*田中小実昌データ・ベース 年譜

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1925  大正14年
■4月29日、東京府豊多摩郡渋谷町大字宮代一の日本赤十字社産院で父田中種助(40歳)、母正子(46歳)の長男として生まれる。戸籍上の出生地は東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町大字千駄ヶ谷491番地。妹ミチ一人いる。父は静岡県庵原郡岩淵村(現在の富士川町)の出身。東京市民協会(戸籍上の出生地にあった)の牧師。教会付属の東京市民幼稚園園長を兼任する。この教会は牧師の久布白直勝、落実夫婦が大正9年に創設した独立教会で、父はアメリカでこの久布白牧師の洗礼を受け、大正8年に東京学院神学部を卒業。大正10年に東京市民教会に赴任する。母は大分県日田郡小野村の出身。その父佐藤四郎は日田郡の代官。
1926  昭和元年 1歳
1927  昭和2年 2歳
■3月 父が東京市民教会を辞職し、福岡県小倉市の西南女学院シオン山教会に転居する。
1928  昭和3年 3歳
■1月23日 父が小倉市西南学院シオン山教会を辞任し、アサヒノ教会設立に従事。

■8月12日 父が佐世保バプテスト教会牧師河野博範氏の志望により、八幡製作所の番小屋で「アサ会」を設立。(*1977
年発行の田中遵聖氏による説教集『主は偕にあり』では8月17日となっている。)

■12月(翌年1、2月) 父種助氏、広島県呉市バプテスト教会(無牧)に応援伝道。
1929  昭和4年 4歳
■3月18日 呉市バプテスト教会信者有志の招きにより若松市金毘羅山住宅より呉市に移住。

■4月 広島県呉市本通九丁目(現本通四丁目)の呉バプテスト教会(現 日本バプテスト呉基督教会)に赴任。父種助はその教会の牧師として活動。
1930  昭和5年 5歳
1931  昭和6年 6歳
1932  昭和7年 7歳
■3月 父種助氏、呉バプテスト教会辞任。

■4月 呉市立本通尋常小学校に入学。

■6月27日 東三津田町酒田久五郎氏所有の建物を牧師館及び祈り堂として使用、集会を行う。この日を教会創立記念日としている。

■8月 呉市東三浦田十一番地十一号に転居し、父種助が十字架のない独立教会を創設。(注:田中種助氏がバプテスト呉教会の牧師として招かれ呉に到着した日、昭和4年3月18日を創立日としているようです。)

■9月 呉市立二河尋常小学校に転校。
1933  昭和8年 8歳
■10月19日 基督教呉バプテスト教会廃止。アサ会名称に変更。
1934  昭和9年 9歳
■6月27日 アサ会設立許可を受ける。
1935  昭和10年 10歳
1936  昭和11年 11歳
1937  昭和12年 12歳
1938  昭和13年 13歳
■3月 二河尋常小学校を卒業。広島県呉第一中学校(現在の三津田高等学校)の入学試験に落ちる。

■3月 福岡市の私立西南学院中学部に入学。福岡アサ会の牧師、河野博範氏に預けられる。二学期からは寄宿生活を送る。
1939  昭和14年 14歳
■9月 呉第一中学校に転校。同級生に井上忠がいる。あだ名は“オーマン”。
1940  昭和15年 15歳
■第三学年に進級。地理の先生であった仁木盛雄氏に『欽定訳聖書』の英文の読み方を一年がかりで教わる。
1941  昭和16年 16歳
1942  昭和17年 17歳
■3月 広島県立呉第一中学校第四学年を修了。

■4月 福岡高等学校文科丙類(フランス語クラス)に入学し寮生活を送る。
1943  昭和18年 18歳
4月 福岡高等学校落第する。この年で丙類が廃止され文独(ドイツ語クラス)に変わる。

■永野武治宅に下宿。
1944  昭和19年 19歳
■6月 湯川達典、末次学(末次孝行)、永野武治(川上朝日子)、各務章らと回覧雑誌『止里可比』を発刊。小実昌さんのペンネームは田中一虫。

