Last of the Pieces: Holiznier naz Crysetalanom
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第一晶「花一匁」

First Crystalline: Dry Eye

 花だ、花。私は、と言う事でもなく私の、と言う訳でもない。勿論誰かがでも誰かのでもないし、あえて云うなら誰かに花とは言うことが出来なくて私に、と言う言い方をするなら或る程度は今の状況を伝える事が出来る物と考えて妥当であろう。花が預けられている対象は間違い無く私だ、それは今までの生活に刻まれて来た無骨な記憶の彫刻に克明に表されている。とにかく、花だ、花で私の世界が回っている。花は私を愛する術を知らないのにその癖私を必要とし私を動物として機能させ何処までも慈しまれるべき存在として其処に座し、そして立ち上る事は無い、朽ち果てるその日を迎えるまで赤子、揺り篭からそして揺り篭へ、最初から自分の姿が墓碑である静かな生命それが花だ。そんな可愛い可愛い確信犯的永久未成熟児が骨格として持っている張りぼての笑顔を見つめながら同じく労の無き様その氷の笑顔を自分の物として獲得して笑い合う親子を演出しなくていいのはせめてもの救いだ、ここでそんな気を回さなくてはならない社会性の蜘蛛の巣は私の手足の自由を奪ってはいない、私に花、その言葉を脱出して異常としての純粋性を破壊出来る他者は居ないからだ、居たとしても私をモルモットとして眺めてそれを撮みに酒でも飲みながら赤子の時宛らの不愉快な赤ら顔でご満悦なのだろう。それ以前に、この大人への道を知らぬ赤子には目が無い、こちらがどんな態度で水を上げようと何一つ問題にはならない、水は欠かさずやっているから中々の美を咲かせているとは思われるがそれはこんな花の笑顔を荒野の雑草程度にしか評価しない人間に相応しいものではないのだ。相も変わらず、花はちょこなんと花であったが、私は私であるとは言えない、花を愛する心も無いのに花の世話をし続けなくてはならない私は自分らしさ、自分としての資格をとうに失っている、そしてそれに対し流す涙はもう目からは出ない、花に与える水が、もう勘弁してくれ、この水は実は猛烈な酸だからこれでくたばってくれ、と言う憎しみの涙なのかも知れない。花は、その涙で生き続ける、人の憎しみをキラキラと太陽光で反射させながら、腐った赤子なりの、堕天使なりの品位を保ち続ける。私は、人の憎しみを勝手に蒸発させている敵なのか、それともそうして蒸発させる事でまた私に憎しみの涙を流す権利を与える味方なのかはっきりしない太陽に視線を送った。何も見えない、ただ目が痛い、この痛みは目が涙を思い出す一助と成り得るだろうか。ならなかった、私が太陽を直視し過ぎて気絶するのが先だった。

