若さの泉

もし今より十五歳若かったら...
その願いはかなえられる

 数年前の午後のことである。私が公園のベンチに腰掛けて夕刊を読んでいると、初老の紳士が歩いてきて私のそばに腰を下ろした。六十代後半であろう。白髪混じりの頭髪は禿げ上がり、肩は下がり、杖にすがって歩いていた。だが、この瞬間の出会いから、私の人生が永遠に変ることになろうとは、そのときは予想さえしなかった。
 われわれはすぐに打ち解けて話をすることになった。老人は英国軍の退役将校で、退役後も外交関係の仕事をしていた。それだけに、世界のあちこちに旅行する機会があった。ブラッドフォード大佐、本名ではないが、そう呼ぶことにする。彼の冒険談に私は釘付けになった。
 別れ際にまた会う約束をしたが、間もなく、われわれは親友になった。われわれは度々会って、話は真夜中に及んだ。あるとき、大佐は、何か重要な話があるのは確かだが、何らかの理由から言い出せないような様子だった。私は彼をくつろいだ気分にさせて、もし言いたいことがあるのならば、私は聞いても絶対に口外しないと誓った。最初はゆっくりだったが、やがて信頼が深まっていくとともに、大佐は話し始めた。
 数年前インドに駐在していた当時、ブラッドフォード大佐は、内陸部の遠隔地からやってくる現地人としばしば接触し、彼らの珍しい生活習慣について聞いた。とくに関心を引いたのは、ある特別な地域の住民が繰り返し語る奇妙な話だった。それは、他の地域の人も聞いたことのないものだった。
 その話は、チベットに住むラマ僧が『若さの泉』の秘密を知っているというものだった。その秘密は、何千年に渡って、その宗派で語り継がれてきたものだった。彼らは秘密を隠そうとしたわけではないが、僧院は遠く離れて孤立していたために、下界から隔絶されてしまったのだった。
 僧院と『若さの泉』は、現地の住民にとって伝説となった。住民らは、老人が僧院を発見して入ったあと、不思議にも健康と強さと精力を取り戻した、と語った。だが、この不思議で驚くべき場所を知る者はいないようだった。
 多くの人と同じように、ブラッドフォード大佐も四十歳になると老化を感じはじめ、以後、もう若くはないと思うようになった。この奇跡の『若さの泉』について聞くにつれて、その場所が実在することを確信するようになった。大佐は、その場所のある方角と土地の性格、そして場所を特定するに足る情報を集めた。探索が始まると、ますます『若さの泉』を発見したいという思いに取り付かれた。
 抗しがたい欲求だと、大佐は私に語り、インドに戻って、この隠れ里を探し出して、永遠の若さの秘密を見つける決意をした。そして、大佐は私にも探索に加わらないか、とたずねた。
 正常ならば、私は、こんなあり得ない話を信じるわけにはいかないだろう。しかし、大佐は真剣だった。彼が『若さの泉』について語るにしたがって、私はそれが本当の話であると確信するようになり、探索に加わりたいという気になった。しかし、現実の問題を考え始めると、私は二の足を踏むことになった。
 ブラッドフォード大佐が去ると、私は正しい判断をしたかどうか考え始めた。老化を征服したいというのは、たぶん誤った考えだと考え直した。われわれはすべて優雅に老いることはできるが、与えられた人生以上のものを求めるべきではない。
 しかるに、心の底には『若さの泉』に対する期待が残された。何と素晴らしい考えだろう。私は、大佐がそれを発見することを切望している。
  数年が経過して、日常の茶飯事にかまけるうちに、ブラッドフォード大佐のことも、彼の『シャングリラ』(桃源郷)も忘れてしまっていた。一夕帰宅すると、大佐の自筆の手紙が届いていた。すぐに封を開いて読むと、大佐は希望にあふれていた。大佐が言うには、調査はなかなか進まず、後戻りもあるが、間もなく『若さの泉』を発見できると信じている。返信先はなかったが、大佐が無事であることが分かって、ほっとした。
 さらに数ヶ月たって、再び手紙を受け取った。私は、震える手で手紙の封を切った。一瞬、私は手紙の中身が信じられなかった。思っていたよりもよいニュースだった。大佐は『若さの泉』を発見したばかりか、彼はそれを持ち帰るという。そして、二ヶ月以内に帰国する予定だ。
 最後に大佐に会ってから四年たっていた。この間に彼も随分変ったことだろうと思った。『若さの泉』は、時計の針を止めることができたであろうか? 最後に会ったときと同じにみえるだろうか、あるいは、四年の歳月の経過が一年ぐらいにみえるだろうか?
