カブでヨーロッパ一周編

 ストックホルム滞在記 [スウェーデン] (2001/08/29-09/01)

・08/29 NEWバッグ購入!
・08/30 ストックホルムをぶらり
・08/31 ユースで日本人
・09/01 この旅最大のピンチ!

通貨単位:SEK(スウェーデンクローネ)/1SEK=約13.5円


08/29 曇り/雨 NEWバッグ購入! Stockholm/GUSTAF AF KLINT(船のユース)/182km

 変わったユースを昼頃発ち、一路ストックホルムを目指す。ストックホルムでは先日のノールカップで紐が切れた振り分け出来ないバッグの代替品を買う予定をしていたが、思っていたよりも早く手に入れることが出来た。

 途中に通過した町に大きいバイク用品店を見つけたので、バッグもあるかもしれないと思いそこへ行ってみた。残念ながらその店は閉まっていたのだが、近くにいた怖そうな兄ちゃんが「バッグだったらこの先のホンダの店にもあるから行ってみたら?」と親切に教えてくれた。人は見かけによらないよな。

 オレが着いた時、そのホンダの店はちょうど昼休み中だったが、裏に居た店長に「バッグは売ってますか?」と聞いてみたところ、昼休みを切り上げて店を開けてくれた。品揃えは本当に少なかったが、その中にちょうどいいのを発見。これがなかなか良くできていて、結果的には思ってたよりもいい物を買うことが出来た。ストックホルムは大きい町なのでバッグ探しに苦労すると覚悟していたが助かった。

 バッグを購入後、荷物を全て入れ替え、NEWバッグでストックホルムへ向かう。市内では渋滞に巻き込まれ疲れはしたが、ホテルやユースを紹介してくれるインフォメーションがあるという中央駅に到着した。ストックホルム程の大きな町になると宿探しには大変苦労する。その苦労を20SEK(ユースの場合。ホテルの場合は50SEK)で請け負ってくれるのは安いものだ。「5泊出来るユースを探してくれ」と言ったが「精々2泊から3泊が限度ね」と言われ、良く意味はわからないが、ものすごく面倒くさそうにユースを調べている。そんな様子を見ていて腹が立ったな。確かに忙しい時期なので客も多く大変な仕事かもしれないけど、態度は最悪・・・もうちょっとなんとかならんもんか?

 で、結局紹介されたユースは「6時までにチェックインしないと無効になるから急いで下さい」という困ったところで、駅から大急ぎでユースへ向かう。インフォメーションで買った地図(15SEKもした。タダで配れ!)はあまりにいい加減なので見つけるのに苦労した、というのも今日のユースもかなり変わっていて、なんと「船のユース」だった。右写真がユースとして改装された船。面白いところなんだけど、快適か?と言えば・・・部屋は狭いし、波で少し揺れる。快適とは言いがたい、というのが正直なところだ(笑)

 しかしどう見ても6時までにチェックインしなければいけなかった感じは無い。というのもそれ以降にも多くの人がチェックインしているのだ。全くあのインフォメーションにはしてやられた。

08/30 晴れ ストックホルムをぶらり Stockholm/GUSTAF AF KLINT(船のユース)/0km

 この船のユースは2泊しか出来なかったので、明日の朝には追い出される。明日は予約で埋まっているのだそうだ。こんなユースが予約で埋まるとは、根本的に宿が少ないのかもしれない。明日の宿探しに苦労しそうだなぁ、とは思うがそれは明日の事でいいだろう。

 今日はのんびりとストックホルムをぶらりと歩いてみた。特にどこかへ行ったわけではないが、たまにはこういう過し方もいいだろう。

 夕方頃に同じ「船のユース」にチェックインした日本人パッカーと知り合い、共に町へ繰り出した。オレはガイドブックはまず見ないので、久しぶりにガイドブックに載っている「見所」へ行った気がする。たまにはこういう「歩き方」も新鮮だな。

 夕食は美味い魚。高級ホテルのレストランでかなり値は張ったが、さすが味は大満足。金持ちはこんなものをしょっちゅう食ってるのか?と思ったな(笑)

08/31 晴れ|雨 ユースで日本人 Stockholm/ZINKENSDAMM(ユース)/7.1km

 朝からユースを追い出されたので、昨日知り合った道産子パッカー高橋君(これを見てくれたら是非メールを頂戴!)と共に今日の宿を探す。公衆電話からピックアップしたユースに電話していくが、どこも満室か回線が混んでいて電話が繋がらないという状態。結局、一番望みが持てそうなユースに突撃してみようということになった。これで満室ならシャレにならなかったが無事空ベッドがあったので、オレ達は今夜の宿を確保できた。

 またここで関学生パッカーの2人組と知り合った。偶然にも彼らとは同じ部屋になったので、今日の部屋は日本人4人という奇妙なことになった。

 宿が決まった後は町へ繰り出す。それぞれに行きたいところが違った為、夕方7時に中央駅のインフォメーション前で待ち合わせということで別行動。オレはストックホルムに来た目的でもあるヴァーサ号博物館へまず向かった。

 ヴァーサ号博物館は17世紀にストックホルムにて沈没した帆船「ヴァーサ号」を展示している博物館。海底から引き上げられた船は何世紀も海底で過していたというのに保存状態はものすごく良い。左写真がそのヴァーサ号。あまりのスケールの大きさには圧倒された。