Second Crystalline: Fair Hair

  目を覚ます、私を即時的眠りの境地へと追い込んだのが太陽であるならそこから私を引き釣り出したのも彼である様で相変わらず信用を置いていい訳では無いながらもその力を借りないで置くのはまた考えにくい、顔だけは良く合わせる会話共有数零ないしその近似数である擬知人の様な彼であった。私はそんな彼が私を立ち上がらせようと差し伸べた手が胸倉を掴んで来ているかの様な奇天烈な錯覚を覚えそれを払い除けようとかなり執拗に自分の首の辺りで手に蝿をやらせた後、足に鉄をやらせる、踵の先から出でた杭が地面を貫いて打ち込まれていると感じられる程、踏締める、と言う行為が握り締めると言う行為と同格と呼べる程、血が出る位に、その血が私の血か地面の血か分からなくなる位真剣に、その滑稽な行為の滑稽さをぐちゃぐちゃにしながら、起き上がり立つ。そうして日時計の中心軸と化した私に、太陽は興味深そうな光線の一億である視線の一瞥をくれる、時間に縛られてのたうち回る事しか出来ない人間風情がどれだけ日時計の高貴なる静止を保つことが出来たものか、と面白半分侮蔑半分に試してみたくなったとでも言わんばかりに。私は影の姫君が光の銃砲に打ち抜かれるのを耐え兼ね彼女と銃の間に飛び出した、無謀と勇猛を履き違えた理想に生きる文学青年とでも言った貧弱な仰け反り方で二分で撃沈した、そしてまた二、三分の暗黒への回帰、自分の空っぽさをその黒に見る一人への閉じ篭り。
 またも暴力的に私の髪の毛を天使の髪、老いてその光への反抗性を示さなくなった頭に源を持つ白き滝へと作り変えようと撫で回す太陽の暑苦しい腕の触感に黒の静かを冒された私は瞳開け、そして今度はそうして仰向けのまま太陽を見やる。このまま太陽の舌に私の髪を愛撫され続けるといけない、本当に太陽の愛撫に添う形でここが欲望の捌け口として彼としての理想の白で染まってしまうかも知れない。私の髪が元々何色であったかなど興味も無く覚えてはいないし今確認しようとした所でこう太陽の力が強い環境下では私がそれと望む都合のいい美色がそこに用意される事はまず無いだろうがこれだけは分かる、私は太陽の唾液で滑る髪の毛を一本抜いた。その髪の毛は、とても萎えている、つまりこの太陽の光も唾液も私の髪にとってはあまりよろしい物ではないのだ。そして、なんらかに色が有る、何色か、と思ってしばらく眺めるが色が見えたと思った時にはその髪は視界の向こう側に有る地面の色と同化して見る事が出来なくなるのだった。ああ、地面に寝そべっていたせいで土が私の髪に幾らか埃の様に被っているのか、と結論付けてみたかったがそれは明らかに論として不足している、汗、つまり太陽の唾液それで太陽が私の髪に土色を付けて小さな女の子のお人形遊び位の心積もりで楽しんでいるのだ。そして私はそれを払おうと言う気概も無い、もう抜いた髪の毛だ、終わった髪の毛だ、それに今頭からだらだらと新しい涎を提供する私に付属する髪の毛のそれについても同様だ、幾ら払った所で太陽の涎が拭えるものでも無い、むしろ太陽の涎を吸収するスポンジ程度に受け止めておくのが平和的だ。
 髪の色は結局分からなかった、見ようと思えばいつでも見られるだろうが、それ位の希求心しかない事が私をいつでも疲れさせた、私は、私という一個人の色は、何色で有ったとして其処に何の意味があろう、この太陽に、この花に、この地面に彩られた地獄でのお祭り騒ぎにお誂え向きの見世物でしかない、土に涎に見事に飾り立てられた私の、その本来色など。だが私は、夢見た、その髪の内部自体に太陽の焔を抱く、熱き血管の束の様な、金の筋、頭の上を流れる天の川を。それを自分が持っていないのを知るのが怖くてなかなか自分の髪の色を知ろうという気になれないというのも一つの本音として胸を支配しているのかも分からなかった。

Third Crystalline: Creeping Death

 私の瞳の白は今曇り空と言うべきであって決して純白の穢れ無き羊毛だとか牛乳だとかに例える長閑さは有り得ない、それが証拠に今私の瞳には小一時間焼き付けた太陽がまだ生きているのだ、外周の白とは金輪際交わる事無くドロドロと黒い危機管理への貪欲なる映像情報捕食者は先程食そうとして余りの力強き輝きに敗北したその太陽への憧れを気高げに保持している、私としては早い所その幻想の光源を常時真正面に見据えて行動する事から来る懊悩の一切から開放されてしまいのだが割り切れない話だ、勝機零の戦いでその零らしき数の四捨五入を神経系統の限界が来るまで続けてしまった愚者への教育的拷問とでも行った所なのだろうか。光のドレスに身を包んだ天空の君、彼女こそが先程私が守ろうとしたらしい影の君の本体である事を悟って自分の身に宿した幻想以外にもっと視るべき物が有るという意気に瞳が打ち震え勝手に小水を撒き散らかすその時まで、私は私で次に成すべき事、水の獲得、その命に関わる重大な使命に思いを馳せる事にした。
 水は、花が生きていく上で欠かせない物だ、そして花は私にとって生命を維持する上で無くてはならない存在だ。私はこの結論を得るまでに色々と運命に逆らう為の反抗策を練り、そして試した。だがその中で一つとして試して良かったと思える様な実りが付随していたものは無かった。
 或る時には、花にしばらく水をやらなかった、すると花は次第に弱っていった。その姿を見るとなぜか胸が締め付けられる思いがしたが私は花に対する理解など花と談笑している蜂の隣で人肌を犯している蚊程にしか持っていないのにどういう理屈でそんな気分になるのか全く分からなかった。更にその何もしないと言う行動を取り続けていると、花が地面を見始めた、弱り行く茎が段々花の重みに負け始めて来たと言う事だ。いい気味だ、そのまま弱り続けて遂には地面との最初で最後の口づけでも果たすがいいと内心せせら笑っていたが心の奥底では可哀想、助けてあげたいと言う声が機械的に響いていた、この時私は自分の心が制御出来なくなっているこの上なく理不尽で不便な現状を把握したがこの花さえこの世を去ってしまえばそんな心配もどこかへ流れ去っていってしまうだろうと考えていた。
 花が見えなくなった。見えるのは地面ばかりで空さえその視界から消え失せた。花同様、私も弱り首が上がらなくなっていたのだ。だが私はそうと素直に認めるまでに時間が掛かり、花との根競べだとしてそのまま丸一日過ごしていて精神を病み、そして嘔吐を繰り返した。この花と私、と言う可愛いタイトルの付いた壊れた世界に入り込んでから何を口にした記憶も無いのに私の口からは土色の確かな吐瀉物が「転げ出た」。それは確かに別の何らかだったのだがその時気の動転していた私にはそれが正確な所なんであるかを識別する事は出来ずただただ今までに食べた経験の有る食品の成れの果てのイメージを投影した物をそこに見ていた。その何らかの物体達は、しばらくして自分から己の正体を名乗り出た、その私の口から転げ出て来た土色達は一様に芽を出し始めて居た、これらは、種だったのだ。種、新たな生命の誕生を予見させる物、そしてその傍でそれを発生させる苦しげな人間、そこに私が這い寄って来る死の影を見出さない訳は無かった。

