何故かその劇の続きに於ける主役に抜擢されているのだから、何時の間にか、劇世界と言う檻の中の囚人に成り下がっているのだから。そして今、私の持っているリアクションは、自殺への甘い幻想だ。

?0「愛実心」

 場合によっては私の死刑執行人、若しくはその立会人になる人、白の彼女が、人の彼女の住んでいた筈の場所から出てきた。相変らず、病的に真白い、人の彼女の返り血を浴びてもそれが身体に附着する事は無いのだろう、この私がそうである筈な様に。ただ建物に入り込んだりする為には体の在り方をどう歪めさせてもその建物の輪郭を形作る所の物即ち壁をすり抜ける事は不可能であるので彼女はまた開いているドア、自分からは勿論開ける事の出来ないそれから出て来たのだろう。その推測を確定事項とするべく私も人の彼女の爆破現場へと繋がるその魔への入り口に行って自分の特殊な身体物理性を確認してみよう等と言うちんけな遊び心の為に行動する精神的余裕は、無い。私にとって今開かれている門扉は、死へのそれか、生へのそれかだ、それ以外の方向へ行動を起こすにはまず生の門扉をくぐらねばならない、生の門扉をくぐり終えた所で私に待っているのは空しさの雨風でしか無いのだろうが。そんな風雨を凌げる程私の肉体は暖かさを強く残しては居ないし、強さを暖かく守っても居ない。もう、手なんて足なんて、頭脳なんて存在してもむず痒いだけだ、私はもう、死んでしまいたい、死ぬ事は変態愛癖を持つ地面に許されていないのだろうが、少なくとも積極的に何をする必要の無い、天使の死骸、死の樹木、あれになってしまいたい、地面に愛玩具として蒐集されて私の手足や頭脳を好きに弄ばれたい、もう、人の彼女には、どんな想いも届かず、どんなに駆けても一寸も近づけない、どんなに抱きしめようとしても、彼女の体は何処にも無いのだから。ならば、地面にその熱い想いを消化してもらいたい、地面に愛の言葉を囁かれて口付けされて犯されて汚されて手足をもがれて頭脳を食われてこの想いが粉々になってしまって欲しい、さも無くば私は過剰情報五感がどうのでは無くこの想いの膨張もしくは異常発熱で爆発炎上してしまうだろう。白の彼女はそんな私の想いを知ってか知らでか確実に私の方に近付いてくる、顔中の至る所から液体を垂れ流し頭を抱え笑いながら失禁している無様な人間の方に。私は彼女の爆発を感知してから初めて能動的に行動を成した、白の彼女を見上げる、と言う。白の彼女は、私に口付して来た時と同様、表情が無い、人とのコミュニケーションは彼女の中での優先度がかなり下位に位置しているのだろう、若しくはそんな物の存在自体設定されていないのかも知れない、彼女は、私の三日間の為にだけ生まれて来たのでありその三日の己の仕事以外の余分な因子は全て排除されているのかも分からない。私にして来た口付けだとて、幾分かでも私の人の彼女への愛を思い出させる為の物でしか無かったのかも知れない、私は彼女への愛以外に行動する原動力を持ち合わせていないのだから。だが、私はそんな計算式上の愛情表現に等飢えていない、もし彼女がまた私を奮い立たせようとして微笑みを持とうものなら私はその微笑みを憎みさえするかも知れない、彼女の美しい笑顔をそんな詰まらないイミテーションで表現しようとするな、私の彼女への記憶を汚すな、と。だから私が白の彼女を見上げたのはその慰めの笑顔を求めたからでは毛頭無い。私は彼女に求めたのは、死への許可だ。白の彼女はこんな風に天国を終わりにしてまで私に成して貰いたい事が有るのだろうが、私はもう何もしたくないのだ、そんな責任を背負わされる筋合いは無いのだ、だから、死んでも良いですか、この天国領域を抜けた所に有る眼球の青空を見上げて呪詛の幾千の刃でこの身を貫いても良いですか。彼女は、果たして微笑んだ。私は、その笑顔に負の感情を全て吹き飛ばされた、何故なら、その笑顔は、人の彼女の笑顔そのものだったからだ。大粒の涙を流しながら、それでも優しく、嫋やかに微笑む白の彼女、間違い無い、白の彼女は人の彼女との接触で人の彼女の魂に触れたのだ。白の彼女が人の彼女の所へ向かったと言うよりはむしろ人の彼女が自分の想いを私に伝える手段として白の彼女を呼んだと言う事なのかも知れない、その接触で、つまり人の肉体のまま天使と重なる、人の肉体の物理を完全に拒絶する天使の肉体に触れる事で己がどうなってしまうかを知りながらも。その決死の想いの手紙が、この白の彼女と言う伝書鳩に託され今こうして私に全てを吹き飛ばされる程の衝撃を与えているのではないだろうか。論理的証拠は何処にも無いが、私は、この笑顔なら信じられると思った、こんな笑顔の出来る白の彼女なら。いや、もう人の彼女と白の彼女は一つと言っても良い、この笑顔が出来る人間は、私にとっては一人しか有り得ない。私は五年振りに本当の意味で彼女に再会したのだ。気付けば私も微笑んでいた、先程までの狂気の笑顔等では無い、幸せの、微笑みだ。二人が人として出会ってお互いを愛情で暖め合うという様な理想の幸せは勿論実現しない訳だが、それでも今、私の笑顔、彼女の笑顔、このふたつの間に存在する揺ぎ無い暖かな物を、幸せ以外の言葉で形容するのは不可能だと思えた。死ねない、死ぬ訳には行かない、私は、彼女と子供を成し得なくとも、私がこうして天使として、彼女と共に有る事行動する事で結実させる事の出来る何かを見つけるまでは死に物狂いで生き続けてみせる。その結実、未だ見ぬ私達の人ならざる、天使の子。私は彼女の為、そしてその子の為に今、私を縛っていた負の鎖を全て引き千切って、立ち上がった。