■12月 高等学校在学中のまま召集され、西武四部隊(山口聯隊)に入営。その五日後、中国へ向かい博多港から釜山に渡る。
1945  昭和20年 20歳
■1月 南満州で正月を迎え、その後、武昌から行軍。

■5月 粤漢線の鉄道警備の中隊に配属されるが、8月15日に敗戦。捕虜生活を送る。
1946  昭和21年 21歳
■7月 上海黄浦江口の呉淞から復用員の病院船氷川丸に乗り、神奈川県久里浜に復員。

■8月 両親の住む呉市に帰省する。福岡高等学校を繰り上げ卒業し、東京大学文学部哲学科に入学していることを父に知らされるが休学する。

■呉市にあった米軍政府CIC(情報部)の通訳に採用されるが断り、兵舎の料理場のストーブマンになる。
1947  昭和22年 22歳
■4月 東京大学文学部哲学科に復学。渋谷の東横デパート4階にあった軽演劇「東京フォリーズ」に入り、舞台雑用や進駐軍の検問のために台本を英文に訳す等のアルバイトをするが、火災に遭い、解散する。

■8月 渋谷松濤町にあった旧鍋島公爵邸の米軍通信師団将校クラブでバーテンダーになる。その将校クラブの二階にあった図書室でベン・ヘクトなどを読み、W・サローヤンに興味を覚える。

■10月 人員整理で失業。日比谷の三信ビルにあった通信師団本部の兵隊食堂で働く。
1948  昭和23年 23歳
■将校クラブの雑役(ジャニター)の仕事に就くが、窃盗容疑で罰金刑を受け丸の内署に留置される。

■両国の同愛病院の夜間受付になる。

■3月 新宿西口の高島易断本部の張込み易者(香具師)になる。
1949  昭和24年 24歳
■1月(正月) 池袋西口の易断所へ移る。

■上野広小路の聚楽ビル3階に易断所を開く。

■5月 富山の日枝神社に張込み易者として出向き、以後約1年間北陸を旅する。

・5月 末富山・日枝神社(山王祭)
・6月 滑川・櫟原神社の高市
・7月 富山・高岡の高市
・8月 富山・魚津・諏訪神社(たてもん祭)
・秋〜冬 福井/鯖江・武生の高市・松岡・丸岡・芦原温泉・三国港 石川/小松・片岡山温泉・大聖寺(当時大聖寺に住んでいた作家深田久彌を訪ね、当時書いていた小説を読んで聞かせる。)
1950  昭和25年 25歳
■1月 福井県/大野・勝山(左義長の高市1月15日)。

■4月 東京に戻る。

■7月 香具師の体験を描いた「やくざアルバイト」が土田玄太の名前で<文藝春秋>に掲載される。

■9月 横田基地で爆弾を運搬する仕事に就き、青梅線の牛浜に部屋を借りて野見山淑子と同棲。
1951  昭和26年 26歳
■翻訳家の中村能三氏を訪ね、翻訳の仕事の斡旋を依頼する。

■12月23日 実家の教会が“アメンの友”に改称。
1952  昭和27年 27歳
■4月 東京大学から除籍処分を受ける。

■5月、横田基地を解雇され、義兄の野見山暁治(画家)宅に移転。世田谷区東玉川二丁目十七番地四〇で生活する。この年結婚。
1953  昭和28年 28歳
■横浜市桜木町の職安で米軍の貨物数員(カーゴ・チェッカー)の試験を受け、横浜港の北波止場に勤務。S・モームの“Up at the Villa”を翻訳する。ストライキを起こして人員整理に遭う。以後、失業保険で生活する。

■9月19日 長女アサミが誕生。
1954  昭和29年 29歳
■3月 丸の内の三菱仲七号館にあった米軍の406医学研究所の生化学部の仕事に就く。
1955  昭和30年 30歳
■2月 406医学研究所が相模大野に移転する。

■7月 翻訳家中村能三を中心とする同人誌<シグマ>創刊。
1956  昭和31年 31歳
■7月1日 次女りえが誕生。

■<EQMM(エラリイ・クイーズ・ミステリ・マガジン)>が創刊され、中村能三に連れられて、その編集長だった都筑道夫に会う。

■11月 初の翻訳「冷蔵庫の中の赤ん坊」(J・M・ケイン)を<EQMM>に発表。
1957  昭和32年 32歳
■2月 翻訳『憑かれた死』(J・B・オサリバン)を早川書房より刊行。