Forth Crystalline: Minotaur

 種に、こんな異種存在に自分の生命を勝手に継承されてたまるか、そう考えた時には私はもう走り出していた、何処へ、そう水の在処へ。私が花の世話をしなくなり私に預けられている花が死の淵に佇んでいるという程危機的状況にあるとなった時、私と花を結ぶ糸を断ち切って別の場所に、私から発生した無数の子孫的異物に花が恥じらいと至福の中生命を吹き込む事で生まれるのだろう沢山の赤ん坊達と哀れな次なる私の立場を担う者達の間に有るべき結び目を施そうと言うのが今回の事件の発端とも言うべき隠蔽されていた目的なのだろう、だから私は糸を切りに来た鋏に親指を捻じ込んだのだ、こんな首が地上にしか向けられずしかも終始口から唾液の熱心さで漏れ出る種達にその口の中を強制的に貸し切り状態で遊技場化されている異常現状を痛い程把握しつつ、その余りの笑うしかない恐怖の有様を太陽にスポットライトで照らされつつともすれば滞りがちな二足の交互駆動に鞭する騎乗の人となったのだ、それはケンタウルスを空想すれば一番映像的にも私の精神的にも安らかで美しく雄々しく申し分無いが実際二足しかない上その二足に神経を集中しなくては上手く走れないとでも言いたげに下半身の方向だけを見つめていて丁度闘牛において赤色に突撃する雄牛位な無鉄砲さしか備えないとてもまともな知的生物とは考えにくい挙動を続ける幻想上の生き物など、誰も描くに値するとは考えてはくれまい、だからせめてその当事者である私位は自分の哀れな有様で抒情詩を綴るとしよう、まずタイトル、つまりこの生物の名前は、ミノタウルスである。何に激突したとして激突した本人が腰から砕けそうな程貧弱で病的な走り方を続けるこのミノタウルスは或る事に気が付く、種がまるで唾液に混じった無数の泡の誤認でしかなかったかの様に口から消え失せていた、つまり花の聖域においてしか二人の愛の結晶は有り得てはいけないと言う腐った恋の掟なのだろう、ミノタウルスは尚も唾で種にならない泡を作りそれを口の端からシャボン玉遊びをして無駄な所で無駄の無い様にしながら足をもつらせつつも地を蹴り続けた、鋏では親指を上手く切る事が出来ない事を糸切りの悪魔が悟ってその仕事道具入れから鋸を取り出す前に、辿り着かなくてはならない、目指すは花の聖域を離れた次の不可侵領域、水の保管以外に何の不要因子を許す事の無い神の作りし園、水仙の畔だ。