 最後に、これら疑問に回答を得る日がきた。ある夜家に一人でいると、思いがけなく玄関のベルが鳴った。私が聞くと、ドアマンは、「ブラッドフォード大佐がお見えです」と答えた。私は興奮して、「すぐにお通しして」と言った。まもなく、部屋のドアのベルが鳴り、私はドアを開けた。だが、私の目の前に立っていたのは、ブラッドフォード大佐ではなく、がっかりした。それは、もっと若い男だった。私の失望を知って、その男は言った。「待ってくれていたんだろう?」
 「待っているのは別の方です」と、私は答えたが、戸惑いは隠せなかった。
 「もっと熱烈に出迎えてくれてもいいじゃないか」と、その訪問者は聞きなれた声で言った。「私の顔をよく見ろよ。自己紹介が必要かね?」
 戸惑いは驚きに変わり、信じられない思いで、目の前の人物を見つめた。その顔は、ブラッドフォード大佐の顔に似ていることが分かった。しかし、この男は、大佐を何年も若くして壮年にしたように見えた。前かがみで杖をつき、老いぼれた男が、直立した背の高い男に変っていた。顔は元気にあふれ、白髪混じりの薄い髪に代わって、黒々とした髪が生えていた。
 「私だよ」と大佐は言った。「中に招き入れてくれないならば、礼儀知らずと思うがね」
 私は大佐を抱きしめたが、興奮を抑えることができないまま、彼を質問攻めにしながら招き入れた。
 「待ってくれ」と彼は言った。「一息吐いて、すべてあったことを話すよ」
 ブラッドフォード大佐はインドを到着するや、言い伝えの『若さの泉』があるとされる地域に向かった。幸いに大佐は現地の言葉が少しできたので、数ヶ月に渡って地元住民と接触し、友達になった。彼は、ジグゾーパズルの破片をつなぎ合わせることにさらに月日を費やした。長く遅々とした試みだったが、大佐は忍耐の末に目的を達成することになった。ヒマラヤの奥地への長く危険な旅をして、若返りの秘密に関する言い伝えがある僧院を発見した。  
 そこには、老人はいなかった。ラマ僧は大佐を『昔の人』と表現した。というのは、彼のように老いぼれて見える人間を長く見たことがなかったからだ。
 「到着から二週間、私は陸に上がった魚のようなものだった」と大佐は語った。「見るものすべてが驚きだった。目の前にあることが信じられなかった。まもなく健康が回復しはじめ、夜はぐっすり眠れるようになり、朝は起きるのが、次第にさわやかになり、エネルギーがみなぎるようになった。やがて、私は山歩きのときだけ杖が必要なことに気が付いた。
 「ある朝、人生で最も驚く経験をした。私は初めて僧院内のよく整頓された大きな部屋に入った。そこには、古文書が所蔵されていた。部屋の隅に等身大の鏡が置いてあった。私は、過去二年間に渡って僻地を旅行していたので、このときまで自分の姿を見ることはなかった。興味津々で鏡の前に立った。
 「私は目の前の自分を信じられない思いで見つめた。私の外見は劇的に変化していた。実際の年齢よりも十五歳は若く見えた。長い間夢に見てきた『若さの泉』は実際に存在していたのだ。私の目の前にあるのが、その証拠だった。
 「私の喜びは筆舌に尽くしがたい。何週間、何ヶ月、私の外見はさらに若々しくなり、変化はだれの目にも明らかなまでになった。やがて、『昔の人』という私の称号を口にする人はいなくなった」
 大佐は、再開した時、実際に四十歳にしか見えなかったのだ。
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