?1「憐脆舟」

 彼女は、私にあの衝撃的な笑顔を見せてくれた後はまた白の彼女の中に溶け込んでしまった、つまり白の彼女の主導権、主人格はいまだ彼女が白の彼女に接触する前の物なのだろう、それが人の人格で在るのかどうかは別として。そして前と同じ無表情に戻った白の彼女は今度は今まで歩んできた道を戻って行っている。途中道端に死んでいる蝶や子供達を見た時、一瞬だけ人の表情が宿った様に見えたがその表情は白の彼女が元来持っていた物なのかそれとも人の彼女と接触した事で新たに得た物なのか、それを判断するには余りにも一瞬過ぎた。私は、もう一度、たった一度で良いからあの笑顔を見たい、それだけの為に行動する飢えた野獣の様に白の彼女を以前同様追尾していた。白の彼女の使命は、かなりのレベルで終結を見た筈だ。だとすると今の彼女は私の使命の為に動いていると考えるのが筋だろう、私の使命、それはこの終った天国には無い。なら、それは一体何処で成されるべき物なのだろうか。この天国領域を抜けても待っているのはまた同じ様に終っている死の森であり、そこで私が何かを成す、と言うのは考え難い。であればその死の森を更に進んだ所に在る場所が私の行き着くべき場所と言う事か。そこまで考えてはっと気付く、死の森を深く進んだ所に在る物、それは、私の天使としての始まりの場所、そう、天使製造工場ではないか。あそこの天使製造システムは、まだ機能しているのだろうか。天使予備軍生産牧場であった偽りの天国はもう崩壊したのだ、だからいずれは資源、そう命と言う名の資源が尽きて嫌でも停止するのだろうが、今はまだ五年分の命のストックが在る筈だ、私以降天使に成るかも知れない少年少女達の魂が弄ばれている筈だ。私は、それら現在進行形で天使化されている準天使達をどうにかすべくこうして白の彼女の先導の下天使生産工場へ向かっているのだろうか。いや、恐らくは違うか。生きたとしてどうせ三日がせいぜいの彼らはもう、私同様半分死んでいるような物だ、あの施設に収容された時点で逃れ得ぬ死を宣告されたのだ。なら、まだ死を宣告されていない命達の為に行動する、と言うのが尤もらしい在り方だが、そんな物が何処に在ると言うのだ、私は今居るこの世界には死の黒い光しか感じられない、白の彼女の輝きを除けば。もしや、白の彼女との結婚式場にでも向かっているのか、この生命感が歩いている様な彼女と私とで何か新しい生命を産む事、それが今現在目的とされている事なのだろうか。私はこうした考えの一粒一粒を前を往く彼女に言語の包装紙で包んで手渡したいとつくづく願うが、私にはもう発声機能が無い、基本的には一人で生きて、一人で死ぬ事が設定されている存在なので不要な物は根こそぎ奪われているらしい。だが、私はあの笑顔を見せてくれた彼女に対して沸き上がり絶えない信頼の泉を設けたのでそれ程問題は無い、彼女の行動に信頼を寄せない瞬間は片時も無い。私と彼女は、この愛と信頼の小船に乗っていればこの死の川を何処までも往けると思う、だが、どちらが欠けてもいけない、船の前に居る彼女が欠けても、船の後ろに居る私が欠けても、この脆い船はバランスを失い沈没してしまう。言葉無しでも、私と彼女にはお互いを必要としている諒解が成立しているのだ。言葉はせいぜい、船を飾り付ける程度の物でしか無い、どんなに言葉で飾り付けてみても、船は相変らず小さくて危なっかしい。だからあの言葉ではない口付けが有り、言葉ではない笑顔が有ったのだ。その愛の記憶は、後ろと前に居る私達を船の中心に近付けてくれる、船がより良いバランスを持つ事が出来るように。この動く事すら危い船の中心で、ちょっとした行動が即死に繋がりそうなこの世界の中心でいつか、私は彼女の事を堅く抱き締める事が出来るだろうか。