■5月 翻訳『
女は魔物』(P・チェイニイ)を早川書房より刊行。

■7月 翻訳『
殺人狂想曲』(A・A・フェア)を早川書房より刊行。

■11月 翻訳『
寝室には窓がある』(R・マティスン)を早川書房より刊行。

■12月 <新潮>の全国同人雑誌推薦小説特集で<シグマ>に掲載された「上陸」が同人雑誌優秀作として掲載される。
1958  昭和33年 33歳
■2月 翻訳『十七才のルーシイ』(A・L・ジョンソン)を秋元書房より刊行。

■3月18日 午後9時ごろ父種助氏亡くなる。

■5月 翻訳『
吸血鬼』(R・マティスン)を早川書房より刊行。

■8月 翻訳『
女は待たぬ』(A・A・フェア)を早川書房より刊行。

■9月 翻訳『
いもうと』(N・ハートウェル)を秋元書房より刊行。

■12月 翻訳『
ゆがめられた昨日』(E・レイシイ)を早川書房より刊行。
1959  昭和34年 34歳
■3月 翻訳『風はささやく』(M・メデリス)を秋元書房より、翻訳『時間溶解機』(J・ソウル)を早川書房より刊行。

■5月 翻訳『
笑ってくたばる奴もいる』(A・A・フェア)を早川書房より刊行。

■6月 「火のついたパイプ」がEQMM短篇探偵小説コンテストで準佳作に選ばれる。

     翻訳『
嘘から出た死体』(A・A・フェア)を早川書房より刊行。

■8月 翻訳『
湖中の女』(R・チャンドラー)を早川書房より刊行。

■10月 翻訳『
高い窓』(R・チャンドラー)を早川書房より刊行。
1960  昭和35年 35歳
■1月 翻訳『通り魔』(E・マクベイン)を早川書房より、翻訳『白銀のかなた』(B・カヴァナ)を秋元書房より刊行。

■3月 翻訳『
レディ・キラー』(E・マクベイン)を早川書房より刊行。

■4月 翻訳『
うまい汁』(A・A・フェア)を早川書房より刊行。

■6月 翻訳『
梟はまばたきしない』(A・A・フェア)を早川書房より刊行。

■7月 翻訳『
蝙蝠は夕方に飛ぶ』(AA・フェア)を早川書房より刊行。

■8月 翻訳『
死の第三ラウンド』(W・アイリッシュ)を東京創元社。

■10月 翻訳『
死体置場は花ざかり』(C・ブラウン)を早川書房より刊行。

■12月 翻訳『
霧の壁』(F・ブラウン)を東京創元社より、翻訳『倍額保険』(A・A・フェア)を早川書房より刊行。
1961  昭和36年 36歳
■3月 翻訳『金髪の罠』(B・ハリディ)を早川書房より刊行。

■6月 翻訳『
警察にしゃべるな』(H・エルスン)、翻訳『死を呼ぶブロンド』を早川書房より刊行。

■8月 翻訳『
猫は夜中に散歩する』(A・A・フェア)を早川書房より、翻訳『ダブル・ショック』(H・チェイス)、翻訳『世界犯罪地図』(D・ホワイトヘッド)を東京創元社より刊行。

■10月 翻訳『
おんな』(C・ブラウン)を早川書房より刊行。

■11月 翻訳『
あつかましい奴』(C・ブラウン)、翻訳『見知らぬ町の男』(B・ハリデイ)を早川書房より刊行。

■12月 翻訳『
素肌』(C・ブラウン9を早川書房より刊行。

・<EQMM>に毎月翻訳を発表。
1962  昭和37年 37歳
■3月 翻訳『悩ましい死体』(C・ブラウン)、翻訳『明日は殺人』(C・ブラウン)を早川書房より刊行。