Fifth Crystalline: Nasty Beef

 かくして親にちゃんとした突進作法を学ぶ機会の与えられなかったミノタウルス、もとい私は水仙の畔、と個人的に名称を付け親しんでいる所の領域へと何百回目かになる進入を果たした。あれだけ方向感覚の不明だったろう状態から何故こんなにも地理明るくして目的地を探り当てる事が出来たのかと言えばそれは私の頭脳にはこの世界における方位磁針が埋め込まれているからである。もう少し言葉を開拓すると、私の意志は私が目的地として設定した場所へ体が吸いこまれていく一事の為に地に見えざる不可避の足場を浮き上らせる事が出来る、その切れぬ一線以外の地形を架空の池沼として水没させる事が出来る、そうして意志の親心に何もかもお膳立てされた自律歩行化の赤子は何の心曇りも無く晴れ晴れと向かうべき光の外灯へと真夜の蛾として舞い行く事が許されていると言う事だ、人にあまり好かれる所の印象を宿さない巨大羽を手にしてしまった蝿の狂乱とでも言った醜さで修飾される偽りの蝶の舞、それを、己にとっての頭上になってしまっている地平、その地平が空に一面張り巡らされた障壁であるとすればその地平に立つ生物にとってその場が雨を凌げる屋根の下を意味する事が可能であると思われるがその空想上の屋根まで先程口の端からシャボン玉をボタボタと飛ばしてはそれがぐしゃっと壊れて消えていくのを心に毎回思い描いていたミノタウルスの珍妙な混乱したとても走行が主目的だとは考えにくいながらも指向性を孕んでいた動作と並べて語っても何人も異論を挟むまい。私の意志は地理を包括している、が、だからと言って私がこの世界における籠の鳥である事実は一寸も薄れない。そういう事を加味すると私という存在は意志の下に赤子をやっているのではなくもはや幼虫位に落ち込んでいるのではないかと思えてならない。架空の池沼に一線伸びる確かな足場、それは普通の人が歩む分にはとても十分と言える幅が用意されては無くなかなか安定して進むのは骨だろうが、私は手足無く体全てを普通の人にとっての平均台位に頼り無く不親切な足場に任せる事が出来る芋虫が如き存在でしかないのでやる事為す事スケールが小さくて良くて、世界の有るべき枠組みから出るなんて大それていて逆に楽なのだ、殆ど全てを諦めてしまっているから、本当は芋虫ではないのに手足が無い位に非力で詰まらない存在だと知ってしまっているから。何時人間の食欲に求められ畜殺されるか知らないが、それでも牛は己の運命に疑問を差し挟む必要など無いのだ、そんなもの持った所で、きっとストレスで早死にしてしまう。ただその時思ったのは、いつか人で人形遊びする素敵な紳士淑女に私を適正な人徳の及ばぬ黒い悦びに満ちた宴における一品目としてご賞味頂ける機会が有るのならせいぜい飛び切り不味く成長してやろうと言う精一杯の反抗の事だった。その血肉で煌く地底の天国に住まう堕天使の姿も屋根の向こうに隠れてしまっているが、そんな敵の事なんて知っていない方がいい、きっとストレスで美味しいうちに死んでしまう。