22「審判の日々」

 天国の外へ出た時、つまり空にあの死の視線を送り続ける眼球の園を擁く腐敗の森の入り口に立った時、私は有ろう事か思い切り首を上空に向けてしまった、まるで神の視線に釘付けにされた従順なる信者の様に。そして、私は生きている、そう、空の眼球は、死の視線を失っていた。それどころか今度は何故だかその視線が哀愁さえ帯びている、己が死の視線を持つまでに邪なる物に堕ちた愚を悔いるその哀愁なのか、それともその死の視線を無くした事で己の存在定義が著しく揺らいだ、その自我崩壊への哀愁なのか、それはその目達があまりに、物理的にも、その存在の不明瞭感から来る精神的なものとしても、遠すぎて判断するに至らなかった。私は、目の前に居る彼女へ愛の視線を送り続けながらその後を追う事を暫し止め、その場に立ち止まり上空の観察を始めてしまった、もう、その視線に変化は期待出来ないであろうからそうした所で得る物は何も無いと言うのに。彼女もその私の挙動に気付いたらしく、立ち止まり私から離れた場所で同じく空を見上げた。劇の終わり、そして観客は観客で無くなる、見るべき物が終ったからだ、私は今、この目達ももしかすると観客だったのかも知れないな、と思っている、この観客はしかし只の観客では無かった、古き天国の崩壊とそして新たなる天国への探求と言うタイトルの劇を見せられている私を見ていたのだ、彼らからすれば、私と言う現実世界にて映画さえ霞む様な圧倒的なスペクタクルを見せ付けられる無力なる観客一個人自体が面白おかしかったのだ、そして彼らは自分らの視線で以って劇に更なる面白さを加味する事が出来た、彼らの死の視線に怯える弱者を眺めて余剰なる背徳の悦びを味わう事が出来たのだ。だが、恐らく彼らは私が何の劇を見ようとしているか知らなかった、こんな異常に狂おしい胸に回復出来ない心の傷を幾重にも刻む程の弱き者達の命遊びが行われる劇中劇をきっと想像だにしていなかったのだ、彼らは私や私の前の木になってしまった否彼らが自ら進んで半殺し木へと文字通り植物人間化させた弱き翼の折れた天使達を視線で弄くりまわす事以外は何も見えていなかったのだ。そこまで考えて、思う、否、彼らは私の様な堕天使で遊ぶ事も楽しかったのだろうが、他にも何か存在する上で悦びを得られる事も有ったのではないだろうか。そう、あの偽りの天国、あれは彼らにとってもう一つの遊技場だったのではないか、あの嘘臭くも麗しい子供の楽園をあの異常に心落ち着ける美しい空と共に演出していたのは彼らだったのではないか。それを失った空虚感こそがあの瞳に湛えられた哀愁なのではないか。私はそう考えた時思わず後ろに駆け出していた。
 そして、また元楽園の有ったその領域まで戻り、空を見る。相変らず美しいが、そこにはそれと見て取れる悲しさが有った。それは、無機質な悲しさではない、自分の真下で有り得てはならない規模で悲しい事が有ったのにそれを微塵と悲しいと思えない非生物に感ずる悲しさではない、空自身が、体を軋ませて悲しみの旋律を、劇のエンドロールを垂れ流し続けていた、誰も観客の居なくなった劇場で。私は、その時地面に有った草を掴もうとしていた、だが、勿論私の体は通常の物理世界の何に触れる事も出来ない、その草には触れられない。それでも私の指は恰も草を掴んだかの様に満足げに草の根元を離れた、そして私の口元へやって来た。私は気付く、嗚呼、私は人間として存在していた頃、草笛が好きだったのだろうなと。私は、見えない草笛を吹いた。この人の審判の日々は、まだまだ長く果てない。むしろ人の生きる一日一日、全てが審判の日なのかも知れない。私が生きているこの瞬間もそんな在り来りな数多の審判の日、その一つのヴァリエーションに過ぎないのだろう。そして、審判の日、日々では無い、最後の審判を下されるその日が来るのを避ける、その期限不明な執行猶予としての日々が私の居る審判の日々、なのだろう。その最後の日を、私の見る事が出来る人生と言う劇のエンドマークとしたくは無い。私は見えない草笛で精一杯、人として生きる悦びを表現しようとした、だが、上手く行かない、何度やってもそれはとても悲しそうに聞こえた。しかし、それでもいい、人は幸せの為に色んな事を、何度も、何度も成功へ導こうとするがそれが上手く行かず悲しみという失敗に終る事は間々有るのだ。失敗したっていい、喜びを想う気持ち、それが心に燃え尽きず残っている事、それが一番喜ばしい事だ、人として存在する事の、唯一の光だ。私は、見えない草笛を空に放った。悲しい曲を流し続ける空に幸せの歌を教える為、草笛は見えない鳥となり、その歌を練習しながら何処までも高く飛んで行った。

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