■4月 翻訳『
ストリッパー』(C・ブラウン)、『エキゾティック』(C・ブラウン)を早川書房より刊行。

■7月 翻訳『
カラスは数をかぞえない』(A・A・フェア)を早川書房より刊行。

■8月 翻訳『
とんでもない恋人』(C・ブラウン)を早川書房より刊行。

■9月 翻訳『
突然に死が』(H・Q・マスル)、翻訳『女虎』(C・ブラウン)を早川書房より刊行。

■10月 翻訳『
じゃじゃ馬』(C・ブラウン)を早川書房より刊行。

■11月 翻訳『
夢見るは死の面影』(C・ブラウン)を早川書房より刊行。

■12月 翻訳『
ひややかなヌード』(C・ブラウン)を早川書房より刊行。

<マンハント>、<EQMM>に毎月翻訳を発表する。
1963  昭和38年 38歳
■2月 翻訳『ゴースト・レディ』(C・ブラウン)を早川書房より刊行。

■3月 翻訳『
ダムダム』(C・ブラウン)を早川書房より刊行。

■6月 翻訳『
グラマー』(C・ブラウン)、翻訳『ゼルダ』(C・ブラウン)を早川書房より刊行。

■7月 翻訳『
おひまなレディ』(C・ブラウン)を早川書房より刊行。

■8月 翻訳『
肉体の短剣』(R・S・ブラザー)を早川書房より刊行。

■9月 翻訳『
白いビキニ』(C・ブラウン)を早川書房より刊行。

■11月 翻訳『
死体はヌード』(C・ブラウン)を早川書房より刊行。

■12月 翻訳『
女ボディカード』(C・ブラウン)早川書房より刊行。
1964  昭和39年 39歳
■1月 翻訳『レディ・ジャングル』(C・ブラウン)、翻訳『妖精』(C・ブラウン)を早川書房より刊行。

■3月 翻訳『
地獄のきれっぱし』(M・ロスコオ)を早川書房より刊行。

■4月 翻訳『
チャーリーの使い』(C・ブラウン)を早川書房より刊行。

■5月 『
かぶりつき人生』を三一書房より刊行。

     翻訳『
真夜中の目』(M・ロスコオ)を早川書房より刊行。

     日本各地を歩く。

■7月 翻訳『
死のおどり』(C・ブラウン)、翻訳『のっぽのドロレス』(M・アヴァロン)、翻訳『誘拐部隊』(D・ハミルトン)を早川書房より刊行。

■8月 翻訳『
ぬれ手に粟』(A・A・フェア)を早川書房より刊行。

■12月 翻訳『
いなかった女』(C・ブラウン)を早川書房より、翻訳『青いジャングル』(R・マクドナルド)を東京創元社より刊行。
1965  昭和40年 40歳
■2月 翻訳『第五の墓』(J・ラティマー)を早川書房より刊行。

■4月 翻訳『
ダイヤを抱いて地獄へ行け』(H・チェイス)を創元推理文庫より刊行。

■6月 翻訳『
ある晴れた朝突然に』(H・チェイス)を東京創元社より、翻訳『太ったベティ』(M・アヴァロン)を早川書房より刊行。

■10月 翻訳『
銃弾の日』(M・スピレイン)を早川書房より刊行。

■12月 翻訳『
おんな対F.B.I.』(P・チェイニイ)を久保書店より刊行。
1966  昭和41年 41歳
■4月 翻訳『鮮血の日の出』(M・スピレイン)を早川書房より刊行。

■9月 翻訳『
ハニーに死の接吻』(GG・フィツリング)を早川書房より刊行。
1967  昭和42年 42歳
■2月 翻訳『殺人は死であがなえ』(H・チェイス)を東京創元社より刊行。

■3月 翻訳『
死の狩人』(M・スピレイン)を早川書房より刊行。

■9月 翻訳『
殺戮のバイパス』(M・スピレイン)を早川書房より刊行。
1968  昭和43年 43歳
■8月 第一創作集『上野娼妓隊』を講談社より刊行。

■11月 『
かぶりつきバカ−コミショウ・デカメロン』を立風書房より、『にっぽんバタフライ考−深夜こっそり楽しむ本』を双葉社より刊行。
1969  昭和44年 44歳
■6月 『女?現地ルポ』を秋元書房より刊行。