Sixth Crystalline: Garden of Narcissuses

 有るか無しかの血祭りの事は置いておくとして今は目の前にいざ存在の役目を果たさんと待機する無数の水仙の収穫祭に興じるとしよう、と私は考えた。一人で収穫を騒ぎ立てするというのもおかしな話だがそもそも一人が獲得し持ち運び得る量なんて高が知れていてそんな水仙の少量確保だけをしていたのではその行為を果たして収穫などと実り豊かなイメージと直結した言葉で表してよいものかはなはだ疑問であるし、それにわざわざ愛称を付けてまで親しんでいる場所でそれなりに気持ち晴れやかに赤子であると同時に私を縛る権力を行使する悪妻でもある花との窮屈な万年倦怠期夫婦生活の憂さを忘れて過ごす事が出来るのだ、ただ作業的に水仙を二、三頂いてそのまま帰ったと言うのでは寂しく不自然と言うもの、ここは時間が許す限りに水仙確保だけではなくこの水仙の花畑で感じ取れる様々の潤いをも目的としてその可憐な姿を愛で、またその恵みを祝い享受する祭事の企画立案、実施運営の事務を一手に引き受け、たとえこれより成す事が不要水仙除去のなんでも無い庭掃除だったとしても自然美を封じ込めた庭園造りの重要な下準備とまで呼んでしまう大仰さでこの数多有る日常行為の一環としての水仙採集を収穫、数多くの農作物に死の影が降りる季節において消えていく生命の輝きが春の新芽の時と遜色無く再度力強さを示し、我々はそんな彼らが体の一部として生き続ける有難みに揺るぎ無い感謝を覚える事になるその罪深くも神聖な行為として記憶の奥底に仕舞い込む事にするべきであろう。こうして、私が初めてこの場所に来てから毎回開催されている水仙の収穫祭はこの時も事を始める運びとなった、さすがに首を折り曲げられていたのでは祝いの空間には相応しくないのでいつもより開催期間が短くなってしまったのは仕方の無い事だ。
 企画立案、それは脳、実施運営、それは体の役目と言えばいいだろうか、後は二者を繋ぐ神経を配置すれば一人の祭りは完成することになる。脳が発想する事は全く幅広く留まる所を知らないがそれが楽しさに関連する事でありさえすればたとえ自分と言う一人の客人しか相手が居ないとなっても祭りの種として機能する。遊ぶ事を嫌いな人間なんて居ないし遊びの経験が無い人間も居ないだろう、だが他人と遊ぶとなるとそれを苦手とする人は多いかも知れない、おそらく私もそうだ、おそらくというのはもはや全うに人と過ごす人だった時の記憶はここでは発狂因子、もしくは自分だけを見ていて欲しい彼女にとっての嫉妬材料だとしてほぼ全て悪妻に取り上げられてしまったらしいからだが、だからこそ、こうして一人で楽しむ事がそれ程下手ではないのだと思う、そしてそれはきっと、もし動く事喋る事が適わないのにも関わらず私達人間の様に意志する力が備わっていたならまさに悲劇としか言い様が無い花と似ているという事だ(人間にも運悪く動く事喋る事の出来ない者は出て来てしまうがだからと言って種全部がそうなってしまったらもはやその種は人とは呼べない、ただの考える草木である)。似た者同士カップリングされてしまったと言うのが情けないながらこの生き地獄の真相に含まれている筈だ、私が何らかの失敗をして花との関係を拗らせ命の支えを失い最後に空でも眺めてから死のうとした時、実は唯の空を映す為のスクリーンでしかなかった青一面にこちらの断末魔を上げる気力さえ奪うであろうその事実がご丁寧に表示されるかも知れない。私が思うのは、私に預けられた花は実はそんな哀れむべきか驚くべきかの存在として覚醒してまっていて、当然どうしても話し相手遊び相手が欲しくなってこんな花と人だけの世界を求めそれをどうにか実現させたのにも関わらずまだ花としての慎ましさが捨てられないのだろうと言う事だが問題点は大きい、それはつまり、何故か赤の他人の子供を世話させられている点だ、私にとってあの花は微塵も可愛くないのだ。だが、少なくともそんな可愛くない赤子の口に色無き乳を含ませるべくしてここに居る父としての私はそんな花を解さぬ味気無い人間ではなくなる、ただ単に花好きの自分と言うのを設定されたのでは薄気味悪いので弁明させて頂くとこの水仙が女性の裸身位強烈で本能的な惹き付ける物を持っているからでやはり花が可愛いとする心なんて似合わな過ぎて笑えてしまうのだが、ともあれ花に近しい属性を持っていたらしい自分が水仙と戯れる事が出来る、心から笑顔を作る為の感情の湧き水を掬い上げる事が出来る。
 私は先の花に対する妄想をそのまま自分に当てはめて考えてしまう事がある、私自身、他人と楽しむ事が下手でそれでも話し相手遊び相手が欲しかった哀れで不器用な人間の一人だったのかも知れない、その状況を抜け出るべくしてこんな異様な静寂の悪夢を生んでしまったのかも知れないという風に。居た場所も悪夢、そこから抜け出てもまた悪夢の続き、だとしたら、と水仙の花畑におけるほんの隅の方に眼をやる、つまり体ごと移動して辛うじて水仙の根元が見える位置まで行く。この光る水仙が私の夢の結晶なのか、このずっと見ていたいと思える神秘の花々が。だが、それは違うと本当には分かっている、何故なら、この花々は真に夢、しっかり現実と言う地平に根ざしているとは言い難い、もう、間違いなく死んでいる終わった花々なのだから。