 そういえばこのヴァーサ号について、Skellefteaで出会った重松さんから聞いたちょっと面白い話がある。このヴァーサ号は海底から引き上げられたのだが、水の中に長期間あったものを空気中で乾燥させると、水分が抜けて木が収縮し原形をとどめなくなってしまう。そこで水の代わりに水溶性の樹脂をしみ込ませて対処しているらしい。そこで話が終わるなら「なるほどなー」だけなのだが、2年前の夏(だったかな?)ここストックホルムは例年になく雨が多かったそうだ。もちろんこのヴァーサ号は館内にあるが、濡れた服の見学者がたくさん入館したことで館内の湿度が上がり、その樹脂が溶け出してきたというのだ。その為その年は部分的に閉鎖するなどして何とかなったらしい。今オレがこうして見学できるのには、多くの人の努力によるものなのだ。

 ヴァーサ号博物館の後は「海洋博物館」へ移動したが、閉館直前だったので、また明日リトライすることになった。

 7時前には中央駅のインフォメーションへ向かい、関学生パッカー2人とは合流できたが、道産子パッカーが来ない。最初に決めていた通り7時半になっても来なかったので、3人でユースへ戻ることにした。

 地下鉄を降り、ユースへ戻るべく交差点で信号待ちをしていると、道産子パッカーと会った。電車が遅れ、さらに道に迷った為(笑)、彼は待ち合わせの場所に7時35分に着いたそうだ。ちょうど入れ違いだったようで、乗った電車は同じだった。

 無事合流できたので、スーパーで食材と酒を買い今夜は自炊。大量過ぎるスパゲッティーを食べることになってしまったが、ワイワイ言いながら食べるのは楽しいな。それに久しぶりに日本語で酒を飲んだ気がするよ。

 食後は洗濯。洗濯機があるので期待していたが壊れており、結局手洗いすることになった。でも乾燥機は使えたのでまぁ良しとしよう。

09/01 曇り この旅最大のピンチ! Stockholm/ZINKENSDAMM(ユース)/19.0km

 この日記を書いた(というより書けた)のはかなり後の9/10なのだが、この日オレは最大のピンチに立たされることになった・・・

 朝から道産子パッカー高橋君と共にユースに連泊を告げる。昨夜予約で埋まっていると断られたが、今朝再度言ってみると連泊できた。いったいどうなってるのだろう?よーわからんぞ。

 まず近くにあるフェリー乗り場までパソコンを持っていき、メールのチェック。その後は、髪も伸びてきたので散髪。物価が強烈に高い北欧にしては良心的で140SEK(約1900円)。髪もさっぱりしたので、夕方6時に高橋君との待ち合わせまでユースで執筆活動に励む。

 時間どおりにユースに帰ってきた高橋君が「面白いお土産」を持ってきてくれた。お土産といっても「もの」ではなく「人」。彼は今日レンタルサイクルで市内を散策したのだが、その途中でインド人風のおじさんに声を掛けられたらしい。立体交差になっているところを走り抜けようとしたら「そこは危ないからこっちの違う道へ行きなさい。ユースまで戻るのかい?じゃぁ、私がいい道で連れて帰ってあげよう」。で、そのまま連れて来てもらったというのだ。ここからが楽しくて、その人が今ユースの前で待っていて、これから中欧を南下する高橋君に寒くなるだろうからレインコートとジャケットをあげようということになったらしいのだ。状況がよく把握できなかったが、高橋君はとりあえずオレに紹介したいというので、オレもその人と会ってみた。人のよさそうなおじさんで「学生の旅行は大変だろうから、弟が使っていた防寒着をあげよう」と言う事だった。「今から晩飯を食いに行く」と言ったら、「明日の朝10時にユースまで持ってくるよ」と告げて彼は去って行った・・・意味はよくわからないが、珍しい出来事だった。後日談として、彼と共に朝10時にユースの前にいたのだが、結局おじさんは現れなかった(笑) いったいなんだったんだろうね?

 その後は高橋君とアラビア料理(って言うのか?)店で「シシケバブ」を食ってユースへ戻ってきた。関学生パッカーの2人も戻ってきていて、今夜も酒盛り。その前に記念写真を撮ろうということになって、オレのデジカメで撮影。関学生パッカーの2人は明日の早朝オスロへ発つということで早く寝たが、高橋君とオレは深夜に及ぶまで酒を飲んだ。また船乗りをしているという日本人のおじさんと会い、なかなか聞けない話を聞かせてもらった。

 で、部屋に戻ると・・・机の上に置いていたパソコンと収納バッグ、さらにはデジカメ、三脚まで消えている・・・何処を探しても見つからない。そう、盗まれたとしか考えられないのだ。関学生パッカーの2人が部屋に戻ってきてからはおかしなことは無いというので、それ以前の4人で飲んでいた時に違いない。いろいろと調べてみると部屋には小窓(めちゃ小さい)があり、そこから手を伸ばして盗んだようだった。手の届かない範囲の付属品なんかはそのままにされている。悔やんでも悔やみきれないが、これは事実だった。

 この旅最大のピンチに立たされてしまった。この非常事態を切り抜け、復活するまでの激動の日々をオレは「炎の10日間」と名づけた・・・つづく


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