■8月 『
姦淫問答』を講談社より刊行。

■10月 『
色の花道』を文藝春秋より刊行。
1970  昭和45年 45歳
■2月 『小実昌のかぶりつき放浪記』を日本文芸社より刊行。

■5月 『
すいばれ一家』を徳間書店より刊行。

■11月 『
あぁ人生ストリップ』をサンケイ新聞社出版局より刊行。
1971  昭和46年 46歳
■4月 「ミミのこと」を<オール読物>に発表。

■6月 「浪曲師朝日丸の話」を<小説現代>に発表。

■8月 『
自動巻時計の一日』を河出書房新社より刊行。(第66回昭和46年下期直木賞候補作となる。)
1972  昭和47年 47歳
■1月 『自動巻き時計の一日』が昭和46年下半期直木賞候補作となる。

■4月 翻訳『
アイリッシュ短編集2』(W・アイリッシュ)を東京創元社より刊行。

・雑誌<旅>(日本交通公社)の特班員として港町を放浪し、「コミマサ・港町シリーズ」として毎月発表(全12回)。
1973  昭和48年 48歳
■3月 『幻の女』を桃源社より、『みなと妻、いでゆ妻』を日本交通公社より刊行。

■9月 『
ああ寝不足だ』を青樹社より刊行。

■11月 『
関東チョンボ一家』を双葉社より刊行。

■12月 『
黙って○○れば』をグリーンアロー出版社より刊行。
1974  昭和49年 49歳
■4月 『不純異性交友録』を三笠書房より刊行。

■9月 『
乙女島のおとめ』を番町書房より刊行。
1975  昭和50年 50歳
■2月 『ぼくの初体験』を青樹社より刊行。

■5月 『
オホーツク妻』を河出書房新社より刊行。
1976  昭和51年 51歳
■7月 『チェリーとの散歩』を立風書房より刊行。
1977  昭和52年 52歳
■4月 『コミマサにっぽん博物誌』を風光社書店より刊行。

■12月 「ポロポロ」を<海>に発表。

      翻訳『
親友(パル)・ジョーイ』(J・オハラ)を講談社より刊行。
1978  昭和53年 53歳
■4月 翻訳『血の収穫』(D・ハメット)を講談社より刊行。

■7月 『
コミマサ・シネノート』を晶文社より刊行。

     夏サンフランシスコに滞在

■10月 『
新宿ふらふら族』を泰流社より刊行。
1979  昭和54年 54歳
■2月 『香具師の旅』を泰流社より刊行。

■4月 翻訳『
郵便配達はいつも二度ベルを鳴らす』(J・M・ケイン)を講談社より刊行。

■5月 『
ポロポロ』を中央公論社より、『ご臨終トトカルチョ』を泰流社より刊行。

■6月 『
ビック・ヘッド』を河出書房新社より刊行。

■7月 『
ベトナム王女』を泰流社より刊行。

     『香具師の旅』所収の「浪曲師朝日丸の話」「ミミのこと」で第81回昭和54年上半期直木賞受賞。

■8月 『
オチョロ船の港』を泰流社より刊行。

     夏アテネに滞在

■9月 『
ひとりよがりの人魚』を文芸春秋より刊行。

     『ポロポロ』で第15回谷崎潤一郎賞受賞。

■10月 『
ふらふら記』を潮出版社より、『恥らう死体』を泰流社より刊行。
1980  昭和55年 55歳
■2月 『猫は夜中に散歩する』を冬樹社より、『灯りさがしてぶらり旅』を桃源社より刊行。

■6月 『
また一日』を文化出版局から刊行。

■7月 『
コミマサ・ロードショー』を晶文社より刊行。

■8月 『
女を食べてみよう−小実昌のおんな構造学』をロングセラーズより、『インデアン・ピート』を講談社より刊行。

■9月 『
女類学入門』を作品社より刊行。
1981  昭和56年 56歳
■5月 『風にふかれておんな酒』を桃源社より、『イザベラね』を中央公論社より刊行。

■7月 『
また横道にそれますが』を読売新聞社より刊行。

■10月 『
コミさんの二日酔いノート』をPHP研究所より刊行。
1982  昭和57年 57歳
■3月 『港みなと』を潮出版社より刊行。

■11月 『
親不孝橋をわたって』を実業之日本社より刊行。
1983  昭和58年 58歳
■3月 翻訳『おあついフィルム』(RS・ブレイザー)を中央公論社より刊行。