Seventh Crystalline: Runner in the Flame

 間違いようの無い死、そしてそれを眺める背丈有る冷徹なる現実の傍観者、私は要するに赤子ではない、ここで言う赤子と言うのはこの世界に不慣れでしかもこの世界における常識鉄則生死に関わる不問律、それが律である事に聊かでも疑念を抱こうならその律に無心で甘え頼る事でしか完全足りえない守護防壁を失いそうして現れる哀れに愚かな律の逸れ子を食べて生きる死の因果律に裂罅作られ微塵とされ破砕され爪牙を受け雷火に晒され屍としての有り様さえ満足に遺して貰えず冥界魔府への黒き土定逼られるだろう手足の次に王子である、頭脳の次に女王であるそれら構成部位に関する自己の実現者親の次に王である最優先指定学習要請事項を学ぶ意志を持たない或いは持てない非力者と言う事で言っていてそもそも生存するかしないかと言う自害意志の力を知らない力の扱い方に人として不備の有る極限まで動物的な人型生物の事を言うのではない。私の様に、自分を取り囲む死を知っていて、自分から創成し得る死も知っていて、そんな死と死の境界面に生の絶縁を張り巡らせて己の身に突如として開通し得る老体を抽象する金属銀で出来た線路に霊界発心臓行の魂の色に染まった稲妻で出来た列車がブレーキとアクセルをわざと入れ間違えて突っ込んでくる事の予期予防を生業としている生死観的な幼年期終了者でなければこんな人食いの鬼ですら住む事を躊躇うであろう世界に在っては勿論それだけでこんにちは赤ちゃんの次にこんにちは赤ちゃんの赤と言うレクイエムを聞く羽目になるだろうがそうで有りさえすれば後は気の持ち様、生きるか死ぬかの究極の二択を適宜回答していく母なる海に踊る波を模したか如くに絶えず揺れる生と言う水を入れたあまり水を入れるに適さない器の半永久ホルダーとしての才覚を試されると言うだけの話だ。死に自覚的である、つまり自分の別の言い方が死に分、己と言う現時点での頂点が積み重ねて来た過去はもう既に生き終わった部分もう終わって若かりし自分として死に続けて来た部分、どうする事も出来ない硬さの経験の石で構成される人生と言う完成の約束されていないピラミッドの土台で有ると言う事実を知っている人間は死に敏感である、少なくともそうであるべきだ、特に死の濃度が皮膚を溶かして胎児の体に戻してくれそうな程脳の皴を一つ一つ伸ばして半殺しにしてもしそれが鼻から出てしまっても膿だとしか思えない幸せな知能を与えてくれそうな程強い現状下では。だからこそ私はこの花達が飛ばす光が月の光、己から発するのではない、太陽に支えられて、生き生きとした明るみに支持されてやっと目に届くか細い少女の姿である事を強く強く知っている。自分から知る気にならなくてはなかなか少女の核心には辿り着けないものだ、私は全身全霊で、何故この少女達が月の光を発する亡霊になってしまったのかを大体予想として自分なりにまとめてはいるがそう言う段階の話ではなく細部まで余す所無く解き明かしたいと思っている、それは、この花達の美しさが私にさせる事で私の意志は何処にも機能していないのかも分からないが、ひとつ言いたいのは私が艶かしさに魅了される形で彼女らに関する柔和にして甘美なる諸事、少女の精神的乳房を求めたとしてその唇は赤子の単純さではない、皺だらけの欲望まみれの内臓的な変態的な形をしたものだと言う事だ、だからこの唇が啜る秘められたる蜜は生を約束するものか死を齎すものか分からない、だがそれでも私は何の躊躇いも無くこの世界における安らぎの背徳を行ってやる、そもそも少女、満足に生命を達成出来なかった者の死体から乳が生命の水が沸き出ると言う状況が既に世界として腐敗しきっていて、死んでいると言う事なのだ、私一人ばったりと死んだからと言って死の濃さは幾分も増すものではないと考えられるし私一人せいぜい生き長らえたからと言って生の白は死の黒の中に孤立無援で救難信号を出し続ける事になるだけだ、ならば、希望さえ重荷だとして粗方投げ捨ててしまったその残りを握り締め常に今にも死にそうな位生き切るべきなのだ、炎に焼かれ予め覚悟の下着用している死に装束の白に死の黒き焦げを作りながら、その炎の海原の先にある目指すべき何かは既に焼き払われているのだとしても、それでも一番危ない中心部を突っ切るべきだ、幽霊が足元のあまりの熱さから足が無いものとして思い込み現実逃避を図り苦痛を少しでも和らげようとした者達の死後の成れの果てで有るならば、私は足の有る英霊となってやる、自分が生命と言う名の炎の道を最後まで走り切った誇り高き人生完全燃焼者で在った証として。