■7月20日  シアトルに行く。9月上旬帰国。

■8月 『
ぼくのシネマ・グラフティ』を新潮社より刊行。
1984  昭和59年 59歳
1985  昭和60年 60歳
■1月 アメリカのサンディエゴへ行く。

■2月 『
いろはにぽえむ』をTBSブリタニカより刊行。

■7月 『
カント節』を福武書店より刊行。

■12月、ロンドン、マドリッドへ行く。
1986  昭和61年 61歳
■3月 『オトコの気持ち』を日本経済新聞社より、『ワインの涙はそら涙』を旺文社より刊行。

■4月 『
海辺でからっぽ』を筑摩書房より刊行。

     世田谷区から練馬区早宮に引越しする。

■10月 『
ほろ酔い気分は旅の空』を弘済出版社より刊行。

■12月 『
モナドは窓がない』を筑摩書房より刊行。

      結核・糖尿病のため日大板橋病院に入院する。
1987  昭和62年 62歳
■2月 日大板橋病院を退院。

■9月 『
ふらふら日記』を毎日新聞社より刊行。
1988  昭和63年 63歳
■1月7日オーストラリアのパースへ行く。

■2月 『
なやまない』を福武書店より刊行。

■5月 『
ほろよい味の旅』を毎日新聞社より刊行。

■7月12日から9月20日までアメリカ西海岸シアトルに滞在。

■10月 翻訳『
ノアと箱舟と動物たち』(A・エルボーン<文>、I・ガンチェフ<絵>)を日本基督教団出版局より刊行。
1989  昭和64年・平成元年 64歳
■2月 『アメン父』を河出書房新社より刊行。

■夏、ドイツのブレーメンに滞在。

■11月 『
きょうがきのうに』を読売新聞社より刊行。
1990  平成2年 65歳
■2月 『コミマサ・シネマ・ツアー』を早川書房より刊行。

■5月 野見山暁治との共著『
セルフィッシュ』を用美社より刊行。

■夏、ドイツのブレーメンに滞在。

■9月 『
ないものの存在』を福武書店より刊行。

■10月 『
ヴィーナスのえくぼ』(現代教養文庫 田中小実昌作品集1)を社会思想社より、『きょとん』を実業之日本社より刊行。

■11月 『
拳銃なしの現金輸送車』を社会思想社より刊行。

      5日 紀伊国屋ホールで第3回ハヤカワ国際フォーラム「エド・マクベイン講演会」にゲストとして出演。
1991  平成3年 66歳
■2月 『やさしい男にご用心』(現代教養文庫 田中小実昌作品集2)を社会思想社より刊行。

■3月 『
いろはにぽえむ』(現代教養文庫 田中小実昌作品集3)を社会思想社より刊行。
1992  平成4年 67歳
■4月 『楽屋ばなし−いとしのジプシー・ローズと踊り子たち』を文藝春秋より刊行。

■7月 『
サンチャゴふらふら』をトラベルジャーナルより刊行。
1993  平成5年 68歳
■3月 キプロス島に滞在
1994  平成6年 69歳
1995  平成7年 70歳
■7月 シアトルに滞在
1996  平成8年 71歳
■5月 『コミさんのほのぼの路線バスの旅』を日本交通公社より刊行。
1997  平成9年 72歳
■4月 『バンブダンプ』を新潮社より刊行。

■8月 『
新宿ゴールデン街の人たち』を中央公論社より刊行。
1998  平成10年 73歳
1999  平成11年 74歳
■8月 『バスにのって』を青土社より刊行。
2000  平成12年
■1月10日、アメリカのロサンゼルスに渡る。

■2月24日、心臓発作を起こして南カリフォルニア大学(USC)メディカルセンターに入院。

■2月26日午後5時(日本時間27日午前10時)、メディカルセンターにて肝不全のため死去した。

■告別式が3月1日午後7時(日本時間2日正午)からロサンゼルス市イーストテンプル通り707の福井葬儀社で行われた。喪主は次女田中りえさん。

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