Eighth Crystalline: Bright Stardust

 死んだ輝きで瑞々しく在り続ける水仙の園に在って生命諦観の私は生きていると言えるのか知れない。死して尚こうまで神々しさを維持出来る、美は生命の下地無くとも永遠である事の生き証人ならぬ死に証人である彼らに取り囲まれたら、この際心の美肌を愛好すると言った修辞技を含めたものとして美容を語るがそんな美容探求の志に生きる者は簡単に死に生きる者に化けて笑顔のまま逝ってしまいそうな生命の在り処が確かな物として受け止めにくい危機感の臭う少女達の遊郭だ、生憎私はこの千を越す若き芳香の源の相手をしたいと思う程生命欲ないし性欲を持たないので性技を生と心を別つ技として極めし夜魔を真の在り様としている一面有り得る彼女らに精魂抜かれて腹上死させられる事も無い、勿論愛の巣に帰れば愛おしい妻との甘いひと時が待っていた訳でこの言葉が言葉通りに表す所のニュアンスを手当たり次第分解接合し出来上がって来た愛の幻想詩語を彼女らに耳元で囁き尽くして貰いつつ巧みな舌技で私の鼓膜が破れる位耳を苛めて欲しい気持ちの無さまで言ってしまうと果てしなく嘘偽りと言う事になるがそれでも一応理性と呼べる物は有るので彼女らの死に様について客観的に俯瞰する位置の事など今まで語り徹して来られたと言う次第だ。であるからして今度は位置の事ではなく死に様そのものを言う順で有るとするのが筋だろう、首が地面を天だと定めていた当時俯瞰する私が地面に居て天に咲く花が私に見下ろされていて、と言う合わせ鏡の無限回廊が私と花の前後に走っていたのでひょっとすると私が語るのは花のではなく私自身の死に様なのかも分からない、実際この花達と私にそう大した差は無い事も分かる、だからこの花が少女だと言う形容が留まる所を知らず咲き誇ろうと、咲かせるその絢爛たる花に言の葉を纏わせようとしたのだ。彼らは、死んだのだ、人として一度死んで、死に様で咲いているのだ。それは彼らが放つ光に太陽光が光速で月面衝突して殺害された証である、昼時同様に夜の導とするには余りに弱々しい月光を思い起こす事が出来る所にも説得力を支持されている。彼らが生命を太陽として燃していた時期、その生命の波動とでも言えばいいか、そんな外部に漏れ出てしまう位に力強い彼らの生きていた証である所の物は多分私と同様に彼らが共に過ごした生命の糸で繋がった花に光の形で蓄積されていった、地面ではない外環境から入り込んでくる力強き物と言えば光である彼らの自然であり壮絶である誤解がそうさせているのだと考えられる、そしてこの時私の目に飛び込んで来ていた地よりの天空光とは星空より降り来て目に到着点を見出すそれと同様、過去の在り様を語る物だ、過去光放つ恒星が確かにこの世界で燃え尽きた事の代弁をする美しき光の妖精が、人との繋がりを絶たれ自身も死を迎えた後どんな訳に基づいてかは分からないがこの地に根を生やす事になり、墓前に花を供える誰も居ないという事でか光による生命記録媒体であると同時に墓碑自身と言う存在価値を宿す神聖たる容となった、つまり繋がっていた人との融合体に近い存在としての具象化を死後実現させた花々によるこの花園を住処として私の様な惑星である筈の花に全権を握られている無様な恒星に魅惑の超新星を伝えたがっている、そう言う事なのだろう。私はもう終わってしまった同胞達で新星座を作る事が出来ると言う程器用でも夢見がちでも無いが、ただ変な冗談を言う奇妙で歪みがちである点なら負けないだろう、私はたとえ燃え尽きる時が来ても今の狂乱したミノタウルスで終わる気はない、この星屑で充満した冷たい世界に一矢報いたケンタウルス座を今後私の位置に来る哀れな花の夫の絶望に黒き宇宙を宿しているであろう瞳に発見して貰いたい物だ。

First Clustering

 私は独りの祭りに在って猿への回帰そして四足の俊足を四足の動物性を四足の地面との親和を望むかの様に首を原人のそれより急な角度に折り曲げ、頭に血の沼底を見出す血流がはち切れんばかりの勢いで血管を太鼓革として奏する暴れ祭囃子に乗り気狂い様相で練り歩く獅子舞であった。この全く縁起を担がぬ呪われた単独演者による統制無き不穏の獅子舞は噛んで幸福を与えた次の瞬間に勢い余って噛み千切ってしまい更なる永遠の祝福を齎さんとする対象を汚れくすんだ瞳の奥深くで捜し求めていた。だが獅子舞は己が本分を見失いし流れ様怠慢なる血流を横目に時が滑らかに流るるにつれ穏やかに内なる祝意に突き動かされし殺意自体を噛み殺していく、何故なら周りに居る浴衣姿に眩いかと思われた祭りの華少女達はその実死に装束で光反射する所豊かである悲しき虚像の連鎖であり獅子舞が暴れ踊りて吹き付ける福の運び風は虚像など生の不在など微塵も揺らす事は出来ない。獅子舞は已む無く死した子の為に舞う神獣死子舞を拝命し彼女らの冷たき死を少しでも和らげるべくして火炎息を準備した、その火炎息は氷に閉じこもる彼女らの嘆きを溶かし氷を多量の水に変え彼女らに与えられる筈であった人生分の涙を流す事を許すのだ。その思いの丈篭る瞳ならぬ瞳よりの滝に境遇同じくする死子舞が共感覚えぬ筈も無く、心にストレスをこれ以上覚えれば致死量になり兼ねないとしてストレスと言う感覚自体の消滅を選択したらしいこの体から奪われたストレスを垂れ流すものとしての涙、それを彼女らの物に準え胸の閊えを取るのがこの死子祭りにおける一番の善き事だ、丁度供養として人形を燃やしそばに居てくれた時間に感謝を込め祈りを捧げるその行事はこれに重なる部分多々であると言えようか、ただ人形に当たる物が人の形をしていないが人そのものとほぼ同質であるのにそれを平気で燃やしてしまっているかの様な構図は多少ならず薄気味が悪い、実際私は死の瞬間の表情を克明に遺した人々の氷漬けがここで地から生え揃っていたらそれを見た瞬間もう人としての理性や知性なんて金繰り捨てて四つ足を始めここから逃げ出し、花の預けられ人たる資格無しとして花との生命線を断ち切られ何処かで人としてはあまりに表情目的の見えない顔で動物としてはあまりに顔の変形理由が分からない風で野垂れ死んで居たのではないだろうか。彼らの死に様が花の形で柔らかく誤魔化されているのは、残酷な優しさが私を護ってくれているからなのだろう、今のこの世界にとっては彼らの死の尊厳維持より生きて花の世話を出来る私のなけ無しの人権保護の方が大きな利益手段として見えているのだ。
 私に与えられた能力、火炎息、実際火炎を吐くなんて理不尽な事ではないのだがそれでもこれをそう呼称したくなるのにはしっかり訳が有る。これら水仙は青白き光を放つ上透明でまるで氷の花とでも思いたくなる姿をしているのだが私がこれこそ収穫に相応しいと判断して息を吹きかけた花はちゃんとした固形である属性を失う、恐らく私の息はこれら花がもうちゃんとした生命体ではなく生命の光を宿して擬似生命体をやっているだけに過ぎない事を知らせる一番の証拠材料になるのだと思う。私に預けられた花も例外ではない筈だが花はその繋がった人の吐く二酸化炭素を糧の一部として生きていたのだろう、そしてその息とは必ず繋がった人の物でなくてはならない、だから赤の他人である私に気体乳を吹き掛けられると自分の存在の確かさを見失ってしまうのだ、今もこの体には世話役の人間の鼓動が息衝いているのに、何故自分に息吹き掛けるのは全く知らない他人なのだろうと。それでも私が死への目覚めの吐息を止めないと遂には自らに封じ込めた光を解き放ち、そして生命光が体を繋ぎ止めていたその力を失った花はぐしゃりと崩れて水の粘土の様な存在になってしまう。私に預けられた花も実際成長を知らないのだがそれでも水を成長素材を吸収しようというのは生命維持において不可欠で有るのは間違いなくとも相当不毛な行為で何一つ本来吸収すべき物はないので己自体が水の塊、言い換えれば氷に見紛う固体に変質してしまったのだろう。そんな氷を真似た水をただの水に変える運動量を持った息、それで火炎息と言う訳だ。
 花は水を取り入れて終いには水の塊と成ってしまう、その考えで行くと彼らの放つ光は太陽光の未消化分ではないかと言う疑問が生じるがそれだと彼らが光を失っただけで崩れてしまう理由が何処にあるか分からなくなる上そもそも光の色合いが太陽光のそれとは異なるし、それにただの太陽光で在れば花の体に長々と留まって発光するなど出来ないだろう。これら花に人の魂の様な物が宿っていて欲しいと言う私の感傷もこう言った論の支持を強くしていると言うのは否定できないが。では彼らは光合成をしてはいないのか、多分そうではない、厳密には光合成ではないのだろうが太陽の沈まぬこの世界に在って常時似た様な事はしているのだ、そしてそれが生むエネルギーが私の命を繋ぐ最もさり気無く最も大きな支えとなっている。私の先人達の命を形作る物自体が光であったからそれが生きた証として花の中に刻まれる段になっても光の形式を護っていると言うのも有り得ない話ではない。ただ、こうして常時太陽が天に居てくれる事で命を繋いでいけるので在ればそれはありがたい話だがそうである事は愛の巣にて待つ花が蓄えられる水の消耗速度の加速にも繋がって来るので生き難さも増大してしまっている、一度でいいから爽やかな月夜の下、水仙の園を闊歩してみたい物だ。
 私は水で充満した花の千による群生、水仙を名付けた由来であるそれらを前に大きく息を吸い込んだ。全てに息を吹きかけ全てを溶かしてしまったならどうなるのだろう、そんな思いがふと脳裏を掠めた、普段ならその圧倒的な光景に圧されて考えもしない事だったがその時の首折れの私には水仙の園の極一部しか見えていなかったせいだろうか。いや、と思ってその考えを振り払う、私は死んでもきっとこの水仙の園の端に立っているのがせいぜいのちっぽけな存在なのだ、そんな事をしてみた所でここを崩せる程の影響を与える事なんて出来ないだろう、十の花を崩す前に何らかの形で私の動向を監視している筈の愛しの花に操り糸を切られこの場で短い一生に終止符を打つ羽目になるだけに違いない。ならば、今までやって来た通りに小さな事からこつこつと、だ。私はその全ての水仙が根こそぎ無くなった光景を心の奥に大事にしまって少女らの艶かしい死に装束一枚の姿に目を潤す祭りの続きを楽しむ事にした。

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